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冥王来訪

作者:雄渾
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ミンスクへ
ソ連の長い手
  首府ハバロフスク その2

 ハバロフスク時間、早朝4時
モスクワから退避してきた同地で、ソ連政府の臨時庁舎が居並ぶ大通り
早暁の官衙に、車が乗りつける
車を降りた男は、KGB臨時本部がある建物の中に速足で入り込む
『ウラリスクハイヴ消滅』の一報をこの建屋の主に届ける為に急いだ


「帰ったか」
部屋に出入りした諜報員が返ったことを確認する
「先程、送り届けました」
缶に入った両切りタバコの封を開ける
アルミ箔の封印を切り、中よりタバコを抜き出す
其の儘、口に咥えると、マッチで火を点ける
紫煙を燻らせた後、老人は室内で立つ男に声を掛けた
「なあ……」
起こしていた身を、革張りの椅子に預ける
「この老人の私がその気になれば、18、9のチェコスロバキアの小僧の命でも自由に出来る……」
対面する人物は、静かに聞く
「それが今のKGBの立場だ……」
言外に、10年前のチェコスロバキアで起きた『プラハの春』を振り返る

 『プラハの春』 
1968年1月チェコスロバキアでは、共産党第1書記に就いた新指導者の下、改革に乗り出す
市場経済の一部導入等、社会主義の枠内で民主化を目指した
同年6月には、知識人等が改革路線への支持を表明
7万人の同意を得た『二千語宣言』を世に出す
世人(せじん)は、一連の流れを受けて、『人間の顔をした社会主義』と評した
 だが、ソ連は彼等を認めなかった
党の埒外(らちがい)に置かれた『二千語宣言』……
同宣言を、ソ連は危険視した
自らが主導する、ワルシャワ条約機構の部隊を差し向け、同年8月20日深夜に侵攻を開始
介入後、指導者がソ連に一時連行され、方針を変更
数百名の犠牲が出た同事件の結果、改革は断念された

「奈落の底へ、転げ落ちたくはあるまい」
男は、老人の問いかけに応じる
「ベルリンの反動主義者、其の事ですが……」
その老人の顔色を窺いながら言葉を繋ぐ
「ハンガリーやチェコの件の様に、直ぐにけりを付ける心算です」
老人の真正面に顔を向ける
「我が国との友好関係を考える一派を通じて、各国に働きかけを行い……、
長官の思う通りに動きつつあります」
 静謐(せいひつ)がその場を(たた)える
一頻り、タバコを吸いこむと、ゆっくり口を開く
「貴様も憶えておくが良い……」
腰かけた椅子より上体を起こす
「東ドイツやポーランド、奴等が土台だ……
土台が動けば、ワルシャワ条約機構という基礎が傾き、ソビエト連邦共和国という屋台が崩れる」
眼光鋭く、彼を見る
「奴等に意志を持たせてはならない」


 同日、東ドイツ18時
夕暮れのポツダム・サンスーシ宮殿
シュトラハヴィッツ少将とハイム少将は、ある人物と密会をしていた
陸軍総司令官であり、副大臣である男
参謀本部よりほど近い場所に散歩という形で誘った
ここならば、間者が潜んでいても盗聴も不十分
念には念を入れての対応であった
 ハイム少将は、男に意見を伺う
「同志大将、ソ連の対応ですが……」
男は不敵の笑みを浮かべる
「話は聞いている。いずれにせよ、ソ連は持たん。
学徒兵に及ばず、徴兵年齢をこの三年で3歳下げた。
1941年と同じことを連中はしている……」
シュトラハヴィッツ少将は、不意に男の顔を覗き込む
深い憂いを湛えた表情をしている様を時折見せる男は、続ける
「ルガンスクで見た、凍え死んだ少年兵の亡骸は、未だに夢に出てくる……」

