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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第102話 憂国 その2

 
前書き
お疲れ様です。

ちょっと内容が内容だけに書いていて息が詰まって仕方ありません。
なんとか早く乗り切って、どこでもいいから戦艦に乗り込みたいところです。 

 
 宇宙暦七九一年 二月 ハイネセンポリス

 そのままトリューニヒトの別荘に泊まることなくハイネセンに戻った俺は、いつもの通り出勤し、いつものように仕事をこなしていた。同盟中央政府全体が加速度的に忙しくなる中、去年同様に俺も各省庁・議員会館・評議会議事堂を駆けまわりつつも、時として接待に宴席にゴルフ場にと動きまわる日々が続く。

 毎朝官舎の洗面台で見る顔は、日を追うごとに人相が悪くなっていく。食欲は低下し、飲酒量は多くなった。爺様の下で戦争していた時のいつ死ぬかわからない緊張感より、なぜかずっと体にかかる負担が大きくなっている自覚がある。他人に余計な気遣いをさせないよう化粧して出勤するなんて、下っ端技術職だった前世には到底考えもしなかったことだ。

「少しお休みを取られてはいかがでしょうか?」

 面会予定の隙間の時間。チェン秘書官は、心の底から上司の体調を心配しているといった上目遣いでそう言うが、レポートの存在をトリューニヒトに密告したのがこの女狐以外には考えられない以上、言葉通りに受け取ることは到底できない。職場で作成していたのだから、一概に文句の言える筋合いでもない。だいたいそのきっかけとなるツアーは、チェン秘書官が俺の有給休暇を潰して実施されてたのだが……

「まだ若いですから今週末の日曜日にぐっすり寝れば大丈夫です。チェン秘書官こそ、私の仕事に合わせて働いているんですから、お疲れでしょう」
 お前が余計な事したからだよと含めて、俺が応えると、
「あら、ボロディン中佐? 確かに私は中佐よりも歳上ですが、世間一般ではまだまだお嬢ちゃんと言われる年齢なんですけれど?」
A四ボードを胸にきつく抱え、二〇代前半位の童顔に『ぷんすか』といった表情を作って、『腰を振ることなく』キッチンへと去っていく。そんな公称三三歳(実年齢四六歳)の白々しさ満点の抗議と行動に、俺は肩を竦めて苦笑せざるを得ない。

 こんな到底マトモでない仕事内容と人間関係の中で、ピラート中佐はいったいどういう気分で働いていたのだろうか。俺みたいにアホなレポートを作ったりせず、ただ流されるままにあったのだろうか。かつてピラート中佐が抽象画を飾っていた壁に視線を向けて大きく溜息を吐くと、キッチンから戻ってきたチェン秘書官が、先程の『心配する表情』に『真剣なまなざし』を加えて、いつものカモミールティーを机の上に置いて言った。

「ボロディン中佐。少し真剣なお話しなのですが、よろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
 チェン秘書官のこういう言葉遣いは初めてなので、俺もリクライニングを戻して、童顔と真正面から向き合うと、チェン秘書官は眼球だけ動かして二人しかいない部屋の左右を見た後、声を潜めて言った。
「今は法秩序委員会に勤めている秘書仲間から聞いたの話なのですが、ハイネセン市中において違法薬物の頒布が、ここ最近相次いで確認されているとのことです」
「違法薬物?」
「サイオキシン麻薬です」

 は、と声にならない声が、俺の喉を通り抜ける。特定の天然産物に依存することのない化学合成麻薬であり、原作でも強烈な快楽と引き換えに催奇性と催幻覚性が著しいと語られている。その摘発に当たっては帝国と同盟がひそかに協力したと言われる位の代物。
そしてそれは地球教の資金源であり、隷属的で狂信的な信者を産み出す為の道具でもある。他にもバーゼル退役中将のように軍隊内で密売して巨利をむさぼっている者もいる。

