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Element Magic Trinity

作者:緋色の空
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聖夜に祝福を


これは、いつかの日の話。
これは、いつか来る日の話。



「……嘘でしょ…」

マグノリアの図書館。最近建物が新しくなったその場所の、奥の方の本棚の前。
古くはないが特別新しくもない本に目線を落としていたティアが、ぽつりと呟いた。見間違いかと思ってもう一度見るが、書いてある内容は変わらない。

「…やっちゃった……!」

らしくない弱り切った声が、場所に考慮してか小さく響いた。






「うわあ…!」
「立派なツリーですね!飾り付け楽しそうです!」
「まあ飾っても当日までに何度も飾り直すんだけどね、皆が騒ぐうちに結構な数落ちちゃうから」

ギルドの倉庫から数人がかりで運び出されたそれに、ウェンディとココロが感嘆の声を上げた。初めて見るそれにルーシィも自然と目が輝き、いつものように隣にいるルーが「もうこの時期かー」と笑う。
どすん、と重量のありそうな音を立てておかれたそれ―――やたらと大きいクリスマスツリーは、ギルドの端の方に置かれているにも拘らずかなりの場所を占めていた。朝からいくつかのテーブルが撤去されているのを見て不思議に思っていたが、こういう事だったのかと納得する。
年中お祭り騒ぎでイベント事には飛びつく妖精の尻尾(フェアリーテイル)だ、クリスマスだって派手に騒ぐ事になるだろう。ツリーのサイズと、あれこれと出される飾りの数がその根拠だ。

「クリスマス…ジュビア、グレイ様と二人っきりで……!」
「あー、それ多分無理だ。クリスマスはイヴも当日もぶっ通しで宴だろうからな、毎年そうだし」
「ジュガーン!それ本当ですかアルカさん!」
「付き合ってからクリスマス当日デートとかした事ありませんけど何か?つか揺らすな酔う、ナツじゃねえけど酔う」

赤く染めた頬を両手で押さえながら妄想に浸るジュビアを、アルカの一言が現実に引き戻す。胸倉を掴んでがくがくと揺らされるアルカの顔色が少々悪くなりかけたところで、正気に戻ったジュビアが恐縮しながら手を放した。
因みにアルカの場合、デートしようと思えば出来なくはない。ギルドの全員が良しとしてくれるのは目に見えているし、もし反対意見があったとしてもティアが叩き潰すだろう。それでもデートしないのは、お互いにギルドが大事でギルドでも会えるのと、そういう特別感のある日にデートに誘う度胸がアルカにないだけだ。ヘタレめ、と毎年ティアは言う。今年も言われるだろう。

「ギルドで宴ですか?何かいつも通りな気も…」
「まあそうだな。あちこちでプレゼント交換があるのと、多少飯が豪華なくらいで」
「ご飯が豪華なんですか!」
「あ、ああ。所謂クリスマスの料理というか、ターキーだの何だのと……すまない、料理には詳しくないからあまり名前は解らないんだが…」
「いえ全然!むしろ当日への期待が高まります!…あ、ライアーさんにもプレゼント用意しますね!日頃お世話になってますから!」

大食い対決ならナツと互角のアランが食事に思いを馳せる横で、ライアーが毎年毎年のとある悩みに頭を捻っている事には誰も気づかない。
……気づいてはいないが「あれ?もしかしてクリスマスに告白とかそういうロマンチックな事しようとしてるのかアイツ。多分無理と見た。自覚あるだろうし考える訳ねえか」と九割方的を射ているスバルならいる。序でに自分でも一瞬考えて即座に無理と判断していたりする。

「ふふ…今年も最高のケーキを作る為に材料を集めにいかねばな」
「ケーキも手製か?」
「ああ。毎年私がフィオーレ中を回って材料を集め、それを使って料理の出来る面々がケーキを作る。……そういえば、ヴィーテルシアも料理が出来たな」
「得意分野だ。…任せておけ、とっておきのケーキを作ってみせるさ」
「頼んだぞ!」
「そっちこそ」

こう見えて甘いもの好きなエルザと、ああ見えて甘いもの好きな相棒を持つヴィーテルシアが、何やら同盟でも組んだのか固い握手をしている。大きく頷き合っているのを不思議そうに眺めていたルーは、顔を横に戻して「ねえねえ」と声をかけた。

「ルーシィは、クリスマス空いてる?ギルド来れそう?」
「予定はないし、出来たとしても入れないわよ。凄く楽しそうだし!」
「よかったあ!せっかくのクリスマスだもん、ルーシィに会えなかったらどうしようかと思ったよう」

ニコニコと笑ってさらりと乙女心をくすぐる言葉を吐くのはいつもの事。それでもやっぱりまだ慣れなくて、少しの照れから「そ、そう」と返事が軽く引きつった。
まあその直後に「プレゼントも用意するよー、何がいいかな。金一封とか?」と抜けた事を言う辺り、カッコいいとは言い切れないのだけれど。

「ガジル様は、鉄板と鉄パイプでしたらどちらがお好みですか?」
「食えりゃ一緒だ、あとはサイズによる。錆が多いのは止めろよ、味が悪ィ」
「なるほど…解りました。このシュラン・セルピエンテ、ガジル様のお眼鏡に適う品を当日までに用意して参ります!…リリー様は、何がご希望は?」
「ふむ……特にはないな」
「そうですか、でしたら私の方でご用意します。…ええと、レビィ様は……」

きょろ、と視線を周囲に彷徨わせたシュランは、特に苦労もなく探し人を見つけ、

「やっぱり鉄かあ…せっかくのクリスマスだし、もっと違うものあげたいんだけど……い、いや、他意はないし!ただ仲間としてというか、いつもありがとっていうか…!」

その探し人は、何やらぶつぶつと喋っていた。

「レビィ様?独り言ですか?」
「ひゃう!?…あ、シュランか」
「申し訳ありません、お忙しそうなところを」
「いや、全然忙しくはないけど…どうしたの?」
「あ、えっと…その、ですね」

もごもごと、言いにくそうに視線を逸らす。レビィが首を傾げた頃、意を決したように拳を作って、照れくさそうに頬を薄く染めてシュランは口を開いた。

「く、クリスマスの贈り物を……その、何か欲しいものは、ありますか…?」

言いにくそうにしていた割に大した事でもない一言にぱちりと瞬きをして、レビィはふと思い出した。いつかに語ってくれた彼女の過去。誰も彼もから忌み嫌われ、友人と呼べる存在もなく過ごした幼少期。支えてくれた青年や今でも慕い続けるガジルはいても、シュランはきっと彼等を友人とは呼ばないだろう。そういう子だと、レビィはずっと前から知っている。
それを知った上でシュランの一言を思い返せば、だから言いにくそうだったのかとすぐに理解出来た。

