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至誠一貫

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第一部
第四章 ~魏郡太守篇~
  三十九 ~大掃除・弐~

 
前書き
12/25 会話の括弧閉じを修正しました。 

 
「おい、キリキリ歩け!」

 縛られた審配と逢紀が、謁見の間に連行されてきた。
 郭図は、もう立ち上がる気力もないのか、床でぐったりとしている。
 未だ出血が止まらぬのか、股間は朱に染まったままだ。
 無論まだ殺す訳には参らぬ故、手当は施してはいるが。

「さて、何故こうなったかは……当然理解していような?」
「土方殿! 貴殿は何をしているか、わかっておられるのか!」

 唯一、審配だけは気力が残っているらしい。

「ほう? 風、あれを」
「はいはーい」

 風は、会計帳簿を取り出した。

「審配さんにお伺いしますけど。例えばですね、今年の魏県の税収額が明らかにおかしいのですよ。ここ数年の平均から見ても、少な過ぎるみたいでして」
「し、知らん!」
「おやおや、この帳簿の監査と承認は、審配さんが責任者と聞いていますがねー」
「…………」
「責任を負う、つまり知らなかったでは済まされませんよねー?」
「黙れ、小娘! 身分を弁えろ!」
「おおぅ、そんな事を言っていいのですかねー?」

 と、風は口に手を当てて笑う。

「ど、どういう意味だ?」
「いえいえ。審配さんはもう、官吏ではありませんから」
「ななな、何を巫山戯た事を!」

 黙って聞いていたが、そろそろ口を挟んでも良かろう。

「巫山戯てはおらぬ。貴様の屋敷から押収した裏帳簿、本来は公に納められる筈の税収を、懐にしていた証拠。職責剥奪には十分な理由であろう」
「郡太守に、そのような権限などない!」
「往生際が悪いぞ。おい、連れて参れ」
「はっ!」

 後ろ手に縛られた文官数名に、城下の商人らが兵に連行されてきた。

「貴様らに、改めて問う。各地より集めた税を誤魔化し、着服するよう指示した者が誰か、今一度申せ」
「は、はい。そこにいる、審配様です」
「何を馬鹿な!」
「もう諦めましょうや。証拠が揃っていて、今となっては言い逃れようもありませんぜ」

 ガクリ、と審配は膝を折った。

「さて、逢紀よ。貴様も、何か言い逃れするつもりか?」
「……は、はは……。も、もうおしまいだ……あははは……」
「どうやら、追求するまでもないみたいですねー」
「そのようだな。全員、牢へ放り込んでおけ」
「ははっ!」

 まずは、古狸共は片付いたな。

「稟。城内の官吏に残らず、庭に集まるように通達せよ。一刻後、遅れは許さんとな」
「残らず、ですか」
「そうだ」
「わかりました」
「元皓(田豊)、嵐(沮授)。経緯を記した高札を、市中の主立った辻に立てよ。数は揃えられるだけで良い、急げよ」
「太守様。高札とは一体?」
「それに、急げって言われても。手間がかかるモンじゃないのか?」

 そうか……高札の習慣は、此処ではないようだな。

「板に文言を記し、それを一本の柱に打ち付けて立てる。構造は至って単純だ、費えもさほどかかるまい」
「……文言を書く方が、骨ですね。わかりました、太守様のお話が終わり次第、文官仲間に手伝って貰います」
「ったく、元皓が受けるんなら、おいらも手伝わない訳にはいかないな。わかったよ、やるよ」

 さて、後は豪族共への備え、か。
 ふう、一息つくにはまだまだ成すべき事が多いようだな。



 一刻後。
 集まった官吏の目の前に、三人を引き出した。

「あ、あれは郭図様?」
「審配様に逢紀様まで……」

 皆の間に、動揺が走る。

「静まれ。……改めて名乗っておく。私がこの度、陛下よりこの魏郡太守を仰せつかった土方だ」
「…………」
「諸君の中には、郷挙里選でなく、いきなり名も素性も知らぬ私がこの座にいる事に対し、快く思わぬ者もいるだろうが」

