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Element Magic Trinity

作者:緋色の空
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蛇髪少女は黒装束の手を取った


「私とガジル様の出会い…でございますか?」
「そう、もしよければ聞かせてほしいなーって」

見慣れた快活そうな笑みを浮かべるレビィの言葉に、シュランは不思議そうな表情で首を傾げた。
初めて会った時から粗い黒髪の彼の傍にいる彼女と話す機会は、正直言ってあまりない。それはレビィ限定でという訳ではなく他のメンバーもそうで、まだギルドに入って日が浅いというのもあれば、かつての因縁がまだ完全には消えずに距離を置かれがちだというのも理由にある。
そして、実はガジル以上に声をかけにくいと思われているのがシュランだった。ガジルはまだナツ辺りなどとは喧嘩っ早い共通点から(いい意味ではないだろうけど)関わる点が見つけられる。
が、シュランにはそれがない。大きく変わらない表情に、ガジル以外にはあまり近づこうとしない態度。更に言えば若干その服装が原因で浮いているというのもあるのだが、それはさておき。

「ええ、それは構いませんが…何故そのような事を?」
「あー…えっとね」

問いかけに、レビィは少し困ったように笑ってから答える。

「シュラン、まだギルドに入ったばっかりでしょ?」
「はい」
「それで、あんまり話す機会もないから…どうしたら仲良くなれるか、私なりに考えてみたの」
「仲良く…ですか」
「うん。それで、ガジルとの事なら話してくれるかなって」

確かに、常日頃から付き従うガジルについてを聞かれればいくらだって喋れる自信はある。それなら誰が相手でも一定レベルの会話になるし、正直シュランの事を知るにはそれが1番手っ取り早い上に確かかもしれない。
シュランは少し目線を下げてから、真っ直ぐにレビィと向き合った。

「そういう事でしたら、是非。…ですけれど、いいのですか?」
「え?」

何を問われたのか解らないのか、今度はレビィが首を傾げる。
どこか不安そうに目を伏せて、誰にも聞こえないようにとシュランは小声で呟いた。

「いえ、その…あまり私がレビィ様と親しくしていると、不快に思われる方がいらっしゃらないかと……」
「ああ……」

彼女が言っているのは、彼女が幽鬼の支配者(ファントムロード)にいた頃の話だろう。確かにあの抗争の時、レビィが所属するチーム“シャドウ・ギア”は散々痛めつけられて、挙句木に張り付けられた。見世物にされているように思ったのを、レビィはちゃんと覚えている。
けれどそれはもう過ぎた話で、あれが原因の後遺症が残った訳でもない。既にレビィは気にしていないし、ジェットとドロイだっていくらかは吹っ切っているはずだ。だからこそ以前よりも躊躇なく彼女に声をかける事だって出来たのだが、シュランはまだあの一件を気にしているようで。

「大丈夫だよ、私達もう気にしてないから。それに、シュランとも仲良くなりたいの」
「ですが…」
「本当に気にしなくていいんだよ?私達、もう仲間じゃない」

屈託のない笑顔でそう言えば、少し驚いたような表情で見つめ返される。
何か驚かれるような事でも言っただろうか。意外な反応にきょとんとしていると、ふっと彼女が微笑んだ。それがかつて向けられた嘲笑ではなく嬉しさから零れたものだというのは一目で解る。滅多に向けられない微笑みのまま、口を開いた。

「……そこまで言っていただいて、その御厚意を無下になど出来ませんね」
「いや、御厚意なんて大層なものじゃ…」
「そんな事はございません。……お恥ずかしい話ですが、同年代の方と親しくさせていただく事が今までなかったものですから、尚更」

その言葉に寂しさに似た何かを感じた気がして、言葉に詰まる。
普段傍にいるガジルは年齢不詳だが、外見だけで判断すると多分いくつかは上だろう。かつて同じギルドにいたジュビアは同い年のはずだが、この2人が一緒にいるところはあまり見かけない。時折何やら話し込んでいるのはこちらも同い年のクロスだが、友人同士の会話にしては周囲の空気が張りつめている気もする。
あまり人付き合いが得意そうでないシュランの事だから、幽鬼の支配者(ファントムロード)にいた頃もガジルくらいとしか関わって来なかったのだろうか。だとしても、ギルドに入る前は?ガジルと出会う前、故郷にいた頃に友人の1人くらいはいるのでは―――。
そんな考えが顔に出ていたのか、「勘違いなさらないでくださいね」とシュランは言う。

「私の言い方にも問題がありましたが…私にも、友人と呼べる関係の相手はいました。けれど今現在友人がいるのかと問われますと、否としかお答え出来ません」
「…どうして?」

問いかけると、彼女の目が僅かに曇った。ほんの一瞬揺れた黒い目が、静かに伏せられる。
聞いてはいけない事だったのだろうか。ふとそう思ったこちらが質問を撤回する前に、彼女は伏せていた目を上げた。
それと同時に、顔のすぐ横にある髪の1本が波打つ。赤い光が2つ灯り、毛先が2つに割れ、小さいが鋭い牙が覗く。

「それ、って……」

それが何かを認識するよりも早く、威嚇するような吐息を吐いた蛇は何の変哲もない1本の髪の毛に戻っていった。それから、ゆっくりと答えが追い付いてくる。
―――蛇髪と彼女が呼ぶそれは、魔法ではないのだと聞いた。気づいたら身についていた体質で、髪の1本1本を蛇へと変える力なのだと。本体であるシュランが死なない限りは何度斬られても再生を繰り返す、不死身の蛇の群れ。

