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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第七十八話 ゼーアドラー(海鷲)



帝国暦 486年 9月14日 オーディン  ヴェストパーレ男爵夫人邸    ラインハルト・フォン・ミューゼル



「ようやく戻って来れたわね、ラインハルト」
「色々と御配慮頂き何と言って良いか……」
「いいのよ、そんな事は。アンネローゼは友達ですもの。それより大変だったようね。無事に戻って来られて何よりだったわ」
「……」

屈託無く話しかけてくるヴェストパーレ男爵夫人を見て、そしてその隣で微笑んでいる姉を見て、ようやく自分の心がほぐれてくるのを感じた。やっとオーディンに帰ってきた……。

「どうした、言葉を忘れたか、ミューゼル中将」
リューネブルク少将がニヤニヤと笑いながら俺をからかう。
「そんな事は無い。……姉上、ただ今戻りました」
「お帰りなさい、ラインハルト」

懐かしい姉の声だ。ようやくこの声を聞くことが出来た。
「昨日帰ってきたのでしょう、すぐ来るかと思っていたのよ」
「申し訳ありません。色々と有って……」
俺の言葉にリューネブルク少将が頷いた。先程までの笑みは消えている。

オーディンに帰還したのは昨日の夕方だった。オフレッサーに帰還の挨拶をするとその場からエーレンベルク、シュタインホフの両元帥の所に連れて行かれた。その後ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯とも会談し全てが終わったのはもう夜も遅い時間だった。

話の内容は艦隊の士気、ヴァレンシュタインの動向、そしてクロプシュトック侯の反乱鎮圧についてだ。どれも明るいものではなかった。クロプシュトック侯の反乱鎮圧は今月になって始まったがまだ鎮圧の目処が立っていないらしい。どうも指揮系統が滅茶苦茶なようだ。

「立ち話もなんだわ、向こうへ行きましょう。お茶の用意がしてあるの、アンネローゼのケーキも有るわよ」
「はい」
男爵夫人が俺達をサンルームに案内した。秋の柔らかい、そして何処か寂しげな日差しが降り注ぐ。穏やかな秋の一日だ、昨日までの無機質な戦艦の中では有り得ない風景……。帰ってきた、また思った。

暫くの間、他愛ない会話でお茶を飲む時間が過ぎた。俺がそれを口に出したのは一杯目のコーヒーを飲み終え、お代わりを貰った直後だった。
「姉上、キルヒアイスが戦死しました」
「……」

サンルームの日差しが急に冷えた様な気がした。姉は無言だ。男爵夫人もリューネブルク少将も口を閉ざしている。
「私の身代わりになって死んだんです」
「……」

ヴァンフリート4=2で何が有ったかを話した。強力な敵、無能な味方。苦闘、撤退……。その中で生き延びるためにキルヒアイスを置き去りにした事……。思ったよりも淡々と話す自分が居た。苦しみが無いわけじゃない、哀しみが無いわけでもない、だが怒りは無かった。有るのは切なさと遣る瀬無さ……、そしてキルヒアイスが居ないという寂しさ……。

「ジークの御両親にはお会いしたの」
少し掠れ気味の声だった。
「はい、ヴァンフリートから帰還した後、訪ねました」
「そう……」
また会話が途絶えた。姉の顔を見ることが出来ず俯きながら話を続けた。

「正直、責められると思いました。殴られても仕方ないと思いました。キルヒアイスを軍に誘ったのは私です。そして私の身代わりになって死んだ……。でも責められませんでした。二人ともただキルヒアイスの事を聞くだけで……」
「……」

あの日の事を思いだした。キルヒアイスの両親に“遺体は”と問われ俯いていた自分、そして母親の泣き声とそれを慰める父親の声。突然目の前がぼやけた、涙が零れ落ちそうになる。慌てて目を手で拭う。話しを続けようとして姉と男爵夫人が目をハンカチで押さえているのが見えた。

