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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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15.誰ガ為ノ虐殺

 
前書き
・どうでもいい話
酷氷姫(キオネー)』とか書いてますが、キオネー(ギリシャ神話に登場するダイダリオンの娘)は別に冷酷とか氷とか関係ないです。ただ単に美しく傲慢なる者→態度がでかい→ドギツイ性格という発想です。
ちなみにこの人、神話の上ではヘルメスとアポロンとの間に子を宿してますが、本作では二柱と特に接点ありません。というか神話通りにしたらヘルメスが睡眠姦好きのレイパーになっ(ここから先は神聖文字になっていて解読できない) 

 
 
 ドナとウォノ――世界を知らぬ片翼の天使人形。

 その精緻極まる造形は、正に天使と呼んでも差し支えない完成された美。
 もしも僅かでもマジックアイテムの造詣が深い者がその姿を見れば、いくらの富と代償を払ってでも手に入れようとするであろう。もしも美術に並々ならぬ関心がある者なら、プライドや地位をかなぐり捨ててでもそれを求めるだろう。それほどまでに彼らは奇跡的な存在だ。

 しかし――それを力づくで奪うことは決して叶わない。
 何故ならば、完成されたふたりはその戦闘能力も完成しているのだから。

『やっはー!!キノコ狩りだぁぁ~~~!!』

 その小さな体躯に不釣り合いなカミソリのような剣を両手で抱えたドナが、残像の見える速度で魔物の群れに突進し、遠心力を乗せた刃がファンガス達を襲う。僅か一瞬の間に彼女の剃刀剣が星の瞬きのように煌めき――直後、十数にも及ぶ魔物のスライスが周囲にぶちまけられた。

『ヒッサツのぉ――アストロジカル・スラッシュなのだ♪』

 一瞬の煌めきの間に12回に亘って振るわれた音速を超える刃を避ける術など、ファンガスが持っているはずがない。しかもその刃は全てファンガス変異種のコアである魔石を正確に切り裂いている。
 並みの冒険者では決して実行不可能な反応速度を持つドナの前では、『高々22階層前後の魔物など動く的でしかない』。

 そしてそれはウォノにとっても同じことだった。

破邪顕正(はじゃけんしょう)の極光にて仏の元に召されるがよい!!一霊四魂(いちれいしこん)の理――『荒御魂(あらみたま)』ッ!!』

 ウォノの掲げたロッドから真っ赤な魔力が噴出し、魔物を追尾する閃光の矢となってダンジョンに降り注いだ。魔物の体を地面ごと次々に穿つ赤い雨に、魔物は為す術もなく蹂躙され次々に薙ぎ払われてゆく。
 大規模な空間攻撃で潰すのではなく、一体一体を正確に刺し貫く貫通力と驚異的な操作性。例え魔術に秀でたエルフであっても、この光景には唖然とするだろう。それだけ複雑で高度な魔法を、碌に詠唱もなしに行使しているのだ。

 しかも、この二人は触れた魔石から自らの体にエネルギーを取り込む性質があり、ドナは切れば切るほど――ウォノは攻撃魔法を通して必要なエネルギーを補充している。つまり、二人には『人間と違って体力切れがない』。


 はっきりと断言するならば――彼らは既に人間を超えていた。


「……あの子たち、かわいいな」
「……ああ」
「……俺たち、頑張ったよな」
「……ああ」
「……俺たちの貢献度、あの子たちの何分の一だろ――」
「それ以上、いけない」

 身長が自分たちの三分の一以下というチビ人形たちが、自分たちが散々苦しめられた魔物たちを次々に駆逐していく。その常軌を逸した光景は、身も心もボロボロになった彼らの大切なものを崩していく。プライドとか自信とか、そのようなアレを。

 どうやらファンガス変異種は凄まじい速度で魔石を分裂させる特性があったものの、魔石分裂によって個体の力そのものは弱まるらしい。それでも倒された魔物の魔石を回収して個体能力を取り戻す厄介な性質があったようだが、ドナとウォノの敵ではない。

 一方、一通り厄介な魔物を始末し終えたヴェルトールは数だけ多いファンガス変異種の処理を二人に頼み、自分はボロボロの『エピメテウス・ファミリア』に無料でポーションを配っていた。

「いやぁ、創造主より強いから喧嘩すると負けるんだよね~……あ、ポーション飲む?」
「えっと、いただきます………ってアレ、なんか瓶が小さいんですけど」
「濃縮ハイポーションだから少量でも効くんだぜ」
「ちょっ、メチャクチャ高級品じゃないのぉッ!?」
「ほかのみんなもご一献どうぞー!これ全部オーネスト用のだから今日のコレはオーネストの奢りだぜ~~!!」
「自分の懐にダメージがないのをいいことに大盤振る舞いし始めたコイツぅぅぅーーーッ!?」

