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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
影の政府
  熱砂の王 その6

 
前書き
 ソ連は、縦割り行政なのに同じような役所が多くて、調べていて困惑してます…… 

 
 ソ連の影響下にある、中東の大国、シリア。
その隣国レバノンは、ソ連にとって、なんとしても抑えたい拠点の一つであった。
BETA戦争によって弱体化したソ連は、隣国、NATO加盟国のトルコと、親米の帝政イランの強大国を前にして、震えあがっていた。
(当時のソ連では、黒海を挟んで、トルコ、カスピ海を挟んで、イランが隣接してた)

 無論、帝政ロシアの時代から、トルコとイランは宿敵であり、幾度となく干戈を交えた。
戦争で簡単に勝てなかったロシアは、様々な秘密工作を仕掛け、クリミア・ハン国や、カフカス地方、果てはイランの影響力の強い中央アジアまで、その版図に収めた。
 スターリン時代の1920年代には、積極的にアフガン紛争に参加し、親ソ派のアマーヌッラー・ハーン王を支援するも、英国の支援を受けたハビーブッラー・カラカーニーにより廃位され、その野望は潰えた苦い経験があった。
 だから、英米とイスラエルの目が光っているトルコやイランで活動するのではなく、シリアやイラクといったすでに社会主義を採る国に軍事支援という形で多数の軍事顧問団を送り込んでいた。
 史実の中東戦争やレバノン紛争の際も、ソ連政府は、数千人の人員を送り込んだ。
エジプトやシリアの依頼を受けたという形で、ソ連軍事顧問団は、防空部隊やパイロットを指導した。
1960年後半の消耗戦争の際、ソ連軍パイロットは、エジプト軍の戦闘機でイスラエル軍と戦った。

 ここは、シリアのダマスカス近郊にあるメッツェ空軍基地。
そこの一室に、ソ連軍の将校が集められ、密議が凝らされていた。
彼らは、シリアに派遣されたソ連軍の戦術機部隊の将校と、政治将校であった。

 肘掛椅子に腰かける、杉綾織の熱帯服姿の陸軍大尉は、机より顔を上げる。
正面に立つ白髪のアブハズ人の少佐に向かって、翡翠色の瞳を向けて、
「ゼオライマーと戦って、勝てる保証はない……
仲介役を申し出ているシリアとヨルダンを通じ、人質の女衛士を返せば、済む話では」
遮光眼鏡(サングラス)をかけた少佐の顔を見上げながら、告げる。

 上質なトロピカルウール製の熱帯勤務服を着たアブハズ人は、政治部将校(コミッサール)であった。
遮光眼鏡を外すと、正面に立つ若いグルジア人の大尉を見ながら、
「グルジアの党書記を務めた、御父上のご尊名を汚したくはあるまい」
と、能面のような表情をしたまま、答えた。
黒髪のグルジア人青年将校は、男をきつくねめつける。
「何、私を懲罰にかけるだと」
思い人の様子を、フィカーツィア・ラトロワは、黙って見守る。
脇に立つ、長い銀髪を束ねた副隊長と一緒に、直立不動の姿勢で、注視していた。

 政治将校は、顎に手を当てながら、室内を数度往復した後、
「もしもだ。そのようなことになれば、つまらんであろう。
悪いことは言わん。GRUの計画に協力せよ」
両手を広げて、男に同意を求めた。
「馬鹿な。党指導部が、この私を懲罰にかけるものか。
第一、ソ連のことを思えばこそ」
椅子より身を乗り出して、反論した。
 
 政治将校は、彼に顔を近づけて、強い口調で言い放つ。
「とらえた女兵士を、木原がゼオライマーで救出すれば」
「救出するという保証はあるのかね」
政治将校は畳みかける様に続ける。
「救出しないという保証も、又、無い」
大尉は、自嘲するような笑みを浮かべ、
「フフフ、なるほど。つまり、危険な()は早いうちに()んでしまえと」
「その通りだ。木原を倒し、中近東でのソ連の足場を完成させる。まさに一石二鳥」
半ばあきらめたかのように、言い放つ。
「その話は、了解した。
ただし今の我々は、シリア政府の許可がなければ、シリア領空からレバノンを攻撃することはできない。
そのことだけは、忘れないでほしい」

