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至誠一貫

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第一部
第三章 ~洛陽篇~
  三十三 ~出立前夜~

 謁見は、恙なく終わった。
 陛下は玉座に腰掛けたまま、何も仰せにはならなかった。
 文官により、粛々と私の戦功が読み上げられた後、沙汰を記した書状が渡された。
 その後で、改めて口頭での申し渡しと、この辺りは完全に儀式そのものである。
 陛下の傍に控えていたのが、恐らくは張譲と趙忠であろうか。
 尤も、無遠慮に眺められる場所でも状況でもなく、確かめようもなかったのだが。
 文官に連れられ、星と稟の待つ部屋に戻る途中。
 ……不意に、視線を感じた。
 それも、明らかに私だけに向けられた視線である。
 悪意や敵意は感じぬが……。
「土方殿。如何なされた?」
 立ち止まった私に気付いた文官が、声をかけてきた。
「いや、何でもござらぬ。失礼致した」
 視線はまだ感じるが、ここは宮中、要らぬ詮索はすべきではない。
 用があるならば、姿を見せるであろう。


 二人と合流し、宮城を出て宿舎へ。
「お兄さん、お帰りなさいですよ」
「歳三殿、ご苦労様でした」
 風と疾風も、宿舎に戻っていた。
「それで、主。沙汰の方は?」
「うむ。これだ」
 書状を、星に手渡す。
 広げたそれを、皆が覗き込んだ。
「魏郡の太守に任ず……ですか。主の軍功からすれば、些か足らぬ気も致しますが」
「星。私は恩賞の多寡に不服を申すつもりはない。まずは、皆と共に落ち着くべき場所が得られた、それで十分だ」
 皆、頷いた。
「ところで、現状の魏郡がどのような地か、知るところを聞かせて欲しい」
「わかりました。まず場所ですが……」
 地図を広げた稟が、指で指し示す。
「この通り、冀州に位置します。先日、黄巾党の本隊と戦った広宗が、此処です」
「風達は、魏郡には立ち寄った事はありません。ただ、黄巾党の本拠地があった場所ですからねー」
「荒れ果てている……そう考えるべきでしょうな」
「歳三殿。もしやご存じなければ、と思いますので一応申し上げておきますが。刺史と太守には、明確な上下関係がありませぬ」
 元官吏の疾風の言葉に、私は耳を傾ける。
「刺史は州全体を、太守は郡や都市を管理するという違いがあります。ただ、刺史は太守に対しての命令系統を持っておらず、軍事権もございませぬ」
 つまり、大名と郡代のような関係ではない、という事だ。
「命令は直接朝廷から申し渡される、そうなのだな?」
「はい」
「正直、今の朝廷に、地方を統べる事が可能か、と言われると甚だ疑問ではありますが」
「ですねー。曹操さんや孫堅さんのように、力のある方は、中央からの指示を当てにしていないようですし」
「ともあれ、沙汰が下りたのです。すぐさま、任地に向かいましょうぞ」
「うむ。愛紗や鈴々、月に託している者共も呼ばねばなるまい。風、手配りを頼む」
「御意ですー」
「稟と星は、出立の準備にかかってくれ」
「はい。最短で明日、出立が可能です」
「兵にも、既に準備は整えさせてありますぞ」
 指示した訳ではないが、皆がなすべき事を考え、進めている。
 真に、良き傾向だ。
「そして疾風。大将軍に書状を届けて欲しい」
「はい。夏惲の手の者に知られずに、ですな」
「そうだ。お前以外に託せる者はおらぬ。頼んだぞ?」
「はっ、お任せを」

