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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第137話 呪詛返し

 
前書き
 第137話を更新します。

 次回更新は、
 3月23日。 『蒼き夢の果てに』第138話。
 タイトルは、『反魂封じ』です。
 

 
 ――ん、ん、んぐぅぅるる……え るぜぅるるるもん なうるぐむ るぜるもんんぉ

 先ほどまで頭上に広がって居た、まるで降るような星空。天の狼は一際強い輝きを放ち、星空の狩人が想い人と出逢う。冬の澄んだ大気に相応しいパノラマが、何時の間にか濃い霧に覆われ、周囲は暗く冷たい闇の気配に沈む。
 そう、闇に沈んでいた。
 まるで夜の海面の如く、ゆらゆら、ゆらゆらと闇が揺らめいていたのだ。
 その粘性の強い液体のような、ぬめりとした闇が蟠る世界に響く――
 ――アラハバキ召喚の祝詞。

 ――るぅぅうとぉおん いいどぉぉえ さ、ささちぃぃぶ おぅびひぃぃ せぇるぶるん

 ……いや、これは違う。高く低く響く血を吐くかのような異形の叫び。最早これは人の発声器官で再現出来る()などと言う生易しい物ではなくなっていた。
 そうして……。
 周囲には俺が発生させた風が渦巻く。闇の中を滑るように、夜の気配を斬り裂くように俺たちを護る神聖な風。
 しかし――
 しかし、その時、術により創り出された風の音に、異界の調べ……犬神使いの青年が発する祝詞以外の危険な声が混じり始めていた。

 そう、それは正に異世界の調べ。まるで地の底より響く怨霊の叫びの如きそれが、深き闇に涼む……凍える世界に鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)と成り渡る。

 これは……。
 これは、犬の遠吠え。遠く、近く。それが連なり、重なり、魂すら冒涜するような調べを作り上げる。
 怨、穏、恨。ただひたすら続けられる遠吠え。
 ひとつひとつに籠められた呪の程度は低い。しかし、それが千、万へと重なれば、これも巨大な呪を作り上げる。

 我知らず口元に浮かぶ笑み。確かに現状は最悪の状態なのだが、これで、この高坂の地で発生し続けていた事件が、()()の企みだったと言う事だけは確認出来た。
 確かに厄介な連中である事に間違いはない。但し、あの犬神使いの後ろに居るのが奴らならば、この企みが簡単に成功しないような仕掛けが施されている可能性の方が高い。
 その事が、改めて確認出来たから。
 ここまでのアイツ……犬神使いの策は完璧。敵対者の俺は、急造ペアの弓月さんと共に足止め役のさつきに掛かり切り。
 その他の戦力。万結や有希はハルヒや弓月さんの従姉を護る為に旅館からは離れられず。
 水晶宮や天の中津宮からの応援は高坂の街の方の警戒。そもそも、この手の邪神召喚の儀式が行われる時は、他の悪しきモノも蠢く可能性が高い。そんな諸々の対処の為に呼び寄せた戦力は、街に放たれた犬神の対処に忙殺されている可能性が高い。

 普通の場合なら、この召喚の儀式は成功する可能性は高いでしょう。

 但し、どう考えてもこの儀式には根本的な部分に大きな欠陥がある。このままでは絶対に成功する事はない。
 それが分かっているから、這い寄る混沌が犬神使いの望むままに術を、犬神の集め方を教えて、付近の土地神を封じた。
 最後の最後の場面で犬神使いの企みが失敗する様を、何処かから何時もの笑みを頬に浮かべてじっと見つめている。
 ヤツ自身はそう言う心算なのだと確信出来ましたから。

 もっとも、成功しないのは飽くまでも()()()()、ならば。
 他に何かプラスαがあれば、そんな前提など簡単に覆って仕舞う可能性も当然ある。

「我、雷公の気――」

 しかし、現状の考察は中止。今度の術は俺のすべての意識を集中する必要がある。そうでなければ、さつきを納得させる事など出来はしない。
 右手に呪符を。左手で印を結びながら、普段は詠唱、導印共に省略して発動させる術式を組み上げる俺。

「武神さん?」
「あんた、何を――」

 一瞬、俺が何を始めたのか分からない二人。いや、弓月さんは気付いたかも知れない。声の直後に背後で人の動く気配がする。
 しかし、もう遅い!

