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或る皇国将校の回想録

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第四部五将家の戦争
  第五十二話 貴人たちは溜息をついた

 
前書き
今回の登場人物

駒城篤胤 駒州公爵・駒城家当主 半ば引退しているが<皇国>陸軍大将でもある。

守原定康 護州公子 陸軍少将

宵待松美 守原定康の個人副官である両性具有者 中尉相当官

弓月由房 故州伯爵家弓月家当主 内務省第三位の地位である内務勅任参事官

弓月茜 弓月家次女 豊久の婚約者

弓月葵 弓月家長男 豊久の義弟(予定) 外務省の新任官僚


芳峰紫 子爵夫人 茜の姉 故州伯爵・弓月家長女

芳峰雅永 芳州子爵 

 
皇紀五百六十八年 七月十九日 午前第十刻 駒城家下屋敷
駒州公爵 駒城篤胤


 駒州公は半ば隠遁してもり、実務から遠ざかっている。そうした考えは北領の大敗、そして新城直衛の奏上により払拭されていた。政争に身を浸した者なら誰もが裏で駒城篤胤が関わっている事は常識として理解していた。だが、本人はそれにすらも何ら反応を示さず、表向きは何ら変わる事なく隠遁者の日常を送っていた。
 そしてその裏も内面も何も変わっていない。遺漏なく徹底した情報収集を行い。その分析と最悪の事態の想定を怠っていなかった。
「龍州は陥落、そしてどれほど戦力を保持して虎城に落ち延びられるかが肝、か。
〈帝国〉軍を引っ掻き回して手に入れた時間をどれ程――いや、これは儂が考えても意味があるまい」
 流石に前線にまで口を出す余裕はない。それは保胤がなすべきことであり、息子に対する助力ならともかく、頼まれてもいないのに口を挟むのは愚か者のする事だ。
 むしろ着目すべきは皇都におけるパワーバランスである。
「――そうなるとやはり馬堂か。いやはや聡いのが三代も続くといささか面倒だな。
おまけに功が集まり過ぎだ、ある種直衛より性質が悪い」
 馬堂家の三名は、それぞれ類は違えども三者三様に一角の人物と言っても差支えが無い。
豊長はまさしく駒城の重臣とでもいうべき男である。自由を尊びながらも忠義に厚く、必要ならば公明正大にふるまえるし、ある程度の駆け引きもできる。
豊守は駒城の色は比較的薄い。太平の世に後方勤務の畑を耕し続けた所為だろう。五将家と距離をとっていた弓月と関係を深めてからはそうした傾向が強まっているような感覚もある。
そして前線では巨大な功績を持った“英雄”の聯隊長が居る。ある意味では彼が最も読めない。単純にかかわりが薄いという事もあるが、それ以上に彼の価値観がわからないのだ。時には貴族主義的な面を見せるかと思えば民本主義に傾倒しているような言動も見せる。
――そもそもからして人当たりは良いが直衛の幼馴染とでもいうべき立場に居るのだ、難物であって当然か。
篤胤は一人で納得し、笑みを浮かべた、
「豊久は――保胤に任せるべきだろうな。それにどの道、手綱を繰るのは豊長と豊守だ。
結局のところはあの二人が舵取りを誤らぬようにすればよい」
とりわけ敵ではなく、同時に向こうが敵対するつもりもない事が分かっていても篤胤が馬堂家を現状の駒城内における内憂と考えていた事はこれに尽きる。
有体に言って“強すぎる”のだ。五将家に比肩しうるような大勢力ではないが、五将家の何れかが駒城を割ろうとするのならば、彼らは非常に巨大な欠片となりうるだろう。それこそ不満を抱えた他の重臣も共に離れるかもしれない。
 駒城と言う外郭が残っていても中身を失っては意味がない。
 ――将家とは配下と統治下の民草たちの権益を保護する為の存在であり、その役目が先にあり、それと同時に自身たちの生き残らなければならないのだ。
 駒城篤胤はそう信じていた。とりわけ太平の世にて〈皇国〉という概念が誰にも彼にも篤胤の目にも根付き始めてからは。
「さてどうしたものか馬堂は――使い方を間違わねば、駒州全体が強くなっているのだから、確と話し合っておけば今のところは問題ではない。余程方針をたがえぬ限りは向こうから離れたがることもあるまい」
 それでも、篤胤は漠然とした不安を抱えていた。裏切るような要素はない、あるとすれば――守原の策くらいだろう。だが守原家はそもそも政治工作を隠す風潮が薄い、馬堂を動かすほどに注力するなら篤胤にもわかる筈だ。
 内憂の芽を摘む事を目標とするのならば、現状はそれしかないだろう。佐脇はどうでもいい、直衛に不満を持っている層をつついているだけだ。所詮は馬堂を使う布石を兼ねた嫌がらせに過ぎない。

