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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第136話 大元帥明王呪

 
前書き
 第136話を更新します。

 次回更新は、
 3月9日。 『蒼き夢の果てに』第137話。
 タイトルは、『呪詛返し』です。
 

 
 強き風が吹き荒び、神籬(ひもろぎ)を取り囲むかがり火の灯りと、活性化した精霊の光に支配された世界。
 何故か風に捕らえられ、宙に浮かぶ人影。両手首と両の足首には拘束を意味する光の環が。
 そして、その黒き影の正面に立つ光輝。

 見えない蜘蛛の糸に絡め取られた美しい……黒蝶。
 いや、むしろ見えない十字架に掲げられた背徳の魔女か。

 そう、それは美しい少女であった。身長は一五〇に届いていないであろう。肌は雪白。長い……膝の裏側にまで届こうかと言う長い黒髪は風に流れ、幼さを表現するかのようなその小さな卵形の顔。其処に理想的な配置の目、鼻、口が存在する。
 黒のコートで包まれた肢体は、はっきりとした事は言えないが、それでも彼女が周囲に発生させている強い炎のような気配が、少女が将来はとんでもないレベルの美女となる可能性を示唆していた。

 しかし――

 囁かれ続ける呪。それは抑揚に乏しく、強い風の音にかき消されながらも途切れ途切れに続く。何時もの彼女からすれば、考えられないくらいに小さく、そして呪いに満ちた言葉。
 焦点の定まらない空虚な眼差し。普段の強く何かを語りかけて来るような瞳とは正反対の、俗に言う死んだ魚のような瞳、もしくは濁ったガラス玉。

 真面な思考が存在しているとは思えない彼女……相馬さつきの様子。ただ、脳は正常に活動していると推測する事は出来る。
 何故ならば、そうでなければあれほどの体術や、術の行使は出来ないから。
 しかし、それならば今現在の彼女が正常な判断や思考を有しているか、と問われれば否、と答えられる状態。

 今の彼女は精神を支配され、正常な判断が出来ない状態に置かれている、……そう考えるべきであろう。

 対して、正面に立つ光輝……俺の方は――
 既に臨界に達し、俺から漏れ出した龍気が周囲の精霊たちを活性化。周囲で歌い、舞う小さき精霊たちが、まるで夜空を覆う流星群の如き様相を作り出す。
 最後の一歩を踏み込む俺。普段は三十センチ以上の差がある視線の高さがゼロと成って居る現在。しかし、決して交わる事のない視線。
 遙か彼方……。現実の世界ではなく、彼方の世界。虚無のみを瞳に映すさつきと、
 その彼女の姿を蒼と紅――ふたつの瞳にしっかりと映す俺。

 さつきの周囲に舞う風、そして小さき精霊たちが俺の龍気を受け、更に活性化。彼女自身に纏わり付いた薄いベールの如き闇……呪いを融かして行く。
 そう、俺の龍気が強まれば強まるほど、さつきから発せられていたどす黒い呪詛が少しずつ弱まって行くのだ。

 行ける。今は俺の龍気の方が強い!

「国も力も栄えも世々に父のものなればなり!」

 最後の祈りの詞と共に、さつきの左わき腹に掌底を叩き込む俺。但し、現実の彼女には一切触れる事もなく。
 これは術。重要なのは現実に叩きつけるパワーなどではなく、イメージ。
 普段は刀や剣、もしくは槍を介して発動させる龍気を、今回は自らの手の平に集中。踏み込んだ左脚の下で砂利が一瞬の内に砕け、五センチほど大地が沈む。

 彼女に纏わせた黒のコートに触れるか、触れないかのギリギリの寸止め。しかし、龍気に関しては別。
 その瞬間!

