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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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緋が奏でし二重奏 Ⅲ

二重奏──理子の告げたその意味を訝しみ、更には推し量ろうと眉を顰める。そこまでを彼女は予期していたのか、それは定かではない。ただ、自分の見せたほんの一刹那の隙に、理子は何かしらを掌に握り締めていて、気が付いた時には既に、それを自分とアリアとに投擲していた。
脚元で小さく鳴いたそれらは、発煙筒のように見える。煙を吐き出す寸前にはもう、2人して個室に戻らざるを得ない状況下に追い込まれてしまった。煙の流れ込む扉の隙間を遮断してから、アリアと顔を見合わせて、互いに異変が見られるかどうかの精査をする。

糜爛(びらん)剤であるマスタード、嘔吐剤のジフェニル、催涙剤のクロロアセトフェノン、発煙剤のトリクロロアルシン──様々な化学物質の名称が一挙に脳裏を過ぎ去っていく頃には、その憂慮も杞憂なのだと思い至った。「……しまった、まんまと欺瞞(だま)された」
顰め面をしているアリアも、小さく頷く。「ただの発煙筒だったとはね」と付け加えた。


「『悲観論で考え、楽観論で行動せよ』──こうなった以上、仕切り直しだよ。やるしかない。……けれど、理子は恐らくここには居ないでしょう。待ち伏せが本来なら有効だけれども、《境界》がある以上、背後を盗られかねないのでそれは愚策。だから……そうねぇ、まだそんなに時間は経ってないし、この近辺に隠れてるかな。いいかい、奇襲を警戒すること」


アリアが納得したのを見届けてから、慎重に《境界》を開く。その先は、つい数分前まで理子と言葉を交わしていたあの廊下だ。予期通り、彼女の姿は見えない。煙を全て吐き切った発煙筒だけが転がっていて、一帯に蔓延していた白煙は、何処かの排気口へと向かってしまったらしい。
それでは、理子は果たして何処に行ったのか──これだけが気がかりになっている。


「……ともすれば、僅かに視認性の悪い階段付近の潜伏、或いは1階全域のバーでの待ち伏せだろうね。不確定要素を残すのは嫌いだから、ちょっと危険だけど階段からバーまで行こう」


そう話しながら、《境界》越しにマニアゴナイフとタクティカルナイフを拾っておく。それらを仕舞ってからアリアを先導するべく、再度べレッタと《緋想》を構えた。
そのまま階段付近まで歩を進め、階下へと向かう段々の奥に目を凝らす。取り敢えず敵影は見えないことを察知した、アリアは控えて連なれといった指示──を出そうとした刹那に、背後からあの45口径の轟音が、途端に鼓膜を劈くようにして鳴り響いた。

条件反射的に振り返り、銃口をそちらへと向ける。《明鏡止水》で捉えたのは、この廊下の最奥──コクピットへと続く扉の付近に潜伏していたらしい理子が、まだ隠匿していたらしいタクティカルナイフをこちら側に向けて投擲したばかりの、その奇襲の様だった。それをアリアが銃弾で防ぐべく、十数発を一挙に面射撃としてばら撒いている。彼女がそれにいつ気が付いたのかは定かではない。恐らくは特有の直感力でもって、理子の気配を感受したのだろう。

タクティカルナイフの軌道は、明後日の方角を描いていった。理子が投擲する直前に威嚇射撃をすることで、その軌道を逸らさせる──というアリアの目論見だろう。現に理子は、こちらから射線の通らない位置に隠れている。これが好機だと見た彼女は、そのまま肉薄していった。
しかし──退路がコクピットのみでは、理子は防戦一方でお終いだ。だから、ここで必ず飛び出してくる。眼に映る僅かな異変でさえも、即座に察知するだけの能力を求められているのだ。

そうして目論見のその通り、理子はアリアを迎え撃った。両手には愛銃のワルサーP99を構え、虚空を這い回る蛇のような双髪に、またもやタクティカルナイフを握らせて──。
再びの銃撃こそが、まさに嚆矢濫觴(こうしらんしょう)だった。窮地を脱すべくアリアに向けられた銃撃から、またもや近接拳銃戦に発展していく。轟音にも似た銃声、空気に融ける硝煙、爛々と焚かれるマズルフラッシュ──2人はその渦中に置かれていた。