「あとは保胤――か。東州が最後と思うたが、あれを前線に出すことになるとは――俺もまだ甘いという事か」
 その時、誰かがこの悔恨に満ちた呻き声を聞いたとしても、保胤と新城直衛以外は誰もそれを篤胤が出した声だとは信じなかっただろう。それほどまでに親としての情に満ちていた。
「益満も居る、人を見る目もある、大丈夫だと思いたいが――」
 言葉を飲み込み、首を振って際限なく続くであろう想像を追い出す。どの道どうにもならない事で心労を背負い込む趣味はない。東州乱までの間、いくつもの内戦で万を超える軍を率いた篤胤はそうした精神管理の術と野戦軍の司令官が立ち向かうべき現実と言うものを心得ている。
 心得ているからこそ、保胤が心配なのであるが――どうにもならないものはどうにもならないのである。
 ことこうした時に(だけ)は手がかからないのがもう一人の息子である。
「直衛は――まぁ前線に居る間は放っておいてもなんかいい感じにアレしそうだからいいか」
 酷い、色々と酷い、まぁ信頼している証なのだろうが。
 だが政治の関わる余地が少ない前線に居るというのはある意味では都合がよいとはいえる。
「となると――馬堂の動向に注意を払う必要がある以外は概ね上手く回っている――か」
 内憂は尽きないが総体としてはどうにか成功を積み重ねられているといった事だろう。
外患については虎城に籠るしかないのだから、考えないことにしていた。冬までに情勢が動くかもしれないが、虎城に再集結が終わるまでは何を考えても無駄だろう。
「状況が動くのは全軍が虎城に集結してから――だな。守原も情勢がある程度落ち着いてから出なければ動けまい。あぁいやはや御国の危機と言うのに我らはなんともはや」
 かつては政治的魔術師とも謳われた駒城篤胤は人知れず溜息をつき、そしてふてぶてしい笑みを浮かべた。
 ――困難ではある、この将家と言う幻想を護るために非道に手を染める事もあるだろう。だが故に、だからこそ、政治と言うものは面白いのだ、脳が痺れる程に。あぁ何とも度し難い――これこそが権力者と言う蜜の味なのだ。
「だが御国を諦めるのも、駒州を諦める事も出来ぬ、我らは駒州公爵駒城家なのだから」




同日 午後第二刻 守原家上屋敷
護州公子附き個人副官 宵待松実


 五将家の二番手にしてある種もっとも将家的な家風を持つ守原家、その上屋敷に住まう者達もまたこの〈皇国〉の実権を握りしめようと彼らなりに奮闘しており、龍口湾の戦いにおいても彼らは自身の為に動いていた。

「須ヶ川め、役に立たん奴だ。草浪もつけてやったというのにこれでは西津と駒城の餓鬼どもに手柄をくれてやっただけだ。
第二軍の連中も痛打を受け、近衛も龍州も軽くない手傷を負うとなると第三軍の連中の独り勝ちではないか!」
 五将家の雄と称される守原家を事実上取り仕切っている男、守原英康は鼻息も荒く龍州鎮台司令官を罵り、それどころか感情に任せて龍口湾に参戦した者すべてを罵っている。
 無論、彼がそのような振る舞いを見せるのは身内の席であるからこそである事を理解していても気分の良いものではない。
彼女(かれ)の主である定康も適当に同調して見せながら酒を呷る。普段から投げやりな態度である為、よほどの間柄でなければ普段と変わらぬようにしか見えないだろう。
 まぁそれはそうとして、守原英康大将閣下は愚痴を怒鳴り散らすだけ怒鳴り散らすとなんやかんやで多忙な身であるのだろう、外出していった。
 
「叔父上も、妙なところで吝嗇になるものよな。北領鎮台も捨てたのだから今更、兵を渋らなくても良かったろうに」
 などと言いながら宵待の膝の上に頭を乗せ定康は卓上の茶菓子を齧った。
「まぁ俺が思ってるよりも御家の財布が不味いのかもしれないがな。
どうする、松実。一緒に逃げるか?」
 無言で松実は微笑を浮かべる。それが主の求めた答えだと分かっているからだ。
「ふん――さて、俺もどうしたものかな。叔父上殿だけに任せるのも心苦しいものだ。局面が動いた以上、俺も少しは動いてみるとしよう。馬堂との伝手を動かしてもいい」
 馬堂豊長との繫がりはあくまで手紙による交流のみであるが、切れてはいないし、互いに切るつもりもない。
 だが、同時に政治的な入用も殆ど行っていない。功的に発表された事の確認や、感想の交換程度のものである。で、あるからには後世の研究家たちにとっては各々の立ち位置や思考をくみ取る手がかりとして貴重な史料であるが、彼らの生きる皇紀五百六十八年において、その内容に政治的な価値はほとんどない――無論、コネクションとしての価値は侮る事はできないが――
「宜しいのですか?英康閣下には――」
「いいさ、俺はいつだって好きにやっているのだから。何も背負う事もないし背負えることもない」
 護州公子が遊具を放り投げる童のような口調で言った。
「定康様――」
 松実は言葉を終える事無く定康によって口に菓子を放り込み、顔を見せぬように寝返りを打ちながら呟いた。
「何、叔父上殿を邪魔立てする気はない、だが少しは俺も遊んでみるのもいいだろうさ」
と言い目を白黒させながら菓子を飲み込んだ松実に笑いかけた。
「馬鹿な事を、とおもうだろ?だが、誰もがそう思うから面白い、あぁ、その程度の考えなのさ」
 熱っぽくだがどこか虚無的なものを秘めた笑みを浮かべ、そして深く、酒の残り香がただよう息を吐き出した。



