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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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巫之御子 2

 陰陽塾地下呪練場。
 読んで字のごとく呪術の訓練をする場所であり、中央のアリーナに降りるすべての門の両脇には榊の枝が飾られ、呪力が込められた注連縄が張られている。壁面のあちこちに呪文や紋様が書かれており、これらはアリーナ内でおこなわれた呪術の影響を外へ漏らさないための処置だ。
 バスケットコート四面分はあろうアリーナで巫女クラスの生徒たちが二列にならんでむかい合っている。
 いずれも顔面部が透明になった強化プラスチック製のヘッドギアをかぶり、手には竹薙刀を持っていた。

「はじめっ!」

 女性講師のかけ声と共に薙刀同士があたる打突音や気合の声があたりに響き、格闘特有の熱気が満ちる。

「やめっ!」

 おたがいに礼をして右に一人ずれる。一番右端の者は左の端に移動して列にくわわる。
「はじめっ!」

 同じことの繰り返し。
 乱取り、地稽古、自由組み手。そのような類の実技授業をしているのだ。

「これは、思った以上に激しいな……」

 女性講師の隣で秋芳が思わずそう口にする。

「そうでしょう? 神主の補佐をして祓い清めるだけが巫女の務めではないわ。多くのものを救い、永く護り紡ぐため。神敵に対峙したさい、みずからを刃にかえて戦う。これがこんにちの巫女。陰陽塾が育成する現代巫女の姿なのよ」

 女性講師――名を若宮という――が誇らしげに語った。

「面の他にも籠手や脛あてを着用させたほうがいいのでは? かなり激しい打ち合いですし、あれじゃあ全身打ち身だらけになりますよ」
「実際の試合だと呪術の使用もありなの。だから籠手はつけないわ」
 たしかに籠手をつけていては呪符の取り出しに邪魔だし、印など結べなくなるだろう。

「どりゃぁぁぁっ!」
「どすこーいっ!」
「どっせい!」
「ちぇすとーっ!」
「チェリオ!」
「デュクシ!」
「ウラー!」

 女子とは思えぬ迫力である。

(ううむ、さながら巴御前か坂額か。巫女クラスは女傑ぞろいだな。桃矢のやつ、だいじょうぶか?) 
 視線をめぐらせて頼りない少年の姿を探す。
いた。
 案の定一方的に攻められている。めった打ちの袋叩きの、こてんこてんのこてんぱんにやられて、ボッコボッコのフルボッコ状態だった。

「もうおしまいなの? だらしないわね」
「梅桃ってば弱すぎ!」
「もうへばっちゃった? あんた早すぎ」
「男のくせにだらしがないわね」
「ちょっと、立ちなさいよ!」
「なによ、役立たず」
「もう少し我慢できないの?」

「七十人を超える女子に打たれて言葉責めされている……、だと……? M男なら即効昇天まちがいなしの天国だな……」

 打ち合いの後は小休止をはさみ、型稽古に移ったのだが、こちらのほうはなかなか様になっており、他の巫女たちに劣らない。いやそれ以上の美しい演武を見せた。
 容姿が容姿だけに、まるで歌舞伎の女形の演技を観ているかのような気になる。

「若宮先生。ちょっと梅桃桃矢に個人指導したいのですが、よろしいですか?」
「ええ、いいわ。どうせ残りの時間いっぱい自由練習だし、男同士気がねなく教えてあげて」

 秋芳は桃矢を呪練場のすみに呼んで稽古をつけることにした。

「さっきの演武、綺麗だったぞ」
「あ、ありがとうございます。打ち合いは苦手なんですけど、型にはちょっと自信があるんですよ」
「その打ち合いなんだが、演武の時と同様にすり足もできてるし、軸もまっすぐで安定していて動きは悪くない。なにか武道でもやってたのか?」
「あ~、はい。その、刀道を少しだけ」
「ほう、剣道じゃなくて刀道か。本格的だな」
「でも、それもすぐ辞めちゃいました」
「やっぱボクシングの時みたいに不逞の輩がいたのか?」
「そういうわけではないんですが、指導員の方がちょっと……」
 このようなことがあったと、桃矢は語った。