 世界を蒼白く染め上げる程の龍気が爆発。それは正に神の領域の術。
 今の俺自身で制御可能な最大限の龍気が、一気にさつきの身体を突きぬけ――

 一瞬、それまで表情を変える事のなかったさつきの表情が苦痛に歪む。いや、この瞬間のさつきの瞳に、今日、この地に訪れて彼女に再会してから初めて、表情らしき物が浮かんだ。
 怨嗟と怒りに震える瞳。しかし、その一方で感じる恐怖と……そして驚き。
 長い黒髪を振り乱し――

 一年で一番太陽の力が弱まるその時間帯に発生した、地上に墜ちた太陽。闇夜を眩く照らしながら、さつきを貫く龍気。その龍気が風に囚われし少女を貫いた瞬間、彼女の後方に弾き出される黒い何か()
 しかし、膨大な光輝(龍気)に包まれた闇が生存出来るのはほんの一瞬。まるで熱湯に放り込まれた角砂糖の如きあっけなさで、妄執と怨嗟により作り出された悪しきモノは消え去って仕舞う。

 そして、後に残るのは……。

 風の封印に囚われ、両手首と両の足首に光の環による拘束も変わらず。更に、しっかりと閉じられた瞳の色も未だ分からない。
 しかし、一般人からも分かるほどに禍々しい気配を放って居た闇は払拭され、ずっと呟かれ続けて来た呪も止み――

 ただ薄い呼吸のみが続けられている状態となった少女が、其処に存在するだけであった。

 もう大丈夫。そう考えながらも未だ風の封印を解きもしなければ、光の環による封じもそのままの状態を維持する俺。
 その俺にゆっくりと近付いて来る弓月さん。彼女が動く度に発生する小さな鈴の音が耳に心地よい。
 彼女に疲労の色はなし。足元もしっかりしており、この後の犬神使い封印の際にも、予定通りに彼女の援護は期待出来ると思う。
 俺の視線が彼女に向かった事に気付いたのか、西宮に居た時とは違う、かなり華やかな。しかし、それでも完全な笑みには少し欠ける笑みで応えてくれる弓月さん。

 少しの落胆。但し、彼女の中の俺と、俺の中の彼女に微妙な齟齬が有る以上、これは仕方がない事。おそらく、彼女の本当の笑みを見る事が出来るのは、彼女に完全に認められた人間だけ。
 多分、それも此の世に一人だけ、……となる相手なのでしょう。
 確かに見たいか、見たくないか、と聞かれると見たい、と答えるのでしょうが、今の俺では……タバサや有希、それドコロかハルヒでさえ、俺に其処までの笑顔を魅せてくれる事はないので……。

 今のままでは無理だな。やや自嘲気味の笑みで応えながら、思考は其処に到達する。二君に仕えず的な有希や万結が居て、その上にこれ以上何を望むと言うのだ、と言う気分もある。
 それに――
 それに、余裕があると言っても無限に時間がある訳ではない。
 今は目の前の仕事に集中。そう考え、弓月さんに移していた視線を、目の前のさつきに戻す俺。……と言っても、実は現状で多くの選択肢がある訳ではないのだが。

 先ず、今回の邪神召喚が成功する確率は、あの犬神使いの青年が行う、と仮定すると、限りなくゼロに近い確率しか存在しないと思う。おそらく、俺と俺の持って居たアンドバリの指輪に籠められたすべての霊力を一瞬で全開放すれば少しは可能性が上がるか、と言う程度。
 もっとも、そこまでの霊力を解放するのなら、その霊力を素直に攻撃のエネルギーに転化して地球ごと吹っ飛ばせば良いだけなので、掛かる労力と得られる結果に差が有り過ぎて、これは現実的な選択肢とは言えない。

 そうだとすると邪神召喚の失敗が確定するまでの短い間、この場でさつきを守り切れば良いだけ。
 このまま剪紙鬼兵と、その中に最後に投入可能な飛霊二体を召喚してさつきを護らせれば良いか。そう考え、学生服のポケットから数枚の呪符を取り出そうとする。
 その瞬間……。

 はむ……と言う無意味な呟き。四肢を拘束され、未だ大地に両足の届いていない状態。所謂、宙づり状態の少女に目覚めの兆候。
 ……やれやれ。むしろ、そのままで眠って居てくれた方が楽だったのですが。

