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Element Magic Trinity

作者:緋色の空
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貴方の人生に幸あれと

 
前書き
―――――私は、いつまでも願っております。 

 

「…という訳でして」
「つまりこの中にいるバケモンを倒せばいいんだな?」
「その通りです。話が早くて助かります、魔導士様」

街外れにある白蛇の社。古ぼけた小さな建物の前で、2人の男性が何やら話し込んでいた。
1人は少々白髪が目立ち始めた黒髪の男性。年はざっと見て40代後半くらいだろうか。特にこれといった特徴のない容姿に、良くも悪くも目立たない地味な服装。だがこの街で彼を知らない者はまずいないというある種の矛盾めいた男―――町長たるフィガ・フォルガ。
そしてもう1人。粗い黒髪を背中まで伸ばし、眉や鼻、口元にはネジを思わせるピアス。右肩に渦を巻くような紋章を刻み、黒一色の服に身を包んだ強面の青年。
年齢は明らかにフィガの方が上なのだが、態度は真逆だ。これから仕事を頼もうというのに偉そうにするのもおかしな話なので、当然といえば当然なのだが。

「で、そのバケモンってのはどんな奴だ」
「そりゃあもう凶悪な奴です。近づいてくる者は皆敵と見做し、容赦なく噛み付いては毒を仕込む。更に妙な術でも使っているのか、私の息子が誑かされてしまいましてね。お恥ずかしい話です」
「テメエのガキなんざどうでもいい。そんだけなら大した奴じゃねえな」
「いえいえ、奴の恐ろしさは妙な術でも毒でもありません」

何も知らない魔導士に、これでもかと言わんばかりに大袈裟にした話を吹き込む。今ここにその“誑かされた息子”がいれば怒りを露わにして爆発を引き起こしていただろうが、彼は昨日から戻って来ていない。
怪訝そうな表情の魔導士はフィガの話に違和感の欠片も覚えない。その様子に内心安堵しつつ、表面上は“バケモノに怯えながらも街の為に動く町長”を演じ続ける。

「髪です」
「髪だあ?」
「ええ、毒々しい色の長い髪。毛の1本1本が蛇になる上に切っても切っても死にやしない、どこに逃げても追いかけてくる…全く、気味の悪い娘です」
「蛇になる髪、ねえ……」

顎に手を当て何やら考える姿に、密かに笑う。どうやら信じ込んだようだ。これであのバケモノは社からも街からも消える。そうなればバケモノを追い払おうと動いた自分は立派だと讃えられ、その時は目を覚ました息子も戻ってくるだろう。町民達の前であれほどまでに言い切った手前戻りにくいかもしれないが、そこをサポートすれば更に評判は上々だ。
何年もかけて築き上げた今の地位を、あんなバケモノに崩されてたまるか。こちらにまで牙を剥くなら、その牙をへし折ってやる―――――。







「そんだけか?」
「は…」
「だから、髪が蛇になるだけかって聞いてんだよ」

その余裕を粉々に打ち砕かれた、気がした。赤い目を向ける彼の言葉を、じっくり時間をかけて理解する。
それだけなのかと彼は言った。ただ髪が蛇へと変わる、()()()()()()()の事かと。

「それだけ、って…」
「本当にそんだけみてーだな……んだよ、その程度でバケモンだ何だって喚いてやがったのか。くだらねえ」

その強面に浮かべるのは不機嫌さか、それとも嫌悪だろうか。とりあえず言えるのは、彼等の考えはどうやっても一致しないという事だけだ。どんな手を尽くしても、彼が「くだらねえな」と吐き捨てて終わるだろう。
王国最強と言われるギルドの1つに依頼を出して、優れた魔導士を頼むと依頼書に付け加えて。報酬だってこの手の依頼の中ではかなり高額、なのに結果として丸め込めない。これでは努力が水の泡だ。
それは困る。バケモノ云々などではない。このままでは町民達からの称賛が向けられないではないか。

「い、いえ…確かに魔導士様のような方からすればその程度ですが、私達から見ますと、それはそれは脅威でして……」
「知るかよ、んな事」

必死に絞り出した言葉すら蹴り飛ばされる。ギロリと睨み上げる赤い目の恐ろしさが、今になってようやく感覚として伝わってきた。もう少し早く気付いていたのなら、別の言葉を用意出来ただろう―――いや、それすらも今は怪しい。

「で…ですがね魔導士様」

どうにか繋ぎ止めようと呼びかけて、どんな言葉でも彼を掴む事など出来やしないのだと悟る。吐き捨てた言葉の通りに、飽きに似た表情。それが無性に腹が立って、頭に上りそうな血を必死に抑えつつフィガの脳は別の策を弾き出した。
そうだ、この魔導士はあのバケモノの姿を知らない。蛇になる髪といっても、実物を知る自分とは思い描いているものが違うのだろう。うじゃうじゃと群れを成す毒々しい色の蛇達、切っても切っても再生する不死身の集合体とその核たるバケモノを見れば、彼だってその恐ろしさに気づくはずだ。

「でしたら魔導士様、そのバケモノをご覧に入れましょう」
「あ?」
「ご覧になればご理解頂けるはずです。あのバケモノが私達の生活を脅かしていると!」

そう言って、社の扉に手をかける。半年ほど前、初めて息子をこの社に行かせた辺りから付けられた鍵はどうやらかかっているらしい。だが、いくら鍵を付けたとしても社の古さは変わらず、このくらいなら体当たりを繰り返せば呆気なく開いてしまう。
笑みが止まらない。背を向けているから気づかれてはいないだろう。にやにやと浮かべる笑みを息子が見ていたら「欲深い愚か者が」とでも吐き捨てていただろうが、今のこの街にフィガの敵になる者は誰1人としていないのだ。
もう誰も邪魔をしない。町民達は皆バケモノを忌み嫌い、追い払うべく動いた自分はまさしく英雄そのものだ。そうなればこの地位は確固たるもの。誰にも奪われない、彼が死ぬまで永遠に約束されたフィガ・フォルガの席。
その為に息子を利用するのには少し罪悪感があるものの、救済策を用意出来る限り並べた上での結末なら仕方がない。何もせず放っておいた訳ではなく、彼がバケモノに誑かされてしまっただけの事。それならもう、フィガには関係のない事だ。気にする必要もない。

