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或る皇国将校の回想録

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第四部五将家の戦争
  第五十一話 会議は進まず、されど謀略は踊る

 
前書き
西原信英 陸軍大将 五将家の一角 西州公爵 西原家当主

西原信置 陸軍大佐 西原信英の長男 

弓月由房 内務省勅任参事官 故州伯爵 馬堂家と婚姻関係を結ぼうとしている     

馬堂豊長 馬堂家当主 豊久の祖父 憲兵上がりの退役少将

舞潟章一郎〈皇国〉行政府の次席である執政代 衆民院最大与党・皇民本党総裁

堂賀静成 陸軍准将 軍艦本部情報課次長であり馬堂中佐の嘗ての上司 憲兵出身の情報将校

海良末美 陸軍大佐 東州公爵安東吉光の義弟 抜け目のない政治屋軍官僚 

 
【第四部五将家の戦争】
皇都にて政治的闘争を繰り広げた五将家は、〈帝国〉軍がいよいよ内地東半分に雪崩れ込む大失態を切っ掛けとして
争点の解決は不可能であることか困難であるが一応の妥協を模索していた。
そこに付け込んだ衆民官僚の最大派閥である弓月家と馬堂家は西原家の事実を”噂”と言い換えほんのわずかな間とはいえ足並みをそろえることに成功した。
更に龍上国の天龍自治国では、〈皇国〉執政府との協定により、
避難民を受け入れたことから統領政会においても
〈帝国〉の統治政策と対天龍政策への不信感が高まっていた。
これを機とした前統領を輩出した坂東一家は〈皇国〉利益代表部への接触を図っている。
来る情勢に際し、私は父の意向を汲み、行動せねばならない。
――〈皇国〉外務省三等書記官 弓月葵の日誌より


皇紀五百六十八年 七月二十日 午前第六刻 皇都 西原家上屋敷  
西原家当主 西原信英


「いやはや西津も随分と気張ってくれたようだが、結局、敗けだな。
いくら兵を削ろうとも揚陸を許すのなら意味はあるまいよ」

 五将家が一角、西州公爵家の当主・西原信置は集成第三軍司令部――事実上は西州鎮台派遣兵団司令部である――よりもたらされた報告書を机の上に投げ出して呻いた。
対面に座る西州公子・信置も苦い顔を浮かべている。

「龍州は事実上陥落、弓月と馬堂が組んで動かしていた避難計画がどこまで実現できるかですな。
それにしても近衛が後衛に回るとは‥‥‥」

「――それは無事を祈るしかあるまいよ。こちらが口を挟めるほど余力があるとも思えん。
ここで第三軍を使い潰せば皇都が危うい、内地が落ちれば西領も持たんよ。
精々、衆兵の駒城の育預が<帝国>連中を引っ掻き回すことを祈ろう」

 信置はその言葉を聞き、笑みを浮かべた。
「駒城は育預に馬堂と前線で派手に映える面子が多いですな。護州が手を出さなかった分、将家としての武名は我ら西原と駒城で分け合うような形――あぁ近衛の指揮官は安東でしたか」 

「西津が予想外に暴れたからな。あやつ、老けたような事を言っておったが当分はこき使っても問題なさそうではないか。鎮台の軍務は奴に一任しても問題あるまいよ。
私も年だしそもそもからして戦争は好きではない、あぁそうした点では保胤も哀れよな。あれはあれで出来物であるが、前線向きではあるまいよ」と信英は喉を鳴らして笑う。

「私も前線は御免ですな」

「貴様は遊びだけではなく偶にはまともな仕事をせんか」
 信英が呆れたように溜息をつくが、放蕩息子は笑みを深めるだけであった。
「父上、これでも私なりに仕事はこなしておりますよ。今日の夜も外で茶飲み話をしにいきますからな」
 
 信英は天井を眺めながらわざとらしく嘆いた。
「やれやれ、儂と違って馬堂は三代続いて当たりを引いているわけだ!
どうしてなかなかいるものだな……動き次第によっては、こちらに取り込むことを考えるべきかもしれん」
 
