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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第三話 弱いんです

宇宙暦 792年 7月 9日 ハイネセン 後方勤務本部 バグダッシュ大尉



「どうですか、ヴァレンシュタイン中尉は? 大佐の目から見ておかしな点は有りますか?」
「今のところはない。出来るね、彼がミハマ少尉に頼っていたのは最初の二日ぐらいだ。その後は彼が少尉に指示を出している。他の部署との調整も無難にこなしているよ」
「ふむ……」

そんな話は聞いていないな、あの小娘、肝心な事を報告してこない……。後方支援の練達者か……。少なくともその点については彼の経歴と能力に不審な点はないという事になる。
「出来ますか?」
「出来る、あれだけ優秀な男は見た事が無い」

そう言うとキャゼルヌ大佐はコーヒーを一口飲んだ。俺も一口飲む。余り美味くは無いが文句は言えんだろう。此処は大佐の私室でこのコーヒーは大佐が自ら淹れてくれたものだ。

「しかし、そう簡単にこなせるものなのですか?」
「俺も不思議に思って聞いたのだがな、彼に言わせると帝国も同盟も補給そのものは何の変わりも無いらしい。となれば後は後方勤務本部と兵站統括本部の組織図を比較すれば大体何処の部署が何をやっているかは想像が付くそうだ」

なるほど、確かに補給そのものは帝国でも同盟でもやっている、想像は付くか……。考えてみれば戦争も同じだ、今日帝国から亡命し、明日同盟の艦隊を率いて帝国と戦えと言われて出来ないという軍人がいるだろうか? 艦隊指揮そのものは帝国も同盟も変わらない、問題は感情面と人間関係だろう。

「彼は本当にスパイなのかね、ただの亡命者なら有難いのだが……」
「……」
「貴官のところには少尉から報告が行っているのだろう?」
期待するかのような声と表情だ。どうやらヴァレンシュタイン中尉はキャゼルヌ大佐の心を捉えたらしい。

「実は、ミハマ少尉の素性が中尉にばれました」
「……やはりな、そうなったか」
「?」
どういうことだ、キャゼルヌ大佐は驚いていない、むしろ納得している。俺の訝しげな表情に気付いたのだろう、説明を始めた。

「彼は後方支援の練達者だ。その彼から見てミハマ少尉の力量がどう見えたか……。彼女の経歴は士官学校卒業後、基地運営部に配属、そして此処に異動……。後方支援一筋という事になっているがとてもそうは見えなかっただろう。となれば……」
「素性を偽っている、情報部からの監視者ですか……」

キャゼルヌ大佐が俺の言葉に頷いた。何の事は無い、ドジを踏んだのは俺か……。少尉のカバーストーリーを間違えたのだ。いっそ宇宙艦隊司令部からの転属とでもすれば良かったか。いや、任官一年目で宇宙艦隊司令部から後方勤務本部はちょっと無理があるだろう。つまり少尉を監視者に選んだ時点で間違えたという事だ。

歳が近いほうが、女性であるほうが付け込み易いだろうと思ったが、肝心の彼が後方支援の練達者である可能性を見過ごした……。彼女の素性がばれた事は俺のミスだ。そしてヴァレンシュタイン中尉が彼女の素性に気付いたのも後方支援の練達者であるからだ。彼がスパイだからだというわけではない……。

また振り出しに戻ったか……。ミハマ少尉を責める事は出来んし、後方勤務本部への無期レンタルも撤回だな。

「それで、どうする。彼女は引き揚げるか?」
「いえ、このまま」
「このまま? 警告か……」
「はい」

キャゼルヌ大佐が顔を顰めた。おそらく大佐はヴァレンシュタイン中尉をスパイだとは思いたくは無いのだろう。しかしまだ確証があるわけではない。

「実は統合作戦本部の一部にアルレスハイム方面に艦隊を出すべきだという意見があります」
「アルレスハイムか……。ヴァンフリートだな、陽動か?」
「はい」

キャゼルヌ大佐は一瞬訝しげな声を出したが直ぐに納得したように頷いた。今現在ヴァンフリート星系において同盟軍は極秘に後方基地を建設している。出来上がるのは今年の暮れになるだろう。こちらとしてはしばらくの間は帝国に知られたくない。そこでアルレスハイムに兵を出し帝国の眼を惹きつけたいという案が出たのだ。

「キャゼルヌ大佐、ヴァンフリートの基地建設は基地運営部が担当している、補給担当部は全く関知していないと聞いていますが?」
「その通りだ。基地の建設自体、知っている人間はごく一部だ」

「具体的にはどの程度います?」
「課長補佐以上、それ以外は知らんはずだ」
「当然ですがヴァレンシュタイン中尉は知らない……」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は頷いた。

「それで?」
「ヴァレンシュタイン中尉をその艦隊に乗せようと思っています」
「……」

「彼がスパイなら当然帝国の眼はアルレスハイムに向きます。そして此処にいない以上、ヴァンフリートの件が知られる事も無い」
「……」
キャゼルヌ大佐がそこまでやる必要が有るのか? そんな表情で俺を見てきた。

