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幸せな夫婦

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第八章


第八章

「柔道でえらい怪我さえせんかったら」
「ええね」
「それで最近やけどな」
「うん」
「テレビあるやん」
 この時代そろそろ出て来た頃である。テレビがある家はそれだけで人が集まってきた。今では普通にあるテレビが夢の存在でもあった。そうしたふうになろうとしていたのである。
「あれええんやろか」
「凄いええらしいで」
 それについても話をはじめた。
「何でも」
「欲しいなあ、何か」
「そやね」
 そんな話もした。結局は世間話だったがそれでも芳香は色々と学ぶことばできた。そっと康友に子供に野球をやらせてみてはと勧めたり野球のことで気遣いをしてみせた。彼はすぐに機嫌をなおして野球を楽しみだしたがすぐに日常的に野球のことでは浮かない顔をする日々がはじまったのであった。
「またか」
 朝の新聞を読んで溜息をつく日が多くなっていた。
「強いな、ホンマ」
 そう言うのだった。それを聞いて新聞を覗くといつも南海が負けていた。
「どないしたん?」
「いやな」
 康友は芳香の問いに不機嫌な顔を見せるのがこれまた常になっていた。そしてその顔で言うのだ。
「西鉄になあ。負けて」
「ああ、西鉄に」
 九州にあったパリーグの球団で西武の前身だ。この時野武士軍団と呼ばれ知将三原の下で荒々しい強さを誇っていたのである。
「豊田に中西、大下」
 その西鉄打線の主軸である。とりわけ中西のバッティングは圧倒的であり球場を遥かに越えるホームランやショートの頭上を越えてそのままスタンドに入れたことや打ったボールが焦げていたとかそうした逸話の多い男であった。その仇名を怪童という。
「打たれたわ」
「それで相手のピッチャーはあの人やね」
「そや、稲尾や」
 康友はこの名前を口にする時どうしようもない諦めを見せるのだった。抜群のコントロールと球威、高速スライダーとシュートを持っており何よりも桁外れのスタミナを持っていた。幾ら投げても平気な程だった。彼はその圧倒的なスタミナから鉄腕と呼ばれていた。彼が西鉄の柱だったのだ。南海は彼の前に手も足も出なかったのだ。
「あれはバケモンや」
 稲尾を評してこう言った。
「勝てるもんやあらへん」
「打てへんのやな」
「しかもそれがいつも出るんや。どないすればええねん」
「それやったらこっちもその稲尾を入れればええやん」
 芳香は項垂れる康友をそう言って励ます。
「そやろ?だから」
「稲尾をか」
 それを聞いても項垂れるだけだった。あんなピッチャーがそうそういるものかと思ってしまうからだ。実際に稲尾は今でも伝説となっている。
「そうやん。南海も」
「おるかな」
 首を傾げて言う。
「そんなんが」
「おるって。絶対に」
「そうか。おるんやったら南海に連れて来たい」
 何があってもという感じだった。その顔で言うのだった。
「親分さんもそう思ってるやろな」
 その南海の監督の鶴岡だ。今その名前を出す。
「ホンマに」
「今は我慢やで」
 にこりと夫の顔を見て笑ったうえでの言葉であった。
「そやから」
「ああ、わかったわ」
 女房の言葉に励まされた。
「それやったら」
「ほな。気を取り直して行きや」
 夫に会社に行くように声をかける。
「今日は勝つから」
「ああ。じゃあ今日は豆腐を頼むわ」
 機嫌をよくして注文をつけてきた。彼の好物であった。関西では納豆は食べないが豆腐は他の地域と同じ位に食べていた。京都ではとりわけ湯豆腐が有名である。
「それでな」
「あとおからと」
 豆腐の絞りカスだ。信じられない程安いかタダで売られている。今では少なくなったしウサギの餌にもするがこの時代はまだまだ多く売られていたのだ。
「揚げでええか」
「御馳走やな。じゃあ頼むわ」
「わかったで」
 夫を励まして送る。そうした日々が続いた。
 このことをまた喫茶店で静江に話す。すると彼女はまた言うのだった。
「苦労してるんやね」
「いつもそう言うんやけれどな」
 芳香は少し困った顔で述べる。
「それでもなあ」
「骨が折れるやろ」
「折れる折れる」
 苦笑いと共に述べる。
「大変やで、ホンマ」
「阪神も大変やけどそっちも大変やねんな」
「阪神も負けまくってるそうやん」
 芳香は静江に尋ねてきた。
「何でも」
「そうやねん、それも巨人に」
 静江も苦笑いを浮かべて述べる。
 
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