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藤崎京之介怪異譚

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case.1 「廃病院の陰影」
  Ⅰ 7.18.pm6:25



「じゃあ、今日はここまでにします。明日はクレドから通してやるので、楽譜に目を通しておくように。解散!」
 団員達は「ありがとうございました。」と返事を返すと、それぞれ帰り支度をし始めた。

 ここはとある田舎にある市立劇場だ。ここで声楽曲の演奏をするため、俺は楽団員を連れてやって来ていた。
「藤崎先生、ちょっと宜しいですか?」
 片付けをしていた俺のところへ、合唱指揮の田邊が尋ねてきた。
 彼はまだニ十代半ばではあるが、将来有望な音楽家の一人だ。背も高く容姿も整っており、女性団員の注目の的だ。
「サンクトゥス以降なんですが、合唱の配列はどうしますか?オザンナが二部構成ですから、前回同様、クレドから分けた配列にしますか?」
 田邊は楽譜に書き込みをしながら、俺の意見を待っている。
「ああ、前回もグロリアの後に休憩だったから今回もそうなるだろうし、そうしようと考えてる。」
 田邊は俺の意見を書き込むと、「では、そのようにしますね。」と言って去っていった。
 今回演奏するのは、J.S.バッハの「ミサ曲ロ短調」。彼の最後の作品にして、他に類を見ないバラエティーに富んだ傑作だ。合唱も四声、五声、二部合唱とあり、楽器も各部ごとに異なる。
 取り敢えず、全曲演奏するにはかなり難解な相手なのだ。
 ま、音楽談義は置いとくことにして、俺もそろそろ帰ろうかと廊下に出た。そこでは、まだ帰ってなかった女性団員達が、何やらコソコソと話し込んでいた。
「えぇ?あの潰れた病院に?」
「なんか行方不明の人もいるみたいだよ?」
「そんなの嘘に決まってるってば。」
 夏真っ盛りってな感じだな。こんなとこで怪談話とは…。
 俺はため息を吐き、女性団員達に話し掛けた。
「君たち、何を話しているんだい?天下のバッハをやってるのに、怪談話なんぞしている余裕なんてあるのかい?さっさと帰って楽器の手入れでもしなさい!」
 俺が一喝すると、彼女達は笑いながら「明日もお願いします。」と言い残し、あっという間に散会して帰ったのだった。
 ま、別に練習はしっかりやってるし、余程じゃない限りヘマはしないだろう…多分。
 それはさておき、俺は控え室に戻って荷物を纏め、疲れた体を引きずって帰途についた。
 帰ると言ってもホテルだ。団員達も同様に、演奏旅行中はみんなホテルに泊まり掛けとなる。
 気前の良いスポンサーが付いていてくれるため、こんなことで金銭に困ることはない。かなりラッキーだ。
 俺のスポンサーは天宮成一という人だ。この人物は、病院や製薬会社なんかを経営し、IT関連の企業にも多額の投資をしている。かなりの富豪と言えるな。
 どうしてこんな富豪と知り合いになったかといえば、偶然としかいえない。
 俺がある病院の依頼で悪霊払いをしたときのことだ。たまたま視察に来ていた天宮氏が、それを見ていたのだ。
 その後、それが余程面白かったとみえて、僕の話が聞きたいと家へ招かれたのだ。
 まぁ…金はあるんだろうし、俺だってスポンサーがつけばマイナーな曲も録音出来るからなぁ。向こう様は面白い話が聞けて結果オーライって感じだな。
 そうこうしているうちに、ホテルへ着いてしまった。
「お帰りなさいませ、藤崎様。先程、お客様がお見えになりまして、あちらで藤崎様をお待ちになっておられます。」
 帰って早々客だと…?俺は顔をしかめ、フロントの男性に指し示された方を見た。
 すると…そこには、見知った姿があったのだった。
「あ、天宮さん!?」
 噂をすれば影がたつとはいったものだ…。
 俺が声をあげたもんだから、彼がこちらに振り向いた。
「やぁ、久しぶりだね!元気そうじゃないか。」
「こんなロビーで待たなくても宜しいじゃないですか!部屋の方で待っていて頂いても構わなかったんですが…。」
 天下の大富豪がロビーの端で人待ちなんて…。まぁ、以前からこうなんだがな。
