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満願成呪の奇夜

作者:海戦型
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第5夜 邂逅

 呪法師の使役する呪法(ブードゥー)は、永い時をかけて様々な体系が考えられてきた。

 最初期は直接的な光源となる『熱』と、炎の道筋を操作する『地』の二属性が考案され、これが呪獣を一気に追いやる基礎的な戦闘力に繋がった。その後、負傷者をより効率よく治療するための『流』の属性が開発され、『大地奪還』の後期になると補助武装を生産するための『錬』と薪をくべる燃料としての『樹』が開発された。

 これが現在の大原則となっている『五行式』の原型となった。『五行式』完成までの過程で『三行』、『四行』、『六行』などいくつかの大原則が提唱されたものの、最終的に最も真理に近いとされた『五行式』が現在の呪法の基礎理論となっている。

 基本的な呪法師が使用するのは、『熱』、『地』、そして『錬』だ。
 『熱』での光源確保、直接攻撃。
 『地』での足場操作、退路の確保。
 『錬』による既存の物質の性質変更。
 それらを使いこなして、今も呪法師は戦い続けている。

 そして呪法に欠かせないもう一つの原則がある。
 それは、『触媒原則』だ。

 例えば『熱』の呪法を使うならば、その触媒となる『熱』――火や高温の物質が必要だ。この熱を呪法によって爆発的に増大させたり、付近で同性質を持った熱を操ることが可能となる。この『操る属性と同性質の物質』が自分の周辺になければ、呪法というものは成立しない。

 触媒を基に、遠くの物質に『呪い』で干渉する。
 この『呪いの力』こそが呪獣の肉体を真に崩壊させる要であり、呪法の神髄だ。

 実際にはこの属性の一角を不得意にしていたり、残る二つの属性を上手く活用する戦士も存在する。だが、どちらにしても大抵の呪法師はある装備を『触媒』として標準的にある装備を持っている。


 それが、『銃』。
 大陸における戦士の象徴――呪法師の気高い誇りの体現だ。

 トレックはその銃を今一度念入りに確かめていた。

(『人喰いドーラット』が本当に従順なのか分かったものじゃないからな。最低限、自分の身を護る準備はしておかなきゃならない……)

 『大地奪還』以降、今からおよそ700年ほど前に開発された呪法師専用武具は、トレックの手上でずっしりとした重みと共に横たわっている。

 回転式拳銃『タスラム』――装弾数八発、『錬』の基本触媒である金属で構成され、内部に込められた弾丸は発射することで火薬が爆発し、『熱』の触媒にもなる。グリップは『樹』の触媒になる木材が使用されている。
 更に、片手で運用できる武器であるが故、空いたもう片方の手を大地で触ることで『地』の呪法を使用することも前提とされている。最後の『流』に関しては使いこなせる術者が極端に少ないために要素が省かれているが、拳銃は装備としてのサイズと重量が極めて軽いために本人のスタイルに合わせて副装備を持つことで幾らでもカバーが可能だ。

 シリンダーの回転を確認し、八発の弾丸を装填したことを確認し、ジャキリ、と小気味のいい音をたてて弾倉を収めたトレックは腰のホルスターにそれを差し込んだ。撃鉄は流石に引いていないが、銃が手元にあるだけでも丸腰とは随分違う。

 腰の近くに置いておいた鍵束を拾い上げたトレックは、ごくり、と生唾を呑み込んで馬車の奥の扉を見る。この奥に自分のパートナーになる女が待っているのだろう。話によるとこの先にいるのは死人の肝を喰らった女で、しかも現在拘束されているらしい。教導師は「余程の事がない限り命令には従う」と言ったが、トレックの言う事を聞いてくれる保証はどこにもない。

(話の分かるだけの理性的な女性ならいいなぁ……)

 叶わぬ願いとは思いつつも、儚い願いだと自覚するトレックは扉の鍵穴に鍵を差し込み、回した。
 内部でガチャリ、ガチャリと数度金具の音が鳴った後、扉はゆっくりと奥に開かれていく。

 とても、人がいるとは思えないほどに暗い空間だった。

 罪人を輸送するための牢であるが故、この中は扉が開かれない限り一切の光が入らない。すなわち、一切の加護を約束されない根源的な恐怖の空間。呪獣が入る隙間はないが、この空間には大陸の民にとっての『救い』が完全に排除されている。

「人間のいていい空間じゃない」

 自然と、そんな声が漏れた。彼女は道徳的には大きな罪を負っているかもしれないが、こんな空間に閉じ込められるほどの罪を果たして犯したのだろうか。光のない空間に短期間いるだけでも、大陸の民は途方もない不安に駆られる。それを、ギルティーネという女は護送中ずっと味わっていたのだろう。

 牢の中を良く見渡すと、陰に隠れたままの最も奥の部分に人影を見つけた。


 それが本当に女性なのか、一瞬トレックは確信が持てなかった。

 鉄の床に膝をついて座り続けるその人間は、拘束衣によって両手を胸の前で交差するようにベルトで固定され、両足は床から伸びる枷によって縛られ、その顔は鉄仮面のような拘束具を被せられている。これでは光どころかこちらの声が届いているかも曖昧で、扉が開いた今でも微動だにせずそこに鎮座している。
 
 痛々しい姿だが、同時に拘束された獣のようで不気味だ。
 近づいた瞬間に襲われるのではないか――そんなありもしない想像を掻きたてられるが、もう試験まで時間に余裕がない。トレックは彼女の拘束具に近づき、慣れない手つきで錠前に一つずつ鍵を通して解除していく。

