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至誠一貫

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第一部
第三章 ~洛陽篇~
  三十二 ~参内~

 その夜。
 監視の目がない事を確かめ、宿舎に戻った。
「おお、主に稟。お帰りなさいませ」
 部屋には、星一人だった。
「どうやら、疾風と風はまだのようだな」
「確かに、まだ見ておりませぬな。ですが、あの二人の事です、心配は無用かと」
「うむ。まず、星の首尾を聞かせて貰おう」
「はっ。何進殿も、監視の眼は薄々感じていたようです。ただ、相手を確かめる術がなく、手の打ちようがなかったとか」
「なるほど。その他には?」
「いえ、特には仰せではありませんでした。主については、腕も才知もある者揃い故、心配していない、と」
「……随分と、買い被られたものだな。して、此処までの間、尾行はなかったのか?」
「ありましたが、巻きました。身軽さでは、疾風にも引けは取りませぬ」
 不敵に笑う星。
 ともあれ、当面は何進の屋敷に近寄るのは避けるべきであろうな。
「それから主に言伝てを、と」
「何か?」
「はっ。此度の沙汰ですが、いよいよ主の分も決まった、と。明日にでも、正式に使者が遣わされる見込みとの事です」
「……そうか」
 素性の知れぬ私に対する沙汰だ、今少し時を要するかと思ったが。
「歳三様を如何様に処するか……。何進殿の上奏がどの程度、効き目があったかにもよりますね」
「宦官どもに付け届けをすれば別だが、それは我らには無理な注文だからな」
「その為の金は、結局は庶人を苦しめる事でしか産み出せぬ。それでは、黄巾党を賊として討った、我らの正義はなくなる。結果として、公正な沙汰が下らずとも、その為であればやむを得まい」
「はい」
「主は、それで良いのです」
 清き水には魚は住まぬ……そのような狂歌もあったが、濁り過ぎてもまた、然りであろう。
 全てを清くというのは不可能でも、濁りは少なくあるべき、私がそう心がけていれば良いだけの事だ。

「只今戻りました」
「お待たせしたのですよ」
 程なく、疾風と風が戻ってきた。
「ご苦労。早速だが、報告を頼む」
「御意。まず、夏惲ですが……やはり、十常侍筆頭ではありませぬ」
「ですが、背後にいるお方が問題なのですよー」
「背後?」
 星が、首を傾げる。
「……実は、この件ですが。単なる宦官と外戚の対立、という問題だけではなさそうです」
「どういう事だ、疾風?」
「はい。何進殿の屋敷を監視していたのは、間違いなく夏惲でしょう。ですが、夏惲を密かに支援する人物が浮かび上がったのです」
「宦官の背後……。とても、限られますね」
「稟ちゃんの言う通り、宦官さんに影響力があるぐらいですから、当然大物ですねー」
「疾風、風。勿体振らずに名を言ったらどうだ?」
「うふふふー、星ちゃん。驚かないで下さいね?」
 疾風が、やや声を潜めて、
「……董太后、それが背後におわすお方です」
「な……」
「……やはり」
 驚く星。
 一方、稟は想定していたのか、冷静な反応を見せた。
「確か、協皇子の御生母……そうだな?」
「はい。……そして、何進殿の妹君にあらせられる、何太后とは相争う御仲にござります」
 だが、合点のいく話だ。
 皇后様同士の争いとなれば、一枚岩の宦官と言えども、どちらかに与するしかあるまい。
 そして、張譲と趙忠ら筆頭は、今上帝は無論、次代も権力を握り続けるであろうが、それに続く者達はどうか。
 権勢欲があればあるだけ、三番手以下に甘んじたままでは飽きたらぬ……そう、考えたとしても不思議ではなかろう。
「稟。皇子は確か、お二人であったな?」
「はい。董太后が御生母の協皇子、そして何太后が御生母の弁皇子がおいでです」
「……して、今上帝は後継者をお決めになってはおらぬ、そうだな?」
「はいー。ただ、噂では陛下は協皇子を好いておられるとか」
「尤も、宮中では何太后が陛下のご寵愛を一身に集めておられる、とも聞き及びます」
 複雑怪奇になるのは必然の情勢、と言う訳か。
「何進殿は何と言っても、現役の大将軍。有力な諸侯や、官軍が味方している以上、それを背景にしている限り、董太后は御心が休まらぬ……そういう訳ですな」
 星の言葉に、皆が静まり返る。
「ともあれ、深入りは禁物。沙汰はお受けするが、この件に関しては構えて傍観に徹するしかあるまい」
 皆、私の言葉に頷く。
「歳三殿。董太后の事、何進殿へ、知らせずとも宜しいのでしょうか?」
「疾風、それも控えた方が良いでしょう。無用な波風を立てる事になりかねません」
「何進さんには申し訳ないですが、お兄さんをこれ以上、権力闘争に巻き込む訳にはいきませんからねー」
「まずは、使者の方をお迎えせねばなりませんし、主の仰せの通り、首を突っ込むべきではないかと」
「そうだ。疾風、星。よもやとは思うが、怪しき者が彷徨くやも知れぬ。警戒を怠るな」
「御意!」
「はっ!」