 その夜。
 出立の準備も整い、皆には早めに就寝するように申し伝えた。
 私は、慌ただしい出立の事もあるのだが、いろいろな手続きを踏まねばならぬ為、その書類を認めている。
 それも、ほぼ片付き、漸く一息つけそうだ。
「歳三様。宜しいでしょうか?」
「稟か。如何致した?」
「はい。歳三様に、お目通りを願っている者が来ています」
「ふむ。何者だ?」
「袁紹殿よりの使者……と名乗っております。用件は直接、お伝えしたいとの事ですが」
 袁紹と言えば……あの袁紹、だろうな。
「良かろう。通してくれ」
「はい」
 稟は一旦部屋を出て、すぐさま戻ってきた。
 髪を切り揃え、金色の鎧を着た女子(おなご)が一緒だった。
 装いからすれば、ただの使者ではあるまい。
「土方様でしょうか?」
「如何にも」
「初めまして。私は中軍校尉、袁紹様にお仕えする顔良と申します」
 顔良と言えば、袁紹麾下の勇将。
 官渡の戦いで関羽に討たれる定めにあるが……この世界も同様なのであろうか。
 だが、それほどの人物が使者として訪れるのだ、相応の用件なのだろう。
「顔良殿、ご丁寧に痛み入る。して、何用にござる?」
「はい。袁紹様より、土方様をお連れするよう、指示を受けて参りました」
「私を? 袁紹殿のところにか?」
「そうです。ご同道願えませんでしょうか?」
「……明朝、我が軍は出立の予定にござる。それを承知の上でのお招きですかな?」
「……はい。唐突とは存じますが……」
 申し訳なさそうな顔良。
 だが、主命とあれば赴かざるを得なかったのであろう。
 その口調には、少なくとも嘘はないようだ。
「承知致した。では、暫し待たれよ」
 そう答えると、顔良はホッとしたように、
「不躾で申し訳ありません。これで、主命を果たせます」
 一旦、部屋を退出した。
「稟。出立の準備は、もう良いな?」
「はい。全て整っています」
「わかった。ならば、私は袁紹の処へ参る。後は任せたぞ」
「供は、如何致しましょう?」
「……いや、無用だ。明日に備えて、皆休ませたい。お前も、休め」
「わかりました。歳三様がそう仰せならば」
 私は頷き、兼定を手に取った。


 顔良の案内で、四半刻程、洛陽の町並みを進んだ。
 やがて、見知らぬ屋敷の前に到着。
「此方です」
 なるほど、三公を四代に渡り輩出した名門、袁家の屋敷だけの事はある。
 巨大な屋敷にも何処となく、風格が漂う。
「斗詩。連れてきたか?」
 門の中に、誰かが立っていた。
「もう、文ちゃん。お客様に失礼だよ?」
「へぇ、この人が、噂の兄ちゃんか」
 顔良と同じぐらいの年格好で、背に大剣を背負っている女子(おなご)
 私に近づくと、無遠慮に顔を覗き込んできた。
「何方かは存ぜぬが、少々、無礼ではないか?」
「おっと、悪い悪い。あたいは文醜ってんだ、宜しくな」
 袁紹麾下の、もう一人の勇将か。
 身のこなしからして、確かに顔良よりも腕は立ちそうだ。
 ……その分、顔良ほどの分別はないようだが。
「……土方と申す。顔良殿、これも、袁紹殿の指示にござるか?」
「い、いいえ! 文ちゃん、麗羽様は?」
「ん~? 姫なら、さっき部屋で髪の手入れをさせていたっけ。まだ、そこにいるんじゃないかな?」
「わかった。……では土方様、此方へ」
 文醜も、共についてくるつもりらしい。
 あまり、気にせぬ方が良いな。