「申し訳ありませんが、鍵がかかっておりまして。鍵は息子が持っていますので、少々手荒な真似をしますが……」
「必要ねえ、無駄だ」

……今、何を言われたのだろう。

「魔導士、様?」
「無駄だっつったんだよ、蹴破ろうが何しようがここに用はねえ」
「……何を仰っているのか…」

解らない。そう続けるのが何だか癪で、言いかけた先を飲み込んだ。
対する魔導士はといえば、どうでもいいと言いたげな表情で社に背を向ける。そのまますたすたと街の方へ戻って行く背中をぽかんと見つめて、それからすぐにはっとした。
まさか帰るつもりなのだろうか。依頼放棄、なんて事よりも前に浮かぶのは地位の為に練った策の数々。どれもこれも魔導士の協力があってこそ成り立つ計画で、協力してもらえない―――否、駒として動かないなんて予定外だ。

「で、ですが…今回の依頼は、バケモノ退治で」
「いねえ奴をどうやって退治させる気だ?」
「いえ!バケモノはこの社にいます!ですから退治を…報酬が足りないのでしたら、出せる限り増やしますのでっ」



鈍い色が、ひゅっと左頬のすぐ真横を駆けた。






それが突き出された拳だと気づくのに15秒ほど。突き出したのが目の前の魔導士だと考えが至るまでに更に10秒。何故拳が向けられたのかには何秒かけても気づけない。
そして、その拳が具体的には拳ではなく――――鉄の棍棒と化した右腕だとは、理解が追い付かなかった。

「ここにテメエが言うバケモンはいねえよ。ニオイはするがもう薄い、昨日辺りにでも逃げたんじゃねえの?」
「逃げた?昨日……?」

言われて思い当たるのは、忍者を思わせる黒装束の息子。昨日町内会で街との溝を深くし、誰が見ても気を抜いて放ったとしか思えないレベルの爆発を起こして去って行った彼。
けれど今日魔導士が来る事は知っているはずで、それを解った上でバケモノ側につくほど愚かな息子ではなかったはず―――――。

「つかよォ、さっきから聞いてりゃ胸糞悪ィんだよテメエの話」
「は…何、を」
「結局はその女をバケモンだって事にしてえだけ。解りやすいにも程があんだろ、隠せてるとでも思ったかクズが」

嫌悪を隠そうともせずに吐き捨てて、右腕を下ろす。肘から先が鉄と化していた事にようやく気付いた頃には、鈍色は既に筋肉の付いた腕へと戻っていた。

「オレは別にバケモンに味方しようなんざ思わねえ。けどテメエみたいなクズ野郎の味方になるのに比べりゃ、バケモンの方がマシだろうよ」

どんな奴かは知らねえがな、と続けて、その足は再び街へと向かう。
その背中にかける言葉が見つからない。どんなに被害を訴えても、どんなにバケモノの恐ろしさを語っても、何1つとして届きやしない。それは彼が何も知らないからではなく、知った上で判断した結果。そして、それを大きく逸らす術をフィガは持っていなかった。

「な…何を言うか!これでは依頼放棄だ!」
「だったら何だ」
「ギ…ギルドの名が落ちるぞ!フィオーレを代表する魔導士ギルド、幽鬼の支配者(ファントムロード)の名が!」

叫んだのは、青年の所属するギルドの名。ここからすぐ近くにあるオークの街に本部を置く、マグノリアにある妖精の尻尾(フェアリーテイル)と並んで実力のある魔導士達が揃ったギルド。
そんな国有数のギルドの魔導士が依頼放棄なんて噂が立てば、どんな影響を受けるにせよ悪影響なのに変わりはない。挙句依頼人に暴言紛いをつらつら並べて。
噂なんてものは知らないところからどんどん流れていくもので、フィガが何も言わなかったとしても、バケモノが討伐されていないとなれば町民達にもある程度の予想が出来る。そうなれば魔導士が何もしなかったというのは町民全員の共通認識になり、その話があれよあれよと広がっていくのも時間の問題だ。
それは彼とて避けたいはず。ギルドの評判が落ちる上に、場合によっては自分の名にまで傷がついてしまうのだから。異名まで持つ魔導士なら、尚更。

「ギヒッ」

けれど。
粗い黒髪を揺らし振り返った魔導士は、そんな特徴的な笑い声を零して。

「安心しろよ、その程度じゃファントムはビクともしねえ」

その程度で脅せると思うなよクズ野郎、と続けて。
幽鬼の支配者(ファントムロード)最強の男たる鉄の滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)は、強面に悪役めいた笑みを浮かべた。










町長は追って来ない。きっと今頃は、我に返って社の中を隈なく捜索している事だろう。ここにはいないと教えたというのに、諦めの悪い男のようだった。
街と社までの間、林の中を進む。常人よりも優れた嗅覚を活かし、更に視線を走らせて木々の中から彼等を探し出す。

「おい」

そう声をかければ、木の陰から1人。
整えた訳ではないのだろうが整ったように見えるスタイルの黒髪に、東洋にいたらしい忍者なる存在を思わせる黒装束。両手には黒の指貫きグローブ、足元も飾り気のない黒いブーツと徹底して黒尽くめである。アクセサリーの類はなく、肌の露出もせいぜい顔と指先くらいだろうか。
足音1つ立てずに姿を現した青年は、こちらを見てふっと笑う。

「その様子だと、どうやら町長を突き放すのには成功したようだな。後は諦めるのを待つだけだが」
「イカれてるぜ、お前の親父はよォ。話には聞いてたがあれ程とはな…」
「身内ながら同感だ。アイツがそう簡単に諦めるとは思えんが…もしこれ以上危害を加えようとするなら、少し武力に頼らねばならなくなりそうだ」

困ったように笑って、黒装束の青年―――ザイールは肩を竦める。争い事は避けたいんだがなあ、と口では言いながらも、右手の指に藍色の光を絡めているのを見逃したりはしない。
木の幹に背中を預け、横目でザイールを見やる。あの父親や町民達に囲まれていたというのに、よく彼等のようにならなかったものだ。何度目になるか解らない思考が過ぎる。どこにいたって彼等の言動からは逃れられない状況にあったなら、欠片程でも似た部分があったとしてもおかしくはない。それでも彼女の味方であると言い切った辺り、余程自己が強いのだろう。何があろうと流されない、強固に作り上げた自分自身を持っているからこそ。

「で、この後はどうすんだ。アイツ等に喧嘩売るってなら付き合ってやってもいいぜ」
「そういう野蛮な手を取るのは最後の最後さ。とりあえず…そうだな、出来れば穏便に済ませたい。可能ならこのまま隣町に移動……いや、だがそれだと」
「どうやっても街の近くを通る事になる。それを避けるなら、ここからだとどう行こうが遠回りだ」

