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或る皇国将校の回想録

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第五部〈皇国〉軍の矜持
  第七十七話 護州軍の進撃

 
前書き
守原定康‥‥護州公嫡男 守原英康の甥 受けの達人

宵待松美‥‥個人副官 攻めが得意

豊地大佐‥‥守原家重臣団 優秀な参謀 攻めの対義は防御だと思っている

デュランダール少将‥‥騎兵少将 アレクサンドロス作戦の立役者 

 
皇紀五百六十八年 十月十日 午前第十刻
吼津より西方約十五里 虎喉大橋前
護州軍派遣兵団 参謀長 豊地大佐


 護州軍の行動はユーリアの不意を突くことに成功した。前日、護州軍は司令部を設置していた堅津より西進し、半日もせずに龍虎湾へと行軍できる虎喉大橋に主力を展開し、大規模な野戦築城を開始していた。
 
「予定よりも早いな。あぁあの要塞の指揮を執っている育預が無能だとはいわないが保持できると思うか?」
 兵団司令官は守原定康少将、恐るべきことに初陣でありながら自らが音頭を取ってこの作戦を計画させ、実行にこぎつけた。
 しかしそれでも想定より五日ほど早い、新城直衛の無能ではなく〈帝国〉軍の予想以上の手際の良さと迷惑であるがそれ以上ではない六芒郭攻略に主力を投入するという果断さが原因であった。

「将兵を磨り潰せば十日程は――あぁですがしかし」
 参謀長の豊地大佐は軍監本部から引き抜かれた俊英である、そして政治的な策謀から距離をとる奇特な参謀である。
 定康とはさして親しくはなかった、つい先日までは。
「なんだ」「あの育預は北領で最後まで戦い抜いて脱出した一人です、何かしら既に腹案がある可能性もあります」

「手慣れている、と言いたいのか」

「少なくとも破滅と恐怖との付き合い方については。彼は龍口湾では本営に突入しているのです」

「破滅と恐怖、か。あぁ覚えておくとしよう」
 その言葉は皇都で彼に会った者であれば聞き間違えたのかと思うほどに真摯であった。 

「我々が直接指揮を執るのは銃兵二個旅団、騎兵一個旅団、砲兵一個旅団を主力とした部隊です、後詰めに近衛総軍がおりますが‥‥まぁ虎喉大橋の築城を続けさせる程度と考えておくべきでしょう」
 定康もうなずく、新編部隊は増えているが戦力化が整うのは遅くても冬だ。志願兵が増えているとは聞いている。その理由について定康も想像がつかないわけではない。
 護州鎮台の新品少尉だった際に匪賊の危機にさらされていた兵は献身的に働く傾向になると中隊長から教えられた。 
「例の新設部隊は?」「既に昨日の時点で動かしています」
「アレは金がかかった、おい叔父上に漏らしていないだろうな」
「若殿様の懐金で能う限り、という事でしたの遠慮なく。
あぁ独立部隊を弄り始めた、というのは御存知でしょうが仔細は我々の方で、こちらで複数の旅団を動かす、という方を前面に出しております」

 そして遠慮はなかった。定康はそれが気に入っていた。
「間違ってはいないが後で面倒になりそうだ。近衛はどうだ、使えないかやはり」

「元の質もそうですが、銃兵が問題です。後備部隊に新設部隊ばかり、ただ戦力としてはあてになりませんが工兵作業に少なからぬ兵が使えます」


 何故ここまで築城に固執するのかといえば守原家――というよりも護州の土地柄に要因がある、護州は肥沃な土地であり、また同時に守背山地の南側を支配していた。そして良港を持ち、西領と皇都を結ぶ商業港を結ぶ大街道が張り巡らされ、さらには一種の聖地であり、寺社衆が支配する霊州とも接していた。
 要するにどこからも狙われる立地であり、材木が豊富に取れ古くから流通の拠点であった、そうなると自然と職人があつまり、建設業が盛んになるのも自然な事であった。
 工兵の比率の比率は駒州よりもはるかに高い。安東が駒城ではなく守原家に近しい態度をとっているのも復興に際し、実務的に護州に依存している面が多々あるからだ。
 そうしたわけで〈皇国〉軍で最も新城直衛たちが作り出した野戦築城と導術の併用に興味を抱いたのは護州軍であったといえるのかもしれない――導術運用の面においても貴族階級はともかくとして町人の間では当然のごとく活用されている。(天領との競争に晒された以上、当然のことである)
 将家の財政悪化により貴族主義者が増えているが、護州の重臣団の中には技術屋的な色が濃い人物は存外に多い。護州閥に中央志向が強いのは技術者としての能力(予算が多ければ多いほど投資の価値が上がる)と貴族的な思考の双方が合わさった結果ともいえる。
 ある意味で、護州派閥は駒城以上に天領の自由経済政策に適合していたというべきかもしれない、少なくとも最初はそうであった。
 守原英康という男の不運は天領の建設業が護州に対抗できる規模になった十五年程前に護州のかじ取りを押し付けられたことであった。
 守原時康の死によって放り出された実権を引き継ぐだけの覚悟があったのは嫡男である長康ではなく守原英康であった。

