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Magic flare(マジック・フレア)

作者:とよね
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第7話 壊レタル愛ノ夢(後編)


 ―3―

 自転車を押して帰る途中、予期せぬ人物と会う。
「マキメさん」
 万乗マキメは口いっぱいに屋台の焼きそばを詰めこんだ状態で、「あ、明日宮君」と応じる。
「明日宮君も座れば。飲もうよ」
「何やってるんですか、こんなところで」
「それは君も同じでしょ」
「いや、お酒はやばいっすよ」
「いいのいいの。あ、おじさん、ビールと焼きそば追加ね。塩焼きそばとソース焼きそばどっちがいい?」
 と、屋台の隣の椅子を勧める。
「じゃあ塩焼きそばください。ビールはいいです、麦茶で」
「飲めって飲めって」
「あんま強くないんですよ。勘弁してください」
 自転車を屋台のテントの横につけた。
「なんかね、もうバカみたいでさ」
 クグチが椅子に落ち着くなり、マキメはしゃべり始める。口の横にビールの泡をつけ、頬も耳も赤く、既に酔っている。
「何がですか?」
「岸本さんのことだよ。何あいつ」
「どうしたんですか?」
「星薗も島も、もうやる気ないだろうって。島君も使いものにならないだろうって」
「使いものに?」
 朝、泣きながら走っていた島の姿を思い出す。
「島君の働きがあいつの期待通りじゃないのも、明日宮君があいつにとって生意気なのも、ぜーんぶあたしの新人教育が悪いからだってさ」
「そんなことは」
「はいよ」
 目の前に塩焼きそばと麦茶が置かれた。箸をつけた。予想以上に塩辛かったが、長い距離を歩いて汗をかいた後にはちょうどよかった。
「そんなわけはないと思いますよ。絶対言いがかりですって。岸本さんの。少なくとも俺が生意気なことに関しては」
「だよねー。そんなの絶対あたしのせいじゃないよね!」
「……なんかすいません」
「あたしあんな奴大っ嫌い」
 と子供のような愚痴を言いながら、ビールを追加で注文する。
「俺だって好きじゃないですよ。ああいう変にプライド高い人」
「あんなのはねぇ、プライドが高いって言わないのよ。コンプレックスが強いのよ」
「なるほど」
「あの人もともと、守護天使を持ってた側の人だからね。うちらのまとめ役なんて、やってらんないんでしょ」
 クグチはマキメの横顔を見た。
「そうなんですか?」
「学生の時、事故でね、UC銃を浴びたんだってさ。出動中だった特殊警備員の。それから性格が変になっちゃったんだって」
 知ったこっちゃないけど、と付け加える。
 適当に愚痴を聞いて寮に戻ると、部屋に鍵がかかっていない。
 戸を開け、クグチはビクリと震え、立ち竦んだ。
「よう」
 育て親、強羅木ハジメがベッドに座っていて、目が合うとニタリと笑った。

