ヒゲの奮闘
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第三章
第三章
村山もまた派閥になった。三つ巴である。これ以上の派閥はチームの崩壊になると見たフロントが動いたのである。
こうして小山は放出された。近年までしょっちゅう紙面を賑あわせていた阪神の御家騒動の一つである。実は村山放出も考えられたがそれよりも小山が放出されたのだ。
「あのトレードは世紀の失敗だ」
こう評する者もいた。実際に山内にとっては失敗であった。そして阪神にとっても。結局阪神は御家騒動でその力を弱めたのだ。なおこれはこの件が最初でなければ最後でもない。阪神の御家騒動はそれこそ毎年であった。ここまで騒動の多い球団もそうはない。とりわけ監督交代はいつも事件であった。
十回裏の阪神の攻撃は三者凡退だったが広島はそうはいかなかった。彼等は村山を攻めてきたのだ。
途中から代打を経て五番に入っていた広島の寺岡孝にタイムリーツーベースを打たれた。それで一点入ったのだ。
「こらあかんな」
「ああ」
殆どそれで諦めてしまった。その裏阪神はあっという間にツーアウトになった。
「帰ろか」
「そやな」
ファン達も帰ろうとする。だが阪神はまだ諦めていなかった。
「ピンチヒッター」
監督である老将藤本定義が審判に告げていた。口髭を生やした男がバットを持って出て来た。
「おい、髭やぞ」
「あっ、ホンマや」
辻佳紀である。口髭を生やしていることから髭と渾名されていた。
明るく活気のいい人柄でファンに愛されていた。この試合ではそうではなかったが村山とは名バッテリーとして知られていた。バッキーをリードしていたのも彼である。
打率は悪いが意外なパンチ力で知られていた。ファンもそれに賭けることにした。
「どのみちこれで最後やしな」
「最後まで観るかい」
腰を戻した。そして試合を見守った。
結果は意外なものであった。嬉しい意外である。辻は疲れの見える池田からソロアーチを放った。これで同点となった。
「振り出しに戻りやな」
しかしファンは醒めていた。同点になったからといってそうそう楽に勝てる状況ではないとわかっていたからだ。
その予想は見事に当たった。次の藤田平がヒットを放ったがそれで終わりだった。こうして延長十二回に入った。
阪神は十二回は石川緑で凌ぎ、十三回からは左腕の権藤正利を出してきたのだ。
この権藤はあまり運がないイメージがある。独特のカーブを持ち味としているが当初は阪神以上に貧打が深刻であった大洋にいたこともあり好投しながらも勝てず二八連敗という不名誉な記録を持っている。この阪神時代もカーブの多投で左肘に炎症を持っていた。その為苦しんで投げていたのだ。
「権藤には勝たせてやりたいけどな」
「大丈夫やろか」
ファンの顔は心配なものであった。それでも権藤は凌ぐ。だがその凌ぎが何時かは崩れるのは誰の眼にも明らかであった。悲しいことに。
「早よ打たんかい、ホンマに」
「凡打と三振ばっかりやろが」
スコアボードには相変わらず零が続く。十一回から双方無得点だ。そのまま呆れる程いい当たりがないまま試合は進む。遂に試合は十七回にまで至った。
「流石は甲子園や」
誰かが皮肉混じりに言った。
「このまま十八回までいくかもな」
「そやな」
隣にいたおっさんがそれに相槌を打った。
「それで再試合や」
甲子園は十八回まででありそれでも終わらなければ次の日に再試合である。実際にそうした試合が今までにも何回かある。戦前は終わるまでやっていた。
「いや、この回で終わりやろ」
「そうなるか?」
「時間見てみい」
そう言いながらバックスクリーンの方を指差した。
「もう試合はじまって四時間以上やで」
「そんなに経ったんか」
「そやからや。まあこの回で終わりやな」
「そうか。長かったなあ」
皆それを聞いて溜息混じりに言う。
「そやけどや」
「何や?」
「勝つかどうかまではわからんで」
「どうなるかな」
「権藤の調子次第やろ」
「権藤のか」
それを聞いて誰かが暗い顔になった。
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