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Monster Hunter ―残影の竜騎士―

作者:jonah
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4 「MAYDAY, MAYDAY, MAYDAY;」

 
前書き
メーデー(Mayday)は、音声無線で遭難信号を発信する時に国際的に使われる緊急用符号語。フランス語の「ヴネ・メデ (venez m'aider)」、すなわち「助けに来て」に由来する。一般に人命が危険にさらされているような緊急事態を知らせるのに使われ、警察、航空機の操縦士、消防士、各種交通機関などが使う。     (Wikipediaより)

遂に今回凪さん魔法つかいます(嘘
 

 
 な ん じ ゃ こ り ゃ。

 気がつけば前後左右をギギネブラに囲まれていました。マル。

(……いやいやいやいや!)

 通常の4倍の声量のバインドボイスは、耳を塞ぐ程度では済まない音の暴力となって凪達を襲った。
 悲鳴を上げてしゃがみ込む汀と岬、菖蒲。凪は立ったままではいたものの、ガンガンと頭に残響する竜の怒りは視界を真っ白に覆うほどのものであった。足がふらつく。長年の渓流暮らしに加えて生まれつき常人よりもやや耳が良い凪にこの咆哮は酷だ。
 しかし、彼よりさらに状態の悪い者がいた。双子だ。この衝撃で完全に精神が折られてしまった。

(無理も無いが……)

 四方を飛竜に固められる何て経験、したくたってそうそうできるものではない。まだ14歳の子供でもあるし、確かに仕方がないともいえる。が、この状況では非常にまずい。逃げるにしろ戦うにしろ、迫り来る“死”と闘う意志を捨てたものが最初に餌食にされるというのは、自然界での鉄則だ。

「ぁあ…あ……」

 へなへなと座り込む2人。掴まれている服越しにわかってしまうほどに、2人はガクガクと震えていた。完全に腰が抜けてしまっている。
 菖蒲は毅然とした態度を貫いてはいたが、その顔色が既に青を通り越して白になりつつあるのは、決して寒さのせいだけではあるまい。

(どうする……)

 この状態の3人を庇いながら戦うのか。
 無理だ。
 ギギネブラは遠距離攻撃の術を持っている。それも毒弾ときたら、いくら凪でもどうしようもない。
 今4人と竜達の距離は50m弱といったところ。人ならば7、8秒はかかるだろうが、そんな距離竜にとっては有って無いに等しい。本気になればものの2秒で間を詰められるのは自明だ。
 問題は、その2秒で何ができるか―――。

(安全な場所といえばベースキャンプ、だが……)

 エリア2には障害物といった障害物がない。おまけに今はエリア4に近い場所にいるから、ここからベースキャンプに一直線に帰ったらまず間違いなく途中で追いつかれる。そうなったら―――奴お得意の技で毒死か、踏みつけられて圧死か、気絶させられて冷凍保存か、最悪生きたまま食われるかのどれかだ。
 今、冷静にかつ確実に対処ができるのは、凪だけ。
 菖蒲は頭は真っ白になっているだろうが、指示すればその通りに動いてくれるだろう。戦闘能力を失った子供2人を引きずって、遠回りながらもベースキャンプまで連れ帰ることができるのは、この場では彼以外いない。
 出来れば凪が護衛につきたいが、この竜たちが目の前に転がっている獲物を見逃してくれるほど甘いと考えるのは、よほどの無知かただの馬鹿だ。
 かと言ってひとり囮になるといっても、普通は数が多い方を竜は狙うだろうから、むしろ凪が無視されて3人が狙われる可能性の方が圧倒的に高い。

(どうする……!)

ギュ...

 1頭、凪から向かって右。ギギネブラの足元の雪が、軋んだ―――

―――それは、竜の足に力が伝わったということ。

 それを理解するより数コンマ速く、凪は汀を前方高く投げ飛ばすと岬を担ぎ菖蒲を突き飛ばした。呆然としている岬を雪に下ろすやいなや落ちてきた汀の背中と膝裏に見事に腕を差し込みキャッチ。
 数瞬前まで4人がいた場所は、紫色の毒煙に包まれていた。
 それを皮切りに、静寂が敗れる。

ギョォオアアアアアアア!!!!

