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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
迫る危機
  危険の予兆 その4

 
前書き
 読者意見リクエスト回 

 
 披露宴は、こじんまりとして、ささやかな集まりだった。
呼ばれたのは、ヴァントリッツの住人たちと、議長の親しい間柄の人間。
 多くが政府高官と言う事もあって、3時間ほどと短めだったのも異例だった。
ドイツの結婚式では、基本的に披露宴は深夜まで行うのが当たり前だった。
老若男女問わず、明け方まで踊ったり、酒盛りをするのが一般的だった。
 
 まだ、ごたごたとしたざわめきの中で、マサキの声がはっきりと、皆の耳朶(じだ)を打った。
「なあ、議長さんよ。
どうして俺のような凡夫に取り入った。訳を聞かせてほしい」
 マサキの質問を受けて、部屋の中に、ちょっとしたざわめきが起きた。
議長が不敵の笑みを浮かべて、マサキを揶揄う。
「博士は、ずいぶんと意地の悪い質問をなされる」

 マサキは不審な顔をした。東ドイツはまだ彼の支配下でない。
この国の政治家との交友や通商には、彼も尠なからぬ神経をはたらかせていた。
「お前たちが、俺に近づいた理由は、大体見当がついている。
この東ドイツが、国際社会の荒波の中で生き残るのには、道は非常に少ない。
例えば、シベリア移転でソ連が減らした武器生産を、東ドイツが担い、アフリカや中近東に安く売りさばく……
ユルゲンは、その様に考えたそうだな」
 ちらりとベアトリクスの方を向いて、彼女の瞳をながめた。
「あるいは、力による統制でBETAに対抗する究極の戦闘国家の創造……。
なんて馬鹿げた絵空事を、考えているわけではあるまい。
圧倒的な物量を誇るBETAには、戦術機の突撃ぐらいで時間稼ぎにもならない」
 ベアトリクスは、先ほどまでの高圧的な態度に比べて、どこか落ち着きのないように感ぜられる。
しきりに手を組み替え、机を触れたりして、視線を泳がせていた。
わずかに頬を赤らめているほどであった。
 マサキは、ベアトリクスの名さえ出さなかったが、聴衆は誰に対して言っているかわかっているようだった。
「たしかに、支配の原理として、力は有効だ。
富や名声、知性など、この世のすべては移ろいやすいものだ……
だが、それは人間の心も同じではないか。俺自身がそれを最も実感している」
そういうと、マサキは、はるか遠い過去への追憶に旅立った。
 


 人の想像もつかない所に、いつも人の表裏はひそんでいる。
 思えば、ゼオライマーを建造している時から、鉄甲龍はマサキを()むようになった。
うるさくなった。なければと、いとう邪魔物になった。
自分の力を凌駕(りょうが)する存在と、敵視するようになった。
 けれど、それを表面化して、マサキと争うほどの勇気もない。
彼等の智謀は、極めて陰性であった。

 そのことを察知したマサキは、密かに幾つの布石を打っておいた。
 まず、八卦ロボの爆破と図面の焼却。
簡単に復元できぬよう重要な部分に高性能爆薬を仕掛け、粉々に砕いた。
 次に、鉄甲龍首領とパイロット、名だたる幹部の暗殺。
マサキ自ら、イングラムM10機関銃を使って、手を下したのだ。
 最後に、ゼオライマーに施された幾重の防御機構(セキュリティー)
ゼオライマーの生体認証には、マサキ自身のクローン受精卵を登録した。
 一番の秘密である次元連結システムも同様であった。
主要部品を人間の姿に偽装させ、氷室美久というアンドロイドを開発した。

 前の世界で、日ソ交渉の保険としてゼオライマーを欲した日本政府の陰謀によって、凶弾に倒れたことをまじまじと思い返していた。
 クローン受精卵や自分の遺伝子を何らかの形で伝えるものを残していないことを、今更ながら思い返していた。
  
 この世界に、俺の敵はいないと驕ってはいなかったか。
たしかに、秋津マサトの人格さえは消え去ったが、それだけに満足していないか。
 この世に冥府を築き、世界を征服するという野望も道半ばだ……
見目麗しい女性(にょしょう)に心奪われて、己が積年の夢をあきらめるとはどうかしている。
 クローン受精卵を用意できぬのなら、生身の女を抱いて、孕ませれば、済むこと。
そんなことも気が付かぬとは、俺もだいぶ呆けてしまったものよ……
 