「……私がそれを使うと?」

 もう溜息しか出ない。確かに『宿題』の存在が俺に必要以上の重圧を与えているのは確かだが、それで麻薬のしかもサイオキシンを使うまで落ちぶれたつもりはない。実のところキルヒアイスがホフマン警視に見せられた写真がいかなるものか、転生して自己の意識確立をしても疑われない四歳だったかの頃にこっそり調べてみて、エレーナ母さんに気づかれるまで失禁したことが分からなかった位の衝撃を受けた。あれ以来、麻薬頒布する奴は殺すべしと思っているし、自分が使うなんて考えは毛頭ない。
 ただアレは無味無臭。拒絶反応が出た信者が出るまで、ポプランですら気が付かなかった。

「入ってません! 失礼ですわよ、中佐!」

 ティーカップのハンドルの上で奇妙な踊りを踊る俺の右手の指を見て、チェン秘書官は文字通り顔色を変えて怒鳴った。確かにこの半年間、腹が膨れるくらい飲んできてもテーブルを投擲するような拒絶反応も出ていないし、今更入っていたことに気が付いたとしても、もう手遅れだ。

「とにかく薬物には十分お気を付けください。売人というのはどこに潜んでいるか分かりません。優しい言葉で人の心を絡めとり、薬で人の全てを支配します」

 ここにも近親亜種が潜んでいるような気もするがな、とはもちろん口には出さない。チェン秘書官の上司は俺であり、トリューニヒトであり、中央情報局国外諜報部だ。誰が真の上司かわからないが、チェン秘書官が俺にサイオキシン麻薬の頒布状況を吹き込む理由はなんだろうか。ただ単に俺の体調や精神状態を心配しているだけとは到底思えない。
 それに原作におけるサイオキシン麻薬の一番の使い手は地球教徒だった。帝国領侵攻が失敗に終わった後、総大主教がルビンスキーに釘を刺していた時に言っていた、『両陣営に潜んでいた地球回帰の精神運動の惹起』。その尖兵が動き始めているということなのだろうか。

「法秩序委員会の見解とか捜査状況とかの話は?」
「さすがにそこまでは……」
「まぁ、そうでしょうね」

 チェン秘書官の秘書仲間も思わず口が滑ったというところか。もしこんなところから捜査情報が洩れる程度なら、地球教徒もさぞかし仕事がしやすいだろう。従順な信徒を増やし集票組織としての力とつけ、クーデター時にはトリューニヒトの身柄を守るなど実働部隊として……

「……まさか」

 いつからトリューニヒトと地球教徒が協力関係になったのか。原作は『お互いを利用し合う関係』としか書いておらず、具体的な時期まではわからない。
 ただ総大主教がルビンスキーに言っていた、帝国・同盟の権力・武力の収斂化。帝国は金髪の孺子に、同盟はトリューニヒトに。その上で信仰によって精神面から支配する。社会の不安定性を維持するには帝国と同盟は対立状態になくてはならず、平和共存しようとしたマンフレート二世も、自主的な行動をとろうとした『現』フェザーン自治領主ワレンコフも手にかけたと言っている。

 俺が提出しようか迷っているレポートは、冷戦状態という緊張感のある平和共存を作り上げるものだ。その主幹は、戦争をイゼルローン回廊内部に押し込み、専守防衛体制を作り上げ、同盟国内の国家経済力を回復させることにある。総大主教と地球教徒にとってはあまり都合のよろしい話ではない。

 国防態勢が再編成され同盟市民の精神的安定が先か、それとも配備の遅れから結局は原作通り社会不安の道を辿るか。戦略研究予算獲得から首飾りの製造までのことも考えれば、五年のうちに防衛ラインの整備に取り掛かれるかどうかはギリギリか……
 
 トリューニヒトはそれを見越して俺に遅いと言ったのだろうか。すでに自分は地球教徒と手を結び、誠実な協力者として同盟を崩壊させるシナリオは進んでいると。だが現時点で地球教徒とトリューニヒトが手を結んだという明確な証拠はないし、サイオキシン麻薬の頒布と地球教徒の関係を認識あるいは妄想している人間は、ズルをしている俺以外は当事者だけと考えていいはず。

「どうせ言っても『ダメ』ということかな」
「なにか、仰いましたか?」
「いや、なんでもありません。疲れている時は独り言が多くなりますのでね」

 軽く咳払いをしつつ、再びリクライニングして無機質な天井を見上げる。ほぼ内容を知っているトリューニヒトにレポートを提出する意味は、物的証拠と答え合わせ以外にはない。地球教徒と手を組んでいるとしたら、俺はとうに要注意人物か暗殺対象になっている。もっとも俺はあまりに小物過ぎて暗殺するまでもないとは思うが。