「――雷母の威勢を受け、悪鬼平良門を討つ。疾く律令の如くせよ!」

 放たれる呪符。俺の周囲を吹き荒れる、大元帥明王呪が巻き起こす強風に煽られた呪符が空中……上空十メートルほどの高さで一瞬停止。
 その刹那!
 それまで仄かに白い光輝を放っていた呪符が完全起動。呪符の周囲に幾重にも発生した魔法陣が互いに絡み合い、別の形……それまでの複雑な紋様を描いていたソレから、単純な形へと昇華されて行く。

 そして!

「止めてー!」

 猛烈な光が周囲を支配。視界が完全な白へ。
 彼女の絶叫が届くより早く大地を討つ雷帝の鎚。普段のソレと比べると格段に威力を増した九天応元雷声普化天尊法(きゅうてんおうげんらいふかてんそんほう)が討ち貫いたのは――

 刹那、柏手(かしわで)は世界を一閃。

「諸々の禍事罪穢れ(まがごとつみけがれ)を祓い給え、清め給えと申す事の由を――」

 視界が白に覆われた瞬間、大地に転がる俺。しかし、そんな小細工などここでは無意味。光の速さで俺の身体を貫いた雷の気は、自らの特性に従い完全に吸収され、既に活性化していた霊気を完全に供給過剰の状態へ。
 その供給過剰と成った龍気と、雷が発生させた熱が相乗効果を示し――

「天津神国津神。八百萬の神達共に聞こし食せと、(かしこ)み、恐み申す」

 燃え上がる黒の学生服。しかし、上半身が完全に炎に包まれた瞬間、俺を別の光が包み込む。
 これは一切の穢れを祓う祝詞。そう、死の穢れを祓う為に伊弉諾(イザナギ)が小戸の阿波岐が原にて行った禊の様を現した祝詞が、俺に降りかかるすべての死の穢れを祓ったのだ。

「あ、あんた、何を考えているのよ! 死にたいの! ねぇ、死にたいの? もし、本当に死にたいのなら、あたしが今すぐに眠らせて上げるからこの術を解きなさい!」

 大丈夫。意識はしっかりとしている。封印の内側で騒いでいる女子小学生の声も良く聞こえている。
 少しの皮肉を思い浮かべながらも、ゆっくりと閉じていた瞳を開く俺。尚、四肢と術を封じられた結界内から騒ぐ小学生は当然無視。先ずは自らの状態の確認。
 冬枯れの芝生に上半身のみを起こした体勢。犬神使いの方はこの騒ぎの間も邪神召喚の呪文を優先する様子。
 ……おそらく、ヤツはアラハバキが召喚出来る事に疑いを持って居ないし、更に言うと、邪神が現われれば敵対者の俺たちなど一掃出来ると考えて居るのでしょう。
 確かに顕われたのならそう成る可能性も低くはない。
 蛇神が顕現すれば、ね。

 自らの姉だと言って居た割には、その彼女の現状に一切の興味を示そうとしない奴に対して、かなり否定的な意見を思い浮かべながらも身体の各部のチェックを続ける。
 もう布の部分を残していない学生服の上着は諦めるしかないか。……両親が残してくれた保険金その他は元の世界に残して来ているけど、この世界に連れて来ているノーム一体だけでも、当面の生活費に困る事のない程度の金を集めて来る事は可能。故に、学生服の一着ぐらい惜しくはない。ズボンの方は何とか無事。これは術で強化してあるのが一番大きな理由。その次は上半身に雷が落ちて、其処から大地に抜ける電流が発生しなかった事を意味すると思う。
 つまり、すべての雷の気は俺の龍気として取り込んで仕舞った、と言う事。
 シューズの方も靴底のゴムの部分が溶けているとか、一部が炎に煽られて焦げて居る……などと言う事もない。
 そう考えながら、四肢の動きを確認していて左手首に視線を移し……。

 ――仕方がないか。
 完全にダメに成った革製のベルトは交換が必要。ただ、本体の部分が直るかどうかは……。

 四肢にも、そして身体にも大きな被害はなし。上半身が炎上した際に負った可能性のある火傷は、弓月さんの祝詞で回復したのでしょう。もしかすると、多少の痕は残っているかも知れませんが、俺の身体には他にも目立つ……更に、絶対に消せない聖痕のような物も残っていますから、此の上、火傷の痕がひとつやふたつ増えた所で問題はない。
 そう考えながら、如意宝珠の『克』を起動。

