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蒼き夢の果てに

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第5章 契約
  第74話 翼人

 
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 第74話を更新します。

 次の更新は、

 10月30日、『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第14話。
 タイトルは、 『降って来たのは雨。現われたのは黒い男ですよ?』です。

 その次の更新は、

 11月6日、 『蒼き夢の果てに』第75話。
 タイトルは、 『夜の森』です。
 

 
 かなり西の大空に傾いた夕陽を背に受けながら、高空を滑るように舞う翼ある竜(ワイバーン)
 眼下には地球世界のアルプス山脈。このハルケギニア世界の火竜山脈の夕陽に赤く染まった雄姿が広がる。

 十一月(ギューフの月)、 第二週(ヘイムダルの週)、オセルの曜日。



 あの十月(ケンの月)、 最終週(ティワズ週)、ダエグの曜日に始まった少女誘拐事件……いや、湖の住人グラーキーの事件の結果、俺が土の契約者と成り、それまでも十分過ぎるぐらいに忙しかった俺とタバサの日常は、更に目まぐるしい物に変化しました。

 先ず、元々熟していた任務。ガリアと言う国自体の霊的防御能力の向上は当然のように継続中。
 その上に、主要な都市にノートル=ダムの聖堂を建てる事が決定。
 ガリアの言葉で『我が貴婦人』を意味するこの聖堂は、表向きは、マルセイユの街の守護聖人スリーズを讃える聖堂として建設しているのですが、その実、古代の有る時点まではガリアを守護していた妖精女王ティターニアの姿形を模した像を聖堂に配置して居る段階で……。

 もっとも、ガリア王国とロマリアの間は、元々表向きは未だしも裏側ではかなり暗闘のような物が有ったようなので、この部分に関しては問題ないでしょう。
 そもそも、地球世界のガリカニズムに近い思想に従って、教皇特使でさえガリア国内では真面に行動出来ない状態ですし、ガリア国内の主流は新教徒の側が力を持って居ますから旧教のロマリアの異端審問局で有ろうとも簡単に動き回る事は出来ないようですしね。

 これで、急場で組み上げつつ有る各都市に存在する龍脈の掌握と、土地神のネットワークの中心に、表向きはブリミル教の聖堂。その実は、ガリアに古くから存在している大地母神からブリミル教の聖人として取り込まれた存在の聖スリーズに、もう一度、大地母神ティターニアとしての側面を取り戻させ、(聖堂)に神として勧進する事に因って霊的防御の要と為す事が出来ると思います。
 そう、これは西洋風の聖堂の形を模した、日本の神の社を作っていると言う事。

 これはかなり推測が混じるのですが、おそらく、その聖スリーズと言う存在は、元々、このガリアに存在していた大地母神への信仰を破壊する為にブリミル教がでっち上げたいい加減な存在なのでしょう。地球世界にもそう言う例は腐るほど存在していますから。
 そう。宗教とはひとつの兵器でも有るのです。
 元々、その地に有った思想や習慣。価値観などを破壊して、自分たちの思想や習慣。価値観などに染め直して行く為の兵器。

 元々存在して居た精霊や大地母神を悪魔として貶め、自らの作り出した聖人をその代わりに拝ませる。そうやって、この地に住んで居た人々の思想や価値観を一度崩壊させて、自ら……ブリミル教の都合の良い形に世界を形作って来たのでしょう。
 心を支配し、身体も身分と言う物で支配する。

 上手くやられたとは思いますが、未だ聖スリーズとして古の大地母神信仰の形が残って居るのなら、ここから巻き返す事は可能だと思いますからね。
 まして、偶像崇拝を禁止しているブリミル教では、学のない庶民に取って信仰し祈りを捧げる事は難しいはずです。
 何に対して祈り、願いを伝えたら良いか判り難いはずですから。
 其処に、非常に判り易い形で聖スリーズの像と言う物を提供したのですから、これからのガリアはこちらの方が主と成って行くでしょう。

 次の忙しくなった理由は、そのノートル=ダム聖堂の関係でガリア各地に広がりつつ有る疫病を収める作業。
 聖スリーズの御告げの元、マルセイユの少女行方不明事件。実際は、湖の住人グラーキー顕現に関係する事件を解決した際に、その方便として使用したマルセイユの街の疫病騒動が沈静化すると言う事を為したが故に、他の地方にも広がりつつ有った疫病に対する対策を早急に行わなければならなくなり……。
 要は、その聖人様の権能を広く知らしめる為に必要な処置と言う事なのですが……。