 政治将校の説得を受けた大尉は、一頻り思案した後、電話で戦術機部隊に待機命令を出す。
中隊長室を後にし、シリア側と話し合いに行く際、駆け込んできたラトロワに止められる。
「中隊長、ぜひ聞いてほしい」
カーキ色の熱帯服姿の彼女を一瞥した後、碧眼を見つめながら、
「悪いが時間がない。歩きながら話してくれないか」
そう告げると、立ちふさがる彼女の右わきから通り抜ける。
 ラトロワは振り返ると、すぐに先を進む男を追いかけて、
「率直に言う。出撃をやめてくれないか」
男は立ち止まると、彼女のほうを振り返って、驚愕の表情を見せる。
「なんだって!どういうことだ」
「出撃をすれば、その日本人の思うつぼだ。
いたずらに犠牲を増やすより、ほかに方法はあるはずだ」
男は、首を横に振る。
「いや、いかにフィカーツィアの意見でも、それだけは聞けないな」
 ラトロワの表情が変わったことに気が付いた大尉は、じっと見つめる。
「亡くなった御父上の名誉が、大切なことはわかる。
懲罰が実施されるかも、わからないし……
それに無駄に戦わずとも、上層部の不興を買わないで済む方法が、ほかにある」
彼女の深い憂慮の念をたたえた(まなじり)には、うっすらと涙が浮かんでいた。


 そこに後ろから、政治将校が現れて、
「もっと大切なことが、あるのだ」
思わず絶句したラトロワと男は、直立不動のまま、政治将校に顔を向ける。
「母なる祖国、ソビエトの大地を荒らした宿敵、ゼオライマーの首を他の国に奪われる事になってからでは遅い。
断じて、米国や帝国主義者に、渡すわけにはいかない」

 立ちすくむ、二人の若い男女の顔色が変わる。
(「70万の人口が住む都市が一瞬に消せる相手などにかなうものか……」)
ラトロワの胸は、悲壮感で張り裂けそうだった。

 苦しい思いに押しつぶされそうな彼女は、思わず基地の外に駆け出していた。
忘れもしない、あの恐ろしいゼオライマーの攻撃。
 ソ連極東の巨大都市が、一台の戦術機の攻撃によって、一瞬にして灰燼に帰したのだ。
しかも、前線からはるか後方で、安全だと思われていた臨時首都で行われた、白昼の大虐殺。
 死を覚悟して、BETAの溢れる支那に近い蒙古駐留軍に送り出した弟のほうが安全で、首都で政治局員候補として勤めていた義父があっけない最期だったのも、受け入れられない事実だった。
自分があの時、戦って止めていれば、変わったのだろうか。

「ソビエト社会主義の旗の下、全人類が団結すれば、いずれはBETAに勝てる」
いくら、党指導部が作った大嘘と分かっていても、信じて戦ったものが大勢いる。
ソ連の社会主義建設のために、純粋にその燃える血潮をたぎらせて、散っていった幾千万の勇者たち。
 長い戦争で見知った顔が消えていくのは、今に始まったことではない。
鋼鉄の意思をもって、『ファシスト』枢軸国と戦ったソ連政権。
あの4年半も続いた『反ファシスト』の『大祖国戦争』も、勝ち抜いたが、その傷跡は30年以上が過ぎた今も癒えていない。
 幼いころからさんざん聞かされた政治プロパガンダで、『ソ連は独力で戦って勝った』とされたが、それも今回の戦争で嘘だということが分かった。

 ソ連は米国からの食糧購入をBETA戦争前からしていたし、今自分が乗り回しているMIG-21ももとはといえば、米国のF4ファントムの改良版。
着ている被服も、履いている軍靴も、米国からの有償貸与(レンドリース)品だ。
 結局、自国では、何の技術も設備もない。
あるのは、資源と生産力のない人間と、国費を懐に入れる腐敗役人だけ。
東ドイツやポーランドと敵対した今、経済相互援助会議(コメコン)での、社会主義経済圏の豊かな生活も機能していない。
一度その様な生活を覚えると、昔に戻るのはかなり厳しい。

 今、戦おうとしている相手は、口のきけない怪獣、BETAではない。
木原マサキという、生身の青年科学者だ。
彼との対話は、出来ないのだろうか……
いくら、侍という、野蛮な戦士とはいっても、人間なのだから。
 彼の愛した女は、東ドイツの戦術機部隊隊長の妹だという。
だから、決して話し合いに応じない相手ではないことは、確かだ。
どうすれば、無益な戦争を避けられるのだろうか……


 そんな事を、つらつらと思い浮かべていた時である。
熱帯用の編上靴(へんじょうか)を踏み鳴らす音がして、彼女は、振り返った。
「フィカーツィア、こんなところにいたの。
いつ、緊急発進の指令が下るかわからないのに、食事ぐらいとったら、どうなの」
そこには、長い銀髪をラトロワと同じようにゴールデンポニーテールで結った婦人兵がいた。
男物の熱帯野戦服に、航空科を示す青色の襟章を着け、肩には三つの金星が並ぶ肩章。
「なんだ、ソーニャか……
ちょっと、例のゼオライマーとかいう機体が、気になって考えていた」
 