 重い兜を被った人間の姿を成り立ちに持つ『克』は、防具系のアイテムへと変化させるのに非常に相性の良い如意宝珠。
 その刹那、淡い光りに包まれる俺。その俺に対して差し出される白い……華奢な手。

 絶妙なタイミング。おそらく、俺の様子をつぶさに観察していたのでしょうが、それでもこのタイミングは絶妙。
 弓月さんの差し出してくれた手を握る俺。但し、彼女の助けを得なければならないほど自身が消耗していた訳ではないので、ほぼ自力で。しかし、それでも彼女の心遣いを無にしない為に、ほんの少し、彼女の力に頼った立ち上がり方をする。

 そして立ち上がった時には既に、この場所に辿り着いた時と同じ出で立ち。黒の学生服の上下に身を包んだ姿で立っていた。
 そう、最初にこの場に現れた時と比べても欠けた部分はなし。確かに多少、ズボンの方に地面を転がった際に付いた土が存在しますが、上着に関しては綺麗な物。まして、炎に炙られたはずの蒼の髪の毛も元と変わらない微妙な長さで風に弄られている。

 さつきとの戦いを終わらせた直後とは思えないほど自然な雰囲気。現状の俺からは消耗した様子は一切見えなかったはず。

「すまなんだな」

 闇の内に沈む白衣緋色袴姿の巫女を少し見つめる俺。そして、口元を白くけぶらせながら、最初に感謝の意と謝罪の意味を籠めた言葉を口に。
 右手を繋いだ状態で僅かに微笑んで答えてくれる弓月さん。有希やタバサの表情とは違う温かさを含んだ笑みと、そして少し冷たい手の感覚が如何にも彼女らしい。

「あまり無理はしないで下さいね」

 普段の彼女とは違う……西宮での弓月さんの声は少しトーンの低い、しかし、どちらかと言うと甘い声であった。朝比奈さんのような、少し幼い雰囲気のある声と表現出来る声と言った方が良いかも知れない。確かに、今の彼女の声は、大枠ではそれまでの弓月さんの声と同じ種類の声質だと思う。
 但し、イメージが違う。今の彼女の声はまるでテレビのナレーターのような、聞き易く、非常に落ち着いた声。故に、反発や不安を俺に感じさせる事もなく、心の奥深くにすとんとはまり込む。

 ただ……。
 ただ、彼女が俺に向けている笑顔は、現実に……今ここに居る俺ではなく、彼女の記憶の中に存在している俺の可能性が――

「ちょっと、こっちを見なさいよ!」

 かなり後ろ向きの思考。しかし、時間的な余裕がある訳ではない。
 弓月さんには今の俺の心が伝わらないように、小さく肩を竦めて見せながら微笑みを返し、喧しい小学生の方に向き直る俺。

「あんた、本当に死にたいのなら、さっさとこの封印を解きなさいよ!」

 そうしたら、次の瞬間にはあっさりと沈めて上げるから。
 先ほどからかなり物騒な台詞を口にし続けるさつき。但し、眠らせるとか、沈めると言う単語の意味をそのままの意味として受け取るのなら、封印を解いた後の事はあたしに任せて後ろで寝て居ろ、……と言う意味にも取れる内容。

 少しの笑み……弓月さんに見せた笑みとは別種。弓月さんに魅せた笑みは、ねぎらいや感謝の意味。これは有希や万結に魅せる笑みに近い物。対してさつきに見せるのはハルヒに魅せる笑みに近い物。
 少しからかってやろうとか、おちょくってやろうかな、などと考えているのが分かる口角にのみ浮かべる類の笑みを見せた俺。

「死にたいも何も、アイツが平良門ではない、……と言う証拠を見せろと言うから、見せてやっただけやで」

 そもそも、この程度の事で俺が死ぬと本気でオマエさんは思っているのか?
 弓月さんと対する時と比べると明らかに違う口調でそう答える俺。確かに、相手によって態度を変えている様にも感じるので少しアレですが、それでも状況に応じて多少、口調を変えるぐらいなら問題ない。
 それに、今のさつきを相手に、四角四面。杓子定規の対応ばかりで相対していたら角が立つばかりで、話がちっとも前に進みませんから。

