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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第95話 大河手前の落とし穴 

 
前書き
明けましておめでとうございます。
本年もボロディンJr奮戦記をよろしくお願い申し上げます。

能登の地震が心配です。幸い筆者は東京で無事ですが、皆様はいかがでしょうか。
何かできることがあればいいのですが、今はプロに任せる時だと思ってもおります。
 

 
 宇宙歴七九〇年 四月一三日 バーラト星系 惑星ハイネセン

 ウィッティに誘拐された高級レストランには、何とか仕事を抜け出してきた同期数名が手ぐすね引いて待ち構えていた。みな俺の生還を祝いつつも、その言葉の最後に高級ウィスキーのグラスを注文し、その返杯を俺は断ることもできず、一方的なタッグマッチになってあえなく撃沈。官舎の玄関に置き去りにされる羽目になった。俺が風邪をひかないよう、わざわざ砂漠迷彩柄の野戦用防寒シートを用意してくれていたのは、恐らく最初からそうするつもりだったのだろう。

 完全に二日酔いの状況で翌日。グレゴリー叔父の官舎に生還の挨拶に行くと、レーナ叔母さんには涙ぐまれつつも呆れられ、イロナには薬を無理やり飲まされ、またも土産を忘れたことに怒っているラリサに腕を引かれて、グレゴリー叔父のベッドに押し込まれた。結局グレゴリー叔父が帰ってきた夜半までぐっすりと寝ることになり、翌朝ようやくまともに話ができるという悲惨な状況だった。

 そして帰還三日目、グレゴリー叔父の家から第四四高速機動集団司令部に出勤することになった俺は、オフィスのある宇宙艦隊司令部に辿り着くまでに、何度も生還を祝福する声掛けと名刺攻めを受けることになった。

「君も名刺のファイルは要るか?」
 今なら安くしておくぞ、と上機嫌で艶々肌なカステル中佐が気持ちのいい笑顔で俺に言う。ちなみにカステル中佐のデスクの上にも一〇〇枚近い名刺が、何かのルールに従ってキッチリと並べて置かれている。
「聞いたこともない同期が、いきなり親しげな顔で急に声をかけてくるのは、ホント心臓に悪いよな」
 そう言って対面に座る無精髭のままのモンティージャ中佐は、名刺入れやポケットから机の上にバラバラとかなりの数の名刺を無造作にばらまく。
「噂話は早い。それが正しいか間違っているか、当の本人でも分からないのに。兵は拙速を貴ぶという事かな」
 参謀長席で一枚一枚確認しつつ、平積みしていくモンシャルマン参謀長の顔は、いつになく冷たい。

 まざまざと見せつけられる猟官運動。制式艦隊となればポストは山ほどある。それを埋めるにはどんな人間でも、今までの知己だけでは到底足りない。特に叩き上げの爺様の同年代はほぼ退役している。統合作戦本部人事部や宇宙艦隊司令部編制部などが動かせる独立部隊などの資料を揃えてくれたりはするが、その中でも僅かな知己を作るために現在の司令部要員に声をかけてくる。

「美味しい公共案件への飛び込み営業と考えれば、まぁこんなものじゃないですか?」
 俺がそう言うと、三人の奇異な視線が俺に集中する。確かにここにいる人達は軍以外の仕事はしていない人達だ。前世の日本社会における営業活動を思い出せば、規制が緩ければこうなるよなとわかるが、そうではない。
「それだけ司令官閣下の名声が軍内には轟いてるので、立身出世の期待が持てるという意味で、ですよ?」
 前世云々抜きにして、さりげなく話を合わせるように俺がその視線に応える。
「……それは司令官の為人をよくご存じないからだろうな」
 名刺のタワーをマスキングテープでぐるぐる巻きにして火炎ダストボックスに放り込んだモンシャルマン参謀長が溜息交じりに言う。
「艦隊司令官になるという『噂』程度で猟官活動するような人物を閣下は重用しない。扱き使われている君達ならわかるだろう?」
 ハイともイイエとも答えにくい質問で返すモンシャルマン参謀長だったが、俺が返事に困っていると、含み笑いを浮かべた。
「だいたい司令官閣下が制式艦隊司令官になったとして、ここにいる全員がそのまま艦隊幕僚にスライドするとは限らないのだからね」
 それは道理だろうが、爺様は面倒なことがお嫌いだ。ほぼ間違いなくスライドさせられる。単純に第四四高速機動集団を編成する時の五倍以上の戦力計算を行わなくてはならない。部隊編制にかかる日数は、一ケ月と見るべきだろう。また徹夜徹夜の日々が始まると考えると憂鬱になったが、溜息をつくまでもなく幕僚事務室の扉が外から開かれた。