「先ほどの質問にお答えさせていただきますと……私が、バケモノだからです」

レビィが目を見開いた。
寂しげに笑って、かつて故郷で“呪われし蛇髪姫”なんて大仰な名で呼ばれていた少女は語り始める。

「それでは…途中で不快な思いをされましたら、いつでもお申し付けくださいませ」






―――――それは、少女が自分の存在意義を見出した話。
1人の青年と1人の鉄竜に背中を押された、大切な大切な思い出だった。










蛇髪。
それは無関係の誰かがそう呼び始めた訳でもなく、そういった正式な名称が付けられている訳でもなく、ただ“それ”と呼ぶ事に抵抗を感じ始めた頃にシュランが付けた名である。
蛇になる髪だからとそのまま付けた名を持つそれは彼女が虐げられる原因で、けれど誰からも―――いや、たった1人以外から見捨てられた少女にとっては大事な友達だった。時折髪の数本を蛇に変えては寂しさを誤魔化し続け、辛い現実から目を背けて。そうでもしなければ耐えられないほどに、町民達の言葉はシュランを傷つけている。今だって、悪夢として蘇ってくるくらいには。
けれど、その中にも辛さや寂しさ以外のものもちゃんと存在して、それが彼女の待ち人たる青年だった。

「…そろそろ、ですよね?」

時計のないこの場所では正確な時間が解らない。だから大体が勘になってしまうのだが、彼が来てくれる時間だけはいつだって勘ではなく確かなものだった。それはいつも同じ時間帯に来るというのもあれば、来る度に毎回来た時間を言うからかもしれない。声が期待で弾むのを自覚しながらも抑えられなくて、自然と笑みが浮かんだ。
来る日もあれば結局来ない日もあるけれど、どうしても毎日のこの時間帯は目が扉から離れない。深くなる笑みを堪えきれないまま、そっと呟く。

「ザイール様…今日は来てくださるでしょうか……」






「入るぞ」
「は、はいっ」

ぶっきらぼうな口調が扉の向こうから聞こえた。呟いた直後の事態に、上擦りかけた声をどうにかいつものそれに落ち着かせて答える。その返事を待ってから、ガチャリと鍵が回る音。以前は粗末な閂程度だった鍵を真新しいものに変えて取り付けたのも彼で、世話の為に鍵を貸せと詰め寄る町民達に「アイツの面倒は俺が見るから黙っていろ」と言い放ったのだと涼しい顔で話していたのはつい数週間前くらいの事だ。それ以来、彼以外は誰もここに来ない。近づく事もなくなった。
と、そんな事を思い出している間にも、扉の間から黒ずくめの青年が顔を覗かせる。つり気味の目がこちらを見つめ、ふっと微笑んだ。

「…元気か?」
「はい。こんにちは、ザイール様」

あまり堅苦しくされるのは、昔からの事ではあるが好きじゃないんだ―――彼がそう言っていたのをしっかりと覚えている。だから、以前までは御機嫌ようだの何だのと堅苦しい挨拶だったのを、彼女にしてはフランクな挨拶に切り替えた。相手を不快にさせていては、敬いも何もない。

「それならよかった…ああ、今日はこれを渡そうと思って来たんだ」
「え…そんな、頂いてばかりは悪いですから」
「そう言われると困るが…これはあった方が便利だと思うぞ?」

ここに連れて来られた頃から、シュランの周りには何もなかった。衣服はその時着ていたものだけで、あとは全部燃やされていたとザイールが教えてくれたのは出会ってすぐの頃。部屋に置いていたものも全部捨てられ、バケモノが住んでいた部屋があるからと家ごと解体したと聞いた時は驚きで何も言えなかった。
そんな状況を知る彼に所持品ゼロの現状を知られるのは当たり前といえば当たり前で、それからというもの時々食事ついでに物が送られるようになっている。ある時はカレンダーで、またある時は適当に見繕ったという本が数冊。衣服が送られてきた時はいつサイズを知ったのかと疑問に思ったが、彼が言うには「大体このくらいだろうと目分量でどうにかした」のだという。
という訳でいろいろと貰っては返すものが何もない為に貰い続けるだけのシュランからすれば、これで申し訳なさを感じない訳がないのだった。
が、そう言われたザイールは少し困ったように眉を下げて、鞄からそれを取り出す。

「これなんだが…よく考えてみるとここにないと気づいてな」
「時計…ですか?」

取り出されたのは目覚まし時計。シンプルなデザインの、黒と白のそれをきょとんと見つめるシュランに、今度はこちらが申し訳なさそうに口を開く。

「悪いんだが…俺が以前使っていたものなんだ。使わなくなって捨てるつもりでいたんだが、こんなものでもよければ貰ってもらえると有り難い」

捨てるよりはその方がいいかと思って、と締めくくって、すっと差し出す。
確かにこの色合いといいデザインといい、ザイールが好みそうなものだ。そしてシュランもそれが嫌いではない。細かく好みを並べれば異なる点もない訳ではないが、そんな我が儘が許される身でない事はもう知っている。身の回りにあって便利なものが増えるなら、好み云々にくらい目を瞑るべきだ。
少し迷ってから、差し出される時計に手を添える。そのままザイールの手が引かれて、受け取ったシュランは慣れた動作で頭を下げた。

「…有り難く頂きます。お気を使わせてしまい申し訳ありません」
「いや、気にするな。俺としても貰ってくれて助かった」

そう言ってふっと笑う。その笑い方がシュランは好きで、何気なく混ぜられた一言に唇が綻んだ。
気にするな―――それは、彼がくれた優しさ。誰からも忌み嫌われていたバケモノに、当たり前のように差し伸べて。彼からすれば特別な意味なんて持たない言葉なのだろうけれど、意図もなしに時折口にするこの言葉が、シュランを安心させてくれている。
まだ1人じゃない。誰も彼もから嫌われた訳じゃない。生きていても許してくれる誰かがいる。そう思わせてくれる一言をそっと胸に納めて、頭を上げた。と、視界にある彼の表情は変わらず申し訳なさそうで。

