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或る皇国将校の回想録

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北領戦役
  第十ニ話 最後の転進 最後の捨石

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊次席指揮官。大尉へ野戦昇進する。
     側道方面の防衛隊を指揮する。
  
杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

漆原少尉 予備隊長 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

権藤軍曹 側道方面防衛隊の砲術指揮官

増谷曹長 側道方面防衛隊の導術指揮官

金森二等兵 側道方面防衛隊所属の少年導術兵



シュヴェーリン・ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール少将
東方辺境領鎮定軍先遣隊司令官 本来は鎮定軍主力の第21東方辺境領猟兵師団の師団長

アルター・ハンス中佐 先遣隊司令部 参謀長


ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナ
<帝国>東方辺境領姫にして東方辺境鎮定軍総司令官の陸軍元帥
26歳と年若い美姫であるが天狼会戦で大勝を得た。

アンドレイ・カミンスキィ 第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の聯隊長である美男子の男爵大佐
             ユーリアの愛人にして練達の騎兵将校
ゴトフリート・ノルティング・フォン・バルクホルン
西方諸侯領騎士。騎兵将校に似合いのごつい外見の持ち主
精鋭部隊である第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の中でも秀でた乗馬技術の持ち主。 

 
皇紀五百六十八年 二月二十四日 午前第五刻 苗川渡河点より後方約十里
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐


 第十一大隊の行動はひどく鈍重なものであった。
何故ならば、手持ちの橇や馬車は重傷者と導術兵、そしてバルクホルン大尉用に割くのが限界であり、軽傷者を行軍させねばならなかったからである。
輜重兵達は二日日分の糧秣と残り僅かな弾薬を運ばせているだけなのだが何故こうなったのかというと

 ――それは俺が手持ちの馬車を全部近衛に渡す書類にサインしたからだ、避難民の輸送の為だから仕様がないのだが。
 偽善を兵達に強いたうえにそれを今更に後悔しかけている浅はかな自分に自嘲の笑みを浮かべた。
「霧が濃いな・・・猫と導術に頼らなければならないか」
 相対的に考えれば有利ではあるが、視界が利かないのは単純に不安を煽る。
 行軍を日付が変わった後まで送らせたとはいえ、連戦続きの所為で歩いている兵たち――取り分け負傷兵達の疲労は濃い。
 ――遭難者が出るのもまずいな。敵の先遣隊にもそろそろ気取られるだろう、もしそうなったら合流した騎兵大隊も補充・補給を受けている可能性がある。
つまりそろそろ追撃が始まる頃合だ。距離を夜間に稼いだのだから接敵する予想時刻は――いや、その前に負傷した兵達が潰れる前に休ませることも計算に入れねば――

 眠気がこみ上げ、欠伸を噛み殺す、計算を行う前に酸素を脳が求めたのである。将校――それも計算能力が必須である砲兵将校としてはあまりに無様だ。
 ――駄目だ。疲れて頭が回らん。少し歩くか。
「米倉、前の様子をみてくる、ここは頼んだ」

 馬から降りて前衛の新城大尉達率いる剣虎兵達の所に早足で歩く、指揮官は走るな。と祖父や教官にきつく言われた事が染み付いている為だった。
 正直、豊久も馬に乗っていたいのだが駒州産の将家である豊久は馬を大事にする習慣を身に付けており、剣牙虎に近寄らせ、いたずらに馬を怯えさせる事を厭うていた。
 
 ――剣虎兵自体を否定するつもりは無いが、馬との相性の悪さばかりは面倒なものだな、北領鎮台が厄介物扱いしたのも解らないでもない。なにしろ、今はまだ馬は社会の要なのだ、それは戦場でも変わらない、輜重部隊が兵站を支えているし、戦場の神である砲兵も馬を使っているし、そして追撃の華である騎兵は人馬一体でなければならない……我ながらやや主観が入っているような気もするが、これ自体は剣虎兵部隊が匪賊討伐に成果をあげても軍上層部が剣虎兵部隊の拡張を行わなかった原因の一つである。剣牙虎の集団投入は既存の戦場を台無しにしかねない可能性がある、と考えられている。そして、それは敵に齎す効果をみると杞憂ではなかった事が分かるだろう。運用を誤れば味方に起きる事も十分に有り得る事であるし、誤りは人死にが多発する戦場では(もちろん避けるために努力は払うべきだが)当然のものとして考えるべきである。
 さて閑話休題

「そろそろ大休止を行う。森の所で兵達を休ませよう」
「はい、大隊長殿」

目的地までは残りは約五里程度――ならば、一刻程度で到着するはずだ。
転進作業には二刻程度と見ていいだろう。
苗川からも十五里程、騎兵もそう長く単独行動は出来まい。
休憩をとってもこの状態なら何とかなる、水軍も護衛程度とはいえ陸兵が居るはずだ。
艦船の火力もあるし、合流すればどうとでもなる。