 なんというか、かなり素朴な人なんだ。相手に気を使わせたくないようで、こうやって帰るまで待っていてくれたり、御中元や御歳暮んかに「返礼無用」と書いていれてみたり…って、こりゃ俺がやらなきゃいけないやつだな。
 とにかく、世話好きなオジサンと言えばいいのか?でも逆に、こっちが気を使っちゃうんだけどな。
 ま、良い方だよ…変わってるけど…。
「しかし、こんなとこまで何のご用件で?連絡頂ければ、こちらから伺いますのに…。」
 俺がそう言うと、天宮氏は困った表情を浮かべて話し出した。
「それなんだがね…。君、この市内にある廃病院を知っているかい?」
 なんだが嫌な予感がする…。
「え、えぇ…、知ってますよ。今日も団員達が噂話をしてましたし。で、その廃病院がどうかしましたか?」
「実はな、あの病院はうちの系列だったんだよ。十数年前に経営破綻して閉院したんだが…。
そこで近年、これを取り壊して公園にしようって話が出てな…。」
 何だか歯切れの悪い物言いだ…。この人が言葉に詰まることはまずない。と言うことは…言いにくい何かがあったのだろう。
「その病院で、何かあったんですね?」
 先を促すため、俺は天宮氏に問った。
 彼は渋い顔をし、場所を変えようと言ってきたので、俺は天宮氏と一緒に部屋へ向かった。
 俺に用意された部屋は上等なもので、テーブルにソファー、テレビに冷蔵庫まである至れり尽くせりの部屋だった。
 俺と天宮氏は、一先ずテーブルを挟んで腰を下ろした。
「すまんね、この忙しい時に…。」
「いいえ、天宮さんこそお忙しいはず。それを押してこちらに来られたということは、かなりのことなんでしょう。」
 やはり何かある。天宮氏がここまで話しを遠回しにするときは、決まって最悪の状況なのだ。
 天宮氏はかなり有名な方だし、それなりのツテだってある。そんな方が一介の音楽家風情である俺を訪ねるなど、本来有り得ない話だ。
 だとすれば、霊に関することなのは分かるが、天宮氏の知り合いには有能な霊能力者だっている。俺も一度だけ会ってはいるが、彼の能力は本物だった。
「実はな、英さんの行方が途絶えたんだ。」
「え…?」
 唐突にそう言われた俺は、何と返答してよいか言葉に詰まった。
 英さんとは、さっき話した霊能力者だ。フルネームは英 峻(はなぶさ たかし)だ。極端なテレビ嫌いで、マスコミにも全く顔を出していないため、一般にはあまり知られていない。
 その彼が行方不明…?
「天宮さん、もしかして…。」
 俺は嫌な予感を拭いきれなかった。
 団員内での噂話、天宮氏の訪問、そして英さんの失踪…。何か連鎖しているような気がしてならなかった。
「藤崎くん、今君が考えている通りだと思うよ。私は彼に、あの廃病院の淨霊を依頼したんだ。しかし、その直後から彼の足取りが掴めなくなった。」
「何てことだ…。」
 俺は愕然とした。あの英さんが失敗するなんて…。
 窓から外を見ると、もうすっかり日は落ちていて、街に人工的な明かりが溢れていた。
 今回は、かなり厳しい戦いを強いられそうだ。
「英さんは、いつ頃から消息を絶っていますか?」
 天宮氏は言いにくそうだったが、頭を掻きながらその重い口を開いた。
「三週間程前からだ。」
 俺は深く溜め息を吐いた。英さんを救い出すには、もう遅いかも知れないと考えたからだ。
 勿論生きている可能性はあるが、天宮氏の話しからすると、行方が途絶えたのはあの廃病院内という可能性が高い。
 閉じ込められたとすれば、水や食糧がない限り絶望的ともいえる。廃病院なんぞに、そんなものがあるとは考えにくいがな…。
「天宮さん、明日にでも行ってみることにします。」
 俺は思案している天宮氏に言った。どうせこうなることは目に見えてるんだ。ま、スポンサー様なんだから、断るわけにはゆかないんだけどさ…。
「そうか、ありがとう!入り用なものがあったらこちらで用意させてもらうから、宜しく頼む。」
 そう言って握手を交わすと、天宮氏は足早に部屋を出て行ったのだった。
「相変わらず多忙の様だ。」
 俺は一人、誰もいない部屋の中で呟いた。



 
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