冥王来訪
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第二部 1978年
影の政府
米国に游ぶ その1
前書き
ユルゲン兄ちゃん、ギャルゲーの主人公みたいな扱いになってしまいました。
原作が18禁恋愛ゲーム(大嘘)だから良いかなと、思ってます。
ここは、ポツダムの国家人民軍参謀本部の参謀総長執務室。
東ドイツの兵権全てを預かる、この場所にマライ・ハイゼンベルクは呼び出されていた。
冬用コートの代わりに着て来た綿入り服の上着を脱いで、勤務服姿で待っていると、
「よく来てくれたね」と、声が掛かる。
慌てて敬礼した先に居たのは、参謀総長に、ハイム将軍であった。
「まあ、椅子にかけ給え」
参謀総長とハイムは、軍帽を脱ぐと、椅子に腰かけ、
「君には頼みたいことがある」と告げた。
マライは、腰かけるも、クッションの利いた椅子に戸惑いながら、膝に上着を掛けて、
「同志大将、どの様な事でしょうか」と、タイトスカートを押えながら、訊ねる。
「実は、同志ベルンハルトと一緒に米国に行って貰いたい。
その際、隠密作戦として、アベックに偽装してほしい」
「えっ」
答えに詰まって、恥じらっているマライに向かって、ハイム将軍は、
「これは、同志議長からのお申しつけなのだよ」と、詳しい経緯を話し始めた。
ベアトリクスの父、アベール・ブレーメは、全てを政治に囚われた人物。
東ドイツの官界では、そう噂され、秘かに怖れられていた。
また、彼の父の代より、ソ連と関係し、党幹部として権勢を誇る忍人であると。
国家保安省と関係し、政敵の怪情報を握り、排除してきた冷徹な男としての面もある。
家族関係もそうではないか、妻はおろか、娘ともろくに口を利かない薄情な男。
家族すら政治の道具に使い、娘すらも国家の為に差し出す、非情の人と。
実際は、通産官僚として恐ろしいほど忙しく、家に帰る暇も無かっただけであった。
彼自身は、娘に護衛を付け、何不自由の無い様にさせてやるこそが愛情だと考えていた。
だが、それを娘に惚れたユルゲンに指摘されるまで、放置に近い事であると気が付かなかった。
そんな彼も今になって、娘・ベアトリクスの事を心配しだした。
一番はBETA戦争が一段落し、国家保安省の統制を引く必要が無くなったためである。
流入してくると恐れたソ連からの難民は、バルト三国とポーランドに収容所を作り、そこで留め置かれた。
そして、BETAの恐怖から、東ドイツ国民の逃亡に関し、然程、気を使わなくなったのも大きい。
ただ、内部への監視は引き続いてはいるも、シュミットの乱で、人材が払底した影響は計り知れない。
二番目は、駐留ソ連軍の撤退が開始された事である。
東ドイツをソ連の隷属下に置く駐留軍の撤退、すなわちソ連の弱体化は東ドイツの環境を変えた。
徐々にであるが、強烈な思想統制も、ソ連への阿諛追従も緩和されてきた。
最後に、ベアトリクスの妊娠である。
この事で、アベールは、密かに企んでいた、国家保安省を監視する案を放棄せざるを得なかった。
なんで、妊娠した娘を、秘密警察という、その様な剣の中に送れようかと。
いくら、忍人とは言えども、自分の娘と孫は可愛いのである。
その愛の深さは、彼女がユルゲンと共に行くはずだった渡米留学にも影響した。
まだ妊娠安定期にも入らない娘を、米国のニューヨークに送り出す等とはと、議長に迫ったのだ。
昔馴染みの男の申し出も無下に出来まい。軍の方で、だれか目ぼしい人間を立てて欲しい。
そう、自分とシュトラハヴィッツ将軍に行ってきたのだと、語った。
「まあ、次官には初孫であるし、娘さんもまだ長期出張などで耐えられる体ではないから……」
「それでわたくしが……」
「君も知っての通り、同志ベルンハルトはモテる。老若男女問わずだ」
「はい」
「そこで、ここは一つ、君に護衛任務に就いて欲しいのだよ」
「……護衛任務ですか」
何を思ったのか、参謀総長が立ち上がり、執務机の方に向かう。
引き出しから、ファイルを取り出し、老眼鏡で眺めながら、
「同志ハイゼンベルク、君は婦人兵にしては拳銃の成績も、シモノフ半自動銃の成績も良好だ。
そして、衛士になる転属申請も、しているそうじゃないか」
「いえ、いえ、わたくしには出来ません」
マライは、手を振った。