(迷っている暇は……無い!)

「走れ!」

 双子の背を強く押し出すと、思い出したように駆け出した。菖蒲と一瞬目が合う。それだけで伝わるのは、長年離れていたとしても家族であるからか――…

「すぐ行く! エリア6で!」
落ち合おう。

 目があったのは一瞬。最後の言葉は飲み込んだ。必要無いと感じたからだ。菖蒲が頷いたのを気配で感じ、走り出す足音を耳にポーチからけむり玉を取り出した。3人が消えたエリア7方面への道に向かってそれを投げ、拭いたばかりの刀を鞘から抜き放った。一番近い1頭の頭を斬る。すぐに反撃に移られても逃げきれる、ぎりぎりの深さを狙ったそれは思いの外浅い一撃となってしまった。
 すぐそばで流れた同族の血の臭いにつられて、残りの3頭も凪に注目をあつめた。

「よしよし。それじゃあ……一丁、地獄の追いかけっこと洒落込もうか!」

 “気”を込めた刀が空を裂く。銀火竜の炎が凍土に燃え、それは紅蓮の壁となってギギネブラの足を止めた。
 涼やかな音をたてて刀を納める。

 それが始まりの合図。

 凪は雪に足を取られることもなく、渓流のケルビのように軽やかに走り始めた。向かう先はエリア3。そこには雪の隙間からわずかに生える草を求めるブルファンゴたちがいた。数は4頭。それを瞬時に脳内で数えるとひとり頷く。行ける。

「悪いね、利用させてもらうよ」

 腰から剥ぎ取りナイフを取り出すと、風のような速さで3頭の尻を浅く切った。切れ味より頑丈さを重要としたナイフだから、切るというよりは「裂く」が近いかもしれない。

ブヒィ―――!!

 四方八方に走り出すブルファンゴ。1頭はエリア5の洞窟へと向かい、もう1頭はエリア1に向かって行った。最後の1頭はエリア2へと逃げようとした―――そう、今凪が来た方面へと。

ヒギィ―――!

 つい最近、ユクモの地で嫌になるほどたくさん聞いた、甲高い断末魔。ファンゴのものだ。ギギネブラたちが迫ってきた熱源を凪と勘違いして襲いかかったのだった。
 それを目の端で捉えた凪は、ひょいと馬に乗るように平然と最後のブルファンゴにまたがって、ナイフをその尻に刺した。

ブヒィ――――!!!

 耳をしっかと握り、上下に激しく揺れながら猛進するファンゴをそのままぐいぐい操ってエリア4へ。鞘をファンゴの頭に叩きつけて昏倒させると、その場にいたファンゴたちも散らした。
 闇に棲むギギネブラは、その生活により目は退化し、光を感じない。ゆえに閃光玉という目くらましの常套手段が使えないのだが、それならそれで逃げようはいくらでもある。今回は、目が見えない代わりに熱源を感知してそれに襲いかかる習性を利用したのだった。
 エリア3から四方に分かれたファンゴたちと、そしてここエリア4でも分かれた生物の熱。ファンゴを昏倒させたのは、命が絶たれると、それもこんな寒い地方であると死体は一気に体温を失い、やがて凍り付くからだ。生きて、心臓が働き、血が体内を巡っている限り、生物は熱を維持し続ける。
 つまり凪は計7頭のファンゴを囮につかったのだった。
 エリア7、さきほど菖蒲たちが向かった場所へ駆けつける。落ち合う場所は洞窟を抜けたエリア6だ。
 飛竜などの大型竜ではくぐり抜けられない氷のトンネルを通る。立ち上がると同時に尻餅をついた。