「チェン秘書官。レイバーン議員会館五四〇九室に、近々でアポイントを取ってくれ」
「承知いたしましたわ、中佐」

 そう言って深く頭を下げるチェン秘書官の顔を見ることはできなかったが、その声色がいつもより少しだけ音程が高かったのは、決して間違いではないように思えるのだった。





 結局その日のうちに俺はトリューニヒトの議員会館執務室に行って、データファイルを手渡すだけで終わった。
 正確にはチェン秘書官が連絡して三〇分も経たないうちにトリューニヒトから直接俺のオフィスにヴィジホンで、今日は同じ与党でも別の派閥の幹部連といろいろ話があって帰庁がおそくなるので、執務室にいる若い秘書にファイルを渡しておいてほしいと連絡があった。

「確かにお預かりいたしました」

 深い知性を感じさせる瞳とモンテイユ氏並のカモメ眉のアンバランスにも驚かされたが、それよりも若くて張りのある顔つきにもかかわらず、声が実に深いローバリトンなのには驚いた。俺より少しだけ背は高く、チェン秘書官と同じ豊かな黒髪を奇麗にスリックバックスタイルに纏めているので、一見するとスポーツ系俳優にも見えるが、深みのある藍色の濃い瞳がただの青年ではないと思わせる。

「ヴィクトール=ボロディン中佐のお噂は、トリューニヒト先生から常々伺っております」
「あ、そうですか」
「あ、あぁ、すみません。私としたことが。大変失礼を。自己紹介がまだでした」

 笑顔を浮かべる好青年は頭を右前に傾け、セットした髪を撫でつけた後で、ピシッとアイロンの掛かった俺でも知っているブランドのスーツから名刺を取り出した。

「ハワード=ヴィリアーズと申します。先々月よりトリューニヒト先生の私設秘書を務めております」
「こちらこそ失礼いたしました。国防政策局戦略企画参事補佐官のヴィクトール=ボロディンです」

 議員秘書の名刺と軍人の名刺は共に味もそっけもない定型。しかもお互いに手慣れた作業なのに、お互い年齢が近そうということで何となく可笑しさが溢れて、お互い苦笑が漏れる。

「先生は国防委員会理事ですので、軍人の方々にも多く会うのですが、あまりに多すぎまして正直覚えきれませんで。名刺交換もほんの一瞬ですから、まだ顔と名前が一致しないどころではないのですよ」
 大変失礼しましたと、ソファに座ってから改めてヴィリアーズ氏は頭を下げた。
「ちょっとした縁故があって先生のところでお世話になることになりましたが、ハイネセンは人が多すぎまして来たばかりなのにもう故郷が恋しく思っております」
「失礼ですが、ご出身はどちらで?」
「ポレヴィトです。商船はいっぱい通りますが、みんな燃料補給で立ち寄るだけです。燃料生産と応急的な船舶補修以外の産業に乏しく、なかなか豊かになれない辺境星域ですよ……」
 そう言うと、ヴィリアーズ氏は、はぁ、と肩を落として深い溜息を吐く。
「商船を狙う宇宙海賊も山ほどいます。ですが警備艦隊の数は少ない。主星系であるルジアーナには艦隊の根拠地があるのでまだマシですが、二次航路・三次航路の安全率は目を覆わんばかりです……あ、そう言えばボロディン中佐は、以前ケリムとマーロヴィアで警備艦隊にお勤めだったとか」
「ええ、まぁ」
「もし機会がありましたら、改めてお話をお伺いさせていただきたいです。『マーロヴィアの狐』と名高い手腕を是非とも」
「さすがに過大評価ですよ。それは」

 耳にしただけで思わず口を付けたふりをした珈琲を吹き出しそうになる。バグダッシュから聞いた俺に対する異名は、もうこんなところまで伝播しているのか。俺がマーロヴィアでやったことは大筋の作戦立案だけであって、星系内の海賊討伐は爺様が、情報工作はバグダッシュが、実働戦闘指揮はカールセンがやったことだ。それにパルッキ女史が行政側で踏ん張っていたからこそ、治安回復はなったと言っていい。

