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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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巫之御子 3

 ゴボゴボ、ゴボ、ごぼごぼごぼごぼ……。
 水泡の生じる音が耳に鳴り響く。さっきまで水の引かれたプール内で霊災を修祓していた桃矢だが、今は生ぬるい水の中にいた。霊災からのびた触手にからめ捕られ、引きずり込まれてしまったのだ。
 どちらが上か下かもわからない。混乱し、もがくのだが腰に巻きついた触手が容赦なく桃矢の身を締めつけ、ぐんぐんと引っ張る。
 思わず目を開けると、周囲はうす暗く、以外にも水は澄んでいるのがわかった。少なくとも外から見たような、毒々しい緑色をした水ではない。
 数メートル前方にぼんやりと光る楕円形が見えた泡はそちらにむかって上がっているので、そちらが『上』なのだろうか?
 桃矢はふと、あの楕円形が先ほど修祓していた霊災であり、あの光はプールの天井照明ではと思った。
 ほのかに光る楕円形は見る見る遠ざかり、深淵へと沈むにつれ、桃矢の意識も薄くなってゆく……。





 ごと、ごと、ごと――。
 しゃら、しゃら、しゃら――。
 耳慣れない稼働音に水の弾ける音が重なる。
 桃矢の目がゆっくりと開く。
 雲ひとつない青い空が目の前に広がっていた。

「え?」

 おどろいて身を起こし、あたりを見まわす。
 青空の下には緑の海が、青々とした水田が地平線の彼方まで続いている。
 ゆるやかな起伏のある場所には段々畑が作られ、耕された田畑にはカボチャや大根など多くの作物が実っていた。
 金色の菜の花、白い蕎麦の花、赤く実った鬼灯――。
 豊かな色彩が目を楽しませてくれる。
 日本人が田園風景と聞いて思い浮かべる世界そのもの。そんな場所に桃矢はいた。

「……どこ?」

 ごと、ごと、ごと――。
 しゃら、しゃら、しゃら――。
 桃矢の独りごちに応える者はいない。水車が回り、水受け板に汲まれた水が落ちる音のみが響く。
 東京都は渋谷区にあるプールの清掃をしていたら霊気の偏向。瘴気を確認し、巫女クラスの仲間とともに修祓をこころみた。だがその霊災の中からのびてきた触手に捕われ、この美しくのどかな世界に放り込まれてしまった。

「これって夢じゃないよね、現実なんだよね……」

 あまりの展開にしばらく呆然と立ち尽くす桃矢だったが、出口を求め歩き始める。
 水車小屋の中に引きこもり、おとなしく救助を持つことも考えたのだが、どうにも心細い。もっと大きな建物はないか、もとの世界に帰れる道はないか、探してみることにした。
 水田にそって続く道を進む。不思議なことに、なにかが鳴く声も、なにかが動く気配も、まったく感じられなかった。自然豊かな場所にもかかわらず、このあたりには虫や小動物すらいない。
 物音と言えば川のせせらぎくらいだ。
 静かだ。あまりにも静かすぎる。そして作り物のように不自然な、自然――。
 けれどもどこか神聖な感じもする。なにもしていないにもかかわらず、桃矢は自分がひどく不作法なことをしている気がして軽い罪の意識にかられた。

 神聖不可侵な領域に侵入し、静寂をかき乱しているかのような……。
「僕はだれかに無理やり連れてこられたんだ……、べつに好き好んでこんな場所に来たんじゃない……」 

 異様な静寂がもたらす緊張に耐えられず、そう口にした時、それは密やかに、水音ひとつ立てずに現れた。
 桃矢の目の前にあった水門の上にぬうっと黒いものが浮上したかと思うと、ゆっくりと空中にせり上がっていった。
 爪のある手と毛深い顔を持ち、黒雲に覆われた獣のような姿。身を覆う濡れた暗褐色の毛から水滴をぽたぽたと滴らせている。
 大きい。
 全体像は不明だが、ひと口で人など飲み込んでしまえるだろう。
それが首をめぐらせ、桃矢を真正面から見つめる。イヌ科の動物のような顔をしているが、その目には知性の光が宿っていた。
 桃矢は身動きができなかった。不動金縛りの術なのか、驚きのあまり動けないのか、桃矢自身にもわからなかった。それほどまでにそれの姿が異様だったからだ。
 昨夜のフェーズ3もどきの餓鬼たちとはちがう、正真正銘のフェーズ3。動的霊災。それもすでに霊的安定を得て久しい、年経たあやかし――。