「護州のように、ですか? それもいいですがな、父上」
 さすがにそこまでの舵きりは性急ではないか、と言いたげな信置に信英は頷きかけた。
「案ずるな、信置。今はまだ動くときではない、虎城にすべてが揃った時が始まりだ。
だが、当面、皇都は荒れるぞ。今はただ、誰がどう動くかを見定めるのだ」



同日 午前第十刻 皇都 内務省庁舎内第一会議室
内務勅任参事官 弓月由房


 初夏の蒸した会議室に鬱々とした表情をした初老の男達が集まっている。内務省――警察行政・天領の運営・開発・民政に関する将家間の権益の調整と幅広く権限を与えられた巨大な官庁の高級官僚達である。

「――龍口湾で我らの軍は敗けたそうだ。この戦は長引くであろうな」
 内務大臣である宮蔵背州侯爵が張りのない声で会議の口火を切った。宮野木家の分家筋の文官であり、一時は他家を蔑ろにし、専横を振るっていたがそれも過去の話である。
 背州公の宮野木和麿が表舞台から追い出されてからはかつての威勢はなくなり、口さがない者には無力化されたからこそ大臣の椅子に座る事ができたのだとまで言われている――おそらく的を外してはいないだろうと口に出さない者達も内心考えているようであるが。
 かといって駒州閥の次官にも好き勝手できる地盤はない。また専横は孤立に繫がると駒城本家からも積極的な権益拡大を避けてきたこともあり、この十年程、内務省に明確な主導権を持つ者は失われていた。
 そしてその間隙を縫って躍進に成功したのが故州伯と彼らが育てた衆民出身の中堅官僚達であった。彼らは将家間の意見を調整する役目を果たすのに、弓月伯爵家――五百年も昔、それこそ諸将時代より古く、故府に都が置かれた皇主と貴族官僚達で構成された部省制の時代から続く名門の権威が万民輔弼宣旨書以後、急速に数を増やした――特に警察機構を司る警保局と自治化が急速に進む天領を管理する州政局に――衆民官僚を担ぎ手に選んだこと、そして、その神輿に座る男が巧みに彼らを操縦する能力を持っていたことで(内務省内に限定されるが)一大勢力へと躍進したのであった。そして現在では局長級の合議を勅任参事官が調整し、大臣と次官が裁定を下す方式へと変わりつつあった。

「敵も総力を挙げて追撃する余力は持っていないようですが、増援の到着も近いそうです。
遠距離探索を行っている魔導院からは一個軍団規模が北領南部に再集結しているとの報が出ています。」
 勅任参事官の弓月故州伯が現状を説明する。
「――ですが、すでに我が国の軍は撤退を行なっており、東州・及び虎城山地にて再集結を計画しています。龍州は最早陥落したと判断すべきです」

「そうなりますと、矢張り例の計画を行う必要があると?」
 弓月と同じ中立派(権益配分が主な職務である役職の為に必然的にそうなった)の州政局長が尋ねる。
「既に計画は動いている――説明は警保局長官から行なってもらう」
 西原閥の次官の言葉に応え、警保局の中条長官が立ち上がり、報告を行う。
「龍州政府、及び警務局は既に緊急体制を発令しました。龍下の〈大協約〉保護下に置かれていない各村落は既に所定の保護条項に該当する村落へ避難移動を開始しました。
警備隊による道の確保も万全です。勿論、〈帝国〉兵相手の戦闘は流石に不可能ですが、匪賊相手なら十分かと」
 駒城閥の中でも現実主義者だけあり如才無く説明をする。
「中条長官。泉川は軍の管轄だった筈だがどうなっているのかね?」
 安東閥の衛生局長が苛立たしげに発言する。
「龍州軍司令部は軍政、及び戒厳令を布告し、現在は兵站部が指揮を代行しているようです。
現在は、我々内務省の要請に従い非戦闘員の避難準備が行われています」