「報告書については統合作戦本部の資料室に収められていると思います。トリューニヒト先生の関係者であれば、もしかしたら閲覧可能なのではないですか?」
「せっかく作戦立案の当事者と直接お話しできる距離にあるのに、わざわざ閲覧申請を出して血液採取までされてその上で数か月待たされた上で、都合のいい事しか書いてない報告書を読むなんてどうかしていると思いませんか?」
「正規の手続きとはそういうものだと思いますよ」
「仰る通りですが、中央政府のそういった無意味な形式主義が、ハイネセンと地方の意思疎通の劣化を招いているのではないですかな?」
「海賊討伐という機密に関わる情報について、小官の口が正規の手続きに劣ると思われるのは心外ですな」

 知り合ったばかりの、どんな人間かすらわからない議員私設秘書に、ペラペラと軍事機密を話せるわけがない。今すぐぶんコイツを殴ってファイルを取り戻そうと思わないでもないが、ファイルをコイツに渡せと言ったのはほかならぬトリューニヒトだ。奴の防諜に対する無神経さは救いがたいが、その批判はそのまま指示に従ったバカな俺にも帰ってくる。
 こいつがここでファイルを開くようなら力づくで奪い返す。いくら時間がかかってもトリューニヒトに直接渡すのを見届けなければならない。足を組み、腕を組み、ジッと無言でヴィリアーズ氏を睨みつける。睨みつけられたのが分かったのか、ヴィリアーズ氏も眉間に皺を寄せ、こちらから視線を逸らさない。

 だが睨み合いは一〇分も経たず、唐突にトリューニヒト自身が執務室に帰ってきたことで終る。

「わざわざ私のことなど待っていなくても良かったのだが、どうかしたのかね?」
 雨が降っていたのか少し湿気たコートをハンガーにかけながら、トリューニヒトは微笑を浮かべて言った。
「ヴィリアーズ君とあぁも睨み合っているのは尋常ではないが、もしかして君達の間には私の知らない怨恨でもあるのかね? だとしたらセッティングした私のミスだが」
「いえ。ヴィリアーズ氏と小官は、今日が初対面です」

 確かに初対面ではあるが、『知らない』相手ではない。先程まで豊かな頭髪と若さと気軽さに気を取られて、別人だと勘違いしていただけだ。どうか別人であってほしいと別の意味では思うが、思い返せば返すほど同一人物としか思えない。

「ではどうしてかね? 温厚篤実と評判の君らしくもない行動だと思わないかね?」
「レポートの提出が遅くなったことはお詫び申し上げます。またレポートの内容が、時機を逸してしまった可能性が高いことも併せてお詫び申し上げます」
 俺が深く頭を下げて最敬礼すると、執務席に深く腰掛けたトリューニヒトは呆れたと言わんばかりに深く溜息をつく。
「……しかしそれとヴィリアーズ君とどのような関係があるのかね?」
「踏み込んだことをお聞きいたしますが、ヴィリアーズ氏の機密接触資格レベルは、通常の議員私設秘書と同様と考えてよろしいのでしょうか?」
「勿論だとも。彼は私の指示なく君のレポートを開くような真似は絶対しないだろうし、君も当然プロテクトはかけているんだろう?」
「世の事象に絶対という言葉はありません。プロテクトとて時間と手間をかければ解除することもできるでしょう。彼がとびきり優秀な人物であるとは理解できますが、軽々しく知人でもない軍人に対し機密情報を話させるようと仕向ける人物は、信用に値しません」

 まして内容は海賊討伐に関わる。話した内容が海賊組織に流れれば、今後の討伐行動に支障が出るのは疑いない。知人だろうがそうでなかろうが、海賊と通じていようがいまいが関係なく、無資格者が話させようと仕向けること自体が問題だ。反権ジャーナリストだってその辺は弁えている。

「なにもヴィリアーズ氏が海賊のスパイであるとか、そう申しているわけではなりません」
 実際は別の組織のスパイであるが、既にトリューニヒトの私設秘書として働いている以上、公平中立な証拠がない限り、主張しても誹謗中傷と取られるだけだ。即座にブラスターで蜂の巣にしてやりたい気分だが、ド田舎の検察長官とはわけが違うし、原作における未来ではともかく、現時点で銃殺に値する罪を犯していると証明されたわけでもない。それに下手をしなくとも外交問題になりかねない。
「ただ小官にとって現在のヴィリアーズ氏は、『ハイ、どうぞ』と重要書類を預けるほど信用できる人物ではないということです」
「……なるほど」