「まぁそうだろうな。面倒な話の時には神沢殿の名前も借りているが前線仕事は護州がせねばらなんか」
「貸しも借りもを作っていますな若殿様は。随分と面倒を背負って賭場に向かっていますが、よろしいのですか?」
 先ほどまで仏頂面だった豊地は試すような口調で定康に尋ねた。 
「今更退く気はない、貴様も道連れだ」

「それもまた将の役目です、喜んで巻き込まれましょう」
 豊地が満足そうにうなずくと幕僚の一人と話していた定康の個人副官が定康は歩み寄る。
「報告!敵軍行軍を早めました!併せて龍兵が蔵原方面に向けて飛び立ちました!
およそ三刻後に十里以内に入ります!」

「こちらの動きを掴んだか。龍虎湾に〈帝国〉水軍が侵入したことはなかったな」
「はい、皇嶼を経由した哨戒網を水軍が張っております。
現在も駆逐隊が哨戒中です」

「そうなると龍兵か。龍州軍の動きをも掴んでいるか?」
 龍州軍も吼津に向かって主力を投入した行軍を開始する手はずだ。
「到着時刻の調整の為にあちらも集結を始めたはずです、恐らくは」

「もう漏れたか」
 定康がうめくが豊地は笑みを浮かべた。

「えぇ有難いことに。龍州軍も1万は動かせます。〈帝国〉軍が抽出できる兵力は一万五千から二万、一時的にですが我々が兵力の優越を得ます。打てる手は少ないです」

「龍州軍が各個撃破を受ける可能性はあるか」「ありえません、我々はその気になれば側背を突けます、吼津を我々が奪還しようとしているとは連中は判断するはずです。兵を分けると不利、そして龍州軍に主力を投入すれば、我々が吼津を取られ、敵軍は挟撃を受ける。動かないのであれば吼津を取られる」
 豊地は微笑した。
「そして時間が経てば経つほど皇龍道の防衛力は高まる。罠と分かっていてもまずは我々に一当てせざるを得ません、吼津を取ってしまえば虎城山岳地の側道などどうとでもなります」
 どうであれ皇龍道の防衛線を押し上げ、大規模な築城が完成すればそれだけで〈帝国〉軍は不利になる。豊地の策は皇龍道の防衛という面では非常に優秀であった。
「第十一刻をもって作業を中止、昼飯を食わせてやりましょう。その後は午後第一刻までに臨戦配置でよろしいかと」
 豊地が視線を送る。定康は深呼吸をした後にゆっくりとした口調で発声した。
「そのようにせよ」
 護州公子、守原定康が初めて実戦において発令した命令であった。

「つまり俺達はあと二刻もすれば強襲を受ける羽目になるわけだ、磨り潰されないような策はあるだろうな」
 定康は緊張を紛らわすかのように豊地を試すように尋ねた。
「敵はほぼ同数です、そう簡単に敗れるものではありません」

