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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
  ライン川の夕べ その2

 
前書き
キルケ回のつづき。
 

 
「家やお祖父(じい)さまのためとはいえ、見知らぬ極東の離れ小島などには行きたくありません」
キルケの激情を込めた訴えに、シュタインホフ将軍は彼女の両手をつかむと、諭すように話しかけた。
「キルケ、博士はわざわざボンにまで来てくれたのだよ。
それを、お前は何と言う事をしてくれたのだ……訳を教えておくれ」
祖父のしずかな瞳は、やがてしげしげとキルケの面を見まもっていた。
「私は、たしかにゼオライマーという機体が、わが国に必要なのは十分理解しているつもりです」
 彼女は乾いた唇をなめた。
もう何を語っても大丈夫と、思ったものであったらしい。
「でもあの男から、何かうすら寒いような、不気味(ぶきみ)なものを覚えるのです……」
それ以上言葉が出なかった。
彼女も思うところがあったのであろう。

 キルケの背後から、低い男の声がした。
御令嬢(フロイライン)、君の言う事はもっとだ。だが若いゆえに、君は日本人の本当のおそろしさを知らぬ」
 キルケが振り返ると、そこには、背広姿の矍鑠(かくしゃく)とした老人が立っていた。
こうもり傘の柄のように曲がった持ち手の杖を持ちながらも、ピンと伸びた180センチを超える背筋。
年齢にそぐわぬ厚い胸板と隆々とした肉体からは、この男が只者でないことを感じさせた

 シュタインホフ将軍たち、将校団は整列をすると一斉に敬礼をした。
男は国防軍式の敬礼を返した後、再びキルケの方を振り返る。
「いささか昔の話をするのだがね……日本人は一旦怒らせると簡単には怒りを解かない。
こんな話、まだ君にはすこし難しかろう」
あいまいな表情をするキルケの方を向くと、笑い顔を見せた。

「どういうことですの。言っている意味が分かりませんが……」
「私はね、台湾に亡命した蒋介石政権の軍事顧問を務めていたことがある。
なので、日華事変にかかわり、国府軍の実態を知っている。
我らによって近代化され、200万の精兵を誇った(そん)逸仙(いつせん)の政府軍。
(そん)逸仙(いつせん)は、欧米で一般的な孫文の号。日本では(そん)中山(ちゅうざん)の方が有名)
そんな彼等が、わずか20万もいない日本軍によって上海(シャンハイ)から蹴散らされ、惨めに重慶の山奥まで落ちのびた話をさんざん聞かされたものだよ」
そういうと、男はキルケに、ドイツの軍事顧問団の長い歴史を語り始めた。

 
 支那へのドイツ軍事顧問団とは、中独関係の戦前から続く秘密工作である。
時代は、第一次大戦の敗戦にさかのぼる。
ドイツは国内の赤化革命によって、その戦争を中止せざるを得ず、本土決戦を回避した。
皇帝の退位やソ連との講和で一定のけじめを付けたが、国土は無傷で、多数の兵力が残される結果になった。
 ベルサイユ講和会議において、厳しい賠償を請求されたドイツは国軍を縮小せざるを得なかった。
だが、賠償の支払いのためには外貨が必要だった。
そこで目を付けたのが、軍事顧問団、今風にいえば、人材派遣業である。
まず手始めにソ連赤軍の近代化をし、中南米の戦争に参加した後、帝政時代からつながりの深い支那に軍事顧問団として参加した。
中独合作の名目で秘密裏に送り込まれていたドイツ軍事顧問団は、1930年代末まで続いた。
 
 第二次大戦の敗戦により解体した国防軍(ヴェアマハト)の将校たちは、第一次大戦後に海外にに軍事顧問団として参加した顰に倣って、エジプト、独立直後のシリアなどに活路を求めた。

国共内戦で台湾に落ちのびた国民革命政府軍は、ソ連によって支援され組織化された人民解放軍に敗れ去ったことを反省し、かつての敵国である日本に秘密裏に頼った。
団長富田直亮を代表とする83名の軍事顧問団は、富田直亮の支那名:白鴻亮から白団(パイダン)と名乗った。

金門島防衛などの一定の成果を上げ、国府軍の増強を成功させたのを見た西ドイツ軍は、1963年より再び秘密裏に軍事顧問団を組織して、退役扱いにした将校たちを送り込んだ。
それが世に言う「明德小組(ミンティグルッペ)」で、正式名称を「明德專案連絡人室」というものである。




「閣下、失礼ですが……あの恐ろしい科学者、木原を説得してわれらの陣営に引き込むことが出来ましょうか……」
「いや、できる!」
 老人は、思わず、満身の声でいってしまった。
「わがドイツ、6000万国民のために、その身を捧げてくれまいか」
杖をもって、大地を打ち、老人は、深々と頭を下げて、キルケにお辞儀した。
 