「そうだなー…あ、シュランは何か欲しいものある?プレゼント交換しようよ!」
「え、あ、あの、…お、恐れ多いですレビィ様……!」
「もー、そんな風に考えなくていいんだって。友達にプレゼントあげたいって思うのは当然でしょ?」

そう言えば、今度は彼女がやや面食らったように瞬きを一つして、それから嬉しそうに微笑んで頷いた。







と、ギルドのあちこちでクリスマスの話題が出る中、一人全く違う事に頭を全力フル回転させている奴がいた。

「ふむ…むぅ……」

群青色の髪に同色の目、顔は悪くない上に性格もいいのにちょっとどころかかなり残念な青年、今日もシスコンロードを最高速度で爆走中のクロスである。
薄い唇をへの字に曲げ、眉を寄せて何やら考え込んでいるらしい。組んだ腕を解いてはこつこつと人差し指で机を叩き、また何か納得のいかなさそうな声を漏らして腕を組み直す。時折何かを思いついたのかぱっと表情を明るくもさせるのだが、すぐに何かに気づいたかのようにはっとして、また考え込む。先ほどからこれの繰り返しだ。

「クロス?何かあったのか?」
「ああ…いや、あったというか、先の事というか……」
「考え事?お魚食べる?」
「……気持ちだけ受け取っておく」

差し出しながらもその目はしっかりと魚を見ていて、そんなハッピーの様子にクロスは苦笑しながら軽く手を振った。「そっかー」と答えるやすぐに齧り付いた辺り、自分で食べようと思っていたものをくれようとしていたのだろう。

「で、どうしたんだよ。お前がそんなに考え込むって事は、まあ予想はつくけどよ」
「姉さんの事なんだがな」
「だよな」

それ以外ねえよな、とグレイが頷く。その上半身が何も着ていないのはいつもの事なので敢えて指摘はしない。長方形のテーブルのベンチ席、クロスの右隣にグレイ、向かいにナツでその隣にハッピーという珍しい三人と一匹組である。
因みに今、クロスを悩ませている姉はギルドにいない。同居するヴィーテルシア曰く「図書館で借りた本の返却期限が今日だから、返してから来る」そうだ。「返すついでにあれこれ読むだろうから昼頃まで顔を出さないかもしれない、と伝えておいてと言われた」とも言っていた。でもってエルザはクリスマスのケーキに今から集中していて、つまりはナツとグレイの喧嘩を止める人は特にいない。が、いざいがみ合いかけた二人の視界に悩ましげなクロスがいた訳で、相手への苛立ちよりも彼への心配やら興味やらが勝って今に至る。

「ほら、もうすぐだろう?」
「何が?」
「…ドラグニル、まさかお前からそう言われると思わなかった」

即座に聞き返したナツに、呆れを滲ませた声でクロスが返す。それとは逆にグレイは「ああ」と思い出したように頷き、ハッピーも魚を頬張りながらこくこくと頷いた。

「十二月二十五日、といえば?」
「クリスマスだろ?」
「それ以上に大事な日だろうドラグニル!忘れたとは言わせんぞ!」
「忘れた」
「ああああああああああああ!」

ガタン!と派手に音を立てて立ち上がり、更に絶叫。ギルド中の視線がクロスに集中する。だが本人はお構いなしに、びしっとナツに指を突き付け真剣な声色で言った。

「いいかドラグニル、その脳にしっかり刻めよ」
「お、おう」
「十二月二十五日は―――――姉さんの、誕生日だ」



…。



……。




……あ。




「そういやそうだった―――――!」
「完全に忘れていたなお前!何をどうしたら姉さんの生まれた記念すべき日を忘れられる!?姉さんが、俺の姉としてこの世界に生まれてくれた日だぞ!?ああ…姉さん、俺はあなたの弟で幸せだ……あなたが姉である事がこれ以上ない幸せだ……!」

思い出して叫ぶナツ、誰もいない斜め上を見上げて手を祈るように組むクロス、「マジで忘れてたのかコイツ」と呆れ顔のグレイ、魚を食べ終えたハッピー、初めて聞いた相棒の誕生日にとんでもない速さでこちらを見たヴィーテルシア、何でかその場にしゃがみ込んだライアーにそれを心配するアラン、「あ、アイツクリスマス云々じゃなくて誕生日に告白しようと考えてたのか。多分無理だな」とやはり的を射た考えを巡らせるスバルと、その瞬間ギルドのあちこちであれこれと起きていた。ティアの影響力やべーな、とアルカが密かに思う。

「え、ティアの誕生日ってクリスマスなの?」
「ジュビア初めて聞きました!うう、知ってたらもっと早くからプレゼント考えたのに……!」
「はっ、そういえばそうだったよう!」
「シュトラスキーお前もかああああああ!」
「僕の記憶力ナメないでよね!アルカの誕生日だって覚えてるか怪しいんだから!えーっと…六月十六日、だっけ?」
「六月十九日よ」
「というかそれ胸張っていう事じゃないから!」
「いやー、ミラが覚えててくれたとは嬉しいなあ!」

はははー、と笑って見せるアルカだが、内心ではルーに誕生日を覚えていてもらえなかった事にかなりショックを受けていたりする。因みにそんなルーの誕生日が五月二十八日である事を、アルカはバッチリ覚えている。

「初めて聞いた…ティアの誕生日が、今月だったなんて……全ては事前に調べておかなかった俺の責任だ……許せクロス、俺が悪いんだ……!」
「お、落ち込まないでください、ヴィーテルシアさん!今から出来る事をしましょう!ね?」
「そうですよ!クロスさんだって怒ってませんし…」
「今年こそ…今年こそ……いや無理だ俺にそんな度胸はない!十秒目を合わせるのがやっとな俺が、アイツの誕生日に、しかも周りがカップルだらけの日に告白などっ……不可能だ無理だ出来ると思えない!」
「だ、大丈夫ですよライアーさん!きっと出来ます、きっと上手くいきます!ティアさんだって、ライアーさんの事嫌いじゃないでしょうから!」

がっくり項垂れるヴィーテルシアに、しゃがんで頭を抱えたままぶつぶつとネガティブに呟き続けるライアー。ウェンディとココロ、アランが懸命に励ましているが、立ち直る様子はない。というかギルドの中でも幼い方である三人に励まされる年上ってどうなんだ、とスバルの向かいでヒルダは思った。