 少しネガティブな思考。詳しく調べた訳ではないので確実とは言えませんが、外傷などはなし。彼女が発して居る気配は、普段の彼女と比べると多少、霊気が少ないような気がしないでもないのですが、それでも差し迫って生命に危機が訪れるレベルではない。
 ……以上の情報から彼女の無事が確保されただけで十分、と考えて居たのですが。

 ただ、目が覚めて終ったのでは仕方がないか……。

「相馬さん、私たちの事が分かりますか?」

 あ~だ、こ~だと俺がグズグズしている内に、近寄って来て居た弓月さんがさつきに対して話し掛けてくれた。
 グッジョブ。俺が話し掛けるよりは余程、話が早い。ついでに角も立たずに済む。

 僅かに開いた瞳でぼんやりと弓月さん、そして、その隣の俺を眺めるさつき。どう見ても未だ夢うつつの状態。
 しかし……。

「……分かるわよ、桜」

 小さくひとつ首肯き、夢見る者の口調でそう呟くさつき。そう言いながら、不自然な形で広げられた両腕を動かそうとして……。
 ――動かない。
 訝しげな表情。そして、次に足を動かそうとして……。
 矢張り、動かず。

「ちょ、ちょっと、これはどう言う事なの?」

 怒り、と言うよりは驚いたと言う雰囲気で大きな声を上げるさつき。同時に力任せに腕を動かそうとするが、しかし、そんな物ではびくともしない光の環による拘束。

「悪いな、さつき。もう少しそのままで我慢して貰えるか」

 あの犬臭いヤツを封印したら解放してやるから。
 自らの身体を少し脇に退けながら、そう話す俺。その俺の身体に隠されていた場所。日本の神道の聖域に等しい注連縄(しめなわ)と祭壇に守られ、四方に立つかがり火の灯りにより照らされた場所には、古の蛇神アラハバキを迎える為の祝詞を唱え続ける犬神使いの青年の姿が存在している。
 時刻はそろそろ夜中の一時過ぎ。おそらく、今年の冬至が始まるまでの時間は後十五分を切って居るはず。

 その方向に視線を送るさつき。しかし、その瞬間、また彼女の表情が変わる。

「待って、あの子を封印なんかしないで!」

 あの子は私の弟なのよ!
 叫びと同時に激しく身を捩る彼女。おそらく、その瞬間に普通ならば彼女の精神の影響を受けて周囲の炎の精霊たちが活性化したのでしょうが……。

「あぁ、さつき。今、オマエさんの術はすべて封じられている。せやから、無駄な事はするな」

 そもそも、オマエと俺。一体何度目の直接対決だと思って居るんだ?
 かなり呆れた雰囲気でそう言う俺。但し、さつきの方から言えばおそらく二度目。それも、一度目に関して言うと、直接刃を合わせた訳ではなく、闘気をぶつけ合っただけ。故に初めての直接対決だ、と言われても不思議ではない相手だと思う。

 但し、俺の方から言えば違う。以前の生命でもさつきとは何度も戦って居る。その度に瞳がふたつに別れるとか、分身が何人も現われるとか、刀や槍などが一切通用しなくなる、などの平将門の加護を得られていた状態の彼女と戦わされたら、その内に対処法を考えるようになって当然。
 正面から正々堂々と戦う。……まぁ、それで勝てる相手ならば問題がないのですが、残念ながら彼女はそのレベルの相手と言う訳ではありません。ならば、多少の小細工を行ったり、策を弄したりするのは当然でしょう。

「そのオマエさんの周囲を舞っている風の正体は大元帥明王呪の結界。その結界をさつきの能力や加護でどうにかするのは不可能や」

 割とのんびりとした調子で口にしたその術の名前を聞いて、さつきの顔色が変わった。
 そう、大元帥明王呪。この術は基本的に鎮護国家や怨敵退散などの呪が籠められた術なのですが、そんな術なら他にいくらでもあります。今回この術を使用した理由は、この術が承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱の際に、平将門を討ち取った術だから。
 この術の風の封印により術を無力化された将門に対して、藤原秀郷の放った矢が眉間に刺さり死亡した、と一部の伝説では語られている術式。