「司令官閣下が入室されます」

 扉の脇に立ったブライトウェル嬢の声に、俺を含めた幕僚四人は一斉に席から立ち上がり敬礼する。先に爺様が、あとからファイフェルが入室しブライトウェル嬢が扉を閉めると、爺様が答礼して普段滅多に使うことのない司令官用のデスクにどっかりと腰を下ろした。

「全員を司令官公室に呼ぼうと思ったが、やはり面倒なのでな。こちらで話す。今更だが公式発表されるまでは他言無用じゃ」
 そういう爺様の声はいつもの意気軒昂とは真逆の諦観で満ち溢れている。
「一昨日、サイラーズ宇宙艦隊司令長官より小官に対し第五艦隊司令官職に就くよう内示があった。また昨日アルべ統合作戦本部長より第五艦隊の編制準備を速やかに行うよう指示があった。国防委員会による艦隊編制の承認はまだじゃが、いずれにしろ第四四高速機動集団は解散ということになる」
 ギロッとした爺様の睨みが、幕僚全員に注がれる。
「幕僚諸君においては、ひとまずは第四四高速機動集団の解隊に向けて準備をするように。ついでに昇進にも備えておくこと。儂が面倒なことが嫌いなのは十分承知しているじゃろうから、『マトモな』友人知人をリストアップしておけ」

 それは間違いなく再編成される第五艦隊の幕僚を選抜しておけということだろう。さっそく名刺の出番なのだろうが、爺様が釘を刺す以上、それなりの人間を選ばなければいけない。本当なら首席副官にウィッティを推挙したいところだが、本人はきっと拒否するだろう。残念ながら。

 また再編成において充当される戦力の中核が第四四高速機動集団になることはもはや疑いないが、他にも『前』第五艦隊所属部隊などが統合作戦本部や宇宙艦隊司令部から提示されるだろうから、その切り貼りも前回の比ではない煩雑さがある。その部隊指揮官の数も人間関係の複雑さも。

 だが同時にやりがいも大きい。艦隊戦闘における勝敗だけが制式艦隊の全てではない。その存在自体が国家戦略の重要な一片。その一挙手一投足が、国家の盛衰に関わってくる。それに作戦参謀として関与できるというのは、恐ろしくもありまた嬉しくもある。ようやく金髪の孺子の陶器人形のような美しい首根っこに手を伸ばす権利を得られた、というべきか。

 よっこらせっと、わざとらしく声を立てて爺様が席を立つと、スタスタと司令官公室に繋がる扉を開けて出て行くので幕僚全員は、慌てて爺様を追っかけていくファイフェルを含めて敬礼で見送ったが、爺様は振り向くことなく扉の向こうへと消えていく。

「……らしくないな」

 視線だけで爺様を見送ったモンシャルマン参謀長の呟きが耳に残る。俺はモンシャルマン参謀長ほど爺様と長い付き合いがあるわけではない。俺の疑問の視線に気が付いたのか、参謀長は僅かに肩を竦めて応えた。

「こういう時の司令官閣下はスパッと『仕事しろ』と言って終わりなんだが、ああもグチグチ言うもの珍しい。艦隊編成でなにか面倒な条件でも付けられたかな」

 確かにヤンが第一三艦隊司令官に任じられた時、イゼルローン要塞攻略戦とセットだった。爺様の第五艦隊が原作に登場するのは二年後の第五次イゼルローン攻防戦。だがそれまでに帝国軍と戦うことはないという理由はない。現にこれまで原作にない戦いを俺は戦ってきた。

