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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第七十七話 情報部の憂鬱

宇宙暦 795年 9月 1日   ハイネセン 統合作戦本部  バグダッシュ



統合作戦本部の廊下を力なく歩いている男がいる。見慣れた後ろ姿だ。
「ザックス」
俺が声をかけると男は振り返り微かに笑みを浮かべた。良い笑顔だ。追い付いて肩を並べて歩き出す。

ピーター・ザックス中佐。士官学校では同期生だった。成績は抜きつ抜かれつ、いや抜かれている事の方が多かったか……。それでも俺とザックスは結構ウマが合った。一緒につるんで良く悪さをしたものだ。士官学校卒業後は二人とも情報部に配属された。俺は防諜課、ザックスは調査課。数少ない信頼できる友人だ。

「元気そうだな、バグダッシュ。いやバグダッシュ准将閣下と言うべきかな」
「よせよ、ザックス。俺達の仲でそれは無いだろう」
肩を叩くとザックスの笑みが大きくなった。もしかすると苦笑かな。

「すまん、馬鹿な事を言った。……やはり風当たりは強いか」
「それはそうだ、お前さんが中佐で俺が准将……。皆おかしいと思っているさ、俺を含めてな」
俺が笑うとつられたようにザックスも笑った。

「最前線で戦ったんだ、一つ間違えば戦死という事も有り得たし功績も立てている、昇進は当然の事だろう」
俺は肩をすくめて見せた。そう言ってくれるのはお前だけだ、ザックス。周囲はそうは見てくれない。武勲を上げたのは俺じゃない、ヴァレンシュタイン中将なのだ。こっちはお裾分けを貰っただけでしかない。

少し話をしようと言ってラウンジに誘った。喫茶店に入りテーブル席に座る。時刻は夕方の三時、客はまばらだ。まだ若いウェイトレスが注文を取りに来た、おそらくはアルバイトだろう。多分父親は軍人で戦死しているに違いない。軍は遺族を優先的に雇用するようにしている。ザックスも俺もコーヒーを頼んだ。

「忙しいのか、疲れているようだが」
問いかけるとザックスはちょっと困ったような表情を見せた。そしてウンザリした様な口調で話しだす。
「ああ、ブロンズ部長から特命を受けていてな。今も報告を求められて途中経過を報告したんだが早く調査を終わらせろと叱責されたよ」

「特命って言うと……」
ザックスが苦い表情でうなずく。
「シトレ元帥からの特命さ。最近は特命が多くて参っている」
「そうか……」

シトレ元帥からの特命、つまりはヴァレンシュタイン中将絡みの案件か……。依頼に対する調査、裏付け調査、継続調査……。調査対象は帝国の何かに対してだろう。フェザーン経由での調査ともなれば決して楽ではない。調査課に対する負担は大きいはずだ。

ウェイトレスがコーヒーを持ってきた。手際よく飲み物をテーブルに置いてゆく。愛想良く”ごゆっくりどうぞ“という言葉に俺もザックスも笑顔で答えたが彼女が立去るとザックスの表情からは笑みが消えた。そしてどこか疲れた様な色だけが残っている。

「これまでは情報部からシトレ元帥に情報を上げるのがメインだった。だが今はシトレ元帥からオーダーが来る。おまけに俺達が知らない事を元帥の方が知っていてそれに対して調べろと来るんだからな……」
「……」

「ブロンズ中将も立場が無いさ。でも俺達に当たられても……」
「ミューゼル中将の件か」
俺が尋ねるとザックスは“まあそれも有る”と曖昧に頷いた。

ヴァンフリート星域の会戦前、ヴァレンシュタイン中将は遠征に参加する帝国軍将官の情報を要求してきた。情報部は当然ではあるが将官達に対して評価も付与してヴァレンシュタイン中将に渡した。その際、ミューゼル中将に対する評価はグリューネワルト伯爵夫人の弟、それだけだった。つまり姉の七光りで将官になっている、そう判断したわけだ。

会戦後、ヴァレンシュタイン中将が彼を天才だと評しているのを知った情報部は改めてミューゼル中将に対する調査を行った。そして分かった事は彼が幼年学校を首席で卒業している事、任官後は常に前線に出ている事だった。情報部の彼に対する評価はかなり出来るに変わった。つまり当初の評価は誤りだったと認めたのだ。

だがその評価も甘かった。第六次イゼルローン要塞攻防戦で同盟軍のフォーク中佐が立てた作戦を見破ったのはヴァレンシュタイン中将の予想通りミューゼル中将だった。帝国軍が彼を十二分に活用しなかったから同盟軍の損害は軽微なもので済んだがそうでなければ同盟軍は大敗北を喫していたかもしれない。