「彼がスパイかどうかは分かりません。しかし念を入れておくべきだと考えています」
キャゼルヌ大佐が渋々といった様子で頷いた。



宇宙暦 792年 7月 9日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ




私の隣にはヴァレンシュタイン中尉が居ます。中尉は私が情報部の人間だと知っても態度を変える事はありません。いつも穏やかに微笑みながら仕事をしています。本人はスパイではないと言っていますがこの人はとても鋭い……。本当にただの亡命者なのか、とても疑問です。

少しずつ彼の事が分かってきました。普段は穏やかな表情で楽しそうに書類を見ています。ココアを少しずつ飲みながら書類を見るのです。考え事をするときはココアではなく水を飲みます。そして少し小首を傾げて考える。ここ数日は小首を傾げる事が多いです。後方勤務本部の女性職員がカワイイと騒ぐのも無理は無いと思います。私だって抱きしめたくなるから。

バグダッシュ大尉がキャゼルヌ大佐の私室から出てきました。私の方を見ることも無くゆっくりとした足取りで通り過ぎてゆきます。此処に来た時も同様でした、面識などないかのように無視してキャゼルヌ大佐の私室に行きました。

私の事をキャゼルヌ大佐に話したのだろうか? 監視対象者から監視者だと見抜かれてしまった私……。なんて惨めなんでしょう。おそらくキャゼルヌ大佐にも私の事が伝わったはずです。大佐は私をどう思ったか……。

「ミハマ少尉、少し付き合っていただけますか?」
「は、はい」
ヴァレンシュタイン中尉は席を立つと外へと向かって歩き出しました。私もその後を追います。周囲の視線が私達に集まりました。

通路に出るとバグダッシュ大尉が私達に背を向けて歩いていました。中尉がにこやかに笑みを浮かべながら私を見ます。そして少し顔を寄せて小声で話しかけてきました。
「あの方が少尉の本当の上司ですか?」
「!」

思わず、中尉の顔をまじまじと見てしまいました。中尉はそんな私を悪戯な表情を浮かべおかしそうに見ています。そしてクスクスと笑い声を上げ始めました。あの時と一緒です、思わず背筋に悪寒が走りました。
「違います、そんな事は有りません」
小声で抗議しました。

「あの人は此処へ来た時も帰る時も私を見ようとはしなかった。此処へ来る人は皆私を一度は見るのにです」
「偶然です、おかしな事ではないでしょう」
そう、偶然で言い張らなくてはいけません。これ以上の失敗は許されないのです。ヴァレンシュタイン中尉が私の言葉に頷きました。ほっとした瞬間です、中尉の声が私の耳に入りました。

「そうですね、それだけならおかしなことでは有りません。ですがあの人がキャゼルヌ大佐の私室に入った時、行きも帰りも少尉は僅かに緊張していました。何故です?」
「……」

ヴァレンシュタイン中尉が私に微笑みかけてきます。周囲の視線が気になりました。通路を歩く人達が皆チラチラとこちらを見ています。仕事の打ち合わせと思っているでしょうか? とてもそうは見えないと思います、顔を寄せ合い小声で話し合っているのですから。

「今も通路に出ると貴女は彼の後姿を眼で追いました。……彼の名前を教えてください」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら中尉が答えを迫ってきます。バグダッシュ大尉、ヴァレンシュタイン中尉はサドです。私を追い詰め苛めて喜んでいます。そして私は抵抗できそうにありません……。

「……バグダッシュ大尉です」
「なるほど、バグダッシュ大尉ですか……」
ヴァレンシュタイン中尉は何度か頷いています。大尉を知っているのかしら?

「少尉、バグダッシュ大尉に伝えてください。監視者は一人で十分、増やすのは無意味だと」
「増やす?」
増やすって誰を? 新しく此処に誰か来るのでしょうか? 疑問に思っているとヴァレンシュタイン中尉がにっこりと微笑を浮かべました。怖いです、どうして笑顔が怖いんでしょう。

「少尉が監視者だとばれた以上、私に利用されないようにキャゼルヌ大佐に監視を御願いしたという事です。少尉も監視されるのは嫌でしょう? 言ってくれますよね」
「……はい」
段々逆らえなくなります、どうしよう……。



宇宙暦 792年 7月 9日 ハイネセン 情報部 バグダッシュ大尉



「どうした、ミハマ少尉」
『あの……』
スクリーンに映るミハマ少尉は泣き出しそうな顔をしている。はて、何が有った?