「にいちゃ~~!!」
「兄さんッ!」
「クソガキ、無事か!?」

 よしよしと頭をなでてやった双子は凪が仕掛けをしている間に大分落ち着いたらしく、瞳にはいつもの聡明さと明るさが灯っていた。そこにわずかに揺れるのは、飛竜4体を相手にするという恐怖心である。

「マップは持ってる?」
「はい、僕が」

 ポーチから広げたマップの四方を石で抑えると、早速4人は膝を突き合わせて今後の対策を話し合った。

「その前にちょっと聞きたいんだが、岬、みー。君たちは最初に発見したネブラは結局倒したの?」
「いえ、流石に1日でネブラ討伐は僕たちにはまだ無理ですよ、兄さん……」
「そうか。ああ、気を落とさないで。事実確認をしたかっただけなんだ。さて、それじゃあサクサク話を進めるよ。質問があるなら最後に言うように。いいですね?」

 双子が元気良く、菖蒲はまだ緊張の糸を張ったまま固く頷いた。
 ゆっくりはしていられない。今はアイルーたちも穏やかにしているからいいが、ここも屋外であるから、空から来られたら逃げる場所がないのだ。そうなる前に伝えなくてはいけない。
 凪の、作戦とはいえないような作戦を。

「菖蒲兄。深血石のことですけど、今回はちょっと後回しにさせてもらいます。いいですね?」
「ああ、もちろんだ。今優先すべきはここにいる4人のことだからな。深血石はまた来ればいい」
「ありがとうございます。じゃあ次、逃走経路の確認をします。ここからベースキャンプまで、一番近道なのはエリア7、2を通って1に行く道なんだけど、それだとここで狙い撃ちされる可能性がある」

 エリア2を指でトントンと叩いた。3人が頷く。

「ので、暗くて不安になるかもしれないけど、こっち……エリア5、3を通って行く道を駆け抜けてもらいます。エリア5にはギィギがいるかもしれないから、足を止めずに走り抜けて。3にはブルファンゴがいたけどさっき俺がいろいろやったから、多分もう何もいないはず。居たら…岬、みー。頼むよ」
「あいあいさー!」
「任せてください。……あれ? 兄さんは?」
「俺は方々走り回って囮になる」

 空気が凍った。目を見開いた岬が、信じられないように首を横に振る。汀が、声を震わせた。そのまつげにみるみる湛えられた大粒の涙に胸が痛むが、それもこれも彼らを守るためなのだから、いくらでも我慢しよう。

「何……言ってんの、にいちゃ。嘘でしょ」
「いや。悪いがここは譲れない。みー」
「嘘よ…無茶だよ。だって、だってギギネブラ4頭なんだよ!? そんなクエスト聞いたこともないよ! 2頭同時狩猟だって、パーティを組んで行くのが当たり前なのに、なんでにいちゃがソロで4頭相手に……!」
「落ち着いて。いいか、今は時間が惜しい。よく聞くんだ、汀」

 名前を呼んだ凪に息を飲んだ汀の、その幼い手を上からきゅっと握り締めた。温かい、子供の体温。愛し妹のぬくもり。

「今、この場にいるのは汀、岬、菖蒲兄と、俺の4人。そのうち菖蒲兄は戦闘員ではないから、実質戦えるのは3人だ」

 菖蒲が唇を噛んだ。足でまといになってしまっているこの状況が悔しく、また凪たちに負担をかけているのがつらいのだろう。しかしこんな状況、誰も予測なんてできないのだから、悩むだけ損だ。そう言うと菖蒲は「また、お前は……」と苦笑した。

「その中で一番戦闘能力が高いのは誰?」
「……にいちゃ」
「そうだ。俺が行った方が一番効率がいい。それに、1人の方が遠慮なくなんでもできるからな。気が楽だよ」
「……」
「いいか、みー。岬もよく聞け。お前たちには大切な姉がいるだろう?」
「……雪姉」
「ああ、そうだ。雪路を救うには菖蒲兄の力が必要だ。わかるな?」
「うん」
「菖蒲兄を守ってほしいんだ。それが、ひいては雪路を救うことにもなる」