ポケットから認識票とペンダントを出してテーブルの上に置いた。ヴァレンシュタインから渡されたキルヒアイスの遺品。
「それは?」
「キルヒアイスの認識票と遺髪が入ったペンダントです」

二人の視線がテーブルの上に向かった。
「どうしてそれをあなたが持っているの? ジークの遺体は見つからなかったはず」
姉が訝しげに訪ねてきた。男爵夫人も不思議そうな顔をしている。

「第六次イゼルローン要塞攻防戦で敵が返してくれました。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、ヴァンフリートで我々を敗北に追い込んだ男です。彼は私とキルヒアイスの事を良く知っていて、それでそれを保管し返してくれたんです」
「……」

姉と男爵夫人は複雑な表情をしている。ヴェストパーレ男爵家はヴァレンシュタインとは関わりが有った。男爵夫人は当然全てを知っているだろう。姉上にも話したのかもしれない。単純に敵と憎むことは出来ないだろう。俺自身、ヴァレンシュタインを敵と認識しても憎むことは出来ない。むしろ何故敵なのかと遣る瀬無さが募る。

「これをキルヒアイスの御両親に渡してこようと思っています。二人とも遺体が戻らなかったことを悲しんでいました。せめてこれだけでも……」
また声が湿った。大丈夫だ、涙は流れない。

「そう……、それが良いわね。……でも貴方は大丈夫なの? それが無くて寂しくは無い?」
姉が心配そうに問いかけてきた。俺の顔をじっと見ている。俺は右手を胸に当てた。
「大丈夫です。キルヒアイスはここに居ます。ここに居て私を見守ってくれる。だから寂しくは有りません……」

姉と男爵夫人が顔を見合わせ、そして微笑んだ。二人ともずっとキルヒアイスを失った事を哀しみ、俺の事を心配していたのだろう。
「強くなったわね、ラインハルト。……私も一緒に行っていいかしら」
「ええ、キルヒアイスも喜ぶと思います」



帝国暦 486年 9月14日 オーディン ゼーアドラー(海鷲)   アウグスト・ザムエル・ワーレン



「ここに来るのも随分と久しぶりだな」
「そうだな、最後に飲んだのはカストロプの反乱征伐の前だから、もう半年になるか……」
俺とビッテンフェルトが話していると皆が口々に感慨深そうな声を出した。もっともカストロプの名前には微妙な表情をした人間もいる。

ケスラー、クレメンツ、メックリンガー、アイゼナッハ、ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラー、そして俺。あの時もこの面子で飲んだ、あれから半年……、今一つピンと来ない。

「あれから半年か……。とてもそうは思えんな」
ミッターマイヤーがそう呟くとウィスキーを一口飲んだ。大きな声ではないが妙に響いて聞こえた。

「同感だ、とてもそうは思えん。十年ぐらい経ったような気がする」
ロイエンタールの言葉に同感だ、皆も頷いている。確かに十年ぐらい経ったような気がする。とにかくこの半年は事が多かった。

「代替わりが二度有ったからな、その上即位されたのが女帝陛下だ。普通なら政変でも有ったのかと思うところだろう」
ケスラー参謀長の言うとおりだ。僅か半年の間に皇帝が二人死んだ。一人は心臓発作と言われているが呪い殺されたと噂されている。もう一人はテロによる爆殺だった。どちらも尋常な死とは言えないだろう。

「随分と人が少なくなったな」
ミッターマイヤーが店内を見渡して呟いた。確かに客が少ないようだ、以前はもっと人が多かった。決して煩くは無かったが店内には活気というか華やかさが有ったはずだ。今は閑散としている。

「七百万人も死んだからな、寂しくもなるさ」
ロイエンタールがウィスキーを一口呷った。七百万、その数字に皆黙り込む。重い数字だ、やりきれない、俺も一口グラスを呷った。皆も同じようにグラスを呷っている。思いは同じなのだろう。