 言葉を切り、皆を見渡す。
 戸惑いの色を浮かべる者、冷ややかに見据えてくる者、無表情の者……反応は様々だ。

「諸君らが、私の事をどう思おうが勝手だ。だが、一つだけ、改めて考えて欲しい事がある。官吏とは何か、という事だ」

 再び、場が騒然となる。
 今更何を、という者、これから私が何を言い出すのか、という者、半々と言ったところか。

「言うまでもないが、諸君が日々の糧を得られているのは、庶人が納める税があるからだ。では、何故庶人は税を納めるのか……そこの者、答えよ」

 一番前にいた、中年の官吏に問いかけた。

「無論、それが義務だからでしょう」
「確かに義務だが。では、重ねて問う。その庶人が義務だけを押しつけられて、自分に得るものがない……そうなったら、どう考えるか?」
「それは……」

 言い淀むその官吏の隣にいる、若い官吏に眼を向けた。

「では、お前はどう思う?」
「はい。働く意欲を失うでしょう」
「それで、その後はどうなる?」
「そうですね、逃亡するか……或いは、賊に身を落とす者もいるかと」
「そうだ。今の魏郡は、まさにその状態。そして、それを主導していたのが、この三名だ」

 居並ぶ官吏の一部が、明らかに狼狽している。

「愛紗、三名の罪状を読み上げよ」
「はっ」

 愛紗は、皆の前に立ち、良く通る声で文書を読み上げ始めた。

「まず、郭図。一部商人と結託し、郡で使用する物品の購入に便宜を図る見返りに、多額の賄賂を受け取っていた。また、郡内の子女を拐かし、己の慰み者として監禁していた」
「拐かしだって……そ、そんな……」
「静まれ。では、次に審配。会計監査の役にありながら、徴収した税の額を誤魔化し、それを自らの財として不正に貯め込んでいた。また、お前達官吏に本来支給すべき給金の一部を、税収不足を名目に減らし、差額を己のものとしていた」
「何だって!」
「馬鹿な! その為に俺達は協力していたってのに、騙されていたのか」
「まだ終わってはおらぬぞ、静まれ!」

 愛紗の一喝で、官吏達は押し黙る。

「そして、逢紀。城壁の補修や市井の費えとして立てられた予算を、名目を転じて己の一族の利に繋がる事業への投資としていた。また郭図同様、一部の商人と結託していた」
「…………」

 どうやら、全てを知っていた者は、この中にはほとんどおらぬと見える。
 隠しようのない動揺が、それを物語っていた。

「さて……。諸君、この三名の罪状は今、明らかにした通り。既に証拠も揃っており、言い逃れの許されぬところだ。だが、この者らばかりではない、お前達にも、この三人の跳梁跋扈を許してきたという、許し難い罪がある」
「た、た、助けてくれーっ!」

 たまりかねたのか、一人の官吏がその場から逃げ去ろうとする。

「取り押さえよ」
「はっ!」

 すかさず、控えていた兵により、捕縛された。

「私は、全員の罪を明らかにするつもりはない。そのような事をすれば、この魏郡がどうなるか、その程度は理解しているつもりだ」
「…………」
「今後、官吏としてあるべき姿に戻り、庶人の暮らしを守るために尽力するというのであれば、此度の事については全て、不問と致す」

 再び、場がざわつき始める。

「それに不服な者、従えぬという者は、この魏郡には不要。三日の猶予を与える、その間に立ち去るが良い」

 官吏達は、互いにひそひそと話をしたり、あらぬ方角に視線を向けたり。
 事態の急展開に、どうすべきか判断がつきかねている者が大半、か。

「なお、軍役にある者だが。本来、郡太守には軍権はないとの事。とは申せ、この冀州には現在、それを持つ者はおらぬ。よって、沙汰あるまで私が、一時的にそれを預かる。左様、心得よ。同じく、不服の者は三日のうちに立ち去れ」

