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売られた花嫁

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第三幕その一


第三幕その一

                第三幕 最後は幸福に
 イェニークのことはすぐに村中に広まった。それを聞いて憤りを覚えない者はいなかった。
「とんでもない話だな」
「全くだ」
「マジェンカが気の毒だ」
 彼等は口々にそう言い合う。だがその中で一人別のことを考えている者がいた。
「どうなるのかなあ」
 ヴァシェクは自分のことだけを考えていた。そして一人溜息をついていた。
「母さんも父さんも反対するに決まってるし。僕に味方はいないのかな」
「あら、ヴァシェクじゃない」
 そこに黒い髪の小柄な女性がやって来た。赤い民族衣装に身を包んでいる。その顔立ちは如何にも利発そうで可愛らしいものであった。美人ではなかったがよい印象を受ける顔であった。
「あ、先生」
「どうしたの、こんなところで」
 黒い翡翠の様な目で彼を見上げる。ヴァシェクはそれだけで胸の鼓動が高まるのを感じていた。この黒い髪と目の女性がエスメラダである。ヴァシェクの想う人である。
「ちょ、ちょっと考えていまして」
「何を考えていたのかしら。言ってみて」
「けど」
 だがヴァシェクは口篭もってしまっていた。
「先生にはあまり関係のないことですし」
「私には関係のないこと」
「は、はい」
 彼はそう言って誤魔化した。
「そうなの。何だかわからないけれど」
 それ以上聞こうとはしなかった。気にはなったがとりたてて聞くまでもないと思ったからだ。
「まあいいわ。それじゃあね」
「はい」
「それにしても。私も早く身を固めたいわ」
 そう言いながらエスメラダは何処かへ行ってしまった。ヴァシェクはその後ろ姿を見送り一人溜息をついた。
「ああ」
 そして側にあった切り株の上に腰掛ける。それからまた溜息をついた。
「はっきり言えたらなあ。どうして言えないんだろう」
 彼にとってそれがッ最大の悩みであり苦しみであった。
「何とかしたいけれど。何にもできないな」
 困っていた。だがそんな彼を神は決して見捨ててはいなかった。
「あれか」
 それを遠くから見る一つの影があった。
「話には聞いていたけれどあまり活発そうじゃないな。どうやら噂通りみたいだ」
「先生に何とか告白したいけれど」
「先生?ははあ」
 その影はそれを聞いてその先生が誰かすぐにわかった。
「あの人か。何だ、あいつはあいつで困っていたのか」
 影はそれに気付いてにんまりと笑った。
「これは好都合だ。あいつを先生と一緒にさせればさらにいい」
「けれどどうやって先生と一緒になろうか」
「そんなのは簡単だな」
「ああ、どうすれば」
「頭は抱える為にあるんじゃないさ。考える為にあるんだ」
 そう言うとヴァシェクの前に出て来た。黒い上着と白いズボンの若者であった。
「君は?」
「僕かい?この村の者さ」
「そうだったの。はじめまして」
「はじめまして。ところで君はヴァシェク君っていうんだね」
「はい」
 ヴァシェクは答えた。
「ミーハさんとこの娘さんと結婚する予定らしいね」
「ええ」
 それにも素直に答えた。なお素直さは時として命取りにもなる。
「けれどあまり嬉しそうじゃないね。どうしてだい?」
「それは」
 彼はここで口ごもった。
「エスメラダ先生と結婚したんだろ、本当は」
「えっ」
 思っていたことを言われてギョッとした。
「何でそれを」
「わかるさ。君の顔に書いてあるから」
「僕の顔に」
「そうさ。君は結婚したいんだろ、先生と」
「はい」
「けれどそれはお父さんとお母さんが反対するから言えないんだな」
「わかりますか」
「わかるさ。僕は君のお父さんとお母さんも知っているからね」
 お母さんと言ったところで彼の顔が一瞬だが歪んだ。しかしヴァシェクはそれには気付かなかった。一瞬であったしぼんやりとした彼には気付かないことであったからだ。
「それでも本音じゃ何とかしたいだろ」
「はい」
「けれどどうしたらいいかわからない。違うかな」
「どうしてそんなことまでわかるんですか?」
「僕は何でも知っているのさ」
 若者はにこりと笑ってそう答えた。
「何でもね」
「まるで嘘みたいだ」
「嘘じゃないさ。僕は君に対しては嘘はつかないよ」
「本当ですか?」
「ああ。だから僕の言うことをよく聞いてね」
「はい」
 ヴァシェクは頷いた。
「お願いします。どうしたら先生と一緒になれますか?」
「それはね。ケツァルさんがいるね」
「結婚仲介人の」
「彼に言うんだ。この村の娘さんと結婚するって」
「けどそれじゃあわからないんじゃ」
「わかっていないね。この村の娘さんだよ?」
「それが何故」
「君はマジェンカと結婚する予定だね」
「はい」
「マジェンカはこの村の娘さんだね」
「ええ、そうですけど」
「そしてエスメラダ先生も。この村の生まれだよね」
「あっ」
 そこまで言われてようやく気付いた。イェニークはそれを見て心の中で思った。
(やはりとろいな)
 しかしそれは心の中だけであった。外見上は冷静にそのまま言葉を続ける。
「これでいいんだ。後は先生をどう納得させるかだけれど」
「それはどうすればいいですか?」
「またケツァルさんにお願いしよう」
「ケツァルさんに」
「そう。あの人にエスメラダ先生のことを頼むんだ。確かあの人もそろそろ身を固めたいと思っていた筈だし」
「都合がいいですね」
「人間の世界ってやつはね、神様に都合よくできているのさ」
 イェニークの言葉は少しシニカルであった。
「要は神様がどう考えて何をしたいのか、それをわかっていればいいんだよ」
「そうなのですか」
「そうさ。じゃあいいかい」
「はい」
「先生にはね、こう言ってもらうんだ。この村で自分を真剣に愛してくれる若者と結婚したい、とね」
「自分を真剣に愛してくれる若者」
「それは君のことさ。これでわかったね」
「成程、そういうことだったのですか」
「そうさ。まあそっちはそれで大丈夫かな」
「はい、有り難うございます」
「ちょっと待った」
 だがイェニークはここでヴァシェクを呼び止めた。
 
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