 マサキは、何喰わぬ(てい)をつくろって、改めてアイリスディーナを振り返った。
彼女の鼓動は、息が詰まるほどに、激しく跳ね上がる。
突然の事態に困惑しながらも、ドキドキと心を震わせていた。
「でも、ソ連とは言えども、何千万人の思想を操作するのは……さすがに無理でしょう」
 一生懸命に背筋を伸ばして話し出すきっかけを作ろうとするアイリスディーナ。
どうしても口ごもってしまう様子の彼女は、思わず抱きしめたくなるほど初々しかった。
 
 アイリスディーナは、本当に純粋で汚れも知らない表情で、それに似合わず大胆な質問をした。ズバッと切り込んでくることに、マサキ自身が、かえって困惑をした。
「ただ、出来なくもないことはない……。
特定の薬剤による集団洗脳。奴らはそれを実用段階まで達成した」
余りの衝撃に、未知の狂気に、アイリスディーナは身をすくませた。
「薬物といっても、既存の麻薬や向精神薬ではない。
阿芙蓉、ヘロインでは依存性が強すぎるし、人体への悪影響も大きい。
そこで奴らが作ったのは、指向性蛋白と呼ばれる特殊な酵素さ」


ベアトリクスは、マサキの言葉に驚いて、キッと目を吊り上げて言う。 
「指向性蛋白?」
 ユルゲンやヤウクからの話を聞いていたベアトリクスには、思い当たる節があった。
以前からソ連の兵士の態度が、BETAへの恐怖を喪失していて、何かおかしいと直感していたのだ。
洗脳教育だけではないことは、その虚ろな目つきからわかっていた。
 軍人の、いや、女の直感だろう。
何か麻薬をやっている。
 そういう目で見れば、ソ連赤軍兵士の虚無感に、そのことがありありとうかがえた。
しかし、情報不足の軍学校での生活の中で、中々真相はつかめないでいた。
「ソ連で実用化された洗脳用のたんぱく質さ」
ベアトリクスの勢いに気圧されたマサキは、しぶしぶ答えた。
「これの恐ろしいところは、無色透明、無味無臭。
ヘロインより簡単に合成出来て、検査試薬に反応しない」
 考えるだにおぞましい光景だった。
ベアトリクスは込み上げる怒りをもてあまして、コップをもてあそび続けるしかなかった。
「だから、ソ連では水源地にこれを散布する計画を持っていた」
今一つ話を信じられない様子のザビーネが、
「なぜ、そんなものを用意したのですか」
と問いただしてくると、マサキは不気味な笑みを浮かべて、
「ソ連指導部は、そうまでせねば生き残れない。
奴らが、そうと思ったからと、俺は思っている」

 アーベルが、まるでとがめるような声音でいった。
「待ちたまえ、木原君。君の説明は難しすぎて、意味不明すぎる。
説明とは、女子供でも分かるようにしなくてはだめだ」
困惑顔をするザビーネやアイリスディーナの方を向くと、
「いいかい。
BETAが侵攻してくる前のソ連にも、コーヒー、オレンジやバナナがあり、娯楽もあった。
車や被服にしても、東ドイツに少し劣る、戦前のそれとさほど変わらない生活をしていた訳だ。
それがBETAの侵攻で、代用食材しか手に入らなくなり、制限されていた国内移動がさらに制限された。
平時の記憶を保ったままでは、戦時体制に耐えられない。
そういうことで、政治局はある決定をした。
それが、指向性蛋白による記憶操作という政策だよ」

 それは、まんざらでたらめという感じでもなさそうな話具合だった。
アーベルの事なので、恐らくソ連経由での話であろう。
 だが、そこは余程割引いて聞く必要がある。
マサキは感じながら、耳を傾けた。
「指向性蛋白は、偶然発見された代謝低下酵素によるものだ」
「代謝低下酵素?」
「ああ。国連の秘密計画であるオルタネイティヴ2。
1968年に開始され、BETAの地球降下まで実施された計画で、BETAの捕獲・解剖によって調査分析を行うものだ。
BETAが、炭素生命体であることはわかったが……」
「その際に、代謝低下酵素を……」
「そうだ。
ソ連科学アカデミーではその基礎代謝を低下させる酵素に早くから注目し、特殊な蛋白質の抽出に成功した」
「それを使って、死を恐れぬ兵士を作っていたと……」
「ああそうだ。
ソ連では、生後間もない乳幼児を軍の保育施設で養育することを決定した政治局決定が出されている」
 マサキは、アーベルの話に、反射的に答えていた。 
今まで見せなかった狼狽えの色を、いよいよ明らかにして。
「どういうことだ。
兵士としての教育なら、10代前半からでも間に合うはずだ……。
ソ連には、党直属のピオネールという少数精鋭の組織があるだろう」
(がく)として、疑いと、半ば信じたくないような感情を声にして放ったのは、マサキのほうであった。
「私もソ連にいた時、ピオネールにいたからわかるが、入隊基準は厳格だ。
参加資格は、健康で、優秀で、品行方正な人物と決まっている」
アーベルは、氷のように冷たく答えた。