「麗羽様。土方様をお連れしました」
「どうぞ、お入りになって」
 通された部屋は、かなりの広さであった。
 その中央に、女子が一人、尊大な態度で座っていた。
 長い金髪を巻き、見るからに豪奢な出で立ち。
 髪型だけならば、華琳に通じるものがあるが。
「お~っほっほ、ようこそ。私が三国一の名家、袁本初ですわ」
「お招きに預かり、参上仕りました。拙者は土方歳三と申しまする」
「あなたが、最近名を上げている土方さんですのね。まぁ、私には及びませんでしょうけど、お~っほっほっほ」
 ふむ、この態度、生まれた家柄から来る自負か。
 しかし、初対面の私に対してもこれだけ尊大に構えるとは、な。
 ……残念だが、華琳と容姿の共通こそあれど、器は比較にならぬようだな。
「して、このような時分にどのようなご用件でござるか?」
「あ~ら、そうでしたわね。土方さん、あなた、魏郡太守に任じられたと聞きましたわ」
「はい。陛下より、ご沙汰を賜りまして」
「実は、私も過日、陛下より新たなご沙汰をいただきましたのよ?」
 袁紹は得意げに胸を張り、
「渤海郡の太守、ですわ」
「それは、祝着至極にござります」
「ありがとうございます。ですが、そんな役如き、この袁家にはまだまだ似つかわしくありませんわ。これを足がかりに、もっともっと上を目指しますの」
 ……陛下から賜りし役を、そんな呼ばわりで良いのだろうか。
 聞く者が聞けば、不遜の極みであるのだが。
「そこで、是非ともあなたに、魅力的な提案をと思ったのですわ」
「伺いましょう」
「あなた、随分と実戦に強いようですわね?」
「……些か、自信がござれば」
「その力、存分に活かしてみる気はございませんこと?」
「率爾ながら、仰せの事、見当がつきませぬが」
「ですから。この名家、袁本初の財力と権力、それにあなたの力が合わされば、より三国一の実力になる。そうは思いませんこと?」
「……合力、というご提案でござるか?」
「ちょーっと違いますわ。斗詩さん、猪々子さん。あれをお持ちになって」
「はい、麗羽様」
「姫、あれごとですか?」
 それまで、黙って控えていた二人が、その声に弾かれたように動き出した。
「そうですわ。早くなさい」
「へ~い」
 ……文醜、主命だと言うのに恐ろしく気さくに答えている。
 袁紹が怒らないところを見ると、普段からこの調子なのだろう。
 尤も、私のような他人を交えた中でのやりとりとしては、些か不適切だが。
 そして、二人は何やら車を引いて、戻ってきたようだ。
 ……金塊を、山と積んだ車を引き連れて。
「これは、ほんの支度金ですわ」
「支度金、でござるか?」
「そうですわ。これで、この三国一の名家たる袁本初のため、力を貸して貰いたい、そういう訳ですわ」
「……つまり、この金で拙者に、臣下の礼を取れ、そう仰せなのですな?」
「その通りですわ。不足ならば、この倍差し上げても宜しくてよ?」
 途方もないものだな、袁紹の財力とは。
 恐らくは純金、その価値は相当なものだろう。
「そうすれば、あなたも、あなたに従う者も、全て栄華が約束されますわ。何と言っても、この華麗なる私の下ですからね、お~っほっほっほ」
 ……何処をどう解釈すれば、そのような結論に至るのか。
 私だけか、と思ったが、顔良の微妙な表情が、そうでない事を物語っていた。
「袁紹殿」
「あら、何でしょう?」
「……一つ、伺いたい事がござる」
「いいですわ。何なりと」
「貴殿の目指すところ、それをお聞かせ願いたいのです」
「はぁ?」
 袁紹にとっては、想定外の問いだったのか。
「この場の事、決して他言は致しませぬ。率直に、お答えいただきたい」
「簡単な事ですわ。別に、隠し立てする事でもありませんもの」
「ほう、それは?」
 再び、袁紹は胸を張る。
「この三国一の名家、袁家に相応しき身分になる事ですわ。即ち、目指すは三公。それ以外に何がありまして?」
「…………」
 些か、頭痛がする。
 今の漢王朝を見て、何も感じぬのであろうか?
「……つまり、袁紹殿は、己の立身出世をお望みか?」
「当然ですわ。それが、この名家に生まれた私の務めですわ」
 微塵も、揺るぎのない答え。
 ……だが、それは、私が望むものとは到底、かけ離れていた。
「今一つ、伺いたい」
「あら、まだありますの?」
「袁紹殿と拙者は、官位こそ大きな隔たりがありますが、共に、陛下にお仕えする身。そして、陛下より賜りし役は、同格にござる」
「そうですわね。ですが、それがどうかしまして?」
「……拙者は、栄華は求めておりませぬ。また、陛下の思し召しを無にするような真似も、するつもりはありませぬ」
「……どういう事ですの?」
 袁紹の声に、苛立ちが混じり始めた。
 だが、私は構わず続ける。
「拙者には、拙者の事を信じ、付き従う者がおります。その者達は、金で歓心を得たのではありませぬ。人同士が想いをぶつけ合い、そして自らそれを実践して得た、信頼にござる」
「…………」
「確かに、貴殿には名家という権威があり、財もござる。一方、拙者にはそのような物はござらぬが、その代わり、掛け替えのない仲間と、家族がござる。……それを、如何に金銀財宝を積まれようとも、売る気はござらぬ」
「……な、何ですって? これだけの財を見ても、何とも思わないのですか、あなたは?」
 わなわなと、袁紹は身体を震わせる。
「恐れながら、相手を間違えましたな。貴殿とは、生きる道が違うようにござる」
「ど、どういう意味ですの?」
 私は、立ち上がった。
 もはや、礼を取る相手に非ず。
「貴殿の目指すものに、庶人や麾下の事が、一言も含まれておりませぬ。拙者とは、相容れぬ……それだけの事にござる」
「キーッ! わ、私に対してなんたる無礼な!」
「無礼は貴殿にござろう? 仮にも拙者は武人の端くれ。そのような者に対し、貴殿は何を言われたか。その胸に、手を当ててよくお考えあれ」
 そう言い捨てると、私は袁紹に一礼する。
「では、これにて御免」
「お、お待ちなさい! 猪々子さん、止めなさい!」
「あ~。兄ちゃん、姫相手にちょっと言い過ぎだぜ?」
 退出しようとした私の行く手に、文醜が立ちはだかった。
「そこを退かれよ」
「出来ないね。姫の命令なんでな」
「……すみません。麗羽様のご命令ですので」
 顔良も、その隣に立つ。
「これが、仮にも名家を自負する御方の所業でござるか?」
「お、お黙りなさい! 猪々子さん、この無礼な男に、思い知らせてやりなさい!」
「へいへいっと。そういう訳だ、悪く思わないでくれよ、兄ちゃん?」
 文醜は、背の大剣を抜いた。
 続いて、顔良もまた、大きな鉄槌を手にする。
「……剣を手にする意味、おわかりでござるな?」
「あたいらは武官だぜ?」
「土方様、麗羽様に無礼を詫びて下さい」
 やむを得ぬな。
 私も、兼定の鯉口を切った。
 相手は、あの顔良に文醜。
 ……やや、分が悪いやも知れぬな。
 だが、むざむざとやられはせぬ。

