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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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緋が奏でし二重奏 Ⅴ

幸いなことに、乗客員のなかに負傷者は存在しなかった。彼等彼女等はアリアと理子を優先的に武偵病院まで搬送することを快諾してくれたために、衷心から叩頭させられてしまうほどだった。そんなわけで少女2人──とりわけアリアに関しては、手術という運びになって胸部の処置を施している。理子も軽微な残痕を見せていて、その処置を終えてからはひとまず武偵校へ赴くように指示してある。乗客員も武偵病院で待機してもらっているために、機内には自分のみだ。

《境界》を閉じる余裕もなく、そのままコクピットへと歩を進める。武偵病院で事を済ませてからこちらに戻って体感したこと──あくまでも体感だけれど、それにしては、その機体はどうにも傾いているように思えてしまって仕様がない。試しに銃弾を床に静止させてみると、そのまま一方向に転がっていってしまった。先程のミサイル攻撃で、色々と貰ってしまったらしいね。

そんな悪態を吐いた刹那に、機体がひとたび静止した──と思いきや、途端に前のめりに傾斜する。急降下を始めたらしく、慣性力が一挙にこの身軀まで押し寄せてきた。踏みとどまることも手を突くこともできずに、そのままコクピットまで転倒し続けてしまう。何とかその勢いを落とせたのは、機長席の背もたれに背部を強打した時だった。酷い眩暈に襲われていた。

手近な窓硝子から機体の様子を見ると、先のミサイル攻撃で損傷を受けたのは、どうやら内側2基のエンジンらしい──黒煙が朦々と立ち込めていた。対称に外側の2基は無事なようで、その幸いの加護もあってか、辛うじて機体は持ちこたえていた。それでも急降下を続けている。
機長・副機長席に視線を遣ると、2人の男性が昏倒していた。恐らくは理子に睡眠剤でも投与されたのだろう。脈搏はあるし呼吸もしている。命に別状は無いようでひとまずは安堵した。

その2人を座席から下ろして、機長席からも目に付くあたりの壁に寝かせてから、《境界》で手にした個室備え付けの毛布を被せておく。本当ならば2人も武偵病院に搬送すべきなのだろうが、この状況下に於いてその猶予が無いことは、明々白々だ。そう自分に言い聞かせる。
入れ替わるように自分が機長席に腰を下ろし、すぐさまBluetoothスピーカーと機長持ち合わせの衛星電話とを繋ぐ。衛生電話はその名の通り、衛生を介して通信を行う通話システムで、どんな状況下だろうと通話が可能になる。飛行機とか船舶の関係者が保有していることが多い。

そうして握ったこともない操縦桿を握り締めて、徐々に引いていった。体感的に、機体が元の水平を取り戻しているような気がする。僅かの余裕が生まれたためか、ふと見澄ましたフロントガラスの向こうが黒洞洞を極めた太平洋で、思わず戦慄してしまった。
大きく深呼吸してから、雑多な計器のなかから無線機を探し当てる。その信号先をインカムからスピーカーに変更すると、ノイズ混じりのなかに男性の声が微かに聴こえた。それは緊急用周波数を合わせて応答しろ──という羽田管制塔の指令だった。マイクを入れて返答する。


「メーデー、羽田管制塔──東京武偵校の如月彩斗です。当機はハイジャックの後に何者かによるミサイル攻撃を受けたため、重篤状態にあります。羽田空港への緊急着陸を要請します」
『ANA600便の如月武偵、了解した。乗客員の安否はどうなっている?』
「乗客員は無事です。ただ、ハイジャック解決のために動いた武偵1人と実行犯が負傷しているので、全員まとめて武偵病院まで搬送しておきました。当機には自分だけです」
『把握した。ところで、飛行機から搬送……とは……?』
「自分は超能力者です。とにかく乗客員は無事です」