 そう、()()()()()()のです。物語には、その物語を知っている人間が多ければ多いほど、更にその物語が古ければ古いほど、周りに対して強い影響を与えるようになる能力がある。今回の場合だとそれが、平将門の加護を得ている相馬さつきの能力を無力化する、……と言う方向に影響を与えたと言う事。

 そして弓月さんが唱えた稲荷大神秘文と、俺が唱えた祈りの詞は、ほぼ同じ存在に対する呪文と言われている物。
 元々秦氏族……弓月の姓を名乗る彼女の家も、男系で言えば秦氏族系。その秦氏が景教を日本の神道の源流に紛れ込ませたと言われている呪。
 それがこの稲荷大神秘文。

 つまり、今の俺……ヘブライの神に見込まれ、聖痕を刻まれた俺に取っては一番行使し易く、更に効果の期待出来る浄化の術だった、と言う事。
 確かに術以外による洗脳だった場合、一切効果を示さない可能性も有りました。……が、しかし、さつきを自由に動かせる駒プラス失っても惜しくない人質。つまり、時間稼ぎ要員と犬神使いが考えて居たのなら薬物などを使用した洗脳は行わない、と考えてこの術を解放の切り札としたのです。
 ある程度の意識を残さなければさつき自身の術の行使は不可能ですし、長時間のすり込みなど流石に無理だったはず。それなら、何かを。自分の思い通りに操る事が出来る何モノかを憑ける方が話は早い。
 おそらく、先ほどまでの彼女は犬神憑きと言う状態だったのではないでしょうか。

 仮に失敗したとしても、大元帥明王呪を解除する方法がさつき達にはないはずなので、犬神使いの封印が終わった後に彼女に掛けられている術の解除を行えば良いだけ、ですし。

 それに……。

「オマエ、彼奴がさつきの弟の訳がないでしょうが」

 アイツはどう見てもオマエよりも年上やで。

 見た目、小学校高学年のさつきに対してそう言う俺。
 ハルケギニアのタバサよりも背が低く、更に女子高校生としては非常に残念な体型。そんな彼女と、多少、印象として小さな感じがしたとしても、相手は一七〇センチほどの身長がある青年。その二人の関係が姉弟って……。
 それは幾らなんでも無理があり過ぎる設定でしょうが。

 ……本当に呆れた、と言う嘲りにも近い色を着けた言葉。

 但し、これは常識と言う枷を自らに嵌めている台詞。少なくとも俺には、彼女の言葉を、科学的に……常識的に考えてあり得ないとして、一笑に付す事が出来ないのは事実です。
 色々と不可思議な柵(前世の因縁)に囚われた俺だけには。

 キッと言う擬音がしっくりと来る視線で俺を睨み付けるさつき。完全に術を封じたはずなのに、彼女の瞳は強い光と、物理的な力とまで感じるほどの威圧感を放っていた。
 正直に言うと、逃げ出したい気分。おそらく、彼女が言いたいのは俺が意識をして無視した部分。その無視した部分に気付いていながら、オマエは何を表の世界の常識と言う枷を嵌めた台詞を口にしているのだ、と言いたいだけ。
 いや、この台詞を口にしたトコロで、俺がヤツの封印を止める訳がない事に気付いたと言う事なのでしょう。

 何故ならば、普通に考えるとさつきが正気に戻れば大元帥明王呪に因る結界や、聖痕を模した封じを解除するはず。その方が、彼女が自由に行動出来るので、さつきを逃がすにしろ、共に戦うにしろ、彼女の護衛に割く戦力が必要なく成ります。
 しかし、現実には封じられたまま。これは、彼女が仮に正気に戻ったとしても潜在的な敵戦力として行動する可能性が残っている……と俺が判断している事の現れですから。