 足しげく道場に通ってもいっこうに稽古らしい稽古をつけてくれない。
 そのことを伝えると――。

「ウ~ン……、今まで当たり前のことだと思ってたから、説明が難しいなぁ……。例えばね、ウチの道場では入門して最低でも半年は技を教えないの。最初に足運びと素振りを教えるだけ。それも一回やって見せるだけで、後はひたすら素振りの繰り返しを見ているだけ。そして、まともに刀を振れるようになった人から技を教えていくの」
「……それじゃあ、いつまで経っても上達しないお弟子さんも出てくるのでは……?」
「いるね~、そういうの。そして、そういうヤツに限って自分の努力不足を棚に上げたがるんだな。まず、刀を振るって動作に身体が慣れないと、どんな技を教わっても身につくはずが無いんだけどね」
「…………」
「そしてそのためには自分が刀を振るしかないんだよ。やり方は見て覚える。周りに一杯お手本が居るんだから。教えてくれるのを待っているようじゃ論外。最初から教えてもらおうって考え方も甘え過ぎ。師範も師範代も現役の修行者なんだよ? あの人たちにも自分自身の修行があるの。教えられたことを吸収できないやつが教えてくれなんて寝言こくなっての」
 というやり取りがあったそうな。

「……あきれたな、そいつに指導者の資格はない」

 師範や師範代が何のためにいるか、わかっていない。後進の育成だって武道家の務め、先輩にもらったものは後輩に返していく。連綿と受け継がれていく技。それが道、それが武道というものだろうに。
まともに教えてもいないのに『教えられたことを吸収できないやつ』などと馬鹿にするとはどういう了見だ。
 最初から教えてもらおうという考えが甘いだって? ではなんのための道場なのか、月謝を返せと言いたい。
 たしかに見取り稽古という言葉はあるが、本当にただ見ただけのやり方を真似するなど危険極まりない。生兵法は大ケガのもとだ。
 だいたい『見ておぼえろ』などと言う者に限って、人に教える能力が無いのではと思う。
 嘉納治五郎の講道館柔道がそれまであった無数の柔術流派よりも普及したのは警察に採用されたというだけでなく、体重移動やくずし方と言った、他の道場ではやってくらっておぼえろという部分を論理立てて体系化し、教えるようにしたというところが大きいのだが、それの否定でもある。

「よくもまぁ、そんな殿様商売で道場が維持できるもんだな」
「けっこう有名で、今でも人気があるみたいですけどね」
「まぁ、いい。それよりも今は薙刀だ。さっきも言ったが動きは悪くないのにどうして打ち返さない? 女子が相手だから遠慮してるのか?」
「いえ、女子とか関係なく攻撃が苦手……。ううん、いやなんです。素手で殴られるのだって痛いのに、まして武器なんか使ったらもっと痛い。そう考えると、とてもじゃないですけど攻撃なんてできません」
 
 これは極めてまともな考えだ。普通の人間は人間を攻撃することをためらう。長年格闘技をやっている者でも、ケンカで相手を本気で殴ることはむずかしい。無意識に力をセーブしがちだ。
 秋芳は『ならなんでボクシングなんて習おうとしたんだ?』などというツッコはしなかった。桃矢は純粋に強くなりたかったのだろう。華奢ではかなげな外見、その容姿にコンプレックスをいだいていることは想像にかたくない。桃矢は単純に強くなりたかっただけだ。
 暴力はいや。これは桃矢の持つ同調能力。精神を共有することで人の気持ちに触れてきた桃矢だからこそ持つ、優しさなのだ。
 優しいことは悪いことではない。