「……すまない。今日は町内会で会合があるらしくて、お前も参加しろと父から…」

来てすぐに帰って行くのはこれが初めてではない。町長の息子という立場上、断ろうにも断れない誘いが来る事も少なくないようで、それでも時間を作って顔を出してくれる。
ザイールは申し訳なさそうに言うが、そんな風に思う必要は全くないとシュランは思う。こちらの事よりも街の事を優先すべきだと思うし、そこに居場所があるならそれを大切にしてほしい。ただでさえこんなバケモノの味方に付いた事で町民からの風当たりが強いだろうに。

「いえ、お気になさらず。こうして来て頂けるだけでも有り難いですから」
「だがな…何だか最近そういった集いに参加しろと強く言われるようになった気がするんだ。以前はそうでもなかったんだが……」

きっとそれは、バケモノたる自分から少しでも遠ざけようとする街全体の動きだろう。
思惑ははっきりと解っていて、けれど彼が気付いていないようだから「そうなんですか」とだけ返す。

「まあ、次に来る時はもう少し…お前の話が聞けるくらいには時間を取る」
「ありがとうございます。けれど、御無理はなさらないでくださいね?私の事よりも町民の皆様の事を大事にしてください」

そう言うと、ほんの一瞬ザイールの目が見開かれた―――気がした。一瞬だった事もあってはっきりと断言は出来ないが、そんな気がして首を傾げる。
が、当の本人は特に顔色や表情を変える訳でもなく鞄を閉めて、こちらに向き直った。

「…それじゃあ、そろそろ。また時間が取れたら顔を出す」
「はい、お待ちしております」

伸ばされた手が、シュランの髪を撫でる。
最初の頃は抵抗のあったその行動も、今では帰る際の恒例行事になっていた。綺麗な髪色だと言われたのを思い出す。当時は嫌味にしか聞こえなかったそれも、今では純粋に褒め言葉として受け取れる。
バケモノと、“呪われし蛇髪姫”と呼ばれるようになった原因たる髪をそっと撫でて、ザイールは社の扉を開けた。








鍵を閉めて、社を離れる。いくらか歩いて距離が出来たところで、ザイールは大きく息を吐いた。ふと思い出すのは、彼女の声で繰り返される言葉達。
何度も彼女がいる社を訪れて何度も会話をした。そして、何度喋っても彼女の優しさには驚かされる。

「…どうして」

呟いても答えはない。あるとすれば、それがシュラン・セルピエンテという少女なのだという当たり前の返事だけ。それしか、結局は他人の域を出ないザイールに用意出来る答えはない。
そんな事はもう解っていて、だけど毎回問いかける。彼女本人に問う勇気がなくて飲み込んでしまう疑問を、誰に対してでもなく吐き出した。

「どうして…あんな扱いをする奴等に気を配れるんだ……?」

それは出会った頃―――半年ほど前からずっと思っている事だった。
ザイールにとって、町長である父親を含めて町民達はある種の敵だ。身を挺して街を守ったシュランを虐げて、必死に助けを求める声を平然と踏み潰して、さも自分達が正しいかのようにのうのうと暮らして。そんな姿を見る度に爆破衝動に駆られて、寸前で彼女を思い出して止まる。
勇気ある行動を讃えろとはいわない。英雄として敬えなんて思わない。ただ、ごくごく普通の有り触れた生活を送らせてあげてほしいだけで、そんな簡単な事なのに彼等の行動がどんどん難しいものに変えていく。


――――私の事よりも、町民の皆様の事を大事にしてください。


そう、言われた時。
思わず反応が遅れた。驚きを顔に出しかけて、それをどうにか欺いた。どうしてと湧き上がる疑問に無理矢理蓋をして、飛び出しそうな問いかけを呑み込んで。
彼女は、自らがバケモノだという事実を受け入れている。故に誰よりも身分が低く、相手を敬うのは当然なのだと。町長の息子たる自分は将来街を背負う立場なのだから、町民を第一に考えるのは当たり前の事なのだと。
けれど、ザイールから言わせればシュランはバケモノなんかではない。確かに蛇髪は何度見ても驚く光景だが、だからといって平穏な暮らしを壊していい理由になりはしない。あれほどまでに冷酷な仕打ちを平然とやってのける町民大勢とシュランのどちらかを選べと言われたら、迷わず彼女を選ぶだろう。それは別に憐みから来る思いではない。可哀想だと思わない訳じゃないけれど、それよりも周囲に対する怒りの方が強くある。この環境から引き離せるなら、街ごと爆破する事になったとしても躊躇いはしない自信があった。

「…っ」

唇を噛む。切りそびれた爪が食い込んで痛いのも構わずに拳を握りしめる。
ザイールは知っていた。彼女の振り撒く優しさは、決して口だけのものじゃない事を。その言葉を証明するような、自らの犠牲を厭わない行動を。