「なんで」クグチは首を横に振る。「なんであんたがここに。仕事はどうしたんだ」
「辞めてきた」
 こともなげに彼は答えた。
「道東にいる養子に会いに行くつってんのに、認めやがらないからだ。普通認めるとこだろ」
「だからって」
「しょうがねえから辞表を叩きつけてやった。受理するのもしないのもお前らの勝手だが、いずれにしろ俺は道東に行くってな」
「信じられない。これからどうするんだ。再就職のあてはあるのか?」
「お前が心配することじゃねえ」
 と、真顔に戻り、
「お前、桑島のことで何を知っている?」
 鋭い目でクグチを射抜いた。
「向坂のこともだ。ここで何があった。全部話せ」
 クグチは観念して、強羅木と向き合う形で椅子に座った。彼に隠し事をしたところでメリットは何もない。南紀でハツセリと会ったことから、伊藤ケイタの話の内容まで、全てを打ち明けた。
「桑島の人格を補完するためにお前を利用しただと? ふざけやがって」
 強羅木は顔をしかめる。
「そんなことをして何になる……なぜそんなことをする必要があった? 興味本位か? 単に知りたかったのか?」
「今思ったんだが」と、クグチ。「向坂さんには理由があると思う。もし桑島さんの人格が完全に、あるいは完全に近い形で補完されるなら、同じことをルネの守護天使でもできる」
「あの馬鹿野郎……。誰にどうやって息子の守護天使を移植するつもりだったんだ」
 強羅木は立ち上がる。
「向坂を探しに行く」
 うなだれていたクグチは、顔を上げた。
「どこに探しに行くんだ?」
「あいつと何年つきあいがあると思ってる。思い当たる場所なら幾つもある。お前はここにいろ。動くな。あいつは危険だ。接触するな。何を考えているかわからん。次会ったら、逃げろ」
「それは大袈裟じゃないのか?」
 強羅木は厳しい顔をし、答えない。
「待ってくれ」
「何だ」
「何故俺にあさがおのことを黙ってたんだ?」
 強羅木は口を小さく開くが、答えない。
「何故なんだ?」
「……聞いてどうする」
「教えてくれ。どんな理由でも俺は知りたい。教えてくれたら俺はあんたを信用する。ここから動かない」
 逡巡が彼の目の中をさまよい、目を伏せ、強ばった顔がゆるむ。
「彼女はお前のことを忘れたがった」
「何故」
「彼女にとっては病んだ母親の存在だけでも充分な負担だった。その上幼すぎる弟まで背負いこむなど無理だった。お前がどこか遠くで、家族の姿を知らずに生きることを彼女は望んでいた。だからだ」
「そうか」
 クグチは深い失望を抱え、頷いた。
「わかった」
「出歩くな」
 育て親はドアノブに手をかけ、振り向いた。
「一つ言っておく」
「何だ」
「俺にとって、お前が負担だったことは一度もない。……忘れるな」
 ふいと顔を背け、ただ一人の家族は、出て行った。
 彼を、一度だって心から父と呼んだことがない事実を、クグチは思った。
 部屋を出れば、彼に手が届くはずだった。もう一度彼の顔を見ることができたはずだった。

 強羅木は、それから帰ってこなかった。
 一日経って、二日経った。クグチは特殊警備員待機室に顔も出さない。岸本が黙ってはいないだろうと思ったが寮に様子を見に来はしない。内線もかかってこない。
 三日経って、四日経った。強羅木が来たのは夢だったのではないかと思う。しかし、彼のスーツケースが部屋の中にある。
 五日目、言いつけを破って、強羅木を探しに行くことにする。
 もう五日前ではないのに、まだ空は赤くて、いやに細長い針金のような人が都市にゆらゆらゆらゆら立っていて、目の焦点を合わすと消えてしまうけれど、前を見るとまた右に左にそれが見えて、クグチは何も見ないで過ごすために、考えごとをしなければならない。
 桑島メイミの愛の記憶こそが、自分の人間性の証明であり得ると、桑島メイミの守護天使は考えた。
 人間性が人間を人間たらしめるなら、人間性が生涯に獲得した情報によって形作られるなら、それらの情報を引き継ぎ、独自に補完したり新規獲得できる電磁体たちを人間と呼べない理由は何だろう。
「何だろう」
「何だろうね」
 細長い人間が視界の隅のほうに立ち、
「私ね、わかったの、人間には魂があるって。私は幽霊なの。廃電磁体のことじゃなくて。私は本当の幽霊なの。魂はあるわ、あるわ、あるわ、あるわ、万物は生きているの」
「ご遺体! ご遺体!!」
 膝くらいの身長の細い影が遠くで揺らめき、
「ご遺体ちょうだい! ちょうだいよ、ねえ! お願い! 食べないから! 約束するから!」
 そんな細い影がひゅんひゅんと行き交い、視界の右端が暗い。左端も暗い。そんな中、クグチは自転車を漕いで急ぐ。
 磁気嵐が支配する世界の、新しい人間たち。

