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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
  ライン川の夕べ その3

 
前書き
 キルケ登場まとめ回  

 
 さて、マサキといえば。
大広間の端の席で、白銀たちと酒を酌み交わしていた。

「それより博士、もう少しでダンスが始まるのですがどうしますか」
と、白銀は、マサキの顔いろを見ながら言った。
「しかし、暢気(のんき)な連中だ。宇宙怪獣との戦争中だというのにダンスパーティなどとは」
すると、案の定、彩峰は不快の色をみせて、
東独指導部(ノーメンクラツーラー)の令嬢と戯れていた貴様が言える立場か」
と、マサキの顔を目で(はじ)いた。
「それより彩峰よ、美久はどうした。さっきから姿が見えないが……」
「氷室君なら、(さかき)の事を、あれの妾と一緒に抱えて控室の方に下がったぞ」
「肝心な時にいないとは、本当に使えぬ女、ガラクタだよ」
「博士、いくら氷室さんと男女の仲とはいえ、それは言い過ぎではありませんか」
 白銀の言う事にも、一理ある。
マサキも、これはすこし自分の方が悪く取りすぎていたかと思った。
「勘違いするな!俺と美久は、男女の仲などという簡単な関係ではない」
 
 ゼオライマーの最大の秘密、氷室美久が次元連結システムを構成する部品であると言う事である。
形状記憶シリコンの皮膚に覆われ、推論型AIという電子頭脳のおかげで、まるで人にしか見えない。
そんな彼女が、アンドロイドであることは秘中の秘であった。
 マサキにとって、確かに前の世界から来た唯一のパートナーであることは間違いなかった。
だが、自分の作った芸術作品の一つであることは、彼にとって疑いのない事実である。
 だんだんと酒で思考が衰え、理性が薄れてきたのを実感したマサキは、
「それに美久との話は、もうお終いだ。せっかくの酒がまずくなろう」
と、その話題から逃げるようなことを言う。
 マサキの屈託を気にせずに、白銀は尋ねた。
「それより博士、さっきから西ドイツの将軍のお嬢さんが来てますが……。
声をかけてやった方が」


 ちらりとキルケを一瞥する。
くっきりとした彫りの深い美貌は、どことなく華やかな感じを受ける。
確かにスリムで小柄ではあるが、胸や腰などの全体的なバランスは本人が言うほど悪くはない。
「やはり女は、あの様に愁いを湛えた顔が美しい……」
 キルケを見るよう促して、開口一番、周囲を驚かせるようなことを口走る。
アイリスディーナの件で周囲に迷惑をかけたのにもかかわらず、悪びれる様子もない。
「そう思わぬか」
マサキのそんな言葉に、白銀は、彩峰と顔を見合わせ、
「え、それは……」
と、たがいの戸まどいを、ちょっと笑顔のうちに溶かしあった。

 いつものマサキらしからぬことをいう様に、感動しきった口調である。
先ほどのスコッチウイスキーで頭が痺れているのだろうか。
 白銀は思わず、人目もはばからずにため息をついた。
マサキの言動は、幾多の死線の乗り越えてきた工作員の心を戸惑わせるほどであった。


「諸々ありがとうございました。彩峰大尉殿。改めて自己紹介いたします。
ドイツ連邦軍のキルケ・シュタインホフです。
日本に関し、いっこう不案内な若輩者ではございますが、今後ともよろしくお願いします」
と、彼女はまず彩峰を拝してあいさつを先にした。
「ねえ、ヘル・木原……、さっきのお詫びでなんだけど、踊らない」
マサキは、磊落(らいらく)に応じる。
「すまぬが、俺は踊りは不得手でな……」
一応マサキに気を使って、愛そう良く受け答える。
「その辺は、将校の私がリードしますから……」
 脇で見ている白銀たちは、ハラハラしていた。
キルケの横顔が傍目に見てひきつっているのが分かるほどであったからだ。
 キルケからの誘いを鼻先でせせら笑いながら、追い打ちをかけるようなことを口走る。
「くどい!」
キルケは彫りの深い顔を真っ赤にさせながら、叫んだ。
「失礼しました」
その場を収めるべく、白銀は立ち上がって、立ち去ろうとするキルケの右腕をつかむ。
御嬢様(フロイライン)、僕でよければ」
その際、左手に持ったグラスをマサキに渡して、広間の中央にエスコートしていった。