「龍後、龍前は?」
 弓月が即座に尋ねる。
「まだ〈帝国〉軍の襲来まで多少は時間がある事もあり、虎城山脈を越えて駒州・関州(駒州の北方に隣接)の移動を望む者が少なくありません。北領戦後の軍部の情宣によって〈帝国〉の乱行を恐れている事も大きいかと」
 中条長官の返答に予想外の横槍が入る。
「軍部から希望者だけでもなんとしても虎城より西に退避させろと言われておる。
特に成年した男を中心にな」
 横槍をいれたその張りのない声の主が、誰もが慇懃に無視していた覇気を失った内務省の長である事、そしてそれ以上に予想外である横槍の内容に幹部達が目を見張る。
一瞬の静寂の後、いち早く復帰を果たした故州伯爵が老大臣へと毒舌を飛ばす。
「軍部が無茶を云うのは部下を相手にする時と予算審議の時のみと思っていたのですがね」
 〈皇国〉陸軍上層部の人間から見たら奇妙な絵であるが、それぞれ別の閨閥に属している筈の会議の参加者達が皆、それに賛同している。
――この二十五年間の太平の時代に|厄介者(ぐんぶ)との戦い続けた中である種の結束が産まれつつあり、この連帯感の顕在化をこの横槍が決定づけたのだった。

「御国の為というのなら間違いではないのだ。動員を徹底せねば数が揃わぬ。
軍が敗北した以上、更に兵員が必要なのだ!」
無茶を理解している老官僚は顔を歪めながら言った。

「閣下、警務局は周辺三州の増援を受けてようやく最前線の龍下の民を保護できているのです。他のニ州を同時に護送するのは不可能です!」
 物静かな人柄だと思われていた中条が声を荒げる。
「・・・・」
 重い沈黙が会議室を満たす。
「無論、私からも兵部省へ協力を要請する。どの道皇都の喉元に刃を突きつけられたのだ。我らもこの程度の無茶をせねばなるまいよ」
 宮蔵内相が重々しく溜息をついた。この老人も二十五年の太平が齎した文官達の間にささやかならざる独立意識を有していたのだ。
「私も駒州鎮台に協力を要請します。今現在、彼らは内王道に布陣すべく移動を行っています。彼らなら内王道沿いの移動を助けるくらいはできるでしょう」
 弓月伯が言った。
「彼らが言い出した事です、協力を勝ち取らせなければなりますまい。」
全員一致で軍部への協力要請で締めくくられたが――陰鬱とした空気は最後まで払拭される事はなかった。


同日 午後第六刻 衆民院議事堂付近料亭
馬堂家当主 馬堂豊長退役少将


 ひどく鬱屈とした空気が料亭の一間に漂っている。
 衆民院最大与党であり、ついに執政府の次席に総裁を送り込むことに成功した皇民本党の議員達は、誰もが黙りこくって酒を飲むかぼそぼそと隣の者と囁きあっている。
 既に彼らの栄華は〈帝国〉軍によって踏みにじられつつあるのをいよいよもって実感を持ち出したのだろう。
 彼らの総裁である舞潟章一郎執政代も普段の血色の良さを感じさせない青ざめた顔で彼らを観察している。執政府の次席である執政代の地位に衆民出身の彼が居る事は御国の在り方が良くも悪くも変わりつつある象徴とみなされていたのだが、それもこの戦争で変わりかねない。
「皆様方は何処で手打ちをなさるおつもりですか?」
 重々しい口調で逞しい体躯の老人――馬堂豊長が尋ねると、舞潟は弾かれたように視線を向けた。
「――私は、兵理の事には恥ずかしながら不見識ですので、戦況次第としかいえませんね。
馬堂閣下はこの戦をどのように見ていらっしゃるのですかな?貴殿は御本職を経験していらっしゃるでしょう?」