 それで、現在では、新たに俺と契約を交わした妖精女王と大地の精霊ノーム、各地の土地神が中心と成って未だ手を掛け始めたトコロの龍脈の掌握とノートル=ダム聖堂の建設。
 湖の乙女と水の精霊ウィンデーネ。そして、タバサの式神の泉の乙女を中心にして、ガリアに広まりつつ有る疫病対策を行う。

 ハゲンチとハルファスはそれぞれの職能を生かして王都リュティスで物資の調達。
 ダンダリオンはイザベラ王女と共に王宮の奥深くで悪巧みの最中、と言う状況と成って仕舞いました。

 そして、残る俺とタバサはと言うと……。



「それで、今度の任務地。カントン・ド・サンガルのゴアルスハウゼンの村に付いて教えて貰えるかな」

 俺の隣で和漢に因り綴られて書籍に視線を上下させていた少女に対して、そう尋ねた。
 そう。今回は北花壇騎士団所属の騎士。00893号ことタバサと、004989号こと俺に下された任務でそのゴアルスハウゼンとか言う辺境の村に送り込まれる事と成ったのですが……。

「ガリアとゲルマニアの国境に存在する小さな村。村の直ぐ傍にライン川が流れる」

 自らの手元に落としていた瞳を俺の方に向け、普段通りの小さな声で呟くようにそう答えるタバサ。
 ただ、俺の感覚から言うと、現在、俺たちの乗るワイバーンの下に広がって居るのは地球世界のアルプス山脈の絶景で有る以上、その向かう先。ガリア東部に存在するヘルヴェティア地方とは地球世界のスイスの事だと思うのですが。
 まして、その地方にはスイスとドイツの国境沿いに流れる河。ライン川も存在するようですし。

「そうすると、そのゴアルスハウゼンの村の近くに流れるライン川は、父なるライン川の流れの中でも一番流れが急で、航行中の船の多くが沈んでいる、とか言う話はないのか?」

 嫌な予感。……いや、嫌な予感と言えばもっと大きな物。今夜がスヴェルの夜だと言う事実以外に、もうひとつ気に成って居る内容を問い掛ける俺。
 そんな、俺の問い掛けに僅かに瞳のみで首肯いて答えるタバサ。その瞬間、彼女の紅いフレームにかなり傾きつつある太陽の、十一月に相応しい弱々しい光りが反射された。

 成るほど。ライン川でゴアルスハウゼンと言う事は、かなり有名な妖精、もしくは妖鳥が存在して居ましたか。
 もっとも、

「その船の転覆にローレライと言う名前の魔女が関わって居る、などと言う伝説はないよな」

 そうやって、少しの軽口で重く成りつつ有った雰囲気を和らげて置く俺。
 そんな俺の言葉に対して、蒼き少女は律儀に小さく首肯いて答えてくれたのでした。



 尚、これから向かう村での仕事は、龍脈を掌握し、土地神をガリアの支配下に置く以外にもうひとつ大きな物が存在しています。
 それは、この地方の主要な産物のひとつ、木材について起きて居る問題を解決する事。

 確かに、ハルケギニア世界は中世ヨーロッパと似た状況の世界ですから、建築に木材を大量に必要とする訳ではないのですが……。
 それでも、家具などには当然のように木材を使用しますし、更に、今年の夏以降、ガリアに取って木材を安価で大量に手に入れられる地域の重要性は増しましたから。

 確かに、元々、このハルケギニア世界にも紙は存在して居ました。
 しかし、それは古い布を再生してから作り出す、非常に質の悪い紙。
 まして、家畜を消費する際に発生する皮を転用する羊皮紙なども大量に出回る為に、わざわざ質の悪い紙などを使用せずとも良い状況が出来上がって居ました。

 更に活版印刷なども一般的では有りませんでしたし、庶民の識字率に関してもかなり低い状態。これでは書物を必要とするのはごく一部の特権階級だけですから。
 この部分に関しては、俺の周囲。タバサや湖の乙女。それに、イザベラなどは例外中の例外。その三人に関しては、非常に恵まれた立場の人間だったと言う事です。

 しかし、このガリアではその状況は変わりつつ有ります。
 この九月(ラドの月)より実験的に稼働を始めた地球世界の製紙工場が産み出す、木材パルプを使用した質の良い紙と、
 これも実験的にハルファスに因り調達して貰った活版印刷の機械に因り、情報の大量生産や大量消費が可能と成る芽が、このハルケギニア世界でも作り出されたと言う事。

 結果、良質の木材を産するこの地方から、大量に木材を伐り出させるような状態と成って居るのですが……。

 但し。

「その事に因り生息域を侵される事と成った翼人との間にもめ事が発生した」

 確かに、俺が起こした風が徐々に強く成って行った結果、発生した嵐ですから、イザベラが言うように俺が行って解決するのが正しいのでしょうが……。
 それにしても、事件解決の為に派遣する騎士の能力に関して、もう少し向き不向きを考えてから送り出した方が良いような気もするのですけどね。