 ラトロワがソーニャと呼んだ上級中尉の階級章を着けた女は、副隊長だった。
名前を、ソフィア・ペトロフスカヤといい、偶然にも人民主義者(ナロードニキ)の女暗殺者と同じだった。
ただ、父称(ふしょう)が、アントノヴァナと違った。
(父称とは、スラブ文化圏やアラブ文化圏にみられる父系の先祖を遡るための名称である。
これがあることでその人物が私生児でないことを示し、一種の敬称や姓の代わりとして用いられた)

「そんなこと、気にしても始まらないでしょ。
悪魔の戦術機を、開発した男のことなんか……」
「じゃあ、何故BETAと戦ったんだ。そんな強い戦術機があるなら、ハイヴ攻略する前に世界征服を出来たろうに」
ラトロワの問いに、ソーニャは素っ気なく答えた。
「知らないわよ。そんなの、その日本野郎(ヤポーシキ)に聞いてみなさいよ」
シガレットケースから、細く巻いたマホルカを取り出して、火をつける。
(『マホルカ』とは、茎・葉ともに粉々にしたロシアタバコの事であり、ソ連時代は粉の状態で配給や販売された)
 今日でも、ソ連、東欧圏で、婦人の喫煙は珍しいことではなかった。
東ドイツでは婦人の約3割近くが喫煙し、より娯楽の少ないソ連では約半数が喫煙していた。
ただ、マホルカよりも、外国たばこのマルボーロやキャメルといった軽い吸い口のものが好まれていた。
 ソーニャは歴戦の兵らしく、麻紙を使った手巻きタバコを愛用していた。
だが、それとて高級な部類であった。
物資の欠乏が激しい最前線では、イヌハッカやレタスを乾燥させた物を刻んで、プラウダやイズベスチヤなどの新聞紙に巻いて、吸うほどであった。
「ただ、我々に与えられた任務は、ハバロフスクの雪辱(せつじょく)を果たす事よ。
ヴォールク連隊の衛士たちの(かたき)()ちという……」
ソーニャは、紫煙を燻し、どこか遠くを見つめながら、告げた。




 さて、レバノンのソ連大使館では、そのころ動きがあった。
駐箚(ちゅうさつ)大使以下、GRU支部長やソ連軍事顧問団の将校、KGBの幹部たちが一堂に会して密議を凝らしていた。

 
「氷室美久という女衛士が、人造人間(アンドロイド)だと!」
レバノン大使が、驚愕の声を上げる。 
「とても、信じられる話ではないね」
 防空ミサイル部隊を指揮する防空軍大佐も同調する。
BETA相手では役立たずになっていたミサイル部隊も、戦術機やゼオライマーには効果がある。
そういう事で、呼び寄せ、基地防衛の任務にあたらせていた。
 
 KGB所属の軍医大尉は、興奮した面持ちで、
「これだけの資料を、ご覧になられてもですか」
大使は、(いぶか)しげに尋ね返した
「君は、信じるのかね」
「胸部エックス線写真、コンピュータ断層撮影装置の測定結果は十分な根拠になりうるかと」
セルブスキー精神研究所の研究員もいまだ信じられぬ面持ちで、答える。
「氷室は、日本野郎(ヤポーシキ)の、普通の女にしか見えんが」
 会議に参加していた、ソ連外国貿易省のレバノン駐在員も、追随する。
この男は、貿易省の役人に偽装したGRU工作員であった。
「そうだとも、それをどう説明するのかね」

 それまで黙っていたGRU大佐が、
「これ、以上議論の余地はないな。百歩譲って、木原がそのようなものを作ったとしても……
現在に至るまで、我々GRUの諜報網に引っかからなかったのだね……」
レバノン大使が畳みかける様に、KGBの軍医大尉をなじる。
「あの米国ですら人工知能の実用化は、まだ達成していない。まして小型化など……
その、人造人間とやらでも、機械があんなにはっきりと受け答えできるかね」
男は、憤懣やるかたない表情で立ち上がると、言い放つ。
「やれやれ、時間の無駄だったようだな!」

 一斉に席を立つ幹部たちを見ながら、軍医大尉は一人残ったKGB大佐を見つめる。
「どうする……」
大佐から問われた軍医大尉は、
「コンピュータ断層写真の件が、どうも引っ掛かります。
それに、あの拷問を受けても即座に回復したのを見て居れば、機械人形(ロボット)としか思えないのです」

KGB大佐は、懐中より、曲線を描いたベント型のメシャムパイプを取り出し、火をつける。
「うむ」
ブランデーの香りがする、紫煙を燻らせながら、
「私も、その点は気になる。納得いくまで調べるかね」
「はい」
「では、その線でいきたまえ」
そういうと、肘掛椅子に深く腰掛けた。 
 

 
後書き
 ソ連軍はほとんどモブキャラばかりなので、名ありのオリキャラ出しました。
名前と容貌は、内田弘樹先生の最新作から借りました。

ご意見、ご感想お待ちしております。
 
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