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ラ=ボエーム

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第二幕その五


第二幕その五

「困ったことだ、全く」
「今度の犠牲者は誰かな?」
「私共もその中で」
 店の者達が慌しく動き回りながら応える。
「ムゼッタさんが来るといつもこうですよ。騒いで派手に注文して」
「そして皆が店に来て注文する」
「はい、まああの人が来てくれるだけで忙しくなります」
「それでお店は繁盛だ」
「ははは、確かに。あれこれと五月蝿い人ですけれどね」
「無視を決め込むのね」
 ムゼッタは相変わらず飲み続けているマルチェッロを睨みつけていた。
「いや、そんなことはしておらんよ」
 アルチンドーロはそれを聞いて慌てて顔をあげた。
「食べているだけで」
「そうなの」
 だがムゼッタは彼の話を聞いてはいなかった。
「それならそれでこっちにも考えがあるわ」
「また注文するのかい?」
 わかっていないのはアルチンドーロだけであった。店の者も客もムゼッタが誰を見ているのかわかっていた。そして楽しげに眺めていたのだ。
「これは面白いお芝居だ」
「ああ」
 ショナールとコルリーネも笑みを浮かべて眺めていた。
「どうなるかな」
「これからお楽しみ」
「あまり趣味のいいお芝居じゃないけれどね」
 だがロドルフォはあまりいい顔でこのやり取りを眺めてはいなかった。
「どうしてなの?」
「僕は浮気とかは絶対に駄目なんだ」
 その理由はこれであった。ミミに対して言う。
「そうなの」
「だから。それだけは駄目だよ」
「私はそんなことはないわ」
 ミミもそうであった。だがその基準が違っているのはこの時まだ気付いてはいなかった。
「皆わかっているみたいだな」
 コルリーネは相変わらず楽しんでいた。
「ああ、こんな面白い芝居見ずにはいられない」
「フン」
 ショナールもそれは同じであったが当事者であるマルチェッロだけは違っていた。ムゼッタをあくまで無視して相も変わらず酒と食べ物を詰め込んでいる。
「こうなったら」
 ムゼッタは遂に動いた。
「こっちから攻めてやるわ」
「おい、どうしたんだ」
「何でもないわよ」
 急に立ち上がった。アルチンドーロは適当にあしらう。
「私が街を歩くとね」
 マルチェッロが意識しているのを見越して言う。
「皆立ち止まって私を見るわ。頭のてっぺんから足の爪先までね。あまりにも美しいから」
「また何か言ってやがるな」
 マルチェッロは必死に無視しようとする。相変わらず酒に気を紛らわせる。
「その時私はいつも微妙な満足感を味わうわ。皆が私を見ていて、そして魅力に気付いてくれているのがわかるから。その視線がたまらないの」
 声は独り言の様でいてマルチェッロに向けられていた。
「ふん」
「その私を知っていて、思い出して、そして悩み苦しんでいる人が私から逃げられるかしら。そんな筈がないわよね」
 そしてここで媚惑名笑みを浮かべる。
「ねえロドルフォ」
 ミミはここでロドルフォに囁いた。
「何だい?」
「あの人だけれど」
 ムゼッタを指差しながら言う。
「本当にマルチェッロが好きなのね」
「そうかな」
「だから。あんな風に言うのよ」
「けれど彼女は移り気でね」
 ロドルフォはここでこう返した。
「贅沢な生活の為に彼を振ったんだ。それで今の彼女があるんだ」
「それでもよ」
 ミミは言う。
「マルチェッロのことが本当に好きだから」
「けれど同時に贅沢も好きなんだ」
「けれど。今は贅沢よりもマルチェッロを見ているわ」
「また心変わりするだろうけれどね」
「そうかしら」
 その言葉には悪戯っぽくとぼける。
「ムゼッタは何時でもそうなんだ。だからそうしたものだって考えた方がいいよ」
「私はそうは思わないけれど」
「まあ見ていなって」
 ロドルフォは言った。
「これからどうなるかね」
「さてさて、罠が見えてきたな」
「ああ」
 ショナールとコルリーネは互いに囁き合っている。
「一人は罠にかけ、一人はそれに落ちる」
「落ちるかな」
「何なら賭けるかい?」
「おいおい、そんなことは言ってないよ」
「何だ、面白くないな」
「それに結果は僕にもわかるし」
 コルリーネは言った。
「そうか」
「私にはわかっているわ」
 ムゼッタはまだ攻撃を仕掛けていた。マルチェッロにさらに言葉をかける。
「自分の苦しみを口には出さなくてもその中では死ぬ程苦しんでいるわね」
「ムゼッタ」
 その話にたまりかねたのかアルチンドーロがたまりかねて言う。
「だからそんなに無作法なことは」
「パリジェンヌの動きそのものが作法なのよ」
 だがそれには弱らずにこう返した。
「行儀も作法も私達が作ってるのよ」
 パリジェンヌらしい言葉であった。
「だからつべこべ言わないの」
「そんな」
「本当に彼が好きなのね」
 ミミはまた囁いた。
「可哀想な人。どうするのかしら」
「どうにもならないと思うけれどね」 
 ロドルフォはまた言った。
「燃え尽きた愛は戻らないし。侮辱を受けてそれに返さない愛なんてないから」
「けれど」
「僕はそれはないと思うけれど」
「私は信じるわ」
 ミミは澄んだ声で言う。
「あの人はきっとマルチェッロを」
「負けるな、これは」
「ああ」
 コルリーネはショナールの言葉に頷き続けていた。
 
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