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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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緋が奏でし二重奏 Ⅳ

悲劇(トラジディ)の幕開けは、まさに禍殃(かおう)そのものだった。これほどなまでに静静としているものだと、それを感ずる余裕すらもまた持ち合わせていなかった。
瞳が捉えた光景は、既に《明鏡止水》のそれではない。そうであるのにも関わらず、これほど清澄なのは何故だろうか──それを模索する余裕だけは、何とか持ち合わせているらしい。

空疎な赤紫色の瞳は、瞳孔が僅かに開きかけている。少女さながらの華奢な身軀を震慴させていて、その震撼を追うように、口元から吐息と紅血とを洩らしていた。それらが雪肌を滾々(こんこん)と滴下していくたびに、一雫また一雫と床を鳴らして、小さな血溜まりを創成する。
制服の胸元は、悠々とその繊維を紅に染められていった。《緋想》の刀身と繊維とが段々と同色を帯びていく。どうやら自分の知らぬ間に、非常灯が紅く灯されていたらしい。それが何だか、彼女の先を暗示されているように思えて仕様がなかった。そうにしか、思えなかったのだ。

ただ茫然自失とするだけで、何が口を衝くわけでもない。視界が厭に清澄なだけで、本来ならば聴こえるはずの脈搏とか、吐息とか、果ては体温すらも感じなくなってきた。頭上から何かが降りてきて、茫然が更に茫然として初めて、血の気が引いていることだけを自覚した。自分の意識が、何処か遠方の果てに薄れかけているのを呼び戻したのが、理子の声だったのだ。


「……あーあ、心臓から逸れちゃった。つまんないなぁ。でも、よく避けたね」


磊落な調子を表層に帯びながら、その裡面に嘲謔を秘めた笑みを、彼女は零した。そのまま髪を操ると、アリアの胸元──心臓のあたり──に刺突した《緋想》を引き抜く。疼痛を堪える彼女の声が嗚咽のように洩れるたびに、哀傷が層、一層と胸臆に浮かび出てきてしまった。
紅血が幾つもの血珠になって、彼女とこの虚空とを緋色に彩っていく。心臓の位置とは僅かに逸れた傷口からは、未だ滔々(とうとう)と紅血が溢流(いつりゅう)していた。

どうする──ここは2択だ。負傷したアリアの身を優先して、《境界》で撤退を図るか。……いや、駄目だ。どちらにせよ自分が残らなければ、この飛行機の乗客員はどうになる? ここまで追い詰めた理子の手助けをするのは、やぶさかだ。これが最後の機会だと思っていいだろう。

では、アリアだけを《境界》で武偵病院へと搬送しようか──これが今の自分の執れる最善手だろう──などと懊悩(おうのう)していると、途端に赤紫色の瞳と視線が合った。傷口を掌で押さえながら、やっとのことで肩息をしている。いつにも増して眦が上がっていて、眼光炯々としていた。自分の思考などは全て、彼女のそれに見透かされているようだった。

どうすればいい──? 武偵として活動をしてきて、これほどなまでに執拗な狼狽を重ねに重ねたことは、未だかつてない。脳髄のすぐそこから天秤が伸びていて、それが二者択一を押し通す象徴だということは、分かりきっていた。どちらかを決断するだけの猶予を、いまは欲していた。乾燥しきってしまった脳髄に、栄養分としての水を与える時間が、どうしても欲しかった。

その苦慮の時間は、ほんの数秒だったろうと思う。さもあらばあれ──と覚悟を抱いた刹那に、ふと、また新しい感情が、胸臆から沸き立つのを感じていた。よくよく目を凝らすと、それらは憤懣(ふんまん)と悔恨であるように見える。そうして、自覚した。この懊悩の裡面には、あの少女が居たということ──護りたい者を護りきれなかった、自分への痛罵だということを。それらに対する鎮静剤は、自分自身が既に持っている。後はそれを投与するだけの意志が、自分にあるのか否か──たったそれだけだった。もうその針を、皮膚に突き刺していた。

そうして一刹那で、この胸臆は元の泰然を取り戻したらしい。代わりに──当然の帰結とはいえ──理子に対する瞋恚(しんい)だけが沸き起こってきて、先に決めた覚悟と意志とが撃鉄の役割をしてしまったみたいに、気が付いた時にはもう、《境界》のその先に居た。
背後からの襲撃に喫驚したらしい理子は、振り向きざまに《緋想》を横薙ぎにする。その刀身と手に握らせたナイフの刀身とを合わせながら、飛散した生温い血珠を頬に受けた。