「目ガ覚メタカ、花嫁ヨ」

 あやかしの口が大きく開き、真っ赤な舌がうごめいて、たどたどしい人語を発した。

「ぼ……、僕は花嫁じゃないです」

 桃矢はかろうじて言葉をしぼり出す。緊張のあまり、ひどくかすれている。

「オマエハ儂ガ見初メタ花嫁ダ。オマエノ儂ヲ見スエル眼。他ノ巫女タチノ誰ヨリモ真ッ直グデ、澄ンダ良イ目ヲシテイタ。気ニ入ッタゾ」

 たしかにプールでの修祓のさい、桃矢は他のだれよりも瘴気を凝視していた。

「だいたい僕は男です! 花嫁になんかなれません!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 しばしの沈思黙考。

「……コノサイ、男カ女カナド、些細ナコトダ。儂ノ妻ニナレ」
「些細なことじゃないっ!」
「衆道モ、マタ良シ」
「良くなーいっ! だいたいどうして霊災が花嫁なんて欲しがるんですか!?」
「サビシイカラダ」
「えっ?」

 その意外な応えに桃矢は絶句した。霊災が、こんな怪物が『さびしい』などと言うだなんて、想像もしていなかったからだ。

「儂ハサビシイ、長イコト独リデイスギタ。遠イ昔、人々ガ大地ヲ育ミ太陽ヤ空気、水ノ流レト共ニ生キテイタ頃ハヨク人ト交エタモノダ。日照リニ苦シム人々ヲ助ケ、感謝サレタコトモアル。ダガ最近デハ儂ノ姿ヲ見ルナリ、恐ロシイ呪術ヤ火ヲ吹ク棒デ傷ツケヨウトシテクル」
「……」
「モウ孤独ニハ耐エラレヌ。嫁ガ欲シイ、ツネニソバニイテ数百年ノ孤独ヲ癒シテクレル、儂ヲ愛シ、理解シ、話シ相手ニナッテクレル優シイ嫁ニナレ」

 桃矢の心に苦い思い出がよみがえる。
気持ちの高ぶっている状態で唇がふれると霊力が同調する同調性共鳴症はいっさいの恋愛を禁じる枷だ。
 陰陽塾に来る前、つきあっていた恋人が何人かいたが、そのいずれも長くはもたなかった。『つき合ってもう半年なのに、なんでキスしてくれないの?』
 そう訊いてくる彼女たちに能力について話せば、気味悪がって離れてゆく……。
 自分はこれから恋人も友達もできずに、だれからも愛されずに孤独な人生を送らなければならないんだ……。
 陰陽塾に来る前は、そんなことをずっと考えていた。
 唐突に湧き上がってきた悲しみが頭の芯を痺れさす。不覚にも涙があふれてくる。
桃矢の持つ強い感受性が、目の前の怪物が抱く孤独の念を読みとったからだ。

「オマエニモワカルカ?」
「……はい」
「儂ノタメニ泣イテクレルノカ?」
「はい」
「オマエモ孤独ナノカ?」
「は――」

 はい。思わずそう言いかけて口をとざす。ちがう。今の自分は独りなんかじゃない、この能力に理解をしめして陰陽塾への道を作ってくれた大友陣。忌避することなく普通に接してくれる塾生たち。危機を救い、教えをしめす賀茂秋芳。
 自分の周りには多くの人がいるではないか。
 一人ではない。そう言おうとする前に怪物が口を開く。

「オマエモ孤独ナノダナ。ヨシ、デハトモニ愛シ合オウ。ワシハオマエノ孤独ヲ癒ス、ダカラオマエモ儂ノ孤独ヲ癒シテクレ。サァ、ヒトツニナロウゾ……」
 桃矢が不穏な気配と身の危険を感じた瞬間、その足もとをなにかが巻きついた。さっきの赤い触手だ。