 更に……。

「その翼人と言うのは、ハルファスのように背中に鳥の羽を持つ亜人で、裏ではガリア王家に仕えて居る連中と言う事か」

 少し……。いや、状況をかなり厄介にしているのがこの部分に関して。

 翼人と呼ばれる存在は、亜人で精霊魔法の使い手。ハルファスと同じような見た目と言う事は、西洋ではハーピーやハルピュイアなどと呼ばれる風に属する種族の一種だと言う事なのでしょう。そしてブリミル教の教えに従うと、精霊魔法を使う存在は悪魔と成るようなので、エルフなどと同じように嫌われている存在だと言う事。
 ……に成るのですが。

 ただ、ガリアの王家に流れる夜魔の王の血の作用と言うべきか、それとも、使える物は少々の禁忌に触れる物で有ろうとも使え、と言う非常に合理的な判断に因る物なのかはっきりしませんが、(くだん)のゴアルスハウゼンの村人と問題を起こしている翼人の群れと言うのは裏ではガリア王家に忠誠を誓っている存在たちらしいのです。
 確かに、火竜山脈やラインの急流に守られた天然の要害に等しい同地では空を飛べて、更に飛竜などよりも小回りが利き、系統魔法に対して圧倒的に有利な精霊魔法を行使する翼人を傭兵として雇い入れた方が有効なのは間違い有りません。

 まして、地球世界のフランスに置けるスイス人部隊。ギャルド・スイスと言う連中は歴史に名前を残して居ますから、それにファンタジー色を着けたハルケギニア世界ヴァージョンだと考えると、この世界に取って部外者の俺から見ると、そう奇異な物でもないのですが……。

 故に、表向きは直接のガリア王家と、ヘルヴェティア地方の翼人とは交渉を持って居る事は明かされて居ませんが、裏では翼人に必要な物資をガリア王家が供給する代わりに、山間部の警戒や、有事の際の援軍などを約束している間柄らしいのです。

 しかし……。
 しかし、そんな事を知って居るのはガリア王家と、ヘルヴェティア侯爵家に繋がる一部の人間のみ。
 流石に、この問題単独でロマリアの異端審問官や異教検察官に大挙して踏み込まれる、などと言う事はないのでしょうが、それでも、多少なりとも後ろ暗い事で有るのは確かなので……。

 故に、事態が破滅的な状態に成る前に。更に、ガリア王家と、翼人たちとの盟約が表沙汰に成る前に、この状態の火消しを早急に行う必要が出て来たと言う事なのです。

 ただ……。
 ただ、ここでため息をひとつ。

 今回の任務は、寡黙なタバサとこの世界的にはイマイチ不慣れな俺。
 確かに、交渉事がそう不得意と言う訳では有りませんが、生まれた時から生活を続けて来ていた世界とは価値観や生活様式、考え方に至るまですべてが違う世界ですから、確実に双方を舌先八寸で丸め込めるとは限りません。
 まして、今宵はスヴェルの夜。この世界にやって来てから、厄介な事件が起きる可能性が異常に高い夜ですから……。

 そう考えながら、地上に目を遣る俺。
 其処には、夕陽に赤く照らし出された火竜山脈の高き山々の絶景が広がって居たのですが、その赤き光りに沈む山々の景色が、今の俺には世界が血に染まったかのように見えて……。
 何故だか、その瞬間。言い様のない寒気のような物を感じたのでした。


☆★☆★☆


 ゴアルスハウゼンの村に向かう街道沿いの空き地にワイバーンを着陸させ、後は歩いて村に向かおうとしたその時、非常に馴染みの有る臭いに気付く。
 いや、臭いとは言っても、実際に鉄臭い臭気に満ち溢れていると言う訳では有りません。ただ、周囲を支配する雰囲気の中に、何か殺伐とした田舎らしい長閑とは言い難い雰囲気が微かに存在していた、と言う事なのですが……。

 周囲に視線を巡らせながら、同時に慎重に気を探る俺。

 感じるのは遠くから聞こえて来る夜の足音。風に吹かれざわざわと……。ざわざわとざわめく木々。何処か遠くから聞こえて来る鳥の声。
 近くで戦闘が起こって居たり、俺やタバサに対して直接の悪意を向けて来る存在が居たりする気配を感じる事は有りません。