 そう、未ださつきに関しては潜在的な敵戦力だ、と俺は判断しています。
 何故ならば、現状ではあの犬神使いと彼女の人間関係が完全に分かっていない状態。精神が操られたから俺たちと敵対したのか、それとも、それ以前の段階で自発的にヤツの手伝いを行ったのかが分からない以上、眠っている間にすべてを終わらせた方が良かったのですが……。

 威圧感十分の視線を正面から受け止め、更に、それ以上に真剣な表情で見つめ返す俺。
 二人の丁度中心辺りでぶつかる視線。術者同士の視線には霊力が籠る可能性が高い以上、今、二人の間に不幸にも入って終った存在が居たとしたら、ソイツは次の瞬間には間違いなく気死して仕舞うでしょう。

 しかし……。

「相馬さん、あそこに居る相手は人間ではありませんよ」

 高まる緊張。その二人の間に割って入る弓月さん。それも周囲に危険な雰囲気を撒き散らし始めた俺とさつきの間に、まるで身を立てるように。
 もっとも、このタイミングを俺も待っていたのが真実。有希やタバサには出来ない調整役を任せられるのは助かりますから。

 一瞬、緩み掛ける表情。しかし、直ぐに気を引き締め、現実に表情を崩す事はなし。それに未だ彼女を煽る必要はあると思う。

「あそこに居るのが、さつきはオマエの弟……相馬太郎良門(そうまたろうよしかど)の転生体だ、と言うのやな?」

 敢えて後ろを振り返る事もなく、後ろに向けて親指で指し示すだけで確認を行う俺。

 そう、普通に考えると小学校高学年の姉に、四年前には既に大学生だった弟が居るとは思えない。この辺りの謎を解明するのに一番簡単な答えはコレ。
 確かに、俺にも前世の記憶らしき物が複数蘇えりつつあるのですが……。

 但し……。

「良門や滝夜叉姫(たきやしゃひめ)と言えば千年も前の人間。そんな過去の人間関係に振り回される愚も、ちゃんと理解出来ているのか?」

 自分の経験や、実際に心が感じているモノに関しては無視するかのような問い。確かに、自らの言葉が正論である事は自分でも分かっています。これは今年の夏以降、常に自分に対して問い掛けている内容だから。
 しかし――
 しかし、同時に、正論で割り切れない物が有る事も俺は知っている。俺がタバサや有希に対して抱いて居る感情や、ハルヒに対して感じた少しの胸の痛み。更に、弓月さんから向けられた感情に対して、明確な答えを返す事が出来ないもどかしさなど。
 これらはすべて、正論で処理し切る事の出来ない俺の感情。俺の大切な想い出。

 但し、知っているが故に、この言葉はさつきの心を抉る言葉である事も理解している、と言う事でもある。

 まして、俺が考えるに、相手は本当の良門の転生体だとは思えない相手。
 もしあの犬神使いが本当に平良門ならば、ヤツもさつきと同じように左の瞳がふたつに別れるはず。確かに術の才に関しては滝夜叉……五月姫の方が上だったと言う伝承も存在しますが、剣術に関しては別。良門の方が上だったと多くの本や資料などに記載されていた、と記憶しています。
 もし、本当にあの犬神使いが平良門の転生体だった場合は、昨夜の俺。完全にアイツの事をなめ切っていた、とは言い難いですが、それでもあの犬神使いの青年が平良門のような古く、多くの人が知っている伝説を持つ存在だとは考えていなかったので……。

 おそらく、物理攻撃を一度だけ反射出来る俺に実害はなかったとは思います。ですが、俺の腕の中に居たハルヒに関しては間違いなく死亡していたでしょう。
 確かに一度や二度死亡したトコロで、俺が即座に術を使用すれば、ハルヒの方に寿命が残されていて、且つ冥府で提供される飲食物に手を出さなければハルヒは復活出来ます。
 ……彼女が一般人に準じる存在ならば。