「ひゃっ!?」

 ものすごい力で引きずられ、転倒しそうになる桃矢の右腕と左腕を別の触手が巻きつく。両腕を左右に押し広げた、Yの字の格好で怪物の前に持ち上げられる。
 水中に隠れて見えなかったが、この触手は怪物の身体から生えているようだ。
 ぬちゃあぁあぁぁぁ――。
 大きく開いた口から赤い舌がのび、桃矢の胸からお腹、脚にかけていやらしく這いまわる。肌の感触や温もりを確認するかのようにうごめく。
 その動きのいやらしさ、なまめかしさに身の毛がよだった。

「あっ!」

 赤い舌の先端が緋袴の奥。桃矢の股間をまさぐる。

「ヌゥ、コレハ……。タシカニオノコデアッタカ……」
「そ、そうだよ。だから言ったでしょ、僕は男の子なんだよ! だから離してっ!」
「ソレデモ、カマワヌ」
「え? ええっ!? ほんとに? わっ!?」

 両腕に続いて両足も左右に開かれ、Y字型からX字型にされる。新たに二本の触手がのびてきて、桃矢のお尻と胸を愛撫しだした。

「あっ、ちょ、やめ……。くっ、くすぐったい! て、あ、あ、ああ、アアッ!?」

 感じる。

「や、やめてっ! アアッ! い、いやっ! いやぁ~!」

 桃矢は全力で身をよじるが、触手の動きは止まらず、全身をくまなく撫でまわされる。
 桃矢の身体に本格的な快感が走る。

「はぁはぁはぁ……、だ、だめ……。そんなにしたら……。あ、あうっ!?」

 乱暴ではあるが、痛くないよう傷つけぬように肌を這い回る触手の感触はひたすら優しく、情愛がこめられていた。

「ん、んんん……。ンッ、くっ、うふぅ……ん、んんっ、ら、らめぇぇぇ~!」

 あまりの気持ち良さに口から男とは思えないほどの色っぽい喘ぎ声が漏れ始める。
それに反応してか、お尻を撫でていた触手の動きが激しさを増し、不穏な動きを見せ始めた。

 その動きに消えかけていた桃矢の理性が悲鳴をあげた。
(こ、このままだと女の子にされちゃう!? そんなのはいやだっ!)

 必死になって抵抗する。

「やだやだやだ! こんな始めて絶対にやだ! いやだーッ!」

 桃矢のその思いが天に通じたのか、一条の光が奔り触手を切断した。

「グギャッ!?」

 切断面から体液をまき散らす代わりに激しいラグが生じ、怪物は苦痛の叫びをあげてのたうちまわる。
 触手を断ち斬った光の正体は鋭利な霊気につつまれた一羽の折り鶴だった。それは桃矢の肩に止まると「桃矢、禹歩」と、秋芳の声を発した。

「え?」
「禹歩、穏形、身固め。早く!」
「あわわわ、はい!」

 千鳥足のようなおぼつかない足どりで、それでもしっかりと禹歩を踏み、呪を完成させる桃矢。
 桃矢は兵馬刀槍といった物理的な攻撃を避ける禹歩の他に、あやかしから隠れる類の禹歩もついでに教えてもらっていた。
 きのうの今日ならぬ、さっきの今だ。そのやり方はしっかりと記憶している。

「グヌヌ、ドコヘ消エタ?」

 怪物の目から遁れることに成功したようだ。昨夜の餓鬼のように目の前にいるにもかかわらず、こちらの姿を見失い、触手を使いあたりを探し回るが、触れる直前になぜか向こうのほうから避けてしまう。
 あの安倍晴明の幼い頃。師である賀茂忠行の供をしていた時、百鬼夜行に遭遇したことがある。晴明は急いで寝ていた忠行を起こして知らせて、忠行が素早く身を隠す術を使ったため百鬼夜行から無事に逃れることができた。というお話が『今昔物語』の中にある。
 一説にはこの時に忠行がもちいた術こそ、隠形の反閇だと言われる。
 桃矢はそれを使ったのだ。

「もとは方位神の眷属だけあって、この手の術が良く効く」
「……こ、こいつって神様なんですか?」
「神様っちゃあ神様だが……、そんなありがたい存在じゃない。陰陽道における八柱の方位神。八将神のうち太歳神に仕える赤舌神(しゃくぜつしん)が妖怪に零落した姿。赤舌だ」
「あ、そんな妖怪いましたね」
「赤舌の赤は(あか)。船底にたまる水を意味し、舌は下心。心の内にひそむ邪な感情を意味する。ことわざの『舌は禍の根』にも通じることから、赤舌とは災いをあらわす、一種の凶神だといわれる」
「へぇー」
「この田園世界はこいつの作った隠れ里だな。場所が場所だし、汚れたプールはうつし世との『門』にしやすかったんだろう」