(そういえば『強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない』なんて言葉もあったな。はて、だれの科白だったか?)
「あの……、賀茂先生?」
「おお、すまん。ちょっと考え事をしていた。よし、ならばせめて攻撃されない。守りの技を教えよう」
「薙刀の技を知っているんですか?」
「いや、教えるのは薙刀じゃない、反閇(へんばい)の禹歩だ」
「禹歩!? 霊脈をもぐって長距離を移動する帝国式陰陽術の超高等呪術じゃないですかっ!」
「いや、そんな説明口調で驚からなくても」
「いきなり禹歩とか、驚きますよ。ていうか無理です。僕に禹歩を使いこなす霊力はありません」
「霊力がないなら作ればいい。というか今から教える禹歩はその禹歩ではなく、本来の禹歩に近い禹歩だ」
「本来の禹歩?」
「そう。いきなり帝式の禹歩をおぼえろとは言わん。夏王朝の創始者である禹王がもちいたとされる歩行術としての禹歩を教える」
「歩行術、ですか……」
「反閇というのは魔除けや清めの効果の他、山中の移動や仙薬作り、兵を避け悪霊を退ける、鬼神の召喚、病の治療、長寿の祈願などなど、様々な局面で使用される、非常に汎用性の高い呪術なんだ。用途や併用する術によって様々な種類が存在する。その中でも兵馬刀槍を避ける禹歩をこれから教える」
 そう言って数枚の簡易式を投げると、それらは地面に落ちて複数の足跡を描いた。足跡には左1、右2、左3……。というように漢字と番号が書かれている。
「まずは基本の足運びから。ゆっくりでもいいから確実にその順番通り、左右の足をまちがえないように踏んで進むんだ」
「わかりました」

 桃矢はまず左足を踏み出し、次に右足を前に出し、左足を右足にそろえて立つ。右足を先に出し、左足を踏み出し、右足を左足にそろえる。そしてまた左足から先に踏み出していくという、同じ歩き方をくり返して進む。
 進むにつれ単調な動きはやがて少しずつ変化のある動きに変わっていく。左右の足を交差させたり、横にずれる動きもあった。
 歩き終わると足跡は自動に反転し、番号が変わる。端から端へ同じ行為の繰り返し。

「よく『日本に伝わった禹歩が反閇と名を変えた』なんて言われるが、禹歩は反閇を構成する呪術の一つで、反閇はそれ以外の呪術もふくんだ一連の儀式のことだからな。テストに出るかも知れないからおぼえておくように」

 言いながら桃矢の動きを見る。素人が慣れない動きをすれば軸がぶれ、上半身が揺れて安定しないのだが、そのようなこともなく綺麗な姿勢で移動をしていた。

(うん、やはり基本はできている。ボクシングとか刀道とか習おうとするくらいだし、この子にはそっち方面の術を教えて、自信をつけさせよう)

 武術はもっとも実践的な魔術の一つ。京子には自分の知る〝呪〟を教えた、桃矢には〝武〟を教えてみたい。いつしか秋芳はそのような気になっていた。

「桃矢、いつかは帝式の禹歩も使えるようになりたいだろう? それには高い霊力が必要だ。立禅という身心を鍛える修練法があるから――」

 秋芳は時間いっぱいまで桃矢に指導し、今日の授業は終わりをむかえた。





 夕刻。渋谷区某所にある区営プール。
 水の抜かれたプール内は黒ずんだカビやコケ、藻のようなもので汚れ、ぬかるんでいる。
そんな汚れた床をデッキブラシでこすり洗いする巫女たちの姿があった。

「あーっ、なんで神に仕える神聖な巫女が区営プールの掃除をせにゃならんのだ! 巫女は便利屋さんじゃないんだぞ! もうっ!」
「あらあら、うふふ。紅葉さんてば、これも人々のために神に代わって尽くす、巫女のお務めですわ」
「……そういう珊瑚、あなたなんちゅう破廉恥な格好をしてるんだ!」

 ブラとスカートに分かれたベリーダンスの衣装のようなツーピースの水着なのだが、スパンコールやビーズが多用されておりキラキラと輝いている。そのため露出自体は少ないのだが、妙にいかがわしい。

「うふふ、せっかくのプールですし気分だけでもと思いまして」
「あはははっ、もみもみだって水着持ってきてるくせに~」
「な!? そ、それはその……。掃除が終わった後にちょっとだけ水に入ろうかなぁと……」
「あらあら、みんな考えることは同じですわね」
「それじゃあさっさと終わらせようよ!」
「よし! では四人で清掃範囲をきっちり決めて効率よく進めよう。0コースから4コースまでを私が、5コースからは朱音が、珊瑚と桃矢はそのままプールサイドを分担して掃除して……、桃矢。聞いてるのか? 桃矢っ」