 そして同時に装備のチェック。

 ――――物理反射。魔法反射。呪詛無効化の形代も装備済み。
 不意打ちで有ったとしても、この状態ならば、大半の攻撃に関しては一度だけならば完全に無効化が可能。

 ワイバーンから降り立つと同時に臨戦態勢を取った俺の傍らで、同じように自然な立ち姿ながらも、周囲に警戒の気を放つタバサ。
 周囲は秋の山道に相応しく、赤や黄色に色付いた木々が多く見受けられる落葉広葉樹が主と成った雑木林。
 流石に、火竜山脈に含まれる地域だけ有って、地球世界のスイスのこの地方とは植物の植生も違い、おそらくはもっと南の方に見られる木々が主と成って居るように見受けられる。

 そうして――

 俺は有る一方向に視線を集中させてから、無造作にその雑木林の方に近付いて行く。
 そして、俺の後方を護る位置に自然な様子で付くタバサ。但し、雰囲気としては殺伐とした雰囲気では有るが、戦場の緊張した危険な雰囲気とは少し違う状態。
 何と言うか、戦闘が終わった後の雰囲気に近いと言えば近いのですが……。

 その割と人の手の入った……。つまり、下草などが刈られて、木々の根本の方まで風通しの良い状態に維持されている雑木林を少し進むと、

「この女性が、翼人と言う存在なのか?」

 背後に着いて来て居る蒼き少女に対して問い掛ける俺。
 俺の立ち止まったその視線の先に存在する繁みの中に、一人の少女が横たわって居たのだ。
 そう。全体の印象として言うのなら、黒い女性。黒い髪の毛。黒い服。そして、黒い……。まるで、鴉のような。いや、天の御使いとは対と成る存在として絵画などに描かれる存在が背中に持つ黒い羽根。
 そんな黒い女性が秋の夕陽が支配する世界の中心に横たわって居たのでした。

 タバサから同意を示す気配が発せられた。
 それと同時に、俺の方がその繁みに倒れ込む女性に近付き助け起こす。

 その瞬間、むっとするような臭気と、ぬるりとした嫌な感触を手に感じた。
 うつ伏せに成って倒れて居た女性……。顔や身体付きから推測すると少女と言って良い雰囲気。但し、タバサやイザベラの話から想像すると、人間と比べるとかなり平均寿命が長いようなので、本当に見た目通りの年齢で有るとは限らないのですが。
 その、うつ伏せに成って倒れて居た女性は身体中に酷い手傷を負って居た。

 現在も出血を伴う腹部を切り裂いた傷は、かなり鋭利な刃物で切り裂かれた傷なのか一直線に線を引いたように切り裂かれて居り、このまま放置すれば間違いなく致命傷と成る大きな傷。
 そして、身体の各部に存在する細かな裂傷の類は、おそらく上空から落ちて来た際に、枝を引っかけた時に出来た傷。不自然に折れ曲がった黒い羽根に関しても、その際に骨が折れたのでしょう。

 何故ならば、彼女が倒れて居る場所だけは下草が荒れているのですが、他の箇所に関してはそんな雰囲気もなく、もし、彼女が歩いてこの場所にやって来たのなら、周囲に点々と続いて居るはずの血の跡も、ざっと見回した限りでは発見する事は出来ません。
 まして、彼女の頭上に存在している樹木のみ枝が折れ、そこから、そろそろ紅から蒼に変わりつつ有る世界の色彩を伝えて来て居ましたから。

 抱き起した少女は完全に意識を失っているのか身じろぎひとつ行う事はない。ただ、微かに続けられる吐息のみが、彼女の生命の灯がかき消されていない事の証明で有るのは間違いなかった。
 そう。彼女は辛うじて息をしていました。普通の人間ならば間違いなく生命を失って居たとしても不思議でも何でもない程の出血が地面に赤黒い染みを作り上げながらも、彼女は息をして居てくれたのですから。

 これならば、

【シルフ。治癒魔法を頼む】

 【念話】で、今回の任務に連れて来た式神の内、治癒魔法を一番得意とする風の精霊シルフに対してそう依頼を行う俺。
 この状態ならば、確実に彼女を救う事が出来るはずです。
 そして同時に、

「タバサ。周囲に敵の存在を感知する事はないか?」

 ……と問い掛ける。
 そう。吸血姫へと覚醒をしたタバサの方が、龍種の俺よりも感知。悪意や危険を察知する能力には長けて居ます。俺の感知では、現在、周囲に敵の存在を察知するような事は有りませんでしたが、タバサは違う答えを得ている可能性もゼロでは有りません。