マサキは気の抜けたシャンパンを飲んでいると、肩をたたく者があった。
陸軍大尉の礼装姿の彩峰は、
「木原よ」
彼は、そういうとマサキの左肩から手を離す。
 マサキは振りかって、彼の方を向く。
じっと彩峰の真剣な顔を見つめた。
「一つ忠告してやる。こういう場での、女からの誘いは受けるものだ」
そういうと、唖然とするマサキの前から去っていった。


(「この宴席の場を壊すような真似も考え物か」)
 そう思いながらマサキは、アイスペールから取り出した冷えたビールをグラスにあける。
グラスを持ったまま、ゆっくりと白銀の方に進み、バドワイザー・ビールを進めた。
「なあ、白銀よ。バドワイザーでも飲まぬか」

 白銀はマサキから渡されたビールを貰うと、即座にその場を後にする。
開いた右手で、キルケの右腕をつかむなり、
「俺のようなつまらぬ男と踊って、後悔したなどと申すなよ」
そのまま、滑るようにして、広間の方に導いていった。

 
 二人は、周囲の喧騒も気にならぬほど、軍楽隊の演奏に合わせ、陶然と踊っていた。
空色のロマンチックスタイルのドレスの裾を翻しながら、キルケはマサキにそっと囁き掛けた。

「あなたの事をなんて、お呼びすれば、良いかしら。
博士(ドクトル)、それとも上級曹長(フェルドウェベル)……」
娘御(フロイライン)よ、俺は木原マサキ。ただの日本人で、つまらぬ男さ」
「フロイラインじゃなくて、私には、キルケという名がございます」
「初対面の俺に……名など教えてしまってよいのか」
それを聞いたキルケは、大きな目をキラキラとかがやかせながら、熱っぽく尋ねる。
「どうして」
「知らぬ男に名を教える。
つまり男女の名を知るというのは、それ以上の事を望んでいるといっても過言ではないのだぞ」
その言葉に心をくすぐらされるも、キルケにはあまりにも現実離れしているように感じた。 
「まあ、俺だから良いものの、それくらい大変な事なのだよ」
マサキは、にこやかに答えていた。

 
 間近でキルケを眺めるていると、その魅力に引き込まれそうになる。
透けるような色白の肌は、光沢できらめく長い黒髪を一層引き立たせた。
「怪獣やタルタル人と(たわむ)れるのが好きな田夫野人(でんぷやじん)とばかり思ってけど……」
 キルケは陶然とした目で、マサキを熱心に見入る。
長い睫毛(まつげ)を時折上下に揺らしながら、
「口説き文句も、中々のものね」
「お前がそうさせたのではないか、フフフ」
 性格はきついし、口も飛びぬけて悪い。
しかし、悔しいほどに(すこぶ)()きの美人なのだ。
 正直に言えば、キルケに半ば期待しているところがある。
マサキは、そんな自分に驚いていた。

 だんだんと踊るうちに、キルケは鼓動の高まりと全身の血が熱くなっていく様に戸惑っていた。
ときめきとも取れる様な、不思議な感覚に陥っていくことに。
 ひっきりなしに鳴り響く、軍楽隊の演奏に熱狂してしまったのだろうか。
いや、それは違う。
なぜならば、今宵(こよい)の曲目は、ロンドンで流行っているパンク音楽などではなく、18世紀の古典音楽。
静かな音色で興奮するのだから、それは目の前にいる謎めいた男に引き込まれているのには相違ない。
 この漆黒の髪と深い琥珀色の目をし、恐ろしいほどに傲慢な男。
キルケに対して決して謙遜したり、(おもね)ったりしない青年将校は初めてだった。
自分が負い目に感じている出自を顧みずに、好き勝手振舞う。
その様に、だんだんと惹かれていくのを彼女は実感していた。

『いま、裸のままの自分を受け入れてくれる男は、西ドイツに、いや欧州の社会にいようか』
 キルケが内心に(いだ)いた、不思議な感情。
彼女自身にはそれが淡い恋心なのか、尊敬であるのか、それとも憧憬(しょうけい)であるか、判別がつかなかった。