「しかし、エル=ファシル、アスベルン、アトラハシーズ、カプチェランカとここ一年でビュコック司令官閣下は四度も会戦しておられます。作戦行動回数で言えば二回ですが、いずれも長期間戦闘です。それに加えて制式艦隊が編制され実働編成に至るには、最低でも半年は必要になります」

 今は九年後の同盟末期のような危機的な戦力不足でもない。制式艦隊がまともに運用できるようになる為には、本来それくらいの時間でも足りない。戦場に事欠かないのは確かだが、爺様が出来合いの艦隊を率いて戦いに赴かなければならないような状況は、今のところないはずだ。

「情報部も新艦隊編成については聞いてはいるが、出征の話はさすがにないぜ」
「後方本部も戦略輸送艦隊も特に急ぎの用事はないようだ。あるとしたらカプチェランカへの第三梯団だろうが、そうだとしても半年以上先の話だろう」

 モンティージャ中佐もカステル中佐もそれに同意する。となれば参謀長の勘違い、ということになるのだが長年の勘というモノはそう軽視できるモノではない。耳聡のキャゼルヌに聞くか、統合作戦本部にいる同期・後輩に当たるか、そうぼんやりと考えていると司令官公室の扉が開きファイフェルが飛び出してきた。

「ヴィクトール=ボロディン少佐、ビュコック司令官閣下がお呼びです。お一人で」
「わかった」

 それはモンシャルマン参謀長が付いてきたら困る話ということだ。何も言わない参謀長の眉間に深い皺が寄っているのを見るに、あまりいい話ではないというのは充分に推測できる。扉の外端で見送るファイフェルに軽く敬礼して司令官公室の中に入ると、爺様は自分のデスクではなく応接のソファに座っていた。

「まぁ、立ってないで座れ」

 爺様は俺を手招きした後、自分の前の席を指し示す。俺がそれに従いソファに腰を下ろすと、恐らくファイフェルが淹れたであろう温くなった珈琲を傾けた。二口三口。皿に戻ってから三〇秒。ようやく爺様は口を開く。

「本来ならば儂はジュニアを第〇五一九編制部隊の作戦参謀兼運用参謀に任じるつもりじゃった。じゃがサイラーズもアルべも、名指しで貴官を第〇五一九編制部隊から外すよう儂に命じてきおった」

 方や大将、方や元帥を呼び捨てにする爺様の気圧は言葉が進むにしたがってどんどんと下がっていく。

「儂はジュニアを幕僚から外すようなら、第五艦隊を率いるつもりはないと二人には言った。それでも二人とも言いにくい態度じゃったが、どうやら別口の差出口があったようでな」
「……国防委員会、ですか?」

 宇宙艦隊司令長官も統合作戦本部長も言いにくくなる相手と言ったら、やはり『そこ』しかない。第四四高速機動集団編成時にも俺について口を挟んできた。あの時は押し切れた。しかし今回は押し切れない事情があるのか……

「第四四のカプチェランカにおける行動を、シトレも宇宙艦隊司令部も問題にはしていなかったが、国防委員会としては問題と判断したらしい。命令違反の原因である貴官を幕僚に任じるならば、第五艦隊の編成予算承認を今期予算内では下ろさないとまで言ってきおった」
「場合によっては軍法会議も辞さないと」
「別に貴官だけではない。命令を出したのは儂じゃから、儂も同類じゃ。じゃが宇宙艦隊司令部も統合作戦本部も、軍法会議の開催については断固拒否することで一致しておる」

 明らかな言いがかりでも隙は隙。その隙に付け込み、予算を人質に取って、法に拠って保障されている軍司令官の有する任用権を犯そうとしている。

 もし今季予算内で第五艦隊の新編成が認められないのであれば、シトレが幾ら運動したところで編成開始時期は来期……つまり今年の九月開始となる。軍法会議が開催されるようなことになれば、艦隊司令官職の選任は振り出しに戻され、新艦隊編成の計画そのものが躓くことになる可能性だってある。それは司令長官も本部長もシトレも爺様も望むところではない……

「シトレ中将がハイネセンに戻ってくるまで、この話をペンディングにすることは出来ないのでしょうか?」
「それは儂も考えた。サイラーズは同意してくれたが、アルベが反対した」
「そうですか……そうでしょうね」