 しかし、

「周囲には敵意を発する存在を感知する事はない。但し、現在、この場所に近付いて来る複数の人間を感知している」

 普段通りの平坦で抑揚の少ない口調でそう答えるタバサ。
 そして、更に続けて、

「既にこの地に霊的な砦を構築済み。しかし、その翼人の女性の怪我の処置を行うのなら、ゴアルスハウゼンの村に運ぶ事を推奨する」

 普段にも増してやや硬い声質でそう提案して来る彼女。
 確かに、こんなトコロで治療するよりはその方がマシと言えばマシなのですが……。それに、この翼有る少女の方にしても、こんな大地の上に寝転がされた状況で目覚めるよりは、それなりの寝台の上で目覚める方が良いでしょうし。

 但し……。

「もし、この娘を傷付けたのがゴアルスハウゼンの住人だった場合、争いの火種を村に持ち込む事に成らないか?」

 シルフの治癒魔法により出血も収まり、落下した際に負った傷も癒えて今にも途絶えそうで有った息も穏やかな物に変わって来ている。そんな少女を、彼女を傷付けた可能性の有る人間が住む村に連れて行くのは……。
 まして、俺の感知にも、タバサの言う接近中の複数の人間の気配を察知しました。この感覚からすると考える時間は五分から十分程度が残されているだけでしょう。

 やや、雰囲気からすると殺気立った雰囲気を発して居るトコロから、俺たちのワイバーンの着陸を見て、警戒しながら近付いて来ている連中の可能性も有りますか。

「タバサ、質問や。ゴアルスハウゼンのような田舎の村に、翼人にこれほどの怪我を負わせるだけの術や技を会得している魔法使いが存在している可能性はどの程度存在している?」

 ここで一度、ゴアルスハウゼンの村人たちとの接触を避け、シルフの転移でオルレアン屋敷に戻り、其処でこの翼人の少女が意識を取り戻すまで待ってから話を聞き、再び、ここに転移魔法を使用して戻って来る。
 これが、第一の策。

 ここで、その接近して来る連中。その連中がやって来る方角にゴアルスハウゼンの村が有る以上、接近中の殺気を孕んだ連中は、ゴアルスハウゼンの村の連中で有る可能性が高い。その連中と接触してから彼らの村に行き、其処で、今の状況について話を聞く。
 これが第二の策。

 この翼人の少女を連れて行くか、それとも行かないかは、微妙な状態。

「精霊魔法を行使する翼人を相手に、人間のメイジが単独で戦って勝利するのは至難の業。おそらく、彼女を傷付けたのはゴアルスハウゼンの村人ではない」

 俺を見つめた後に、僅かに首を左右に振ったタバサがそう答えた。
 確かに、こんな田舎の村に、トライアングルとか、スクウェアクラスの魔法使いが居る可能性は低いですか。
 それも複数の。

 但し、そうだとすると……。

「またもや、表面上に見えていない厄介事が進行中と言う事か」

 ため息交じりの一言をそう呟く俺。これで、この翼人の少女をオルレアン屋敷に連れて帰ってから再びここを訪れる、と言う選択肢を選ぶ事は難しく成ったと言う事です。
 そう。どうやら、今月のスヴェルの夜も無事に終わる事はない、と言う事なのでしょう。



 怪我をした翼人の少女を俺が抱き上げてワイバーンを待たせて有る場所に戻った後、然して待つまでもなく現れる、手に弓矢を持った男たち。
 その数、十人程度。

 空き地と街道の境界線上からコチラを警戒しつつ窺っていたその連中が、ワイバーンの背に乗せられた翼人の少女と、タバサの手の中に有る彼女の身長よりも大きな魔法使いの杖を認めてから、その中心に存在していた壮年の男性が一歩前に出て来る。
 そして、

「騎士さま方は、王都リュティスの方から派遣されて来た騎士さま方でしょうか?」

 ……と、問い掛けて来た。その口調は丁寧な物。更に言うと、彼の後ろに居る連中も武器。弓を構えるような真似をする様子もなし。
 但し、未だ警戒を解いた雰囲気は有りませんが。

「如何にも。此方の御嬢様がガリア花壇騎士に任じられているタバサ御嬢様。そして、私は騎士従者のルイス・ティッサと申します」

 蒼髪蒼と紅の瞳と成った俺が、ガリアから与えられた偽名を名乗る。その態度はハルケギニア世界の一般的な魔法使い……貴族と呼ばれる連中が平民に対して行う態度とは多少違う雰囲気で。
 もっとも、これから事件の捜査を行おうと言う人間が、この世界の貴族に相応しい態度でその事件の当事者たちに当たったトコロで、有益な情報を得られない可能性が高くなるばかりで益がない、と合理的な判断の元でのこの対応だった訳なのですが。

