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或る皇国将校の回想録

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第四部五将家の戦争
  第六十九話来訪者は告げる

 
前書き
馬堂豊久‥‥〈皇国〉陸軍中佐

三崎大佐‥‥兵務局対外政策課長 安東家重臣

馬堂豊守‥‥〈皇国〉陸軍准将 兵部大臣官房総務課理事官

豊地大佐‥‥ 軍監本部戦務課参謀 守原家重臣団

芳峰雅永‥‥ 鉱山経営者 芳州子爵 鉱業から工業への進出を進めている

弓月 茜 ‥‥ 故州伯爵弓月由房次女 馬堂豊久の許嫁

豊浦武文‥‥ 西州軍参謀長 龍口湾の戦いでは第三軍参謀長 軍政家として西津中将を支えた
田崎千豊‥‥ 〈皇国〉最大の軍需企業 蓬羽兵商の会長


 

 
皇紀五百六十八年八月三十日 午前第十刻 兵部省大臣官房総務課応接室
独立混成第十四聯隊 聯隊長 馬堂豊久中佐


 豊久は再び兵部省兵務局庁舎を訪れていた。今回は人事部ではなく父である官房総務課理事官の馬堂豊守准将からの呼び出しである。つまりは自宅でするべきではない話であるという事だ。
 虎城まで戻るのにあと五日程だ。聯隊は撤退戦からの六芒郭防衛準備の指導と酷使された続けた事もあり、導術兵達を含めて数日に一度の基礎的な訓練を除けばほぼ完全に休業状態である。

「やあ馬堂大佐殿、あっという間に追い抜かれてしまいそうで困ったなぁ」
 彼を出迎えたのは軍服をはちきれんばかりに膨らませた太鼓腹を揺らす大佐だ。彼はこの部屋の主ではないが、同じ庁舎に勤務している者だ。
「まだ中佐ですよ、まったく昇任したての連隊長に嫌味ですか兵部省兵務局の三崎対外政策課長殿」
 三崎は安東家の重臣団のひとりであり、監察課時代の上官であった。
彼は安東家内の中央派の筆頭である安東兵部大臣の側近である。安東家の深刻な二極分裂に近い状態にまで至った経緯はこの場ではいったん割愛するが、かねてから懸案であったそれは龍州が陥落し、東州灘を挟んで位置する東州が危険にさらされたことで更に激化してしまった。孤立主義的な安東家東州派との折衝や陸軍、水軍、外務省との情報交換、意見の取りまとめなどに活躍する能吏である。

「どうだかな、本当に来年の今頃は閣下になっとるかもしれんぞ」

「上が空くにせよ将官になるのであれば大佐の仕事に熟達した人間でないとダメですよ。そろそろ落ち着かないと権限と裁量ばかりが増えてとんでもない過ちをしでかしそうです。
准将までいったら流石に幕僚の選任がしても来る参謀来る参謀が目上ばかりになってしまいます」
 私的な交流を持っている重臣団を頼りにすることの欠点でもある、過剰に昇進が進むと実務の経験が豊富な参謀が父の後輩だのなんだのといった家門としての外交にまで悪影響を及ぼしかねない、例えば守原定康のような元来主君のそれであれば全く問題が御気長同じ重臣団の間でそれが行われると幕僚部はおろか指揮官と幕僚の関係すら将家の外交戦場となりかねない。豊久ならずともそれは悪夢の中の一つだ。
――直衛ならば気にしないで最初に鞭を振るうだろうか。
と豊久の脳裏に劣等感とも羨望ともつかぬ暗いものがよぎるがそもそも過程も前提も異なるものだと打ち消し、三崎へと意識をむける。

「貴様の言う事は正論だとも、問題は正論で回るとは思えん今の状況さ。――実際、前線仕事ができる連中が枯渇しとる。
おかげで茜嬢ににらまれそうだがね――彼女とはうまくいっているかね?」

「えぇ、おかげさまでどうにか。今日は一人で姉のところへでかけていますよ。彼女も私が生きて帰ってくる限りは睨みつけるだけで済ませてくれるでしょうが――楽にはならないでしょうね。前線はいつでも人手不足です、今回の龍州における後衛戦闘で龍州軍が手酷く損耗しましたから後備の使える人間はそちらにも流れます」