「儂はもう引退した老頭児(ロートル)ですからな、何とも」と素っ気なく返す豊長に舞潟は頭を振って笑った。
「御冗談を!官房の俊英に北領の英雄と素晴らしい後進を育てておいでではありませんか」
「ですから実務は若いのに任せて、儂は閑居して不全を為しておっただけです。
あぁいやはやこうも天下が騒がしくなっておりますから出てきたのですが」
と愛想良く笑みを浮かべて言った。
この狸爺め、と言うかの如く口元をひくつかせながら舞潟は重ねて問う。
「ならば、駒州様の御見識は如何なものでしょうか?」
 ――却説、どこまで話したものか。
 他の議員達も耳を峙てているのは間違いないが。
「そうですね――大殿のお考えは基本的に抗戦の一点張りですな。
〈帝国〉が音を上げるまで戦い続ける、詰まるところそれに尽きる単純明快な構想ですね。」

「〈帝国〉の財政悪化頼りですか・・・・それしかないのでしょうが。貴殿はそれだけではなさそうですね?」
 舞潟は抜け目なく彼方此方に飛ばしていた視線を馬堂家当主に向けて云った。
 一見、気弱な機会主義者にしか見えないが、思い切った踏込である。
 ――流石は腐っても新進の衆民政治家といったところか。

「――大殿は政治家ですが、軍人でもあります。
方針は単純明快、国内だけの問題ならば、それも宜しいのでしょうが――〈帝国〉は巨大です、軍事力も経済力も、そして面子も」
 豊長もこの方針は基本的に間違っていないと考えているが、問題はその程度であった。
 ――相手が引き際を違えたら――否、本領の閣僚達が東方辺境領を直轄地とすべく東方辺境領副帝家の消耗を誘うかもしれない。
 ――あの軍事力に我が〈皇国〉の工業力が加わる事を本領の者達が座視するだろうか?

「私も同感です。要するに〈帝国〉の文官達に我々との戦争が割に合わないと理解させるべきなのです。交渉次第では北領の割譲と通商条約――経済面での譲歩で講和に持ち込むことは可能だと私は考えています」
 舞潟は珍しく単純明快に自らの考えを示した。
 ――当然、互いに消耗しきるまで戦うなどどちらにとっても迷惑以外の何物でもない、喜ぶのは破滅主義者だけだ。

「成程、それも確かに一つの手ではありましょうな」
 だが、講和となると――さらに廰堂は荒れるだろう――豊長ならざるともその程度の考えは及ぶ。
 ――否、だからこそ政変の機会となるか、北領割譲の件で護州閥が騒ぐだろうが。その際に排除を行う事もできる、北領での敗戦の責で吊し上げれば容易く守原英康を“掃除”――予備役編入することも不可能ではない。
 憲兵として幾度か汚れ仕事を請け負った豊長はその武人然とした外見の裏で現体制を担う一角を追い落とす方策を模索していた。
「現在のところ、衆民院は可能な限り動員を抑えていただけるのならば――」

「この戦は長期消耗戦になるか、敗北するかです。〈帝国〉と講和するにしても〈帝国〉が干渉を行われたら、導術弾圧を受けて現行の経済維持は不可能、むしろ崩壊するでしょう。儂も講和を一手段と思っていますが、内政干渉を排除しない限り交渉は意味がないと考えていただこう」