「木原は、律義(りちぎ)な男とみえる」
 遠くから二人の様子を見ていたシュタインホフ将軍は、すっかり惚れこんだふうだった。
『西ドイツ軍の衛士たちにくらべて、その人品も劣らず、ずっと立派だ』
などと彼はマサキをより高く値ぶみしていた。

 上機嫌なシュタインホフは、日頃よりかわいがっているバルクたちを呼び寄せると、
「ここだけの話だが」
と、キルケに関するいろんな機微を、予備知識として洩らしてくれた。
 いま政府の方では、米軍が開発中の新型爆弾でもちきりだという。
新型爆弾の配備が実現するまでの間、空白期間を埋めるためにゼオライマーを使う。
それにあたって、設計者の木原博士の機嫌を取るために、娘や若い人妻などをすすめることになっている。
だが、まだそれぞれ人選中で、情報機関が、はたらき出すまでにはいたっていない。
「木原博士は……、本当に、よい機会に、ご訪問にあったものといってよい。
ボンにおいでなさったら、ぜひ、キルケを推挙(すいきょ)申し上げるつもりでおった」
老将軍はそんなことまで言ったりした。
 
 バルクは、あやぶんで、
「じゃああれですか。ゼオライマー獲得のために将軍のお孫さんを捧げようっていうんですか。
あんまりじゃありませんか。
しかし参ったな。こういう時にユングの奴でもいればな」
「君の同級生の、アリョーシャ・ユング嬢か。
たしか彼女は、連邦情報局員で、東ベルリン勤務だったよな」
「はい。彼女は常設代表部の職員として東ベルリンにいましたが、今は外務省に出向し……」
 
 バルク大尉の発言に出てくる常設代表部。
その機関は、東ドイツにおける西ドイツの外交業務をする事務所である。
 名こそ「ドイツ連邦常設代表部」であるが、その実態は西ドイツ大使館であった。
また東ドイツ当局も、事実上の大使館と認めていた。
 これには理由があった。
1968年にウルブリヒトら指導部が決めた憲法が原因である。
1968年憲法第8条の条項、特に統一の要件にこう書かれたためである。
「ドイツ民主共和国とその国民は、民主主義と社会主義を基礎として統一されるまで、二つのドイツ国家が徐々に和解することを目指す」
第8条が制定された時点で、東西ドイツの問題は解決済みという立場を取っていたのだ。

老将軍は、注意ぶかく、窓のそとを見て。
「外務省だって。それで、どこに……」
「米国の、ニューヨーク総領事館に勤務しております……」
「なぜだね」
「東の戦術機隊長、ベルンハルト中尉がニューヨーク総領事館の武官を務めています。
彼との接触を図る目的で……」
それまで黙っていたハルトウィック上級大尉が口を開く。
「例の美丈夫ユルゲン・ベルンハルトか」
 バルクの直属上司である彼は、同じような立場であるユルゲンに対抗意識を持っていた。
自分になくて、彼にあるもの。
 羨むような金髪に、人を引き付ける様な、愁いを湛えたスカイブルーの瞳。
ギリシャ彫刻のごとしと形容できる、彫りの深い美貌であった。


一言のもとに、ハルトウィックはその人物までをけなし去った。
「BNDは、東の色男を誘い込むために、デートクラブの真似事までする様になったのかね
それでは、赤匪の連中がやっている色仕掛け工作と何も変わらぬではないか!」
一層(いっそう)バルクは、慇懃(いんぎん)に答える。
「ごもっともです」
 なにがおかしいのか、いつまでも肩をゆすっているふうだった。
さすがの彼もあきれていたのか。
「…………」
ふと黙った。ハルトウィックがである。

 やがて、ハルトウィックはぷッつり言った。
「自由社会を守る組織が、なぜそのよう汚い仕事に従事するのか、理解できぬ」
人をそしるおのれにも嫌厭をおぼえてきたように。 
 

 
後書き
 読者意見やハーメルンのアンケートの傾向を見て作ったらこんな話になってしまいました。


あと、アリョーシャ・ユングは、原作第6巻に出てくる西ドイツのBNDの女工作員です。
(原文中ではBDNと誤植されています)

 アリョーシャは男性名のアレクセイの愛称なので、本来ならば女性に使う名前ではないのですが。
潜入工作員の偽名と考えれば、自然かなと思っています。
(『藤波竜之介』なみに目立つ名前ではと思いますが……)


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