 ただ、彼女がシュブ=ニグラスの影響を未だ受けている可能性が有るので、ハルヒが死亡した瞬間に何か……非常に危険な出来事が起きる可能性が有るのと、
 もうひとつの問題は、死は穢れに繋がるので、術が有るからと言って簡単に死亡&復活を繰り返す訳にも行きません。
 死の穢れは、結局、転生の際に悪い影響を及ぼす可能性もあるので、極力、関わらないようにするのが基本。穢れは『気枯れ』に繋がるので。

 そう。昨夜の戦いの際、俺には多少の油断があった。もし、さつきが言うように、本当にあの犬神使いが良門の転生なら、その油断を突いて俺に取り返しの付かない結果を突き付けて来る事も難しくはなかったはず。
 しかし、現実のヤツは……。

 昨夜の戦いを思い出し、その結果が最悪の方向へと傾かなかった事に、今更ながら胸をなで下ろす俺。それでなくても俺は精神的に脆い部分があるのに、腕の中にいる少女を自分のミスで死なせるような結果となれば、それ以降の行動で冷静な判断が下せたかどうかも怪しい。

 それに……。
 それまで以上に瞳に力を籠める俺。そう、これから発する言葉は、俺自身にもその問題が常に付いて回る疑問。
 多分、俺の転生を制御しているのは普通の人と同じ前世の俺。前世を終え、その後に転生を行う段階で次の生命の目的を自分で選んだ結果が、今この生活に繋がっていると思う。

 しかし、それは果たして今の俺の意志だと言えるのか。

「何処かの誰かに、その感情を操られている可能性は考慮したのか?」

 はっきりと聞こえるように。聞き間違いのないように滑舌も確実に、一言、一言に力を籠めてそう言葉にする俺。
 おそらく、さつきだってこんな事ぐらい分かっているはず。但し、その事に対して敢えて目を瞑っている可能性だってある。

 蛇神召喚の祝詞がその瞬間、風音により一瞬かき消された。それは僅かな余韻を引き、俺と、俺を睨むように見つめるさつきの周囲を舞う。
 まるで、俺の発した言葉自体をズタズタに引き裂こうとするかのように……。

「だって――」

 低い、まるで肺からすべての空気を絞り出すかのような声。普段の自らの感情を押し殺したかのような……有希やタバサ、万結のように、そうある事が自然な声などではなく、彼女の場合は作られた声。その普段の作られた声ではない、悲痛と表現すべき声。

「あたしだって、そんな事ぐらい分かっているわよ!」

 だって、仕方がないじゃない! あいつの顔を見ていると、懐かしいのよ! 哀しいのよ! 悔しいのよ!

 真実の響き。しっかりと閉じられた瞳からは――
 これ以上、見てはいけない。それに見てはいられない。

「なら、あんたが証明してよ。あいつが良門じゃないって事を!」

 出来るだけ自然な雰囲気で、背中を向ける俺。その背中に投げつけられる悲痛な声。
 風に煽られ、揺れる注連縄。途切れ、途切れに成りながらも続けられる祝詞。

 後方からの寒風を受け、髪は乱れ、そのストリート系の衣装も濡れそぼっているような雰囲気。
 しかし……。
 しかし、それでも祝詞を上げ続ける犬神使いの青年。時に高く、時に低く、神道独特の抑揚を付けた節回しも堂に入ったモノ。
 ヤツの周囲に漂うのは池から発生した闇。俺の周囲に舞う流星の如き光を発する精霊の類などではなく、生命を感じさせる事のない虚無そのもの。

 ヤツは今、さつきが俺に囚われている事には気付いているはず。少なくともシャーマン系の能力者のようなトランス状態となって、現状認識力が異常に低下しているようには見えない。
 これは自らの姉であろうとも足止め要員として投入し、例え、その所為で失ったとしても眉ひとつ動かす事のない覚悟を決めた狂信者か、
 それとも、初めからさつきとの繋がりが皆無の、単に彼女の精神を操っているだけの存在かのどちらか。