例えばある時、街の近くに巨大な魔物が巣を作りかけた事があった。
その話が彼の耳に入り、何気なく彼女に話したある日の、何の変哲もない次の日の朝。

―――その魔物は巨大な骸と化していた。
体のあちこちを噛み千切られて、全身を毒が回って。




例えばある時、街の一角に賊のアジトが出来てしまった事があった。
何を言っても武器をちらつかせて脅すのだとぼやいたその日、彼女は「大丈夫ですよ」と笑って。

―――「その様な方々には、きっと天罰が下るでしょうから」。
翌日、全身に噛まれたような傷跡のある賊達が、顔を真っ青にして街を出て行った。



町民達は喜んでいた。日頃の行いの良さを知る神様が助けてくれたのだと、そんな根拠も何もない事を信じ込んで。やはりあのバケモノを遠ざけたのがよかったのだと。
だから、本当の事を知っているのは本人たる彼女とザイールだけ。噛みついたような傷跡、回る毒、真っ青な顔色のまま街から消えた賊達の些細な呟きを聞いた者は彼以外に誰もいないだろう。喜びに沸いた彼等に、”蛇”なんて単語は聞こえていたとは思えない。

「天罰、か」

本当にそんなものがあるのなら町民達に、なんて思ってしまうのは悪だろうか。
結局、彼等はシュランに助けられている。あれほどまでに虐げた少女の暗躍によって、大きな被害もなく今日まで生きている。バケモノと罵られる無数の蛇が、何をしても悪と見なされる彼女が、何故あんな奴等の為に命の危機を承知で戦わなければならないのか。

「……」

広げた右手に視線を落とす。その気になれば街1つくらい平気で呑み込む爆発さえ生み出す、先ほどローズピンクの髪を撫でたその手。
あの少女を少しでも危険から遠ざけられればと習得した魔法。けれどどうしても同じ場所には立てないままで、結局力になれないままずるずるとここまで来た。
そもそもの話、ザイールはこの力を町民の為に使う気なんてない。既にあんな街の事なんてどうでもいいとしか思っていないし、最近では帰る事にさえ不快感を覚える。だからといって街を離れれば彼女の味方がいなくなる為、どうにか我慢してはいるのだが。
逆に、シュランは持てる力の全てを他者の為に使う。そこに至るまでに何回傷つこうと構わないと言い切って、その相手が例え自らをバケモノと忌み嫌う者であっても。
だからこそ、力になれない。お互いがお互いの方を向いているようで、見ている先は全く別の方向で。助け合おうとしているのに、伸ばした手を取り合うまでがかなりの高難度。解り合えるようで解り合えない、そんな状況だった。

「…考え込んでる暇はないか」

ふっと息を吐いて、思考を振り切るように首を横に振る。ただでさえ最近悪化している親子関係を更に捻じれたものにする気はない。両親ともここ最近はぴりぴりと張り詰めたような空気の中でどうにかこうにか親子の形を保っているが、そこから更に悪化してしまえば何を言われるか解らない。特に町長たる父親はザイールにもこの立場を継がせる気満々で、ついでにいえば町民からのイメージアップの為にシュランを誰よりも強く罵り、虐げている。それが正しいと信じて疑わない上にそれを息子にも強制してくる、そんな父親を軽蔑するようになったのはいつ頃からだったか。それに逆らう力は自分にはないと思い込んでいる気弱な母親に苛立ちを感じ始めた時期も、気づけば覚えてなんていなかった。

「よし」

意気込むのは、両親や町民達の考えに飲み込まれて流されない為の覚悟の表し方。何があっても彼女の味方であろうと決めた、半年前からの決定事項。
何気なく踏み出した右足の1歩は、そんな覚悟を纏うかのように力強かった。







それから数時間後。
ザイールは、隠し切れない焦りと怒りを浮かべて走っていた。








ドンドンドン!と荒れるような音が耳に飛び込んだ。
それがノックだと気づくのに数秒、次いで恐怖がじわじわと思考に滲み出る。本能的に身を抱いて、ローズピンクの髪が空中に広がり蛇と化す。
現在時刻は午後6時。町民だとすれば子供が来る時間ではない。だとすれば大人だと思い至って、それなら武器を振り回される可能性もあると身震いした。
細い吐息を吐く無数の蛇達をふるりと振るわせて、震える足でどうにか立ち上がって。

「シュラン、俺だ!ザイールだ!早く開けてくれ!」
「…ザイール、様……?」
「頼むから早く!じゃないとお前が危ないんだ!」

聞こえてきたのは、つい数時間前に聞いた彼の声だった。ただし普段の冷静さを大きく欠いて、慌てるような焦るような声で必死に自分の名を呼んで―――いや、叫んでいるといった方が正しいか。
殺気立っていた蛇達がしゅるりと何の変哲もない髪に戻るのを顔のすぐ傍で確認して、迷わず鍵に手をかける。外からは鍵が必要なこれは、内側からだと鍵かパスワード入力で開く。鍵はザイールが持っており、外に出る事のないシュランに鍵は不必要。その為2人で話し合って決めたパスワードを、間違いがないように慎重に押していく。
もしかしたら偽物かも、なんて考えはどこにもない。理由は解らないけれど恩人たる彼がここまで焦っている、それならシュランに出来るのは彼の望みを叶える事だけだ。

「ザイール様!どうなさったのですか!?」

扉を開けると同時に問いかける。突然開いた扉にやや驚いたように身を引いたのは紛れもなくザイールで、すぐにはっとしたように社の中に入り込んだ。かちゃりとロックがかかる音がして、息を切らした真っ黒装束は力尽きたようにその場に座り込む。

「ザイール様!?」
「だ…大丈夫だ。ただ…ここまでずっと走ってきた、から……」

どうにかこうにか息を整えようとはするものの、そう簡単にはいかない。苦しそうな彼の背中を擦りつつ顔を覗き込むと、汗が伝う顔がこちらを向いた。

「すまない…鍵を、忘れた。けど大丈夫だ、鍵が盗られる心配はない。厳重に、管理してある……」
「あまり御無理をなさらないでください。今水を」
「いや…構わない。すぐに正常化する、気にするな」