 たまった水に下心。たしかにここはそのような要素のある場所といえる。

「ところで秋芳先生、ですよね? その姿は……」
「俺の簡易式だ。様子を見に来たらみんな霊災を囲んで途方に暮れてて、聞けばおまえがさらわれたって言うじゃないか。だからこうして探りに入ったんだ」
「あ、これも簡易式……」

 桃矢の中で簡易式といえば、先ほどのお掃除合戦でみんなが使ったような人形のものしか思い浮かばなかったので、折り鶴の形は意外だった。

「正確には簡易人造式。汎式における式神使役術の基本中の基本だな。一般の人造式よりも安易かつ迅速に作成できて、カスタマイズしやすい自由度の高さがメリットな一方、術者の呪力のみで動くため長時間の活動にはむかないというデメリットがある。それでも使い手の発想や力量次第で様々な用途に使用できる便利な式だ」
「そういえば授業で習ったような気がします」
「まぁ、巫女クラスじゃ式神について陰陽師クラスほど専門的に教えてないようだからな。失念するのも無理はない。ところで――」
「はい、なんですか?」
「あの赤舌だ、人をさらって触手プレイするようなエロ妖怪を放置するわけにもいかないし、修祓するか」
「しょしょしょっ、触手プレイってそんな!? そ、そうみたいでしたけど……」

 さっきの感触を思い出し、桃矢の白い顔が羞恥に朱く染まる。

「言っておくがおまえを見つけて、すぐに助けに入ったからな。アニメ『ドルアーガの塔』のファティナのあれのシーンみたく、しばらく放置しようとか思わなかったぞ」
「あ、あたりまえですよ! あんなふうに傍観するような人は最低です!」
「だけどおまえもちょっとゆるすぎだぞ。押し倒されてすぐに『あぁんらめぇぇぇ』てなるような安いやられキャラよりも『くっそテメェあとでぶっ殺す……っ!!』て、デレも蕩けもせず。ムードもなく、最後までずっと悪態ついてるようなやられキャラのほうが絶対受けるって」
「いったいなんの話ですか!? わけがわかりませんよ!」
「まぁ、とにかくこいつを祓おう。俺がやれば簡単だが、せっかくだし外に引きずり出して他の巫女たちみんなで修祓するか。そのほうが勉強になる」
「あの、そのことなんですけど……」
「うん?」

 桃矢はこの怪物――赤舌――の境遇について説明した。

「――そういうわけで、一方的に修祓するのはちょっとかわいそうな気がするんです。なんとかなりませんか?」
「そうか『大アマゾンの半魚人』みたいなやつだったのか。それはかわいそうだなぁ。まぁ、見たところ霊的に安定しているし、瘴気ダダ漏れって感じでもないし、折伏できるのならそれにこしたことはないな。よし、ちょっと話してみよう」
「はい」

 桃矢は禹歩を止め、赤舌にむかい合った。

「オオ、ソコニイタカ」
「赤舌さん。あなたがさびしいのはわかりました。でもこんなやりかたは良くないです」
「ナニガ良クナイ?」
「強引にさらって、相手の意思を無視して、その……、え、エッチなことをするのは良くないです、ダメです」
「エッチナコト。トハ、ナンノコトダ」
「それは、そのぅ、ええと……」
「婦女子をかどわかし、手籠めにするなと言っている」
「あの、僕は婦女子じゃないんですけど……」
「グヌヌ……」