 ちなみに濃縮ハイポはアズが手作りしたアイテムである。本人曰く「小型化を目指した結果コストダウンに失敗したので原材料費が高い」とのことだが、「市場のハイポーションより高い」のではなく「現地調達できない材料に金をかけたから高い」のであって、原価はハイポ以下である。
 加えるなら、ハイポーションをさらに濃縮したらそれはもう簡易エリクサーのレベルだ。そんなものを調合できるくせに薬の作成は趣味でしかないのだから、全国のポーション調合師は泣いてもいいと思う。

 しかし、ポーションを受け取ったり遠い目をしながらも隊列を崩さない彼らの生真面目な『エピメテウス・ファミリア』の団長はどうなっているのか。ヴェルトールは後ろを振り返れない彼らの代わりに背後に広がっているであろう惨状を確認しようとして――耳障りな羽音に顔を顰めた。

「オーネストの方は………――っと、お邪魔虫がいるな。お前さんはお呼びじゃないよ?」

 ヴェルトールの左手に握られたジャマダハル・ダガーがぶれる。
 その直後、上方から飛来したデッドリー・ホーネットがバラバラに『解体』されてボトリと地面に落ちた。眼球、触覚、羽、胴体の節、足、そして毒針に至るまでが丁寧にバラされ、そのまま持ち帰って組み立てれば標本になるほどに無駄な破壊がない。

 片手間で手遊びをするように惨殺死体を作り上げたヴェルトールの手には――いつ、どのタイミングで抉り出したのか魔石が握られていた。

 その異常性に、ファミリア達は戦慄する。

(これが『ゴースト・ファミリア』………今の一瞬で殺したのか)
(違う、殺したんじゃない。『遊んだ』んだ……戦いにすらなっていない)
(か、格が違いすぎる――この高みに至るまで、私たちはあと何年修行すればいいの……?)

 想像を絶する実力。「無法者の集まり」などと甘く見ていた連中の本当の力。
 その場の誰もが、おのれの傲慢と実力不足を叩きつけるように思い知らされた。

 ――本当の高みはヴェルトール達の方じゃなく、自分たちの後方にあったということには気付かずに。



 = =



「それで」

  血肉と臓物で敷かれたレッドカーペットを踏みしめ、鮮血を全身に浴びた男が、ゆっくりと歩きながら白装束と魔物の群れに近づいていく。
 骸の氷像を越えた先へ静かに、しかし確実に、目には見えない暴虐と殺戮の壁が迫りくる。

「次に死にたいのは『どれ』だ?」

 『酷氷姫』に止めを刺そうと近づいた複数人の白装束の顔面を剣で粉砕したその男の殺意を浴びた瞬間、白装束達の従えていた魔物たちが一斉に発狂した。

 生物的な本能が、『自分は今から死ぬのだ』と告げた。理性が飛び、野生は敗北し、魔物たちにとっての世界が、その場で終了した。だからこそ、特別な強さを持たない低俗な魔物が選ぶ道はただ一つしかなかった。

 一刻も早く『死の恐怖』から解放されるために、自ら『死』へと向かう。

 その場にいた全ても魔物が、暴虐の中心である『(オーネスト)』へ、生からの開放を求めて殺到した。殺戮という名の救済を求めて、一刻も早くこの世からの消尽と永遠の安らぎを願って。
 向死欲動――自らを滅ぼすために駆け出した魔物たちを待っていたのは、望み通りの結末。

 大地に巨大な亀裂が入る力で踏み込んだオーネストは、その剣に圧倒的な破壊の意思を込めて魔物の群れへと振るった。

「死に魅入られたか――下らん存在だ。失せろ」

 グオオオオンッ!!というおおよそ剣を振るったとは思えない音を立てたオーネストの一撃は、正面にその破壊力を巻き散らして眼前の全てを粉微塵に粉砕した。有象無象、例外なし。すべてが等しくオーネストの剣の余波で爆砕し、100匹近い迷える魂は肉から解放された。

 遅れて、ビシャァァァッ!!と水の塊が叩きつけられたような水音がダンジョンに響く。
 砕かれた魔物の骨肉や血が、オーネストの剣の放射線状にぶちまけられて壁や床を真っ赤に彩った。

「莫迦な……」

 血肉を全身に被った『赤』装束の声に、初めて動揺の陰りが見える。
 自らが手なずけ、命令を遵守するはずの同士たちが死んだ。それも、自ら望んで飛び込み、屠殺された。殺意だけで正気を狂わされ、コントロール下を勝手に離れていったのだ。