「…む?」
「どうしたローアストル」
「ティア嬢の誕辰なら、それはクロス殿の誕辰でもあるのではないか?双生だろう?」

不思議そうに首を傾げたラグナの疑問に、「ああ」とクロスは頷く。

「そうだな、俺と姉さんは双子。姉さんの誕生日であるという事は同時に俺の誕生日でもある。だが俺の事などどうでもいい、俺の事こそ忘れ去ってくれて構わん。俺を祝う余力があったらその分姉さんを祝ってくれ、それが俺への祝いになる」
「毎年それ言うよね、クロス君」
「むぅ。クロス殿がそう述べるなら、私はティア嬢を慶賀しよう。…だが、クロノヴァイス殿の降心は皆無なのではないか?」
「その通り!あとついでにオレの事はクロノでいいぞラグナ!」
「!」
「あ、クロノ君」

弟妹大好き兄貴が納得しないのでは、と危惧したラグナの背後。いつの間にかギルドに来ていたらしい、いつも通りの制服姿のクロノがテーブルを強く叩きながら立ち上がった。びくりと震えたラグナは咄嗟に近くにいたグレイの背後に隠れ、サルディアは特に驚く訳でもなく微笑んでいる。

「いたのか兄さん」
「相変わらずオレへの扱いが雑気味だなクロス、だがその分ティアに愛情が行くなら良し!」
「いいのかそれで!?」

この兄弟の考えが時々どころか割としょっちゅうよく解らない。今も解らない。

「つかお前、また仕事サボって来たのか?いい加減クビになるぞ」
「いや、今回に関しては丁度この辺りで仕事。何か違法な魔法薬に手出してる奴等のアジトがどうだとか何とかで、今さっき全員逮捕してきた。で、そしたらラージュ…あ、部下な。ラージュが、“そういえば隊長がいたギルドってこの時期クリスマスツリー飾るんでしたよね、妹さんと弟さんに会いに行くついでに見てきたらどうですか?”って言ってくれてさあ。ならお言葉に甘えようかな、と」
「因みにその一言がなかったら?」
「無断で来た」
「解釈したぞ師匠、そのラージュとやらはクロノヴァイス殿の接伴が老巧なのだなっ」
「ツリー云々言ってんのに本題がティアとクロスだって解ってる辺り、流石だよなあ」

というかこんな隊長でいいのか評議院。その一言は敢えて飲み込んだ。

「オレにとっては二人とも大事な妹と弟だからな、そりゃあ二人の事を盛大に祝うに決まってんだろ?あ、二十五日はもう休み入れてあるから、朝からギルドにも顔出すよ」
「ナギさんも一緒に?」
「一応声はかけてみるけど、アイツはアイツで青い天馬(ブルーペガサス)の昔馴染みから誘われそうだしなあ……ま、聞いてはみる」

かつては青い天馬(ブルーペガサス)の魔導士、今は彼が隊長を務める第一強行検束部隊の一員として働く黒髪の女性。一度会った事のある姿を思い出しながらサルディアが問うと、少し考えながらそう返答があった。せっかくのクリスマスに恋人が自分より弟妹を優先している事に何か言ったりしないのか、と考えて、それでカリカリしていてはクロノとは付き合えないかと納得する。「それがクロ君だから」と笑って見せる姿まで想像出来た。

「で、ティアは?誕生日プレゼント何がいいか聞きに来たんだけど」
「今日は未だ目視は皆無だ」
「…えっと?」
「まだ見てねえってさ。図書館寄ってから来るから、しばらくかかるんじゃねえの?」







「…?」
「どうしたラクサス」
「何かあったのかよ?」

特に問題もなく仕事を終え、ラクサスは雷神衆と共にマグノリアに帰って来ていた。列車を降り、駅を出て、「そういえばもうすぐクリスマスね、ツリー飾ってるかしら」とエバーグリーンが街の装飾を見回して言うのを聞きながら、つられるように視線を小さく回して、その中にふと映り込んだ姿に目を止める。
無意識に足を止めていたようで、少し先を行ってラクサスが動いていない事を疑問に思ったらしいフリードとビックスローが声をかけた。カヨー、カヨー、と人形がビックスローに続く。

「あれ、ティアじゃねえか」
「ん?…ああ、そうだな。そう…だよな……?」
「何か…顔暗くない?いつもだったらもっと…明るいって訳じゃないけど、ねえ?」
「ラクサスはともかく、オレ達にも解るって相当だぞ。なあベイビー?」

フリードとエバーグリーンが言葉に詰まるのも無理はない。何せティアといえば、相手に感情を悟らせないポーカーフェイスがデフォルトなのだ。普段から何かといがみ合うナツや昔馴染みのラクサス、弟のクロスに兄のクロノ、相棒であるヴィーテルシア辺りなら、ほんの僅かの崩れでも解る。けれどこれは、日頃接する機会の少ない彼等でさえ一度見て気づいてしまうほどの、誰が見ても解ってしまうほどの崩れだった。だからフリードはあれが本当にティアなのか断言を避け、エバーグリーンは何を言えばいいのか迷うように濁らせ、ビックスローは軽く困惑さえしてしまう。
一瞬「珍しい事もあるな」と思ったラクサスだったが、思うと同時に足は動いていた。あの、いつだって無表情なアイツがここまで暗い顔をするなんて、余程の事があったのだろう。昔ならともかく、今のラクサスはそんな昔馴染みを見ていながら放っておくほど冷徹ではない。そして声をかけられて冷たくあしらうほど、今のティアは人付き合いを拒絶していないのだ。

「おい、なんて顔してやがる。…大丈夫か?」
「……ああ、アンタね」

声をかけられてしばらく間を置き、それでようやく気付いたとでもいうように顔が向けられる。らしくない。普段の彼女なら、こちらが声をかける前にはもう気配だの足音だの匂いだのを材料に相手が誰だか特定しているだろうに。

「顔色悪いぞ。風邪か?」
「体調は万全よ、というか何?私、そんな不健康そうかしら」
「いや、何つーか…暗い顔してっから」
「はあ?」

口の悪さはいつも通り。だがこれは判断材料としては決め手に欠ける。その気になれば、状態も状況も問わず普段と同じ喋りくらいやってのけるのがティアだ。

「そうよ、私達にだって解るもの!…何かあったなら言いなさい、言ったら楽になるかもしれないでしょ?」
「そうだぜティア!仲間の為ならオレ達雷神衆、一肌脱ぐぜえ?」
「オレ達に出来る事は限られているが、出来る限りの事はしよう。…あまり暗い顔をしていると、クロス達も心配するぞ」
「……クロス、ね」

