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或る皇国将校の回想録

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第四部五将家の戦争
  第五十三話 変わりゆく日々に

 
前書き
今回の登場人物

弓月茜 豊久の婚約者 故州伯爵家次女

弓月碧 故州伯爵家三女

柚木薫 馬堂家使用人

馬堂豊長 馬堂家当主

弓月由房 故州伯爵家当主 内務省勅任参事官

芳峰雅永 芳州子爵 芳野山地の鉱・工業街の経営者

芳峰紫  弓月家長女 芳峰雅永の妻

高橋   大手両替商三蔵屋・皇都本店の大番頭

 

 
皇紀五百六十八年 七月二十日 皇都 馬堂家上屋敷 第三書斎
馬堂家使用人 柚木薫


 常の通りに、書斎にはたきをかけ、蔵書が傷まぬように気を付けながら
酷く不安な気持ちになり、書斎の窓を開けた。
吹き込んだ風が僅かに紙を揺らし、カサカサと音を立てる。

「――静かだな」
 屋敷が静かになると云う事は、戦争がまた激しくなるという事である。この書斎の主は戦地から戻ってきて早々に龍州へと征ってしまった。豊守も、豊長も日中どころか時には一日屋敷を空ける事も珍しくなくなってしまった。
 ――奥方様達がいらっしゃるけど――それでもやはり静かだ。
 窓硝子越しに暗い顔をした自分を見て、柚木は慌てて頭を振った。
「――いけない、いけない。ただでさえ人手不足で仕事過多なのに、こんなトコでぼんやりとしている時間はないわね」
意識して明るい表情を作り、窓を開ける。
 使用人まで暗い顔をしてはいけない自分たちは主たちが気を置かずに憩える場を守ることが仕事なのだから、と家令頭の辺里が直々に使用人達に言い含めている。
 ――結局、それだけしかできないのよね。
今まで感じたことのない焦燥感が柚木の胸の中で燻る。彼女は史学寮博士の娘であり、教養も知性もある(だからこそ行儀見習いとして雇われているのだ)だからこそ、何が起こっているのかも何とはなしに理解しているのだ。
 ――扉を叩く音が聞こえた。
「あら、掃除中でしたか?」
 扉の向こうに居たのは弓月茜と弓月碧の姉妹であった。
「丁度、済ませた所です。窓を開けたばかりですから、少し埃っぽいですがそれでも宜しければ」

「大丈夫ですよ――ごめんなさいね?ちょっと気分転換がしたくて」
 そう言いながら、部屋に入ると彼女達は部屋を眺める。
 彼女達も父が上流階級とはいえ衆民と交流の深い人だからか、駒城家の様に自分が上だと振舞っても使用人にも丁重に接する。そうした家風だからこそ、互いに姻戚を結んでも問題ないと考えたのだろう
「御嬢様方、伯爵閣下も既にいらっしゃっているのですか?」
 ――お客様が来るのは十刻頃と聞いていたのだけれど・・・
「いいえ、私達が先に来たの。――改めて見ると凄いわね。こんな風に観たことはなかったわ」
碧が書棚を見て口許を綻ばせる。
柚木も微笑を浮かべた。一見屋敷のほかの部屋と比べて狭いように思えるが、それは三面を分厚い本棚が覆っているからだ。
そして量だけではなく、この書斎に詰め込まれている蔵書はかなりのものだ。戯作本から理学、工学、史学の専門書、外交官や回船問屋の見聞録まで揃っている。
 ――専門書は職業上必須なのでしょうけど、戯作本の収集までしているのだから将家の中でも重度の書痴でしょうね。
 ちなみに艶本はない。持ってないのではなくどこぞ別の場所に隠しているのだ。駄目な方に防諜室員としての経験が活きているのだ。
「給金の大半を注ぎ込んでいらっしゃるそうですか――主に戯作本に。専門書は兵部省や軍監本部の経費で落としていたとかいないとか」
 趣味が入っていようと確かにあの頃の豊久は帰ってきてからもそうした本を必死に読み込んでいた。
 何をしていたのかは柚木は全く知らないが、そうした知識が必要だったのだろうと推測してた。
「それは――あの人らしいですね。」
 茜もくすりと笑った。