「良く生きて帰ってきた、そう思うべきなのかな」
「そう思うべきだろうな。正直何度か死を覚悟した」
メックリンガーとクレメンツ副参謀長が話している。同感だ、少なくとも俺は二度、死を覚悟した。一度目はイゼルローンで反乱軍と相対したとき、もう一度は帰還せずに反乱軍の勢力圏内に出征すると告げられた時……。

「運が良かった。幾つかの偶然が無ければ我々は此処に居なかっただろう。ヴァルハラで酒を飲んでいるところだ」
「運か……、頼りない話ですな、ケスラー参謀長」
納得がいかないのだろう、ビッテンフェルトがフンと鼻を鳴らした。

「そう言うな、ビッテンフェルト少将。どれほど能力が有っても運の悪い奴は生き残れん。我々は生き残るべくして生き残った、そう思う事だ」
ケスラー参謀長の言葉に皆が苦笑を浮かべた。アイゼナッハがビッテンフェルトの肩を叩く。ビッテンフェルトが不得要領に頷いた。その有様にまた笑いが起きた。

「ミュラー准将、卿はヴァレンシュタインとは士官学校で親しかったと聞いている。卿から見てヴァレンシュタインとはどんな男かな」
話題を変えた方が良いだろう。こういう時は皆が関心のある話題が一番だ。俺自身彼の事を知りたい。だがミュラー准将にとっては答え辛い質問だったようだ、表情に困惑を浮かべた。

「エーリッヒ、いえヴァレンシュタイン……」
「エーリッヒで良いさ、俺達に気を遣うことは無いぞ、ミュラー准将」
ビッテンフェルトが言い直そうとしたミュラーに声をかけた。皆も頷く。気が楽になったのだろう、ミュラーは一口ウィスキーを飲むと話し始めた。

「エーリッヒは人間として信頼できる男です。軍人としては戦術よりも戦略を、補給を重視していました」
ミュラーの答えに皆の様子を窺った。皆が顔を見合わせている。だがクレメンツ副参謀長だけは身じろぎもせずにグラスを口にしていた。

「卿とはどうだ、その、シミュレーションは」
ビッテンフェルトが少し躊躇いがちに問いかけた。ミュラーの面子を慮ったのかもしれない。ミュラーもそう思ったのだろう、微かに苦笑を浮かべた。

「小官よりもずっと上ですよ、ビッテンフェルト少将。士官学校時代、小官は殆ど勝てませんでした」
その言葉に皆がクレメンツ副参謀長に視線を向けた。士官学校時代の教官に確認を取ろうと言うのだろう。副参謀長が苦笑を浮かべて頷いた。

ミュラーよりも上か……、やれやれだな。俺が彼と対戦してほぼ互角だ。もちろん実戦とシミュレーションは違う、しかし軽視できる話ではない。
「ミュラー准将よりも上か。どうやら運だけでは生き残れそうにないな、ロイエンタール」

肩を竦めたミッターマイヤーの言葉にロイエンタールが苦笑を浮かべた。
「全くだ。皆、遺書と墓碑銘の用意をした方が良さそうだな」
ロイエンタールの言葉に皆が苦笑した。ビッテンフェルトは口の中でぶつぶつ呟いている。“他人を誉めるときは大声で、悪口を言うときはもっと大声で、いかんな”と声が聞こえた。

こいつ本気で墓碑銘を考えるつもりか? 俺の同期は碌なのが居ない、女たらしで皮肉屋のロイエンタールと猪突猛進で単純なビッテンフェルト……。まともなのは俺だけだ。ミュラーも同期の事では苦労している、何となく彼に親近感を感じた。彼に視線を向けるとミュラーは困ったような顔をしている。何か言いかけて口を閉じた。

「どうした、ミュラー准将。なにか言いたそうだが」
「……」
俺が声をかけてもミュラーは黙っている。彼はこの中で唯一人階級が准将だ、遠慮が有るのだろう。

「遠慮はいらん、言ってくれ」
「ワーレン少将の言うとおりだ、俺達は仲間なのだからな、遠慮はいらんぞ」
ビッテンフェルトが太い声で促した。周りも皆頷いている。ミュラーはちょっと迷うそぶりを見せたが一つ息を吐くと話し始めた。