 頬杖をかき、左手人差し指がコンコンと規則正しく音を立てる。トリューニヒトが長考する時の癖だ。ヴィリアーズ氏と俺を天秤にかけているのかまでは分からないが、少なくとも自己の生存にはどちらを優先するかくらいは考えているだろう。優先するとしたらたぶん俺ではない。五分もそうしていただろうか、人差し指は動きを止め、両手が組まれて俺を正面から見据える。

「ヴィリアーズ君はポレヴィトで家庭的には恵まれない幼少期を送っていてね」
 それは両父親が軍の高官であり、少なくともこの世界では家族愛に恵まれて育った俺に対する当てつけだろうか。トリューニヒトは思い出話のようにゆっくりと抑揚なく話し続ける。
「ほとんど児童養護施設で暮らしていたと言ってもいい。それでも勉学に励み、働きながらもポレヴィトの通信制大学を首席で卒業した。故郷ポレヴィトに対する深い愛情が故に、辺境海賊の討伐で成功実績のある君に縋りつく思いがあったのだと思うよ」
「そうかもしれません。ですが……」
 俺がそれに反論しようとすると、トリューニヒトはすぐに左掌を俺に向けて、俺の言葉を塞ぐ。
「君の言いたいことも分かる。軽々しく君が口を開くなどと思われては、私としても迷惑だ。彼にはしっかりと私から釘を刺しておくよ」
「……」
「君も言う通り、彼はとびきり優秀な青年だ。官僚になればたちまち頭角を現すだろう。彼はポレヴィト選出の同盟評議会議員を目指しているが、まだ若くて付き合い方では未熟なところもある。そこを指導するのもまた、先達である我々の任務だと思うのだがね」

 家庭的に恵まれない地方から出てきた野心溢れる優秀な若者に、政治のイロハを優れた中央の先達が指導する。実に美しい話だ。一〇代向けの小説であれば、さしずめ俺は主人公に上から目線でイチャモンをつけるいけ好かない坊ちゃんエリートと言ったところか。物語中盤に打倒される、口先だけの使えない先輩みたいな。

 そして大ボスであるトリューニヒトは、俺とヴィリアーズ氏の両方を子飼いとしたい、というのか。政治のヴィリアーズ、軍事のボロディン。なるほどそういうふうに俺が解釈してくれると思っているのかもしれない。だがトリューニヒトの執務室を出る時ヴィリアーズ氏とすれ違ったが、一瞬だけ見えた奴の俺を見る目にはそんな殊勝さなど欠片も感じられないほどに、毒々しい元素が含まれていた。

 ヴィリアーズという名前は確か英語だ。同盟は銀河連邦の正統な後継者として標準語を使っているが、その基本となる言語もまた英語だ。だから奴がここハイネセンでヴィリアーズと名乗っているのは決して間違いではない。

 奴の名前は、その元になったフランス語であろうから。





「今日の君はだいぶ上の空だな」

 雲量三といったごくごく普通の空。ハイネセンから超音速大気圏内航空機で二時間。亜熱帯に位置するビューダーオ・カントリークラブの第四ホールから第五ホールへ全自動カートでの移動中。横に座っているペアを組むラジョエリナ氏が、バンカーに落として這い出すのに砂だらけになっている俺を見て、俺に聞こえるくらいの小さな声で囁いた。

「いつものようながむしゃらさがない。今日一日とにかく無難にこなそうという雰囲気が漂っているぞ」

 接待される側からそんな指摘をされるというのは大失態だ。自分としてはいつもと変わらないプレーと会話だったつもりだが、百戦錬磨の元統括安全運航本部長はとうにお見通しだったらしい。本部長のスコアもいつもの通り酷いありさまだが、今日の俺はそれを上回る。