 シトレが大将に昇進するのがどうやら確実で要職も望める以上、玉突きで勇退させられることになるのは軍のトップである統合作戦本部長のアルベ元帥だ。シトレには昇進とシンパの艦隊司令官が増えることで妥協してもらい、要職への昇進については人事権のある国防委員会の方に媚びを売って阻止したい。なるほど地位の安定にとってはその選択がいいに決まっている。

「儂としては貴官の人事についての判断に『国防連絡調整会議』を開いても構わんとは思っておる」
「それは流石に止めておいた方がよろしいのではないでしょうか」

 国防委員会(スーツ)と軍部(制服)で意見の相違があることはいつものことだが、担当者同士あるいはシェルパ同士そしてトップ同士で調整が付かないくらいにこじれた場合、双方が法務官僚・法務士官を立てて話し合うのが連絡調整会議だ。会議と名前はついているが実質は裁判所による調停に近い。やはり結論が出るまでに時間はかかる。

 第四四高速機動集団の命令違反スレスレの戦闘行動は、国防委員会側としては徹底的に突っつける穴になる。特にシトレ(とヤン)は臨機応変と気にはしていないだろうが、マリネスク副参謀長を初めとして第八艦隊の幕僚には、第四四高速機動集団の行動を快く思っていない人間も多い。

 ロボス派もこの場合は味方になってくれない。シトレの『シンパ艦隊』が増えることを快く思うはずがない。自分の『シンパ艦隊』が増える時も同じように干渉されるかもしれないが、事前に『今回は特別』と国防委員会側から含まれれば、手助けは控えようとするだろう。

 統合作戦本部も宇宙艦隊司令部も、イゼルローンからカプチェランカと艦隊規模の戦を連続して行っている。損害は大きく、早いうちに艦隊の補充・整備を行いたい。予算が下りないとなれば大事だ。帝国側からの侵攻でもない限り、来期まで攻勢発起をするつもりは当然ない。

さらには軍後方勤務には国防委員会の影響力が大きい。法務士官が集まる法務部もその一つだ。彼らだって負ける可能性が高い調停なんてしたくないに決まってる。

 つまり現時点で軍部は一丸となって国防委員会側に対応することができない。見事な各個撃破戦術だ。

 それにしても国防委員会(恐らくはトリューニヒト)の俺に対する異様なまでの執着は一体何なんだ。一個制式艦隊の編成予算と引き換えにするほどの価値が俺にあるとは到底思えない。シトレ派に対する嫌がらせ、制服組に対する影響力の誇示というにしても、やはり編成予算と引き換えでは度が過ぎる。

「ジュニアがいずれ統合作戦本部や国防委員会に赴任することになるにしても、今少し現場を知るべきだと儂は考えておるし、その考えが間違っているとも思わん」
 腕を組んだまま目を閉じ、小さく首を傾ける爺様の眉間には深い皺がよっている。
「軍政・後方勤務の経験をせず重要性を理解できぬまま軍の高位に辿り着くことは、軍事組織の健全性から言っても間違いじゃ。それは分かる。が、階級が低い時期に現場を離れてしまうと、どうしても将兵の犠牲を数字でしか捉えることのできない上級士官が出来てしまう」

 一個艦隊だけで一四〇万人にも及ぶ将兵。国家戦略の視点から見れば犠牲は数字。一〇〇や一〇〇〇といった数字だけ見れば、誰かの台詞のようにちっぽけなものにしか見えない。だが軍事行動において、その数字は人命そのもの。

「国防委員会も統合作戦本部人事部も、貴官の左遷や更迭を考えているわけではないようじゃ」
「……」
「貴官のキャリアが傷つくような扱いを人事部がするならば、容赦はせんとサイラーズには話してある。サイラーズも儂には言わなかったが、貴官にはそれなりの職責が与えられることは保障した」

 それがシトレ派としての爺様の妥協点だったのだろう。シトレが仮にハイネセンに戻っていたら、第五艦隊再編の目途すらつかなくなっていた可能性が高い。篤実な宇宙艦隊司令長官であるサイラーズ大将の苦肉の策が分かるだけに、爺様も最終的には了解したということだ。ということは、俺にできることはもうない。