理子の髪には《緋想》のみが握られている。両手に収めている銃はまだ再装填していない。その虚を突けば、《明鏡止水》が無くとも戦えるだろう。鍔迫り合いに膠着しているなかで、そんなことを巡らせながら、最速で事を済ませる方法をも模索していた。そうして、その一瞬間にアリアに目配せする。彼女もその意図を感受したのか、逡巡なく後方の個室に撤退していった。いくら峰理子を逮捕することが目的だといっても、アリア本人の身が保たなければどうしようもない。応急処置くらいのことはさせておかないと、こちらも悠々としてはいられないのだ。

……それにしても、理子のこの能力は──面倒極まりない。髪の一筋一筋が筋繊維に思えてしまうほどには、精神的なものとはまた別の、物理的な歪力を感じている。長引くと、負けるだろう。そう直感したために、銃を抜くと見せかけて咄嗟の足払いを繰り出す。意識は前者に向いていたのか、それがブラフだと予感して避けようとした時にはもう、彼女の脚先を捉えていた。

しかし理子も、それで(たお)れるようなら遥か前に斃れている。探偵科のAランクとはいえ、彼女の言う《イ・ウー》の存在は、やはり彼女のなかで大きいのだろう。そう感心する。
そうして理子は体勢を崩しながら、その軌道のままに宙返りをした。その隙に弾切れだったワルサーP99の再装填を済ませてしまうと、着地と同時に発砲してくる。再装填の時にそれは読んでいたため、あらかじめ《境界》を前方に用意しておくことでそれらを全て防いだ。

今度こそ銃を構え、着地時の硬直反応を起こしている理子の脚元を3点バーストで狙い撃つ。規則性のある銃声と反動、マズルフラッシュとを感じながら、幾度も照準を合わせ直した。
《明鏡止水》があるのと無いのとでは、銃の命中精度は大きく異なる。自分の銃の腕は並以上だと自負はしているものの、それでも能力に頼り切っている節は否定できないのだ。しかも今回は、能力を発動させたくとも発動できない──《緋想》が理子の手中にあるために。

途端にブローバックを起こしたベレッタが、弾切れだと告げてくる。そのまま手元にあるロングマガジンで再装填すると、今度はフルオート方式にして理子へと照準を合わせ直した。
一点集中の銃撃を警戒しているのか、理子は回避を続けるだけで一向に攻める気配を見せてこない。予備弾倉はあるものの、最悪にいけばこのままだと弾切れだ。しびれを切らして自分に攻めさせようとしているのだろうが、明らかに《緋想》を持つ彼女の方に分がある。

せめてあちら側に──と一方向に追い込むように攻め立てていく。理子の半身に圧力を与え続け、反対方向へと回避させる。そうしてそのまま、後方へ後方へと押し遣っていって──もともと自分たちの居た個室のあたりを理子は背後にすると、おもむろにその扉が開け放たれた。
同時に「彩斗だけに集中してて、熱心なことねぇ」と、皮肉めいて現れたアリアが握り締めている小太刀の刀身が、照明に爛々としながら、理子の双髪のその両方を一挙に両断してしまった。


「ッ、なんで──!」


アリアへと振り向きながら、理子は両断された髪の付け根のあたりを手でまさぐっている。ここで初めて、彼女は明々白々な狼狽というものを見せた。驚愕に目蓋を見開かせて、照明を映射しているその金眼は、右往左往と忙しなく泳いでいる。口は半開きにされたままで、そこから洩れた狼狽とか、色々と綯い交ぜになった感情がそのまま、彼女の顔に貼り付いていた。

《緋想》は理子の髪から離れると、床に落ちて安堵の溜息を吐いた──そんなように、自分には聴こえた。清澄な金属音が、如何にも《緋想》らしかったのだ。刀身もそうであった。紅色の非常灯に爛々としていて、やはり文字通りの《緋想》の柄を、《境界》越しに握り締める。
ここで理子は茫然から立ち返ったのか、眼光炯炯として自分とアリアとに銃口を向けた。以前と同様に挟撃体制を構築されているにも関わらず、やはり、彼女は断念をしない。そこが、強い。