「姉さまもなんだかんだで義兄さまのこと好きなのふぇ!?」

「――あまりそういうこと言うのは止めなさい」
 碧の頬をつねりながら茜は真顔で言った。
わりと良く見かける光景である、気分転換というだけあって二人ともあえてじゃれ合っているのだろう。
 柚木も先ほどまでの焦燥感はどこかに消えていた。
「せっかくいらっしゃったのでしたら、何冊かお持ちになりますか?」

「宜しいのですか?」
 ふぉふぇんなふぁい!ふぉふぇんなふぁい!と鳴いている小動物の頬をこねくりまわしながら素直に目を輝かせる茜を見て柚木も取り繕うまでもなく明るく笑みを浮かべた。

 ――類は友を呼ぶ、か。私も史学寮務めの父からあれこれと本読みの面白さを教えてもらったし、戯作本を何冊か借りたこともある。書痴は本を読むのと同程度に相手に自分の好きな本を読ませることに無上の喜びを得るものなのだ。
 だからこそ――柚木は主の意図を最も的確に読み取って言葉を紡いだのであった。
「えぇ、若様からも不在の時でも通してよいと申しておりました。御二人がお読みになるのでしたら若もお喜びになるでしょう、ぜひ手紙の種にして下さい」



同日 午前第十一刻 皇都 馬堂家上屋敷 応接室



「お二方とも、よくいらっしゃいました。
豊守はどうしても外せぬ公務がありましてな、申し訳ないが、午後になってから出先で落ち合うことになるだろう」
 馬堂家当主である馬堂豊長が歓迎の言葉を述べる。
「えぇ、この度は急な訪問をお許しいただき、大変ありがとうございます」

「うむ。芳峰殿も健勝そうでなによりだ」

「大殿様」
警護班長の山形がささやきかける。
「――うむ。あぁ。向こうの動向とほかに居ないかだけ確認しておけ」

「どうにも羽虫が五月蝿くてかなわんな。豊長殿には世話になる」
 伯爵が豊長に目礼する。

「それだけの話、と理解していますので。」
獲物に飛び掛かる寸前の剣牙虎の如き眼光を宿しながら微笑して豊長が応える。

「えぇ、豊守さんに口利きして頂きたい話がございまして。」
 雅永義兄様が口元を引き結び、云う。
 成程、父が目を掛けただけの御方だ。茜は淡々とそう分析した。
 僅かに体を強ばらせているが、古強者を相手に臆することなく笑みを浮かべている。
 ――果断な方ですね。

「――芳峰殿は何をお求めでしょうか?」
 豊長は柔らかな、それでいて鋭さを秘めた声で尋ねる。
 それを受け止め、若き子爵は応える。
「融資をしてもらえる店、それも信用が高く大金を即座に用意できる大店を」

「ほう」
 豊守様が身を乗り出す。
「雅永君」
 故州伯が片眉を跳ね上げる。
「君がもし、金に困っているのならば、まず私に用立てる努力をさせて貰いたいのだがな」
 背筋を伸ばし、早口で捲し立てる。長女をとつがせた相手だけあり、彼の矜持に触れたのだろう。
「――あぁ、いえいえ、違います。私が金に困っているわけではないのです。
その――」
 そう言って芳峰子爵は口を濁した。
「御父様、そうした家政の問題ではありませんの。」
 苦笑した吉峰紫がとりなす。
「有り体に云えば、今までと違って需要に私達が答えられなくなってきたのですわ」
 妻の助勢を受けて雅永子爵も改めて説明する。
「需要にこたえる必要があるのです。何しろ、有事のあれこれで鉱物は幾らあっても足りぬのですよ。とにかく、年が変わる前にあれこれと準備をしたいですし、これからも物入りですから、新しく両替商の大店と結びを作っておきたいのです。
我が家が提携していた両替商だけでは手が回らん状況でして」
 子爵家当主が直々にというのも珍しいが、芳峰家(が経営主をしている鉱工業街)が取引しているのは地元の両替商である。成長してはいるが規模自体は皇都に集う大店とくらべるとやはり劣ってしまうのが実情であった。
「――ふむ。そうなると内務勅任参事官として、手助けはできるな」
 芳州のほとんどは天領である。直接、芳峰家の領土にあれこれは出来ないが
「はい、そうした点では長期的な面では義父様と豊守様にもお願いしたいことがありまして――まぁその話は操業資金を調達してからになりますが」