 プールサイドで一心不乱にブラシ拭きをしている桃矢は先ほどの授業中、秋芳から言われた言葉を脳内で反芻していた。

 曰く。
 ミット打ちや組み手といった、だれでもできる訓練でも人によって大きな差が出る。なぜか? 技術が上がっていく人はどんな練習も漫然と流れ作業的におこなうのではなく、様々な試行錯誤をして考えながら練習しているからだ。
 一日じゅう起きている間のほとんどが鍛錬も兼ねていると思え。食事の姿勢や椅子の座り方。服を着る、脱ぐ。などなど……。これらの動きの一つ一つを意識し、どうすればより効率的に身体を動かせるか。そういうことを考える人間と考えない人間には、小さいが決定的な差が生じるものだ。
たとえば窓拭きも手先の動きだけでやるとすぐに疲れてしまうが、腰や膝などの下半身も動かして上半身の動きと連動させると疲れにくく、全身の力が拭いている手に集中するからしっかりと拭くことができる。
 これは全身を連動して力を一点に集中するという武術の技にも共通することだ。
 前から何人も連れ立って歩いて来た時に隙間を見つけてギリギリのところですり抜けるのは体捌きに通じる。
 某アニメーターは動体視力を鍛えると称して、オートバイでトラックやバスの隙間をすり抜けることをしていたそうだ。
 暮らしの中に修行あり。
 『ベスト・キッド』の修行はちゃんと意味があるんだよ! ワックスかける、ワックスとる。服を脱ぐ、服をかける、服を着る。あれも立派な修行なんだよ!

 最後のほうはなんかちがう気がしたが、おおむね理解できた。

(暮らしの中に修行あり……、ポイントなのは体重。重心の移動と手足の動きを連動させることで末端の手足に重みをつけさせること……)
「桃矢―っ!」
「わっ!? な、なんですか?」
「『なんですか?』じゃない! なにをボーッとしてるんだ」
「すっ、すみません。お掃除に夢中で聞こえませんでした」
「あらあら、桃矢さん。一意専心もいいですけど、周りにもきちんと気をくばってくださいね。……この水着、そんなに気にならないですか?」
「え?」
「これでも、けっこう自信あるつもりなんですよ」
右手で胸を、左手でへその下をなぞるように押さえる。サンドロ・ボッティチェリの描いた『ヴィーナスの誕生』のポーズだ。
「私、男の子の前でこんな大胆な水着姿になるの、始めてなんですよ」
「え、ええっと……」

 三亥珊瑚。ゆるいウェーブのかかった栗色の長髪に、ととのった顔立ち。どことなく緩んだ表情が愛嬌を感じさせる。
 そして、ほのかな色気も。
 普段はおっとりとした雰囲気の彼女だが、こうして水着姿になると、やはり年相応の、いやそれどころか同年代の少女の平均にくらべれば、それ以上の艶っぽさが出てくる。それでいて清楚さを失っていないというのも特筆すべきだろう。
 こういうのは苦手だ。
 いったいどう反応したらよいのだろう?
 などと逡巡している間にも無意識のうちに視線が珊瑚の胸と脚のつけ根の間をなんども往復し、カラダのほうが反応してしまい……。

「あらあら、桃矢さん。どうしたんです? そんな急に前かがみになって」
「こ、これはその、なんと言うか……。熱膨張と言いますか……」

 女子は残酷だ。
 午後の授業のような肉体的な責めもきついが、こういう精神的な責めもつらい。

「こらぁ! 珊瑚、なにビッチってるんだ、桃矢が困惑してるだろうが。からかうんじゃない!」
「ひどい! ビッチじゃないですぅっ。だって私まだ生娘なんですよ」
「生娘ビッチめ!」
「紅葉さん、ひど~い!」
「……ねぇねぇ、思い出したんだけど」
「ん? なんだ朱音?」
「この案件て、二隊で掃除するって掲示板に書いてあったけど、もう一隊の人たち、汚いよね?」
「む、そう言えば来てないな」
「来てませんわね」

「来てるわよ」

 !?