《明鏡止水》の眼がワルサーP99から射出される銃弾を捉えるのと同時に、自分とアリアとの前方に《境界》が生まれた。たった2発の銃弾は紡錘のその中を目掛けて行くだけで、この先どうしようといった伝手も無い。理子がそれを自覚するのは、今から数秒後だろう。
次いで、アリアに目配せする。それは攻撃でも撤退でもない。ただ理子から距離を置けというだけの、朧気な要請だった。それだけにも関わらず、彼女は訝しみもせずに動いてくれる。自分も同様に、理子と距離を置いた。そうして、また──銃を仕舞ってから片腕を掲げるのだ。


「さぁて──そろそろ終幕にしましょうか。この二重奏の、ね」


憫笑し、軽快な調子で指を鳴らす。理子が目を見張ったのは、丁度この時だった。 紡と彼女の四方を取り囲むようにしたのは、またもや虚空に顕現された《境界》に他ならない。
掲げた腕を振り下ろした一刹那に、四方の《境界》は銃弾を吐き出していく。この春時雨も雅懐を抱くには程遠いものの、卯の花腐しの役割こそは果たしてくれる。そう確信していた。


「穿て──《一条戻橋》」







「──これでもなお、続ける気はあるまいね?」


四方の《境界》が吐き出したのは、一連の戦闘で呑み込んだ銃弾──その全てだった。それらは理子の四肢を穿ち、幾重もの残痕を露わにさせている。一帯に散った紅血は血珠となって、壁紙や床のカーペットやらに染み付いていた。蘇芳(すおう)に滲みたようだった。()せ返るような独特の臭気に紛れて、硝煙の匂いもまた、この一帯に泡沫のように漂動している。

銃弾は総じて、彼女の身軀には触れていない。ただ皮膚を掠めただけで、その単一的な攻撃は致命傷にも成り得ないのだ。ただそれが、同一箇所に数十発ともなれば、武器を扱う上での致命傷になる──彼女の手首と脚元をあしらっていた制服のフリルは裂かれていて、その繊維には紅血が染み込んでいた。銃を狙うだけの力も、立つだけの力も無い。事実上の敗戦を示唆していた。

そうして理子は、寡黙を終始していた。手を床に突いて、脚を崩しながらもなお──眼光炯炯として、こちらを見上げるその金眼だけは、躍起だった。睨み付けるような目付きのその奥に、悔恨と憤懣とを感受する。目蓋のあたりには、それらの紅涙が幾度も幾度も見え隠れしていた。
自分が憤懣と悔恨を抱いたことと同様の理由で、理子もそれを抱いているのだろう。自らの矜恃の誇示のために、宿敵を斃す──曽祖父を越える──それを遂行できなかったことへの。


「……君の能力は並のものではないし、アリアとも肩を並べるほどの価値がある。それでも、結果はこう告げている──ねぇ、何が敗因だったと思う?」


理子にそう諭しながら、紅血に塗れた《緋想》の刀身を有り合わせの布物で拭う。そうして鞘に収めてから、茫然として小首を傾げている彼女を横目に、アリアの傍らまで歩み寄った。
そのまま──僅かに逡巡してから──華奢な肩先を穏和に抱き寄せる。息を呑む音色が間近に聞こえて、ひとたびは治まったはずの脈搏も、どうやらまた目を覚ましてしまったらしい。それを少女2人に気取られないようにしながら、いつものように泰然として笑いかけた。


「それは、たった1つだけ。……信頼(・・)に他ならないんだ」
「彩斗とアリアの、信頼……?」


理子の口元から衝いて出た疑懼(ぎく)に「そう、信頼」と穏和に返す。


「アリアが負傷して、個室に撤退したでしょう。応急処置をしているらしい時間を見計らって、自分は君の意識を引かせ続けていた。そうして、アリアの処置が終わったらしい頃合いに、非常に限定的な攻撃手段でもって、君の逃避経路を一方向に狭め続けたわけだ。……理子は、アリアがそのまま後衛で処置だけを済ますと思っていたでしょう。或いは、こういう舞台では背後からの急襲は絶無だと、そう盲信している節があるね。その盲信をこちらは突いたわけだ」


「同時に」と話を続ける。


「アリアの性格を、こちらは自分なりに解釈しているつもりだからね。後衛で事が済むまで大人しくしているような子じゃ、この子はないんだから。絶対に出てくる──そう確信していたよ。君もご存知だろう? 狙った獲物は逃さない、強襲成功率100%の子なんだから」


そこまで話し終えたところで、「そっかぁ……そうだよねぇ」と、理子は自嘲気味な笑みを洩らした。髪元を結っていた飾り物も全て解いて、肩から腰元、床に付くまで流していく。髪の一筋一筋を掌に載せて、幾度か指先で遊ばせながら、理子は独り言のように哀愁を呟いた。「……《イ・ウー》で磨いたこの能力まで使ったのに、なぁ。そっか、駄目だったか」