 冴え冴えとした霊気を放つ折り鶴からの言葉に赤舌が目に見えてたじろぐ。

「オマエハ陰陽師ノ式神カ……?」
「そうだ、陰陽師だ。未成年者略取と強制猥褻の現行犯で修祓する。と言いたいところだが、なにやら事情がありそうなので、ゆるしてやらなくもない。おとなしく式になれ」
「……ソノヨウナコトヲ言ッテ、式ニ降ロシタ後サンザンニ、コキ使ウ気デハナイダロウナ?」
「しないしない、ちゃんと労働法は守る。十日間飲まず食わずでこき使ったうえ駄賃を踏み倒したり、たぶらかして馬糞を食わせたり、風呂といつわり肥溜めに入れたり、肉をそぎ酒菜にしたりとか、そういうのはしない」
「なんでそんなに具体例がすらすら出てくるんですか!?」
「なに、昔そういう陰陽師がいたんだよ」
「イヤダ、働キタクナイ。儂ハココデ嫁と二人。静カニ暮ラシタイ」
「働きもせず引きこもってダラダラと暮らしてるだけで嫁がもらえると思うなよ。外に出ればそのぶん出会いがあるし、良い働きをして社会に認められれば、女のほうから嫁にしてくれと言ってくるぞ」
「ソウイウモノカ?」
「そういうものだ」
「ウウム……」
「さらに召喚されて働いている間は給料も出してやろう。人間界で過ごすにはなにかと入用だしな」
「人界ニモ金銭ニモアマリ興味ハナイノダガ……」
「今の世を直に見て周ったこともあるのか? こういう自然だってまだ残っているうえ、映画やゲームといった娯楽だってあふれている。楽しいぞ。そして人海で楽しむにはそれなりに先立つものが必要だ」

 実際都内にはおよそ二百九十五ヘクタールの水田が存在し、七十五の農業用水路も流れている。世田谷の等々力渓谷など、都心にありながらまるで別世界のような自然にあふれ、今でも修験者が修行におとずれているという。

「……ワカッタ、デハオ主ノ式ニナロウ」
「かんちがいするな、使役するのはこいつだ」
「え? なに言ってるんです、僕に使役式を持てるだけの霊力なんてありませんよ」
「今は無理でも修行して身につければいい。今日のところは仮契約だ」
「そんなことしなくても、秋芳先生が式にすれば……」
「俺は笑狸以外の式神は持たない」
「そんな~」
「こいつを修祓せず助けたいと言ったのはおまえだろ、最後まで責任をもって面倒を見るんだ」
「コノサイ修祓サレヌノナラバドチラノ式デモカマワヌ」
「念のため確認するが、今までも婦女子を手籠めにしたことはあったか?」
「ナイ。ソノヨウナコトハ断ジテナイ」
「では今後もそのような狼藉を働くこと、これを禁ずる。破った場合はたちどころに落命すると思え」

 秋芳の言葉には呪がこめられていた。呪術師相手に言葉で交わした約束を違えればどうなるか、説明するまでもない。
 その他にも桃矢を交えてちょっとした儀式のようなことをして、式神契約(仮)は無事終了した。

「儂ハ赤舌。イツノ日カヨロシク……」





 ちょぽんっ
 軽快な水音をあげて桃矢の身体がうつし世に現れる。と同時に異臭をまき散らしていた瘴気の塊。霊災がかき消えた。

「あ、戻ってきたよ!」
「桃矢さん!」
「無事か!?」
「まったく世話かけて……」

 緋組拾参番隊と白組壱番隊。紅白の巫女たちが桃矢の身を案じて駆け寄り、無事をたしかめた。

「みんな心配かけてごめん。秋芳先生に助けてもらったから、僕は平気だよ」
「そ、そうだ。賀茂先生すみませんでした。私たちだけで修祓しようとして、こんなことになってしまって……」

 一同を代表するかのように紅葉が頭を下げる。

「……陰陽法第二十四条。霊災を発見した者は遅滞なくこれを陰陽庁祓魔局。または市町村長の指定した場所に通報しなければならない。またすべての人は前項の通報が最も迅速に到達するように協力しなければならない。通報義務に違反した場合、同法第四十四条にしたがって、三十万円以下の罰金。または拘留に処せられる……。と堅苦しい弁はさておき、みんなはまだ正式な巫女でも陰陽師でもないのだから、無茶、無理なことはしないように」