 ――休憩しないと後が危険だ。散々〈帝国〉軍を疲労させたこっちが疲労しきったところを襲われる、ここまでやっておいて、これが因果応報ってお話だったのさ、何てオチは好みじゃない。
そんな訓話を読みたいなら寺の説話集で読める。

休憩開始から半刻程した時、増谷曹長の部下の一人が頭を跳ね上げた。
「大隊長殿!
敵主力より、騎兵二個大隊が突出して行動を開始しました!
側道の大隊と合流し南下しています!」

「!!」
 ――やられた。
豊久は自分が兵達を連れて渡っていった綱がついに音を立てて切れた事を理解した。
――帝国の兵站を破壊しても物資自体は〈帝国〉本土より届いている。勿論、第十一大隊にその補給線を絶てるワケはない。だが、それをすれば致命傷になる、帝国軍はそれを恐れて鎮台主力を追撃すべく、ほぼ完全編成の一個旅団をあの状況で派遣させたのだ。
――真室が破壊された事で危機感を覚えた〈帝国〉軍は、そのか細い線に無理を言わせたのだろう。 そして先遣部隊司令部はその糧秣を手にしながら蛻の殻である陣地を見てこう判断したのだ
――時間切れである、敵軍主力は既に逃亡したのだ、と
騎兵一個聯隊を闊達に運動させられる糧秣を用意させる理由はただ一つそれだけだ。
 一個大隊に消耗した先で逆襲の時を待つ北領鎮台一万五千名、万一逆襲の時を待っているのならば早期に撃滅せねばならない。 その虚構は逃亡した大隊が残した蛻の殻の陣地で失われた。。
僅かながら期待しついたもう一つの欺瞞、戦力の過大評価もこれで失われた。
何しろ防衛線を構築した場所には消耗した一個大隊だけしかおらず、増援もろくに受けていないのだ、逆襲もへったくれもない状態なのは分かるだろう。
 さて張り子の虎を取り払い、此処に残りますは小癪な大隊、急造の補給線から回した一個連隊分の糧秣で叩き潰すには――
「傷を負った連隊でも十分ってか?」
 悪罵を噛み殺して呟く。
  ――見事に的中だ、俺の一縷の望みも絶たれた。
 そう既に〈帝国〉軍には後先考える必要は無くなったのだ、全力を挙げて小癪な蛮族の大隊を叩き潰せばよいのだ。
  ――俺は自国の村を焼き、敵を弱らせ陣地と地の利に頼り、背後の尻に帆をかけた冷蔵式敗残兵の群れに下すであろう過大評価を張り子の虎にして時間を稼いたのだ。
それらが消え失せた今、〈帝国〉軍は考える。

答えは一つ対処も一つ、この街道で裸の大隊を叩き潰す上手くすれば余裕があれば海岸の残存戦力へ偵察を行い、可能ならば(おそらく可能だろうが)残存戦力を掃討する。
 ――なんとも単純明快にして確実極まりない答えじゃないか、羨ましい限りだ。
 鼓膜のすぐそばで心臓が喧しく鼓動の音を響き。視界の凡てが無味意味なものとなり、思考が喧しく本能を喚きたてる。
 ――嫌だ、厭だ、あの天狼に敷き詰められた屍体達から逃げてきたのに、こんな最後の最後で死ぬだ、なんて嫌だ!俺は何としても生きて帰りたい!

――俺も含めて皆を生かして帰したい、どうする?

 ――濃霧と導術を利用し逃げる。
Non 海岸まで逃げ切れても作業中に襲われる。行き着く場所は北美名津と言うことは知られている筈だ。そんな皆に中途半端な希望を抱かせる終わりは断じて御免だ。

 ――やり過ごし、背後から仕掛ける。
Non 本隊と挟撃されたいのか? 余計無惨な結果を産むだけだ。

  ――遅滞戦闘隊を集成、時間を稼ぐ。

  ――これしかない 此処で騎兵を相手に三刻も稼げば何とかなる。
濃霧を利用すれば苦しいが何とか残りは生きて帰れる――問題は誰がやるかだ。

 ――言い替えれば誰を内地へ帰すかを俺が決めるな、さてどうする?
一番魅力的なのは今すぐ皆に土下座して自決して、新城に後を任せたいのだが流石にやれない
馬鹿らしさに自然と笑みが浮かんだ。
――昔聞いたときには石器時代の風習とか悪口を云ったがこうなると魅力的な選択肢に見えるな。