「少尉、はっきりしたまえ、何か有ったのか? 具合でも悪いのか?」
『あの、バレました』
「少尉の正体がばれたのなら一昨日聞いた」
『そうじゃ有りません。大尉が私の上司だとばれたんです』
「……」

なんでそれがばれる。どういうことだ? そう思っているとスクリーンに映るミハマ少尉がマシンガンのように話し始めた。俺が一度もヴァレンシュタイン中尉を見ないから不審に思われた、自分が緊張感を見せたから気付かれた、キャゼルヌ大佐に監視役を頼むのは自分が頼りないからなのかとか、泣きじゃくりながら訴えてくる。俺としては呆然と聞いているしかない。

『それに、ヴァレンシュタイン中尉はサドなんです』
「サド? 少尉、貴官は変なプレイを強要されたのか?」
思わず縄で縛られている少尉の姿が眼に浮かんだ。うむ、なかなかいける。

『変なプレイ? 変なプレイって、そんなものされてません!』
ミハマ少尉が顔を真っ赤にして抗議してきた。だったら問題ないだろう。なんだってそんなに騒ぐんだ。

『ヴァレンシュタイン中尉は私を苛めて喜んでいるんです』
「……」
『三つも年下の男の子に苛められるんですよ、大尉』
ぎゃあぎゃあ騒ぐな、大した事は無いじゃないか。

『それに私、苛められると段々抵抗できなくなるんです』
向こうがSならこっちはMか……。それのが問題だろう、早く言え! お前はいつも肝心なことを最後に言う。

「少尉、若い男というものは身近にいる美人をつい苛めたくなるのだ。特に相手が年上なら尚更だ。余り気にせず、もっとおおらかに構えるんだ」
『おおらかに、ですか』

「そうだ、僕チャン可愛いわね、お姉さんが良いこと教えてあげるぐらい言ってやれ。向こうも喜ぶぞ」
『そうでしょうか』
「そうだとも、俺が保証する」
但し、貴官がそれを言えたならだ。

それから五分くらい愚痴をこぼしてからミハマ少尉は通信を切った。思わず溜息が出た。サディストの亡命者とマゾヒストの監視役? いったい何の冗談だ? 何時から俺は彼女の専属のカウンセラーになった? こんな日がこれからも続くのか……。

それにしてもヴァレンシュタイン中尉はサドか……。彼のファイルに記載するべきかな? まあ少尉も少し興奮していたようだし様子を見たほうが良いだろう。



宇宙暦 792年 7月20日 ハイネセン 後方勤務本部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


ミハマ少尉、いやサアヤが俺の隣で仕事をしている。可愛いんだな、彼女。笑顔も良いし、甘やかな声も良い。一生懸命なんだけど所々抜けてるところも良い、癒し系そのものだよ。俺より三歳年上だけどそんな感じは全然しない。

情報部って感じじゃないよ。お嫁さん向きだ。帝国にいたアデーレ・ビエラー伍長を思い出す。彼女も面倒見が良くてお嫁さん向きだったな。随分と良くしてもらったっけ……。今頃どうしているのか……。

サアヤが俺に笑顔を向けてきた。俺も笑顔で答える。最初の頃は俺もちょっと問い詰めちゃって怖い思いをさせたみたいだけど最近は大丈夫だ。俺がスパイじゃないっていうのも分かってきただろう、そろそろお別れかな、寂しくなるな。

「ヴァレンシュタイン中尉、ミハマ少尉、ちょっと来てくれ」
キャゼルヌ大佐が俺達を呼んだ。思わずサアヤと顔を見合わせ、キャゼルヌ大佐の下に行こうとすると彼は席を立ち私室へと向かった。

俺はもう一度サアヤと顔を見合わせてからキャゼルヌ大佐の私室へと向かった。私室での話か……、周囲には聞かれたくないということだな。サアヤが情報部に戻るということかな、ついにその時が来たか……。

部屋に入り簡易の折りたたみ椅子に腰を降ろすとキャゼルヌ大佐が話を始めた。
「今度、第四艦隊がアルレスハイム星域に向けて哨戒任務にでる。貴官達は第四艦隊の補給担当参謀として旗艦レオニダスに乗り込んで欲しい」

第四艦隊? パストーレ中将かよ、あの無能の代名詞の。しかもアルレスハイム? バグダッシュの野郎、何考えたんだか想像がつくが全く碌でもないことをしてくれる。俺は前線になんか出たくないんだ。

後方勤務で適当に仕事をしながら弁護士資格を取る。大体三年だな、三年で弁護士になる。その後は軍を辞め弁護士稼業を始める。そして帝国がラインハルトの手で改革を行ない始めたらフェザーン経由で帝国に戻ろう。そして改革の手伝いをする。それが俺の青写真なんだ。

「小官は艦隊司令部勤務などはした事が有りません。補給担当参謀と言っても何をすれば良いのか分かりません。足手まといにしかなりませんが?」
「心配は要らない、第四艦隊のタナンチャイ少将が貴官等に教えてくれるはずだ。今回は研修のようなものだ。勉強だと思え」

変更の余地無しか……随分と手際がいいじゃないか。覚えてろよ、この野郎。バグダッシュ、お前もだ。俺はやられた事は数倍にして返さないと気がすまないんだ。俺を第四艦隊に放り込んだ事を後悔させてやる。



 
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