 このやり取りが終った瞬間、この場に現れた連中に明らかな安堵の色が浮かんだ。
 そして、

「流石は花壇騎士さまです。到着早々、翼人を一人退治してくれるとは。村長としては感謝の言葉も有りません」

 一同を代表して声を掛けて来た壮年髭面の男性。如何にも山間部に住む男性と言う雰囲気の身体の大きい、そして、周囲の連中に比べると、多少は着ている物の質は良いようにも見える男性。
 ただ……。

「あ、いや、この翼人の少女に関しては、我々がここにやって来た時には既に傷を負って倒れて居たので、私と御嬢様が直接手を下した訳では有りません」

 まさか、こんな説明のような台詞をタバサが口にする訳は有りませんから、引き続き俺が説明を続ける。
 まして、これはウソ偽りのない事実。

「我々が命じられた任務は翼人と、ゴアルスハウゼンの村人との間に起きた諍いの解決で有って、翼人を根絶やしにしろ、などと言う命令は受けては居りません」

 どうも、自分たちに都合の良い解釈をしている村長以下の村人たちに対して、そう伝えて置く俺。それに、そもそも翼人を根絶やしにしろ、などと言う命令を出すと困るのはガリア王家の方。ガリア王家と翼人の良好な関係を捨ててまで、この辺りの地方から木材を得なければならない理由が今のガリアに有る訳では有りません。

 何故ならば、高レベルの系統魔法使い数人分の能力を誇る傭兵を雇い入れる事が、翼人との関係を良好に保つ事が出来たのならば可能なのですから。

 俺の言葉に、この場にやって来たゴアルスハウゼンの男性たちから、明らかな落胆の色が発生した。ただ、その状況から見ると、この翼人たちと彼らの間に存在する諍いの根深さが窺えると言う物でしょう。
 もっとも、所詮は田舎の村と翼人との諍いですから、俺やタバサの持って居る能力で解決出来ないレベルの諍いと言う訳ではないとも思いますが。

 そう考える俺の直ぐ傍を、十一月半ばのスイスに相応しい風が吹き抜けて行く。
 そして、その風を感じた事に因り、ワイバーンの背に乗せられた翼人の少女と、自らの傍らに立つ蒼い少女に意識を向ける俺。
 精霊の加護を受ける今のタバサに寒暖の差が影響を及ぼす事は少ないのですが、未だ意識の回復しない翼人の少女に関しては、そう言う訳にも行きませんか。

 それに何時までも立ち話を続けて居ても意味はない。まして、幾ら火竜山脈の外れとは言っても、早々、熱い訳は有りませんから……。

 一度、村人たちの方向から視線を切り、紅から蒼に移りつつある世界の中に立つ少女に視線を向ける。
 俺の視線とその意図に気付いたのか、彼女は俺だけが気付く程度の仕草で微かに首肯いて答えた。

 成るほど。ここにこれ以上留まる理由はない、と言う事ですな。
 それならば、

「取り敢えず、ゴアルスハウゼンの村に行ってから詳しい話を聞きたいのですが、案内して貰えるのでしょうか?」

 ……と、村人たちの方向に再び視線を戻した俺が問い掛けたのでした。


☆★☆★☆


 ガリア国境沿いに有るゴアルスハウゼンの村は、人口三百人未満の、ガリアでは辺境に存在するごく有り触れた村のように俺には感じられた。
 村の主要な産業は林業。ただ、火竜山脈の御蔭で、地球世界の同じ地方と比べると寒冷ではない為にある程度の農業も行える地方。まして、これから先はジャガイモを普及させて行く予定ですから、このような村でも喰うには困らない程度の食糧を得られるように成って来るでしょう。

 その村の村長の屋敷……とは言っても、ハルケギニア世界にやって来てから一番粗末な家がコルベール先生の研究室なら、その次か、その次ぐらいに当たる家だったので……。
 その屋敷の中で一番良い部屋に通されたタバサと俺。更に、嫌がる村長に、もしもの際は騎士の誇りに掛けて村民を護ると宥めすかして、未だ意識を取り戻さない翼人の少女も同じ部屋に連れて来て居ます。

 もっとも、タバサの言葉通りならば、翼人と言う存在はそれほど好戦的な種族と言う訳でもなさそうですから、精霊を友と出来る俺やタバサが出向いて行けば、現在起きて居る問題もそう拗れる事はないとは思いますけどね。

 そんな事を考えながら、表面上は不満げな様子を一切見せない村長。そして、普段通りの透明な表情でマイお箸を持参しての食事中のタバサ。テーブルの上には質素な雰囲気ながらも量だけは多い食べ物が乗せられている、村長宅の一番良い部屋をぐるりと見渡す俺。
 其処には質素ながらも頑丈な作りのテーブルと人数分プラス一の椅子。そして、現在は翼人の少女が眠って居る寝台と、更にもうひとつの寝台。
 そして、ガラスの存在しない、木で出来た空気を入れ替える為だけに存在する窓が有る部屋でした。