立ち上がりかけるのを手で制して、ゆっくりと息を整えにかかる。
そう言われてしまえば用意するのも失礼に思えて、右隣に体育座りで待機する事にした。右膝を立て左足を放るように座り背中を壁に凭れさせる彼の呼吸が落ち着き始めた頃を見計らって、シュランは問う。

「…それで、何があったのですか?町内会は…」
「その町内会で今日、お前の話になった」

一瞬、呼吸が止まる。どくんと鼓動が大きく鳴って、続く言葉が詰まった。
街でシュランの話になるのは変な事ではない。この先あのバケモノをどうするか、なんて会議が時折繰り広げられているのだと彼からもよく聞く事で、今更驚くような事でもないのだけれど。
何だが、嫌な予感がした。今日の話し合いは何かが違ったのだと、そんな勘が働く。

「この間話したと思うんだが…最近街の付近で魔物の群れが確認されたと言っただろう?」
「はい、覚えています」
「今日はその群れをどうするかという話し合いだったんだが……」

と、そこから先が止まった。僅かに目が泳ぎ、頬を掻く。
これは言葉を選んでいる時のザイールの癖だ。そしてこの癖が落ち着く頃に言葉にするのは、慎重に選んだものでさえ十分にショックを与える声の羅列。言いにくそうにする彼を見るのは初めての事じゃない。街はどうですか、家族は元気にしていますか―――そう尋ねた時と同じ。シュランが受けるショックが少しでも小さくなるようにと選び抜かれた言葉で、ザイールは言う。

「その魔物を仕向けたのがお前じゃないかと……そう、町長が言い出した」








「そんな訳がないだろう!何を言っているんだ父さん!」
「現実を見ろザイール。お前はあのバケモノに誑かされているんだ」

ばん、とテーブルを叩いて立ち上がったザイールに向けられたのは、憐れむような目だった。可哀想にと囁くような声色が余計に苛立ちを強めていく。
そんな町長の一言を待っていたかのように、その場にいた町民達も口々に喚き出す。

「そうですよ坊っちゃん。あんな蛇娘に近づいて、どんな術をかけられたか解ったものじゃありません。一流の解除魔導士(ディスぺラー)を今度連れてきますから」
「ちょっとザイール!あたしこの間言ったじゃない!アイツは貴方の同情が引きたいだけで、町長の息子が味方してくれてるって事実を作りたいだけなんだからって!」
「全く…復讐のつもりかよ、ふざけんじゃねえ。オレ達にこんなに迷惑かけといて、悪びれもせずへらへら生きていやがって!」
「どうせあの蛇でザイール君の事誑し込んだんでしょ?可哀想なザイール君、もうあんなバケモノに構う必要ないよ。あんなのは放っておけば勝手に野垂れ死んでくれるんだから」

あちこちから聞こえてくるのは、醜い事に気付かずに正義感を真似た何か。何も知らない無知故に、静かな守護に気づかない彼等のほうが哀れに思える。どうせ知った時には嘘だと喚くだけだろうが、と冷めた考えを吐き出す自分がどこかにいた。
声に聞こえていたそれが、徐々にただの雑音になっていく。喧しく耳障り、何の意味も持たない何重にも重なる同じ音。耳に入る事すら不愉快になるノイズが、気づけば遠くのものになっていた。

「…れよ」
「ザイール君?」

名前を呼ばれた気がした。けれど気のせいだと無視をする。
ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな。その一言が思考を塗り潰す。誑かされている?一体誰が。術にかけられた?一体何の。同情を引きたいだけ?何を根拠に。悪びれもせず?何も知らないくせに。可哀想に?誰が。


―――――俺が?
彼女の優しさに気付かずに虐げ続ける事しか出来ない、お前達でなく?


ぐるぐると回って、回って、行きついた先が―――怒りで、真っ赤に染まった。

「黙れよ、口々に喚くな鬱陶しい。俺がお前達程度の言葉に流されるとでも思ったか?」

誰かが目を見開いた。誰かがひゅっと息を呑んだ。誰かが何かを言おうと口を開いて、鋭く睨む黒い目に負けて口を閉じる。
その“誰か”の名前が容姿に追いつくよりも先に、彼はこの場にいる全員と目に見える敵対関係を作り出していた。

「だとしたらとんだ茶番劇。……滑稽すぎて、笑えない」









「そ、それで皆様を敵に回したと仰るのでございますですか!?」
「言葉が変だぞ。それにそんなに驚く事でもないだろう」

平然と言ってのけるザイールに驚きを通り越して呆れめいた何かを感じつつ、ぽかんと開いた口をどうにか閉じる。妙なところで行動力のある彼だが、今回も随分とその才能と呼んでいいのか解らないそれを発揮したらしい。

「け、けれどそれでは…ザイール様はどうなるのです?街には」
「戻るつもりはない。いずれ去る気ではいたが、丁度いい機会に恵まれた」
「…そう、ですか」

零れた声は、想像以上に沈んでいた。
勿論、どこかで考えてはいた事だった。彼には彼のやりたい事がある。そしてその為には街を出る必要があるかもしれない。そうなった時、その日が来てしまった時、シュランがすべきなのは笑顔で見送る事だ。いつまでもこの社に縛っていてはいけないなんて事、ずっと前から解っている。

「それでだな、シュラン」

くるり。ザイールが体ごとこちらを向く。体勢を変えて胡坐を掻き、体育座りから正座に座り直したシュランの目を真っ直ぐに見る。
喉に張り付きそうな声をどうにか絞って出した返事は小さい。「…はい」と返した彼女に、先ほどのように言いにくそうにしながらも、覚悟を決めたのか口を開いた。

「その、街を出て……一緒に暮らさないか、俺と」


…。
……。

……ん?