 翌日。
 先触れがあり、予告した時刻に、朝廷よりの使者が到着。
 如何にも文官といった風情の、初老の男である。
「貴殿が土方殿だな?」
「ははっ」
 跪礼を以て、使者を迎えた。
「此度の黄巾党征伐に当たり、義勇軍を立ち上げ、大いに功を上げたとの事。よって明朝、宮中に参内せよ。貴殿に対し、陛下よりのご沙汰がある」
「有り難き幸せにござります」
「うむ。くれぐれも粗相のないようにな。門のところで、この割り符を衛兵に見せるが良い」
「畏まりました」
 割り符を押し頂く。
「なお、供は二名まで認めるが、拝謁は貴殿のみとなる。また、帯刀は控えの間までとなる。謁見が済むまで預りとなる故、そのつもりで」
「委細、承知仕りました」
「では、刻限は厳守だ。陛下の貴重なお時間を賜るのだ、良いな?」
「はっ!」
 使者は頷くと、踵を返した。

「お疲れ様です、お兄さん」
 別室で待っていた皆が、使者が宿舎を去った後で再び、集まった。
「うむ」
 そして、使者の口上をそのまま、皆に伝えた。
「供は、星と稟とする」
「むー。何故、風を連れて行っていただけないのでしょうか?」
「私もです」
 風と疾風、案の定不服の顔をする。
「万が一を考えての事だ。お前達は夏惲の事を調べた、それが当人の耳に達していては、何かと面倒な事になる。無論、お前達がそのようなしくじりを犯したとは思わぬが」
「相手が相手ですからね。慎重を期した方がいいのは確かでしょう」
「それに、疾風も何進殿の手配りがあったとは言え、難癖をつけられる可能性もありますからな」
「稟と星の申す通りだ。今はまだ我らには何の力もないのだ。それに、二人には頼みがある」
 その刹那、二人は表情を引き締めた。
 ……尤も、風はいつも通り、眠たげな顔のままであったが。