 分かってくれただろうか。覗き込んだ幼い少女の目は、さきほどよりも更に大粒の涙が溢れんばかりに潤んでいた。ぼろぼろと泣きながら、汀が必死に言葉を募る。

「でも……ヒック…でもね…にいちゃ。みーは、凪にいちゃのことも…守りたいんだよ……!」
「僕もですよ、兄さん…!」

 胸にタックルしてきた弟の方も、顔が歪んでいる。
 凪は、言葉もなかった。

(ああ、そうか。分かっていなかったのは、俺か)

 二人の頭を腕に抱えながら、胸に湧き上がるあたたかいものに微笑を浮かべていた。これから飛竜4頭を相手に取るというのに、それはまるで渓流の我が家で穏やかな朝を迎えたような、幸せな心地だった。

(2人はこんなにも俺のことを好いてくれているんだな……)

―――ならば、なおのこと。俺は、戦わなくてはならない。愛しい者のために。

 双子は凪の腕の中から顔を上げた。10年ぶりに会った兄は、自分たちも同じだけ年を経たはずなのに、あの頃よりも更に遠くへ行ってしまった気がする。
 穏やかな微笑みながらも、大好きな姉と同じその蒼い瞳には、決然とした光をたたえていた。
 それだけでわかってしまう。兄が、もう覚悟を決めたのだと。

「菖蒲兄を頼んだよ」
「……はい」
「……」
「汀」
「分かってる! ……にいちゃ。絶対…絶対帰ってきてね……?」
「もちろん。勝手に死んだら、地獄の淵まで追ってきそうな弟子もいることだしね。それに、可愛い弟妹を残しておちおち死んでやいられないよ」

雪路を、助けるまでは。

 つい言葉をそこの前で切ったのは、そのセリフをいったらまた何か言われそうだと直感したからだった。
 脳裏に浮かぶ、3週間顔を合わせていない2人の弟子の顔。藍色の髪の少女は、きっと凪が穏やかに三途の川を渡るのを許してくれそうにないだろう。口悪く罵りながら引き止めるのが容易に想像できた。赤金の少女はまた暴走する友人を青い顔で止めようとするのだろうか。思わず笑みがこぼれた。
 たったひと月弱会っていないだけで、随分時間が経っている気がする。そんな2人のことを考えるだけで、双子のときとはまた違った温かさが、凪を包んだ。

「ああ、そうそう。3人とも、ちょっと申し訳ないんだけど、念には念をというし、我慢してくれるかな」
「え?」
「こやし玉、持ってるね? それを服に擦り付けなさい。モンスター避けになるから」
「えええ!」
「うん、特にみーには本当に申し訳ないと思う。女の子なのに…。でも背に腹は代えられないから。それから念のため、ベースキャンプの周りの木にもこやし玉をつけるように。いいね?」
「はぁーい……」

 双子がいやいやながらこやし玉を手にごしごしと自分たちの装備をなでつけていたころ、凪は立ち上がって、自分より少し目線の高い菖蒲に笑いかけた。

「2人のこと、頼みました」
「言われなくても頼まれるっつーの」
「それから……」

 ちょっと、そこで言葉を切って、目を伏せる。何かを考えていたのだろう。再び蒼が菖蒲を捉えたとき、そこにはこれから狩りへと向かう者の、命の遣り取りを控えた者特有の、張り詰めたかがやきがあった。

「明日の朝、日が山間から昇ってもベースキャンプに俺が戻らなかったときは、俺は死んだものとしてグプタ町まで帰ってください。その際クエストの異常についてちゃんとギルドに報告するように」
「……分かった」
「まあ、なんとかなりますよ」