「ブレーメ嬢が怖いのか。その辺は本人を呼んで、私が説得する」
と、顔を上げた、参謀総長が自信満々に答えた。
ベアトリクスが参謀本部に乗り込んで、珍しく悶着を起こしたのを覚えていたマライは、
「あの方の恐ろしさを存じないのですか」と、初めてうろたえの色を現した。
彼女は、ユルゲンと親しくなればなるほど、ベアトリクスの監視がたえず身にそそがれているのに気づいた。
あの赤い瞳に灯した、ユルゲンへの燃え盛る愛情が、嫉妬の炎に代わる事を、何より懼れた。
ゼオライマーのパイロットが、ベルンハルト邸を訪問したあの日以来、彼女の嫉みを買うようになる事を避けた。
「まあ、どっちにしろ、まだブレーメ嬢は19にもならぬ娘御だ。何かあったら私がかばうよ」
そう言って、笑みを浮かべるハイム将軍に不安を覚えながら、マライは、
「わかりました」と自我を抑えた。
この場で参謀総長や軍上層部と争うのは愚かである。争って勝てっこない。
少なくとも自分は、この国家と軍隊に忠誠を捧げている。
ベアトリクスの様な小娘、アイリスディーナの様な世間知らずと、同列であってはならない。
今、命令された任務を無事貫徹させよう。
アイリスディーナの見合いや、ベアトリクス一人の内心などは問題でない。どうにでもなる。
そのどうでもいい事に、議長のごきげんを損じ、軍上層部と気まずくなる等は、愚であった。
愚かしさよと、ようやく、身の内で落ち着かせる雰囲気を作り上げていた。
さて翌日。ベルリンのシェーネフェルト空港は見送りの人でごった返していた。
9月の第3火曜日に開催される国連総会に向け、議長が出発する為である。
「お前たちもこんな所まで見送りに来なくていいのに」
ユルゲンは困惑したような声を出し、アイリスディーナとベアトリクスの方を向く。
「兄さん、忘れ物は」
「昨日の夜の内に確かめたし、今朝もう一度確認した」
これはまずいと、妻のベアトリクスはすぐ覚ると、ユルゲンの顔色を見て、
「大丈夫よ。もうこの人は大尉だから。士官学校を出たばかりの、その辺の新品の少尉と違うわ」
と軽く笑いながら、アイリスをあしらうと、
「向こうに付いたら、一度連絡をくれれば良いわ」と、袖をつかんだ。
瞳の奥に愁いを湛えたベアトリクスは、何時になく蠱惑的だった。
化粧をした頬を赤く染める姿などは、実に妖しいばかりに見える。
ソ連留学の時もそうだが、ベアトリクスは、気丈にも涙さえ浮かべず、笑って送り出してくれた。
彼女の男まさりな気強さも、その胸の深い所は別にして、知らぬ人には冷酷に見えよう。
ユルゲンは、じっと無言のまま、彼女の情念の炎を点した赤い瞳を見つめていた。
しばらくして、ユルゲンは、かたくなっていたアイリスを落ち着かせようと、
「心配するな、アイリス。俺もお前も幼弱の頃から海外暮らしの方が長かった。
ニューヨークの廃頽的な暮らしも、直ぐなれるさ」
「ハーレムの黒人街やクイーンズの南京町などには近寄らぬようにしてくださいね」
「揶揄っているのか。もうすぐ父親になる男にかける言葉ではないだろ。
たしかにコロンビア大学のキャンパスはマンハッタン島にあるが、住むのはニューヨーク郊外の地区だ。
そこに民主共和国名義で借り上げた宿舎がある。
何なら隣のニュージャージに、誰かと一緒にルームシェアして住むさ」
「今の所、一番危険なのは兄さんですからね。CIAやFBIが近づいてこないとも限りませんし。
彼等の命を受けた、どんな美人が言い寄って来るのか、不安です」
興奮を隠さないアイリスディーナの事を、ユルゲンは抱きすくめ、
「大丈夫だって、安心しろよ。平気、平気だから。お目付け役が付いているしさ。
俺は逆にお前が心配だよ。研修が終わった後、来年1月からどこに行くんだっけ」と、訊ねた。
「誰ですか、兄さんにつく護衛は」
兄は笑って答えなかった。知らない様だった。
「ヤウクさんもカッツェさんも、アメリカには行きませんよ。
ヤウクさんは、兄さんたちと飛行機に乗った後、一人英国で降りて、サンドハースト士官学校留学ですし。
それに、カッツェさんは、私と一緒にコトブス県の北部飛行場に配備される予定です。
(今日のドイツ連邦ブランデンブルク州コトブス市)
基地司令は、ハンニバル大尉。ですから兄さんは安心して、ニューヨークで勉学に励んでください。