腑に落ちない返答なのだろうが、羽田管制塔も取り敢えずは現状を把握した。羽田空港への緊急着陸も承諾してくれるというので、ここからはその準備をせねばならない。
片手で衛生電話を操作し、遠山キンジへと繋げる。コール音が1回鳴ったかどうかのところで、通話は始まった。開口一番が怒号だったために、ボリュームを下げざるを得なかったが……。


『おい、どうなってるんだANA600便は! ハイジャックに次いで、ミサイル攻撃ッ──』
「はいはいキンジ、落ち着いて。ハイジャック事件は自分とアリアで解決したから。ただアリアと犯人とが負傷していて、今は武偵病院に搬送してる。処置を施しているところでしょう。ただ、何者かにミサイル攻撃されてしまってね……。危険だから乗客員も武偵病院に搬送だよ」
『ってことは、彩斗だけで飛行機に留まってるわけか? 操縦は?』
「何とかなってるよ。……ところで、いま君は武偵校に居るはずだよね? 武藤の姿は見える?」


電話口の向こうで何やらキンジは話しているらしい。喧騒に塗れた武偵校──ということは、少なくともこの現状は武偵校にも共有されているわけだ。そんなところで、通話が再開する。


『おう、武藤だ。お呼ばれしたから来たぞ』
「やぁ、お久しぶりだね。ところで電話口の向こうが騒がしいのだけれど」
『十数分前に武偵校に連絡が来た。ANA600便がハイジャックってな。そこで一気に大騒ぎになって、通信科が乗員名簿を確認したら、如月彩斗と神崎・H・アリアって名前を見付けたわけだ。そしたら余計に大騒ぎだぞ! 救護科が神崎さんが負傷したって言ったらもっとだ!』
「ふぅん、なるほどね。君も含めて、みんなアリアのことが大好きなわけだ」
『なっ──!?』


何故か言い淀んだらしい武藤に苦笑しながら、「ほら、本題に入るよ」と諭す。ANA600便のエンジン──内側2基のみがミサイル攻撃で損傷したこと、外側2基は無事なこと。一時は急降下で危うかったが、現在は自分の操縦で安静を保てていること、それらを伝えた。そうして付け加える。「計器を見てて気が付いたんだけど、1つだけ数値がどんどん減少していってるね」
そこで初めて、武藤が沈黙を発した。何かを思案しているのか、喧騒のみが電話口の向こうから聴こえる。数秒後の苛立たしげな舌打ちを皮切りに、また彼は口を開いた。


『……まさか、EICASか? 中央から少し上に付いてる四角い画面で、2行4列に並んだ丸いメーターの下にFUELと書いた3つのメモリがある。そこのTOTALってやつだ』
「わぁ、凄い。流石は車輌科のAランクだね。そう、そこの数値だよ」
『テメェ、そんな呑気にしてる場合か。そりゃあ、あれだ……燃料計だ。ANA600便の内エンジンは燃料系の門も兼ねてる。それが漏れてるってことは、長くは保たねェ』


「なるほどねぇ……」と呟いていると、ふと背後から足音が聞こえた。軽快で歩幅の短い、聞き慣れた──そもそも彼女がどうしてここに来たのか、そんな猜疑心を抱きながら振り返る。
そこには予期の通り、彼女──アリアが居た。武偵病院からここまで駆けてきたのか、息が荒い。ただ紅血に滲んでいた制服の胸元が綺麗になっていて、どうやら新調したらしく思える。


「……君は来なくてもよかったのに。安静にしてなさいな」
「何よ、その言い方。アタシの性格を分かってるんじゃなかったの?」
「だから言ったんじゃない。『来なくてもよかったのに』って。まぁ、来るとは思ってたけどね。……ところで傷は大丈夫なの? 見たところは既に、元のようだけれども」
「皮膚用ステイプラで簡単な手術はしてもらったから大丈夫。それに、わざわざ我儘を言ってまで飛び出してきたのよ? ちゃーんと鎮痛剤(モルヒネ)も打ってもらったしね」