この林を街に向かって突っ切れば、隣町まで行くのに然程時間はかからない。長くても1日はかからないだろう。一応道もちゃんとあり、暗くなってもまだ安全だといえる。
だが、出来れば街に近づかずに移動したいというのが、別の場所で待機しているもう1人も含めての共通事項。かといって林を街とは逆方向に行くと、道なき道を感覚頼りで歩く事になる。更に遠回りになり、時間がかかって暗くなってしまえば翌朝までは迂闊に動けない。その間に街の捜索隊なんかが出てきてしまえば一大事だ。

「参ったな…目晦ましが出来ない訳じゃないが、下手に使うと俺達の居場所を教える事になる。俺達の顔は街中に知られているだろうから、付近をうろつくのも危険が伴うし……」

その場にしゃがんで考え込む。その姿を視界の端に入れつつ、ふと連れの少女を思い出した。長く伸ばしたローズピンクの髪に、質素な白のワンピース姿の彼女。街の人間老若男女が揃いも揃って恐れる必要がどこにあるのかなんて全く解らない。バケモノなんて言葉とは縁遠そうで、死と偏見を恐れながらも街を守ろうとした、少し勇敢で人を思う気持ちが強いだけの至って普通の女の子なのだと、彼は言った。

「……くだらねえ」

ぽつりと呟く。ザイールの目線が上がったのに気付きながらも、目は向けない。
別に彼女がどうなろうが自分には関係ない、と言われてしまえばそれまでで、けれど自分の意思で“関係ない”では済ませられない部分にまで踏み込んだ。そこにあったのは少女に対する情ではない。恵まれない環境だとは思うけれどそれ止まりで、感じ取れるほどに強いのは周囲に対しての呆れに似た怒りで。
目を向ければ、どこにでもいるただの少女だった。耳を傾ければ、呟かれるのは在り来たりな言葉だった。真正面から向き合えば、向けられるのは敵意ではなく優しさだった。
誰に害を与える訳でもなく、ただ生まれ故郷で平凡に生きていただけ。人並みの幸せを当たり前として受けて、家族や友人に囲まれていただけ。なのに、何の権限を以て彼等はそれを奪うのだろうか。
それ以上なんて、彼女は望みやしないのに。もしも“それ以上”があるのなら、きっと彼女は迷いなくそれを彼等に差し出す。それが当然だと、躊躇いなく言い切る。
そんな優しさの全てに気づけとは言わない。けれど、気づく為の努力すら怠る彼等に手を伸ばし続ける理由なんて、そんなものは。

「くだらないさ、どうしようもない茶番劇でしかない。諧謔のつもりなら、気が利かない上に面白くもない…それじゃあ最悪だ」

そう言って立ち上がり、背の高い雑草をひょいと飛び越える。とん、と地面に足を着く時さえ音を立てない辺り、服装も相俟って本物の忍者のようだった。それにしては魔法が少々派手すぎるのだが。
そこそこあった距離を縮め、人2人分ほどの間を空けた位置からザイールは笑う。先ほどまでの困惑気味の笑みではなく、どこか安心したような顔で。

「よかったよ、お前が俺と同意見で」
「…」
「あんなのに囲まれ続けていると、時々俺が間違っているんじゃないかと不安にもなるんだ。同意してくれる奴なんて誰もいない。誰も彼も俺の言葉を異質と見る。そんな中での同類は初めてだよ」
「勘違いすんじゃねえぞ黒尽くめ。オレはアイツ等よりはお前等側の方が得だと思ってるだけだ」
「何度も聞いたし俺は黒尽くめじゃなくてザイールだ。序でに言えばお前も十分黒尽くめじゃないか…っと、話が逸れたな」

溜め息混じりの声。顔は正面を向いたまま、つり気味の黒い目だけをこちらに向ける。話を戻そうか、なんて呟く表情はどこか明るい。
やや俯き気味に、前髪の奥から覗き込むような位置からの視線に赤い目を合わせれば、弧を描く唇が「けれど」と紡いだ。

「損得の前に、アイツを見捨てるなんて選択肢すら既にないだろう?」



過ぎるのは、控えめに微笑む少女。




肯定はしなかった。否定もしなかった。
そんな返答に更に笑みを深めて、そこにある意味も言いたい事もある程度を理解した上で、ザイールは立てた右人差し指を意味もなく振る。ふわりと尾を引くような藍色の光は一瞬で、些細な爆発すら起こさずにそっと消えた。

「顔に似合わず優しい奴だよ、お前は」
「うるせえ、つか顔に似合わずは余計だ」
「間違ってはいないはずだが」

くつくつと、抑えた声で笑う。意地悪そうなその顔も、彼女の前では柔らかく崩れるのだから凄いものだ。相手次第で表情を真逆のものに変える彼が凄いのか、それともそんな顔をあっさり引き出す彼女が凄いのかは解らない。解っているのは、この2人の間には信頼とも恋慕とも友情とも違うような、けれど強い繋がりがあるという事だけ。

「あの……」

噂をすれば何とやら。
おずおずと、ソプラノが響く。目線をザイールから外して近くの木に向けると、体の半分ほどを覗かせる彼女と目が合った。
質素なワンピースの上からやや大きめの黒いコートを羽織り、足元は社に唯一あった飾り気のないサンダル。この時期にそれでは寒いからと引っ張り出してきた黒のニーハイソックスに包んだ脚を擽る背の高い雑草を危なっかしげに避けて、低い位置から黒い目がこちらを見上げる。

「…何だよ」
「あまり威嚇するな、怯えさせてどうするんだ」
「元々この顔だっての、別に威嚇してる訳じゃねえ」

先ほどまでの愉快そうな笑みはどこへやら、むっと不機嫌そうに眉を寄せたザイールに言葉を返す。彼女の事になるとどうやら過保護らしい彼だったが、確かに強面で性格もいいとは言えないタイプだというのを思い出したらしい。やや納得は出来なさそうな表情で「そうだったな」と呟いた。

「…私はこれから、どうすればいいのでしょうか」
「お前の好きなように…と言いたいんだが、その為にもまずは街から離れる必要がある。まあ安心しろ。俺が言い出した事なんだ、約束を破ったりはしない」

不安げな彼女―――シュランの頭をそっと撫でる。気づけばその顔は和やかに緩めたそれで、先ほどまでの悪戯っ子めいた笑みや不機嫌そうな表情なんて欠片も残っていない。
頭を撫でる手に安心したのか、張り詰めたような表情が僅かに緩められる。髪が揺れたのは風のせいか、それとも全く別の理由か。だがザイールは特に気にする訳でもなく手を下ろし、「よし」と頷いた。