「大変申し訳ございません。やはりわかってしまいますよね」

 仕事が忙しいとか、対処不能な問題があるとか、いきなりそういう返事はNGだ。どんな正当な理由があろうとも、全て言い訳になってしまい、相手の気を悪くしてしまう。まずは謝罪。ついで事実の承認。否定的な言葉を使わずに、理由を相手に質問させるように誘導する。

「なにか悩み事でもあるのかね。君が頭を抱えなきゃならん程の話となると、結構大事とは思うが」
「そんな大事ではないのですよ。問題点はだいたいわかっているのですが、もう少し上手い解決法がないかと考えて悩んでいるところでして」

 相手に必要以上の警戒を抱かせないよう、状況はコントロールできていると説明し、現在は解決に向けた段階にあると納得させる。そして、相手に全く同じ状況になった場合を考えさせる。

「ラジョエリナさんとしては、こう、もうちょっと上手い方法はないかなと悩んでいる時、どういう風に気分転換されます?」
「んんん?」
「運航本部長をされていた頃は、色々と大変なこともおありだったと思いますが、行き詰ったような時、どのように気分転換されてました?」
「気分転換か……」

 かなり太い腕を組み空に浮かぶ雲をしばらく眺めていたラジョエリナ氏は、カートが止まると黙ってドライバーとボールとティーをむんずと掴んで、ティーグランドへと向かう。俺も同じものを持ってその後についていく。

 第五ホール・五四二ヤード・パー五。コース七割方のところに森で囲まれた強烈なクランクがあり、第一打で距離を稼ぎ、二打目か三打目に一度きざみをいれなければいけない。森を直接超えるのであれば、二打目に相当な角度と飛距離が必要となる。だがラジョエリナ氏は容赦なく真っすぐに森の手前へと第一打をもっていった。

「ボロディン中佐はどんな趣味がある?」
「趣味? ですか?」
「私は模型が趣味だ。自社の中型高速貨客船(スーパーライナー)シリーズの二〇〇〇分の一模型を自分で作ったり、集めたりしている。中央航路だけでなく辺境航路用毎のカラーリング、それに放射線汚れや熱焼けなんかをウェザリングで表現すると実に楽しい」
「は、はぁ」

 ゴルフバックを引き摺りフェアウェイをのっしのっしと歩く、明らかに肉体派のラジョエリナ氏が三〇センチ前後の模型を見てニヤニヤしている姿は、想像するだけでもなかなかにシュールだ。

「だが本当に気分が滅入っている時は手を付けない。妻とも仲良くしないし、家族旅行にも行かない。普段と全く別の自分を作り、街に繰り出して酒を浴びるほど飲み、女と遊び、犯罪にならない程度の不道徳の限りを尽くす」
「……」
「サンタクルス・ライン社統括安全運航本部長のジョズエ=ラジョエリナではなく、かなりスケベなフリーランス航宙士ラージェイ爺となって、知り合いがとてもいそうにない別大陸の酒場に行くのさ。その為に最低三日は休む」
 おかげで妻には全く頭が上がらない老後になっているがね、とグレーの髪を掻きながら苦笑する。
「別の自分ですか。想像もできません」
「似たような職業で、全く正反対の人格を構成すればいいんだが、中佐がそれをやると間違いなく警察のお世話になりそうだな。中佐は第二種恒星間航宙士の資格は持っているな?」
「一応は」
 軍艦を動かす上では必須の資格で、士官学校の艦運用教程を受け、単位取得試験に合格すれば取得できる。もちろんペーパーではあるが、退役しても剥奪されることはなく四等航宙士として就職することが可能だ。
「ならラージェイ爺の紹介だと言えばいい」
 そう言うと、ピカピカのゴルフスコアカードに何か書き込むと、それを破いて俺に手渡した。
「これはムカつく宇宙海賊をぶちのめしてくれた勇敢な後輩航宙士仲間へのプレゼントだからな。決して賄賂ではないぞ」

 いやいやどう考えても賄賂でしょうが、と喉まで出かかったが、ガハハハッっと大口開けて笑う『ラージェイ爺』を前にして、ペーパー航宙士としては何も言うことができなかった。 
 

 
後書き
2024.05.13 更新

ハワード=ヴィリアーズ CV:銀河万丈
とすると
ヴィクトール=ボロディン CV:大塚周夫
になるのかなぁ。 
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