 ただ、どちらにしてもヤツは既に堕ちている。少なくとも真っ当な人間の精神や感情を持って居ない事は間違いないでしょう。

「そうか――」

 後ろを振り返る事もなく、彼女に話し掛ける俺。三歩分だけ前に……つまり、犬神使いへと近付きながら。

「これから、彼奴がお前の弟か、それとも違うのかを調べる」

 但し、もし、それで彼奴が平良門の転生体だと言う事が分かったとしても、俺はヤツを封印する作業を止める事は出来ない。
 それまでの強い言葉などではなく、むしろ優しげな声、と言う声で続ける俺。

 そう、この事件は俺一人の胸に終って置く事が出来る事件のレベルを超えている。表の世界で、既に無関係の四人の人間が死んでいるから。
 まして、水晶宮と天の中津宮の方には援護の依頼を行って、既に人員の投入も為されている。当然、その際に、これまで調べた事件のあらましは既に報告してある。それでなければ、簡単に人員の投入は為されませんから。
 この状態では、事件を有耶無耶の内に終わらせて仕舞う事が出来る訳はない。

 おそらく、何らかの報告の義務が俺たち……この事件に関わったSOS団関係の術者には発生して、その顛末をそれぞれが所属する組織へと報告しなければならなくなるのでしょう。
 最終的には日本の霊的な部分を支配している天の中津宮にも、当然のように、その内容は報告されるはずです。

 確かに、これは殺人事件としては立件不可能な事件です。そもそも、その事件を起こした存在が平安時代に生きていた人間が悪霊化したモノで、人を殺した方法が呪詛では、現在の法律ではどうしようもない。
 おそらく、直接、事件を解決……封印された犬神使いの処理は水晶宮の方で担う事となるのでしょうが、その後に封印された犯人の引き渡し要求が天の中津宮の方から為される事となって終わり。当然、最初の穢れを払うのは現地に居る俺たちの仕事と成りますが、乱れた地脈の調整などの厄介な仕事は天の中津宮の仕事と成ると思います。

 これだけの事件を俺一人の胸の内に納めて終わらせる。流石にそれは無理。もう、そのレベルは越えていますから。

「但し、もし良門だと判明した時には、オマエをその結界から解放してやる」

 解放した後は、どうしようとオマエの勝手。彼奴を説得しようと、俺の邪魔をしようと、そのまま――今、彼奴がそうしているように、何もせずに見て居ようと、さつきの好きにしたら良い。

 優しげな言葉。但し、これは事実上、もしさつきが敵となった場合、次は本気で相手をする、と言う意志を表明したのに等しい内容。

 俺がもし自らの関係者が事件を……自分勝手な理屈と目的で他者を殺めた時にどうするか。それを考えると、精神支配を解かれたさつきがどう言う行動に出るか分かりますが。
 ただ、俺の考えではあの犬神使いは良門ではない。つまり、さつきはこのまま結界の中で拘束され続けるから何の問題も起こる事なく事件は解決する。
 そう考えながら、一歩、更に踏み出す俺。

「武神さん?」

 弓月さんが、こちらも同じように背中に向け声を掛けて来た。その中には当然、疑問が存在する。
 ただ、その疑問が果たしてさつきを解放する、と約束した事に対する疑問なのか、それとも何の説明もなく犬神使いへと接近しようとしている俺の行動に対してなのか、将又、俺が件の犬神使いが平良門でない、と如何にして証明する心算なのかが分からなかったのか。
 その辺りに付いては定かではありませんが。

 しかし、彼女が発した疑問は一瞬。直ぐに動き始めようとする彼女。
 ……成るほど。

「いや、弓月さん。貴女はさつきの傍に居てやってくれますか」

 彼女は彼女なりに俺の相棒役を務めようとしてくれている。更に、現状に対する判断も素早い上に正確。少なくとも、俺には過ぎた相棒。その事に対して感謝の意味を籠め、振り返りながらそう言う俺。
 その俺の右手には既に一枚の呪符が。

 振り返った先。其処には既に召喚の祝詞が佳境を迎えた犬神使いの青年の姿が。
 そして!

「我、雷公の気――」

 
 

 
後書き
 それでは次回タイトルは『呪詛返し』です。
 
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