 緋組拾参番隊一同が声のほうへ目をむける。
 巫女クラスの制服を着た女子が三人。
 ふたつ結びのおさげ髪を胸の前にたらした四王天琥珀、長い黒髪に狐面のアクセサリーが映える七穂氏白亜、大正時代の女学生のようなロングヘアーに大きなリボンの十時眞白。
 そこにいたのは白組壱番隊だった。

「さっきから、ずーっといたんだけど気づかなかったみたいね。あんたたち、ちょっと鈍いんじゃない? もう少し見鬼を磨いたらどう」
「こそこそと穏形して様子をうかがうとは、心にやましいことがある証拠だな」

 紅葉と琥珀。両者の視線が中空でぶつかり、見えない火花を散らす。

「あの、珊瑚さん。あの二人ってなんかあったんですか?」
「ええ、ちょっとした因縁が……。琥珀さんたちとは入学当初のある事件をきっかけに、いがみ合うようになってしまいまして……」
「でもそんないがみ合いも、もうおしまいだよ! だって拾参番隊は桃矢ちゃんが入って四人組にパワーアップしてるんだから! ガンガン成績上げてだれにも文句言わせないもん!」

 彼の名が出たことで桃矢に視線をむける琥珀。

「その桃矢くんだけど、なにか隠してるでしょ? 私の目にはわかるわ。あなたの奥底に眠る不祥な霊圧になにか変化があったことが」
「……おい、琥珀。無駄話してないでさっさと片づけよう」
「白亜ちゃんの言うとおり、早々にすましてしまいましょう」
「ん、そうね」
「おやおや、ずいぶん簡単に言ってくれるじゃないか壱番隊のみなさん。プール掃除とはいえども案件は案件、これも神託のうちだ。社を守る巫女として掃除は基本中の基本。おざなりではこまるぞ」
「そう言う拾参番隊は『おざなり』どころか『なおざり』じゃない? ずいぶん汚れが残ってるけど」
「そ、それは今さっき始めたばかりだからだ。仕方ないだろ」
「せっかくだからどちらがより汚れを払えるか勝負しましょうか?」
「いいだろう、望むところだ!」
「ふふ、言ったわね」

 琥珀は袖口から数枚の呪符――簡易式符――を取り出す。

「それじゃあ呪術はお掃除にも使えるというところを見せてあげるわ。――急急如律令(オーダー)

 あらかじめ術式を組み込んでいたのだろう、式符の一枚一枚が琥珀自身の姿を象り、プール内に顕現した。その手にはご丁寧にもデッキブラシが握られている。

「さぁ、式たちよ、主命である。陰なる穢れを祓えっ、散!」
 0コースから10コースまでを一気に拭き上げ――ようとするも、その動きはまるでスローモーションのように緩慢で遅い。

「ぜぇぜぇはぁはぁ……。さ、さすがに十体同時に操るのは骨が折れるわね……」
「琥珀、そんなにいっぱい呼び出すからだ……」
「そうですよ、こういうのは精度も大事なんですから」

 言うと白亜と眞白も自身の姿をした簡易式を呼び出し、清掃に入る。

「負けませんわ」
「そっちがそうくるならこっちだって!」

 壱番隊に倣い、拾参番隊の面々も簡易式を打って清掃に入った。

「ええっと、僕は普通にお掃除しよう……」
呪術を交えたお掃除合戦を横目に、重心を意識してのモップ拭き作業に入る桃矢だった。




 
 およそ三十分後。

「え~い、なぜ落ちない!」
「ほんとしつこい汚れ……」

 総勢七人で呪術まで使い、競うように掃除しただけあり、清掃はあらかた終わった。だがプール内の一カ所。緑色の喪が生い茂り、そこだけ濁った水たまりのようになっている所があるのだが、この汚れが頑固でなかなか落ちないのだ。

「これ、いくらなんでもおかしいですわ……」

 ふと、きのうの餓鬼のことを思い出した桃矢は見鬼を凝らしてその汚れを『視て』みた。
 かすかだが霊気のバランスがくずれ、瘴気を発している。

「みなさん、よく見てください。この汚れ、霊災です!」
「なんですって!?」 

 女子たちも見鬼を意識して汚れを視る。

「たしかに、瘴気が出てる。うかつだったわ、巫女クラス一の呪術姫であるこの四王天琥珀が目の前の霊災に気づかないなんて……」

 もっとも正確には自然レベルでの回復を見込めない霊気の偏向、災害へと発展する直前の段階であるフェーズ1であり、霊的災害ではなく、その前段階だ。

「普通に洗った程度じゃ落ちないわけだ。よし、修祓してやる!」
「そうだね! こっちは七人もいるんだし、八陣結界とかできるかも」
「……拾参番隊のお猿さんは計算もできないの? 七人でどうやって八陣を組むのよ」

