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占術師速水丈太郎  ローマの少女

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第四章


第四章

「言うならば歴史の上に存在している街」
「その通りです」
「ですから地下にもまた歴史が眠っている。そうですね」
「はい、おわかりでしたか」
「ずっとローマには憧れていたので」
 彼はまた述べた。車の窓の外からはその歴史が見える。二千年以上、伝説では軍神アレスの息子ロムルスとレムスにより築かれた街の歴史が。この街からローマ帝国が興り、キリスト教が世界に広まり、ローマ法が制定されたのである。ローマはこの三つにより世界を三度支配したと言われている。今速水は世界を三度支配したこの街をまじまじと眺めていたのである。そこにあるのは感慨であろうかそれとも他の感情であろうか。
「何度か調べたことがあるのですよ。あの宮殿は」
「ファルネーゼ宮殿ですね」
 見れば立派な宮殿がタクシーの横にあった。丁度その前を通り過ぎているのである。何度か映画で観たような見覚えのある宮殿であった。
「あれはトスカの舞台です」
「御名答」
 プッチーニのオペラ『トスカ』第二幕の舞台である。見れば宮殿をやたらとキザで着飾った感じの男女が出入りしている。そして三色旗が飾られていた。所謂トリコロールである。このローマを首都とするイタリアもまた三色の旗を持っているが普通トリコロールといえばある国のものをさす。
「今はフランス大使館ですね」
「そこまで御存知でしたか」
「できれば中に入りたいものです」
 速水は宮殿を眺めながら述べる。
「フランス人達が独占するというのは実に勿体無い」
「そう思われますか」
「何度か撮影にも使われているのも知っています」
 トスカは名作であり根強い人気を誇っている。その為何度か実際の舞台を使用しての撮影も行われているのである。プラシド=ドミンゴとルッジェーロ=ライモンディがそれぞれ二度出ている。どちらもこのオペラでの役を当たり役の一つにしている。もっともドミンゴは当たり役が数え切れない程ありイタリアオペラだけでなくフランスオペラにドイツオペラ、遂にはロシアオペラにまでそのレパートリーを増やしているのだが。
 この宮殿はルネサンス期のものであり時の枢機卿アレッサンドロ=ファルネーゼ、後の教皇パウロ三世が築かせたものである。この教皇はミケランジェロに最後の晩餐を描かせ、サンピエトロ寺院の大ドームを完成させた人物である。贅沢と権謀を愛し、異端審問所を組織した悪名高い人物でもある。
「それも観ました」
「日本人のクラシックへの造詣の深さは知っておりますよ」
「有り難うございます」
「どうして中々。目が肥えておられる」
「耳もね」
「ははは、確かに」
 速水の言葉に顔を崩す。
「しかし本当によく御存知なのですね」
「日本人は凝り性なのですよ」
 速水はそう答えた。実際に日本人のクラシックへの造詣はかなり深いものがあるという評価である。ロシアのピアニストブーニンはそう評価してやまない。もっとも彼は極端な日本贔屓でありこの言葉も日本のクラシック雑誌のインタビューで語ったことでありかなり主観やリップサービスが含まれているかも知れないが。だが日本のクラシック界がかなり実力をつけてきており、日本人達の造詣の深さもまた本物である。それは多くの耳の肥えた者達の存在を見てもわかるであろう。
「ですから一つのことを深く追求します」
「成程」
「特に趣味はね。詳しい人が多いのですよ」
「道を究めるのですね」
「そうも言いますね」
「そして貴方はタロットを究められた」
「いえいえ、まだまだ」
 その言葉には首を横に振る。
「あのカード達が示すものはあまりにも深いです。ですが私はその片鱗さえも見ることができないでいる」
「そうなのですか」
「カードが示すことは一つとは限りません」
 速水は言う。それまでとはかなり違い真剣な顔になっている。右目の光は不思議な色を帯びていた。左目の光は見えはしないが。
「一つとは」
「複数である場合もあります。それを読み取るのもまた」
「難しいのですか」
「そういうことです」
「ふむ、深いお言葉ですね」
 もうファルネーゼ宮殿の前からは過ぎている。そして過去と現在が絶妙に入り混じった石の街を進んでいく。そこを進むだけで歴史が見えている。
 
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