「渡河点が一つであればの話だ。側道の防衛の為に兵力が分散している。敵は当然のように集中して運用されるのだぞ」
 彼らが築城に利用している虎腕川の水源は虎城山地北部にある。古くから大街道であった皇龍道の村落に対し、材木供給源の一つとして利用されてきた河川である。
 南部は虎城の山麓から続く森林に覆われているが龍虎湾を望む北部は普段は穏やかである――雨季に虎城の山麓に降り注いだ雨が流れ込む事で内王道、東沿道ほどではないが太平の世の間も執政府も駒城家も頭を悩ませ少なからぬ工費が街道整備に投じられた要因の一つであった。
 川の幅はせいぜい三十間程だが虎城より材木を龍虎湾へ運び出す運河として堤防や、十数年前には大規模な浚渫がされており――これには新鋭の熱水船も性能を喧伝する為に開発者の須加原三郎太の手でほぼ無償で投じらた。
 つまり、北領と違い水温は低くないが、だからとって楽に渡れるものではない。
この川の渡河点は二つ、うち一つにして最大の渡河点がこの虎喉大橋である、そして北部の沿岸る側道の一部と橋があり、幾つかの漁村を結んでいる。
 大軍の交通には適さないが、こちらにも銃兵一個連隊にあれこれと付け加えた部隊を当てている。

 成程、ただの莫迦ではないな、と考えながらも豊地は唇をゆがめて答えた。
「それが戦争における積極的な行動というものです、若殿様。
可能性を潰しおえばまた別の危機が生まれる、我々はそれを管制する為にここにいるのですから」
 豊地は上官の後ろに控えた美しいいきものに視線を送る。副官は心得た顔で頷いた。
 新兵の前線司令官というリスクを負ってもやるべき価値がある事だと豊地は判断していた。



同日、午後第二刻 吼津より西方約十五里 虎喉大橋防御陣地
護州軍 派遣兵団司令官 守原定康少将

「‥‥‥来たか」
 敵は紛れもなく精兵である。
 東方辺境領第5騎兵師団に銃兵一個旅団が増強された部隊である。第五騎兵師団は消耗著しく、後方警備に回っていたがこれにより単純な戦力は敵を優越していた。
 龍兵偵察の結果を受け、デュランダール少将は敵部隊の撃滅の為に伏ヶ原に集結させた主力を前進させた。『蛮軍が欲を出したのであればわからせてやるだけだ』と豪語していた。
実際的な話としてここで敵を打ち倒せば冬営前の最大の課題であった鎮定軍内の幾つかの問題が解決するという目論みもあった。
 個人的にもアレクサンドロス作戦の大突破の成功に加え、ここで蛮都を突く最後の障害をここで叩き潰す事に成功すれば、もはや東方辺境領内でも不動の名声を得る事はもはや確実だ。東方辺境領では老後を保証するものは功績に応じて支給される年金と場合によっては皇帝自らの受勲すらありえた。そうなれば〈帝国〉全土の名将に並ぶ事ができる。
 デュランダールが率いる総兵力は一万五千、後方には五千名の兵力を予備として拘置。六芒郭に重火力が集中した都合上、砲兵戦力にやや不安があるが純粋な兵の頭数では優勢であった。

「これまでの戦訓、そして護州軍の力を御覧に入れます」
 豊地は冷静に返答した、参謀長としてあるべき姿であった。
「質問はするが口は出さん、貴様の思う通りに知恵を出せ」「はっ」
 豊地が頷く。
「砲兵旅団射撃準備完了」「まだ撃つな」
 導術兵は無言でうなずく。永劫と思われるほど砲弾が一方的に着弾する音が響き続ける。
 どれほど時間が経ったのか、と定康が落ち着かなくなってきた頃にようやく別の導術兵――前衛の銃兵旅団本部と交信をしている――が声を上げる。
「敵兵大隊規模渡河完了、第二陣渡河開始!」
 若殿様、と促す豊地の声も少しだけ震えていた。
「よろしい、攻撃を開始せよ!」

 大橋が爆破された。川の幅はせいぜい三十間程だが虎城より材木を龍虎湾へ運び出す運河として浚渫されている。北領と違い水温は低くないが、水堀としての機能は変わらない。楽に渡れるものではない。 
 不幸にも渡河に成功した〈帝国〉兵達は平射砲と銃兵の射撃を受け、たちまち崩れてゆく。

「このままならば夜までもつでしょう」
 そう言いながらも参謀長としてふるまう豊地も内心は見かけほど落ち着いているわけではない。
 定康の演技の裏にある焦燥を見抜く事はできなかった。だからこそ余計なことを言ってしまったのだ。
「今のところは威力偵察のような物です、本番は明日以降、龍州軍との連携が鍵になります」

