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或る皇国将校の回想録

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第五部〈皇国〉軍の矜持
  第七十九話 虎の川を越え、城より出でて

 
前書き
西津忠信中将‥‥西州軍内地派遣兵団司令官、アレクサンドロス作戦においては集成第三軍を指揮し大戦果を挙げた

駒城保胤中将‥‥駒州軍司令官 稀代の軍政家

益満敦紀少将‥‥駒州軍参謀長 駒城家重臣団筆頭
 

 
皇紀第五百六十八年 十月十日
西州軍派遣兵団司令部 西津忠信中将


 しかしながら何よりも〈帝国〉本領軍に対して有効であるのは彼らの指揮官の名前であった。
 西津忠信中将の名は〈皇国〉においても〈帝国〉の鎮定軍においても名将の名を冠するにふさわしいという点においては完全に合致していた。
龍口湾防衛線においては第21師団に対して終始優勢を保ち、南方防衛線を半壊に追い込むことにより、
〈皇国〉軍追撃の初動を遅らせ〈帝国〉東方辺境領姫の天才的な作戦指導を受けた第5騎兵師団の北方防衛線大突破による破滅から救い上げた。
 撤退戦においては第十四混成聯隊を巧みに使いこなし、葦川への撤退において主力を傷つけずに逃げ延びることができた。

 西州軍派遣兵団(事実上主力であり西州軍と呼称されている)は常備兵力のほぼ全力を内地に派遣しており、その規模はおおよそ八個旅団で構成されている。

「‥‥最後の最後で理由をつけて動かんかもしれぬと思ったが」
「閣下」「分かっている。さて、護州も前に進んだ、我らも行くべきか、無理をせぬ程度にな」 
 西州軍の防衛すべき街道は三つある。一つは蔵原へ至る北への背湊橋の街道、もう一つは北東の弓野へ向かう北葦川橋の街道、そして最も重要なのが東西を結ぶ五州大橋、上泊から東州灘の港町を結ぶ〈皇国〉南部の大街道五州道である。いずれも虎城から注ぐ虎背川を越えねばならない。
 このうち蔵原への道は問題ではない。敵は蔵原に集結しておりこちらはほぼ放置されている。山岳沿いで森林もあり、攻めるに難く防衛側は背湊村を根拠に防衛線を容易く構築できるからだ。
「おおよそ三十里、半日の行程になります、むろん本命ではありませぬが」
 補充が遅れていることから前線に投入できるのはおおよそ一万二千程度であったがそれでも十分だ。
「兵力の損耗を可能な限り抑えたいところだが、致し方あるまい。我々も借りがある」
 西津中将は溜息をつくと一人異なる制服を着た佐官に軽く一礼をした。
「野原司令、君には迷惑をかけるがよろしく頼む」
 中年の水軍中佐は堅苦しく答礼した。
「ご命令とあらば如何様にも」
 前述の通り、西州軍が砲兵などのかさばる装備を多数放棄している――大半が六芒郭で悪さをしているので無駄になっていはいない――それでもなぜ三つの街道に分散配置された西原軍が葦川を保持できたのかというと、それは西原家の努力ではなく、水軍の功績に他ならない。
 葦川は水軍の東海艦隊の根拠地の一つであり、葦川の警備(というよりも救難対応などが多いが)も水軍の担当であった。
 彼が指揮するのは芦川特設河川砲艦群というたいそうな名前を与えられた部隊だ。だが実際は4隻ほどの警備艦隊と葦川の民間水運屋から重用された仮設艦だ――船主が退役少佐だったり若手の実家である船が半数を占めているが。

「過度に期待されるのはご遠慮願いますが、幾らか新しい事を試すつもりです」
 しかしながら仮設艦といっても平時には虎城の山中から材木やらなにやらアレコレと運んでいた船である。材木と同じように物騒な物を積み込むことができるが、軍事用ではなくそうした類の荒事の為に作られた船ではない。
 そもそも河川艦の積載量では砲火力も 防衛支援に繰り出す分には十分であるが単独戦力としてはひどく頼りない中途半端な船だ。 正規の軍船ですら尉官が指揮する程度の物といえば察しがつくだろう。