 成るほど。何となく、首肯くしか出来ない状況ですが、灯り用のランプが有るだけマシと言う事なのでしょう。
 まして、暖房器具の類も存在していないのですが、その部分に関しても炎の精霊サラマンダーを連れて居る俺とタバサならどうとでも成りますし。

 其処まで確認してから、俺は出された食事には手を出す事もなく、

「それで、我々はこの村と翼人の間に起きた諍いを解決するように、と命令を受けてやって来たのですが、その諍いとやらの詳しい内容をお聞かせしては貰えないでしょうか」

 ……と、問い掛けた。

 もっとも、食事に手を出さなかったのは、俺が任務に熱心だったからや、騎士従者として、主のタバサが食事を終えた後でなければ、出された食事に手を出してはいけない、などと言う決まりが有ったから、などではなく……。
 元々、俺自身に多少偏食の気が有ったのですが、こちらの世界にやって来てからはそれに更に拍車が掛かり、こう言う外回りのお仕事の時は、ハルファスが居ないと非常に辛い状況が訪れる人間と成って仕舞いました、……と言う訳なのですが。
 ただ、それ故に、食事に一服盛られる可能性は非常に低い人間と成ったのは確実なのですけどね。

「元々、我々と翼人との関係はお互いを干渉せず。双方、それなりの距離を置いて暮らして来て居たのですが……」

 俺の問い掛けに壮年。三十代から、よく行っても四十代前半と言う程度のベルナール村長が訥々と語り出す。
 身長に関しては俺とそう変わらない雰囲気ですから百七十五センチ以上。体格は見た目が俺の倍以上。茶色の髪の毛に髭に覆われた顔。藪の中から突然に顔を出せば熊と思われる事は間違いなし、と言う人相風体。
 村長と言うよりは山賊……と言うほどやさぐれている訳でもないので、木こりの親分と言う雰囲気ですか。

 ただ、彼の言葉の中には、多少の後ろめたさのような物が存在しているのですが……。

「元々、この辺りは農業には適していない痩せた土地。そして、村人は痩せた農地を耕しながら、木こりを営み暮らして来ました」

 其処に降って涌いたようなこの木材需要の沸騰。まして、確かにそれまでも木材の需要は有ったでしょうが、そう多くはなかったとも思いますから。
 何故ならば、この世界には魔法が有り、重要な家や家具類には固定化や強化と言う魔法が施され、経年劣化とは無縁の存在と成ります。

 まして、錬金術と言う魔法も有るので、貴族の邸宅や家具は無理に伐り出された木材を使用する必要はなかったので……。

「それでも、伐り倒して行った事によって山に木が少なく成って行き……」

 商品として出荷出来る物が無くなって、お互いに干渉しなかった翼人の生息域に手を出して、そこで衝突が起こったと言う事ですか。

 成るほどね。
 確かに、このハルケギニアと言う世界は地球世界の中世。貴族が支配する世界なのですが、その割には貨幣経済が発達して居る雰囲気です。それは、こんなガリア辺境の村でも変わりがない、と言う事なのでしょう。
 本来の中世ならば、辺境の方では未だ物々交換が主。貨幣は、その価値を万人が認めない限り、単なる金属の塊でしか有りませんから。

「つまり、伐り出す木材が有ったなら、無理に翼人の生息域に入り込むような真似をしない、……と言う事なのですね」

 意外とチョロイ任務だった。そう考えながら、流石に表面上は落ち着いた雰囲気でそう質問を行う俺。
 その俺の問い掛けに、かなり訝しげな雰囲気ながらも、首肯いて答えるベルナール村長。
 但し、

「しかし、近場の木は未だ若い木ばかりで高く売れる木は、翼人が棲んで居る辺りにしか、もう有りませんから」

 貴族相手にしては、意外にもあっさりと否定の言葉を口にするベルナール村長。どうも、トリステインと比べると、この辺りの地方は身分の差に因る言葉使いに対して五月蠅くないのか、もしかすると俺やタバサが子供だから侮って居るのか。
 多分、両方ですかね。

 それに、俺が良く知って居る平民と言うのは魔法学院に勤めている使用人たちですから、彼ら彼女らは、貴族の屋敷で仕えるだけのある程度の教育も受けて居るはずですか。
 当然、その中でもっとも重要なのは礼儀作法だと思いますしね。
 彼らの対応を世間一般の平民の対応だと考えるのも、多少はズレを生じさせる可能性もゼロではないと言う事なのでしょう。