 そして、翌朝。
 指定された刻限に合わせて、宮城の門へと向かう。
「止まれ!」
 衛兵が、槍を構える。
「拙者、土方歳三。陛下より、登城せよとのお達しにより、参上仕った」
 そして、割り符を衛兵に手渡す。
「暫し、待たれよ」
 衛兵は割り符を持ち、門の中に入っていく。
 そして、割り符の片割れを持ち、私に示した。
「よし、入られよ」
「忝い」
 衛兵に続き、私、星、稟の順で門を潜った。
 行く手には、壮大な宮殿がそびえていて、そこまでの道は全て、磨かれた石である。
 皆、無言でひたすら歩く。
 私語を慎まねばならぬのは無論だが、それよりも宮城の規模に圧倒されているようだ。
 広さもそうだが、石細工の装飾一つ取っても、相当な価値があるのだろう。
 庭木も手入れが行き届き、塵一つ落ちている様子もない。
 ……日本の御所とは、大違いだな。
 京に赴いた初めの頃など、そのあまりの荒廃ぶりに驚いたものだ。
 塀は破れ、門は傾き、権威とは名ばかりの見窄らしい有様。
 ……だが、此処は少なくとも、困窮という言葉は相応しくない景観だ。
 権力を握っているか否か、その差は歴然としているという事か。
 次の門を抜け、いよいよ建物の中へ。
 すれ違う官吏が、チラチラと私の顔を見ていく。
「ほほぉ、あれが噂の」
「確かに、美男ね」
「ちょっと、いいかも」
 時折、そんな声も聞こえる。
 ……どうも、思いの外緊張感に欠けるな。
 仮にも、ここは皇帝陛下がおわす宮殿なのだが。

 そして、一室に通された。
「此処で、暫し待たれよ。なお、剣は預からせていただく」
「は」
 鞘ごと剣を抜き、衛兵に手渡した。
 兼定も国広も宿舎に置いてきたので、持ってきたのはごくありふれた、この時代の剣である。
 よもや取り上げられたまま、という事はなかろうが、どちらも私には分身に等しい刀。
 万が一手元に戻らねば、私にとっては一大事となる。
 同様に、星と稟も、剣を預けた。
 ……流石に、宮中に槍は持ち込めぬからな。
 衛兵が去り、三人だけとなった。
「やはり、どうにも落ち着かぬな」
「無理もありません。私も同じですから」
「ですが、何となく退廃した印象を受けますな。どことなく、皆覇気が感じられませぬ」
「やはり、そう思うか。眼に、精気がないようだ」
「歳三様。私も同感ですが、この事はくれぐれも」
「……わかっている。陛下や十常侍の前では、口にも態度にも出してはならぬ、そうだな?」
「はい。とにかく、恙なく謁見を済ませる事。今はそれしかありませんから」
「そうですな。愛紗や鈴々も待ち侘びていましょう、皆の処に早く帰る為にも」
 バタン、と不意に扉が開いた。
 見ると、子供が二人、立っていた。
「追われているのじゃ。私達を匿え」
「杜若、追ってきたよ」
 しかし、此処は宮中。
 追われているとは穏やかではない。
 それに、二人とも、身に纏う気品……常人ではない。
「何をしている。はよう、私達を匿うのじゃ」
 苛立ったように、片方の子供が言う。
「では、あの衝立の向こうに入りなされ」
「主?」
「歳三様!」
 星と稟を手で制し、子供二人を衝立の陰に連れて行った。
 その後から、女官が息せき切って部屋に入ってきた。
「あ、これはご無礼を。このあたりで、二人連れの子供を見かけなかったでしょうか?」
「子供でござるか。どのような子供で?」
「そ、それは……」
 女官は、言い淀んだ。
 そこに、稟が立ち上がり、首を傾げながら答えた。
「そう言えば、先ほど廊下を其方に駆けていく子供を、見かけた気がします」
「私も見ましたぞ。確か、二人連れだったと見受けましたが」
 星は、態々廊下に出て、方角を指し示した。
「そ、そうですか。ありがとうございます」
 どこかホッとしたような顔をして、女官は駆けていった。
「二人とも、流石だな。機転が利くな」
「ふふ、歳三様の芝居に合わせたまでですよ」
「ははは。さて、もう宜しいのではありませぬか?」
「そのようだ。……もう大丈夫にござる、お出なされよ」
 私の呼びかけに、子供達はそっと顔を覗かせた。
「ほ、本当にもうおらぬのか?」
「星、どうか?」
「はい。人の気配はありませぬ、ご安心めされよ」
 その言葉に、漸く二人とも衝立から出てきた。
「助かったのじゃ。礼を申すぞ」
「ハァ、杜若と遊びたいだけなのに……ぐすっ」
「菖姉様、泣かないで下され」
 この二人、姉妹か。
 ……この宮中で、二人の姉妹……。
「歳三様。……まさか」
 稟も、気付いたのだろう。
「率爾ながら。……弁皇子と協皇子とお見受け致す」
 ビクッと、二人は雷に打たれたかのように身体を震わせた。
「ご安心めされよ。拙者、姓は土方、名は歳三と申しまする」
「土方……変わった名よの」
 堂々としている方が、恐らくは協皇子か。
 一方、どことなく怯えた色を見せているのが、弁皇子であろう。
 二人とも、女子であるのに皇子、というのもおかしなものだが……それは問うまい。
「この者達は、郭嘉に趙雲。二人とも、拙者の麾下にござれば、ご懸念めさるな」
「……その方ら、何処の者か?」
 協皇子は、未だ警戒の色を隠そうともしない。
「官職はござらぬ。本日、陛下よりご沙汰をいただくべく、こうして罷り越した次第にござります」
「そう言えば、張譲や趙忠らが、何やら話していたような」
「姉様! 素性も知れぬ者の前で、迂闊ですぞ」
「で、でも……。この者達、私達を匿ってくれたではないか」
 そう言って、弁皇子は上目遣いに私を見る。