 定康は少し視線を落とした後に張りのある声で告げた。
「前衛の激励に行く」

「危険です」
 豊地は露骨に顔をしかめた。ここで死なれるのが一番迷惑だという事は定康にもわかっている。
「だからこそだ、俺が顔を出せば士気も上がる。貴様はここで状況を管制しろ。兵站の担当を一人寄こせ」
 しかし、だからこそ、自分自身の為にもここでやらねばならないのだ、と決めつけていた
 定康の言葉の裏に何が煮込まれているのか、豊地はそれをうっすらと感じ取り溜息をついた
「かしこまりました。旅団本部に連絡を入れます」




「不足はないか?」「砲弾薬の消耗が想定より早いです」
「わかった手配させる、委細は大尉と話せ」

 砲弾が前衛の陣地を叩く、幸いといえるのは砲兵戦力が聯隊規模程度てあることだろう。
第5騎兵師団は二個砲兵大隊のみを所有している。それも六芒郭包囲戦が本格化する事で砲兵の補充が著しく遅れていた。ブラットレーの重猟兵師団から分派された兵力をと合わせても一個連隊に満たない。とりわけ擲射砲の兵力は四分の三程度であった(これで滞っているというのも贅沢であるが)
 火力戦においては護州軍が優越していた。だからこそ旅団長は”若殿さま”の我儘に頭を抱えながらも予備部隊へならばと査閲に同意した。

「若殿様、小半刻だけです、すぐにお戻りください」
「分かっている」
  とはいえ当然ながら定康の訪問を受けた大隊長は率直であった。彼も重臣団の生れであったが、北領で天狼から逃れる為に幾度か中隊長として血を浴びた経験が貴族としての立場よりも重みを為す性質の人間であった。
 自分が具申したら受け入れる事を言葉を飾らずに求めた。
 そうした男だから豊地参謀長は誘導したのだな、と定康の後ろに控えていえる宵待は思考していた。
 彼を側近に、と定康へ具申をしたのは愛人でもあるかれ(彼女)であった。それは正解であったと感じる。草浪道兼が現当主に示す敬愛の念は誰もが知っていた。
 だが守原英康に対して奥底に抱いている感情を察しているのは彼女(かれ)の”女”の部分だけであった。
 だが定康にとってはそれで十分だ。そして自分が英康の傀儡になるつもりはない、と決めたのであれば猶更に。

 兎にも角にも、訪れた中隊では指揮官としての振る舞いを行うことができていた。最前線より一里ほど離れた掩体壕と最前線に続く曲がりくねった移動用の塹壕の集合体である。
 中隊本部である、と通されたのは土嚢と材木で覆われた掩体壕であった。もはや戦争そのものの姿が変わってきたのだ、と定康にもわかった。
 中隊長と少しばかり言葉を交わし、軽く部隊を視察して戻る、それだけだのつもりだった。

「小隊長は君か」「はい!若殿様」

 名簿を確認すると見知った重臣の息子であった。護州軍である以上は当たり前といえば当たり前である。年は未だ十八、自身より十も下だ。
 定康は人としての歪みを自覚していたが、それでも幾ばくかの苦みを感じるだけの人心はあった。

「勇猛を見せるのは兵の信を得る為だ、無駄死にをするな。兵にも貴様の親にも迷惑がかかる」
 一度も血を浴びたことのない男が一度持ちを浴びたことのない少年に偉そうに訓示を垂れる滑稽さも、それを演じる恥も知っていた。
 唇をゆがめるものが酷薄な自他への嘲笑以外の何かに代わりつつあることを自覚し、定康は頷くと少年は小隊へ戻ろうと踵を返し――彼の世界は激しく揺れ動いた。
 掩体壕ごと空気の膜に定康は殴り倒された。何者かが一拍置いてかばうように倒れ掛かってきた。

 ――畜生、どこから叩かれた。

 起き上がろうともがく、 この数日、雨は降っていないのに自分の頬に滴り落ちる液体はなにか。暗闇の中で観ることができないのは、幸運なのか不運なのか。あぁいや、生き埋めになりかけているのだから不運には間違いない。
 起き上がろうとすると世界が揺れ動いた。
 あぁこれはダメだ、と定康は諦め、どうにか考えを纏めようと眼を閉じた。
「砲兵戦力を伏せていたのか‥‥!」
 定康の呻きは正確ではない。実際のところ、隠していたというよりも準備を行っていた、という方が正確であった。
  地形を利用した騎兵砲の曲射、デュランダールは勇猛であるが猪突猛進なだけではない。彼はアレクサンドロス作戦でも師団規模で河を盾にした第二軍相手に大突破を成し遂げた猛将なのだ。
 彼の配下の騎馬砲兵隊は“小技”を当然のように――それも北領の猛獣使い達が小苗川で見せたものよりはるかに闊達に使いこなした。