あのティアの明らかな不調に雷神衆も声をかける。が、フリードの一言でティアの顔がまた更に暗さを帯びた。目を伏せて、やや落ちたトーンで弟の名前を紡ぐ。

(クロスと何かあったのだろうか)
(喧嘩でもしたんじゃないの?……待って撤回。それはないわ)
(あのクロスがティアを怒らせる訳ねえ、逆だってそうだ。なあベイビー)
(逆に関してはクロスがコイツに関してキレねえって意味だけどな)

その態度からして、何かしらであの年中無休シスコンが関わっているのは明らかで。ひそひそと声を限界まで小さくして四人は考えられる限りの想像を働かせる。……とはいえ、この姉弟は仲はいいし弟が姉の様子には目を光らせているはずだから、姉の地雷を踏み抜いたとも思えない。姉の方が踏んだとしても、あの弟だ。「姉さんなら問題ない、許す以外の選択肢は存在しない!」と四人の脳内で断言する光景まで浮かべられる。何故ドヤ顔なのかは謎だ。
となると、と考えて、至る。ティアは物事に深くこだわらないが、一度考えると時々悪い方向にばかり思考が行きがちなところがある、と。更にそれが大切な兄弟や相棒の事となると、歯止めが効かなくなる時もあるのだ、と。

「別に、大した事じゃないのよ」

考え込んでいた彼等に、沈んだ声のままティアは言う。

「……ただ、私が駄目なお姉ちゃんだってだけ」









「駄目な姉?…姉さんが?え、少し待ってくれ。言葉の意味が理解出来ない。姉さんのどこを見てダメと言えるのかが解らないというかダメと姉さんを繋げて言葉になるとか有り得ないというか、姉さんがダメなんてそんな訳ないだろう!?姉さんがダメならそれ以外は塵以下だぞ俺の主観では!可愛らしく美しく、スーパークールでハイパーキュート、完璧なルックスに冷静ながら天然な性格、流れる青髪煌めく瞳、白雪の肌!魔導士としてだって超優秀万能有能天才的努力の人!そんな姉さんのどこがダメだ!?俺にとっては最高の、最強の、最上の、頂点中の頂点だぞ!?パーフェクトとは姉さんの為の言葉だろうと十四歳まで信じて疑わず、今はそうではないと知ってはいるが姉さんと並び立てる存在などいる訳がないと信じる俺の、誰より好きで大好きで愛している双子の姉だぞ!?どこを取っても、何をどう見ても素敵で無敵な姉さんがダメだなんて、それを言ったのが姉さん本人であっても俺は否定する!あんなにも優しくあんなにも兄弟想いな姉さんのどこがダメだと言うんだ答えろライアー!それと姉さんが自分の事お姉ちゃんって言うのが最高に可愛いから俺の前でも言ってほしい!聞きたい!」
「え、いや、俺関係ないんですけど…?」
「今この場にいる奴で俺に次いで姉さんを見ているのはお前だろう!」
「!?そ、そんな訳なっ…ヴィーテルシアでしょう普通!」
「待って何で兄って選択肢ねえの!?なあオレだってティアの事ちゃんと見てる!お兄ちゃんいつだって見守ってるよティアー!」

大混乱にしてカオスだった。
これをカオスと呼ばずして何をカオスとするのかと言わんばかりのシスコンだった。
帰って来るなり雷神衆がクロスに先ほどの話をしたらこれだ。未知な何かに遭遇したとでも言わんばかりに困惑した顔のクロスのシスコン魂が爆発し、ライアーが巻き込まれ、喋りはしないもののヴィーテルシアが誇らしげに口角を上げて、机を叩き座っていた椅子を派手にひっくり返しながらクロノが叫ぶ。ばぎゃごん、とでも言えばいいのか、何とも言い表しにくい音を立てて椅子が倒れ、驚いて跳ねたラグナが反射的に右腕を伸ばし、重力操作を使用しふわりと椅子を立たせた。

「とりあえず落ち着けよクロス。混乱するのはまあ解るけど、解りたくねーけど解っちまうけど、ティアだって何の考えもなくそんな事言った訳じゃねえだろうし」
「そうですよ主。元々ティアには一度考え始めるとネガティブになりやすい面がありましたから、今回もそれでしょう。何故そんな考えに至ったのか、聞いてみればいいじゃないですか」
「あ、ああ…そうだな。すまんがドレアー、姉さんは今どこに……」

流石に主の扱いに手慣れているスバルとヒルダの言葉にようやく落ち着きを取り戻して、事のきっかけを話してしまったばっかりに誰より近い距離で彼の混乱を見届ける羽目になったラクサスと雷神衆に振り返る。
と、彼等は揃って答えにくそうな顔をして、結局「あー…その、だな」とフリードが重たそうに口を開いた。

「“少し気持ちの整理をしたいから、何を言われてもヴィーテルシア以外を家に入れないから、私の家に来そうな奴全員に来ないよう言っておいて”と…その、クロスとクロノも含めて。それから、しばらくギルドにも顔を出さない、と…」

それを聞いたクロスの顔は、まるで地獄でも見たかのように絶望し切っていたと、事をはらはらしながら見守っていたウェンディとココロは後に語り。
一緒に住んでいるから当然とはいえ一人選ばれた事に尻尾があれば全力で振っていたであろう程嬉しそうだったと、ヴィーテルシアとケーキ談義をしていた為に近くにいたエルザは後に話し。
暫く会えないと聞いた瞬間悲しそうに表情を曇らせていたと、ライアーの隣をティア以外に譲る気のないアランが後に証言した。


それから数日、

「隊長が普段に増して仕事しないんですが妹さんに何かあったんでしょうか?」
「クロノ隊長がいつも以上に仕事に手が付かないみたいなんですけど、妹さんと喧嘩でもしたんですか?もしそうなら隊長はとても反省しているとお伝えください」
「すいません、隊長の妹さんいらっしゃいますか?いらっしゃったら何でもいいので一言ください、隊長が椅子に座る置物と化していて仕事になりません。妹さんの声さえ聞ければ何とかなると思うのですが…」
「あの、そろそろ妹さんは…今日もいらっしゃらない?そうですか…そろそろナギさんでもどうにもならなくなってきたので本当に、本当に妹さんの力をお借りしたいので、ギルドに来ましたら隊長に連絡するよう伝言をお願いします」