「とりあえず、隣町の方に歩こうかと思うんだが…大丈夫か?」
「それがザイール様の御決定とあらば、私は従うだけです」
「そうか……ガジル、お前はどうだ?」

従順な返答に少々眉を下げつつ、こちらへの問いかけ。
木の幹に背を預けたまま、魔導士―――“鉄竜(くろがね)のガジル”と呼ばれるガジル・レッドフォックスは、「好きにしろ」とだけ呟いた。









時は遡り昨日の午後7時頃。長針が3と4の間を指す、そんな時間だった。
途中あちらへこちらへと脱線しながらようやく言いたい事を言い切って、この手を取れと手を伸ばして。呆然とするシュランの目を、正面から真っ直ぐに見つめて。

「……約束、していただけるのですか」

彼女が零したのは、そんな一言だった。

「私は、バケモノなのですよ。自分の力なんて半分も理解出来てなくて、もしかしたら制御出来ずに貴方を傷つけてしまうかもしれないのですよ」
「ああ」
「皆様から嫌われて、帰る場所がなくなって、誰も助けてはくれなくて。何もないにも程がある程に何にもなくなってしまうのですよ」
「解っている…なんて、言葉だけじゃ何とでも言えると言われればそれまでなんだがな」
「私の傍にいても、何も得られないのに。失う事はあっても得る事はないのに、それでもザイール様は……私を守ると、そう約束すると仰るのですか!?」

最後の方は、泣き出しそうに震えていた。けれどそれが、拒絶ではなくこちらに来てはいけないという親切から来るものだと、彼には最初から解っていて。
立て続けに並べられる負の部分を端から端まで全て理解した上で、目を逸らす事なく彼は言う。

「言ったはずだ、誰にも否定などさせないと」
「…はい」
「約束する。お前と、お前が幸せでいられる居場所を何があっても守ってみせる」

―――だから泣くな、俺を信じろ。
少しでも安心させようと微笑んで、自然と右手は頭に伸びる。髪を乱さないように丁寧に撫でるのは日頃の癖で、凝った手入れなどしていないであろう髪が部屋の光を受けて艶やかに煌めいた。
見開かれた垂れ気味の黒い目がザイールを映す。映った姿が小さく揺らめいた気がした頃には、その瞳が潤み始める。

「ザイール…様……」
「ん?…って待て待て待て!どうして泣きそうになってるんだ!?何か気に障るような事を言ったか!?だとしたらすまない、悪気はないんだ、ないから泣かないでくれ無自覚だったんだ!え、ええと……解らん、こういう時どういう手を打つべきか全く解らん……!」






「とりあえず落ち着けよ、黒尽くめ野郎」

再び平常心を欠いた社に響いたのは、男性の声だった。









「誰だ!?」

びくりと、跳ねるようにシュランの体が震える。その声が知らないものだと判断するよりも早く、ザイールは右手に魔力を集めて振り返っていた。
鍵をかけていたはずの扉は何故か開いていて、夜風が吹き込む。ぎしりと床を軋ませて前に踏み出した姿を睨みつけたまま、空いた左手で彼女の腕を掴んだ。何かあったらすぐに逃げられるようにとの判断からの行動だと解っているのだろう、振り払われる事はない。掴んだ腕が僅かに震えているのに気づいて、右手に込める力が強くなった。
開いた扉を背に立つのは、子供が見たら間違いなく泣き出すであろう強面の青年。背中まで伸ばした粗い黒髪にネジを思わせるピアス達、ボロボロの服の裾が風の動く通りに揺れる。お世辞にもいいとは言えない目つきで向けられる目の色は赤い。
そんな中でザイールの目を引いたのは、位置によっては袖で見えなくなる右肩の紋章だった。ぐるりと縦に渦を巻くような、黒いそれ。確かそれは、ここから然程遠くないオークの街にあるギルドの証ではなかったか。
そこまで考えて、息が詰まりそうになる。思い出したギルドの名は、この国じゃ知らない人はいないであろう程に有名なもので。

幽鬼の支配者(ファントムロード)……!?」
「へえ、知ってんじゃねえか。じゃあオレが誰かも解るよなあ?ファントム最強の男、ガジル様の事をよォ!」

ギヒッ、と特徴的な笑い声が響く。
幽鬼の支配者(ファントムロード)のガジルといえば、この辺りで知らない者はいない。ギルド最強の男、竜を迎撃する為の魔法を操る滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)。その魔法を由来として付けられた異名は“鉄竜(くろがね)のガジル”。その腕や足は猛威を振るう鉄となり、放たれるのは鋭い鉄を巻き込んだ刃の咆哮。その咆哮に巻き込んだもの全てをズタズタに傷つけるとどこかの噂で聞いたような気がする、なんて曖昧な話を思い出した。

「何でファントムの魔導士がこんなところに……」
「依頼に決まってんだろ黒尽くめ。ここにいるバケモンを片付けろって、フィガとかいう奴が依頼出してんだよ。知らねえのか?」

からかうような口調に、思考が真っ白になる。背後からの問いかけるような視線に答える余裕もない。
その話は知っている。今ザイールがここにいるのは、シュランにその話をする為だったのだから。いくつかの寄り道はしてしまったけれど、彼等の為の犠牲になんてならないとつい先ほど決めたばかりではないか。
町長の話では、魔導士が来るのは明日のはず。まだ街にはいなくて、そのいない間に彼女を逃がそうと考えていたのに。予定が狂うにしたって早すぎる。しかも相手はギルド最強の男なんて呼ばれているような強者だ。戦ったとしても、ギルドに加入せず魔導士歴も浅いザイールでは話にならないだろう。
フィガに騙されたのか、それともガジルの動きが町長でさえ想像出来ないほど早かったのか。昨日出した依頼が次の日に受理されて、既に魔導士が街にいるなんて―――そんな事、考慮どころか有り得ないとしか思っていなかった。

「…ザイール様……」

すぐ後ろで不安そうな声がする。無理もない、突然現れた強面の魔導士に討伐されるかもしれないなんて状況で、まだまだ子供と呼ばれる年齢の少女が不安に思わないはずがないのだ。
その姿を見て、白くなった思考に色が付く。今ここで自分が逃げたら誰も彼女を守れない、例え誰が相手だろうと守ると決めたのはザイール自身ではないか。思った通りに動くなんて、その方が有り得ない。畳みかけるようにつらつらと並ぶ声で、ようやく意識が覚醒した気がした。
1度は緩みかけた右手の力を再び込める。頭の中で描くのは、最大威力の爆発魔法。古びたこの社くらいなら呆気なく吹き飛ばしてしまうだろうが、今そんな事を気を配っている暇などない。
よく考えてみれば魔法を人間相手に使うのは初めてで、けれど躊躇っている場合ではないのだと唾を飲み込んだ。