手紙は出来るだけ書きますので」
アイリスディーナの毅然とした声に、圧倒されつつも、
「わかった」
二人の声が途切れると、後ろに佇むマライが、
「でも、そろそろ出発のお時間が」
「今行く。少し待っていてくれ」
ユルゲンは、つい起つのが惜しまれてはそう言っていた。
するとまた、軍靴の足音がして、出発の時間が近い事を告げた。
「ユルゲン、そろそろ奥方様と別れは終わりにして。議長がお呼びだ」
「では、行こうか。ヤウク」
颯爽と、空港のロビーを後にして、貴賓室に向かった。
貴賓室の中では、紫煙を燻らせた議長が、首相や外相と話し込んでいた。
聞き耳を立てていると、明後日開催される国連の一般演説に関しての事らしい。
ハイム少将が、ユルゲンの後ろに立っているマライに目を向けると、
「一応、大使館から護衛が着くことになっているが、ハイゼンベルク少尉を君の護衛につける」
「同志将軍、ありがとうございます」
そうは答えた物の、ユルゲンは、自身の胸のざわつきに驚いていた。
そんな疑問を頭に浮かべていると、ハイム将軍は深い溜息をついて、
「失礼だが、君は抜けている所があるな。
今度の留学は海の向こうのアメリカだ。ソ連の様においそれと助けることが出来ん。
だからハイゼンベルク少尉に護衛任務に就いてもらう。
彼女と一緒に暮らしてもらって、留学を無事終えてきて欲しいのだ」と小声で述べた。
「えっ、そんな」
「美人は嫌いか」
「いや、小官も美人は好きですが、今の話と何の関係が」
「同志議長が、君が、色仕掛けで狂わされないかと」
今の言葉が、何処か耳の遠くへ、消えてしまいそうな感じがする。
わずか1週間ほど前に、アイリスディーナの色香で木原マサキを惑わせた張本人の言葉である。
その内、遠くの議長や閣僚からの視線を感じた彼は、一度黙考してから、
「はい」と頷くしかなかった。
「これって、同棲じゃないか……」
過ぎていく機窓の景色をぼんやり眺めながら、ユルゲンが呟いた。
衝撃的な命令を受けてから、国防大臣からの訓示も、政治将校から生活指導もみんな吹き飛んでしまった。
議長の傍に呼ばれて話した内容もさっぱり覚えてはいない。
警護とはいえ、マライを四六時中側に置くなんて……どうしようもなく恥じ入っていた。
何処か男勝りの幼な妻や、清楚な妹とは違って、どこか、しっとりと濡れた感じの典雅な女性だ。
二人にない、マライの、何とも艶っぽい姿態に、物腰柔らかな受け答え。
そんな所が、周囲の気を引いたのだろうか。
ハンニバル大尉と、彼女が付き合っているという、怪しげなうわさも流れた。
大尉も枯木ではない。ないどころか、40代の性も盛んなはずである。
自然、マライの立ち振る舞いや匂いには、ふと心を奪とられても、おかしくはない。
だが、事実無根だった事は、昨日の事の様に思い出せる。
恐らく、シュタージに目を付けられていたハンニバル大尉の妻を貶める為の、流言だったのだろう。
彼と、妻の関係は続いている様だし、アスクマンが泉下の客になってからは、噂はなくなった。
第一戦車軍団は、戦術機を扱うため、独自の通信隊を抱える関係上、婦人兵が他の部隊より多かった。
若い男女が同じ屋根の下にいる為か、何かしら道ならぬ恋や旺盛な愛欲に悩まされた。
年初のヴィークマンの婚前妊娠に始まり、少なからぬ者が人妻や若い通信兵と戯れたりと、醜聞に塗れた。
上層部から期待されていたベアトリクス・ブレーメが祝言を挙げるや、間もなく懐妊してしまった。
当事者で、彼女の良人であるユルゲンも、流石に笑うしかなかった。
そんな事もあって、軍団は、恋多き場所と嘲笑れているのも知っている。
軍全体からやっかまれているせいでもあろうが、事実だった。
『これで、俺がマライに心を捕らえられたりしたら……』
ユルゲンは一人で赤くなりながら、マライに向きそうな視線を、無理に窓に向けた。
マライは、ユルゲンからの恋情を感じた途端、凄艶な流し目となり、耳までほの紅く染めた。
年延えから見ても、この二人は、一対の美男美女であったばかりでなく、知らぬ人には夫婦にしか見えない。
ユルゲンのそばで、眺めていたヤウク少尉は、それを嫉たむという事すらも、知らなかった。
後書き
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