「龍州軍は最後まで勇敢だったと聞いている」「彼らが泉川で勇気を示さねば私は死んでいました。おそらくは第三軍の半数も同様です――恨み事など言えません」
 豊久は目を伏せた。泉川で血を流した数万の者達には自分が死んでも返しきれる貸しがある。そのうち何人が帰らぬものとなったのか――。
「とはいえ落ち着いたら一度は帷幕院にいっておきたいのですが」
 いつ落ち着くのか、という事はもはや言葉にせずとも一種の冗句として将校連の間では受け止められている。あるいは将校という職が鬼のそれに近づいているからなのかもしれない。

「陪臣格といっても身が重いからな、貴様は。北領で民草の村を焼いた事を衆民の大半はもう忘れた。西原も駒城も重臣団は貴様に多大な借りを作った。大佐で生徒には回れんだろう、教官役で研究に従事するような――っとようやく来たか」
 廊下からよく響く特徴的な杖の音が聞こえる。大馬場町では雑談を打ち消すだけの威をもって認識される音色だ。
「待たせたな二人とも」
 理事官が杖に縋りながら現れた。その後ろには二人の男たちをひきつれている。 一人は二人も見知った鋭い目つきの参謀飾緒をつけた中年の男であり、もう一人はがっしりとした体つきと不釣り合いなのっぺりとした顔つきの男だ。顔だけを観れば三十過ぎにも見えるし全体を観ると四十半ばにも見える。
「どうも、閣下」
「父上、もとい理事官閣下」

「あぁ二人とも楽にしてくれ――さて、本題だ。こちらは軍監本部戦務課の豊地大佐と警保局高等部の青山警視正だ。我々に提案があるらしい。まとめて聞いたほうが良さそうなのでな」
 紹介された二人が黙礼する。室内にいた二人も答礼するがそれはややぎこちない。

だがそれは守原家の懐刀の一人である豊地大佐に対してではない、また藤川の身分に対してでもない、警視正は待遇としては大佐と同格である。皇都や州都の中枢部を担当する警察署の署長や、地方警務局の主要部長、警保局であっても主要課長が任じられる階級である、決して権限としても見劣りするものではない。
だが凡そあらゆる国家においてそうであるように、陸軍と水軍は歴史的に対立し、陸軍と警察は出自と権限の問題で争っていた。
 そもそものところ、内務省は五将家が天領自治を中央から統制する為に創設された役所であった。だがその為にかかる費用があまりに膨大である事と互いにどの程度中央に比重を置くか測り兼ねていた事――“五将家体制の基盤とは家門の持つ陸軍力である”という思想が常識であり、政治とは常識を基盤として動くものである――からその実態は鄙びたものであった。
 内務省を実際に運営していたのは五将家に恭順して中央から旨味を吸おうとした公家上りの者達と旧領に張った利権を守ろうと五将家に認められようとする旧諸将家の重臣上りの者達であり――衆民の自治機構が成熟し、万民輔弼令により公然と地方行政が衆民によって行われるようになると衆民が実務の主流を担うようになった。
 元来政治的に面倒な組織であった皇室魔導院の変質に気をとられている間に州警務局独自に五将家が望んだ旧諸将家の反動活動家や急進的民本主義者への対応といった形で高等警察を発足し、それは速やかに“全国一体の原則“という省令の名のもとに”執政府の武器”として“国内最大の防諜機関“として集権化されることになった。
故に〈皇国〉の警察組織は天領土着の諸将家と衆民から産まれた組織であり数少ない集権化された警察組織である高等警察はまさしく衆民―それも地方土着の貴族的な権威に冷ややかな諦観を抱いている者達―の牙城である。
例え豊久の義理の父である弓月由房が州政畑と警察畑を行き来した内務省の実力者であったとしても全面的な支援を受けるには長い時間を必要としたほどである、

 つまり、である。内務省の他の部署ならともかく高等部を名乗る実務畑の人間がこの庁舎に現れるとしたら――それに絡むのは非常に面倒な事柄なのだ。
「ちょっと待ってください。中央省庁の皆様が集まるのは良いとして私はここにいる必要は――」