「帰ってこないんです」
 伊藤ケイタともう一度会う方法は心得ていて、あの喫茶店のあの店員に、彼に会いたい旨を伝えると、一番奥の席に通されて、十分後に伊藤ケイタが現れた。
「ここから海に出て、海岸沿いをまっすぐ歩いていくと、灯台が立つ海浜公園に出るんだ」
 と、伊藤ケイタ。
「強羅木君と向坂君と、明日宮君との三人で、天文観測をしたって話を何度も聞いたことがあるよ。よっぽど楽しかったんだろうね。道東工科大のキャンパスにも学生街のほうにもいなかったなら、そこかもしれない。ごめんね。他に思い当たる場所は特にないんだ」
 クグチは、コーヒーの氷が溶けて、グラスの中でコーヒーと水の二層に分かれている様子を漫然と眺めつつ答えた。
「ありがとうございます。行ってみようと思います」
「心配だろうね。僕も心配だよ」
「何事もなければいいですけど。まあ、あの人のことだから、どこかでけろりとしてるんじゃないかと……」
「そうだね。彼はね。色んな悪い出来事を知らずに避ける人だからね。Q国にいた頃だって、人体実験とかいろんなことで手を汚しきる前にさっさと日本に帰国したくらいだからね。強羅木君はそういう人だからね」
 思わず顔を上げると、伊藤ケイタがいた場所、そこにはふわふわとミニパネルが浮いていて、
「向坂君と明日宮君は、そして僕も結局、Q国に残って、ひどいことをしたからね。しなきゃならなかったからね」
 画面に赤いアルバムの表紙が写る。
「君には僕が、ただのお人好しそうなおじさんにでも見えるのかい?」
 ページが一枚めくれ、どこかの建物の廊下の写真が現れる。
「向坂君がただの気の弱そうなおじさんに見えるかい?」
 人が、瓜のようにごろごろ転がっている。赤い奇妙な模様の服を着ている。違う。血で汚れた白衣だ。
「明日宮君のことを桑島君からどう聞いたのかな。あの動画を見て、どう思ったのかな。快活で、人望のありそうな、正義感の強そうな人だとでも思ったのかな」
 ページがめくれる。
 コンクリートが写っている。そのコンクリートには人の衣服が敷かれている。汚れたシャツと、上着とスラックスと、ご丁寧に靴まであって、でもよく見たら服が並べてあるのではない。コンクリートに血と髪がこびりついていて、人間の肉だけない。
「僕たちは人が戦車で轢き潰されていくのを見た」
 ページがめくれ、
「僕たちは武装していない、ただ生まれた国が違うだけの人間が、同業者が、自分たちの研究を守ろうとして殺されていったのを見た」
 破壊された電子機器が散乱する部屋。
 天井まで血まみれだ。弾痕とともに、肉の断片が壁にこびりついている。
「僕たちはそこに入って行って彼らの研究内容を盗んだ」
 ページがめくれる。
「僕たちはそこでご飯を食べて、寝て、生活していた」
 右手に銃を持ったまま、側頭部から血を流して仰向けに倒れた女が写っている。
「僕たちはそこで電磁体の人体実験をしたよ」
 中が檻で仕切られた実験室が写る。
「他人の人格や記憶を移植された人が、自分の人格を崩壊させていく課程を研究したんだ」
 その実験室で、痩せこけた被険者が泣きながら、汚物を床になすりつけている。
「だから明日宮君は死んだんだよ。殺されたんだよ。復讐されたんだよ。戦争っていうのはこういうことなんだよ。戦争は事象じゃないんだ。人間そのものを戦争にしてしまうんだ。これが僕たちなんだよ。僕たちは戦争なんだ」
『なんだ』
 その声に重なって、もう一つの伊藤ケイタの声が聞こえる。
 クグチはぼんやり口を開けて、目の前にあるものを見極める。
 それは伊藤ケイタ本人で、惨たらしい写真ではない。
「大丈夫かい? 疲れてるのかな」
「何……ですか?」
「その海浜公園のことが、強羅木君たち三人が一番楽しそうに話してた思い出なんだ、って言ったんだ。君、本当に顔色が悪い」
「いえ」
 大丈夫です。
 それが言えない。
 口を開くと嗚咽が漏れて、慌てて声も言葉も殺す。クグチは黙って泣いた。涙が止まらない。
 ただ、後悔で、胸が潰れそうだった。
 強羅木ハジメを、ただ一人の家族を、もっと……もっと愛すればよかった。