「もし、アイツの中に少しでも平良門の部分があるのなら、さっきの雷は俺ではなく、アイツに落ちていた」

 更に説明を続ける俺。もっとも、こんな事をわざわざ説明しなければならないとも思えない相手、なのだが。
 そう。名前を術の行使の際に使用したのはそう言う理由。故に本名や忌み名、真名などを魔法使いに対して知られてはいけない、……と言う事になる。
 俺が本名を隠して偽名で暮らしているのもそれが理由。当然、偽名であったとしても絶対に安全だ、とは言えないが、それでも魔法使い相手に本名を名乗るよりは余程マシですから。

 言葉を続けながら、大元帥明王呪。それに、稲荷大明神秘文と聖なる詞の合わせ技に因る封じの解除を行う俺。流石に、先ほどの術の結果を見た上で尚、あの犬神使いが平良門だ、などとさつきが主張する訳は有りませんから。
 魔法の基本が理解出来ているのなら。

 そう、これは呪詛返し。所謂、人を呪わば穴二つ、と言う事。わざわざ自分の身を危険に晒す事によって、さつきにあの犬神使いの青年が平良門の転生体などではない、と言う事を証明して見せた、と言う事です。

 言葉が終わるか、終わらぬかの内に、さつきの両手首と両の足首を封じていた光の環が消え、彼女の周囲を覆って居た風が終息。

 トンっと言う軽い表現がしっくりくる仕草で両足にて大地に降り立つさつき。何と言うか、そう言う仕草も女性と言うよりは少女。それも、かなり幼い少女のソレ。
 その姿がまるで、立ち漕ぎをしていたブランコから飛び降りた時の少女のように感じて……。
 その刹那――

「相馬さん!」

 こめかみを目指して振り上げられる右脚。ほとんど、炎さえ出しかねない勢いで接近して来る黒のローファー。しかし、僅かに屈みながら半歩分だけ彼女に近付き、更に左腕で下から上へと力を加えられる事により完全に空を切らされるさつきの右脚。
 そのまま左脚を軸に、独楽の如く回転を為そうとした彼女の細い身体を自然な形で抱き留め――

「離しなさいよ!」

 鼻先三十センチの距離から俺を睨み付けるさつき。仄かに香る彼女の香りと、あれほどの動きを産み出す筋力の割に柔らかく、そして華奢な身体に多少の驚きを感じる。

「そんな事を言われても、離した途端に蹴られたら流石に解放する訳にも行かんやろうが」

 その彼女を抱き上げた状態で、そう軽口で応じる俺。あの蹴りを真面に喰らえば、俺の頭など粉々に砕かれて仕舞うでしょう。
 いくら精霊の守りに因って護られているとは言っても、頭自体は人間と同じ材料から出来上がった代物。それ自体の強度はどの生命体もそれほど違いはありません。
 尚、俺の腕は彼女の背中と膝の裏をしっかりとホールド。そして、何故か、その解放しろと腕の中で騒いでいる少女自身の腕はしっかりと俺の首に回され、自らの体勢の安定を図っている。
 ……と言うか、昨夜のハルヒに比べると流石に軽い印象。重さから言えば、朝比奈さん、ハルヒ、タバサ、そして、このさつきの順番ぐらいか。一番軽いのは実は有希なのだが、彼女の場合は、ある程度自らの重さの制御を出来る雰囲気があるので、本当の体重と言う物が分からない。

「さっき、言ったじゃないの。後はあたしに任せてあんたは寝ていなさいって!」

 そもそも、あんたは危なっかしいのよ。相手の正体を探るのに、いちいち自分の命を賭けてどうするのよ!
 腕の中で騒ぐ女子小学生。語気は荒く、彼女が怒っているのは間違いないでしょう。但し、それは俺の事を心配してくれているから。どうでも良いのなら、ここまで本気で怒ってくれる事もないはずなので、その部分に関してはちゃんと心の奥深くに刻んで置く必要がある。
 但し……。
 但し、このまま……少女を抱え上げる黒い影。その少女の声らしき甲高い声。このままでは、他者から見ると現在の俺は単なる誘拐犯以外に見えない可能性も高い……。
 もっとも、幸いにして今は夜中。更に、ここは周囲に住宅などない城跡兼中央公園。まして東北地方の冬至。こんな夜に外を出歩く凍死覚悟の酔狂な散歩者は周囲にはいなかった。