同時に自分もまた、その渦中の様に傾注していた。どんな折に加勢しようか、そもそも加勢するべきではないのか、そんなことを脳裏に廻らせているうちに、《明鏡止水》の眼は捉えた。
理子の足払いを回避しきれなかったアリアへ、更なる追撃を彼女は用意している。ここぞとばかりに身をうねらせた蛇は、その口にナイフの柄を咥えていた。それが虚空を斬り裂いていく様を直視するのと同時に、ベレッタから射出した銃弾もまた、虚空を斬り裂いていく。

右螺旋回転を維持したままの銃弾は、側頭部を狙うナイフへと直進していった。湾曲した幅広の刀身のみを的にして、無機物らしく、微塵の逡巡すら見せずに肉薄していく。その弾頭がやがて刀身に触れたところで、幾度か火花が散った。そのまま弾頭が変形した銃弾は跳弾を起こすと、とりわけ何もないだけの壁を抉っていく。しかしナイフだけは、虚空に弾き飛ばされていた。

ほんの一刹那だけ、理子は茫然としたような表情を見せる。ただそれも一刹那だけの話で、次にはもう、余してある片方のナイフを逆袈裟に振り上げた。体勢を整えたアリアは今度こそそれを避けると、弾倉にある残弾の限り、いつもの調子で無理やり近接拳銃戦に引き戻していく。
いつの間にかそのナイフも理子の髪から失せていて、銃のみの近接戦に変貌していた。
そうして、またしても、アリアと理子とはお互いに譲歩しない。弾切れのタイミングも、前回と同様──そうであるならば、ここがまた加勢のタイミングになるのだろう。そう予期する。


「──彩斗、弾切れ!」


アリアがそう叫んだ頃には、彼女との距離は格段に縮まっていた。戦闘が再開したコクピット入口付近と、いま居る廊下の中ごろの間の空間とは、この時を見据えて作らせた隙なのだろう。
彼女は今度こそ、理子を格闘術で圧倒するべく銃を仕舞った。お互いに組み合うような形になると、微塵も動かずに膠着している。アリアの作ったこの好機を、存分に利用させてもらおう。

彼女が言い終えるや否や、すぐさま理子の背部へと《境界を》繋ぐ。本来なら誰にも狙い得ないような場所──無警戒であるからこそ、そこは無防備なのだ。同時に、急所にもなる。
心做しか、口端が上がっているように思えた。笑みだとすれば、それはどんな笑みだろうか。憫笑とか、嘲謔とか、そんな感情が洩れてしまったのだとすれば、如何にも自分らしくない。

そんな憂慮も片隅に置きながら、理子の首筋に《緋想》の切っ先を突き付けた。僅かにでも動こうものなら、薄皮のその奥までを斬る覚悟でいる。この覚悟が、この笑みなのだろう。
今の自分の表情まで、理子が観察する余裕があるのかは知らない。けれども、寒慄したかのような表情を代わりに見せていた。「……へぇ」とだけ、誰にともなく零している。


「……だけど、ねぇ。彩斗。それだけで──勝ちを確信するのは、まだ早いと思うよ?」


理子の言葉の真意はおろか、その表層を訝しむ間すら、既に残されていなかった。気が付いた時にはもう、彼女の髪が《境界》を伝って、蛇のように手甲に噛み付いてきたのだから。
その強度は蛇よりも大きかった──思わず《緋想》の柄を握る手を離してしまうほどには。残ったものは手甲に切り刻まれた、一筋が幾重にもなった、その傷跡だけである。

そうして文字通り震懾した。理子の狙いは、今しがた手から離してしまった、この《緋想》であったことに気付かされてしまっただから──。背に悪寒が走るのと同時に、《明鏡止水》が解除される。《緋想》を握った理子の髪が、《境界》を這いずり去っていく。その刀身は、爛々と降る照明に照らされて、それこそまさに、冷酷なほどに、明鏡止水の様だった。


「──Mettons un terme à tout ça(終わりにしましょう)


そう零した理子の声が、やけに遠方から降ってくるように聴こえた。 
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