 その言葉を聞いた瞬間、キルケの体が一瞬震えた。
シュタインホフ将軍は、力なく垂れている孫娘の両腕を右手で握りしめると、
「キルケ。わしからも頼む。この通りじゃ」
肩を震わせ、枯れた声で語った。

キルケは、ちょっと、うつ向いた。珠のような涙が(ゆか)に落ちる。
「軍学校の門をくぐったときから、すでにこの身は祖国のためと覚悟はしておりましたが……」
だが、やがて面を上げると、告白を始めた。
「喜んで、お引き受けいたしましょう」
周囲が驚くほどに、きっぱりいった。
 そして、覚悟のほどを改めて示す。
「もし、失敗いたしましたら、その時は、笑って死にましょう。
この世にふたたび、女の身を受けて生まれては来ません」
凛々とした態度になると、両肩の露出したロマンチック様式のドレス姿のキルケは立ち上がる。
水色のドレスの長い裾を持ち上げて、慇懃に膝折礼(カテーシー)で、挨拶をして見せた。

キルケが出ていくのを待ちかねていたように、男は後ろに待ち構えていた将校団を呼び寄せる。
「このBETA戦争の時代にあって、我らは、本当の自立を得たのかね」 
男の前に歩み出たシュタインホフ将軍は、しいて語気に気をつけながら、
「国際外交という場は、敗者には残酷な世界ですから……」
「我らもこのままいけば、三度(みたび)敗者になるのだよ、シュタインホフ君」
 男の言葉は、敗戦の恥辱を知る者には苦しかった。
シュタインホフとしても、すでにヴァルハラで待つ戦友を想うことも、それを心の底に(かく)していることも、はらわたの千切れる様な思いだった。
「ソ連が弱体化した今、いずれは欧州の地から米軍も去ろう。
そして、いやおうなしに自立化が求められる。
その為には、核抑止力に匹敵する戦力が必要なのだよ」
男の言を聞いたシュタインホフは、愁然(しゅうぜん)としたきりであった。
「しかし連邦軍(ブンデスヴェア)は前方展開において米軍に攻勢打撃力を依存してきた軍事編成……。
また国民感情として現段階での核保有も、核搭載の原子力潜水艦も厳しかろう。
BETAに対しても核攻撃は最初のうちだけで、奴らも光線級という対策をしてきた。
ソ連の様に特別攻撃隊をもって核爆弾を送り届けるにしても、敵の数が多すぎる……」



「対外戦争の禁止という原則を掲げるボン基本法26条に準拠した、連邦軍の専守防衛姿勢。
そして米ソ英仏4か国、いやあらゆる核戦力の製造と持ち込み、配備を禁止した非核三原則……
この政策を変えぬ限り、わがドイツ民族は米ソから、敗戦のくびきから自立できまい」

 ボン基本法とは、1949年5月8日に制定された西ドイツの暫定憲法の事である。
憲法制定の日、5月8日とは、ドイツ第三帝国が城下の盟を受け入れた日でもあった。
 我々の世界の日本国憲法が制定されたのは1947年11月3日である。
11月3日は、明治大帝の誕生日、つまり天長節の日であった。
憲法典一つ見ても、日独の扱いはこれほどまでに違っていたのだ。

男は、このとき火のごとき言を吐いた。
「このままいけば、民主主義が残って国が亡びるという状況が眼前に広がろう……」
シュタインホフはじめ、人々もそれに打たれて二言となかった。





 さて、マサキといえば。
彼は報道ブースにある電話ボックスの中にいた。
そこから東ベルリンに国際電話をかけている最中で、ゆっくりとダイヤルを回す。
受話器を右耳に当て、ダイヤルが戻る音を聞きながら、緊張する自身に驚いていた。
 前の世界を含めれば。国際電話など数え切れぬ回数をしてきたつもりだ。
それにゼオライマーから前線基地、他国の戦術機、敵機への呼びかけもなれたものである。
 この世界は戦術機というロボットのおかげで軍事通信技術は超速の発展を遂げていた。
だが民間の電気通信技術は、まるで魔法にかかったかのように20世紀中ごろのままで止まっている。
東ドイツへの電話も交換手を通してではないと無理であり、いちいち東ベルリンにある交換局を通して、ミッテ区やパンコウ区といった住宅地や商用地につなぐ方式だった。
 東ベルリン郊外にある幹部用高級住宅地、ヴァントリッツへの電話は予想以上に時間のかかるものであった。
複数の電話交換手をまたいだ後、やっと目的のブレーメ家に電話がつながった。

 受話器を通じて入るわずかな雑音から、マサキは盗聴されていることに気が付いた。
一応、次元連結システムのちょっとした応用で、相手からの録音は出来ないようにしてはあるが、通話相手から話の内容は間違いなく書き起こされるであろう。
何を話すか、あらかじめ決めておくことにした。
 この時代の国際回線経由の電話回線は、電話交換手を通じて、あるいは同一の回線から振り分けられたものを通じて盗聴が簡単にできた。
党幹部であるアーベルには、間違いなく護衛についている。
シュタージか、軍の特殊部隊『第40降下猟兵大隊』かは、問題ではない。
受話器を握る手が汗でまみれていくのを実感しながら、向こうからの応答を待った。