 客観的に今の自分の姿を他人から見るとどう見えるか、そう考えた瞬間、苦笑にも似た笑みが浮かぶ。
 ただ、まさか本気でケリ殺しに来るとは思わなかったけど、確かにそんな事を彼女が言っていたのも事実。
 しかし――

「悪いけど、それは出来んな」

 何を嗤っているのよ! ……などと騒ぐさつきをお姫さま抱っこの状態から解放しながら、それでも真面目な顔でそう続ける俺。

「さつき。オマエ、あの犬神使いの正体に気付いた。……そう言う事やな?」

 身長差三十センチ以上、五十センチ未満。かなり高い位置から射すくめるように彼女の瞳を見つめる。
 その瞳の鋭さに一瞬、怯むさつき。しかし、持ち前の負けん気の強さか、それともそれ以外の()()の為になのか不明ながらも、その俺の強い眼光に対して逆に睨み返して来る彼女。

 再び高まる緊張。さつきの周囲には、彼女の感情の高ぶりに比例するかのように小さき精霊が集まり、淡い精霊光を放ち始めている。

 片や、何時の間にか俺の右斜め後ろに立った弓月さんは……今度は口を挟んで来ようとはしなかった。但し、先ほど、一瞬、強い語気でさつきを呼んだ時の雰囲気は鳴りを潜め、今では元の穏やかな気を発している。
 もしかすると、先ほどのさつきの蹴りを、あの時は俺に対する本気の攻撃だと感じたのかも知れませんが……。
 そう感じたとしても仕方がないだけの能力が籠められた蹴りだった事は事実ですし。

「今のオマエには任せられん。アイツは俺が封印する」

 理由を口にする事なく、そう言い切る俺。その俺の右手には、昨夜ヤツを封印し損ねた際に使用しようとした紫の宝石とは違う宝石が存在していた。
 さつきと、俺の周囲に集まった精霊たちが発する光を反射して、その宝石が緑と青の中間に近い色を放った。そう、それはとても綺麗なターコイズブルー。
 俺の気を通し易く、石自体が持つ属性的に言っても相性の良いトルコ石……それも現実には非常に手に入れにくい高級なトルコ石を使用すれば、目の前の怨みに凝り固まった存在であろうとも、封じる事は可能。
 ……だと思う。

 若干の不安要素……不確定な要素が頭の片隅で自己主張を行うのは無視。そもそも、完璧な策を立てるには、相手が悪過ぎる。
 表面上に現われている、術者として言うのなら明らかに素人だと断じる事の出来る犬神使いなどではなく、その召喚されようとしている情報不足の蛇神が、現状で現世にどの程度の影響を及ぼす事が出来るのか分からない。それに、この事件の裏で暗躍した邪神(這い寄る混沌)が、どの程度、本気になってこの邪神召喚事件を達成させる心算なのかが、まったくもって不明なのも不安定な要素として存在する。

 それに、そもそも、俺にここまで敵意を向ける相手を強制的に封印する事が出来るかどうかも分からない。
 この部分に関して言うのなら、俺よりも上手い術者ならば、これほどの霊的強度の高い呪具を用意する必要はない、……とも思いますが。例えば、球技大会の最後の場面に現われた和也さんや、高校の担任の綾乃さんなどならば。もっとも、水晶宮からこの場を任されたのは俺ですから、その為の少々の出費は仕方がないでしょう。

 尚、俺の後ろに立った切り、弓月さんも何も口を挟んで来ないと言う事は、俺の意見に同意している、と考えるべきでしょう。

「あによ! あたしにだってその程度の事は出来るわよ!」

 俺の右手に向けて手を伸ばして来るが不発。見事な空振りに終わり、代わりに彼女の見た目に相応しい華奢な手首を掴む俺。
 そして、

「ここまで言っても分からんのか?」

 少し手首を握る手に力を籠める俺。

「今のオマエでは単なる仇討ちにしかならない」

 確かに今の俺では、邪神召喚の贄にされた人間の魂を輪廻に戻す方法は知らない。それでも、水晶宮の方の術者なら、その方法に心当たりがある人間が居るかも知れない。

 手に力は籠めた。しかし、表情と口調は穏やかに。
 しかし、今のオマエでは封印すると言いながら、現実にはあの犬神使いの生命を断つ心算だろう、と言う断定に近い内容を言葉の裏に隠しながら。