 何のために呼ばれたのか理解していなかったのであろうが、武官共は漸く、得心がいったらしい。
 官吏と同じく、互いに何かを言い合っている。

「も、申し上げます!」

 そこに、兵が駆け込んできた。

「市中の庶人達が、一斉に城に押し寄せてきました」
「ほう。暴動か?」
「い、いえ。どうやら、触を目にしたようです」

 そして、叫び声が聞こえ始めた。
 郭図らへの弾劾を求める声……それは、居並ぶ官吏や兵の耳にも入ったようだ。

「では、私からの話は以上だ。己が何を成すべきか、今一度よく考えよ」

 それだけを言い残し、私はその場を後にする。

「さて、風。庶人とも話し合いが必要であろう、参るぞ」
「確かに、お兄さんが行かれた方がいいかも知れませんねー。騒ぎが大きくなっていますから」
「そういう事だ。言葉が足りぬ、と見たら補佐を頼むぞ」
「御意ですよー」



 夜になり、漸く一息つく事が出来た。
 主立った皆を、市中の食堂に集めた。

「大掃除は、これで目処がついた。皆、ご苦労だったな」
「はっ」
「遅くなったが、黒山賊の事、大掃除の事、改めて礼を申す。今日は私の持ちだ、存分に過ごせ」

 卓上には、様々な料理と、酒が並べられている。

「お兄ちゃん、本当に好きなだけ、食べていいのか?」
「うむ。今宵は、な」
「やったのだ♪」

 大食漢の鈴々は、嬉しげに大皿に箸を伸ばした。

「これ、鈴々。ではご主人様、乾杯と参りましょう」
「わかった。では、乾杯」
「乾杯!」

 そして、思い思いに皆が、料理や酒を口にする。

「それにしても、芝居とは言え真に迫っていたな。私も、本気で斬りかかりそうになったぞ?」
「ははは、あれが手っ取り早い、咄嗟にそう思ったのだよ、彩(張コウ)」

 昨日の、文官共を前にした一件か。

「おいらも、最初は旦那と星さんが本気で喧嘩始めたのかと、ひやひやしたぜ?」
「ふっ、相手は星だぞ? そのような懸念など、初めからしておらぬ」
「そうですな、私も天地が入れ替わろうとも、主に槍を向けるなど、出来ませぬ」

 そう言いながら、星はもたれかかってきた。

「こ、こら! 場を弁えろ、星!」
「おや、妬いておるのか、愛紗? 良いではありませぬか。なぁ、主?」
「……程々に致せ。ここは市中だという事を、忘れるな」
「やれやれ、相変わらず主は堅い御方だ」
「星がくだけすぎなだけですよ。それにしても、今回は大変でした」

 しみじみと、稟が言う。

「全くだよ。旦那、決断が早いのは大したモンだけどさ」
「でも、太守様のご決断があったからこそ、最短で悪しき毒を絶つ事が出来そうですよ」
「ああ。韓馥殿では、到底望めない胆力だからな。殿には、敬服するばかりだ」
「風がお仕えするのに相応しいと、見込んだお兄さんですよ? まだまだ、これからなのです」
「確かに、これからが本番……。そう言えば歳三殿、豪族共ですが。静観を決め込んだ模様です、郭図らの悪行が明白で、擁護に回れば自らにも火の粉がふりかかる事を恐れているのでしょう」
「う~、みんな難しい話ばかりなのだ。折角のご馳走が、冷めてしまうのだ」

 と言いつつも、鈴々は取り皿を山盛りにしているのだが。

「ははは、鈴々の申す通りですぞ?」
「そうですよ、皆さん。この時だけは、仕事から離れましょう」

 そして、和やかに歓談が始まった。



 半刻程、過ぎた頃であろうか。
 ガシャン、と皿の割れる音がした。

「何事でしょうか? 見て参ります」

 愛紗が席を立つと、

「や、やめて下せぇ!」
「うるせぇ! てめぇらなんかに、何がわかる!」

 続けて聞こえる、怒声。

「酔っぱらい同士の喧嘩か?」
「全く、無粋な。酒の席を何だと思ってる」

 穏やかではないな。
 あまり、庶人の事に介入するのは好ましくないが、やむを得まい。

「彩、疾風(徐晃)、参れ。他の者は良い」
「承知」
「はいっ!」

 騒ぎの張本人は、兵士数名。

「酒に酔って暴れているようです」

 と、愛紗。

「ふむ。何処の兵か?」
「少なくとも、元義勇兵ではありませぬな」
「私の部下でもありません」
「韓馥殿の兵でもないようだ」

 となると、元々このギョウにいた兵か。
 とにかく、話を聞いてみるとしよう。

「何を騒いでいる」
「あ、アンタは……」
「私が誰かはわかるようだな。では、貴様らが何をしているのか、当然わかっているのであろうな?」
「う、うるせぇ! アンタなんかに、俺の気持ちがわかってたまるか!」
「何! 貴様!」