「もしもし」
低い男の声で呼びかけがあったので、マサキはドイツ語で返す。
「もしもし、木原だが……」
その瞬間、受話器の向こうでハッと息をのむ気配がした。
「アーベル・ブレーメを出してくれないか」
「……」
「いないのなら、アイリスか、ベアトリクスでも構わん」

 軍人に任官後、国外勤務の多いユルゲンは、アイリスディーナのことを心配した。
自分が国外にいる間は、父の同僚、ボルツ老夫妻では心もとない。
だからブレーメ家に、最愛の妹の面倒を見るように頼んでおいたのだ。
 これはベアトリクスとの結婚前からしていることであり、アイリスも納得済みだった。
また義父のアーベルと義母のザビーネなどは、妹を実の娘のようにかわいがってくれたのだ。
 マサキはそのことをユルゲンから聞いていたので、あわよくばアイリスと電話ができると踏んで、このようなことを無理強いしてみたのだった。


 向こうで咳払いをする声を聴きながら、だんだんといら立ってきたマサキは煙草に火をつけた。
紫煙を燻らせながら、少し強めに言い放った。
「護衛のデュルクか、だれか知らんが……こっちは国際回線でかけているんだ。
さっさと、アーベルを呼んで来い」
「さっきから聞いてはいるが、君がここまで無礼な人間とは思いもよらなんだ。
それに私の代わりに娘たちを呼び出そうとは何だね」
 電話口の相手はアーベルだった。
マサキは、アーベルに軽くひねられたようなものだった。
流石は、30代で政治局員になる人物である。
役者が違うとは、まさにこの事だった。

「九時過ぎに電話をよこすにはそれなりの理由があろう。
まず、どんな要件なのか、言い給え」
アーベルは、マサキを冷たく突き放す。
「フフフ、アーベルか。最初からそう言えよ……。
俺はお前とこの国の通産省に関係のある話がしたくてな……」
相手が驚いている様子に、マサキはニヤリとほくそ笑んだ。
「ここでは邪魔者も多い。今週の木曜日……都合がつくか」
「……」
「まあ、とりあえず俺がベルリンに乗り込むから事前の折衝を頼む。
いつぞやの様に、国境検問所から入るのに2時間近く尋問されるのはたまったものではないからな」

 最初の訪問の際は、国境警備隊の検問に対してけんか腰になってしまったのを思い出した。
チェックポイントチャーリーで、鞄はおろか、ポケットの縫い目まで念入りに調べられたものだ。
あの時は彩峰や篁がいなかったら、間違いなく騒動になっていたろう。

「しかし、君は何を考えているのかね。夜の9時だぞ。
こんな時間に年頃の娘と電話しようなどとは、ふしだらすぎる」
アベールの勢いに気押(けお)され始めたマサキは、逃げるように告げる。
「アイリスに伝えておいてくれ。よろしくとな」
アーベルは憤懣やるかたない声で、きっぱり答えた。
「このたわけものが!」
電話越しに聞こえるを怒鳴る声から耳を離して、受話器を勢いよく本体に戻した。

 そして会話は終わった。
全く、若い娘がいる家に電話をかけるのがこんなに疲れるとは思ってもいなかった。

 今度、ユルゲンやアイリスに携帯電話方式の通信装置を作って、改めて渡すか。
電子部品を買ってきて、簡単なポケットベルの代わりでも作るか……
あるいはショルダーフォンでも準備して、アイリスたちに持たせるか……
 ポケットに入る携帯式の電話を持たせるのもいいかもしれないが、盗難が怖いし、何より人前で電話などをされたらさぞかし目立つであろう。
一応、アイリスたちには次元連結システムを応用した指輪や首飾りを持たせている。
だが一向に使った様子がない。
 思い返せば、彼女たちには、シュタージという送迎付きの護衛が四六時中、傍にいるのだ。
彼らを通せば、ほぼ100パーセント足取りがつかめる。
連絡手段に関しては、マサキは時代ということで後回しにすることにした。
 
 どちらにしても、アイリスディーナは軍隊の中にいる。
休暇中のベアトリクスの様に家に行けば、簡単に、いつでも会えるわけではない。
簡単に会えぬとなると、諦めがつくどころか、かえって未練がわくのだ。
一目ぼれして、言いつのった娘だけになおさらだった。
(『罠とはわかっていても、このまま引き下がれるものか』)
目の前にアイリスディーナの美貌が浮かんでは消えて、狂おしい思いに悩む。
あの娘に再び会いに行けるのならと、マサキは頭に血を上らせ、一人興奮するのだった。 
 

 
後書き
 国家人民軍の女性兵士は男性の兵士より8週間多く休みが取れる制度でした。
寮や福利厚生、その他の制度も男性兵士とは別でした。
東独崩壊までこれは変わりがありませんでした。

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