 さんざんもぐりで霊災修祓してきた自分が他人に法を説くとはね――。秋芳は内心で苦笑しつつ、そう教え子たちに諭した。

「とにかくこれで霊災は消えた。清掃のほうも終わってるか?」
「はい、終了しました」
「なら案件も無事完了だな。みんな憑かれたろう、もう帰ってもいいぞ」
「あのう、そのことなんですけど……」
「却下」
「まだなにも言っていませんわ!?」
「三亥珊瑚くん、君の格好を見ればわかる。もののついでにここで水遊びしたいとか言うんだろう?」
「は、はい。せっかくですしちゃんと綺麗になってるか確かめないとですわ」
「このサイズのプールに水を張るとなると、相当な量になる。水道代もバカにはできないし、消毒用の塩素だって必要だ。そんな許可は取ってないから無理だ」
「ま、まぁそうですけど……」
「たしかに言われてみれば、水道代とか塩素のこととか、考えてなかったな」
「え~、そこをなんとかならに? お願い先生」
「見苦しいわね緋組拾参番隊。先生の手をわずらわせたあげく、そんなわがまま言ってみっともない」
「あら、そう言う琥珀ちゃんだって水着用意しててのに」
「な!? 余計なことを言うんじゃない眞白っ」
「夏場は泳げなかったから、少し期待してたんだが残念だ」
「こら、白亜まで!」

 わーきゃーわーきゃー、実にかしましい。女っ気というものに縁のなかった秋芳にとって、この空気は新鮮で、わずらわしくもあり楽しげに感じた。

「まぁ、みんな最後まで聞け。実は俺もみんなと同じことを考えていた」
「「「え!?」」」
「実際の水を使うのは無理だから、呪術で出した水でプールを満たす。ついでに消毒も呪術でする。店側の出費はゼロ、関係者もいない。どうせ今日は営業してない俺らの貸し切り状態だし、黙っていればわからない」
「呪術の水って水行符を使うんですか?」
「でも私そんなに持ってない」
「巫女クラス一の呪術姫であるこの四王天琥珀を甘く見ないで。一枚で満たしてあげる」
「ふん、十体の簡易式もろくにあつかえないくせに大口を叩くな」
「なんですって!?」
「そもそも水行符……、呪術で出したお水は長くは持たないのでは?」
「ねぇねぇ、消毒用の呪術ってなに?」
「ええと、なんでしょう? 火行術でしょうか?」

 わーきゃーわーきゃー。やっぱりかしましい。こういうのを女子高のノリとでも言うのだろうか? このような喧騒も悪くない。そんなことを思いつつ、秋芳は自分の考えを実行に移すため、みんなをプールサイドに上げさせた。

「こうするんだ。――オン・シュリマリ・ママリマリ・シュシュリ・ソワカ!」

 この世の一切の汚れを焼き尽くし、有形なる物の不浄を浄化する烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の真言を詠唱。
 清浄の力に満ちた聖なる炎が建物の中を洗い清め、プール内の目に見えない雑菌を滅却。さらに続いて――。

「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バルナヤ・ソワカ!」

 龍索印を結印し、十二天のひとつ水天の真言を詠唱すると、護法の呪力はH2Oの化学式で表される水素と酸素の化合物。すなわち水へと変わり、モン・サン=ミシェルの潮流のごとく激しくプールに流れこんでいっぱいに満たした。
 無から有を生み出す、恐るべき呪術の御業。
 正確には術者の精神力や呪力が代償になっているので無から有というわけではないのだが、それでもすさまじきものである。

「さっきだれかが指摘していたが、実体化した式神と同様に呪術によって生じた物質というものは現実的には曖昧な状態なんだ。五行術で呼び出した木や火や土、金属や水なんかみんなそうだな。水行術の場合は『呪力が一時的に現実の水と同じ形状・性質になっているだけ』で時間が経過すると消滅する。そうしなくするためには通常の術式に手をくわえ、より多くの呪力を消費することで限りなく現実の物質に近づけることができる。この水はそのようにして作られた水だから、泳いでるさいちゅうに消えたりはしない。どのくらい現実の水に近いかと言うと――」
「「「…………」」」
「――ま、こまかい話は授業でしよう。さぁ、これで準備はととのった。あとはみんな水着に着替えて自由に」
「「「は~い♪」」」 
そして今回のお話の冒頭のシーンへとつながる。





 笑狸の幻術によって生み出された青い空に白い雲。燦々と輝く太陽に紺碧の水面。押しては引く波の音に、ただよう潮の香り。
 視覚のみならず聴覚、嗅覚にも幻術の効果はあらわれている。
 大海原に広いビーチが広がっているように見えるが、実際は室内にあるプールだ。そのため壁などの障害物に衝突しないよう、念のため緩衝用の結界も張られている。
 紺色のスクール水着を着た朱音が、赤いホルターネックビキニの紅葉が、白のワンピースの眞白が、黒の競泳水着の白亜が、バンドゥビキニの珊瑚が、、タンキニ水着の琥珀が――。多種多様、色とりどりのスイムウェアを着た乙女たちが若く美しい肢体をさらして自由奔放に戯れていた。