「守原と駒城に関わる案件だ、貴殿がいないと困る、馬堂中佐」
「申し訳ありませんが、弓月参事官閣下からも前線に関わるお話となれば、と」
「だいたいここにいる顔触れを見れば虎城で動けるのはお前だけだとわかるだろうに逃げるな、もうすぐ大佐の二十八歳」
「そうだそうだ、貴様がいないと困る」
 四方の砲火を浴びて豊久は口の中に大量の苦虫を注ぎ込まれたような顔つきをして包囲殲滅を甘んじて受けとめた。
 三人は本当に話してよいのかと理事官と警察官僚に目を向けるが二人とも黙って先を促したことでまずは自分から、と豊地は咳払いをした。
「まずは私の要件からですね。10月半ばに予定されている限定的反攻作戦――要するに六芒郭救援作戦についてですが、護州軍の担当指揮官が決定しました」

「ほう、誰ですか?」
 恐らくは大いに関わる事になる豊久が合いの手を入れる。
「鎮台副司令官――若殿、守原定康少将です。参謀長は私が担当します。九月半ばまでには参謀部の編成を終えます」
 空気が完全に氷結した。豊地大佐の能力に不足があるわけではない――がその神輿になる人間が問題だ。
「ちょっと待ちたまえ。定康閣下が指揮を――責任をとると?」
「はい、理事官閣下。その通りです」

「おいおい待て待て――何を考えている」
 三崎が額の汗をぬぐいながら肉厚な手を振るう。
「お言葉ですが今回はそれなりに勝算を用意しないとならないのは我々も同じであるという事です。なにしろ来春には皇龍道が主攻正面になる事は自明の理ですから、我々も内王道の戦力が健在でなければ困るのです」
 なるほど、それも道理であると豊守はうなずいて駒州閥の代表者として謝意を示した。
「分かりました――護州公子閣下の判断に敬意を」
 ここまでであれば重大な事ではあるが通例からは外れない――だが今回は飛び切りの爆弾がのんびりと出された茶を飲んでいるのである。
「――それで青山警視正の用件はまだ私も詳しくは聞いていないが?」
周囲の視線に押された理事官が恐る恐る尋ねる。
「今の話にもかかわってくるものです。外務省の〈大協約〉に詳しい者達と高等部で動いている話ですが――」



同日 午後第五刻 芳州 州都美門 芳州鉱業会館 芳峰家当主執務室
弓月家代表 弓月茜


「吉峰閣下、お久しぶりです。お招きいただきありがとうございます」
 弓月茜は深々と頭を下げた。常の儀礼的な“娘の外交”からさらに踏み込まんと父である弓月由房伯爵に申し出たのである。
 とはいえ由房が最初に振った仕事はそれほど困難なものではなく、信頼できる相手に任せられるものであった。
「何、他人行儀な真似は必要ないとも、義理の妹をもてなすのは当然の事さ」
 吉峰雅永の妻は茜の姉であり、子爵は茜の義理の兄にあたる。
どこか世慣れしていない学徒のような顔つきであるが三十半ばにしてかなりの資産を市場に投じており大店の旦那であれば知らぬものはいないであろうとまでいわれており、貴族というよりも経営者としての名声を勝ち取らんとしている男だ。

「ありがとうございます――立派なものですね」
 この練石造りの鉱業会館は元は芳峰家の政務館の跡地を売却して作られたものである、現在もこの会館の建設費用の三割を出資した芳峰家が州都の拠点として大いに活用している。
 この執務室の机の上には結構な大きさの模型が存在感を放っている。模型の周囲にはあれこれと書き込んだ付箋が幾重にも貼られている。当主がこれほどに関心を払っている事がよくわかる。
「両替商から借入をして建造しているものだ。まだ出納の帳面を思い浮かべれば自慢できるような気持にはなれないさ」
 雅永はそういいながらも口もとを緩めている。当主として責務をこなすようになってから随一の大仕事である。完遂の目途が立ったとなれば確かにうれしいものだろう。
「返す当ては十二分にあるでしょう?」

「戦争に勝てればね」「承知しております」
 とはいえ、敵がついに山の向こうに来ているとなれば兵馬には一切かかわらぬ領主であっても思うところはあるようだ。
「その為にも増設を進めているのだよ、より質の良い鉄を、より多くの鉄を、とね」