「それは――」

「舞潟殿・・・これは戦争なのです。それも大国相手の。手を抜いたらたちまち神聖不可侵なる宮城に匪賊上がりの軍勢が乗り込んで来るでしょう」

「それはそうですが・・・・」

「当面は後備の動員と避難民の生活保護の予算を後押しして頂きたいのです。
龍州軍も優勢な敵に対して不退転の決意で戦い続けた為に消耗が激しいのです。
ですが我が軍も敵の将を三名討ち取り、痛打を与えております。近衛総軍、第三軍の軍功は彼の戦場に居た全ての将兵の献身の成果でありましょう」
 美化はされているが事実であった。駒城は近衛衆兵の新城や先遣支隊の面々が、戦場で功績を上げ、西原家の西津中将が彼らを含んだ第三軍を率い、敵師団を戦闘不能に追い込んだ。
 そして龍州軍に皇州都護鎮台と東州鎮台・背州鎮台を主力とする第二軍も序盤の劣勢の中で健闘し、最後の最後、龍爆と騎兵集団による突撃まで耐え続けた。
「それは確かでしょうが、衆民院としましては――戦後に復興が滞るのも問題ではないかと」
 舞潟章一郎の支持母体は廻船問屋や大地主、そして鉱山業者たちが多い。
皇主への尊崇を口にすることも多く、保守的な思想と自由経済への支持によって幅広い層からの支持をとりつけていた。


「儂は衆民と共に在りたいと願っております。それは大殿様も同様の筈です。
その為に我らは国家の藩屏として衆民と共に血を流しています」

「――ふむ」
 老練の将家当主が言いたい事を理解したのか、舞潟の目に興味の光が宿った。

「――ですが、そうは思っていない者も居るようですな?
その者達はこの戦に於いて何の貢献を果たしたのでしょうか?
この一朝有事に御国の意思統一を阻害し、何ら貢献を果たしていないと云うのは問題だと思いませんかな?」
 ――守原は北領で大敗し、今回の戦に兵を出さなかったのだ。連中が兵を出さなかったからこそ負けたのだと噂を流せば衆民達の反守原感情を煽る事もできるな、そうなれば舞潟も此方に引き込めるか。彼の支持基盤は衆民院だ、執政である利賀殿との伝手もあるが、弓月殿の衆民官僚達と結びつければこの男の方が御しやすいか?

「――えぇ、そうですね、国内の意思統一は陛下の宸襟を安んじ奉る為にも必須です。
その為には強固な統率の下にある執政府が必要だと思いませんか?」
 温和な善人めいた笑みを浮かべた舞潟に豊長も同様の笑みを返す。
 ――ふむ、まぁ口ではどうとでも言える、この男は守原側にも同じ事を言うだろう。
だが――
「えぇ、儂は衆民院に居たときから貴殿を高く評価しています。
私は優秀な政治家を大殿が必要とする時には、貴殿を推挙するでしょう、とても強力に」
 ――だがこの男が役立つのは我々の勝利が確定してからだ、今は互いに笑みを交わすとしよう。その時には執政府の実権は駒城――そして弓月殿が官僚達を統率する事になる。
――若き“英雄”に継がせるには十分な地盤だ。

「えぇ、その時には良き杯を交わしたいものですな――ところで豊長殿、近衛衆兵に居る駒城の末弟殿はご健勝でしょうか?」

「えぇ、戦場で将官を討ち取り、本営に迫ったそうです。
まったく頼もしい限りです。一度御紹介できれば良いのですが」

「えぇ、機会があれば、是非。」
 そう言った舞潟の目は商人のそれとなっている。衆民人気の高い、かの衆民の英雄・新城直衛とのよしみを得たいのだろう。豊長としても彼には前線で武名を上げる事は都合が良い。

 ――彼が目立てば豊久を皇都に戻す事もできるだろう戦時の間、豊久を軍監本部か兵部省に栄転させて、若殿の補佐に回させてもらう事ができれば色々と楽になる。
弓月の衆民官僚への影響力と馬堂の将家、財界への力。この二つを統合し、芳峰子爵家の工業力を得ればこの数年で馬堂は飛躍するだろう、それこそ、豊久が馬堂家を背負う時には弱まる三将家の背が間近に見える程に・・・・とそこで、あまりに楽観的な思考に苦笑が浮かんだ。
 ――何もかもが楽に行く筈などあるわけがなく、そもそもが御国の行く末が危ういと言うのによくぞここまでお花畑を育てたものだ――どうやら儂も焼きが回ったか。