 八陣結界。対象を囲むように八人の術者を配置し、詠唱し術式を発動させることで術者同士を霊気が結び、内部のものを閉じ込め浄化する。遁甲術に属する修祓呪術。

「う~ん、一人くらい欠けても、みんなで力を合わせてなんとかならない?」
「「「ならない」」」

 これには緋組と白組、双方の面々から否の言葉があがった。呪術とはそのようなものではないのだ。

「七人か……、そうだ! 北斗七星陣を試そう」
「ええと、紅葉さん。授業で習ってない術を生徒だけで試すのはちょっと危険ですわ……」
「乳眼鏡の言うとおり。ここは基本に忠実に霊災を隔離する結界を張ってから、霊気の偏向を正しましょう。じゃあ私たち壱番隊が結界を張るから、拾参番隊は修祓のほうをお願いね」
「こら琥珀、なんでおまえが仕切るんだ!」
「ち、乳眼鏡って……」
「霊災は霊気に慣れ親しむ者ほどより敏感に影響を受けるのよ。あなたたちに瘴気を受けつつ冷静沈着に結界を維持することができるかしら? 長丁場になるかも知れないのに」
「それは……」

 自分と珊瑚はともかく、朱音と桃矢にはむずかしい。

「紅葉さん、ここは琥珀さんの言うとおりだと思います」
「く、わかった。その段取りでいいだろう」
「決まりね、それじゃあ……、修祓開始!」





「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や――」
「布留部、由良由良止、布留部――」
「神火清明、神水清明、神風清明。祓いたまえ浄めたまえ――」

 巫女たちがそれぞれ得意の呪をもちいて霊災修祓に立ち向う。

「ううっ、気持ち悪いよぅ……、おえっぷ」

 彼女たちの呪に反応して緑色をした水たまりが沸騰するかのように泡立ち、瘴気をともなう異臭を放っていた。粘性の高い気泡が弾けるたびに空気中に毒の胞子がまき散らされている。その毒々しい様を見ていると、いやでもそのような想像が浮かび上がってくる。

「朱音、無理するな。下がれ。深呼吸、はかえって吸い込んでしまうのか? とにかく息をととのえるんだ」
「これが霊災の修祓……、なかなかハードね」
「く、とっとと浄められなさいよ、もう」

 座学でなんども習った霊災修祓だが、いざ実践となると勝手がちがう。
炎天下の激しい日差しが肌を刺すように、熱気にあぶられるように、周囲に満ちた瘴気が身心を蝕む。

「フェーズ1程度でもこんなに厳しいなんて……。桃矢、平気か?」

 緋組拾参番隊のリーダーを自負する紅葉が朱音の次に桃矢の身を案じてそちらに目を向ける。

「天、地、元、妙、行、神、變、通、力――」

 一心不乱に神呪を唱え、九字を切っていた。他の巫女たちが瘴気の影響を少なからず受けて苦しみ。グロテスクな姿を見せる霊災から目を背けるなかで、桃矢だけが霊災をまっすぐに見つめ、毅然としている。

(も、桃矢? あいつ、こんなに頼もしかったか? な、なんだかかっこいいぞ……)

 霊災らしい霊災に遭遇したことはほとんどないという意味では桃矢も他の巫女と変わらない。だがつい昨夜、餓鬼に相対した桃矢には一日の長があった。
 あの時の餓鬼の群れにくらべれば大したことはない。そう自分に言い聞かせている。
汚いもの、醜いものから目をそむけてはいけない。それらを祓い清め、鎮めるのが巫女だ。目を閉じていたら修祓はできない――。
 昨夜の餓鬼修祓のさいに秋芳から言われた言葉。それを脳裏に浮かべてひたすら修祓に専念。
だが見ることは見られること。
桃矢は霊災の、瘴気の渦にひそむ存在と目があってしまった。
 
 !?

 次の瞬間、霊災からのびた真っ赤な触手が桃矢の腰に巻きつき、ものすごい怪力で緑色の水たまりへと引きずり込む。

「と、桃矢っ!?」

 とっさに床の縁にしがみつこうとするが、それもかなわなかった。
 紅葉たち他の巫女たちが見ている前で、桃矢は瘴気の渦へと飲み込まれてしまった。 
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