 ソ連はレーニン時代の失敗を見直さないのか……。
家族制度の否定は、やがて国家体制の崩壊につながる。
それに、乳幼児期の生活は今後の人格形成に大きな影響を与える……

アイリスディーナは、容易にしずまらない胸の鼓動を、なお語気のふるえにみせながら、 
「つまり、ソ連は洗脳教育と指向性蛋白によって、死を恐れない無敵の兵士を作ると……」
 アーベルの弁解は、中々熱心だった。
マサキの言葉から、彼を怖れ、警戒している様子だった。
「私も人の親だ。この話を初めて聞いたときは……言葉すら思い浮かばなかった」
マサキは、抑え難きいきどおりもこめて、おもわずつぶやいた。
「しかし、妙な話だ。
ソ連では成年男子が大分減少したというのに、少年兵まで繰り出したら、人口形態がいびつになるぞ。
女ばかり残って、男が少ないのでは人口減少もおさまるまいよ」

 まだ納得できず言いつのろうとするマサキに、アーベルは手を振って抑えた。
「実は……ソ連では人工子宮の実用段階に入ったと聞く。
優れた体格や容姿などを持つ人物の遺伝子を選別して、人工授精によって、培養する計画があるそうだ」
 同席した客たちも首をあげて、そこへ瞳をあつめた。
驚くべきものを、そこに見たような眼いろである。
凝視したまま、しばしの間、(みな)心をうつろにしていた。
「オルタネイティヴ3計画の、人工ESP発現体の技術を応用して……。
何者かによって、ノボシビルスクのESP培養施設が破壊された。
だが……仕方のなかった事かもしれない」
 マサキは、木像の様な顔で、突っ立っていた。
アーベルの言ったことが耳に入ったのか、入らなかったのか。
虚無を思わせたマサキの目は、その瞬間、(さん)とした悲痛な色に満たされて、
「人を人とも思わぬ研究など、滅びて当然だ」
と、(うめ)く様に言った。


「同志将軍、それにおいでになられましたか。一大事です」
と、ハイム将軍の副官の、エドゥアルト・グラーフ少佐が、顔のいろを変えて、何事か告げに来た。
 ハイムは叱って、
「同志グラーフ少佐、貴官は少し慎みをもて。
一大事などということは、佐官の職責にあるものが滅多に口にすべきではない」
と、いった。
 若い副官に教えるばかりでなく、ハイム将軍は、議長のおどろきをなだめるためにもいわざるを得なかった。
なぜならば日頃の毅然とした姿にも似合わず、議長がひどく顔色を変えたからである。
 ところが、グラーフ少佐は、
「いい加減なことを申しているわけではありません。真に一大事にございます」
と、はや廊下を駈けて来て、テーブルのそばに平伏し、
「ただ今、軍情報へ、プラハの米大使館からの急電があり、月面ハイヴから飛翔物射出との報を、受け賜わりました」
と、一息にいった。

 その場に、衝撃が走った。
首相はじめ、みな凍り付いた表情である。
室中、氷のようにしんとなったところで、議長は、容易にしずまらない胸の鼓動を、なお語気のふるえにみせながら、
「電報は。電報は」
と、グラーフ少佐が携えて来たはずの、プラハの米大使館からの急電の提出を求めた。
 マサキはすでにある予感をもっていたのか、唇を噛んで、グラーフの姿を見下ろしているのみだった。

