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藤崎京之介怪異譚

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case.1 「廃病院の陰影」
  Ⅱ 7.19.am8:45



 俺は朝早くにホテルを出て、あの廃病院へ向かった。午後から団員の練習があるから、一先ずは下見程度にするつもりだったのだ。
 その廃病院は、ホテルから西へ十五キロ程の場所にあった。広大な敷地を保有しており、今は鬱蒼とした木々に覆われていた。
「誰も手入れしてない様子だな…。」
 俺はそうぼやきながら車から降り、病院の敷地内へ足を踏み入れた。
 一見清々しく見える風景だったが、中に入ると空気がやけに重く感じた。その上、快晴が続いていたにも関わらず、地面の土がかなり濡れていることに気が付いた。
「ん?湿地なのか…?」
 俺はそう呟いてみたが、普通こんなとこに病院なんて建てるものか?それに、一歩出れば地面は乾き切っているし…。
 だとすれば、霊的な空間になっていると考えてもいいだろうな…。
 俺は先ず、正面玄関を探すことにした。建物自体は風化のためにかなり崩れてはいたが、辛うじて病院のそれと分かる。…が、どこを探しても、玄関らしきものは見当たらない。
「迷わされるのか。」
 一人で来るべき場所ではないようだ。周辺は雑草も生え放題で、歩きにくいことこの上ない状態だ。
 周囲からは蝉の鳴き声だけがこだまし、まるで罵倒されているようにすら思える。
 俺は溜め息を洩らし、ポケットから携帯を取り出した。
「こりゃ…まずいな…。」
 街の付近だというのに、なぜか携帯は圏外を表示していた。
 かなり厄介な状況の中、俺は一旦戻ろうと出口を探すことにした。俺まで閉じ込められては身も蓋もない。
 そこで周囲を見回していると、今まで見つけることが出来なかった正面玄関がポッカリと口を開いているのが目に入った。
 中にはうっすらと光が射し込んではいたが、何か得体の知れない闇が存在している様にも感じられた。
 だが俺は、そこに何かあると考えて足を踏み入れることにしたのだった。
 外が夏の熱気に包まれていたのとは対照的に、中はひんやりとして肌寒くすらあった。
「さすがに俺でも、夜には入りたくはないな…。」
 中には割れた硝子やコンクリート片、風で飛ばされてきたのか、布切れや紙くずなんかも落ちていた。
 そこを注意しながら進んで行くと、一つの病室に目を止めた。
 何となく気になるので、俺はその病室の中へ入ることにしたのだった。
「やけにキレイだな…。」
 長年の埃はともかく、殆んどゴミがない…。まるで今でも使っているかのような錯覚さえ覚える…。
 ま、窓硝子は全て割れているのだが。
 そこは四人部屋らしくベッドも四つ備えられていたが、その中の一つに、まだネームプレートが入ったままになっていた。
「吉野トメ…。」
 恐らく、この病院に最後まで残っていたのだろう。この患者は、病院の最後を見届けたに違いない。俺がそう感じだ時、入り口付近で人影が動いた。
「誰かいるのか!?」
 返答はなく、俺は病室から急いで出た。
 しかし、そこには来たときと同様、誰もいない静かな空間があるだけだった。
 俺はそのまま廊下に出て先へ進んだが、体にかかる圧力が少し強くなったように感じる。
 一階の端までくると階段があり、俺は二階へ行くべく上りかけた。
「ちょっと待てよ…。」
 何かおかしい…。何で一階に病室が…?俺はもう一度確かめるべく、病室の方を振り返った。
「おいおい…。」
 振り向いた先には、さっきの光景はなかった。
「こっちが本物…ってわけか…。」
 それじゃ、さっき入った病室はなんなんだろうか…。恐らく、あれを見せたかったんだろうと推測出来るが、一体…何のために…?
 俺は一先ず思考するのをやめ、再び階段を上ろうと階段へ足を掛けた時だった。