「成程!では先立つものを手に入れることからですな。お手並み拝見と行きましょう」
 豊長がにたりと不敵な笑みを浮かべた。



同日 午後第二刻半 皇都 両替商・三蔵屋本店


「結局のところ、儲け時なら儲け時なりに心配事があるのですよ。
本当に、楽な儲け話なんて有るはずもないという事です。」
 芳峰紫はこめかみを叩きながらため息を漏らし、芳峰子爵が後を引き取る。
「単純に現状を維持するだけならば現在の財政状況でも十分、対応できるのだよ。
だが御国はそれ以上を我らに求めているのだ」
 
「成程――」
二人に相対するのは禿頭の男性であった。
「現在、必要なのは生産量拡大の為に人員の増加、および鉱山施設・製鉄工場の拡大。
そして能率上昇の為に労働状況改善を行うために必要な予算です。我々が君たちに借り受けた資金は純粋にその為だけに使うと保証できる。我々が得られる利益に関しては何も問題はない。それこそ敗戦しない限りはね」

 両替商・三蔵屋が皇都本店、それが現在芳峰夫妻の居る場所である。
 両替商とはそもそもは文字通り、両替の際に手間賃を貰う事で経営を行っている店の事を指していた。否、いた、というのは間違いだろう、現在でも回船問屋と結び〈帝国〉やアスローンの通貨と〈皇国〉の通貨の両替を行っている店も多い。
だが、〈皇国〉内では両替商というものは預金を利用した大規模な投資から利益を得る物である、と見られている。
 太平の二十五年で著しく勃興した新興の業界であるが、五将家から海外の商人まで様々な人間が投資の為に資金、情報を齎しており、政治色が非常に強く衆民院議員の出身者の中でも両替商の利益代表者は一大派閥を作っており、悪い評判も少なくない、まさに太平の世が産んだ栄華と暗部の象徴であると言えるだろう。

 その中でも三蔵屋は、店自体は古い部類であるが、大店と呼ばれるようになったのは十数年前である。駒州に本拠を置く両替商としての歴史は古く、老舗と呼んでも差し支えはないだろう。だが当面の間は田舎両替商であった。駒州の産業は農業と畜産、そして僅かばかりの中小鉱山であり、中・下層階級に貨幣が根付くのが遅れた所為である。
彼らが大店としての区分に入り込んだのは、安東家の東州復興事業に関連した、駒州、芳州の流通拡大によって、駒州家、安東家、馬堂家、芳峰家から供出された資本を巧みに運用した事で一気に大店へと躍進したのである。

「――ふむ。子爵閣下の御言葉を疑うつもりはございませんが」
 そう言って大番頭の高橋は年相応に白色に近づいてきた灰色の頬髭を撫で、書類に視線を落とす。
「まぁ設備投資自体はこちらとしても有難い限りです。ですが、労働者達の環境改善に本当にこれ程の金子を必要とするのですか?
正直に申しますとそれほどに深刻な問題なのか、些か疑問がありますな。」
 そう言って貴族へ視線を飛ばす高橋の眼は老練な商売人としての悟性が光っていた。