「――当面、避難民への支援は衆民院の賛成を経て、緊急予算措置を行います。
後備の動員は些か難しいでしょうが」

「其方は、馬堂も支援を行います。廰堂に出れば大殿も、これは国防の急務です」
 ――実務に関する約定を済ませ、酒肴を楽しみながら、思考の程度を下げる。

 ――却説、我々の跡継ぎは無事に戻ってくるだろうか?前線に居させるには十分すぎる程、武功を立てただろうし、そろそろ一時的にでも皇都に戻させるよう大殿にかけあってみるか、面倒ばかり増えて儲けた端から面倒を処理する為に家産が流れるようでは話にならん。少しは役得というものを積極的に得ても良いだろう。



同日 同刻 料亭周辺
勅任一等特務魔導官 羽鳥守人

 羽鳥守人は鬱々とした気分を吐き出すように溜息をついた。つい半月程前に一等魔導官に昇進した事を知る周囲の人間は不可解そうな視線を彼に向けるが、それを気にすることもない。
 昇進に至った経緯を知れば羽鳥に向けられているその視線は生暖かいモノになるかもしれないが、それをする意味もなく羽鳥は再び溜息をつき、議員達の集う料亭をうんざりと見つめ、苦い思いと共にそれを思い出した。



「――君は、職務上知り得た情報を外部――軍に流したな?」
 特務局長――羽鳥にとっては雲の上に居る男が無感情に尋ねる。
 彼は皇室魔導院第四位の席次にあり、魔導院の古株である事を示すように、本物の導術士の証である銀盤が額に埋め込まれている。

「何の――事でしょうか?」

「龍兵の事だ、将家連中によって我々が要路に流した報告を握りつぶされた事は分っている」
 張りつめた空気にも羽鳥は態度を変えない、相手がどう出るかを見極めねばならないからだ。
「問題はその後だ、我々の要路とは別の伝手で情報が流れ、軍の一部が動き出した」
 新城に守原の動きやら〈帝国〉龍兵の情報を流した羽鳥はそれを柳に風と受け流す。
「――軍には軍の情報機関があります。先ずは彼らを疑うべきでは?」

「惚けるな、君もここに連れ込まれた時点で既に調べがついているのは分っているだろう」
 苦笑して彼の好みど真ん中であるアスローンモルトの三〇年物を棚から取り出しながら、どこか面白そうに白髪の老人は語りだした。
「――水軍の内外情勢調査会は我々と協調関係にあるのは君も知っているだろう?
陸軍の特設高等憲兵隊も――あの男は我々と公然と敵対するような真似はせんさ。それにだな――」
 そこで言葉を切り、老魔導士は今度こそ笑い出した。
「君、君、私はね。天龍の観戦武官などという珍妙な御仁と友誼を通じている人間は、近衛に居る君の友人しか知らないのだよ」



「――畜生、奴の巫山戯た友人選びの所為だ。」
 その後、特務局長は彼を勅任一等特務魔導官に昇進させた。
だが、羽鳥守人の職務は通常の一等魔導官と比較しても、重要性は高く、量も数倍以上となっていた。特務局長の古巣である特殊導術局の監視対象(周辺諸国、取り分け〈帝国〉の策源地である旧北領)の観測情報を把握し、彼独自の伝手を通して流すこと。
 そして新城直衛の周辺(つまり、駒城の動き)を重点的に探る事。
 ――そして、特務局内国第三部の勅任一等特務魔導官として将家に対する諜報活動の現場責任者として指揮を執る事。
 諜報機関の人的資源は育成に時間がかかる、その為、有事となると人手不足は深刻な域に到達しているのである。

「ただでさえ面倒なのに、あの狸一族め!余計に面倒事を巻き起こすつもりか?」
 羽鳥の零す愚痴は根拠のないものではない。
 当主の馬堂豊長は憲兵という兵科の黎明期に築いた伝手と豊守の伝手により、内務省をはじめとした官界そして官界に増えた衆民官僚を通して政財界に密接に関わっており、特に投資に成功した事で財界との関係を強めている。
馬堂豊守はそれを更に広げながら弓月と結び、官界に手を伸ばしで官房総務課内でも権勢を強めている。
 馬堂豊久は特務偵喋憲兵隊の手綱を握っている陸軍軍監本部情報課防諜室に根深く食い込んでいる上にあの(・・)新城直衛の旧友である。
 そうした面々と結びつきを深めている馬堂家は最早五将家に次ぐ程の重要度を持つまでに至っているのだ。