―…帰れ…―

 どこからともなく声が聞こえてきた。男とも女とも判別し難い声だ。

―…帰れ…帰れ…!―

 その声は段々と大きくなってゆく。その声に合わせるかのごとく、周囲の気温も下がってゆくように感じる。
「何者だっ!」
 俺は声の主に向かって叫んだが、その声は「帰れ」としか言わない。
 今や体は鉛のように重く感じ、俺はその場に蹲るしかなくなった。
 そこで俺は、ポケットに入っていた携帯を取り出した。手も重く不自由に感じたが、何とかそれを取り出し、俺はあることをしたのだ。

 音楽を再生する。

 別に冗談のつもりはない。考えてあってのことだが…。
 そうこうして、やっと携帯から荘厳な音楽が響き出した…。しかしその刹那。

―バンッ!―

 何かに思い切り殴られた錯覚に襲われ、俺は一瞬気を失った。気が付いた時は、なぜか玄関の外に横たわっていたのだった。
 起き上がって頭を触ってみたが、これといって外傷はないようだ。
 しかし…。
「こりゃ…もう使えないな…。」
 見ると、傍らには携帯の無惨な姿があったのだった。
 俺は仕方なくそれを回収し、ふと顔を上げ、そして自分の目を疑った。
 正面玄関にはしっかりとした門が設置されており、そこにご丁寧にも車が停めてあったのだ。
「さっさと帰れってことか…。」
 どうやら、俺は追い出された様だ。
 ふと気付くと、俺の胸ポケットから何かが食み出していることに気が付いた。
「いつ入ったんだ…?」
 不審に思い、ポケットからそれを引っ張り出した。それはノートを千切ったような紙切れで、そこには乱筆な文字でこう書かれていた。

“助けてくれ ニ〇四”

 文字は赤黒く、まるで血文字のようだった。
 俺は、これが英さんからのメッセージだと思い、大切に折り畳んでポケッとにしまい直した。
 そうしてから俺は立ち上がり、今一度玄関を振り返った。
 すると…俺は久しく忘れていた恐怖心というものを、その光景だけで再び体感させられることとなったのだった。
 そこには、体の半分を焼けただらせ、半ば骨の剥き出しになった足を引きずりながら歩く老婆の姿ががあったのだ。
 その老婆は俺を見てニヤリと笑い、スッと姿を消したのだった。顔…とは言っても、何とか判別出来るものだったが…。
「なんだ…今のは…」
 何かある…、それは分かりきったことなんだ。それが何なのか解明されないうちは、この件は解決しそうにないと感じていた。

 俺は、幽霊というものを信じていない。人間が死んで魂になるとは考えていないということだ。
 だが、悪霊は信じている。俺はクリスチャンだからな。神がいるのに、悪魔や悪霊がいないわけがない。
 俺は、悪魔や悪霊を「太古の霊」と呼んでいる。
 ではなぜ、人間が霊になって現れるのか?
 まぁ、パターンは幾つかに分かれるが、最も多いものが“空間記録(情景記憶)”だ。
 これは、空間そのものが人の強い感情を記録し、それを一定の条件のもとに同空間に投影するものだ。したがって殆んど害はない。
 だが、悪霊がそれを利用する場合がある。
 悪霊にとって人間の性格や姿を模倣することは、とても容易いことだと言える。霊的資質の格が違い過ぎるのだ。
 そうやって勝手に動き回るやつらが“幽霊”の正体だと、俺は考えている。
 だが、もっと最悪なケースがある。
 それは、人の感情が強過ぎて、悪霊の力を暴走させてしまうことなのだ。こうなってからではお手上げと言わざるを得ない。ま、滅多に無い話しだがな。

 さて、俺はかなりの時間ここにいたと思っていたが、車に戻って時間を確認するとA.M.9:10と表示されていた。
 有り得ない…。少なくとも二時間以上は経っているはずだ。
 俺はそれを確認すべく、ラジオのスイッチをいれた。
―…快晴のようですので、日射病予防に心掛けて下さいね!只今の時刻は九時十二分です!―
 天気コーナーのやましいお姉さんの声が耳に飛び込んできた。
「時計の時刻は合っているようだな…。それじゃ、幻だったってのか…?」
 そう呟いてみたものの、ポケットには壊れた携帯とあの紙切れが確かに入っている。
 ここであれこれ考えても無意味だと思い、俺はラジオをかけたまま車を発車させたのだった。

 まるで…そこから逃げ出すように…。



 
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