 緊迫した台詞から一転、いつものようにへらっと笑った凪が「それじゃあ」と足を氷の山へと向けた。

「どこ行くんだ?」
「エリア2ですよ。ここの崖を降りた下なんです。今頃先方、あっちこっちで俺のこと探してますから、喚んでやろうと思いましてね。これで」

 取り出したのは、角笛。モンスターの気を引くものとして重宝し、モノによってはそれが癒しの効果を秘めたり、筋肉をリラックスさせて攻撃力を上げる効果を持っていたりする。今凪が手に持っているのはそういった特殊なものではなく、ただの角笛のようだ。

「この笛が聞こえたら300秒数えて、それからさっき言ったルートでベースキャンプへ向かうこと。いいですね?」
「「はい!」」
「わかった。くれぐれも無茶はするな」
「……無茶はしなくても、無理はするかな」
「ッおい、クソガキッ!!」
「それじゃあ、また後で!」

 滑る氷の上を確かな足取りでひょいひょいと下っていく。まるで散歩に出るかのような鷹揚さに、汀も岬も安心して送り出した。
 何せ、相手が自分たちの兄、凪なのだ。いくらギギネブラ4頭といえども、きっと余裕で帰ってくるに違いない。
 そう、思っていたから。
 菖蒲でさえそう思った。だから、最後の皮肉のような台詞も、結局は苦笑で流したのだ。
 名残惜しそうな子供達の背中を押して、できるだけ空から見えにくい場所へ移動する。凪に言われていたことだった。移動するときは、できるだけ壁ぞいに行くようにと。それから、他の動物、特に草食動物が落ち着かない様子ならばすぐにそのエリアを離れるようにと。

(……待ってるぞ、クソガキ)

 誰が、弟のようなお前を“死んだもの”として見るものか。
 俺はお前の、“菖蒲兄”だろう?
 日が陰った。下の方、背中の氷壁越しに響く角笛の音。合図だ。小さく双子がカウントダウンを始める。
 カウントダウンが200を切ったころ、角笛よりも遥かに凶悪な咆哮が聞こえた。







******







「おいしい! これ、飽きませんね!」
「でしょう! それぞユクモ名物。何度食べても美味しいガーグァの温泉玉子!」
おいひい(おいしい)れふよねぇ(ですよねぇ)わたしこれ(わたしこれ)らいふき(大好き)れふ(です)~」

 木製の匙を片手にふんわりとした笑みを浮かべた白髪の少女は、嬉しそうにうなずいてまた一口、ぷるると震える温泉玉子を口に放り込んだ。ふわっととろける仄かな甘さと、貴重なカツオ出汁の絶妙な塩味加減が非常に美味で、頬が緩むのは抑えられない。
 それをそばでニコニコしながら見ている――否、1名一緒に口をもごもごと動かしているのは、言わずもがな、リーゼロッテとエリザだった。
 時はさかのぼってユクモ村、ナギ一行がいなくなってから1週間が経とうとしていた日。
 自分の病のために命を懸けて狩りに出かけた最愛の兄と家族の安全を毎朝毎晩祈る雪路を見かねたリーゼとエリザが、ナギからの頼みもあって彼女をユクモ村遊覧に誘っていた。といっても、それも今日でもう7日目。それほど大規模な村でもないため、やることやれることはほぼやり尽くし、残っているものといえばもう食うか寝るか風呂に入るかしかなくなってきていたころだった。
 そうこうしている間に3人はナギという男を蝶番に非常に親密になっていて、2歳の年の差など無いようにお互いをあだ名で呼び合うほどであった。