「魔轟―――――」

呟くのは、爆魔術の中でも屈指の威力を誇る彼の切り札。
指に絡みつくような藍色がぼんやりと光り始め、ただの魔力だったそれが人を傷つける刃となる……

「で、そのバケモンってのはどこにいるんだよ」

…よりも早く、荒っぽい声でガジルが問うた。









「……は?」
「は?」
「え?」

少し間を置いてからザイール、その反応に訝しげな表情を作るガジル、そんな2人につられるようにシュランと、それぞれがそれぞれに反応を示す。
先ほどの彼女の怒りといい今の彼の問いかけといい、今日はやけにいろいろと予想外の方向に向かうなあ…なんて現実逃避じみた思考に意識が遠のきかけ、それじゃダメだと首を横に振ってどうにか戻る。そうだ、大事なのはそんな事ではない。さらりと向けられた、てっきり常識だろうと思っていたそれ。

「お前…知らないで来たのか?依頼書に書いてあったとか、町長から話を聞いてるとか……!」
「依頼書にはバケモンを片付けろとしか書いてねえし、あのオヤジも“行けば解ります”としか言わなかったぜ?」
「な……」

開いた口が塞がらないとはまさにこの事。やはりフィガに騙されたのかと事実を確認する一方で、確かに彼らしいといえば彼らしい行動だと納得する。
普通に考えて、シュランのような少女をバケモノと呼んでも誰がそのまま理解するだろうか。小柄で華奢で、悪意なんてどこを探したって持ち合わせていないような彼女を見れば、大半は「そんな訳あるかい」とフィガの主張を蹴って信じないはずだ。
ならば、その情報を与えない。蹴られそうな主張を現場に行くまで知らずにいれば蹴りようがない。そして、本当ならこの社にいるのは彼女ただ1人。バケモノはどこだと問えば、きっと自分がそうだと正直に答えてしまう。そうなれば魔導士が躊躇う理由はない訳で、フィガの目論み通りに依頼は達成される。

「つまりお前は、町長の目論み通りに動いていると……」
「はあ!?」

ザイールの指摘に、ガジルの顔が険しくなる。強面にさらに拍車がかかり、シュランがびくりと肩を震わせた。

「あの野郎……このオレを駒扱いしてるってか!?」
「俺に聞かれても……まあ、アイツならやりそうな事ではあるが」
「チッ…ガジル様を思い通りに動かそうなんざ100年早えんだよクズが!」

当たり散らすように喚いて、もう1度舌打ち。そっと目を後ろに向ければ、怯えた様子の彼女がザイールに身を寄せるのが見えた。背後からふわりと甘い香りがした気がして、掻き乱されそうな思考をどうにか保つ。彼女の動作1つで振り回される自分の単純さに呆れそうになった。

「じゃああれか?バケモンがいるってのはデマか?」
「それを俺に聞くのか…」
「しょうがねえだろ、後ろのガキは聞いても答えねえだろうし。さっさと答えろよ黒尽くめ」
「ガキ言うな、コイツはシュランだ。それと俺はザイールだ」
「んな事はいい、早く言え」

くいっと顎で指される。その態度に苛つきながらも口を開こうとして、ふと考えが巡った。
例えば、ここで「バケモノなんている訳ないだろう、それも町長のデマだ」と答えたとして。そうなれば短気そうなガジルの事だ、案外引っかかって怒りの矛先をフィガに向けるかもしれない。何の情報も与えられていない現状を“目論み通り”なんて言われて、ただでさえ依頼人への信頼が一気に落ちたであろう今なら、騙せる確率もきっと高いだろう。
そして彼さえ丸め込めれば、ガジルさえフィガの方に仕向ける事が出来れば。その隙にシュランを逃がせるかもしれない。どこまで引っかかってくれるかは解らないが、目の前が一気に開けた気がした。

(…そうと決まれば)

やる事はただ1つ、町長が渡した情報は根本から嘘であると思い込ませる事だけ。
自ら受けた仕事とはいえ巻き込まれただけのガジルを騙すのに良心が痛まない訳ではないが、そんな些細な痛みに気を取られている暇はない。
頭の中で台詞を整えて、小さく深呼吸をする。真っ直ぐに赤い目を見据え、口を

「出任せなどではございません。……バケモノは、私です」

開く前に、後ろからそんな声があった。








恐怖がないと言えば嘘になる。引っ込んでいてもいいのなら誰よりも後ろにいたい。
そんな思いを強制的に踏みつけて、シュランは逸らす事なく目線を合わせた。ザイールを挟んで正面辺りに立つガジルはどこか驚いたような、何を言っているんだか解らないと言いたげな表情で、振り向いた彼の顔は驚きよりも泣き出しそうな色を濃く滲ませる。

「シュラン」
「ご安心を、ザイール様。貴方は私がお守り致します」
「そんな事…!違う、俺が望んでいるのはそんな事じゃない!変な事を言うな!」

解っていた。彼が何を言おうとしたのかも、今の自分の行動がその優しさを踏み潰すような意味になってしまう事も。
けれど、それを解った上で拒む事を選んだ。これ以上は巻き込みたくなくて、本心で望んでいる事に無視を決め込んだ。助けてほしいのに、傍にいてほしいのに、現状を見ていたらそういう思いすら引っ込んでいて。
王国有数の実力を誇るギルドの、しかも最強の男。それを敵に回すのは自分だけでいい。きっと彼なら、温かいあの一言を向けてくれるだろう。気にするなと、それくらい覚悟の上だと笑うのだろうけれど。

「貴方をこれ以上巻き込む訳にはいきません」

差し伸べられた手を掴んでしまったら、きっと後悔する。シュランはどこまで落ちたとしても何も失わないけれど、ザイールは違うのだ。彼には家族がいて、友達もいる。将来的には誰かを愛して家庭を築く、そんな当たり前の生活がやってくる。それを、彼の幸せを願う自分が崩してしまうのが何よりも怖い。彼が何かを失ってしまうのが、その原因が自分であるという事実が恐ろしくて堪らない。
そして、その恐怖に比べれば、正面に立つ強面の魔導士なんて怖くなどない。

「町長様が申し上げたのは私の事です。煮るなり焼くなり、お望みのままにどうぞ」

立場が変わる。彼に守られていた後ろから、彼を守る前へ立つ。掴まれていたはずの腕からは気づけば手が離れていて、少し寂しいと思うのは身勝手だろうか。

「止め…っ、違うぞガジル!コイツはバケモノなんかじゃない、シュランは悪くない!町長が言ったのはコイツの事じゃない!」
「それ以上はお止めください!私はザイール様を傷つけたくありません!」
「それはこっちの台詞だ馬鹿!お前が傷つくのを黙って見ていられる訳ないだろう!」