「――さてさて、新城の面倒は相も変わらず根深いものになりそうだ」
執政代に衆民議員連と馬堂家当主、そこで交わされている札の中身を嗅ぎとった羽鳥は――静かに苦笑した。


同日 午後第六刻 皇都 桜契社 第二貴賓室


さて、幾度も登場しているが桜契社は、家名を問わず、あらゆる将校が訪れる事が出来る。
また、当然ながら五将家の閥に属するものが訪れる事も多く、時には五将家の重臣・そして時には直系の者達の間で信じられないような情報交換が行われることも珍しくない。
そしてそうした時にはそれぞれの子飼いの給仕の手によって『茶会』の為に貴賓室とその両隣が使用中となるのが通例だった。
 そして、今その『茶会』がまさに開かれていた。座を囲むのは五将家の政争においては中立派とされる陸軍軍監本部情報課次長である堂賀静成。そして西州公子西原信置に東州公の義弟である海良末美と、実力者ではあるが主導権を握る事が殆どない三名であった。

「ほう?佐脇の小僧が〈帝国〉の旅団長を?」
 陸軍軍監本部情報課次長である堂賀静成は面白そうに眉を上げて尋ねた。
「はい、間違いありません次長閣下。第三軍司令部・つまり西津閣下からの報告です」
 西原信置大佐――西州公爵家長男は黒茶にアスローンモルトを垂らしながら面白そうに言った。

「仮にも剣虎兵、本来はそういう使い方をするものでしょう?それでも大当たりしたのだから、存外に守原閣下も実用を重んじていたのかもしれませんが」
 東州公爵・安東家の利益代表者として政界で存在感を高めている海良大佐が肩を竦めて言った。

「だといいがな……それはそうと軍監本部としては、龍州での対応はどうなっていますか?
一個師団を潰したのはいいが、見通しも打つ手もなし、などとなったら――いよいよもって陸軍への不信が高まりますよ?」と信置はかるく肩を竦めると堂賀に問いかけた。彼自身も陸軍大佐であるのだが――

「その通りだ。これに関しては駒城の構想を基本に折衝を行う予定らしい。少なくとも当面はその方向で働きかけるべきだろう。今のところ、駒城と西原は第三軍に関しては運命共同体といってもいい。後衛に立っている龍州軍も近衛も相当被害を受けるだろう、その穴を埋めるためにも虎城で粘らなくてはどうにもならない――無傷の護州が何を言い出すかが気がかりだ。決戦などと言い出す筈はないが」

「安東家としては第二軍を早急に東州まで退避させることが第一です。その後も皇都との安全な航路を確保しなければどうにもなりません」
 安東家の利益代表者の言に堂賀も頷いて見せた。東州は現在、食糧の自給率は八割程度だ。工業力・経済力は四半世紀前を凌ぐ勢いであったが、農村部の復興は十全ではない。
 これは安東家が天領を真似た政策で都市化による税収確保を第一としていたからだ。
「あぁわかっているとも、軍事的にも経済的にも東州は保持せねばならない。その点については軍監本部からも働きかける事は約束する。だが、その後はどうするつもりなのかな?」

「さて?私からはなんとも―――」と若い大佐はかるく笑い、そして真剣な口調で言った。
「ところで、護州から出ている案なのですが、皆様にぜひお二人に検討して戴きたいことがあるのです――」

「――護州だと?」
 堂賀は顎を撫でて聞き返した。
「――ふむ?」西原信置も興味深そうに姿勢を正す。
 二人の格上が食いついたのを見て海良は笑みを深めながらも慎重な口調で話を続ける。
「えぇというのもそのまま通しては我々も少々困る内容でしてね、と言いますのも――」
 
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