「司令官閣下とご一緒できるのは、第四四高速機動集団の解隊式までとなりますね」
「シトレも運動するじゃろうから、まずは半年じゃな。第五艦隊もそのくらいになれば出動ローテーションに入ることになるじゃろうて」
 それまでは『我慢せいよ』ということだろう。取りあえずは一ケ月。第四四高速機動集団の解隊残務処理と、ブライトウェル嬢の家庭教師に努めることになる。
「どんな場所にあろうとも、実戦の勘を鈍らせるな。儂からジュニアに言えることといったらそのくらいじゃな」
 
 そういうと爺様は先に立ち上がり、俺に手を伸ばしてくる。年季の入った手はごつく、人差し指の一部が盛り上がっている。その手を握る俺の手はトマホークのお陰で一部は厚くはなっているが、苦労知らずと若さでツルツルとしている。

 おそらく俺が爺様のように戦場で引き金を引く仕事に就くことはないだろう。だが爺様の名を辱めることのないようこれからのキャリアで示していかねばならない。

「あぁ、それとな、ジュニア」
 爺様は手を握ったまま、イジワル孺子のような目で俺を見つめて言った。
「儂は貴官の艦隊戦闘・運用センスについては高く評価しているつもりじゃが、女性との付き合い方のセンスについては全く評価しておらん」
「……は、はぁ」
「仕事はサボって構わんから、せめて午餐会には出てやるんじゃぞ? わかったな?」

 そりゃあ、確かにその時には爺様の部下ではないからなぁ……と、圧のかかっている右手の痛みを堪えるのだった。



 宇宙歴七九〇年 五月一三日 第四四高速機動集団は解隊されることになった。

 解隊と言っても将兵の大半が第〇五一九編制部隊に移籍となるので、消滅するわけではないが編制上の部隊と司令部は抹消されることになる。統合作戦本部長公室において、爺様の手から隊旗がアルベ本部長に返却され、代わりに同席している人事部長から司令部要員全員に対して国防従軍記章が与えられた。

 爺様の略綬の上には星がいくつ乗っているのか分からないくらいだが、俺はこれが二個目なので小さい銀の五稜星が一つつくことになる。礼服必須の式典とかには付けなければならないんだが、外れやすくてその上小さいから、めんどくさい事この上ない。

 また従軍記章の付与と共に、昇進の辞令が下る。爺様は中将に、モンシャルマン参謀長は少将に、モンティージャ中佐とカステル中佐は大佐に、ファイフェルは少佐に昇進することになった。特にファイフェルは恐らく同期の中でもかなり早い方だろう。もっとも原作通りであるのならば、ここから五年以上彼は昇進できないのだが。

 そして俺も少佐から中佐に昇進することになった。ただし爺様達とは違い、その場では新任地が呼ばれることはなかった。つまりは待命指示。このまま二年塩漬けで予備役編入というのもあるかもしれない。仮にそうなるとすれば、第五次あるいは第六次イゼルローン攻防戦で喪失した艦艇の補充要員として現役復帰か、それとも第一一艦隊再編成時の補充要員か。いずれにしても予備役の応召義務が解除される年齢よりも先に、金髪の孺子がハイネセンにやってくる。

 半年。爺様は半年我慢せよと言っていたが、正直わかったものじゃない。左遷ではないという条件であったとしても、統合作戦本部の内勤で軍人のキャリアを終える可能性だってある。戦死しないことで人生の勝利と言えないこともない。だが何の因果かこの世界に産まれて何もなすことなく、最後にジーク・カイザーと叫ぶだけで終わるなどごめん被る。

 じわじわと日が経つごとに心を圧迫してくる現実に、俺は爺様達との食事会をあえて断って統合作戦本部から歩いて帰ることを選んだ。日はまだ高いが市街地までは距離がある。舗装された道をあの日のジェシカと同じように、影を引きずりながら足を進める。本部の中の密なる喧騒とは正反対の、静寂と開放に溢れた世界。確かにこれならジェシカも、マスクを被った鼻歌のヘタクソな連中の足音に気が付くだろう。まして俺を追っかけてくるような自動車の音ならば猶更だ。