アリアはそう言って、胸元を人差し指で軽くつついた。いつものような屈託のない笑みが、彼女の今しがた説明したそれを、如実に証明している。そうして副機長席に座ってから操縦桿を握り、傍らに寝かせておいた男性2人を一瞥した。「この人が機長と副機長さん? 寝てるの?」
自分もつられて一瞥してから、端的に返す。「うん、理子に昏倒させられたみたい。ただ本当に寝ているだけだから、安全面だけを考慮して目の届くところに休ませているだけだよ」

「それよりも──」と付け加える。


「この機体は先程ミサイル攻撃を受けたでしょう。見たところ、内側のエンジン2基が損傷を受けているらしい。そこで車輌科の武藤剛気が言うには、ANA600便のタイプのエンジンは燃料系の門も兼ねているらしくて、漏出が止まらない状態なんだ。今も……ほら、ここの数字」
「440、435……これであと何分くらいは燃料が保つの?」
「武藤、話は聞いてたね? この数値だとどれくらい飛行できる?」
『……10分、長くて15分だな』


武藤の低い声色は、いつにも増して低かった。咽喉の奥から絞り出したような色をしていて、事実、この機体が羽田空港まで到着するかどうか──それを思案しているように思える。アリアもその雰囲気を感受しているのか、謹厳な面持ちをしながら、静静としてそれを聞いていた。
自分が握り締めている操縦桿は、最初から羽田空港の方角を向いている。そもそも到着するのに十数分も要さない。そんな風を振り撒きながら、羽田管制塔に向けて最後の挨拶をしておく。



「羽田管制塔、緊急着陸の準備はどうなっています?」
『既に済ませてある』
「そうですか。それでは──3分後に到着しますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます」
『は……?』


今度こそ意味が分からない──といった羽田管制塔の呆れ声を最後にしながら、Bluetoothの通信を切断した。依然として武偵校と繋がっている衛生電話の向こうでは、武藤も苦笑している。アリアも同じようにその赤紫色の瞳を丸くさせて、可愛らしく小首を傾げていた。


『おい、彩斗。3分後に羽田って──正気か? 車輌科にそれはキツイなァ、いくら何でも。テレビに羽田空港の滑走路が見えてるが、飛行機なんかは微塵も見えねェぜ』
「ふふっ、如月彩斗にその言葉はないでしょう──そのまま刮目してなさい。じゃあね」


それだけ言い残すと、Bluetoothの通信に加えて衛生電話の通信をも切断する。コクピット内に聴こえるのは、機体の駆動音──それに綯い交ぜになった、自分とアリアとの吐息だけだった。
羽田管制塔、車輌科の武藤をも茫然とさせるその策は、自分でなければ成し得ないことだと自負している。燃料を無駄にせず、機体の安静を保ち、制限時間内に目的地にまで到着して、着陸するという、その策は。ただ気がかりなのは、自分に飛行機の操縦知識が無いことだけだった。


「ねぇ、《境界(・・)》で羽田空港まで移動するけど、君はジェット機の着陸はできる?」
「できない、けど……やる。無理って言ったら、本当に無理になっちゃうもん」


僅かに言い淀んだその裡面には、微細な困惑の色が浮かんでいた。それでも、下手にはぐらかされるよりは気分が清々とする。やるしかない──という開き直りが、そうさせるのだろう。
「あのね」とアリアは続けた。「無理、疲れた、面倒臭い──っていう言葉は、アタシは使わないようにしてる。自分がそう認めちゃったら、有るはずの可能性が全部、消えちゃうから」そう言って彼女は、気恥ずかしげに笑みを零した。「アリアらしいね。でも、大切なことだよ」

