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彼に似た星空

作者:おかぴ1129
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6.紅茶とショートブレッド

 鎮守府に酒保が完備され、金剛型姉妹が全員揃った頃のことだった。緑茶に羊羹という黄金の組み合わせを教えてくれたお礼に、私は姉妹のお茶会に提督を招いた。その時に私は、自分が一番自信のあるブレンドの茶葉と、一番自信のあるショートブレッドを準備していた。

 ただ心残りなのが服だった。その日私たちはオフで、各々リラックスした私服を着ていた。比叡はTシャツとハーフパンツ、榛名はゆったりとしたセーターとショートパンツ、霧島はややタイトなシルエットのワイシャツにスキニージーンズ…皆、よく似合っている。

 私はその日、お気に入りのジャケットがクリーニング中ということもあり、仕方なく、インナーとしてワンピースを着て、アウターとして少し前に購入したアーミージャケットを羽織った。アーミージャケットもお気に入りといえばお気に入りなのだが、いかんせん、ゴツすぎてかわいくないのではないか…と妙な心配をしていた。

「お姉様お手製のショートブレッド! 司令にすべて取られる前に私も食べなくては!!!」

 と言いながら、味わっているかどうかさっぱり分からないスピードで次々ショートブレッドを平らげていく比叡をよそに、提督は実にゆったりと紅茶を飲み、ショートブレッドを味わっていた。

「テートク、どうデスカ?」

 緊張して思わずそう聞いてしまうほど、提督は無言で目を閉じ、紅茶を飲み、ショートブレッドを咀嚼していた。紅茶を口に含んでは鼻から静かに息を抜き、その後ショートブレッドを口に運び、そしてまた紅茶を飲み…提督はただ寡黙にその行為を繰り返していた。

 私の緊張は、他の姉妹にも伝わってしまうほどに膨れ上がっていた。さっきまで勢い良くショートブレッドを次々口に運んでいた比叡もその手を止め、榛名は次第におろおろし始めた。霧島も未だ冷静ではあったが、提督に注意を向けていた。

「ふーっ……」
「テートク……どうデシタか? 口に合わなかったデスカ?」

 緊張で声が震えてきた。私はこんな緊張を味わうためにお茶会を開いたわけじゃない。緑茶と羊羹を教えてくれた提督に、自分が出来る精一杯のお礼をしたかっただけだ。それなのになぜ私は今、こんなに緊張しなければならないのだろうか。すべては提督の、この真意の読み取れない態度に原因があるのだが…

「金剛。紅茶を淹れたのは金剛か?」
「ハイ」
「このショートブレッドは?」
「ワタシが作ったヨー。…美味しくなかったデスカ?」

 正直に言うと。この時の提督の顔はものすごく怖かった。深海棲艦と戦ってきた経験の中で、幾度となく当たれば致命傷の砲撃を紙一重で避け、ヒヤリとした経験はあった。だがその経験のどれよりも、今のこの提督の表情には恐怖を感じた。

「比叡」
「は、ハイ!!」
「お前はティータイムの時、いつもあんな調子で食ってるのか?」
「いやあの…金剛お姉様が作ったお菓子の時はいつもあんな調子ですけど…」

 いつも元気な比叡ですら、提督のこの尋常でない雰囲気におされ、語尾がハッキリしなかった。それほどまでに、今の提督には凄みを感じた。ある意味では深海棲艦以上の。

「榛名」
「は、はい…」
「お前はどうだ」
「榛名は…榛名も金剛お姉様のお菓子と紅茶は好きですけど、さすがに比叡お姉様ほど勢い良く食べることは…」
「霧島は?」
「艦隊の頭脳担当ですから甘いものは好きですが、比叡お姉様ほどの食欲は…」
「そうか……」

 ふーっ…と提督は深いため息をつき、それを受けて比叡が気の毒になるほど狼狽え始めた。こんな提督は見たことがない。これまでは人当たりのいい優しい人格だった提督なのに、今、自分の目の前にいる提督は、まるで別人のように冷酷な口調で私達姉妹に厳しく迫っている。

「あ…あの〜…司令…?」
「て、テートク…」
「金剛」
「は、ハイっ!!」
「お前たちはいつもティータイムを楽しんでいるといっていたが、いつもこの紅茶を飲み、こんな菓子を食べていたのか」
「い、いえーす……紅茶は銘柄やブレンドを変更するときはありマスが…今日飲んでるのは割りとよく飲むやつデス」
「……」
「お茶請けもスコーンとかキューカンバーサッドイッチとか色々デスけど、今日は特に自信のあるショートブレッドにして見まシタ……?」
「なるほど……」

 提督はここまで言うと腕を組み、眉間にシワを寄せ、実に険しい表情を浮かべた。執務室で秘書艦として提督とともに過ごすようになってけっこうな時間になるが、その中でこんなに険しい表情の提督を見たことは、私の記憶にはない。