――まず基本として導術兵は論外、帝国では宗教上の理由で導術は忌み嫌われている。
遅滞戦闘部隊は戦死か俘虜になることが確実なのだ、それは酷すぎる。

 ――ならば霧を利用する以上、剣虎兵は必須だ。鋭敏な感覚は導術探索の代替になるし、騎兵の攪乱は、必ず必要になる。

脳裏で理論を組み立てる。
 現状、所持している玉薬から考えても此方が割けるの一個中隊規模、ただそれだけで、敵を誘引し、可能な限り時間を稼ぐしかない。

 ――糞っ!結局は殺されるか、捕らえられるか、その下らない選択肢しか与えられないのか!
 いつの間にか顔を覆っていた手で不甲斐ない自分のこめかみを締め付ける。

「大隊長殿。」
 新城が淡々と声をかけてきた。
「何だ」

「自分が」

「いや、俺がやる、中隊を集成し直率する。」

「撤退出来なくなります、それに大隊長は主力を掌握していなければ。」
「主力?
戦うのは俺が直率する中隊だけだ、剣牙虎も砲も残弾を含めて全部もらうぞ。
どうだ、此方が主力だ。」
 無茶苦茶もいいとこだが豊久は重ねて、大隊長直率は、士気と統率を保つ手段である、と言い募った。
「・・・・・・」
 新城はまるで硝子の様な目で旧友を見ている、何を考えているのか分からない。
「捕虜の騎士殿と騎兵砲とその要員を全員、剣虎兵二個小隊と、鋭兵中隊、療兵分隊を残せ。
残りは大尉が撤退行動を指揮し、転進せよ。
それとお前が取りすぎた細巻を返せ、命令、だ。」

「はい、大隊長殿」
騎兵砲は四門しかない、負傷者が多く輓馬が足りなかったのだ。
新城から奪還した細巻に火を着けると馬堂少佐はぼんやりと空を見上げた。
 ――上物だ、やはり旨いな。



「最後まで望んで貧乏籤を引くなんてずいぶん変わったご趣味ですな。少尉殿。」
「まぁしょうがないさ。乗りかかった船に変な愛着が湧いただけさ、帝国の捕虜の扱いが良い事を祈るよ」
冬野曹長と西田が軽口を叩きあっている。
 あ~、もっと悲壮な感じになっていると思ったが。
「少佐殿、忙しくなる前に食べときましょう。」
 鋭兵中隊長を志願した杉谷が餞別の握飯をもって馬堂少佐に近寄った。
「お前も残ったのか?」
「夜襲の時からのご縁ですからな、生きて帰ったら面倒みてくださいよ」
「――まぁいいや、ありがとな」 

かつて、彼を怨んでいた漆原が志願しているのは無視している。
何を想っているのかを聞くのが怖いのだ。
「―― 一個寄越せ。」

 作戦は単純、ここまで来た敵を森から砲撃及び射撃、猫に吼えさせ、騎兵を混乱さたところを徹底的に叩く。
 その後は森で身を隠しつつ時間を稼ぐ、それだけだった。単純で穴だらけの作戦だ。

――誘引?此方の射撃で中隊規模だとあっさり看破されたら、一個大隊で地帯戦闘を行い、大隊の追跡を続ければよい話である。
 ――砲撃と剣虎兵への畏怖による判断ミスを願うばかりだ、本隊は最早、猫が一匹いる銃兵部隊でしかない。
 この部隊は騎兵砲四門、猫七匹、兵数は約百名超と一個中隊規模としては中々の戦闘力を持っているが、それだけでしかない。
 ――やるだけやってみるか
そう考えると馬堂少佐は無理矢理唇を捻じ曲げた。



午前第七刻 苗川渡河点より後方約十五里 北美名津浜
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長代理 新城直衛大尉


独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長代理となった新城直衛はいつも通りの仏頂面であってもどこか不安定な様子であった
「大尉殿、部隊の半数は既に乗船を完了しました。」
 
「そうか、水軍の方も急がせてくれ。」
 猪口曹長が報告するが、それに応える姿もどこか茫洋としたものであった。
 ――意外ではあった。
 新城が判断する限り、馬堂豊久は決して無能でも臆病でも無いが、その根底は保身的であり、社会的にも医学的にも生存することに執着した人間であり、情に厚く時には偏執的なまでに義理堅い面もあったが、けして自ら捨て石となろうとする人間では無いと診断していた。

 ――いや、あいつが死んだと決まったわけではないか。
預けられた書簡は、彼の祖父――当主に宛てられている。
 ――何が書かれているのだろうか。祖父への遺言? それとも生還した後への布石?
彼奴は何を考えてこの文を書いたのだろう?

――いや、今考えることではないか。今は一刻も早く内地へと帰還しなくてはならない。
 ――命令は下されているのだから

 
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