「水軍の運用についてはお任せする」
 西州軍は水軍とのむすびつきを急速に強めていた。何しろ彼らの兵站の少なからぬ面を水軍と東州に依拠することになっているのだから当然ともいえるが、皇都においてその工作を担っているのは西州公・西原信英とその息子である信置の二人が公然と影響力を振るっていた。
 そしてそれに対する財政的な援助を兵部卿である安東吉光は公然と自身の権力を行使して後押ししていた。
 そもそも虎城の山の麓と海原の間を縫う五州街道は重要だがけして楽な道ではない。引けば幾らでも防衛に適した地点はある。それでもなぜ葦川に固執しているのかというと、安東家の意向を受けた兵部省の後押しがあるからだ、なにしろ東州灘を挟んだ先にあるのは安東家の本拠地東州である以上当然だろう。
 それが単なる無駄な派閥抗争の為かといえばけしてそうではない。葦川は良港で東海艦隊の根拠地の一つであり、そうである以上は林業、鉱業、そして工業が盛んな戦略資源の生産地である東州と内地を結ぶ上で大いに意義がある。
 西原信英は諸将時代末期の五将家党首であった。即ち陸軍軍人ではなく、いわゆる軍閥貴族の首魁としての視点を持ち合わせていた。
 彼は安東家の内部でも中央官閥と東州派閥で意見が分かれている事を見抜いていた。
 西原信英は狷介である。駒州が強くなりすぎても守原が強くなりすぎても困る。安東家が割れているのであれば片方に肩入れして親西原としてとりまとめさせる方が良い、と根回しを開始をしたのだ。
 性質が悪いのが西原信英の動きは利益の配分を基本とする事だ。困ったときに貸してまわりながらあとで取り立てに来るのがこの老人の動きである。
 もし集成第三軍がさんざんに追撃を受けていればこのような選択肢を取らなかったであろうが、重火器の損失はともかく人員としてはさほどの被害を受けていなかった――その被害は龍口湾で集中爆撃と騎兵師団の突撃を受けた集成第二軍と泉川で遅滞籠城戦を試みて包囲殲滅寸前にまで追い込まれた龍州軍に集中しているのだが。

 陸水双方の負担軽減を名目にしている以上、守原も駒城も横車を入れることはできなかった。
 駒城家にとっても東州灘が怪しくなれば自身の港が怪しくなる以上、領民に恨まれる、守原も水軍の将家閥の首魁である東海艦隊司令部に恨まれることは避けねばならない。
 西原の策のはずだがいつのまにか安東吉光が相手になっている。西州公・西原信英はこのように五将家体制創設期から政界を泳いで回った男であった。



十月十一日、午前第四刻
葦川 五州街道 渡河点付近

 砲艦群は事前に上流の背港村に配置されていた。作戦は単純で背湊村より新発し、一気に川を下り、五州大橋へと突入、本命を叩き込む。理由は単純に川を上るか下るかであれば下る方が楽であり、なにより日が昇らぬうちに行動するのならば虎城より海に吹き込む風を利用すれば面倒が少ないからだ。


「砲艦隊間もなく侵入する、正規砲艦隊は敵砲兵を狙え、仮設砲艦は過度に狙いを付けるな。制圧が目的だ!」

対岸の西州軍が燐燭弾を放ち、敵を照らしだす。
「撃て!」
 平射砲と臼砲が前に出ていた帝国軍の平射砲隊をたたく。足を止めるとたちまち撃沈の憂き目を見るため彼らは足を止めない。
「仮設艦、発射位置につきます」「手筈通りに、手を抜くなよ」
 煙を上げて弾の軌跡が可視化されている。
「‥‥派手だな」「着弾後はさらに派手です」
 事実であった、可燃物をまき散らすそれは一時とはいえ派手な炎をまき散らす。 
「陸さんの士気が上がる分にはいいが、どうかな」
「派手なのは結構ですが派手なだけのようですな、敵の待機壕は健在のようです」
「なるほど、だが渡河地点付近を”平らにする”ためなら相応に役立つわけだ」