「……はい?」

何度繰り返しても意味が半分も入ってこない。いや、解ってはいるのだが信じられない。
今、彼は何を言っただろう。街を出るというのは重要じゃない。ザイールは既にその意思を崩さずに持っているし、シュランは追い出されたも同然なのだから。
だから大事なのはその後だ。街を出てからの話。一緒に暮らさないかと、そんな事を。彼氏が彼女に言うような、恋人同士でもない2人の間で飛び交う言葉でもないはずの、そんな問いかけ染みたそれ。

「いや…だから、俺とどこか別の場所で、その、暮らさないかと……」
「…えっと?」
「な、何度も言わせるな…!」

よく見れば彼の頬は赤く染まり、右手で顔の下半分を隠している。頬を隠しきれてはいないのだが、それを指摘する余裕はない。

「ザ、ザイール様。あの、それって」
「…何だ」
「いえその、そういった事は求婚される時の台詞かと…」
「!?」

どうにか言葉にしたそれに、ザイールはぎょっと目を見開いた。顔の下半分を覆っていた手が、驚いた拍子に落ちて床につく。
しばらくはくりと口を開いては言葉に迷って閉じるのを繰り返し、赤い頬を更に染める。忙しなく下げた目線をあちこちに走らせながら、1度下げた右手がくしゃりと黒髪を掴んだ。

「そ…そういうつもりじゃないんだ。ただお前を残して街を出る事は出来ないからどうにかならないかと考えた結果で、ああでも無理強いはしないしそれと求婚の意思はないから安心してくれ別にお前を嫌っているという訳ではないからな。あとそれと」
「お、落ち着いてくださいませザイール様!」




それからきっかり10分。
頬に集中した熱をどうにか冷まし、休みなく並べられた釈明が尽きた頃。

「…落ち着きましたか?」
「ああ…すまない。それで、さっきの続きだが」

お互いに普段の冷静さを取り戻し、“同棲云々の前に考えなければいけない事”を2人して今更ながらに思い出していた。どこまで話が進んだかを思い出して、ザイールは続ける。

「あの場にいた全員を敵に回して、とりあえずお前にこの話し合いの事を伝えなければと俺は家を出ようとした」
「出ようとした、ですか?ですがザイール様は」
「ああ、最終的に俺は家を飛び出してきた訳だが…その際に町長からこう言われたんだ」








女が泣いていた。だがそんなの知った事ではない、勝手に泣いていればいい。
男が信じられないと言いたげに驚いた表情を向けた。それなら信じなければいい。
昔から家にいた家庭教師が嘆いた。嘆かれるような事をしているつもりはない。
旧友が怒りから何かを怒鳴ろうとしていた。何を怒鳴ってももう届きやしないのに。

「ザイール…何を、言って」
「悪いがもうお前達との会話に付き合う気はない。お前達と同等になるくらいなら俺はアイツを選ぶ……いや、違うな。これから先何があっても、俺はアイツの味方であり続ける」
「けど、あのバケモノのせいであたし達は……!」
「……アイツは、お前達のせいで苦しめられているんだが」

何を勝手に責任転嫁しているんだ馬鹿馬鹿しい、そう続けて呆れたように肩を竦める。いつまで自分達を被害者としていれば気が済むのか、なんて問いに答えが出る訳がないのは既に知っている事なのだけれど。

「だって、アイツのせいで街の周りには魔物がいるのよ!?そのせいで…!」
「じゃあ聞くが、それでどんな被害が出た?」
「…は……」

旧友の勢いが切れる。エンジン全開で飛ばしていたところでエンジンを破壊されたような、速度のあるままどうしようもなくスピンするような。
この場にいる誰もが答えに詰まる。それもそのはず、だって()()()()なのだから。

「確かに魔物は多く発見されている。だが、それで何の被害があった?作物に影響が出たか?誰かが殺されでもしたか?家が壊れた訳でも街が直接襲われた訳でもない。ただ奴等はそこにいただけで、それが偶然この街に近かっただけの話じゃないか」

目に見える被害なんて、どこにもないのだ。
ただ魔物の住処が出来やすい地域だった、魔物が暮らしやすいと思う地域だった。だからここに巣を作り、そのすぐ傍に街があったというだけの事。
魔物はこちらに手を出してこなかった。こちらが勝手に恐れて、勝手に誰かのせいにしていただけだった。この世界に生きるのは人間だけではないのに、ただ暮らしていただけなのにそれを悪意あっての事だと勝手に決定付けられて。
そしてシュランは、その勝手なサイクルに“丁度いい理由”として巻き込まれた被害者でしかない。街の付近に魔物がいるのはコイツのせいだと、楽な理由付けをする為の駒。

「マトモな理由もないくせにぎゃあぎゃあ喚くなど愚の骨頂。アイツはお前達の都合通りな理由を受ける為の人形じゃない。恥を知れ加害者、お前達はどうやっても被害者の皮を被ったニセモノ以上にはなれんぞ愚者共が」

その目に浮かぶのは軽蔑の色。けれどザイールはそれに気づかない。周囲の顔色や表情を見て、ああ今の自分は彼等から見れば悪役なんだろうなと、冷めきった思考でぼんやり思うだけだ。
立て続けに並べた嘲りが、結局は1つとして意味を持って届かないのだとは気づいている。どうせ“ザイールに言われた”という記憶だけが残って、そこに込めた意味などすぐに捨てられるのだ。言うだけ無駄だと解った上で、それでも並べたのはもう会わないと決めているからだろうか。

