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ドン=カルロ

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第二幕その二


第二幕その二

 長い間欧州の教義はローマ=カトリックにより統一されていた。他の考えを持つ者達は異端として惨たらしい刑罰により抹殺されてきた。アルビジョワ十字軍によるフランス南部に勢力を持っていたカタリ派への徹底した殺戮は有名である。これは当時の法皇インノケンティウス三世が政治的判断によりカタリ派の財産を討伐軍のものにすることを許したことも背景にあった。シモン=ド=モンフォールという男は人々の目をくり抜き顔の皮を剥ぐという鬼畜の如き行いを続けていた。
 教会に対する批判も許されなかった。教会の腐敗を批判したボヘミア大学教授フスは異端と判決され火刑に処された。フスは自身が焼かれる前にその目の前で自らの書を焚書された。これは極めて屈辱的なことであっただろう。
 異なる考えも批判も許さない。そして富も権力も独占している。これで腐敗が進まない筈がなかった。フッガー家やメディチ家のような欧州の勢力を持つ家が教皇を輩出し更に力を誇示した。そして腐敗はいくところまでいっていた。
 遂に自らの寺院サン=ピエトロ寺院を建設する為の費用を調達する為に『免罪符』なるものを発布した。これを買えば罪が許されるというものである。教会の自浄能力など最早なかった。しかも彼等は領民から好きなだけ金を搾り取っていた。神聖ローマ帝国などは『教会の牝牛』と呼ばれていた。絞れば絞る程金が出るというわけである。
 これに異を唱える者が遂に現われた。ドイツの宗教家マルティン=ルターである。
 世話焼きで人間臭い男であった。ビールの害毒について何時間も講義しておきながらそのビールが大好きであった。修道女達の結婚を世話してやり残った最後の一人と公に結婚し多くの子供達に囲まれた。彼は実に子煩悩な父親でもあったのだ。
 そして強い正義感の持ち主であった。彼は教会の腐敗を公然と批判した。修道女との結婚もその意があった。聖職者の公式の結婚は認められていなかったのだ。しかし隠し子を持つ者は非常に多かった。教皇ですらそうであった。彼はそれに対した批判をしただけであった。しかしそれを許すような教会ではない。
 彼は破門に処された。教会の切り札である。一国の王ですらこれには対抗できない。
 しかし彼はそれを完全に無視した。そして批判を続けた。
 業を煮やした教会は援軍を頼んだ。ルターのいる神聖ローマ帝国の皇帝カール五世に対してである。彼は神聖ローマ帝国の皇帝としてそれを了承した。一説にはルターの主張に対しても理解していたようであるが立場がそれを許さなかった。何故なら神聖ローマ帝国はフランク王国に次で教皇に冠を授けられた国である。教会の保護者なのであるから。
 ウォルムスにて会議が開かれることとなった。当然ながらルターも呼ばれた。カール五世は彼に今までの発言を撤回するように言った。しかしルターはそれを拒絶した。
 これに対してカール五世も断固たる処置をとらざるをえなかった。彼を法律の保護外に置いたのである。これは生命を保証しないということであった。ルターはそれにも臆するところがなかった。しかし絶体絶命であることは事実である。そんな彼に手を差し伸べる者が現われた。
 選帝侯の一人ザクセン公爵である。彼は以前よりハプスブルグ家の権限が強まるのを好ましく思っていなかった。その為ルターを匿ったのである。
 ルターはそこで聖書をドイツ語に翻訳した。それまではラテン語で書かれているものだけであったが彼はより多くの人が聖書を読む為に翻訳したのである。そしてそれをグーテンベルクの金属製の活字印刷が広めていった。これが大きなうねりとなる。
 やがてルターの教えを信じる者達が立ち上がるようになった。そして戦争を起こした。ドイツ農民戦争である。
 ルターは最初はそれを指示していた。だが農民の行動がこれまでの摂理を乱すものだと批判するようになった。これはこの戦争の指導者トマス=ミュンツァーの主張をルターが過激過ぎると判断したからだという。彼は農民を抑えるように主張した。それがルターの限界だったかも知れない。しかし彼の果たした役割は大きくその考えに賛同する者が多く現われたのである。
 カルヴァンもそうであった。彼はスイスで活動を続けたがその主張はルターよりも過激でかつ厳格であった。
 予定説、人の運命は神によって既に定められているというものである。これはさしものルターも途中でその主張を撤回せざるをえない程のものであった。何故ならこれでは救いなど語れなくなるからだ。
 しかしカルヴァンはこう言った。人間は与えられた仕事を真面目に働けばよいのだと。それこそが神の意志であると。それが出来ている人間は救われているのであると。
 これはこうも解釈できた。蓄財はいいことだと。カルヴァンはそれを肯定した。働いて金を稼ぐことの何が悪いのか、と。
 これは画期的な主張であった。それまでキリスト教においては蓄財は悪と考えられてきた。スコラ哲学を大成させたトマス=アクィナスはこれを罪悪とは考えなかったが大方はそうであった。そうした考え方を一変させたのであった。
 この考えは都市の商工業者に支持された。そして彼等はカルヴァン派に改宗していった。
 フランドルは商工業の発達した地域である。ならばカルヴァン派が増えるのも当然であった。こうして彼等はスペインのカトリックとは考えを異にするようになったのである。
 これに対しフェリペ二世は強硬策に出た。生真面目で潔癖症なところがある彼はそれを許さなかったのだ。ハプスブルグ家の者としてもである。彼等はカトリックの擁護者、神聖ローマ帝国皇帝家なのだから。
 フランドルの弾圧は熾烈を極めた。それに対しフランドルの者達も徹底的に戦った。こうしてこの地は血に染まっていったのである。
「そうだったね、彼等は新教徒だったんだ」
 カルロはロドリーゴの話を聞いて頷いた。
「そうなのです、その為にあの地では何時果てるともなく戦いが続けられているのです」
 ロドリーゴは悲痛な面持ちで言った。
「しかし君もカトリックだろう?何故そんなに悲しむんだい」
 カルロは首を傾げて問うた。
「我々にとって彼等は敵だ。敵を倒さなくてどうするというのだい?」
「殿下、お言葉ですが」
 ロドリーゴはそんな彼の主張に対して首を横に振った。
「彼等は考えの差こそあれど我々と同じなのです。彼等もまたこの双頭の鷲の下にいる者達なのです」
 双頭の鷲、それはハプスブルグ家の紋章である。本来は神聖ローマ帝国の紋章であったが何時しかハプスブルグ家の紋章としても知られるようになった。
「それならば慈愛を持って対応するべきではないのでしょうか。それこそが彼等の、そして我がスペインの為であると存じます」
「つまり彼等の信仰を認める、ということだね」
「お言葉ながら」
 ロドリーゴはそう言って頭を垂れた。
 
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