そんな、評議院第一強行検束部隊の隊員達からの連絡が毎日のように続いたのは余談である。









そして、来たる十二月二十五日。
記念すべき誕生日を、クロスは干乾びたような状態で迎える事となった。

「えーっと、クロス…誕生日おめでとう」
「…ああ、イレイザーか……ありがとう」
「……大丈夫か?ちゃんと飯食ってんのか?寝てるか?」
「三食食べてるし毎日十時間は寝ている……体は健康だが心に穴が空いている気分だ…」

大惨事だった。健康と本人は言うが全く健康そうには見えない。むしろ不健康の極みのようだ。
最初のうちは、少し表情は暗かったがある程度はいつも通りだったのだ。それが一週間ほど経って溜め息が一気に増え、更に一週間ほどで顔色が悪く、ついに五日ほど前からギルドにも顔を出さず家に引きこもり始める始末。様子は同居する従者四人から聞いてはいたがこれほどか、とアルカは上げた口角が僅かに引きつるのを感じる。
評議院ではクロノが妹不足で一周回ってこっちが心配になるほど仕事に打ち込み、打ち込みすぎて仕事は捗るが誰かが声をかけないと食事も睡眠も取らなくなっているらしい。この兄弟大丈夫か。

「え、これヤバくね…?今日が命日になるとかねえよな?」
「姉さんの誕生日を俺如きで不運になどするものか…」
「よかった、まだ主がこんな調子でいるうちは正常だ」
「いや普通にヤベえよ」

ほっとしたように息を吐いたライアーも、どことなく顔色が悪い。

「大丈夫ですか、ライアーさん。隈ありますよ?」
「俺は大丈夫だ、比較的症状は軽い」
「比較的?…クロスさんと、ですか?」
「いや、主の様子を数時間おきに交代して監視…見守っていたからな。多少睡眠不足なのと、時折荒れる主を力づくで止めていただけだ。特にスバルは酷いぞ、アイツの担当の時は主がよく荒れた」
「うわあ…」
「スバルさんに何の恨みが…」

アランに尋ねられたライアーが指す先には、明らかに消耗しきったスバルの姿。髪は寝癖をそのまま放置した上に暴風の中を歩いてきたかのようなボサボサ具合。ぐったりと身を投げ出すように椅子に腰かけ、テーブルに乗せた顔にはライアー以上に隈がくっきりと出ている。瞼が落ちては慌てたように開き、また抗えず落ちていくのを、いつものように向かい側に座るヒルダが溜息を吐きつつ見ていた。

「眠いなら寝ろと言っているだろうバカスバル。無理してどうする」
「だってよう…今日、クロスの誕生日……祝って、やらねーと…」
「それでも少し寝ろ。午前中のうちは主が使い物にならないから宴もないだろうし、正午辺りには起こしてやるから」
「うー……悪ィ、頼んだ…」
「仮眠室だろう?運んでやる。ほら、肩を貸せ」

ふらふらと立ち上がって歩き出すスバルを支えながら仮眠室へと向かっていく。元気が取り柄の彼があそこまで疲れ切ってしまうとは、余程クロスの荒れ方は酷かったのだろう。

「…あれ?でも僕、荒れたっていうのもクロスさんを監視してたっていうのも初耳なんですけど。言ってくれたら僕も手伝いましたよ?」
「いや…これは身内の事だからな、フィジックスが部外者だという訳ではないんだが…主の事は従者で片を付けるさ」
「それに、荒れたって割にはここ数日ぐっすり寝られたんですけど…」
「ああ…主の荒れ方は静かだからな。ただひたすら泣いて、声を殺して泣いて、体中の水分が抜けるんじゃないかってレベルで泣くだけだ。スバルはああ見えて面倒見のいい奴だから、主が泣く度に何だかんだ言いながら泣き止むまで傍にいるんだよ」

その様子はなんとなく想像出来た。姉を思い出して泣くクロスと、従者だから仕方なく付き合ってやってる感を出しながらも傍で宥めるスバル。本当にしょうがねえなあ、とか言いながら目が腫れないように濡れタオルを用意したりと世話を焼く姿まで思い浮かんだ。

「クロスさん、泣いてたんですか?」
「フィジックスには情けないところを見せたくないらしくて、そういう時は部屋に籠っていたからな」
「そんな、気にしなくていいのに。だってもうクロスさんの情けないところなら何十回だって見てますよ?」
「……」

あはは、と笑うアランに、ライアーは「主は情けなくないぞ」とは言えなかった。
むしろ「確かにそうだな」と言いかけそうになった。近くにふらふらの主がいるのを思い出して、唇を噛みしめる事でどうにか防いだが。








「クロス!クロスはいるか!?まだ生きているか!?」

そんな、あながち冗談とも笑えない心配の声が叫ばれたのは、ぐったりとしたクロスをライアーとアラン、アルカの三人がかりでどうにか近くの椅子に座らせてすぐの事だった。
ばん、とギルド中にドアを開く音が響き渡る。全員の視線が集中する先、逆光で顔がよく見えないがそれがヴィーテルシアである事は声から判断出来た。いつも通りのすらりとした二十歳前後の青年姿で、顔に汗を滲ませて、軽く上がった息を整えてから汗を手の甲で拭いつつ近づいてくる。
相棒の顔に泥を塗るまいと作り上げた整った顔が、探す相手を見つけた瞬間悲しそうに曇っていく。

「……出遅れだったか…!」
「いや生きてるぞ、勝手に殺すな。主は無事だ」
「だが、どう見ても…」
「今日はティアの誕生日で、自分のせいでこの日を不運にするものかってさっき言っていたから大丈夫だ」
「そうか…よかった、間に合ったようだな」

その判断基準は何なんだ、とアルカとアランは顔を見合わせた。答えは出なかった。

「それで、どうした?慌てていたようだが、何かあったのか?」
「あったも何も。ティアからの伝言を伝えるのに遅れる訳にはいかないだろう」
「何だって!?」

がたたっ、と派手な音を立てて椅子がひっくり返る。だが誰も椅子には目もくれない。
さっきまでのぐったり具合はどこへやら。顔色はいいし目はキラキラを通り越してギラギラに輝くし、頬は興奮のあまり紅潮するわ声は跳ねるわ、兎にも角にも一気に健康体に回復したクロスが緩みに緩み切った満面の笑みでヴィーテルシアに詰め寄る。