第六次イゼルローン要塞攻防戦後、情報部はその点について非難を浴びた。ヴァレンシュタイン中将がミューゼル中将を天才と評していたにもかかわらず情報部はそれを軽視した。情報部がその脅威を正しく認識しロボス元帥に警告していればもっと違った結果になったのではないか……。

いささか酷な批判だ。ヴァンフリート星域の会戦後ではミューゼル中将の天才を証明するものはヴァレンシュタイン中将の評価を除けば何もなかった。彼の天才が証明されたのは第六次イゼルローン要塞攻防戦が終わってからだ。ヴァンフリート星域の会戦後ではかなりできると評するのが精一杯だっただろう。

軍法会議でも一度論争になったが情報部に責任は無いと判断されそれ以上論争にはならなかった。だが責任が無い事と面目を保つことはイコールではない。情報部に対する周囲の目は決して温かくはない……。

「正直きついよな。ミューゼル中将の件も有るがクロプシュトック侯の一件も俺達には何の情報も無かった。シトレ元帥からヴァレンシュタイン中将の推論を聞き、それを後追いで確認したよ。まあ中将の考え通りだったけどな」
「……」
ザックスが溜息を吐いた。そして俺の顔を窺うように見ながら話しだす。

「クロプシュトック侯が失脚したのは三十年も前の事だ。自分が生まれる前の事をなんでそんなに詳しく知っているのか……」
「……調べてみたいか」
ザックスが頷きながらコーヒーを飲んだ。

「調査課の連中は皆そう言っているよ。一体どれだけの情報を持っているのか……。戦場に出して戦死でもされたら大損害だってね」
「……まあそうだな。しかし中将の用兵家としての力量は軍だけではなく同盟市民も認めるところだ。今更情報部へと言われても誰も納得しないだろう」
ザックスが顔を顰めた。

ザックスが落ち込むのも理解ができる。情報部の人間なら誰でもヴァレンシュタイン中将から情報を引き出したいと思うだろう。そして引き出した情報を分析し帝国の動向を予測したいと思うに違いない、或いはそれを基に謀略をしかけるか……。第七次イゼルローン要塞攻防戦でヴァレンシュタイン中将が行った謀略、情報部の人間にとっては羨望以外の何物でもないだろう。

だが情報部はそのどちらも出来ない。全ては中将自身が行っている。情報部の役割はそのアシストか或いは確認だけだ。頭脳ではなくあくまで手足……、ストレスが溜まる一方だろう。
「今俺が何を調べているか分かるか、バグダッシュ」
「いや、分からん」

ザックスが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「オイゲン・リヒター、カール・ブラッケ、この二人を調べている」
オイゲン・リヒター? カール・ブラッケ? 聞いたことのない名前だ。
「何者だ、その二人は」
ザックスが今度は溜息を吐いた。

「……帝国の国政改革派と言うべき人間らしい」
「改革派?」
「その二人がブラウンシュバイク公の傍に居ないかを調べろと言われている。帝国が改革を実施するかどうかがそれで分かると」

今度は俺が溜息を吐いた。たった二人の人間を調べるだけで帝国の動向を知ることが出来る。何故そんな事を知っているのか……。そして他者からそれを告げられたザックスの気持ち……。

「それで、分かったのか」
「オイゲン・リヒター、カール・ブラッケという人物が居る事は分かった。彼らが改革派であることも確認が取れた。現状ではそこまでだ、ブラウンシュバイク公との関わりは未だ確認が取れない」

「そうか……」
「嫌になるよな」
「ザックス……」
それきり会話は途絶えた、コーヒーを飲み終えるまで……。



宇宙暦 795年 9月10日    巡航艦パルマ  ワルター・フォン・シェーンコップ



「ヴァレンシュタイン提督、航海は順調です。巡航艦パルマは予定通り二日後にはフェザーン回廊の入り口に到着します」
巡航艦パルマの艦長、ゼノ中佐の報告にヴァレンシュタイン提督は無言で頷いた。

俺達は今巡航艦パルマに乗艦してフェザーンに向かっている。各自部屋を用意してもらっているのだが、部屋に籠りきりと言うのもいささか辛い。かといって艦橋にいては迷惑以外の何物でも無いだろう。

艦長ともなれば一国一城の主だ。そこに自分より階級が上の人間がやってくれば遣り辛いに違いない。そこで暇なときは食堂に集まって時間を潰しているのだがゼノ中佐は一日一度は此処に現れて提督に状況を報告している。律儀な男だ。