「て、テートク……?」
「ん?」
「ひょっとして、怒ってマスか?」
「ああ。おれは怒っている。おれ個人としてではない。お前たちの上官として、この鎮守府の最高責任者として、お前たちには怒り心頭だ」
「why? どうして? 私たち、何かテートクの気に触ることでもしたんデスカ?」
「ああ。そのとおりだ」

 提督はそこまで言うと、テーブルの上の拳を握りしめ、額に血管を浮かべて俯いた。本当に怒りを押し殺し、今にも爆発しそうな自分を抑えているのが伝わってきていた。私達が一体何をしたというのか…思い当たるフシのない私には皆目見当がつかず、私は頭が混乱した。

 それは他の姉妹も同じようだった。榛名は先ほどからおろおろしており、冷静沈着な霧島も困惑しているのが私には分かる。比叡は気の毒になるほどだらだらと冷や汗を流し、いたずらがバレてこれから母親に叱責される子供のように萎縮しきっている。それほどまでに今の提督は恐ろしい。

「テートク! 私達の何がテートクをそこまで怒らせたんデスカ?!」

 しかし私も、もう我慢出来ない。私が大切にしているティータイムに提督を呼んだのは、姉妹たちを不安に陥れるためでも、提督を不快にさせるためでもない。ただ、あの日私に羊羹と緑茶の組み合わせを教えてくれた提督にお礼がしたかっただけなのだ。それなのに今、提督は理解できない理由で怒り、私の姉妹を不安に陥れている。いくら提督でも、それは許容出来ない。提督も大切だが、私は私の姉妹たちも大切だ。私は姉として比叡を守らなければならない。榛名や霧島が理不尽な理由で叱責されるのなら、私はその矢面に立たなければならない。

「教えてくだサイ! テートクは今日のティータイムの何が気に入らないんデスカ?!!」
「何がだと…? ここまで言っても分からんのか金剛……ッ!!」

 そこまで言うと提督は、私の方を向いた。意外にもその顔に浮かんでいた表情は、怒りではなく悲しみだった。

「…なんで今まで呼んでくれなかったぁああん?!!!」
「……what?」
「はい?」
「ひぇえ?」
「ブフゥウッ?!」

 提督は目に涙を浮かべていた。霧島は口に含んでいた紅茶を吹いた。榛名は榛名らしからぬ気の抜けたポカンとした表情を浮かべ、比叡は顎が外れたかのようにあんぐりと口を開けていた。

「なんで今までこんな美味しいものを教えてくれなかったぁああん?!!」
「ど、どういうことデスカ?」
「だってそうだろう? おれは金剛が着任してすぐ緑茶と羊羹の組み合わせを教えたのに…それなのに…今の今までお前たち姉妹だけでこんな美味しい組み合わせを楽しんでたなんて…おれは…おれは提督として悲しいッ!! ぐすっ…」

 ああ…そういえば彼はちょっとエキセントリックなところがあることを忘れていた。優しい性格に隠れがちだが、時折妙なことを口走り、変な行動に走ることがある。今日の彼がそんな感じだ。彼はこの時鼻声になっていた。多分、本気で悲しかったのだろう。

「て、提督…泣いちゃ駄目です…そんなに悔しいんですか…?」
「当たり前だッ! こんな悔しいことがあるか榛名ッ!!」

 理由はさっきとまったく正反対なのだが、榛名はさっきと変わらずおろおろしている。目に悔し涙を浮かべる提督をなだめるのに必死だ。

 一方の比叡はホッと胸をなでおろしていたが……

「よかったぁ〜…私、何か司令に失礼なことしたのかと思って…」
「比叡」
「はい?」
「お前、一週間金剛のお菓子禁止」
「なぜッ?!」
「さっきの調子だったらもう一生分×10回ぐらい食ったろ?! お前の分はこれからおれが食べる」
「お、横暴です! それでは金剛お姉様分の補給が…!!」
「これは命令だ。比叡は今後一週間、金剛の作ったお菓子を食べることは禁止とする。復唱しろ比叡」
「ひぇええええ?!! 職権乱用ですよ司令〜?!!」

 さっきまで不必要な緊張と、鎮守府にあるまじき殺気につつまれていたティータイムに、やっと平穏と安心が戻った。美味しいものに目がない提督は、紅茶とショートブレッドという組み合わせを今まで私たちだけで楽しんでいたという事実に、我慢がならなかったのだ。美味しいものを食べたいという自身の欲求に、提督は、ただ愚直なだけだったのだ。

 そのことが分かったことで、私の全身から緊張が抜けていったのがわかった。正直、提督が何にそこまで憤慨していたのかがまったく分からず、私は普段の戦闘以上に緊張していた。