「ねぇ、秋芳君。どの娘が好みなの?」
「京子」
「そうじゃなくて、あの中じゃあだれが一番好きなの?」
「あの中でもどの中でも京子が一番好きだって」
「んも~、うふふっ。正直者なんだからぁ」
「……あのさー、二人とものろけてないで泳いできたら? せっかくのプールなんだし」
「賀茂先生たちも入りなよ、気持ち良いよー」
『ギップリャ』と叫びたくなるのを、ぐっとこらえた表情で笑狸がそう口にすると、それに合わせたかのようなタイミングで巫女たちもプールにいざなってきた。
「そうだな、水にはいるのも久しぶりだし泳いでみるか。京子、俺は脱いだらすごいんだぞ。もう首から下は『Free!』のキャラみたいだからな。松岡江がうっとりするくらいの筋肉だぞ。うなるような嵐の上腕筋、燃えるような炎の後背筋、しなやかな疾風の大腿筋、叫びをあげる雷の三角筋……」
「うん、見たことあるから知ってる。……て、なに言わすのよ、もう。変な意味にとられちゃうじゃない」
「あー、はいはい。お二人さん仲が良いのはわかったから、仲良く競泳でもしてきたらどう?」
「あら、いいわね。秋芳君、どっちが早いか競走…、じゃなくて競泳しましょう」
「いいぞ。だがその胸で速く泳げるかな?」
「胸は関係ないでしょ、胸は!」

 京子は一つにまとめたポニーテールを前のほうにもっていき、後ろからおおうようにキャップをかぶった。準備完了。

「なぁ、俺が勝ったらおっぱい揉ませてくれ」
「……いいわよ。じゃあ、あたしが勝ったらあなたはなにをしてくれるの?」
「その時は敗者として、恥を忍んで君のお尻にキスをしよう」
「……お尻にキスするんじゃなくて、足の裏を舐めなさい!」
「いいよ」
「え?」
「俺が負けたら京子の足の裏を舐める。わかった、その条件飲んだ」
「ちょ、ちょっと待って! やっぱ今のはなし。なしよなし! こら、待ちなさいってばっ」

 足の裏をくすぐるように舌で舐めたら、京子はどんな反応をするのだろうか?
 これは実に試しがいがある。
 秋芳は相好をくずしながら水面にむかって駆け出した。





 薄暗い屋内。
 鉄骨の突き出た、剥き出しのコンクリートの床と壁。だが天井からは紫水晶の豪奢なシャンデリアがぶら下がり、天鵞絨(ビロード)の壁掛けや絨毯。スウェーデン製の高名な家具工芸家の紋章が入ったテーブルにはコニャックやジョニー・ウォーカーといった洋酒の瓶がならべられ、淡い照明に銀色の反射を見せている。
 豪勢なのかそうでないのか、ちぐはぐな。あまりにもちぐはぐな装いをした部屋だった。
女の体臭と香水の匂いが入り交じった、頽廃的な香気がただよっている。妙にけだるく、それでいて興奮を誘う妖しい香り……。
 部屋の奥にある天蓋つきの寝台の上。上等な絹の褥にくるまれて、四人の女性が絡まりあっていた。
 おたがいの肌を、唇を、髪を、全身を舐めるように愛撫し合っている。
喘ぎ声とも嬌声ともつかない、淫糜な声が吐息とともに漏れる。

「なぁ、美卯」

 赤銅色の髪に褐色の肌。左目に革製の眼帯をした女が組み伏せた少女に問いかける。

「なんですの?」
「このサクランボはだれのものだい? 美卯のものかい? 彼氏のものかい? それともあたいのものかい?」
 女はそう言うと、髪をツインテールにした少女、美卯の乳首を舌先で激しく舐め回した。