 小半刻もせずに崩れた入口の土塊をかき分けて誰かが転がり込んできた。
「定康さま!定康さま!」
 揺り動かされ、眼を開ける。
 ――あぁやっぱりお前か。
 定康はニヤリと笑うと大声で罵った。
「悪いが聞こえん!耳鳴りが酷いしクラクラする」

「お待ちください!」
 華奢に見える外見を裏切る力強さで担ぎ上げられる。
 その時、自分が寝そべっていたところが視界に入った。
 
 あの時、覆いかぶさっていたのは人ではなかった、いや、人であったものだ。軽いのも当たり前だ、何しろ腰から下がないのだから。頭は砲弾の破片により砕かれている。
 それでも、それでも、だ。

 定康は政治の世界に身を浸してきた。自分が少し前に話した人間を見分ける事は、できた。それも自分より年下の者であれば、猶更に。
 世界がぼやけて揺らぐ、耳は隠々と鳴る。それでもそれだけは鮮やかに――
 激痛が走った。
「何をする!」
 自分が最も信頼する(おとこ)は護州公子の尻を抓りながら叫んだ
「若殿さま!ここはもうだめです、大隊本部の掩体壕に!」
 何を言っているのか定康にもわかった。
「あ‥‥‥あぁ頼む」
 ほんの少し前まではそれこそが、と信じていた。前線でそれなりの危険を冒す事の意味がようやっと定康も理解した。”そうして見せる事こそが”などという賢しらな考えは既に後悔に塗り変わった。しかし、それでも守原定康は前線に立っていた。これは厳然たる事実であった。

 盛り土で偽装され練石と資材で補強された大隊本部が置かれた掩体壕に真っ先に駆け込んだのは常に冷静沈着で通っている両性具有者であった――美女のどこに腕力があるのか、と大隊長が呆然としていたがそれに続き――|彼女≪かれ≫が背負っていた陸軍少将を丁重に下した。
 汗拭うと袖口がひどく鉄臭くなった、汗ではない、軍服にこびりついたもののが何か、分かっていたが、それでも、やはり――。

「さっきまで……話して……」
 そこから先の言葉はなかった。声帯の震えよりもより物理的なものが口から吐き出されたからだ。
 頬のぬめりについてようやく感情が追いついたからであった。大隊本部にいた者達はほぼ全員が匪賊討伐の経験者であり、それを見て見ぬふりをするだけと度量があった
 初陣のものを笑わない礼節は衆民だろうと公爵だろうと例外はなく適用するだけの美風は護州軍にも残っているのだ。




十月十一日 午前第五刻 吼津より西方約十五里 虎喉大橋防御陣地
護州軍司令部参謀長 豊地大佐

 その日の朝、護州軍は静まり返っていた。ほんの半日前の騒動の痕跡は負傷者のうめき声だけだ。
 起き上がろうとしたら兵医と副官にしこたま叱られた兵団司令官は横たわったまま参謀長に問いかけた
「豊地、何故連中は退いた」

 〈帝国〉軍は昨夜、驚くべき速度で撤退を行った。護州軍は追わなかった。
 豊地は〈帝国〉軍を甘く見るつもりはなく、また剣虎兵の夜戦能力を一般銃兵に適用するほど導術万能論者でもなかった。
 そもそもそれ自体は想定の範囲内でしかなかった。単純に吼津に主力をも展開するだけだと思っていたのだ。
 だがそれも違った。彼らは伏ヶ背まで強行軍を行ったのだ。一部の導術将校は弓野に偵察部隊を出している兆候がある、と報告をしている。
「六芒郭で何か動きがあったのかと。それと全方面の攻勢から防衛線を引き下げた可能性もあります――とはいえ予断は禁物です、逆襲に備えて引くべきか。‥‥あるいは咆津をこのまま確保しますか?」