「そうねぇ、もう朝風呂には入ったし……」
「あ、そうだ! ユキちゃん、異国のお話してよ! わたしずっと気になってたんだ」
「ああ確かに! あたしも聞きたい!」
「もちろん! じゃあ、どこか……私の借りているお部屋に行きましょうか?」
「んー、ついでに一緒にお昼も食べちゃいたいし、あたしの家に来なさいよ。お昼くらいおごってあげるわ」
「ありがたくいただきます!」
「わーい! お料理わたしも手伝うー!」
「あんたには調理じゃなくて片づけの手伝いをしてほしいわね」
「ええ、どういうことよ!」
「さあ? どういうことかしらねー、ふふふ」
「深く考えたらだめです、リーゼちゃん!」
「ちょ、ユキちゃんも!?」
「あ、いえ、お料理ができないとかそういう意味ではなくて、えっと!」
「ああ! 直球で言ったあ!」
「す、すみません!」
「さっさと認めたほうが己のためってもんよ、リーゼ。ユキも気になんてしなくていいのよ。ふふ」
「もおおお!! なんなのよ2人してぇー! どーせね! どぉーせわたしは料理できませんよーだ!」
「「「あはははははははっ!」」」

 女3人そろえば(かしま)しというが、この三人娘もずいぶんにぎやかに通りを抜けると細道に入り、例によって赤い装飾が施されたエリザと彼女の祖父、父の住む家へと入った。当然2人は今鍛冶屋の方へと出払っていて、家の中には誰もいない。
 風通しのよい造りの家が一般的なユクモ村の例にもれず、ヴェローナ家の中も過ごしやすい室温になっていた。居間の天井から吊り下がっている紐を引っ張ると、電光虫を利用した証明が部屋を明るく照らした。
 お茶を入れ座布団に腰を落ち着けると、リーゼとエリザの向かいに座った雪路がふっと息をこぼした。

「さて……ではどんなことを話しましょうか?」
「そうねぇ……。…ねえ、ナギが生まれた、えっと、どこだっけ……ポケット村?」
「ポッケです」
「ああ、それそれ。そこのお話と、そうね、ナギの小さい頃のお話聞きたいわ」
「わかりました」

 懐かしげに目を細めた雪路は、1つ1つ思い出すようにゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 ポッケ村はご存知の通り旧大陸にあるいくつもの山脈のうちのひとつ、フラヒヤ山脈に近い雪山に抱かれた小さな村です。今はどうか知る術もありませんが、あのころ―――13年前、私が4,5歳のころは、ここユクモよりも小規模な、小さな村でした。
 本当のことをいうと、凪兄様も私も、正式な生まれ故郷というのはないんです。それが、旅に生きる者の宿命というか。どこかからどこかへの路の途上で、生まれたんでしょう。これは我がシノノメ楽団に限ったことではなく、キャラバンや普通の旅団、たとえば特定の本拠地を持たない商業旅団などにも言えますから、別段珍しいものではないんです。ただお兄様がポッケ村を出身地としたのは……たぶん、そこに一番思い出が詰まっていたからではないでしょうか。…たとえば、それが良いものでも、悪いものでも。
 ポッケ村は人口100人にも満たないような小さな村で、なぜシノノメ楽団が羽を休めたのかというと、ちょうど私の母が身重になったからです。ええ、汀と岬のことですね。つねに振動を受けているのは赤ちゃんにもお母様のからだにも良くないでしょうから、とりあえず近場の村に留まったのでしょう。幼くてあまり覚えていないのですが、どうやら悪阻もけっこう重かったようですし。
 雪山にあることからもわかる通りとても寒い地にある村なんですが、そこに生きる方々はみなさんとても温かい人ばかりでした。雪山草という草が特産品でして、これは「万病に効く」とそこそこ高値で売れる薬草なんですよ。寒さの厳しい地でしか生えないんですけど。お名前ぐらいご存知でしょう?