血相を変えて、どうにか繕った言葉を並べて。両肩を掴まれ合わせた彼の目は、怒りのような驚きのような、それでいて何よりも泣き出すような揺れを滲ませていた。
大切だと思ってくれているのも、守ると言ってくれたのが覚悟を決めた上での事だとも解っている。けれど、ザイールがそう思っているのと同等かそれ以上くらいには、シュランだって彼が大切なのだ。何もかもを失って絶望しきった中で出会った唯一の友人を、こんなところで苦しめる訳にはいかない。

「ご理解くださいませ、私のせいで貴方が傷つくなどあってはならないのです!」
「知るかそんな事!理解なんて絶対してやらんぞ、そのせいでお前が悪とされるのならな!」
「ザ…ザイール様の解らず屋!どうしてご理解いただけないのですか!?」
「お前がバケモノだの悪だのと、その認識が間違っているからに決まっているだろうが!それが決定となるのもそうなるまでの過程も、理解する事で認める事になるなら、意地でも理解してやらない!」
「私は悪でも構いません!」
「お前が認めても俺が許さん!」
「これは私の事ですから!」
「半分くらいは俺の事でもあると思うが!」
「そんな事はございません!」
「だったら今からそういう事にする、異論はあっても受け付けんぞ!」
「ぼ、暴論ですか!?」
「それでお前を守れるなら、暴論でも何でも持ち出してやる!」

ほぼ意地のぶつかり合いである。傲慢になりつつあるが優しさも持ち合わせるザイールと、自己犠牲の塊になりつつあるシュランの口論の中に、最早ガジルの事など残っていない。完全に放置だ。

「大体お前はどうしてそうやって自分が傷つく事で終わらせようとする?それじゃあ何も終わらん、ただお前が傷ついて俺が無力さを痛感するだけじゃないか!」
「そんな、ザイール様は無力などではありません!」
「いいや無力さ、大勢の腐った共通認識の前では赤子同然だ!…いや、そんな事はどうでもいい。今大事なのはお前のその自己犠牲を止める事だからな!」
「ですから私は、私がすべき事をしているだけです!」
「誰かの悪意で傷つく事がか?だとしたらいくらお前の判断でも、俺は全力で否定するぞ!」
「否定されようと、それが私の使命です!」
「だったらその使命を俺が撤回する!」
「また暴論ですか!?」
「いい加減にしろよオメエ等!いつまでぎゃあぎゃあ言い争ってやがる!つか喧しいわ黙れ!」

まさかのガジルに止められた。
それから2人が冷静になるまで数分。更にこの後、お互いが頭を下げ合ってエンドレスになりかけた流れを再びガジルがぶった切るのだが、それはさておき。








「……で?お前が、町長が散々喚いてたバケモンだってのか?」
「はい」

問いかけに、素直にシュランは頷く。躊躇いのないその言動は、素直というよりも従順というべきか。あと1歩進めば無抵抗とさえ感じられるような、そもそも相手に逆らうという考えを根本から引っこ抜いたようにも思える。

「言っておくがなガジル。バケモノと呼ばれているのは仕方なく、本当に仕方なく認めるとして、だからといってコイツが何か害を齎している訳じゃないぞ」
「お前は少し口閉じとけ黒尽くめ」
「俺はザイールだ、黒尽くめなんて名前じゃない」

むっとしたように眉を寄せる彼が話に入ってくるのは初めてじゃない。この結論に至るまでに、軽く十数回ほどは意見を差し込んできた。それほど彼女が大事なのだろうと思う一方で、とりあえず黙れと拳を振り上げかけてもいたりする。その度に必死に自分を落ち着かせている辺り、今日だけで一気に成長した気がするガジルであった。

「討伐される覚悟は既に出来ております。ザイール様さえ無傷で逃がしてくれるのでしたら、私は貴方に従うとお約束致しましょう」
「っ、俺は」

何かを言いかけて、その先は飲み込まれる。静かに向けられたシュランの目が、何も言わないでと告げていた。それを無視するという選択肢はどうにも用意出来なくて、押し黙ったザイールは俯いて唇を噛みしめる。
結局、何も出来なかった。助けたい、幸せになってほしいという思いだけが空回りして、何の結果も残さないまま消えていく。そんな未来をふと想像して、目の前が真っ暗になりそうだった。

(……望んで、いなかった?)

助けも、救いも、幸せすらも。彼女が既に諦めて、苦しむくらいならいっそ滅ぼしてくれと願っていたとしたら。それに、自分は気づけただろうか。そんな思考を完全に否定出来なくて、けれどそんな訳がないと思う。
シュランが何を考えているかを全て把握なんて出来ない。それは他人なのだから当たり前だ。心でも読めれば話は別だろうが、ザイールにはそんな能力も魔法もない。
それでも、勘の域を出ないけれど思うのだ。1度でも伸ばした手を取りかけた、その瞬間を彼は確かに見たのだから。諦めていた訳がない。彼女の優しさは有り難いけれど、その優しさで自分のしたい事を潰してほしくない。


そう、伝えようとして。



「ふざけんなよクソガキ、テメエみてえなガキがバケモンなんて笑わせんじゃねえ」

それよりも早く、ガジルが言った。









「は…え……?」

何を言っているんだろう。真っ先に思考を埋め尽くしたのは、それ1つだった。それは彼女も同じらしく、小さく開いた唇から零れたのは言葉になる前の短く切れた驚愕のようで。
確かに彼は言った。お前みたいなガキがバケモノだなんて笑わせるな、と。そんな嘘が通用すると思うなと言わんばかりに、赤い目がシュランを見下ろしている。

「わ…笑わせるつもりはございません!本当に、私が」
「何言ってやがる、どっからどう見てもただの人間だろうが。おい黒尽くめ、お前の連れの頭どうなってんだよ」
「え、っと……」