 その後、披露宴はそのまま臨時閣議の場になった。
マサキは明後日までいるつもりであったが、出立(しゅったつ)早暁(そうぎょう)
シュトラハヴィッツ少将とともに、ベルリン市内のシェーネフェルト空港に向かう事と決まった
 閣議を終えた後、外に出たマサキは、妊娠しているベアトリクスの前で、我慢していたタバコを取り出した。 
「怖れていたことが、ついに実現したか」
とひとり呟き、紫煙を燻らせて、思慮にふけった。

 せめて今日一日だけでも、戦争のつかれ、旅の気疲れなど、すべてを放りだして、気ままに(こも)っていたい。
そう思っていたが、それも周囲がゆるしてくれない。

「ここにいたんだ」
ベアトリクスの声は、その闇夜がもっている寂寞(じゃくまく)を鐘のように破るものだった。
澄むような声の明るさに対しては、マサキもどうしても快活にせずにいられなかった。
「どうした」
 ベアトリクスは、薄いウール製のストールを羽織り、足首までの長いネグリジェ姿。
そんな薄着の姿に、マサキの方がびっくりするほどであった。
「こんな冬の夜更けに、薄着で身重の女が出歩くのは、体を冷やすだけだぞ」
 マサキとしては、最大な表現といっていい。努めて磊落(らくらく)であろうとしたのだ。
けれどすこし話している間に、そういう努力はすぐ霧消していた。

 幾多の困難を乗り越えてくると、おのずから重厚が備わって来る。
まして戦場の中で心胆を磨き、逆境から立身の過程に飽くまで教養を積んで来たほどな人物というものには、云い知れぬ奥行がある、床ゆかしいにおいがある。
(『ユルゲンが、注目するだけの男だけあるわ』)
 ベアトリクスの眼で見ても、しみじみ思う。
議長がその政治生命を傾けて打ちこんだのも無理はないと思う。
帝国陸軍の下士官にあって、戦術機を操縦する衛士として見ても、すこしも不足のない人がらと(うなず)ける。

「何が可笑しい」
 ふと、話のとぎれに、マサキからこう訊かれて、ベアトリクスは初めて、しげしげと彼に見入っていた自分の恍惚(こうこつ)に気がついた。
「アハハハ。いや別に」
と、卑屈なく声を放って、
「せめて、アイリスと話しぐらいしてやって……」
 マサキは、うらやましげにすら、相手を見ていた。
何不足ない扱いを自覚しながら、気持ちだけはもう10歳、20歳も若くあって欲しい。
マサキは、そう言いたげな顔いろである。
 自分の秘めたる思いを言い出された事から、客としての居心地は、たいへん気楽になって来た。
マサキは、何でも言いたい事の言えるベアトリクスにも、また羨ましさを感じないでいられなかった。

 哀願するように言うベアトリクスに、マサキはすまして答えた。
それは、まるで壮年の男が幼児に話しかける様な、やさしい声だった。
「俺は、その気のない奴を抱く気はない。
心を通っていない状態で、欲望の赴くままに、求めたりはしない。
この一件が終わり、そして、アイリスがただの女になった時、本当の男女の仲になるつもりだ」
 そう言いながら、マサキは新しい煙草を取り出した。
ベアトリクスの姿など目に入らないかのように、紫煙をゆっくり燻らせる。
「今は、闇夜に潜む獣と戦う為に、剣の様に感覚を研ぎ澄まさせねばならない時だ。
愛欲を充足させれば、そこに油断が生まれる……
アイリスが欲しいと思えばこそ、いつも彼女に心が向いている」

 まるで、心を覗かれている!
唐突なマサキの告白に、ベアトリクスの背筋がゾクと震え上がった。
「アイリスに気を引かれて、注意が散漫になったらどうするのよ」
悲しげな眼でマサキを覗きあげて言えば、胸が締め付けられる。
「アイリスが身を任せたら、そうなるかもしれない。
だが、欲しいだけで物にはしていない。
だから、気を取られることはない」
 大きくうなづくマサキを見るなり、ベアトリクスは、くるりと向きを変えて、
「色んな体験をしてきたんでしょうけど、ずいぶん気障(キザ)な事を言うのね……
ネンネのアイリスが首ったけになるのはわかる気がするわ」
立ち去ろうとするベアトリクスの背中に、マサキは着ていたダウンジャケットをかけた。
「今日は特段冷える。もう少し自分の身を大事にするんだな」
 反射的に振り返りそうになるのを、ベアトリクスは抑えた。
自分でどうにかしていいかわからないまま、素知らぬ振りをしてマサキが通り過ぎていくのを待つばかりであった。 
 

 
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