そのままフロントガラスの端を見澄まして、左翼から右翼までの全幅を目測で確認する。いつの間にか窓硝子の向こうは黄昏から宵闇になっていて、これは夜景が綺麗だね──と笑んだ。『悲観論で考え、楽観論で行動せよ』──少しの逆境くらいは楽しんでやるつもりの気概でいる。
そうして、指先をフロントガラスの端から端、そのもっと奥までを、線を引くように虚空をなぞらせていった。この《境界》は、かなり余裕を持たせた範囲設定になっているだろう。


「こんなに大きなものなのに、《境界》で出来るの……?」
「まぁ、出来ないこともないね。規模が規模だから、頻出はしないけど」


アリアはその声色のなかに、憂慮を多分に横溢させていた。それは日常的に顕現させる規模の《境界》でないことを、この1週間程度の同棲生活で理解しているからだ。これだけの範囲は、戦闘にも滅多にお目にかかれない。出来なくはないけれども、という感じだろうか。


「……ほら、見てて」


呟き、フロントガラスのその向こうへと視線を遣る。刹那──宵闇に顕現した紡錘が、この機体の全域を呑み込んだ。ほんの一瞬間の瞬きをした後には、既に羽田空港は目前にある。
滑走路灯が爛々と輝いていて、奥には展望ラウンジが鎮座していた。その奥には大東京のビル群が聳えていて、ほんの僅かな時間でさえ見蕩れてしまうほどには、綺麗な夜景をしている。


「ねぇ、このままキチンと着陸できると思う?」そう問いかけたアリアの声は、いつもの通りに軽快だった。「失敗したら、2人で心中になるね」つられて自分も、磊落な調子で笑い返す。
2人が握っている操縦桿は、動きが連動していた。機体は高度を下げ、滑走路にその足を着けようとしている。ひとしきり笑ってから、「でも」と付け加えて、彼女の顔を見据えた。


「でも──アリアと2人なら、何でも出来る気がするね」


一帯の雑多な灯りに、自分の顔もアリアの顔も、照らされていた。彼女の顔が明るかったのも、頬が紅潮しているように見えたのも、羞恥とかそんなものじゃ、本当はないのかもしれない。「こんな時に、冗談なんて……っ」そうとだけ呟いたアリアの声は、清澄に聴こえていた。
そうして機体の足は、とうとう滑走路に着いてしまう。自分たちの出来る限りの──それでも知識は皆無に等しかった。ただ感覚だけで操縦していて、楽観するだけ楽観していた。


「……今の言葉は、冗談じゃないよ」


アリアが瞠目するのと、自分が減速のためにブレーキを掛けるのは、同時だった。その刹那に着陸の衝撃が押し寄せてきて、滑走路に降り立ってからはもう、感覚任せで操縦をしている。アリアが操縦桿の操作をしながら、自分がブレーキ等の制御をしていた──それでも、止まるのだと確信している。アリアと心中とは言ったものの、流石に死にたくはない。彼女のためにすることはまだ残されているのだし、親友や身内も置いて、勝手に何処かに行くわけにもいかない。
そんな想いを雑多に巡らせているうちに、機体はいつの間にか、静止していた。……それでも、滑走路の直線からは少しだけズレてしまった、ちょっとだけ間の抜けたような格好をして。

それが今の自分には面白く思えてしまって仕様がなかった。アリアも同じなのか、2人して顔を見合わせて、笑みを堪えている。同時に堪えきれなくなって、十数秒くらいは馬鹿みたいに笑っていた。「彩斗と一緒になら、本当に何でもできそうに思えてきた」そんなことを言いながら。
ひとしきり笑い終えると、爛々とした赤紫色の瞳と視線が合った。 どうせなら、あの時──バスジャックの時に直接言えなかった言葉を、代わりにここで言おう。何がなしにそう思い至る。


「「──ねぇ」」


そのタイミングは、どうやらアリアと同じだったらしい。また零れてしまいそうな笑みを堪えながら、刹那の間を空けて、お互いの瞳を見据えて、2人して口を開いた。


「「──ありがとう」」 
 

 
後書き
緋が奏でし二重奏──終曲。

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