「ザイール君…どうして?」

頬を涙で濡らして問われるが、無視を決め込む。くるっと体を扉のほうに向けて迷わず歩き出せば、後ろから引き留めるような声が後を追いかけてくる。
けれどそれも無視。ザイールは既に覚悟を決めている。その覚悟に手をかけて揺らす事の出来る声はこの場にない。誰の声だって、もう壁に阻まれるだけだ。

「無駄だぞ、ザイール」

父親―――否、つい先ほどまで父親だと思っていた男が口を開く。思わず足を止めたのは一応血の繋がった親子だからなのか、それとも何か嫌な予感でもしたのか。
その答えが解らないまま、彼は告げる。

「昨日魔導士ギルドに依頼を出した。明日には魔導士様が街にいらしてあのバケモノを討伐する」
「……何?」

討伐。
その言葉の意味を理解した上で、ザイールは後ろに回した右手を開いた。掌を上に向けて、そこに藍色の光が音もなく集束する。
闇ギルドに暗殺依頼を出すなんて危ない手を使うような男でない事は息子である彼が1番知っている。だとすれば正規ギルド、ならば討伐というのは痛めつけるという意味が合うだろうか。

「諦めろ、明日にはお前がそこまでする理由がなくなるんだ。今のうちに縁を切っておけ」

不思議と怒りはなかった。邪魔なものを全て排除して真っ白になった思考に、はっきりとした黒い文字が躍る。白い背景に映えるそれを噛みしめて、ザイールは迷わずに体半分を彼等の方へ向けた。振り返るような姿に、町民達の顔色が目に見えて解るほどに明るくなる。

「……すまない、シュラン」

謝罪と共に呟いたのは彼女の名。町民達が奪い取った、今では誰もの記憶から意図的に消し去られた“呪われし蛇髪姫”の本名。彼以外の誰も呼ばなくなったその名を、慈しむような声色で呼んで。






「こんな奴等にかけてやる慈悲を、生憎俺は持ち合わせていないようだ」

藍色に輝く右手を、何の躊躇いもなく伸ばした。








「……とまあ、これで全部話したはずだ」

さらりと締め括って、先ほどから無言のシュランに目を向ける。やや俯き気味の彼女の表情は解らない。何か気に障るような事を言っただろうかと考えて、やはりバケモノだ何だと喚き散らしていた部分はカットした方がよかったかと今更ながらに後悔し始めた頃、ようやく彼女が口を開く。

「何をなさっているのですか貴方は!」
「…は?」

第一声で怒られた。突然の事に、頭を思いきり殴られたような衝撃が走る。
その怒りが「何でそんなにバケモノ扱いされなければならないのですか!」ならまだ理解出来た。そうだそうだと同意も出来たし、とにかく何かしらの対応が出来る状態にある。
が、彼女の怒りはどうやら予想の斜め上どころか真上に飛んだようで、対応しようにも頭が追い付かない。

「皆様を敵に回しただけでなく魔法まで御使いになられたなんて……!それではザイール様が悪役ではないですか!」
「え、いや…気にするな、俺は別に……」
「悪役は私1人で十分なのに…ザイール様まで皆様に悪く言われてしまうのは絶対に嫌です!なのに、なのにどうしてそのような真似をなさるのですか!?」

彼女にしては珍しく声を荒げ、感情を剥き出しにしている。だがそれを珍しいなあと眺める余裕はなく、ただ吐き出される怒りを前に呆然としていた。

「聞いていらっしゃいますか、ザイール様!私っ、身分の違いを理解した上で申し上げますけれど、無礼を承知での御言葉ですが、私のせいで貴方が辛い思いをなさるのがどうしても嫌なのです!お願いですから御身を大事になさってください、貴方が大事にすべきなのは私ではなく貴方自身なのですよ!?」

ずいっと前に乗り出す。思わず後ろに引いたザイールとの距離は然程変わらないはずだが、先ほどまではなかった甘い香りがそっと鼻を擽って、1度は冷静になった思考を一瞬で掻き乱した。香水なんてものはないからシャンプーの匂いか何かだろうか、なんて考えがぼんやりと滲む。

「というか皆様は御無事なのですか!?ザイール様の事ですから、何だかんだ仰いながらも手加減はしていらっしゃると思いますけれど!」
「い、一応は…というよりは圧縮した空気を破裂させただけだから、単なる目晦ましの意味合いでしかないんだが」
「よかったです安心致しました!それでは後は」

と、そこで彼女の勢いが止まった。ふっと普段の冷静さが戻ってきたのか、こちらに乗り出した体勢のまま、握り拳2つ分くらいの距離しかない位置にあるザイールの顔をじっと見つめている。
そのまま、秒針の音が聞こえるほどの静寂が数十秒。

「――――!?」

ぶわわ、とシュランの頬が一気に赤く染まる。ずさっと音がしそうな勢いで後ろに下がり、ぺたんと座り込んだ姿勢のまま両頬にそれぞれ手を添えて目を伏せた。僅かに開いた唇からは「えっと」だの「その、ですね」だの小さな声が途切れ途切れに零れては先に続かない。
一方のザイールはといえば、傍から見れば尻餅でもついたかのような体勢でつり気味の黒目を見開いていた。瞠る目を数回瞬きさせて、それからすぐに表情が驚きから困惑気味なそれへと変わる。

「シュラン?」
「!も、申し訳ございませんザイール様。私のような者があんな暴言を……!」
「いや…別に暴言と言うほどのものでもなかったぞ?よく考えればお前が怒るのも尤もな訳で……」
「そ、それにその…近づきすぎ、ましたし」