「テートク〜…よかったデス〜…私の紅茶とショートブレッドが気に入ってくれたんデスネ」
「ああ。よかったら今度紅茶の淹れ方とショートブレッドの作り方教えてくれ。自分でも作れるようになりたい」
「安心しまシタ…ワタシ、なんでテートクが怒ってたのかさっぱり分からなくて、怖かったネー…」
「おぉ…マジかすまん…どうもうまいものに目がないというか…悪かった…」

 提督は申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた後、私にペコリと頭を下げた。本来なら司令官の立場にあるものが部下に頭を下げるだなんてあってはならないことだが、この人は自分が悪いと思えば、私達に簡単に頭を下げてくれる。こんなことを大の大人の男性に言うのも失礼な気がするが、彼が私たちに頭をペコリと下げる姿は、どことなくかわいい。

 なんだか今なら、ある程度困らせても許してくれそうな気がする…そう思った私は、ちょっと意地悪をしてみることにした。

「テートク……」
「おう。どうした?」
「頭を撫でてほしいデス」
「ファッ?!」
「ワタシたちは日頃のお礼でテートクをおもてなしするためにティータイムに招待したのに、テートクは怒ってワタシたちをフィアーなアビスにたたき落としたネ」
「“恐怖のどん底”って言いたいのか金剛?」
「だから、ワタシの頭を撫でてくれたら許してあげマース」
「む…つーかそれでいいのか金剛…お前大人だろ」
「ホラホラ。早くワタシの頭を撫でるデース」

 さっきとは立場が異なり、今度は提督が目に見えて狼狽している。いい気味だ。少しはさっきの私達の困惑を味わうべきだ。大の大人が大の大人の頭を撫でる機会なぞ、そうそうあることではないことは、私はよく知っている。ましてや男性が女性の頭を撫でる機会なぞ、恋人同士でもない限りそうそうあるはずがない。『やれ』と言われて素直に『はい』とは言えないはずだ。私達のさっきの困惑を知るがいい。

 だがその瞬間は、本当に訪れた。それも、意外にすんなりと。

「んー……しゃーない。金剛たちを困らせたのはおれだ」
「へ?」

 提督は立ち上がり、私の頭を撫でた。大きさこそ男性のそれとしか思えない提督の手は、指がしなやかで長く、爪の形も整っていて、見た目だけで言えば女性と間違ってしまってもおかしくない綺麗な手だ。その手が今、私の頭に触れ、私の頭を撫でている。

「こんな美味しいものを教えてくれてありがとなー金剛。今度ちゃんと教えてくれよ?」
「あぅ…わ、わかったデース…」

 まさか本当に頭を撫でてくれるとは思わなかったから、提督のこの行動は不意打ちだった。“撫でろ”と挑発したのは自分だが、実際にこうやって頭を撫でられると本当に恥ずかしくて、顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。

 でも同時に、提督の手が自分の頭に触れ、そして撫でてくれるというのは、自分が想像していた以上に心地いいものだった。比叡の『お姉様の頭をなでなでッ?!』という悲鳴も、あまりに突然のことで席をガタッと勢い良く立ち上がる榛名の行動も、すべてが何か遠い世界での出来事であるかのように感じられるほど、私は提督に頭を撫でられて夢見心地になっていた。全身がポワッとし、フワフワと中空を漂うような心地いい感触に、私はしばし夢中になった。

 そこからが大変だ。ティータイムはちょっとしたカオスな状況となった。

「わ、私もお姉様の頭を撫でたいそして撫でられたい! 司令ばっかりずるい!!」
「お、おう…どういう理屈だ…?」
「榛名も…提督に頭を撫でてもらいたいです…」
「お前もか榛名…霧島〜助けてくれ〜」
「どうにもなりませんね。榛名の頭も撫でてあげてください司令」
「きりしまぁ〜…」
「いやいやまてまて…お姉様に抱きつくのも捨てがたい…」
「うぅ…テートク…さ、サンキューね〜…」
「ん? もういい?」
「ん〜……いや、やっぱりもうちょっと…撫でてほしいデース…」
「ま、マジか……」

 後日、私は自分のとっておきの茶葉のブレンドとショートブレッドの作り方を提督に伝授した。羊羹作りの時にその才能の片鱗を見せていた提督は、今回も割とすんなりとブレンドの配合と作り方をマスターし、執務室で時々私や五月雨にごちそうしてくれた。

 これは後で五月雨に聞いたのだが、五月雨があまりの美味しさに紅茶のブレンドとショートブレッドの作り方を提督に聞いたところ、『金剛が教えてくれたんだ!!』と誇らしげに語っていたとのことだった。私の味と香りが提督に気に入られ、それが提督に伝わり、いずれはそれが提督独自のブレンドの基礎となり、味のベースとなるであろうことが、私にはなによりうれしかった。五月雨はそのことを教えてくれた後、珍しく『金剛さんがちょっとうらやましいです』と言っていた。
 
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