「その若木を一気に生育させる魔法が存在しますから、その魔法で一時を凌いで、後は徐々に植林を続けて行けば問題ないでしょう」

 そうあっさり答える俺。まして、木行の俺と水行のタバサがやって来て、一番対処し易い仙術でも有ります。
 これまでにも、何度も行使して来ましたから。

 それに、確か地球世界のヨーロッパも、都市の建物の建築の為に多くの木材が伐採され、三圃制や四圃制の実施により多くの農地が必要に成った為に、更に森や山から木材が伐採されて行った結果、かつては多くの森林が存在していたヨーロッパから森が消えて行った、……と言う歴史が有ったはずですか。
 森を聖域と考えて居たケルトの民が、キリスト教に迫害されて行くに従って、森が失われて行ったのも事実ですし。

 そんな地球世界の歴史の流れと比べると、このハルケギニア世界の時間の流れはゆったりとした物なのですが、それでも、その流れに徐々に乗り始めたトコロ、と言う感じなのでしょう。
 それならば、森や山の木が伐採されて尽くして取り返しが付かなくなるその前に、植林と言う考え方を教えて行っても良いはずです。

「その植林と言うのは?」

 俺の思考を遮るように、そう問い掛けて来るベルナール村長。確かに、森を育てるなどと言う思想は、中世の人間には有りませんか。

「樹木と言う物は育つのに時間が掛かる物です。確かに、樹木を急速に成長させる魔法も存在しますがこれはかなり難しい魔法ですから、例えメイジだと言っても誰にでも唱えられる魔法では有りません」

 知らないのなら教えてやれば良いだけ。まして、効率の良い植樹のやり方は後にダンダリオンにでも聞けばあっさりと教えて貰えますから、日本のようにスギ花粉症の患者が続出するなどと言う未来は訪れる事はないとは思いますしね。
 それに、木材パルプの原料となるのは生育の早いポプラの木などが主だったはずですから、それ以外に何種類かの、この地域に生えて居る樹木を中心に植林して行けば、偏った木だけが存在する不健康な森と言う物が出来上がる事も防ぐ事が出来るはずです。

「木を伐り続けると当然のように資源が枯渇する。しかし、樹木が育つには時間が掛かる。ならば、樹木を伐って、その伐った場所に次の苗を植える。
 そして、その苗を育てながら次に伐った木の場所に苗を植え育てる。
 これを繰り返して行けば、資源が枯渇する事もなく山から木を伐り出し続ける事が出来ると言う事です」

 俺の説明に納得したのか、しきりに首肯くベルナール村長。
 そして、

「確かに、騎士様の魔法で一時を凌げるのなら、それ以後は私どもでもその方法は可能」

 かなりの陽の気を発して居ると言う事は、彼は前向きに俺の話を聞いてくれていると言う事。
 まして俺の説明が理解出来たのならば、

「それに、その方法ならば翼人たちと争う必要などなくなる」

 元々、この翼人たちとの諍い自体が、人間が自然……精霊の領域に踏み込み過ぎたから。そしてその理由が、自らが招いた自然破壊に目を瞑り、あまつさえ、その破壊を広げようとした事に始まっている。
 自らの欲望を満たす為に……。

 その事が判って居たから、事情を話す時に村長は多少の陰の気を纏って居たのですから。

「取り敢えず、今晩はこのままこの村に泊まって、明日、近場で木を伐って仕舞った場所で私と我が主の魔法を御見せ致しましょうか」

 まさか、その部分を疑って居るとは思いませんが、それでも一応、そう言って置く俺。
 それに、今晩、これから能力を示す……と言う選択肢は有りません。

 何故ならば今宵はスヴェルの夜。今までの例から言うと、何度も危険な事件に巻き込まれる事と成った夜。
 流石に、こんな夜にわざわざ外を出歩くような危険なマネは出来ませんから。

 その瞬間、それまで俺とベルナール村長のやり取りを聞き流しながら、ただ黙々と食事に勤しんでいたタバサが静かにその箸を置いた。

「それでは、騎士さまの御食事も終わった事ですし、今日はこれからゆっくりとお休みに成って、明日に備えて下さい」

 
 

 
後書き
 意外と真面な……。原作小説版の翼人関係の御話と大きな違いはないオープニングです。
 もっとも、翼人をスイス傭兵としている辺りが、大きな改変点だとは思いますが。
 それに、物語の舞台と成って居る地方も違いますか。

 それでは次回タイトルは、『夜の森』です。
 既に、原作から大きくずれているのが判るな、このタイトルだと。

 追記。大きなネタバレ。
 主人公の動きに因って木材の価格が上昇したのは事実です。
 しかし、それだけが理由では有りません。
 木材を買う側に、この地方産出の木材でなければならない理由と言う物が存在して居ます。
 
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