 その時。
 バサリ、と天井から何かが落ちてきた。
 それは、人であった。
「そこまでです」
「な、何ですの?」
 狼狽する袁紹に、抜き身の刀を突きつけている少女。
 孫堅の麾下、周泰であった。
 同時に、扉が勢いよく開かれた。
 そして、やはり大剣を構えた人物が、飛び込んでくる。
「おい、貴様ら。相手なら、私がなるぞ!」
 夏侯惇まで、何故此処に?
「歳三殿!」
「主!」
 そして、疾風と星までも。
「な、な、こ、此処を何処だと」
「……どうしようもない馬鹿の屋敷、かしら?」
「或いは、救いようのない阿呆の屋敷だな」
 悠然と、華琳と孫堅が扉の向こうから出てきた。
「か、華琳さんに孫堅さん?」
 華琳は、そんな袁紹を冷たく見据えた。
「麗羽。貴女が馬鹿なのは今に始まった事ではないわ。……でもね、この歳三に手を出すのなら、私も容赦はしないわ」
「俺も同じく、だ。我が娘らの婿となるべき男。貴様如きにやらせはせん」
 ……何やら、聞き捨てならない言葉も混じっているが。
「あ、あなた達! この私に対してこのような真似、か、覚悟は出来ているのでしょうね?」
「ええ。どうとでもなさい。……尤も、黙ってやられる私かどうかは、麗羽が良く知っていると思うけど?」
「ほう。この俺と、遣り合うつもりか? 喧嘩はな、相手が強けりゃ強いほど、燃える質だぜ?」
「……袁紹殿。これ以上の諍い、無用にござろう。それでもなお、拙者を止めるおつもりならば」
「この趙子龍、この槍にかけて主をお守り致す」
「徐公明も、この戦斧が黙ってはおらぬ」
「う、うう……」
 袁紹ら三人は、気圧されたように後退る。
「歳三。もう、麗羽は用がないみたいよ? 行くわよ、春蘭」
「うむ、引き上げようぞ。明命、もうよい」
 呆然とする袁紹らを余所目に、私はその場を後にする。


 宿舎に戻る、道すがら。
 私は、皆に礼を述べた。
「忝い。まさか、あのような事になろうとは」
「丁度、貴方を訪ねたら、麗羽に呼び出された、って聞かされたのよ」
「袁紹の事だ、また馬鹿な事を言い出したのだろう、とな。それで、曹操と二人、駆けつけたのだよ」
 どうやら、袁紹は元々あのような人物らしい。
「主。何故、我らをお連れにならなかったのですか?」
「星の申す通りです。如何に洛中とは申せ、不用心過ぎまする」
「……済まぬ」
 申し開きようもない。
 確かに、私の判断が甘かったのだからな。
「では土方。朝まで付き合って貰うからな?」
「そうね。借りを返して貰うにはちょっと不足だけれど」
 ……ほぼ間違いなく、酒であろうな。
「うむ、良いですな。主の無事を祝して、私も同席致しますぞ?」
「そうだな。歳三殿、お覚悟めされよ?」
「……相わかった」

 結局、風と稟、更には孫策に黄蓋、劉曄まで加わり、本当に朝まで大騒ぎと相成った。 
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