急に話を振られて言葉に詰まった。驚きから覚めたシュランが必死に声を上げるが、ガジルに「んな訳あるかよ、ふざけんじゃねえ」と言い返される。
とりあえず現状を理解する事から始めようと、一瞬真っ白になった頭をフル回転させていく。ガジルの発言は、きっと単純にそう思っての事だろう。バケモノじゃないと慰めるような意味がなければ、それとは真逆の意味だって持たない。だが彼はバケモノ討伐に来た魔導士である。ならばそんな発言は、と考えて、そういえばとすぐに思い当たる節に出くわした。
確かにガジルは町長の依頼を受けたが、討伐対象であるバケモノの事は何も知らない。彼自身言っていたではないか。行けば解るとしか言われていないと。だとしたら、今の反応にも説明を付けられる。
まだ幼さの残る少女が「私がバケモノだ」と言い張ったとしても、それに対してすぐに納得出来る人はそういないだろう。相手はどう見たって人間で、女性で、子供なのだから。覚悟を決めた告白も、何も知らない人相手では嘘と思われるかもしれない。

「嘘などついておりません!私が、街の皆様が仰るバケモノだと申し上げているではありませんか!」
「だから、お前みたいな女、しかもガキがバケモノだとして、何でそれであのオヤジ共が騒ぎ立てなきゃなんねえんだ。アイツ等十分年食ってんだろ、ガキ1人くらいで喚くか普通」
「その発言、い…いろいろと失礼なのでは!?それに、私が皆様に恐れられる理由ならちゃんと…」
「だったら、自分がバケモンだって言うなら何か証拠見せろよ。何もなしに喚かれたって信じられるかっての」
「……証拠、ですか」

呟く声。その声色が密かに変わっていた事に、きっとガジルは気づかなかった。そんな、その程度の些細な変化でしかなかったのだから、当然と言えば当然だろう。
だが、それを聞いたのがザイールなら話は変わってくる。小さな、けれど聞き逃す事の出来ない呟きが、咄嗟に彼を振り向かせた。座った体勢から見上げるように顔を覗き込もうとして―――それ以上の動きが、何1つ取れないまま。




ローズピンクが揺れる。規則的に、けれど少し目を離すと不規則に。
揺らすのは、開け放たれた扉からの風じゃない。片付ける場所がなくて置いたままの、時季外れな扇風機は動いてすらいない。
ただ揺れているだけなら―――髪の先端の赤い光2つに、どう理由を付ければいいのだろう。



切り揃えた髪の、細い1本。
それが何本もを束にしたかのように太くなり、ぴしりと音を立てて鱗を生む。先端から根元にかけて駆けあがる鱗が、びっしりと髪の毛1本も逃さず覆い尽くす。
気づけば彼女の髪は、つい先ほどまでとは比べ物にならないほど膨らんだシルエットを作り出していた。

「これでも、貴方は」

赤い光が、アーモンドのような形を持つ。爛々と光るそれを、誰が目だと思うだろう。
ふるりと震えた1本の先端が、ぱかりと口を開くように割れた。それを皮切りに、震えては割れ震えては割れを音もなく繰り返す。
眉の位置辺りで揃えた前髪だけをそのままに、長い髪はすっかりその姿を変えていた。



―――蛇髪。
それは彼女の唯一の友達であり、虐げられる原因であり、誰よりも傍にいて、何からも守ってくれる兵達の愛称。
その動きは主にして根源たる彼女の意のままに。宿す感情は根源にして主である少女のそれを共有して。その命は、核であるシュランが生きている限り何度でも再生する。



無数に響く細い吐息、しゅるりとうねる長い体躯。
人々が恐れる蛇達の主は、その中心でそっと呟いた。

「私の話を、嘘であると笑いますか」










「それで…その後、どうなったの?」

ずいっと身を乗り出す。興味津々といった様子のレビィに、シュランはそっと微笑んだ。
人に興味を持たれるような過去ではないだろう。むしろ、聞いた事を後悔するような内容だと自覚もある。けれど彼女は、自分と仲良くなりたいからと最初から最後まで真剣に聞いてくれていた。それが嬉しいような、少し苦しいような感情を抱えたまま、そろそろ終わりが近づいている。

「現在の様子からしてもお解りでしょうけれど…ガジル様は、“その程度が何だ”と仰いました。その程度大した事じゃないと、魔導士の世界にはそれ以上がわんさかいると」
「んー…確かに、私達からすれば魔法の一種かなって思うしね。それに、ガジルからすれば本当に些細な事だったのかもよ。だってほら、腕とか鉄に変えられるじゃない?」
「ええ、あの時のガジル様もそう仰って」

思い出す。あの時の衝撃と、自分は周りが言うほど特別なんかではないと知った時の歓喜に似たそれを。世界なんて大規模から見た自分は、どれだけ特殊な体質であってもちっぽけでしかないのだと、彼は教えてくれた。
きっと、ザイールには最初からそれが解っていたのだろう。シュランよりも外を知っている彼からすれば、バケモノなんかじゃないという言葉は適当な慰めなんかではなかったのだ。もちろん、彼の優しさを適当だなんて思った事は1度だってないのだけれど。

「そういえばさ、そのザイールって人はどうしたの?」
「さあ…それが、私も存じ上げておらず……幽鬼の支配者(ファントムロード)には一緒に加入したのですが、抗争の数か月ほど前からお見掛けする事がなくなってしまって」
「そっか…じゃあ今、どこかのギルドにいたりするのかな」
「どうでしょう……あの方は私が引っ張り出してしまったようなものですから、今頃はどこかで家庭を持っていらっしゃるかもしれませんね。或いは、そういったお相手がいらっしゃるか。元々、そのような暮らしをするはずの方ですし」

何気なく思い描いた彼の現状は幸せだろうか。別れの言葉もないままにいなくなってしまったけれど、少しでも自分の事を覚えていてくれたら、それだけで十分だ。
そうである事をそっと願うシュランの向かい側で、苦笑いを浮かべたレビィがぽつりと呟く。

「……それは、ないと思うなあ」

―――だってその人、明らかにシュランの事好きだよ?
その一言を第三者である自分が口にするのは気が引けて、どうにかこうにか呑み込んだ。








「……よし!」

ぐっとザイールが拳を握りしめる。シュランがほっと安堵の息を吐いて、ガジルがどこか不敵気味に笑った。空はまだ鮮やかなオレンジ色で、日没まではそこそこの時間を残している。
そして、そんな彼等の視界には隣町がはっきりと見えていた。結局最短で安全なルートを街に近づく危険を承知で進み、どうにか誰にも見つからずに街から離れる事が出来たのだ。

「見つからずに済んだな…よかった」
「あのオヤジの事だ、町民全員集めて喚いてるかもな。バケモンが逃げたって」
「ああ…確かに有り得る。だとしたら有り難い誤算、とも言うべきか」

すっきりとした笑みを浮かべて、足元に置いた荷物を持ち直す。家に戻れない以上ザイールの荷物には困ったが、ガジルが町長と会話していた昼間のうちに人目を盗んで最低限用意出来たのには助かった。洋服が数着と用意出来る限りの財産、更にシュランが冷えるといけないからとコートを引っ張り出してきた辺りには少し驚いたのだが、まあそれはさておき。

