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静かな気持ち

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第三章


第三章

「待っていたよ。じゃあ帰るか」
「伯爵、来ていらしたんですか」
「うん」
 彼はナンシーのその言葉に答える。
「君が心配だったからね。イアンと一緒に来たんだ」
「そうだったんですか」
「まずはこれを」
 そう言って持っている薔薇の花束を手渡してきた。
「あっ、どうも」
 ナンシーはまずはその花束を受け取った。
「有り難うございます」
「礼はいいよ。君の為に買った花だから」
「はあ」
「では乗ってくれ」
 自分が乗ってきた車を手で指し示して言う。
「家まで送るよ。いいね」
「家までですか」
「何か用事があるのかい?」
「いえ」
 その言葉には首を横に振る。
「そうではないですけど」
「じゃあいいね。では乗って」
「いえ、あのですね」
「どうしたんだい?」
 彼はナンシーの気持ちをわかりかねていた。
「嫌なのかい、まさか」
「いえ、そうではないですけれど」
 ここでナンシーはちらりと周りを見た。それからまた述べる。
「あのですね」
「うん」
「とりあえず中に入りましょう」
「そうだな。ここは寒い」
 それはわかった。彼女の微妙な気持ちには気付いていないが。
「車の中でゆっくりとね。話をしよう」
「はい」
 こうしてナンシーはジョゼフと共に車の中に入った。後部座席に並んで座りそこで話をするのであった。
 ジョゼフはナンシーの横で腕を組んでいる。そして彼女に声をかけてきた。
「それで話だけれど」
 彼はナンシーに問う。
「どうしたんだい、一体」
「あのですね、伯爵」
 実はジョゼフはグリッジ家の嫡子ではない。三男である。長兄が家を継ぎ次兄はある旧家に婿入りした。弟もだ。彼は伯爵の爵位を貰って分家することになっているのである。所謂グリッジ伯爵である。
「こうして迎えに来て下さるのはいいんですけれど」
「うむ」
 ジョゼフはその言葉に頷く。
「それでも。あまり派手には」
「駄目なのか?それで」
「やっぱり。恥ずかしいですから」
 ナンシーは俯いて言う。
「お願いできますか?」
「わかった」
 彼はそれに頷いてきた。
「では今度からソフトに行こう」
「お願いしますね」
 彼を見て言う。
「それでどうか」
「わかった。では明日な」
「はい」
 これでわかってくれたと思った。しかしそれはかなり甘かった。ジョゼフはここで大きな勘違いをしていた。そしてそれを実行に移してきたのであった。
 次の日の下校時間。今度は馬車が校門の前にあった。そしてその手前にはやはりジョゼフがいた。
「待っていたよ、ナンシー」
 そして昨日と同じく着飾っていた。笑顔で彼女を出迎える。周りは当然引いている。幾らイギリスでも今時馬車は有り得ないからである。
「今日はソフトにしてみたよ。君の言う通り」
「あの、伯爵」
 唖然とした顔で馬車を見ながら言う。
「どうしたんだい?今日はソフトだろう?」
「あのですね」
 とにかく言葉を出す。苦労して言葉を出す。
「とりあえず乗りましょう」
「うん」
 こくりと頷く。こうしてまた二人は車中の人と成った。だが今度は馬車である。進む間も学校の生徒達の視線があったし今でも皆の引いた顔が目に浮かぶ。その中でジョゼフに対して言う。
「ソフトにって言ったじゃないですか」
「ソフトじゃないか」
 ジョゼフはこう返す。真剣な顔で。
「だから馬車で来たんだ」
「馬車がソフトなんですか!?」
「違うのかい?」
 彼は逆にそれに問い返す。
「車よりも。ソフトじゃないか」
「そうは思わないですけれど」
 ナンシーの声は賛同する色ではなかった。それがはっきりとわかる。
「どうしてそう思えるんですか?」
「車は燃料がかかるじゃないか。それにあれはロールスロイスだ」
「ええ」
「こちらの方がロールスロイスよりはソフトじゃないかって思ってね。何しろ我が国が世界に誇る最高の車なんだからね」
「それでも馬車よりは目立たないです」
 ナンシーは言う。
「私はそういう意味で言ったんですけれど」
「馬車も駄目なのか」
「はい」
 揺れる馬車の中で答える。外ではイアンが馬を操っている。何かここだけ十九世紀になったような気分だ。イギリスでもこんなことはまずないことである。
「他のを考えて下さい」
「わかった」
 彼はそれに頷く。
「じゃあ他のを」
「馬とか車とかじゃなくですよ」
 そう言ってきた。
「いいですよね、それで」
「任せておいてくれ」
 彼は頷いてきた。
「君との約束は守る。必ず」
 そうナンシーに誓った。グリッジ家は約束は絶対に守る、そう家訓で決められているのだ。これは昔からでありこの家の人間は戦場で正々堂々と戦ってきた。それはジョゼフも同じで先日の喧嘩もそれまでのスポーツの試合も常に正々堂々と戦ってきた。負けることがあっても悪態なぞつかず素直に相手を賞賛してきた。そうしたいい意味でのイギリス貴族の精神を持っていたのである。
「それを誓おう」
「それでは」
「うん。また明日だ」
 彼は言う。
「それでいいね」
「本当にお願いですよ」
 彼女は言う。
「馬車はやっぱり」
 そんな話をしながら道を進む。彼等が乗る馬車は時折観光客達のフラッシュを浴びながらナンシーの家まで進んでいた。ナンシーにとっては困った時間になってしまった。
 ナンシーを家まで送るとジョゼフは自分の部屋で一人思索に入った。セイロン産の紅茶を前にソファーに座り一人考え込んでいた。そこに扉をノックする音が聴こえてきた。
「入れ」
「はい」
 やって来たのはイアンであった。彼は若い女の子のメイドを連れてやって来た。
「ケーキをお持ちしました」
「何ケーキだい?」
「苺と生クリームのケーキです」
 イアンはそう答える。
「如何でしょうか」
「もらおう」
 彼はそれに応えた。
「他にはあるか」
「チョコレートやタルトがございますが」
「それは皆が食べてくれ」
 この家では多くのケーキから一つを主が選び残ったものは使用人達で分けることになっている。食べ物を粗末にしないのはいいことである。同時にグリッジ家の度量と寛容を示しているとされている。少なくともジョゼフは欲張りではなくケーキは一つでよかった。それにケーキを捨てる位なら他の人間が食べるべきだと考えていた。どちらにしろ食べ物は大事にする男であった。
「いつも通りな」
「わかりました」
「しかし苺のケーキか」
 メイドがテーブルの上に置くそのケーキを見ながら述べた。

 
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