 いきり立つ彩を、手で制した。

「此処は、私に任せよ」
「……は」

 私は、兵らと向き合う。

「私の処置が不服か? 立ち去る自由は与えた筈だが」
「何が自由だ! 今、裸一貫で放り出されたらどうなるか、アンタにはわかってるのかよ!」
「生きるための糧や金に事欠く、そう申すか」
「ああ! 俺達兵士は、放逐されたら行く当てなんざねぇんだよ!」
「ならば、残って共に働くしかあるまい?」
「……怖いんだよ」

 髭面の兵が、そう呟いた。

「怖い?」
「ああ。アンタは郭図様達を処断した、何の容赦もなく、な」
「当然の処置をしたまでだ。奴らは、それだけの事をされて然るべき罪を犯したのだからな」
「だからって、やり過ぎだろうが! アンタには情けってものがないのか?」
「情けは、かける相手を選ばねばならぬ。特に、郭図は、何の罪もない子女を拐かし、己の欲望のためだけにその一生を棒に振るような真似をした外道だ。情けをかける余地が何処にある?」
「そ、それでもだ。あんなに容赦のないやり方を見せられたら……怖いんだよ!」

 それで、酒に逃げたか。
 だが、庶人に迷惑をかける理由にはならぬ。

「一つ、尋ねるが。貴様らは何故、兵になったのだ?」

 私の言葉に、兵らは顔を見合わせる。

「まさか、理由もなしに兵を務めている訳ではあるまい」
「……俺は、家族を賊に殺されたんだ。だから、自分が強くなりたい……そう思ったんだ」

 一人が話し出すと、他の者も続いた。

「頭はからっきし、力だけが俺の取り柄。それで、兵以外に働く場所がなかったのさ」
「俺は、憧れがあったんだ。鎧を着て、剣を持つって奴に」

 全員が話し終えるのを待ち、私は言葉を返す。

「ふむ、動機はわかった。では今一つ、今の己に誇りを持っているか?」
「誇り、だと……?」
「そうだ。その剣、その槍は、確かに人殺しの道具だ。だが、闇雲に他者の命を奪うのはただの獣、人ではない」
「…………」
「だが、私は剣を振るうのは、誇りのため。誇りとは、他者から決して後ろ指を指されぬ生き様……私は、そう思っている」

 彩が、一歩前に出た。

「私も武人、殿と同じだ。武を誇るというのは、ただ暴れる事ではない。他者から認められてこその、誇りだ」
「その誇りすらなくした……そんな獣だからこそ、我が主は容赦をしなかった。それだけの事だ」

 疾風が続く。

「……なら、俺達も誇ればいい、そう言うのか?」
「ああ。庶人の暮らしを、その笑顔を守る事。それは、誇りではないか? ですよね、殿」
「うむ。彩の申す通り、己に誇りを持ち、立派に生きてみせる者には、私は敬意を払う。それだけだ」

 兵らは、漸く大人しくなった。

「この事、よくよく考えよ。その上で結論を出しても遅くはあるまい?」

 頷く兵ら。

「では、戻るか」
「は」

 ……と、周囲にいた客が皆、立ち上がった。

「太守様。今の言葉、嘘はありますまいな?」

 一人が、そう言った。

「武人の誇りにかけて」
「……なるほど」

 全員が頷き合い、そして跪いた。

「太守様! 我ら、あなた様についていきますぞ!」
「そうだ! 皆で、この魏郡を、ギョウを立て直しましょうぞ!」

 そして、騒ぎを聞きつけた庶人が、店に押し寄せてくる始末。
 夜通しで、思いも寄らぬ大宴会となってしまった。
 皆が、晴れ晴れとした顔で過ごした一時……悪いものではなかった。 
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