「それで…私達は、これからどうするのですか?」
「ん…そうだな、とりあえずは職と宿か。しばらくは俺の金で持たせるが、それ以降の暮らしも考える必要があるし……まあ、どうにかはする」
「ほぼ無計画じゃねえか」
「仕方ないだろ」

ガジルにそう返して、これから数日の暮らしに考えを巡らせる。
出来るだけ安い宿を探し、出来れば早めにこの街からも離れたい。とりあえず今日はここで休んで、明日には列車で故郷から更に距離を置こうか。
それから仕事。幸いにもザイールは魔導士だ。滞在する街の魔導士ギルドに短期加入させてもらって仕事をこなせれば、2人分の生活費くらいは何とかなるはずだ。

「おい」

と、そこまで考えて、ぶっきらぼうに呼びかけられた。
顔を上げれば、相変わらず強面のガジルがこちらを見ている。この表情をいくらか崩せばマシだろうに、と思いつつ首を傾げていると、少しだけ言いにくそうな様子で口を開いた。

「…お前ら、ファントムに来ねえか」
「……は?」
「どうせ行くアテねえんだろ。そんなの放っておくのは後味悪ィしよ…このガジル様が面倒見てやるってんだ、ありがたく思え」
「今ので有り難さが半減して更に半減した」
「はあ?」

眉を吊り上げるガジルにくすくすと笑みを零す。顔に似合わないが、彼が密かに優しい事は短い付き合いだが既に解っている事だ。そしてそれに、シュランが信頼を寄せ始めている事も。
人見知りがちな彼女を思えば、少しでも知り合いが近くにいる方がいいだろう。王国有数のギルドなら仕事も多そうだし、生活に困る事はないはずだ。ザイールとしてはこれ以上ないくらいの好条件だし、あとはシュランに尋ねさえすれば―――と考えて、彼女の従順さを思い出す。
どこかの使用人かと疑いたくなるレベルで人に従う彼女の事だ、特に考えずに尋ねたら了承しない訳がない。だとすれば、どうにかして彼女に命令ではなく提案をする必要がある訳で。

「あの、ザイール様」
「ん?」
「その…私がこんな事を申し上げていい立場にない事は承知の上、なのですが」

考え込むザイールに声をかけてきた彼女の目は、あっちへこっちへと泳いでいる。いつも真っ直ぐに人を見るシュランにしては珍しい仕草に疑問を抱えていると、意を決したように黒い目がこちらを見つめた。

「私っ、幽鬼の支配者(ファントムロード)に行きたいです!」

―――――どうやら、心配は無用。
あと心配すべきは、ギルドに入ってからの事だろうか。蛇髪はあっても魔法は使えない彼女に魔法を教える必要がある他に、人付き合いも最低限は必要になってくる。
けれど、その心配は全て後回し。まずは彼女が初めて見せてくれた意思を、真っ直ぐに尊重する事から始めよう。

「そうだな……行くか、幽鬼の支配者(ファントムロード)に」
「……はいっ!」
「という訳だ。案内は頼んだぞ、ガジル」
「お願い致します、ガジル様」
「……仕方ねえな、とりあえず列車乗るぞ」









懐かしい夢を見た。それを夢だと断言出来るのは、もう2度とあの光景の中にいる事が出来ないと解っているからだろうか。
僅かに揺れる飛行船の中、魔法で動いているからか振動は少ない。割り当てられた部屋のベッドに寝転んだまま、掲げた左手の甲を見る。普段は指貫きグローブで隠れたその場所には、渦を巻くような黒い紋章。
自分で消すと言って、結局消せていないそれを右人差し指でなぞる。もうこの紋章を刻んでいる魔導士はきっといない。

「……滑稽だ、本当に」

どこまで行っても、どこに行きついても命令される事は共通で。
それが何より馬鹿げた事だと解っているのに逃げ出さないのは、そんな自分自身すらも馬鹿だからか。それとも―――ほんの少しだけ、期待でもしているのか。彼女なら止めてくれる、彼女なら……。

「……全く」

そんな役割を、ようやく掴んだ平穏の中で暮らす彼女に押し付けてはいけない。
何度も繰り返した思考をまた繰り返して、黒尽くめの青年は瞼を下ろした。 
 

 
後書き
こんにちは、緋色の空です。
……誰だよ、前後編にすれば更新速度上がるって言った奴!はい私です申し訳ございません本当に。
理由としてはガジル君のキャラが掴めなかった事がね……どうしても冷徹な感じに出来なかったの!これでも頑張ってファントム時代っぽく書いたのよー!と言い訳はさておいて。
あ、あと書いた分がぱっと消えて絶望してたってのも理由です、はい。

前回に続いてシュラン編。というかザイール君書いてて楽しいという事に最近気づきました。
どうでもいいようでどうでもよくない話、シュランは助けてくれた人が具体的です。が、ティアはそうではありません。何故ここでティアが出てくるのかは前回の後書き参照。
ここでイオリやナツの名前が出てくるのって実は間違いで、あの2人は彼女を変えただけに過ぎないのです。孤立して孤独で孤高の存在だった在りし日のティアを救ったのは、実は全く別の人物。ある意味では「まあこの人ならねー」となる人です(短編集の中で明らかになるよ!)。
そして既に7年後編以前の再登場が約束されたザイール君。どこで出てくるかは解る人には解ります!

それとお知らせ。
次回は短編をお休みして座談会です。唐突にオリキャラ達と私がわいわい騒ぎます。理由としては沢山の質問が来て、後書きで答えるって言ったけどそれじゃあ後書きって長さじゃないやいと気づいたからです。
という訳で、この機会に何か質問がありましたら是非どうぞ。キャラに関する事はもちろん、「緋色の空の謎思考は結局どうなっているんですか」なんて質問にも答えさせて頂きます。

感想、批評、質問、お待ちしてます。
……次回の座談会、2周年記念でもあるんだ。遅いけど←




最近恒例、トモコレ新生活近況報告。
クロノ君とナギちゃんがお付き合い始めました。共通の友人からの紹介ってこの2人っぽくていいなあと思ったり。私?相変わらずソラ君の親友やってるよ。序でにティアとライアーは相変わらず仲のいい夫婦だよ。夫婦って打つのに何度も風雨って打っちゃうのは何故でしょう、何か幸先不安…。
……実はルー、メープルちゃんとお付き合いしてるんだぜ?と今更ながらな報告も添えて。 
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