 ―4―

 霧が、夢のような霧が、海と雲の間を満たしている。その赤く濁った光芒の中で、誰かがすすり泣いているけれど、耳を澄ますと消えてしまう。
 波頭が磯を洗っている。放置された遊歩道は、石畳の隙間に雑草を生い茂らせ、霧の先へ続いている。
 灯台の影が黒く、霧の中に見えてくる。あの灯台に誰かがいるような気はしない。灯台を目指しながら、もしも親父が、と、クグチは考える。親父がQ国に残った理由が研究のためならば、研究こそが人生で、自分の生き方だと思っていたなら、自分の生きる道のために、憎まれる覚悟を決めて妻子を日本に残してきたというのなら……俺は親父を許せる。それが人間らしい特性だとわかるから。
 やがて道の左手に現れる、死んだアスレチックが取り残された広い公園。右手には海に突き出す細い道と灯台。
 クグチは細い道をたどり、灯台に着いた。
 黒い海面は間近にあり、路面に膝をついてフェンスから手を伸ばせば、やすやすと触れられそうだ。試そうかと思い、頼みのフェンスが赤錆だらけで朽ちていることに気がつき、肝を冷やしてやめる。
 灯台の根本に、外れた南京錠と断ち切られた針金が落ちていた。
 押すと、扉は軋むことすらなく開いた。
 風に吹かれた黒い塵が、床を這って逃げた。
 紙が散った。
 細かい黒い文字や、グラフが少しだけ見えた。狭い暗い天井から舞い落ちて、床に落ちる前に、全て消えた。電磁体が見せる幻覚だ。
「記憶」クグチは囁く。「親父?」
「いいえ。明日宮君のじゃない。彼は安らかに死んだわ」
 灯台の闇に片足をつっこんで、クグチは背後にハツセリの声を聞く。
「肉体も守護天使も。あの人が幽霊となって惨めにさまようなど私は許せなかった」
 クグチは振り向かない。
 振り向いたらもう、そこにはいない気がする。
 観測したら、もともとの居場所がわからなくなってしまう粒子のように。
「言ったでしょ。私は彼を愛していた。彼が妻帯していたとしても。子を持っていたとしても」
 影もなく、呼吸の音もなく、彼女は話し続ける。
「明日宮エイジ君は消えた。完全に消え去ることが許された。彼の運命が彼に許した。けれど、その他あまりにも多くの存在が幽霊になった」
 だったら何だ。
 運命だと。
 ご託はいい加減にしろ。
「おめでたいわね」
 声は続く。
「彼らは幽霊になった。彼らの身に降りかかったことが自分の身には降りかからないと、なぜ信じられるの」
 耐えきれず振り向いた。
 桑島メイミは立っていた。
 美しい少女の姿で、陸と灯台を結ぶ続く細い道に、まっすぐ立っていた。
「自分が守護天使を持っていないから? 当事者にならなきゃわからないもの。そういうものよね。私も自分が戦争で死ぬまで、自分が戦争で死ぬとは思ってなかったし」
「……どういうことだ?」
「私は思いだしたの」そして、独り言のようにもう一度、「全て思い出したの」
「何を」
「終わり」
 かさかさに乾いて、白く皮の浮いた、紫色の唇だけが、視野の中で動いた。
「これまでの時間は、天がくださった慈悲であった。あなたは有意義に過ごせた?」
 クグチは尋ねる。自分の声が遙か遠く聞こえる。
「何が、終わりなんだ?」
 これは現実だろうか。
 現実など実在するのだろうか。
 これは夢だろうか。
 彼女は実在するのだろうか。
「愛の時間が終わる」

 見えるの。
 誰かが、答えた。


 
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