「姉さん!?姉さんから俺にか!?ああヴィーテルシア経由でも姉さんの言葉が聞けて嬉しいよ姉さん!欲を言えば貴女の女神のような涼やかにして甘く心地よいソプラノボイスをこの耳に流し込みたい……その存在を、そこにいるという事実を脳の隅から隅までに焼き付けたいがっ……!ああでも今姉さんに会ったら頭のてっぺんから爪先までまとめて抱きしめてしまいそうだ…!けど姉さんに会いたい触れたい視界に入れたい抱きしめたい…!そして兄さんも呼んで三人で川の字で寝るというのはどうだろう、昔はよくそうやって昼寝をしたな…懐かしい……今だったら俺が真ん中…いや、それだと兄さんが姉さんから遠いから、姉さんを真ん中にして…川の字ではなくなるがその方が穏便だし俺も嬉しいからそれで行こう!ああけど姉さんに会えるんだろうか、俺はもう嫌われてしまったか…?もうひと月ほど会っていない…声も聞いていない…うっ、思い出したら泣けてきた……姉さん…ぐすっ」

何か捲し立てたと思ったら泣き出した。ここまでどうにか保ってきた(と本人は思っている)「アランの前で情けない姿を晒さない」決まりがあっさり敗れているが知ったこっちゃない。更にいえばウェンディやココロにもしっかり見られているが知ったこっちゃない。シスコンを極めに極めた彼がひと月も姉に会えずにいて、その姉を思って泣き出せばその涙は止まる時を待つ以外にどうしようもないのである。多分。
仮眠室の方から「泣いてるじゃん、クロス泣いてるんだろ…タオル、届けてやんねーと……すぐ使い物にならなくなっちまうし、沢山…」「起き上がるな馬鹿!主はライアーとサルディアに任せておけ!」とのやり取りが聞こえてくるがそれはさておき。

「可哀想に…辛かっただろう」
「ああ、とても辛そうだった」
「お前も、ティアに会いたいだろう?会えてないのはお前も同じだからな」
「ああ…いやいやいや!俺は平気だ、何の問題もない。というか何故そこで俺を出す!?お、俺は別にティアに会えないのは…少し、寂しいが……って何を言わせるんだ!」
「いや、言ったのはお前だろ…」
「自滅してますよライアーさん…」

「そりゃ会えるなら会いたい…っていやいやいや、主に対して従者でしかない俺が何を」などとぶつぶつ頭を抱えて呟き出したライアーから目線を外して、ヴィーテルシアはクロスに目を向ける。
そっと横からサルディアが差し出したタオルで目元を覆いながら時折小さく嗚咽を漏らす姿には心が痛む。彼と同じようにティアを慕う自分が同じ立場に立ったらこうなるだろう、と思うと余計に我が事のように悲しくなってきて、自然と群青の髪を撫ででいた。

「泣くなクロス。ティアからの伝言はお前にとって吉報だ」
「ずびっ…吉報、か?本当に?家族の縁を切るとか、お前なんてもう弟じゃないとか、そういう事じゃなくて?もう視界に入るなとか…」
「むしろ逆だ。…こほん」

んんっ、と声の調子を整える。
次に口を開いた時、発したのは少女のような高い声だった。

「“クロスを呼んできて。いい?クロスだけよ。それ以外は、兄さんだろうとダメ。私はクロスに話があるの。…もしも、会いたくないって言われたら、それ以上何も言わずに帰って来て。で、隠さず私に伝えて。パシリみたいで悪いけど、私がギルドに顔出したらいろいろ面倒そうだし…頼んでいいかしら”と……んんっ…あれ、クロスは…」
「呼んできて、辺りでもう走っていったよ?」

声を戻しながら周囲を見回すが、既に彼に姿はなく。
彼がいた席には濡れたタオルがきちんとたたまれて置かれているだけだった。








クロスは走った。そりゃあもう走った。所有者の速度を上げる音速の剣(シルファリオン)を手にしてまで全力で走った。今からギルドに行くところらしいルーに頼み込んで大空俊足(アリエスバーニア)をかけてもらってからは更に加速して走った。すれ違った街の人に「青い風が吹いた」と後に語られるほどの速さで走り続けた。
魔法でブーストを受けているとはいえ休みなく走り続け横腹が痛み始める頃、見慣れた白い壁の一軒家が視界に入る。反射的に剣を仕舞って速度を緩め、大空俊足(アリエスバーニア)が解けかかるのを感じながら、ゆっくりとブレーキをかけていく。急に止まるのは体に悪いからと徐々に速度を落としながら止まれば、思っていたより息は整っていた。汗も然程かいていない。

(髪、よし。顔色、よし。服装、よし。手土産……がない!買ってくるべきだった!…いや、姉さんを待たせる方が失礼だし、今回は仕方ないとしよう。ギルドに行けば姉さんの誕生日兼クリスマスで食べるものは沢山あるだろうし)

鞄から取り出した鏡に映る自分を見つめ、あれこれと弄ってから、一つ深く深呼吸をする。そっと鏡を鞄の内ポケットに戻してから、意を決してドアをノックした。
こん、こん、と間を空けて響いたノック音。暫くして「はーい」と声がする。たったそれだけで、クロスは自分の顔が緩むのを感じた。

(姉さんの、声だ。姉さんの、姉さんだけの、俺の世界で一番大好きな、あの声だ……!)

もうこれだけでひと月分の空白を埋められそうだが、勝手に満足してしまうのは頂けない。こちらは姉に招待されている立場なのだ。

「俺だよ、姉さん。ヴィーテルシアに聞いて来たんだ。…入れて、貰えるかな」
「…クロス?来て、くれたの?」

驚いたような姉の声。投げかけられたそれに、愚問とさえ思ってしまう。

「姉さんに呼ばれて、俺が来ない訳ないだろう?手土産は、その…うっかり、忘れてしまったんだが……」

これに関しては本当に申し訳ない。姉の家に行く時は、いつだって姉が好みそうなケーキや焼き菓子を持っていくのに、今日はそんな事は頭からすっぽり抜け落ちていた。
と、がちゃっと鍵を回す音がする。半歩後ろに下がると、こちら側に開いたドアから、その姿が――――。

「……、……姉さんっ」
「え、ちょっ」

視界に入るなり歓喜のあまり抱きしめてしまったが、久しぶりに会う姉は怒らなかった。

「…せめて部屋に入りなさい。暫く甘やかしてやらなかった事には私にも非があるけど、アンタの抱きしめ癖も理解してるけど、玄関先で飛びついてくる事ないでしょうが」

ただ、少し呆れたような声色で背中を軽く叩かれた。









「……悪かったわね、迷惑かけて。ヴィーテルシアから聞いてたわ、アンタが心配してるって」
「俺なら平気だよ。姉さんにも一人の時間は必要だろう?」

リビングに案内されて、真っ先に言われたのはそれだった。お互いに目の前に置かれた紅茶には手を付けない。別にこれは姉の入れた紅茶が不味いとかではなく、単純に二人とも猫舌なだけだ。姉の入れたものなら毒だって飲み干す所存のクロスが手を付けないのはそういう訳である。