 サンスーシ宮殿の庭園を歩きながら話した
ふと立ち止まり、天を仰ぐ
「貴様達には初めて話すが、俺は先の大戦のとき、国防軍に居たのは知っていよう。
第3装甲師団で装甲擲弾兵……、准尉の立場でウクライナに居た」
 男の独白に狼狽えた
聞く所によれば、ソ連での3年間の抑留生活を過ごしたと言う
その様な人物が、他者に内心を打ち明ける
「我々の軍隊が駐留したウクライナ……、ソ連有数の農業地帯なのは知っていよう」
顔を下げると、彼等の周囲を歩き始めた
「嘗てヒトラーとステファン・パンデーラの圧政によって国土の大半を焼いて人口の半分を失った……。
それは半分あっていて、半分は嘘だ。既にそれ以前に尊い人命が失われた。
俺は、この目で見てきた……」
 石畳の上に長靴の音が響く
磨き上げた黒革の長靴に、朱色の側章の入った乗馬ズボン
軍帽に東ドイツの国章が入っていなければ、まさに分裂前のドイツ国防軍人と見まがう姿
彼等は、黙って男の姿を見ていた
「40有余年前、スターリンは外貨欲しさに、やくざ者やチンピラを集めて『貧農委員会』という組織をでっち上げた。
奴等を指嗾(しそう)して村落を荒らし回った……。
翌年の種籾はおろか、婦女子の誘拐や資産の強奪迄、行った」
厳しい表情で、彼は続ける
「歴史的にみれば、今の西部ウクライナは勇壮な有翼重騎兵(フサリア)を多数抱えたポーランド・リトアニア公国の一部だった。
そんな彼等をスターリンは恐れた」
懐中よりタバコを取り出し、口に咥える
再び立ち止まると、右手で火を点ける
「日本軍が満洲より兵を動かすことを恐れ、極東より師団を動かすのを躊躇ってモスクワは落城寸前までいった。
あの時、米国からの大量援助(レンドリース)と季節外れの大寒波が無ければ、クレムリン宮殿には三色旗が翻って居たであろう事は想像に難くはない」
右手の親指と食指でタバコを挟み、此方を見る男
「積年の思いというのは……、そう簡単には消えぬのだよ」
男の瞳は、何処か遠くを見るような目で、黄昏を見つめる
「同志大将……」
この男は、前の議長の新任厚く政治局員にも推挙された人物
先年、ポツダムの陸軍総参謀本部が出来た際、議長直々に総司令官に任命されたほどの男
俄かに信じられなかった
「俺は、誰が議長になろうとも関係は無い。
国が消えてなくなる事の方が問題だ」
タバコを地面に捨てると、軍靴で踏みつぶす
「同志ハイム、退役将校作業部会に連絡を取れ」
1957年以降、社会主義統一党政治局の決定に基づき、旧国防軍軍人は退役を余儀なくされた
彼等は退役将校作業部会という親睦団体に集められる
党より危険視され、監視されていた
「緊急会合って事で、押し通せ。
俺の名前を出せば、国防軍時代の年寄り共がうまくやって呉れる」
旧国防軍軍人を通じてボンの西ドイツ参謀本部との連絡を取る事を匂わせる
呆然となるが、気を取り戻して返事をする
「はい、同志大将」

 男は、彼の方を振り向く
「同志シュトラハヴィッツ、貴様はソ連との細い糸をつなぐようにし給え。
彼等の動向次第では、対応を変えねばなるまい」 
シュトラハヴィッツ少将は、沈黙を破り、重たい口を開く
「同志大将、宜しいでしょうか。
今回の翻意の理由をお聞かせいただけませんか」
再び、タバコを取り出すと、静かに火を点ける
目を瞑り、紫煙を燻らせた後、述べた
「俺は、すでに貴様達のような情熱は無い……。
一介の軍人として国家の存亡が一大事だ。
党の政治方針や社会主義など些事にしか過ぎん」
彼は、男の方を見る
「その言葉を信じましょう、同志大将」
「時勢の流れに逆らう程、老いてはいぬ」
その言葉を受けて、二人は笑みを浮かべた 
 

 
後書き
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