「主。人がやって来ますぞ」
 星の声に、部屋の中に緊張が走る。
「先ほどの女官か?」
「いえ。……ただならぬ気配を感じます」
「先ず、先ほどの衝立の陰にお入り下され。追われているのでござりましょう?」
「う、うむ……」
「杜若、見つかったらどうしよう……」
「菖姉様、泣いている場合ではありませぬぞ。さ、早く」
 二人が隠れると程なく、足音が近づいてきた。
 そして、顔を覗かせた。
「あら? 歳三じゃない」
「……華琳か」
「曹操じゃと?」
 協皇子が、衝立から出てきた。
 華琳は、私と違い、歴とした官職を持つ身。
 此処にいるのは、確かに不思議ではないな。
「此方でしたか。女官頭が、必死に探していますよ?」
「放っておくがよい。私は、姉様と遊びたいだけじゃ」
 ふむ、皆、知己のようだな。
 安心した様子で、弁皇子も姿を見せた。
「ふふ、後でどうなっても知りませんよ?……ところで歳三、どうして貴方が此処に?」
「陛下より、ご沙汰を下さるとの事。それで、此処で待っておるところだ」
「そう。何進大将軍も、貴方の事は何度も陛下に申し上げたとの事だし。期待している事ね」
「……曹操。この男と、知り合いなのか?」
 と、協皇子。
「ええ。この者は、信頼に足る事、この私が保証します。ご安心下さい」
「そ、そうか……。曹操がそう申すなら間違いないの」
「杜若。それより、早く遊びに行こうよ」
「そうですな、菖姉様。ではな、曹操。……それから、土方」
「は」
「先ほどは、匿ってくれた事、感謝するぞ。それと、疑って済まぬ」
「いえ、お気になさらず」
「うむ」
 両皇子は、手を取り合い、何処かに駆けて行く。
「歳三。驚いたみたいね」
「……ああ。渦中のお二方と、まさかこのような形でお目にかかる事になるとはな」
「そうね。で、どう見るのかしら?」
「どう、とは?」
「そのままの意味だけど……。まぁ、此処で尋ねる事ではないわね。後で宿舎の方にお邪魔するから、そこで話しましょう」
 それだけを言い残し、華琳も立ち去った。
「まるで、嵐のような方々でしたな」
「ええ。それにしても、両皇子……仲睦まじい、という印象でしたが」
 運命に翻弄されるには、あまりにも幼い二人。
 だが、逃れられぬ運命でもある。
 ……不憫だが、然りとて何が出来よう。

 半刻程が過ぎた頃。
「謁見の準備が整い申した。土方殿、参られい」
 文官が二人連れで、迎えに来た。
「お役目ご苦労様にござる。では、お願い致す」
 星と稟に目配せをすると、私は部屋を出た。 
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