「最期は怨みを忘れ、父の元へと昇って行ったオマエなら理解出来るだろう?」

 結局、あの犬神使いに対して怨みを晴らしたとしてもそれだけ。平良門の転生体の魂は邪神召喚の贄にされたままこの世界から消え、もう二度と転生して来る事はなくなる。

 そう。あの犬神使いの魂の部分は此の世に怨みを残して死に、千年以上の間、庚申塚に封じられ続け、その間、ずっと今回召喚しようとしている邪神の影響を受け続けた平安時代の人間の魂。
 身体の方はおそらくクトゥルフの魔獣。こいつはもしかすると俺に怨みがある個体の可能性も有る。

 ……ならば。

 それならば、その魄の部分の持ち主は?
 確かに外見的特徴を持った人間をでっち上げる事ぐらい、この事件を画策した這い寄る混沌からすれば児戯に等しい。おそらく簡単に為せる事でしょう。しかし、ヤツの悪意がその程度で終わるだろうか?

 強い瞳で俺を睨み付けるさつき。コイツとハルヒに関しては、何時も睨み付けられているような気がしないでもないが……。
 但し、普段の彼女らに関して言うのなら、明らかに虚勢、と言う色が瞳の奥深くにある事を感じる時がある。ハルヒの方に関しては、何故そのような色を感じるのか不明ですが、さつきに関して言うのなら、その理由はなんとなく分かるような気がする。

 おそらく、彼女は俺が漏らしている龍気を感じている。確かに、人外の気など発生させないように極力、気を付けるようにしてはいる心算なのですが、それでも絶対ではありません。
 まして彼女は能力の高い術者。一般人に比べると、そう言う方面の感度は間違いなく高い。
 確かに彼女は俺が水晶宮に関係している術者だと知っています。しかし、知識として知っている、……と言うのと、人間が本能的に持って居る神霊に対する畏れとはまったく別物。
 その龍気に抱いた畏れを気取らせぬ為の虚勢。

「あの、取り込み中すまないんだけど……」

 妙に低姿勢。この地、高坂と言う街の中央公園の端。庚申塚のあった場所に居る二人目の男性が声を掛けて来る。

「姉上の御蔭で、召喚の呪文は唱え終わったから――」

 もう直ぐ、父上の望んだ世界を作り上げる為に必要な能力が手に入りますよ。
 未ださつきの事を姉と呼ぶ犬神使いの青年。しかし、先ほどの術がヤツに落ちなかった事から考えても、コイツが平良門の転生者などではない事は確実。それでも尚、自らが弟だと言い張ると言う事は――
 俺たちの事を揶揄しているのか、それとも、先ほどの雷が何故、自分に落ちる事がなく、術を放った俺に落ちたのか、その理由が分からないのか、のどちらか。

 氷空に星や月は見えず。人工の光……所々に存在する蛍光灯の灯りと、アラハバキの聖域を闇の中に浮かび上がらせているかがり火の光。その人工の光のみを光源とした夜の色は、まるで指でかき分けられるかのように濃く辺りを支配し……。
 ゆっくりと過ぎて行く時間。既に腕時計を失った俺に正確な時間を知る術はないが、確かに、最後に時間を確認してから十分は経過している以上、今年の冬至は既に始まっている可能性が高い。

 俺と弓月さんは非常に冷たい。しかし、その中に憐みを籠めた視線で日本の神道式の聖域の中に立つ犬神使いの姿を見つめ、
 さつきは目に普段以上の力……強い輝きを放ち、その彼女の霊圧の高まりを示すかのように、彼女を中心とした周囲の炎の精霊が活性化。既に温められた空気が上昇気流を発生させ、彼女の、そして、弓月さんの長い黒髪を不穏に揺らし始めている。

 ………………三分経過。
 …………五分が経過。

「――な、何故、何も起こらない?」

 
 

 
後書き
 やれやれ。やっと、形見の腕時計関係の伏線が進んだ。これも長いな。
 それでは次回タイトルは『反魂封じ』です。
 
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