「こ、この乳首は温羅様のものですわっ! あ、ああっ!? アーッ!」

 その様子を見た別の少女が温羅(うら)と呼ばれた女の背中に猫のように頬ずりし、懇願する。

「やだぁ、美卯ばっかりずる~い。ねぇ温羅さまぁ、ここにも温羅さまのサクランボがありますよぉ。舐めて舐めて~」

 ショートヘアにしたくせっ毛が温羅の背中をくすぐる。

「かっかっか、いいぞ寅子。じゃあこっちのサクランボには、お辰のミルクをかけてから、いただこうかね……」
「あっは~ん、温羅様のお望みなら喜んで、この辰巳、お乳を搾っちゃいますぅ」

 二十代半ばだろうか、四人の中では一番年かさで、上品な黒髪を肩まで伸ばした女性だが、その声は妙にハイトーンで幼女のようだった。
 辰巳がその豊かな双丘に自分の手をよせ、揉みしだき始めた。まさか本当にお乳を出すのだろうか? と、その時だった。

「お館様!」

 室内に男の声が響き、女たちの醸し出していた淫蕩な空気に水を差す。

「なんだいジョルジュ。でかい声出して邪魔するんじゃないよ、あたいが子猫ちゃんたちと楽しんでいるのが見えないのかい?」

 ジョルジュと呼ばれた男が平伏するかのような低姿勢で部屋に入って来た。
 土気色の肌に灰色のスーツが陰気臭い、痩せぎすの小男。だがその腹部だけは異様に膨らんでいる。
 中年太りにしても大きい。大きすぎるほどに膨らんでいた。
 まるで餓鬼のように。

「はっ、おそれながら申し上げます。わたくしの眷属たちが桃の童を発見いたしましたので、急ぎ報告に参りました」
「あ、そう」
「な、ちょ、『あ、そう』て、そんな……。温羅さまの祖先に仇なした仇敵。ひいては鬼族の宿敵を見つけたのですぞ!」
「だからなんだい、祖先は祖先。あたいはあたいだよ。……それよりもジョルジュ、あんた人を、人間を喰ったね」
「は!? い、いや、いやその食したのは人というか路上にころがる不浄の物でして……」
「不浄でも清浄でも、とにかく生きた人間を食べたんだろう? おまえの霊気から血肉の臭いがするよ」
「は、はい。ですがしかし直接口にしたのは我が眷属どもでして、わたくしが食べたというわけでは……」
「おなじことだよ。ジョルジュ、あたいたち鬼子党(グゥイヅゥダン)は金持ちや権力者しか相手にせず、庶民に非道な真似をしないのをモットーに掲げる義賊なんだ。盗みはいいけど殺しはご法度だよ」
「は、ごもっとも!」
「ジョルジュ。あんたはそれを、破った」
「…は、ごもっとも」
「あたいにはねぇ、どうにも我慢できないことが三つあるんだ。一つ! あたいになめた口を利くこと。二つ! あたいを甘く見ること。三つ! あたいを馬鹿にすること。そして……、あたいの決めたことを守らないことだよッ!」
「え? いや、そ、それは全部で四つあるのでは……」
「黙りな! 禁口則不能話、疾く!」

 口を禁ずればすなわち話すことあたわず。
 発言を封じられ、陸に引き上げられた魚のように口をパクパクとさせるジョルジュ。

「そして! あたいの揚げ足を取ることだよ!」

 温羅は枕元に置いたあった銃器を手に取ってジョルジュに銃口を向け、引き金を引いた。
 FMG-9。折り畳み式のサブマシンガンが火を吹いた。
 激しい銃声が鳴り響き、ジョルジュの全身がラグにつつまれる。
 連続して銃弾を撃ちこまれ衝撃に翻弄される様は、まるでダンスでも踊っているかのようだった。

(ひ、ひどい~)

 あわれ全身に風穴を穿たれ蜂の巣状態になったジョルジュは、口を禁じられたため悲鳴をあげることすらできず、意識を失った。
「まったく、すっかり興が冷めちまったよ……」

 落ち着いたところで先ほどの言葉を思い出す。祖先の『温羅』を退治した桃の童が現世に現れたという話……。

「……気が向いたらいっぺん会って見ようかねぇ、桃太郎」

 左目の眼帯をさすりながら、温羅という名の女はそう口にした。 
 

 
後書き
 ラストに出てくる温羅。
 桃矢メインのお話を続けるなら出そうと思った桃太郎伝説や干支にいなんだボスキャラですけど、今のところ再登場の予定はありません。 
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