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売られた花嫁

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第三幕その二


第三幕その二

「ケツァルさんにはね、いい話があるって言って切り出すんだよ」
「いい話が」
「そうさ。あの先生はお金が好きだから。儲け話には飛びついてくるよ」
「本当に貴方は何でも知っているんですね」
 ヴァシェクは思わず感嘆の声を漏らした。
「素晴らしいです。どうしてそんなに」
「色々とあったからね」
 ここでまた表情が一瞬曇った。だがヴァシェクはそれには気付きはしない。
「色々と」
「うん。まあそれは君には関係ないことさ」
「そうですか」
「だから気にしなくていいよ。それより」
「はい」
「後肝心なのはマジェンカのことだけれど」
「マジェンカ」
 それを聞いたヴァシェクの表情が一変した。イェニークもそれに気付いた。
「どうしたんだい?」
「彼女とだけは嫌です」
「何かあったのか」
「あったと何もとんでもない女の子らしいですね」
「とんでもない」
「はい。我が儘で浮気者だとか。僕そんな人と一緒にはなりたくはないです」
「おやおや」
 話を聞きながら好都合だと思った。だが彼はここで別のことを考えていた。
(誰かに吹き込まれたのかな)
「ねえ」
 彼はヴァシェクに尋ねた。
「そのマジェンカのことは誰から聞いたのかな」
「誰から」
「うん。何かとんでもない娘みたいだけれど」
「可愛らしい娘さんからです」
「可愛らしい娘さんから」
「はい。小柄で青い目に金色の髪の。ぽっちゃりとしていました」
(ああ、彼女か)
 イェニークにはすぐに見当がついた。
(向こうも向こうで動いていたか)
 それがわかり内心ほくそ笑んだ。中々面白いことになっていると思った。
「その娘に言われたんだね」
「ええ。それは本当でしょうか」
(何と答えようかな)
 ヴァシェクを見ながら考える。彼は如何にも不安そうにしている。それを見て決めた。
「その通りさ」
 ここは彼女の言う通りにした。
「そうなんですか」
「そうさ、だから絶対に止めた方がいい」
「絶対に」
「彼女と結婚したら君は不幸になる」
「不幸に」
「人生は滅茶苦茶になってしまう」
「そんなに」
「そうさ。だから彼女との結婚は絶対に止めた方がいい。わかったね」
「は、はい」
 真っ青になってそれに頷く。ぶんぶんと首を急かしく縦に振る。
「これでわかったね。君はエスメラダ先生と結婚するべきだ」
「はい」
「間違ってもマジェンカと結婚しちゃ駄目だよ。いいね」
「わかりました」
「それならよし。じゃあ行ってくれ」
「何処に」
「ケツァルさんのところだよ。すぐに行った方がいい」
「わかりました」
 こうしてヴァシェクもすぐに姿を消した。行く先は決まっていた。イェニークは彼を見送って一人ほくそ笑んでいた。
「これで手は全て打ったかな」
 しかしまだやるべきことはあった。そして彼は動いた。
「最後はやっぱり彼女を何とかしないとな」
 そう言いながら彼も何処かへ去った。後には誰も残ってはいなかった。次の騒ぎの前置きであるかのように沈黙がそこを支配していた。
 ケツァルに話をしエスメラダにそう言ってもらったヴァシェクはまた一人ぼんやりと考えていた。
「これで僕と先生は結婚できるのかなあ」
 そう思うと嬉しいがやはり不安はあった。
「できたらいいけれど」
 もしできなかったならば、そう思うと不安で仕方ないのである。
 それでも考えずにはいられない。そこへケツァルがやって来た。
「ヴァシェク君、ここにいたか」
「あ、ケツァルさん」
 彼はケツァルに顔を向けた。
「どうしてここに」
「どうしてって君を探していたんだよ」
 彼はそう答えた。
「僕をですか」
「そうさ。まずはエスメラダ先生だけれど」
「はい」
「この村で自分を真剣に愛してくれている人と結婚するそうだ。快く承諾してくれたよ」
「本当ですか!?」
「ああ。そして君のことだけれど」
「はい」
「この村の娘さんと結婚するんだね」
「はい」
 ヴァシェクはそれに頷いた。
「間違いありません、その通りです」
「ふむ、ならいい」
 彼はそれを聞いて納得した。
「何か引っ掛かるが」
「気のせいですよ」
 慌ててそう返す。
「そうかな」
「そ、そうです」
 さらに慌てて言い繕う。
「だから気になさらないで」
「だといいけれどね」
 半信半疑ながらとりあえずは納得することにした。そして話を進めることにした。
「あの娘がこの村の娘であることには変わりないしな」
「ええ」
「じゃあこれにサインをお願いできるかな」
 そして懐から新しい契約書を出した。そこにはヴァシェクがこの村の娘と結婚すると書いてあった。クルシナの娘ではなくなっていた。だがミーハの息子の部分だけは同じであった。
「いいかい」
「はい」
「おお、そこにいたのか」
 しかしここで地味だがパリッとした民族衣装に身を包んだ中年の男女が姿を現わした。見れば男は何処かヴァシェクに似た顔をしていて髪はイェニークのものと同じ色であった。女の方は髪と目の色がヴァシェクと同じであった。
「あ、お父さんお母さん」
 ヴァシェクは二人を見てそう言った。
「どうしてここに?」
「どうしてって探したんだぞ」
 二人はとぼけた様子のヴァシェクに対してそう言葉を返した。
「一体何処に言っていたのか。心配したんだ」
「そうだったの」
 ヴァシェクはそれを聞いて申し訳なさそうな顔になった。
「御免なさい、心配かけたね」
「わかればいいんだけれどな」
「結婚するんだから。もう少ししっかりして欲しいわね」
「いや、ミーハさんハータさん」
 だがケツァルはそんな二人を安心させるように穏やかな声で二人の名を呼んだ。
「何か」
「御心配には及びませんよ。私がヴァシェク君についておりますから」
 そう言って胸を張った。次にその胸を左の拳でドンと叩く。
「そうですか」
「はい、ヴァシェク君は絶対にマジェンカさんと結婚できますよ」
「マジェンカと」
 それを聞いたヴァシェクの顔が青くなった。
「そうなったら僕は不幸に」
「何かあったのかい?」
 ケツァルだけでなく彼の両親もそんな彼を見て心配になった。
「何かあればお言いよ」
 ハータは特に心配そうであった。母親であるが為か。
「う、うん」
「御前には絶対に幸せになって欲しいからね」
「幸せに」
「そうさ。だからしっかりしておくれ。いいな」
「うん」
 ヴァシェクは母親に言われながらもその顔を青くさせたままであった。だがここで先程の若者と新しい契約書のことを思い出した。そしてその青い顔を元に戻した。
 
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