「何事も組み合わせが必要という事ですな、あぁとはいえ使い道は限られそうですが」
 
「だが俺達のような連中にとってはまぁ心強いだろう」
「えぇそれは間違いなく」

 手漕ぎ船に乗った兵共が顔を引き攣らせながら祈るように川を渡る。猟兵達が騎銃を握りしめて前進し、噴龍弾の近距離砲撃で猛火に焼き砕かれる。
 その間にも西州の兵共は軍砲兵隊と水軍の支援を受けて砲火に晒されながらも橋頭堡を築き上げた。フリッツラー少将より派遣された旅団長は困惑した、確かに上泊を取られては大いに困る。当たり前であった、彼は弓野へと通ずる北葦橋の封鎖に主力を投じていた。
 確かに上泊は港町だがここを抑えても〈皇国〉軍にはさして意味がない、〈帝国〉軍にとってはむしろ願ったりかなったりだ。守るべきものが増える割に兵数が少なく伸びきった戦線を寸断してしまえばそれで済む。
 シュヴェーリン少将の勇猛さを知っている彼はそれを打ち負かしたサイツ将軍を高く評価していた。そして彼は判断した。
 ――主要街道をつかうのではない。奴は渡河に成功した後に北部へ旋回し弓野への道を遮断、側背を突こうと機動、短期決戦を誘っているのだ。成功すれば奴らの2万の軍を包囲軍の兵站拠点、弓野郊外へと向けられるではないか!
 予備として保持していた混成大隊を五州大橋に投入したかれは主力を抽出、渡河点への強襲に赴いた。
 虎背川の渡河点の防衛に張り付いていた部隊の一部と、フリッツラーの精強な重猟兵師団の第三旅団を合わせ、その数はおおよそ一万余。
 上泊と葦川を結ぶ街道は血濡れの戦闘へともつれ込みつつあった。


 さて、余談ではあるがこの六芒郭支援作戦は噴龍弾が〈皇国〉軍においてはじめて大規模な軍事利用された戦いである。(というよりも〈皇国〉軍の国家間戦争自体24年ぶりなのであるが)匪賊との戦闘において効率化が叫ばれていたが逆説的な言葉遊びをするのであれば効率化を徹底するべき時期にあった事で大規模な効率的な新兵器の導入は行われなかった。
 この数日間で試された噴龍弾の大規模運用とそれまでの訓練により、今までまともな戦場で扱われてこなかったこの兵器が初めて戦場の主役となった奇妙な日となった。
 護州軍の事実上の指揮官であった守原定康と豊地大佐が英明であったというわけではない。
 噴龍弾は兵器として新開発されたものであるが似たようなものはこれまで民草の間で扱われていた。更に言えば大陸の方では南冥などでは王朝が何度か変わる前から――それこそ銃砲の時代が訪れる前から幾度か(王朝に収入と安定した資源供給ができる時期に)歴史に顔を出した兵器である。
 しかし、最初に注目した水軍の間でも兵器としてみなしておらず、難破事故の処理や、嵐の後などに流木や土砂を吹き飛ばす為に解体屋や土木屋から借り受けたものを使用したことがあるものが古株の者に数名いたくらいである。動かないものを金をかけずに吹き飛ばすために使っていたものを殺し合いに使えば同じように金もかからないだろう、と思いつき、密理学者達が面白がって食いついたのが数年前のことである。
 そして弱点ははっきりと露呈した、まず第一に三百間から動きが怪しくなり、半里を超えるとどこに向かうかわからないこと、第二に密集して運用すると相互に干渉してただでさえ低い着弾制度がさらに低下すること…そして土塁や砲撃を想定した建造物に対しては著しく効果が劣ること。
 多数の欠点はあったが魅力もあったまず第一に軽いことだ。
発射筒は十数貫程度、取り回しの良さで言えば軽臼砲にも勝る。第二に砲と比較してかさばらない事、第三に爆砕、焼夷能力が高い事。
 軍隊とは運搬能力の限界と戦う組織である。その中でこの利点を見逃す事はできない。
 ましてやこのあとの戦で内地の南北を貫く山嶺を細かく縫う側道防衛に頭を悩ませるとあればなおさらである。
 砲兵、工兵や河川艦の武装として噴龍弾は多くの文句を言われつつも一定期間使われることになった。
 真っ当な会戦では脇役の域を出ない兵器であったが、ちょっとした川の防衛で〈帝国〉を悩ませるには十分であったし、ましてや山道において導術と組み合わせた運用は悪夢に等しい存在と化した。
 幾つもの欠点がある兵器であったが長きにわたり細々と改良を重ねて使われた続けたのは小回りが利く、という利点が軍隊においてどれほど重要な物かを示すものであった。





十月十日 午後第三刻 
駒州軍司令部 参謀長 益満少将

 最後に動き出したのは〈皇国〉軍最精鋭である駒州軍だ。彼らが最も行動が遅かったのは単純に蔵原への誘因が主目的であるからだ。
「いよいよ最後の段階だ。西津閣下も守原少将も派手にやっている最後は我々の番だ」

「西津閣下には足を向けて寝られないな」
 決行の意気込みではなく他者への感謝をいの一番に口にした保胤に参謀たちが明るく笑った。
「南東枕にしますか」
 あえて大げさに笑いながら益満は周囲の表情を観察する。いい空気になっている。
「若殿様」
「あぁ、駒州軍全部隊に所定の計画通りに行動せよ、と通達」
 参謀たちが顔を引き締め導術室と行き来をする。
「先遣支隊に南方への迂回を指示」