「――蓬羽や軍部に欲求される鉄の量が天井知らずでしてな。
儲けが出るのは良いですが、古参の鉱夫達の間で不満――それどころか病気、それに作業中の負傷者が増加傾向にあります。
このままでは大事故を引き起こす事に成りかねないのですよ。
もし、鉱山や、製鋼所で大事故なんぞ起きたら取り返しがつかない」
 芳峰雅永は馬鹿でもなく、伝手を使うことに躊躇することもなかった。兵部省の中枢に伝手があればそれを利用することは当然であった。軍の方針はどうであれ長期消耗戦とならざるを得ない。ならば健康で頑健な男は大半が徴兵されてしまうだろう。現役の鉱夫は兵役を免除されているが、幾らなんでも大事故を起こした鉱山の再建に回すくらいならば多少、皇都から離れていても別の鉱山に人を回すだろう。

「この時期にそんな話を聞くのはぞっとしませんな」
 高橋が顔を顰める。

「愉快なことばかり語るのは欺瞞だと思いませんか?
それに今はまだ可能性の話です、ここで貸し付けていただければ何も問題なく増産が進みます。そして利益も増える――ほら、これは愉快な話ですよ」
 不敵に微笑する芳峰子爵にさしもの高橋も苦笑するしかなかった。
「これは失礼いたしました」

「それで幾らほど貸し付けてくれるのかね?こちらとしては幾らあっても足りないのだが」
 子爵は泰然としたまま尋ねる。

「そうですなぁ――」
 高橋がつるり、と禿頭を撫でた。



「――御苦労だったね。芳峰夫妻をどう見るかね?」
 馬堂豊長は満足そうに帰っていった芳峰夫妻を見送りながら高橋に訊ねた。

「優良物件――でしょうね。」
 高橋は冷徹な目に戻っている。
「水軍統帥部の友人や、回船問屋の方から聞く限りでは、芳州は有事の現在、皇都と東州と内地を結ぶ航路のなかで最も安全な航路で結ばれています。
仮に万が一鉱山からの供給が止まっても工業やら運輸やら幾らでも資金の回収は出来ますからな。人が集まると云う事はいくらでも金を稼ぐ方法があるという事です。
鉱山街の経営に関しても事故の危険性を重視している事はありがたい。」

「成程、ならば問題は――」

「――御国が残るかどうか、ですね。
御国の為にも、我が三倉屋の為にも子爵閣下方には、鉄を供給してもらわなくては困ります」
 ふ、と何かに気付いたかのように初老の商人は嘆息する。
「――あぁいやはやなんとも。私どもは単に商売をしていたいだけなのになんともままならぬものですな。太平の世の前も見知っていたつもりでしたが――」

「国難、という事なのだろうな。諸行無常といえど戦争までも悪い方に様変わりするのだからやるせないものよ。いや、これは儂が過去を理想化しすぎているせいかもしれんな。どのみち戦争なぞ碌なものではない」
豊長は顎を掻いて嘆息する。
「まぁ老け込むつもりは当面ない。それより今日は〈寄合〉だったな?」

「流石にお耳が早い。えぇその通りです。私共も昨年ようやく顔を出せるようになりました」
〈寄合〉とは皇都でも指折りの大店でなおかつある程度の信用を得られないと呼ばれることもないという大商人たちの利益調整組織であり、俗にいう“財界”の意思を決定する場でもある。
もっとも、事前に議題については回状が回されてそれぞれが意思を決めるものとなっているので〈寄合〉自体は各々が意思表明するだけであり、余程の意見の衝突がない限りは基本的に半刻ほどで終わってしまうのだが。
「なに、豊守も色々と苦労しているようでな。天下はどこも忙しくなる。何しろ亡国の危機だ、誰も彼も何を思おうと忙しなくなるだろう」
 
 

 
後書き
遅れて申し訳ありません。
そして続いてさらに申し訳ないですが、投稿のペースを月間くらいに落とさせていただきます。
繁忙期が近いのとちょっと現在の職場の展望にかなり思うところがかなりあるので色々と自主的に勉励したいのです。

ネタだけはたまってるので監察課の方に投稿するかもしれませんが、投稿予定については引き続き、つぶやきで告知します。 
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