「豊久さんたちが戦えているのはそのお陰です。常々兵器にだけは困らないのは銃後のおかけであると常々」

「この国の存続を助けられているのならば、父から継いだ爵位に恥じずに済むだろうね――私も彼が死んだと聞いた時には肝が冷えたものだよ」
 瞑目し、立ち上がると書斎の扉に手をかけた。
「さて、行こう。そろそろ客人達も到着しているだろう。そうだ、そういえば豊久君も大佐になったとか」
 扉が開く。茜も少しばかりぎこちなく立ち上がる。
「はい、九月の頭にと」
 廊下をゆっくりと歩みながら会話を交わし続ける。
「早いな、早すぎると潰れるぞ、半年前までは豊守さんが大佐だったろう、まだ三十にもなっていないだろうに。英雄にされるというのは面倒なものだな」
 そこまで語った若い子爵はふっと笑みを浮かべた。
「あぁなんだったか、“砲虎の馬堂”だったか」「頭を抱えていましたよ」
「それならば“騎兵殺し”が気に入ったのかな?」「やめてあげて下さい」
 芳峰は明るく笑った。
「馬堂も芳峰も戦争で肥え太ったと言われるがそれ以上に面倒が付きまとっている、怪しげな債権で賄われる税金で無理矢理太らされるよりも多少怪しげなものが混じっていても分散した出所の手形を受け取るほうがマシさ。
なにしろ税金の出所が潰れたら私まで潰れる。同じだ、怪しげな昇進で膨大な扱いきれない権限といっしょに責任を押し付けられるよりも多少は遅れていても段階を踏んで経験を積まないと不安定になるだけさ」
 茜は笑みを消して頷いた。
「分かります」「支えてあげなさい。馬堂家の欠陥は分かっているだろう?」
 芳峰は振り返り、茜に視線を向ける。
「肉親、身内が上官であり部下であること、えぇ分かっています。こうした状況だと頼るにも遠慮が出てしまいますからね」

「それに自身の裁量に干渉させるのも問題になる、父が責任をかぶろうと思えば被れる。根が真面目な人間だと余計なものを背負い込む。莫迦だと責任を感じないまま権限だけを振り回すが彼は背負い込む性質だろう?」

「そうですね、アレで真面目な子ですから」
 必要以上に澄ました口調の返答に芳峰は慌てて咳き込んだ。
「いやはやまったく!紫が聞いたら妬くだろうな――来客は?」
 家令が丁重に奥を示すと芳峰は口調を一変させる。
「君の本命だ――君も弓月の産まれとはいえ、これも時代なのかな」
「――弓月の為であり、馬堂の為です。皆が背負うのであれば私も背負いましょう」
 芳峰は薄く微笑んで尋ねた。
「惚れ込んでいるのかい?」「どうでしょう、妹と似ていて放っておいたら危なっかしいですから目を離せないことだけは確かです」

「姉妹だな、紫と同じことをいう――わかった、それでははじめよう」





「お待たせした。芳峰だ。こちらは義理の妹である」「弓月茜と申します。この度は馬堂豊長様と父の代理として参りました」「田崎千豊と申します」「豊浦武文です」
 芳州子爵にして内地東部最大の鉱業主、伯爵家次女、蓬羽兵商会長、そして〈帝国〉軍の占領下におちる龍州と皇都を結ぶ主要三街道の内最南の街道、東沿道を守る西州軍の参謀長、喫煙室に集う四名の内、茜を除く三名は政財官界の要人と言っても誹りを受けない人間だ。
 
「ここに集まってもらったのはほかでもない、芳州の開発についてだ。蓬羽兵商
の協力を得て採掘した鉱石の加工まで私の経営の下で行っているが――」
 豊浦少将に視線を向け、先を譲った。
「それをさらに進めて兵器の生産まで着手したい――もちろんそこで完成させるわけではなくとも金属部品を組み立てる程度ならば問題ない。西原は出資しても良いと考えている、駒州も西原と共同で出資すると返答している」
 芳峰子爵の経営する鉱山街は芳州の州都である美門のすぐ近くである。
 安東家の東州と内地を結ぶ東州灘に面し、駒城家の統治する駒州に接し、東沿道は芳州に繋がっている――つまり西州軍と駒州軍、龍州軍、東州軍から最も近い軍需工業の拠点となりうるのである。

「父からは州政局を通した財政援助を、豊長様からは駒州の運輸業界の取りまとめを行えると」
 茜が控えめな口調で申し添えると芳峰は深くうなずいた。
「よろしい、それでは一つ皆で大儲けしようではありませんか」
 
 

 
後書き
明けましておめでとうございます。
昨年は色々とありましたが今年もゆったりペースですが続けていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。 
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