「するしかない、するしかないだろう。畜生、草浪の奴め、ご丁寧に吼津の正面に龍州軍が人を敷いているのだぞ!ここで退いたら守原が甞められる。
あの陣地戦すら無意味になるぞ、クソッ!」
 唸り声をあげる定康を眺めながら豊地もまた、草浪の行動を分析していた。
 独断で抑える程に価値を見出すのも分かる、龍州軍が防衛しているのが蔵原と吼津を南北に結ぶ街道だ。彼らの苦労を考えるのであれば防衛線の分散を防ぐ戦略的要衝を護州が抑えるだけで圧力が大いに減じられる。
 しかし本当にそれだけなのだろうか?草浪は守原英康の政治的参謀でもある。ただ龍州軍としての立場だけで動く男なのだろうか?英康閣下の牽制か、或いはもっと別の考えがあるのか。草浪は大殿様とも親しかった――大殿様の御身体について何かをつかみ、後を見据えているのかもしれない。
 ――いや、それも考えすぎか?あぁ俺も若殿さまに肩入れしすぎたかもしれないな。畜生、厄介事からは距離を取ってきたはずなのに。

 豊地はふん、と鼻を鳴らし、頼りない若殿さまに視線を送った。

「おい豊地。貴様の予定では一戦交えるのではなかったのか」
 龍州軍の合流を上手く使って避難民の士気を上げる、という意図もあった。避難民からの支持を固めれば定康個人の龍州軍への影響も無視できなくなる。

「とにかく、予定と違いますが吼津を抑えることは大きな意味を持ちます」

「”何”にとってだ」「様々な分野においてです」
 司令官と参謀長が視線を交わし、互いに目を逸らした。
「とはいえ守る土地が増えすぎると面倒だ、どうする」「資材は余裕があります。吼津でも築城を本格的に行いましょう」

 定康は掌をひらひらと振りながら言った。
「そうだ、本格的に腰を据える。それこそが問題だろうが、吼津は交通の要衝。東と南の双方を抑える必要がある。
だからこそ吼津を奪還するというのは見せ札(ブラフ)だった筈だ。はっ六芒郭を予定通りあそこに据えればよかったのだがな」
 豊地もそれはそうですがね、と黒茶を啜る。

 皇龍道だけではなく蔵原、葦川を連絡する南北を横断する街道もある。さらに龍虎湾があり、皇都や往時はアスローン、〈帝国〉との交易路線でもあった。
天龍自治領にある人間の小集落――現在は天龍政議堂で可決された難民支援条例によって、避難民を受け入れ、ちょっとした町になっている――とも当然ながら人の行き来はある。

「えぇですがそこまで無理をする必要もありません、南は蔵原、つまりは駒州軍の正面です。連中が南から部隊を出すのであれば駒州軍への備えが必要になります、龍州軍と連携すれば連絡線を脅かすこともできる。更に葦川にも西州軍が展開しておりますので蔵原は三方を囲まれることになります、我々を突くのは伏ヶ背からとなるでしょう。蔵原の場合は事前に探知できる規模の攻勢となるかと」

「つまりこういうことか、退く計画を立てるにしても豪勢な防御陣地を作り、敵の攻勢をためらわせる必要がある、と」
「まさしく、その通りです、若殿様」
「それで、俺の仕事は捺印と叔父上たちに金をせびる事」
 豊地は珍しくニヤリと笑い答えた
「まさしくその通りです、若殿様」

「貴様なぁ」「私も冗談くらいはいいます」
  ふん、と鼻を鳴らし定康は雑に頭を掻き毟った。
「仕方あるまい、俺が言い出したことだ。叔父上と兵部省に金をせびるか、あぁ畜生面倒な事になった」

「大功績ではありますよ、しかしこうなると連絡線の再編も必要で――」
 ポン、豊地はわざとらしく手を叩いた。
「あぁ若殿様――いえ閣下はもっと重要な仕事がありましたね」

「なんだそれは」「吼津の門前で記者会見をおこなわないと、無論その前に市長へ公開書簡を送らねばなりませぬ。広報官と副官に草案は作らせておきましたが、急ぎ正式なものを」
 定康が呻き声をあげる姿を副官である宵待は嬉しそうに見ていた。

 
 

 
後書き
あけましておめでとうございますぅぅぅぅぅ!

え?二月?二月の三日が正月ですから‥‥(震え声) 
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