「……やっぱり、2人は強いね。理子は本気でアリアを斃すつもりだったから、あそこまでしたんだけど──それは、あっくんとしても予想外のはずだったよね。あっくんがアリアのことを大事に思ってるなら、そこで完全に戦意を削げたと思ってたのに、違った。むしろ増幅させてて、本当に2人は、パートナーなんだなぁ……って思ったよ。理子が負けた理由も、納得だもん」


そう言って理子は、両腕を掲げながら苦笑を零した。その意味を理解するのとアリアが視線を遣ってくるのとが同時で、小さく頷いてやると、彼女は内ポケットから手錠を取り出す。小柄な少女の手には少し大きめだけれど、アリアはそんなことは気にせずに理子の傍らに歩み寄った。


「殺人未遂の現行犯で、逮捕するわ」


アリアはしゃがみこむと、手にしている手錠を理子の手首に逡巡なく嵌める。彼女も微塵の抵抗すら見せずに、この一連の騒動は意外にも静静と終止符が打たれたのだ。
それでは、自分は取り敢えずここに残って、まずは《境界》でアリアと理子を武偵病院に搬送しよう──などと考えを巡らせているうちに、またもや胸臆に燻る靄に気が付いた。違和感とも見て取れる、何だか気持ちの悪い感覚を抱いている。直感がけたたましく警鐘を鳴らしていて、何かが起きるのだという確信だけを持ち合わせていた。理子にもう、打つ手は無い……はずだ。

否──それは、この場だけ(・・)の話でしかない。それを直感するのと同時に、視界の端に何かが掛かったのを、《明鏡止水》の眼は見逃していなかった。おもむろに付近の窓まで駆け寄り、硝子の向こうを凝視する。そうして、戦慄した。敵襲だと口を開かずにはいられなかった。
《明鏡止水》の自分の眼を信頼しきっていることを、ここまで恨んだことはない。今しがた目にしたのは、どれをどう見ても、海上から発射された対空ミサイルだったのだ。


教授(プロフェシオン)、どうして……!?」


理子の一言で、燻っていた胸臆の靄は全て晴れた。あの警鐘は、この急襲だけを示唆していたのではないのだ。彼女が裡面で暗躍していた組織、《イ・ウー》──そうして、《教授》。彼の者は始業式の日に、自分に向けた一報で件の依頼を提示してきた人間に他ならない。《イ・ウー》と《教授》とには、何らかの関係性がある。そこまでを指していたのだ。あの警鐘は。


「今度は《イ・ウー》……、面倒だね」


その刹那──轟音が鼓膜を劈き、脳髄を振動させていく。機体の壁面を忙しなく反射していくようで、この機体の全域が、轟音の蠱毒になってしまったような気がした。同時に衝撃も、この全域を急襲してきた。地上ならば大地震かと紛うほどの振動で、壁に手を突いてしゃがみこんでいるのが関の山でしかない。幸いにも、それは一瞬間とその余韻だけで済んだ。その間にこの機体全域は、乗客員が引き起こした動乱──阿鼻叫喚の坩堝と化している。それを自覚した。

しかしこの急襲が《イ・ウー》によるとしたら、これほど面倒なことはない。理子の計画があちら側にも共有されているのかは定かではないが、もしそうだとしたら、それが成功したにしろ失敗したにしろ、追い討ちといった面では、《イ・ウー》側の正当的な理由付けになる。狙いはもちろん、自分たちだろう。まったくの一般人まで巻き込むのは、少々いただけないけれど──。
アリアと理子の無事を確認してから、そのまま視界に入った内線電話の受話器を手に取る。同時に武偵病院まで繋げた幅広の《境界》を顕現させながら、深呼吸もほどほどに口を開いた。


『──武偵の如月彩斗と申します。緊急事態を御連絡致します。当機は何者かによるミサイル攻撃を受けました。乗客及び乗組員の皆様、御手数をお掛けいたしますが、今すぐに避難準備のため、廊下へと御足労願います。現在はハイジャック事件解決のための交戦後、2人の人間が負傷しております。乗客員のなかに負傷者が居りません場合には、当2人を優先的に武偵病院へと搬送致します。乗客員のなかの負傷者はあらかじめお申し付けください。繰り返します──』 
 

 
後書き
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