「来ているでしょうか、ベリョースカ号は」
「フェザーン商人ですからね、遅れることは無いでしょう」
巡航艦パルマはフェザーン回廊の入り口でフェザーンの独立商船ベリョースカ号と落ち合う。そして俺達はそこからはベリョースカ号でフェザーンに向かう事になっている。巡航艦パルマは我々が戻って来るまでその場で待機だ。

「信用できるとお考えですか?」
「契約は守ってくれますよ、商人は信用が第一ですから」
「信用が第一ですか……」
提督の言葉にゼノ中佐は不得要領気味な表情で頷いた。どうやらゼノ中佐は幾分困惑しているようだ。そしてそれを隠そうともしない……。

「御不自由をおかけしますがもうしばらくの御辛抱です」
「大丈夫です、不自由は感じていません。私達の事は気にしないでください、艦長」
「はっ。では小官は艦橋に戻らせていただきます」
ゼノ中佐が敬礼をすると食堂を出て行った。

「どうも中佐はフェザーン人をあまり信用してはいないようですな」
俺が問いかけると提督は微かに笑みを浮かべた。
「悪いイメージが強いですからね。主義主張もなく金儲けだけに勤しむ拝金主義者……。実際には人によると思うのですが……」

提督の言葉に皆が頷いた。だがゼノ中佐の心配はそれだけではあるまい。おそらくは俺達に対する不安も有るだろう。提督も我々も同じ亡命者ではある。しかし提督は英雄とまで評価されているが我々はそうではない。いつも何処かで裏切るのではないかと危険視されている……。

不思議なのはヴァレンシュタイン提督がその辺りを何も感じていないことだ。俺達を無防備なまでに信頼している。妙な話だ。辛辣なのに何処か抜けているところがある。だがそれも悪くない……。

「ベリョースカ号の船長は信用できるんでしょうか? 確かボリス・コーネフと言いましたか?」
「ええ、まあここまで来たら信用するしかないですね」
質問したリンツが顔を顰めると提督が笑った。皆も釣られて笑う。

巡航艦パルマに乗ってからのヴァレンシュタイン提督はごく穏やかな青年の顔を見せている。戦場で見せた厳しさや峻烈さを表に出す事は無い。時折厨房を借りて甘いものや軽い食事を作るときも有る。隊員達も最初は緊張していたが今ではリラックスして接している。

「問題は無事入国できるかどうかですが……」
「確かに。門前払いも有りうるだろうし場合によっては提督を捕えて帝国へ引き渡すことも有るでしょう」
リンツ、ブルームハルトが不安を口にすると皆が頷いた。それぞれに不安そうな表情をしている。そんな彼らを見て提督がクスッと笑い声をたてた。

「心外ですね、それほど私は危険ですか」
ヴァレンシュタイン提督の言葉に皆が唖然とした視線を向けた。提督は面白そうに彼らを見ている。

「危険ですな、全宇宙で一番危険でしょう」
「酷い話だ、せめて二番目くらいにしてくれませんか」
俺と提督の掛け合いにミハマ中佐がクスクス笑い出した。リンツ達は顔を見合わせ呆れたように苦笑している。先程まで有った不安は消えていた。

笑いが収まると提督が口を開いた。
「ベリョースカ号はフェザーンにある同盟の弁務官府の依頼で私達をフェザーンに運ぶ事になります。入国に関しては最大限の便宜を図ってもらえるでしょう」
「……」

「それに帝国が混乱している今、同盟を怒らせることが危険な事はフェザーンも理解しているはず、入国拒否は有るかもしれませんが捕えられるという事は先ず無いでしょうね」
「なるほど」
リンツが声に出すと何人かが頷いた。

「しかし楽しみですね、提督と一緒にフェザーンに行くのは。一体何が起きるのか……」
「ピクニックに行くんじゃないんだぞ、ブルームハルト」
「分かっていますよ、准将」
俺とブルームハルトの遣り取りにリンツが“本当か”とチャチャを入れた。頭を掻くブルームハルトに皆が笑い声を上げる。

「多分一生の想い出になりますよ、忘れる事は無いでしょうね」
提督の言葉に皆が顔を見合わせた。そんな俺達にヴァレンシュタイン提督が柔らかく微笑む。

「私の予想通りに進むのならこの宇宙は全てが変わり、何も変わらないはずです。そして宇宙には呪いが満ち溢れ、人類は恐怖と怒りに震える事になる。一生の想い出になるでしょう」
怖い美人の笑顔だ。背中がぞくぞくする。だが、楽しくなりそうだ……。
 
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