うぐ、とフォローの言葉が詰まる。
確かにそれは気になった。けれど距離が近いと言い出せる雰囲気でもなくて、とりあえず様子を見ようとしていた時に彼女が冷静さを取り戻して。勢いよく飛び退かれた事に若干ショックを受けたのは余談として、詰まって消えかけたフォローを何とか掴み直して声に乗せる。

「も…問題ない。驚きはしたが嫌ではないし、さっきも言ったがお前が怒りたくなる気持ちも解る。町民達を気遣えと言われたのに、俺にはそれが出来なかった」
「いえっ、ザイール様は悪くありません。全て私が悪いのです。皆様からバケモノと恐れられているのを解っているのに、ここを離れない私が…」
「それは違うだろう」

反射的に飛び出たのは強い否定の言葉だった。
寄り道を繰り返した現状だが、結局のところザイールが言いたいのはたった1つだけで、その1つが回り回って巡り巡って伝えられていないのだけれど。
申し訳なさそうな、そしてどこか泣き出しそうな表情のシュランと真っ直ぐに目を合わせて、彼は言う。

「お前はバケモノじゃない。お前が悪なら町民共は救いようのないそれ以上だ。例え世界中の誰もがお前を罵り虐げようと、俺はお前に向けられた罵詈雑言を死ぬまで否定し続ける」

そこに恋愛的感情はない。ライクはあってもラブはない。
男が女を守りたいと思う事の全てが恋慕に繋がる訳ではないし、大切に思えばそれが恋やら愛やらなのかと問われれば答えは否である。大切、なんて言葉で一括りにしたって、人によって意味は大きく変わってくるのだから。
だからこれは、飽くまでも友人としてのもの。間違っていると声を上げたのが男で、その間違いに飲み込まれそうなのが女だというだけ。

「だから、俺を選べ。アイツ等の捻じ曲がった正義感を満たす為に傷つく覚悟があると言うなら、俺の身勝手に背中を預ける覚悟に変えろ」

けれど、だからといって。
2人の間にあるのが、普通と比べると若干歪な友情だけだとしても。特別濃い訳でもない、会えば話すけど自分から連絡を取るほどではない、なんてよくある程度の繋がりだったとしても。

「俺がお前を守ってみせる、なんて大袈裟な約束は柄じゃないが」

その為に本気になってはいけないなんて、誰が決めた訳でもないはずだ。
男が女の為に覚悟を決めるのは、何も色恋沙汰だけではないのだから。





「もう誰にも否定させやしない。お前とお前の居場所を守ると、約束する」










―――その言葉を、あの方は覚えていらっしゃるのでしょうか。
―――ただの口約束、その場限りの嘘だと言われてしまえば…それまで、なのですけれど。
―――けれど、とても嬉しかったのです。嘘だとしても、私はあの言葉を宝物にしたい。

―――口では街の皆様をと言いながら、本当は私を選んでほしかったのかもしれませんね。
―――ザイール様なら…私の声を、ちゃんと聴いてくださると思っていましたから。





―――ええ、ここまでは私の身の上話。序章、といったところでしょうか。
―――ガジル様との出会いを語るには、これを踏まえて聞いて頂く必要がありましたので。
―――御気分を悪くされたのなら申し訳ございません。



―――……そう仰っていただけると幸いです。お気遣い痛み入ります。
―――そうですね、いつかお話致しましょう。ザイール様との出会いの事も。





―――ですが、本日はガジル様との出会いの話。
―――ここからが本番です。その前に少し休憩を挟まれたほうがよろしいのでは?

―――少し、長くなるかもしれませんので。 
 

 
後書き
こんにちは、緋色の空です。
あけましておめでとうございました!気づけば成人の日さえ過ぎていたというね…成人の皆様おめでとうございます。
という訳で今回と次回(で終わるはず)のシュラン、ガジル、ザイールのお話。ザイール君のイメージとしては「割と上からな発言が多いけど何か似合うね」です。愚者共がとかお前達程度とか、悩みましたが彼なら言うだろうとセレクト。というかEМTって腐った大人多すぎる気がするのはカトレーンのせいでしょうか。
因みに私のお気に入りは「だとしたらとんだ茶番劇。……滑稽すぎて、笑えない」だったり。

最後の方は駆け足気味ですが、とりあえずここで言っておきたかったのは「シュランは約束された側、ティアは約束した側」という事です。
何故ここでティアさんがと思われた方もいると思いますが、よく考えるとこの2人はよく似た過去の持ち主なのです。けれど真逆。
何があっても周りを信じ続けたシュランと、何があっても周りを拒み続けたティア。
大切な誰かの為に動く事で存在価値を見出した蛇髪と、自儘に動いていたら誰かに慕われていた竜人。
いつかこの2人が手を取り合う事はあるのでしょうか。ナツとガジルが共闘する事って結構多いから、ティアとシュランもやりたいなあと思ったり。


さてさて、そんなこんなで街を出る事を決意したザイールと、そんな彼に手を伸ばされたシュラン。
2人はどんな経緯を経て幽鬼の支配者(ファントムロード)に入ったのか、それを次回明らかにしたいと思います。

感想、批評、お待ちしてます。
…そういえば気づいたらEМT2周年だったらしいよ←



「トモダチコレクション 新生活」、ティアさんとライアーが遂に結婚なさいました。おめでとうおめでとう。私ことヒイロは親友たるソラ君の恋が成就した事を喜びつつ告白しないしされない人生を送っております。そしてライアーの女友達の多さに驚愕中。友達の半分以上女ってどういう事よ。
というかクロノとナギが恋人どころか友達にもなってくれなくて頭を抱える今日この頃。 
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