同日 午後第七刻 弓月家上屋敷
弓月家三女 弓月碧


 故州伯爵・弓月家の晩餐はいつもよりも賑やかであった。弓月家の長女とその夫が彼らの屋敷を訪れているのである。
 その為、当主の内務省勅任参事官の弓月由房も外務省通商課員の葵も、屋敷に戻っていた。
「そうかい、葵君の方も中々厳しいか」
 芳峰雅長子爵は杯を片手に義弟に尋ねた。彼は芳州子爵でありながら、芳野山地有数の鉱山とその工業都市を経営している財界の有力者であった。
「はい、アスローンとの交易は強行突破を行うしかありませんね。あちらもあちらで帝国諸侯軍と殴りあっていますから、通商破壊の投入戦力が減少する可能性は低いです。
こちらからアスローンに働きかけるにしても交易路を安定させませんと互いにどうしようもありません。いやはや複数の敵を同時に殴れるというのは羨ましいものです――水軍局やら統帥本部やらと打ち合わせばかりですよ」
 葵が肩を竦めて言った。
「ふぅむ、やはり民生に悪影響は出るか?」
 由房伯爵もまた、高級官僚の顔で尋ねた。
「軍需次第ですが、やはり悪影響は避けられないでしょうね。どうしても交易が滞ると嗜好品の不足は否めないですし、鉱物や建設資材に至っては軍部からの需要が高まっている以上、国内の増産に手を伸ばす必要があると思います」
 青年の言葉に芳峰も頷いた。
「そうだろうな。私たちもそれを考えているところだよ」
 夫の言葉を弓月家長女である吉峰紫がひきとる。
「元から鉱山やら工場やらの拡大自体は考えていましたの。それでも想定以上に早く、より大規模に行う必要がありそうですね」

「増産はありがたいですね。戦後も通商黒字になる体制が整うのですから大歓迎ですよ」
 葵が笑みを浮かべて言った。

「あぁ、こちらとしても売れるのなら大歓迎さ」と義弟に笑いかけた芳峰は義父に向き直って言った。
「だが、そうなると豊守殿とお話しする必要があるのです。御義父様から都合をつけていただいて感謝しております」

「うむ、だが何を話すのかね?」
 官房総務課理事官ともなればそこらの准将とはことなる権限をもつ、由房が興味を示すのも当然であった。
「えぇそれに関しては少々長くなりますから明日に――」



「はぁ……」
大人達の会話からぽつねんと外れ、碧は小さく溜息をついた。
大人勢は喫煙室に河岸を移してあれやこれやと悪巧みなのか御国の為なのか分からない話をしている。
 ――あれではまるで官僚達の会議だ。
碧とて会話の内容が分からないわけではない、重要な事だという事も分かる。
だがこうも延々と続いているとなんとも自分が他愛もない良家の子女育ちである事を思い知らされているようで物寂しさと焦燥感が綯い交ぜになってしまう。
 兄も、もうあちら側に居るのだから。
「隣、いいかしら?」

「――御姉様」
 隣に座った茜に視線が向ける。
 寂しさ――というのなら自分よりもこの姉だろう、と碧は自身の不満を飲み込んだ。
北領であのような事になったのにまた送り出すのだ、その内心を察するに余りある。碧自身とて一度は死んだだろうと聞かされた身内を送り出して何も感じないわけもないのだから。
「碧も、もう聞いたかしら?豊久さんは――無事にいるそうよ」

「良かった――」
ほぅ、と今度は安堵の溜息が出た。敗走の途にあるとはいえ、無事の知らせはなによりの福音である。
 
頭に懐かしい手が乗った、姉の顔を見るとまるで子供を見るかのような微笑を浮かべている。
「……いいのよ、まだ子供で。こんな時に無理に背を伸ばすのはまだ早いもの」
 ――あぁ、もう!
 苛立たしげなのか、それとも満足したからか、どちらかは本人にも分からぬまま、三度碧は息をはいた。
 
 

 
後書き
駆け込み投稿になってしまい実に申し訳ありません。
そろそろPCが死にそうなので次回投稿はちょっとわかりません。
バックアップは取ってあるので遅れても投稿しますので御安心下さい。

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