ヒゲの奮闘
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第二章
第二章
「今頃阪神左団扇やったで」
「そやな」
王が最初ピッチャーだったことは奇麗に忘れている。勿論入団してから三年目まではあまりパッとしないバッターで荒川との特訓により今の王があることも見事に忘れていた。彼等の記憶にあるのは無慈悲なまでに打ちまくる、あの一本足打法の王だけなのだ。
この併殺打が響いた。六回も無得点で終盤に入る。だが阪神打線のバットは相変わらずだ。
「風邪ひくわ、ホンマ」
誰かが空を切り続ける阪神打線のバットを見て言った。
「風を切るのは相手のバットだけで充分や」
「何で春やのにこんなに寒いんや」
それに合わせて誰かが言った。
「そらうちの打線が風を送ってくれとるからや」
「カープのとちゃうんか」
「ちゃうちゃう。まあ向こうも似たもんやがな」
「そやな」
見れば甲子園のスコアボードにはゼロが並んでいるそのまま遂に九回を終えてしまった。
「で、九回や」
「わしもう疲れたで」
そうは言いながらも帰ることはない。ここまで来たら最後まで観るつもりであった。
試合は進む。だが両チームまだ得点はない。
十回の阪神の攻撃はクリーンアップからである。だがあまり期待はされていない。
そしてやはり三者凡退であった。ファンはとりわけ四番である山内を厳しい目で見ていた。
「山内やけどな」
「ああ」
一塁側のファン達が話をしていた。
「あいつ何であんなに打たへんねん」
「そんなことわしに言うてもなあ」
「あいつ確かミサイル打線の四番やったんやろ?」
「そや」
それは本当のことである。
「タイトルも取っとるで。ホームラン王かて打点王かて。しかも首位打者も」
「完璧やないか」
ファンの一人がそれを聞いて言った。
「パワーだけやないんやろ?」
「そのテクニックかて相当なもんやで」
これは本当のことであった。シュート打ちを得意としており、山内に内角攻めはあまり効果がないことで知られていた。現役を退き打撃コーチになってからもその打撃理論は有名で多くの好打者、そしてバランスのいい打線を作り上げてきた。巨人ですら彼の力を借りることがあった。『カッパエビセン』とも呼ばれた。教えはじめたら止まらない、選手に付きっきりで熱心に教える。彼は打撃理論においても超一流であるのだ。
「それで何であんなに打たへんねん」
「謎やな」
「甲子園の祟りちゃうか」
誰かが言った。
「祟りか」
「そや、甲子園やで」
皆ヒソヒソ話になった。よく球場には魔物がいると言われているがこの甲子園はとりわけそう言われることが多いのだ。
甲子園球場は阪神だけでなく高校野球でも使われている。その幾多の試合でドラマが行われてきた。何が起こるのかわからない、それが高校野球であり甲子園なのだ。だからよく魔物だの祟りだの言われるのである。
「山内に何か取り憑いたんちゃうか」
「魔物がか」
「そやろ。そうやないとおかしいで」
「ううむ」
それを聞いて腕を組んで考え込む者がいた。実はこれはあながち間違いではなかった。
「広いね、この球場」
山内は甲子園を評してこう言った。
「東京スタジアムとは全然違うよ。広いとは聞いていたけどこんなにとはね」
少し苦笑いが入っていた。彼が思うように打てなくなった理由はここにあったのだ。
彼が最初にいた大毎は狭い東京スタジアムを本拠地にしていた。永田が作ったこの球場はヤンキーススタジアムをモデルにしていたがその広さはとても再現出来なかったのだ。あまりにも狭かった。その為強力な打線が活躍できたのだ。
山内もそれは同じだった。しかしそれが甲子園に変わると。どうしてもそれを意識してしまったのだ。
「ラッキーゾーンもあるんだけどな」
彼はこうも言った。それでもどうしても外野フェンスを意識して大振りになる。それで彼のバッティングにも狂いが生じてしまっていたのである。
実はこの山内と小山のトレードはその宣伝にも関わらず首を傾げる者がいた。広い甲子園に山内をやり、狭い東京スタジアムに小山をやる。逆ではないのか、と。
「あれは実は阪神の御家の事情や」
そう囁く者もいた。そしてこれはどうやら真実であったらしい。
エースである小山は阪神の一つの派閥になっていた。もう一つの派閥はショートであり牛若丸と呼ばれた吉田義男だ。吉田はパワーはないが芸術的な守備と巧打、そして俊足で知られていた。とりわけその守備は素晴らしく今でも最高の守備だとさえ言われている。
エースの小山とショートの吉田の派閥はそのまま投手と野手になった。食事の際も遊ぶ時にも小山と吉田に別れていた。そしてそこに若きエース村山が入ったのだ。
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