「ええ、聞いたことはあるわ。そうか、山村だから寒いんだ。…だからあいつ寒さに強いのかしら」
「あはは…さあ、お兄様はいつもご自分のことには無頓着でしたから……」

 困ったように笑った雪路は、お茶を一口口にふくむと、話をつづけた。

 そのころには、すでにお兄様は子供としてはあり得ないほどの偉才を放っておりました。それはもう……大人たちが怪しむほどに。

「なに、そんな子供の時からあいつ天才だったわけ。妬けるわね」
「さっすがわたしたちの師匠!」
「同時期に生まれた誰よりも早くひとりで立ち、歩き、言葉も恐るべきスピードで習得していったんです。しかも、誰も教えていないようなことまで知っていたそうです。周りの大人も知らないようなことを、学び舎にも通っていない3歳児が、小難しい単語を並べ立てて一から説明していったとか……。大人は、凪兄様を恐れ厭いました。…お兄様が、港お父様を苦手にしているのは、ご存知ですか?」
「ええ。ちょっと前に、聞いたことあるわ」
「エリザちゃんとリーゼちゃんは、お兄様も心を許しているようですしお話するんですが…。お兄様のお母様――天満深雪おばさまは、凪兄様を生んですぐに亡くなったんです。港お父様は奥様を亡くしてとても悲しみました。そして、彼女を―――いわば間接的に、殺してしまったお兄様を、恨むようになってしまったんです」

 静寂が落ちた。

「え……だって、仕方ないじゃない!」
「はい、そうです。いくらお兄様でも、いえ、それはお兄様でも誰でも関係なく、どうしようもないこと。運が、なかったこと……。……お父様も頭では分かってるんです。けど、どうしても心が―――深雪おばさまを愛した心が、お兄様を許すことができなかったんです……。その上、深雪おばさまを奪ったお兄様は、子供らしさのまったくない、恐ろしいほどの鬼才でした。それは学術においてだけでなく、身体能力などに関してもでした。弱冠6歳にして狩猟武器――太刀を持ち上げ、それを初めて手に取った1ヵ月後、たった1人で5頭のギアノスを倒したんです。ギアノスというのは、ここでいうジャギィのような小型の鳥竜種です……6歳児ですよ?」
「な……」

 それは、雪山草を取りに来ていたポッケ村の子供たちを守ろうとしたことでした。
 村からそれほど遠くなく、普通はそこまでギアノスが近づかない場所ですから、大人たちも安心して子供を遣いにやったんです。それは下は4歳、上は12歳くらいの子供たちでした。その中に、初めて太刀を握って以来背中にいつもそれを担いでいる凪お兄様もいました。もっていた太刀はもう使い物にならないような古い、誰かのお古だったようです。ほとんど、ただの鈍器のような。
 その日、いったい何がいけなかったのでしょう。いえ、誰も悪くなんてないのです。ただ、運がなかった。子供たちは、確かにその日、死神様のお迎えをいただいたんです。
 草むらから突然出てきた5頭のギアノスを前に、マフモフに身を包んだ子供たちはただ叫び声をあげて逃げるほかありませんでした。しかし、子供の足では簡単に追いつかれてしまって、数名の大きな子供たち以外の幼い子たちは、5頭のギアノスに周りを囲まれてしまったんです。
 そこから先、いったいどうなったのかはわかりません。ただ、命からがら逃げかえってきた子供の話を聞いた大人たちが、慌ててその場所へ向かったとき、目にしたものは―――

「―――真っ赤な血に染まった雪の中にたたずむ、血濡れた凪お兄様の姿でした。まわり、そう遠くないところには、恐怖に気絶している無傷の子供たちと、丈夫な皮をびりびりにされて、おかしな方向に体中が折れ曲がったギアノスの死体が5つ、あったそうです」

 そして、それ以来、ナギは村の大人たちに“鬼の子”と恐れ、敬遠されるようになっていった。

 死神の鎌を払いのける、鬼の忌み子。
 確定の死すら薙ぎ(・・)払う、母殺しの男児。

 人々の身の内に巣食うその恐怖は、ポッケ村からシノノメ楽団を追い出しかねない規模の大きな不安となって、幼い凪を襲った。

「その日くらいから、でしょうか。凪お兄様が、ますます、学術と鍛錬におぼれていったのは」


―――だって、村を守ることでしか、自分()の存在意義はなかったから。
 
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