「けど、こうして招かれたって事は…考えがまとまったって事かな。聞いても?」

首を傾げて問えば、姉は数度視線を彷徨わせてからぎゅっと唇を噛みしめた。
これは、ここまで来て言うのを拒んでいる訳ではない。どう言えばいいものか、言葉を慎重に選んでいる顔だ。一見するといつも通りのポーカーフェイスだが、伊達に姉だけを追いかけ続けるクロスではない。そのくらいの小さな変化を見落とすなんて有り得なかった。
そして、こうなったらする事は一つ。姉が言い出すのをただ待つ、それだけだ。

「……私」
「うん」
「アンタに剣、贈るでしょう」

暫く待って、ぽつりと零れたのはそんな一言だった。
確かに、姉からの贈り物といえば基本剣ではある。実用的で、性能がよければ細かい事は一先ず考えずに済んで、値は張るが危険でも報酬のいいS級クエストをこなすティアからすれば馬鹿高い訳でもない。大好きな姉から贈られるものなら何だって嬉しいし、それが仕事で使う剣であるなら尚更嬉しいからと、毎年この時期にどんな剣がいいか聞かれるのが楽しみなのだが、それがどうしたというのだろう。

「今年もその予定で、受注も済ませてて」
「…今日までに届かないとか?別に数日遅れても俺は気にしないぞ?」
「そうじゃなくて。もう届いてるし、いい出来なんだけど」

だとしたら何なのだろう。姉の言葉の一つから百を汲み取るのが得意なクロスでさえ、先が見えない。何が言いたいのかが伝わってこない。

「それじゃあ、何に悩んでいるんだ?」

解らないから解らないなりに真正面からぶつける。じっと姉の瞳を見つめれば、そっと伏せられた瞳が小さく揺れた。唇が小さく動いて、また閉じる。
時計の秒針が小さな音を数十回響かせた頃、ティアはやっと口を開いた。

「……知らなかったのよ」
「ん?」

苦々しげに、後悔を噛みしめるように、もう一度。

「刃物を贈るのに、“縁を切る”って意味があるなんて、知らなかったの!」







刃物を、贈る。
縁を、切る?

「……、……ん?……んん?」
「だ、だから!私、アンタに剣を贈るけど、それに縁を切るなんて意味があるの、知らなくて。だから今年は違うものを贈ろうと思ったんだけど、何贈っていいか解んないし……い、一応言っておくけど、縁を切ろうなんて思った事、一度だってないんだからね!?」

珍しく慌てた様子であれこれ言葉を並べる姉を見つめながら、混乱した頭で考えをまとめる。
どうやら姉はどこかで「刃物を贈る=縁を切る」というのを知ったらしい。それから弟に剣を贈る自分を思い出したのだろう。身内には甘く兄弟想いのティアの事だ、驚いて慌てたに違いない。
更にそれを、クロスが知っていたら?ティア程ではないとはいえクロスも本を読むし、知識を増やしていくのを楽しむタイプだ。どこかでそれを知っていて、けれど姉には言えずに毎年受け取っていたとしたら、内心では―――――。
と、姉の思考をここまで五秒ほどで汲み取ったクロスは、混乱しながらも微笑んで見せた。

「大丈夫だよ姉さん。俺、そんな事初めて知ったから」

姉を安心させたくて吐いた嘘、ではない。本当に知らないのだ。

「それに、姉さんにそんな意思がない事くらい解ってるよ。例えあったとしても、こんな遠回しな手を使ったりしない。そういうところ、姉さんは真っ直ぐに言うだろう?その方がお互いの為になるって、そうじゃなきゃちゃんと伝わらないって」

驚いたような姉の、見開かれた目。それを真っ直ぐに見つめてくすっと笑ってから、すっと体をずらす。
リビングに上がってからちらちらと見えていて、ずっと気になっていたものがあるのだ。

「で、姉さん。そのソファの陰にあるのが、その剣?」
「え、……気づいてたの?」
「姉さんらしくないな、あんな見える場所に隠すなんて」
「…私じゃなくてヴィーテルシアよ、そこに置いたの」

だとしたら、きっと気づかせる為に敢えてこの位置に置いたのだろうな、と考えが至って、笑みが零れそうな口元をそっと右手で覆う。
口元を隠す姿を姉に訝しがられる前に立ち上がり、ソファの裏に回る。そこにあるのは白木の、長方形の箱。蓋には見覚えのある武器ブランドのロゴマークが刻まれている。

「開けてもいいかな」
「…ああもう、気づいちゃったなら開けていいわよ。別のもの用意出来なかった私にも非はあるし」
「俺は姉さんから貰えれば、そこにどんな意味があれ構わないんだがなあ」

両側面に二つずつ、短い方の辺の部分に一つずつの留め具を外す。大きさの割に軽い蓋を退かして、傷つかないようにと剣を包む紙を外すと、焦げ茶色の鞘に納められた剣が新品らしい光沢を放っていた。柄に手をかけ、そっと引き抜く。

「おお…」

思わず感嘆の声が零れた。
刀身は穢れ一つない白銀。艶やかな灰色の柄の付け根辺りに深い青の石を埋め込んだ細身の剣はクロスが持っている剣の中でも一際美しく、白と青の色合いが姉を連想させた。

「“柊の剣”っていうの」

そう言われてよく見れば、柊の葉のような紋様が刻まれている。

「柊って、十二月二十五日の誕生花なんですって。刀身が白いのは柊の花が白いからで、青いのは…何か、アンタの写真見せたらそれに決まって」
「へえ…ありがとう姉さん、凄く嬉しいよ」

早速別空間に鞘と一緒に送り込んで、姉に駆け寄る。座ったまま体をこちらに向けていた姉と目を合わせて、喜色を溢れさせた声で礼を言えば、姉は小さく俯いた。

「姉さん?」
「…ううん、何でもないわ。来年からは気を付けようって思っただけ」
「気にしなくていいのに、そんなの」

姉から貰えるのなら、そこに死ねと意味が込められていようが構わない。クロスが大事にしているのは姉が贈ろうと思ってくれたという事実であって、そこに誰かが決めた意味があろうと関係ないのだ。贈られるのが剣で、刃物に縁を切るという意味があったとしても、ティアの方にそんな意味を込めたつもりがなければ、それでいい。