「き、君は、はぁはぁ、その、意外と孤独主義者なのかね?」

 国防委員会のナンバーを付けた自動運転車が、俺の左脇を猛スピードで通過したと思ったら、いきなり急停車。扉が開くと中から『ペニンシュラ』氏が転がり落ちるように出てきた。別に走ってきたのは車であって、お前じゃないだろうとは口には出さず、いつものように好青年将校スマイルに無念さのエキスを加える。

「先生。功績を上げ昇進しても、生死を共にした司令部から一人だけ外されて、次の任地もなく待命指示、というのはマトモな軍人としては結構ショッキングなことなんですよ?」

 まぁヤンならこれ幸いと歴史書の山に埋もれるだろうけど、アイツは元々『マトモな軍人』ではない。俺だって好きで戦争やっているわけではないが、誰にも話せない目標を達成する為には軍人になるしかなかった。

「それより『ペニンシュラ』先生。いったいどうなされたんです?」

 国防委員会に所属している評議会議員が、国防委員会所有の車に乗って統合作戦本部に来るのは別に問題ではない。だがまだ国防委員会でもまだ見習いのアイランズが、待命指示を受けいじけてトボトボ帰る俺を呼び止めにかかったというのは、あまりいい未来を予想できそうにない。促されて自動運転車の後部座席に乗り込むと、アイランズは肩を二度ばかり大きく動かして深呼吸する。

「君を待っていたんだよ! 全く。ホイホイプラプラと自分勝手に何処に行くんだね! ビュコック中将に聞けば、『儂は知らん、おまえさん方のほうがよほどご存じじゃろう』とか言いおるし、部下共も顔をつき合わせるだけでまるで役に立たん! まったく軍人共は不親切極まりない!」

 上から目線で早口でまくしたてるアイランズに対して爺様達が親切にする義理は何もないし、爺様にすれば余計な差出口で作戦参謀予定者を引き抜いた張本人は国防委員会じゃろうと、皮肉たっぷりに言い聞かせたんだろう。実にありありとその光景が思い浮かぶので、俺が含み笑いを漏らすとアイランズは眉間に皺を寄せる。

「君、何か私はおかしいことを言ったかね?」
「いや、先生。どんな状況だったか想像できまして……それより、私もその不親切な軍人の一人でもあるんですが」
「君は別格だ。任務に忠実で労を惜しまず、私みたいな政治家でも必ず立ててくれる」

 流石にその『よいしょ』は無理がある。トリューニヒトのスマートで自然な煽てには到底及ばない。逆に言えばあっさりと本音を俺のような若輩に漏らすあたり、マヌケかもしれないが素直な一面があるのかもしれない。

「先生をお待たせして申し訳ございませんでしたが、私もやはり『戦争屋』ですので、前線を離れるということに関して、正直言ってあまりいい気持ちにはなれないのです」
「君が『戦争屋』? 冗談を言っては困る」
 車がゆっくりと走り出し、景色が後ろへと流れていく中でアイランズは腕を組んだまま言う。
「君がマーロヴィアのパルッキ経済産業長官に提出した小惑星鉱山帯を利用した半官半民のセクター案について、地域社会開発委員会はベタ褒めだったぞ。その上、エル=ファシル住民帰還事業でも政・官・軍の連携を取り持った君のリーダーシップは、私の知人の間でもよく知られている話だ」

 三流利権政治家と自称するにしては、信じられないことに俺のことをよく調べている。勿論怪物に言い含まれてのことだろうが、軍人の、特にヤンが軍事的名声を背景に政界に進出し、自分達の権力の牙城を失うことを恐れてベラベラと外国人のブレツェリに愚痴っていたアイランズと、隣にいるアイランズが同じ人間には思えない。

「先生」
 だからこそ、確認しておかねばならない。
「先生はブルース=アッシュビー元帥が第二次ティアマト星域会戦の前に放言した内容について、どうお考えですか?」
 果たしてアイランズの反応は激烈だった。眠そうな瞳が大きく開き、俺の顔の毛穴の全てを覗き込まんと言わんばかりに、睨みつけてくる。
「巨大な武勲を背景として高級軍人が政治家に転出するのは好ましくない。軍人が命を張って帝国軍と戦っていることには心の底から感謝しているが、武力組織を背景として政治権力を得ようというのは、独裁の芽となる」