 最後に残された鉄仮面に後ろから手をかけたとき、彼女の首が微かに上へ動いた。

「ッ!!!」

 突然の動きに驚いたが、しばらくして頭が拘束具を外しやすい角度になっている事に気付く。彼女にとっては慣れたことなのかもしれない。戸惑いながらも首の後ろにある鍵を解除すると、仮面が後ろから開いて中に纏められていた黒髪がぱさり、と落ちた。ほぼ無理やり押し込まれていたのか、くしゃくしゃに乱れている。
 「髪は女の命」。そんなことを言っていた母親を思い出し、少しだけ彼女を気の毒に思う。取り合えず拘束を完全に解いたら持参の櫛でも貸してあげよう――そう思いながら仮面を外す。仮面内部には更に猿轡が噛まされていた。喋る事さえ罪人には許さない、ということだろう。外してあげると、唾液が糸を引いて床にぱたり、と落ちた。

 同時に、完全に拘束が解かれたことを確認した彼女はゆっくりと立ち上がり、こちらを見た。

 『人喰いドーラット』は、トレックの想像を絶するほどに、美しかった。
 触れれば砕ける硝子細工なのではないかと疑うほどに整った顔立ち。
 病的なまでに白い肌のなかで、桜色の唇だけが彼女の血色を感じさせる。

 眩さに細められた蒼緑(ターコイズブルー)の眼光が、はっきりとトレックを捉えた。

「………………」

 彼女は、口を開かない。ただじっと、こちらを待つように無言で見つめ続けた。
 彼女に見とれていたトレックは、やや遅れて正気を取り戻す。

「あの……もう聞いてると思うけど、今回の『実地試験』で君のパートナーをすることになったトレック・レトリックだ。よろしく」

 コミュニケーションの基本は挨拶と握手。トレックはギルティーネに対して手を差し出した。
 しかし、ギルティーネはそんなトレックをまるでいない人間であるかのように無視し、牢屋の端に置いてあるトランクを開き、その場で拘束衣を脱ぎ始めた。

「………はいっ?あのぉ………えっ?」

 するすると服が落ち、染み一つない芸術品のような少女の裸体が晒されているという理解の範疇を越えた現実に、トレックは頭がフリーズした。こちらに背中を向けているとはいえ、いきなり男性の前で裸になる女などいるものだろうか。こちらが見ていることなどお構いなしにトランクの中から下着や法衣を取り出して着こんでいく姿を呆然と眺めていたトレックだが、遅れて自分が覗きに近しい破廉恥な事をしている事実に気付く。

「……って、着替えるなら着替えるって言ってくれよ!?」

 慌てて牢屋の外に飛び出したトレックは心臓を押さえて大きく息を吐き出す。本当に、何を考えていたんだろうか。女の子の裸を舐めまわすように観察するなど、どう低く見積もっても紳士のするべきことではない。

「よ、予想外の事態に弱い自分が恨めしい……というより、あの子に羞恥心とかはないのか?」

 罪人となったことで羞恥心を受ける事に慣れてしまったのかもしれないが、当のこっちが慣れていないので勘弁してほしい所だ。牢屋の奥からは布のこすれ合う音が収まり、ちゃきり、と何か硬いものを装備したような音がした。

 やがて、牢屋の中からギルティーネが現れる。その片手にはトランクとは違う細長いケースと、さっきうっかり置いてきてしまった鍵束が握られている。しまった!とトレックは頭を抱える。

 ――「君は罪人の管理を任された」と、あの教導師は言ったではないか。なのに罪人に鍵を預けてどうする!

 自己嫌悪と眩暈に頭を抱えそうになったトレックの手を、突然ギルティーネが持ち上げた。
 
「えっ、な、何だッ!?」
「…………………」

 ギルティーネは何も言わずに指でトレックの掌を開く。真っ白な肌からは想像も出来ないほどに暖かい感触。ギルティーネは開いた手に自らを拘束する鍵の束を置き、すっと手を引く。そしてギルティーネは細いケースを持ち上げ、その鍵穴をトレックの目の前に突き出して再び停止した。

「………俺が開けろ、ってこと?」
「…………………」
「でも、鍵束持ってるんだから自分で開けられたんじゃ……」
「…………………」

 ギルティーネは首を縦にも横にも振らず、声を一切発することがない。最初はこちらとコミュニケーションをとる気がないのかと思っていたが、今の彼女は確かにこちらの瞳を覗き込むように見つめている。

 いくらなんでもおかしい。呪法師という確かな立場にいる以上、自分から名前を名乗らないこと自体が異常なのだ。無口な人間はいるが、それでも最低限はかならず言葉を交わす。しかし、目の前の少女はまるでコミュニケーション方法が『欠落』しているような――。

(――『欠落』……?)


『彼女の『欠落』は余りにも大きすぎる』

『君なら誰も埋められなかった彼女の『欠落』を埋められる……そう判断されたのだ』


 教導師の残した不吉な言葉がリフレインされる。
 あれはトレックでなければいけないなどと言われるほどに他の『欠落』持ちと相性が悪いという事かと思っていたが、もしも彼女のこの態度そのものが『欠落』の結果なのだとしたら、彼女の『欠落』とは――!!

 もしもトレックの予想が当たっているならば、これはもう相性云々の問題ではない。

 それは人として、余りにも致命的な『欠落』だ。


「ギルティーネ・ドーラト……君はまさか。『言葉がきけない』のか!?」

 『言葉がきけない』――言葉が喋れないのではなく、『答えられない』。それはすなわち、イエスノーの簡単な意思疎通や文書による意思疎通さえできないということ。

 ギルティーネは、その言葉を肯定も否定もしなかった。

 何故ならば――答えるという行動が、彼女からは『欠落』しているのだから。
 
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