| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

タンホイザー

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第一幕その四


第一幕その四

「私ももう二度と戻るつもりはない。決して」
「何とでも言うのです」
 最早ヴェーヌスは全く動じてはいなかった。
「そう、何とでも」
「何故そこまで自信に満ちておられるのか」
「言った筈です」
 タンホイザーにこう問われても女神の自信は揺らいでいなかった。
「ここには全ての人間達が帰って来るのです」
「全ての」
「そしてこれも言いました」
 厳かな言葉がまた戻っていた。
「貴方は必ず私のところに戻って来る。不実な貴方は」
「もう私は」
「これもまた言いましょう」
 逃れようとしたタンホイザーにさらに告げる。
「あの神は救いなぞ与えはしないと」
「それはない。きっと」
「救いを与えるのは女神のみ」
 その女神の言葉である。
「それ以外にはありません」
「女神が救いを」
「そうです」
 再び厳かな声をタンホイザーにかけた。
「あの世界に女神はいないのですから」
「それは違う」
 タンホイザーはヴェーヌスの今の言葉をはっきりと否定した。
「救いを与えてくれる者、それは」
「女神以外にはない」
「だからそれは違うのだ」
 またしてもヴェーヌスの言葉を否定した。そして遂に言うのであった。
「聖女」
 彼は言った。空を見上げ。
「聖女こそが私を救ってくれるのだ。全てを」
「ならばその聖女を探すがいい」
 ヴェーヌスはここで遂に己の姿を消していった。
「決して見つからぬそれを」
 こう言い残して完全に消え去ってしまったのだった。彼女が消えると同時に泉もまた消えていった。タンホイザーは一人モミの森の中に残されたのであった。
 モミの森から離れた何処かからか牧童の声が聞こえてくる。
「ホルダの女神が降り谷や野原を歩き回る」
 古い牧童達の歌だった。
「私の耳は甘い響きを聞き目は見たいものが多い。幾つかの夢を見て目を開くと五月がそこにいた」
 幻想的な歌であった。まるでここにはいないかのように。
「五月が来たのだ。シャルマイを吹いて祝福しよう、この美しい五月を」
「我が主よ」
 牧童の歌と混ざり合ってまた別の歌が聴こえてきた。
「我々は貴方に憧れる。巡礼の望みよ」
「美しく清らかな聖母よ讃えられてあれ」
 巡礼の歌であった。ローマまでの。彼等は巡礼の歓びを味わっているのである。
「罪の重荷が我々を押さえ耐えられぬ」
「だが休息を選ばず喜んで辛苦を選ぶ」
「慈悲の高き祭典のこの日に私は罪を謙虚にあがなう」
 贖罪もまた謡われる。明らかにこちら側の歌であった。
「信仰に忠実なる者には恵みを。懺悔と悔恨により救われん」
「幸あれ」
 牧童の声が彼等を祝福する。
「ローマへ行く人達よ幸あれ、私の哀れな魂のこともどうか」
「戻って来たのだ」
 タンホイザーはこの二つの歌を聴いていた。どちらの歌も一段落ついたところで呟いたのであった。
「私は。この世界に戻って来たのだ」
「我が主よ」
「そう、主だ」
 巡礼の言葉に今この世界のことを実感した。
「主によって私は救われるのだ。聖女によって」
 跪き静かに祈りはじめた。巡礼も牧童もその声を森の中に消していった。やがれ森の中に狩人の服を着た立派な男達がやって来た。彼等はすぐに祈っているタンホイザーに気付いた。
「むっ!?」
 最初に気付いたのは先頭の初老の男だ。濃い立派な口髭を生やし非常に大柄で立派な体格をしている。左手に持っている弓が小さい程だ。
「あれ一体」
「伯爵、一体」
「どうされました?」
「あれだ」
 この男チューリンゲン辺境伯であるヘルマンはここでその男を指差したのであった。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