 軍籍を外れ選挙を経たとしても、軍内部に強力なシンパを抱える元軍事指導者の政界転進は拒否したい。それが合法であっても自分達の権力を失うような事態になるようなら非合法にしたい。流石にブレツェリの明け透けな回答には不快を感じたアイランズだったが、やはり心の底には真実の欠片があった。

 そうなると俺が国防委員会によって爺様の幕僚から外された理由もだいたい想像できる。爺様が政治家になるような人間ではないのは明らかだが、シトレやロボスは違う。シトレ派の若手で士官学校首席卒業者。マーロヴィアで行政企画立案能力にも、エル=ファシルで行政間調整能力にも、政治工作にそれなりに使えそうな士官を、有力な仮想敵派閥の下に置いておきたくはない。最低でも派閥から引き剥がす、出来れば自分の子飼いにしておきたい……あまりにも俺に対して過大評価とは思うが、そう考えればこんな横槍人事にも納得できる。

 今回のカプチェランカの戦いで第四艦隊の出動を国防委員会が躊躇したのも、シトレを敗北させたいといった意図があった可能性がある。モンティージャ大佐の言うように後方からの情報流出は充分にありうることだ。そうやって上手に軍内部の派閥の牙を適度に抜きながら、武勲と昇進とを駆使して自分の子飼いになるよう仕向けていく。

 もしアスターテ星域会戦で同盟軍が大勝利を収めていたらシトレの引退は早まり、ロボスも早晩その後を追うことになっただろう。金髪の孺子によってトリューニヒトは大きく計算を狂わされたに違いない。手柄を立てさせたい三人の提督(パエッタは生き残ったが重傷)を失い、よりにもよって自分を嫌悪するバリバリのシトレ派というべきヤンの出世を招いてしまったのだから。

「ボロディン君! ボロディン君!」
 いつの間にやらまた妄想の翼を伸ばしていたようで、心配そうな表情のアイランズが俺の左肩を揺すってくる。
「君には突発性難聴の気でもあるのかね? もしそうならいい病院を知っているが」
「突発性……難聴?」
「私が話しかけても、ずっと前を見て顔色一つ変えず平然としていたではないかね。無視しているというより、まったく聞こえていないといった感じだったぞ?」

 なるほど。ウィッティやヤンそれに爺様は、俺がどういう人間かある程度知っているから、何か別のことを考えているんだと理解してくれるのだろうが、まだ会って日も浅いアイランズからしてみればまだ察しきれないというところか。

「ありがとうございます。是非ご紹介いただけるとありがたいです。先生のご紹介なら安心できますからね」
「そ、そうかね?」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。それで私にお話しというのは?」
「そう、そうだった」

 左手の掌を右こぶしで叩き、その後で右手を開いて小さく振るアイランズに、それは「よし、わかった」じゃないんだ、と余計なことを思いつつ顔を向けると、アイランズは何故か得意げな表情をして言った。

「是非とも君の新しい任地を一刻も早く伝えてあげたくてね。どこだと思うかね?」
「……そうですね」
 まともに答えるべきか、それとも適度に外すべきか、あるいはとてつもないOBを飛ばすか。袖口に録音機がありそうだと考えると、選ぶのは難しい。
「おそらくは国防委員会の片隅にはおいていただけるのではないかとは思うのですが……」
「んんん、惜しいな。だが片隅ではない」
 首を左右に小さく振り、やや太めの右手人差し指がメトロノームのように振れる。

「国防委員会付属、国防政策局戦略企画参事補佐官だ」

 ぶっちゃけて言えば、薔薇の騎士の色男に珈琲をぶっかけられる役、ということだろう。顔で笑顔を見せつつも、胃が急激にもたれるのを感じるのだった。
 
 

 
後書き
2024.01.02 更新

改めてコミックマーケット103にて本をお手に取っていただけた皆様に感謝申し上げます。
残念なことにとらのあなに送り込んだ5冊は映ってません(昼過ぎに残部希少までは確認済み)

増刷するかどうかは検討中ですが、次のコミケに出られるようならば、➀も増刷します。
 
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