「エーリッヒはここにいる皆さんの事を良く知っています」
「それはそうだろう、俺達はミューゼル提督の下に居るのだからな」
ビッテンフェルトの言葉にミュラーは首を横に振った。そしてノロノロとした口調で言葉をだした。

「そうじゃないんです。エーリッヒは士官学校時代、皆さんのシミュレーションデータをダウンロードしていたんです。そしてそのデータを分析していた」
皆が凍りついた。信じられない物を見たようにミュラーを、そして皆を見ている。

「馬鹿な……、どういう事だ、ミュラー准将」
呻くようにメックリンガー少将が問いかけた。
「エーリッヒは士官学校のシミュレーションシステムに蓄積されているデータからこれはと思う人物のデータをダウンロードしていました。大体三十人程のデータを落としていた。その中でも良く見ていたのは……」

「良く見ていたのは……」
ビッテンフェルトが促す。それに応えるようにミュラーが有る方向に視線を向けた。皆も釣られたように視線を向ける、そこには……。
「ロイエンタール少将とミッターマイヤー少将です」

ロイエンタールとミッターマイヤーは沈黙している。何を言って良いのか分からないのだろう。皆が沈黙する中、ミュラーの声が流れた。
「攻守柔軟にして知勇のバランスが良い、そう言ってロイエンタール少将を絶賛していました。そして同じように絶賛していたのがミッターマイヤー少将です。神速にして理に適う、そう言っていました」
「……」

攻守柔軟、神速にして理に適う。確かにその通りだ、ロイエンタール、ミッターマイヤーの用兵を評するのにそれ以上の言葉は見当たらないだろう。
「高く評価されている。喜ぶべきなのだろうな」
ロイエンタールがようやく口を開いた。絞り出す様な口調だ。そして視線はグラスに固定されている。

「他にもワーレン少将、ビッテンフェルト少将、そして……」
ミュラーが俺とビッテンフェルトを見て口籠った。俺もビッテンフェルトもヴァレンシュタインに注目されていた。背中に悪寒が走った。夢中で手に有ったグラスを口に運ぶ。咳き込みそうになったが必死で耐えた。ミュラーを見据えて答えを促した。
「そして?」

「……ルッツ少将、ファーレンハイト少将のデータを良く見ていました」
「!」
驚愕が皆の顔に浮かぶ。ルッツ、ファーレンハイト……、二人とも前回の戦いで戦死した。ヴァレンシュタインがいずれ邪魔になるから殺したと言っていた……。

「馬鹿な、一体どれだけのデータをダウンロードしたと言うのだ。それを全部検証したと言うのか? そんな事が……」
メックリンガー少将が呻いた、語尾が震えている。その呻き声を押さえつけるかのように低く底冷えのする声が聞こえた。

「細かいところまで見る必要はない。相手の用兵の癖が分かればいいんだ。データ量はむしろ多い方が良い」
「クレメンツ……」
クレメンツ副参謀長はテーブルに置いてあるグラスを見据えていた。そしてミュラー准将の声が耳に流れた。

「その通りです、エーリッヒは言っていました。自分が宇宙艦隊司令長官ならビッテンフェルト少将とファーレンハイト少将を戦略予備として扱うと。最終局面で投入すればどんな敵も粉砕してくれるだろうと……」
「……」

皆、顔を見合わせていた。誰も口を開こうとしない。評価されたビッテンフェルトさえ黙っている。十を数えるほど時間が経ってからロイエンタールが口を開いた。

「どうやら冗談ではなく本当に遺書と墓碑銘が要るようだ」
誰も笑わなかった。否定もしなかった。ただ黙って聞いていた……。皆俺と同じ事を考えていただろう。ヴァレンシュタインを相手に勝つ事は難しいだろう。そして生き残るのは勝つ事以上に難しいに違いない……。



 
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