「ごめん、姉さん。姉さんへのプレゼント、ギルドに置いてあるんだ。今渡せないんだが…」
「いいわよ、別に。ギルドで貰えばいいだけじゃない。……さ、行きましょ。アイツ等も心配してたっていうし、とっとと安心させてやらないと」
「……ああ、そうだな。きっと兄さんも来てるだろうし」

きっとヴィーテルシア辺りが急いで評議院に連絡している事だろう。今日に備えてナギが寝かしつけているとは聞いているが、どこまで回復している事やら。







「寒っ…雪でも降るんじゃないでしょうね」
「天気予報では晴れだって言っていたから大丈夫だと思うけど…」
「うー…やめてよ、雪とか。これ、買ったばっかりのブーツなんだから」

寒さに耐性がある方とはいえ、十二月下旬の寒さは堪えるらしい。身を震わせたティアは、外気に晒した指先にふうっと息を吹きかけた。どうやら手袋の類は持っていないらしく、今年のプレゼントに手袋を選んだ事は正解だったらしい。密かにガッツポーズする。

「……ん?」

鍵をかけ、さてギルドに行こうとギルドまでの道を振り返った時、家を囲む外壁に凭れかかる姿が視界に入った。見慣れた制服ではなく、タートルネックによれたトレンチコート、スキニーパンツという完全に私服のいで立ち。二人と同じ、群青色の髪。

「兄さん?」
「!ティア?……ティア―――――!」
「うぎゅっ」

手持ち無沙汰そうに髪をくるくると弄りまわしていた指が、妹の声でぴたりと止まる。ぱっとこちらを見た兄は一瞬で破顔して、勢いのまま久しぶりに会う妹をぎゅっと抱きしめた。腕の中で妹が呻いたが意識を回す余裕はない。わしゃわしゃと頭を撫で回すと、「髪が乱れるんだけど」とくぐもった声がする。

「全く…兄さん、気持ちは解るが道端で抱きしめる事はないだろう」
「何だろう。それをクロスに言われると、お前が言うなって言いたくなる」

仕方ない兄さんだな、とでも言うように肩を竦めるクロスだが、数十分前の自分もこんな感じである。

「ていうか兄さん、何しに来たの?ギルドにならこれから顔出すけど」
「何しにって…なあ。オレ、お前等の兄貴だぞ?用なんて一つだし、これを他の奴に先越される訳にはいかんのですよ……と、ほれっ」

腕から解放した妹の言葉に、兄は困ったように笑った。ちらりと弟に目を向けるが、こっちはこっちで首を傾げている。
だから、クロノは行動で示す事にした。右腕でクロスを、左腕でティアを抱え込む。

「うわっ」
「え、ちょっ」

驚いたような弟妹の声。それがどうにも面白くて、ぷっと吹き出す。
困ったような笑みを心底嬉しそうな、楽しそうな笑顔に変えて、クロノは一年で一度の言葉を大好きで大切な二人へと贈った。
誰より早く、一番乗りに。

「誕生日おめでとう。オレの妹と弟として生まれてきてくれてありがとう!大好きだぞ!」

その言葉に、二人は揃って目を見開いて。
嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに笑う兄を見て。

「――――ああ、ありがとう。兄さん」
「大好き、はナギさんに言ってあげなさいよ。……まあ、ありがと」

クロスは嬉しそうに、ティアは少し照れたように、そう返した。





「誕生日おめでとう、姉さん」
「ええ、クロスも。誕生日、おめでとう」







『おめでとう。ティアちゃん、クロス君。聞こえないだろうけど、おめでとう!』

どこかで、お日様のような誰かが笑った、気がした。








「ああ、おめでとう―――君が生まれた今日に、最高の祝福を」

どこかで、姿の知れない誰かがひっそりと笑った事には、誰も気づかないままで。 
 

 
後書き
こんにちは、緋色の空です。
という訳で本日十二月二十五日は我らがヒロイン・ティアさんと我らがシスコン・クロス君のお誕生日でございます!わーぱちぱち。
一か月前から準備し、今日書いてたラストシーンがぱっと消えた時はもう心が折れましたが、どうにか思い出しつつ書き直してどうにか今日中にお祝い出来ました…!

今回の話は、お気づきでしょうが七年後です。しれっと七年後です。
何故なら七年前では全員揃った十二月二十五日が来ない為(天狼組が十二月十六日の時点で行方不明なので)、問題ない範囲でネタバレしつつネタをいくらか封印してお送りしました。…正直な話、七年後であっても十二月二十五日が無事に迎えられるかは微妙なところなのですが……。
だからあの子はいるし彼は人間フォルムだし、…それ以外はあんまり変わってないですが……。とりあえずライアーさんは七年後も告白出来ずにいるよ!←

そしてこの話、実際に私が「え、刃物贈るのってそういう意味なの!?ヤベえよティアさんに贈らせちゃってるよ!」と焦ったのがきっかけで生まれました。プレゼントの意味を別作品で使う為に調べていていなければ正直祝えていたか怪しいところ……。
本当はもう少しクリスマス色を出したかったのですが、一話完結予定でそれは長すぎると判断しカット。プレゼント交換シーンとかは皆様の中で想像していただければ…いや、セリフだけで短編扱いで詰め込んでいいなら書きますけども。まあ誕生日メインだしいいよね!ってことで一つ。

ぶっちゃけ今回はクロス君が変態っぽいか…?引かれやしないか…?と思いながら書いたのですが、いかがでしょう。書いてる側としては凄い楽しかったです。
あ、一応言っておくとクロス君は一か月お姉ちゃんと会えないのがダメな訳ではないです。理由が解らないから折れてます。一か月仕事で、とか旅行で、みたいに理由がはっきりしてれば大丈夫です。これほどまでには折れません。……折れない訳じゃないけど(ぼそっ)。

今回のメインは言うまでもなく本日の主役お二人、そして兄さんな訳ですが、兄さんちょっと出番少なかったでしょうか…?動かしやすさナンバーワンのティアさんがいない中ではアルカがボケもツッコミもこなしてくれてて凄い助かりました。ありがとうアルカさん、感謝してます。

因みに柊の花言葉は「用心深さ」「先見の明」「保護」。クロスを守ってくれますように、って意味が込められてます。多分。

ではでは。
感想、批評、お待ちしてます。
そしてティアさん、クロス君誕生日おめでとう!大好きです!


刃物を贈るのには「運命や未来を切り開く」という意味もあったりします。 
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