「弾薬段列の混乱ないか」

「道路状況を確認せよ、上級部隊本部より管制を密に、工兵隊の支援を厚く」

 軍司令部は膨大な業務を的確にこなしていた。この努力は益満のみならず、彼らを統率する保胤の功績が大きい。
 軍政家としての保胤の企画運営・処理能力は間違いなく当世随一のものであることをしめした。

「捜索部隊より伝達、敵主力発見、本隊より距離二十里、」
「接触まで二刻半ほどか」

「天候は」「夜は雨になるそうです」
 軍砲兵参謀富成中佐はは肩をすくめた。彼らの活躍は常備砲兵隊を展開させた前衛陣地に引きずり込んでからになる。敵が素直にそこまで来るほどの幸運か度し難いほどの無能を己らが晒させば、の話であるが。
「軽砲を銃兵に随伴させていますがあまり役に立たんでしょう」
  富成は冷徹に前者の可能性をほぼ切り捨てている。後者を防ぐのは軍司令部の努力と運を祈るしかない。
「どのみちほとんど夜戦になる」「ですな」
 雨に弱いのは銃も砲も同じだ。何しろ燧発式である。工夫はしてもどうしても影響を受けてしまう。
「敵を誘引する、それ以上の欲はかかんことです」

「先遣支隊は」「六芒郭まであと三十里ほどです。今は交代で小休憩をとっております」
 先遣支隊という名前を再度使用したのは縁起が良いからである。軍隊とはそうしたものだ――もっとも栄誉と共に最も多くの血を流した第十一大隊にとってはどうかはわからないが。

「彼らを信じましょう。最精鋭です」
 駒州軍にとって馬堂豊久大佐は”切り札”とでもいうべき存在である。彼の〈皇国〉政治史における評価については後世において政治的な立ち位置を示す試薬に一つになり果てている
 だが純粋に軍人としては当時の将校団においても「最新の戦争」についてだれよりも知悉している事は紛れもない事実だ。独立混成聯隊と呼びながら事実上の旅団規模の戦闘団を与えた理由はそれに尽きる。
 新城直衛との私的なつながりもあったが彼らが再び投入されることになったのは部隊とその指揮官に対する評価としても必然的な事であった。

「考えてみれば」「はい」
「彼らに直接すべてを託すのは初めてだ、あぁ彼らの能力は疑っていないよ、それでも、だ」
 支援を怠ってはいないか、彼らを気づかぬうちに避けられた破滅に送り出していないか、保胤の能吏としての本能と庇護者としての気質は平時では美徳であったが、今は彼の神経を責め立てている。
 益満はそれをよく承知していた。彼はそれを人として尊ぶことはできたが、参謀長として無用の自責にかまける指揮官を窘める事ができなかった。

「確認しますか?」
 自分で言い出しながら、何を言っているのだ、と内心、罵る。過剰な導術の使用を夜戦を控えた部隊に強要するなど愚か以外の何物でもない。

「いや、向こうから連絡がないのならいい。導術と兵を休ませてやれ」
 彼らが一番苦労をするからな、と保胤は呟いた。
 益満はひっそりと胸をなでおろした。

「閣下、六芒郭から報告があります」
 導術さん坊の御馬少佐が帳面にこまごまと書きつけながら導術室から出てきた。
「報告という事は大崩れはしていないのだな?」

「はい、相も変わらず酷い戦のようですが持ちこたえています。陸兵のみならず龍兵を分散させたことが大きいのだろう、とのことです」

「‥‥‥であるならば後は彼らがうまくやれるように支援するのが我々の仕事だな」

「ここまで来たのならばあとは彼らの仕事です、我々は為すべきことを」
 ”仕事”、鍬井戦務主任の言った言葉が益満の中で不吉に蠢いた。間違っているわけではない、保胤の気質を考えれば言葉選びとしても正しいはずなのだが――。
 ‥‥‥駒州軍は〈皇国〉軍の最精鋭である。彼らは良く訓練され、将兵の士気も高く、〈皇国〉軍の長所である兵站機構も陸運の州として育った兵下士官を軍官僚団が管理運営し、適格に稼働していた。
 しかし駒城保胤の認識していた軍司令官としての戦時体制の構築は太平の世で育った軍官僚としての発想の及ぶ範疇であった事は卓抜した軍官僚として前線指揮官の訴えに常に耳を傾けたのだとしても――その行動を律するのは保胤個人の強固な自律心によるものであり――駒州軍司令官としては些か以上に暗い雲を漂わせていた。
 
 

 
後書き
お久しぶりです、ながかったですね
色々あったりなかったりしました。
今後ともよろしくお願いいたします 
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