 レベル5,6クラスなら魔物を微塵に切り裂くも吹き飛ばすも思いのままだろう。
 だがオーネストが見せたそれは、あまりにも常軌を逸した力だった。
 絶対的な殺戮者としての意識――孤高の威厳を塊になるまで濃縮したような心が、魔物を動かした。

 その膂力は巨人をも殴り殺し、気迫は天界を揺るがす――彼の暴れっぷりを知る者が語った血生臭い英雄譚。それが決して誇張でも何でもなく、端的な事実を告げているだけなのだと気づいた時には――すべては終わっていた。

 目の前に迫る20歳にも満たない男の体が巨大な怪物に見えるほどの、絶対的な絶望感。

 だからこそ――血で赤装束に染まってしまった者たちは全ての計画を最初に戻した。

「こうなれば、後ろで倒れた『酷氷姫』だけでも道連れにするッ!!」
「奴が魔法を使えるという情報はない。一人でいい、奴を潜り抜けてあの女に止めを刺せ!!」
「『彼女』の為!計画の為!!我等は今こそ肉の体を捨て去りぬ!!」

 戦いで数を減らしながらも、その人数は未だ十数名残っている。対して相手は『酷氷姫』ほど自由度の高い攻撃方法を持っている訳ではない。ならば、勝機は先ほど以上に存在する。
 死をも恐れぬ狂人の脳髄は、瞬時に最後の狂奔へ移った。

 その姿を認めたオーネストはつまらないものを見る目で溜息を吐く。

「残り人数は………11人か。まったくさっきの魔物といい、肉体も意志も脆弱過ぎる。紙を破っているようで実につまらん。とっとと片付けて今度こそ50階層くらいは行きたいものだ」
「明日の日程か。勝手に立てていろ。我らは貴様に用がないのだからなッ!!」

 有機的に絡み合って複雑な軌道を描きながら次々に地を駆ける男たちは、気絶して虫の息であるリージュへと殺到する――が。

「まずは3人」

 飛来する三つの光が虚空を駆ける。直後、男達の腹部に衝撃が奔った。

「――ガばァッ!?け、剣を……!?」

 オーネストの手に持った剣と荷物の中にあった予備の2本の剣が投擲され、正確無比に男たちの胴体を貫く。魔石を砕かれた3人はほぼ同時に絶命した。

「続いて5人」

 腰のベルトに仕込んであった5本の投げナイフが、ボウッ!!と音を立てて空を裂き、走っていた5名の腹に命中。その威力で『腹に風穴が空いた』。

「――ゴバァッ!!あ、あえ……あ……!?」
「何、が、起きて――」

 血と内臓を背後にぶちまけて絶命した彼らには、それが投げナイフによって生み出された傷だと最後まで気づけなかったろう。

「くそっ!!化け物めぇッ!!」
「人間を辞めておいて言うセリフがそれか。つくづく人間のメンタリティってのは成長がお嫌いのようだ」
「なぁッ!?いつの間に正面に――ごヴぇッ!?」

 悪態をついた男の首に、大蛇の顎の如く広げられたガントレットの指がめり込んだ。

「あ、がげげげげッ!!ぉあ、ああ、おごッ……け、―――」

 万力のように何の抵抗もなく、ばぎゃり、と首のパーツがまるごと握り潰された。
 体を痙攣させながら絶命した男を握ったまま、オーネストは体を回転させて後続にいた男に鈍器のように叩きつける。
 ぶおん、と音を立てて上から振り下ろされた男の死骸は、そのまま叩きつけられた男もろとも粉砕した。

 男の死骸は別に握る必要はなく、ただ放り捨ててからもう一人を潰すのが面倒だからまとめて殴り潰しただけだった。頭蓋と頭蓋が割れて脳梁がオーネストの顔面まで跳ねるが――オーネストはやはり、顔色一つ変えない。

 ――恐らく、力自慢の冒険者の中には同じことを出来る者もいるだろう。だが、こんな殺害方法を実行できる異常な感性と、実行して尚も微塵の動揺すら見せない精神を併せ持っているのは、オラリオで彼一人しかいない。

 かつて、アイズ・ヴァレンシュタインは彼の戦い方を「怖い」と言った。
 それは核心をついているようで――実は真実の表層に刺さる言葉でしかない。
 人間が人間を、極めて残虐かつ原始的な方法で、殺す。
 それを息をするように実行できる存在を「怖い」の一言で済ます事を、誰が出来ようか。

 その恐ろしさを極めて近くに、しかしどこか遠く感じていた男は、中身の惨殺死体の陰に隠れるような形で通り抜けた。

(抜けた!!さしもの貴様も『守る』ことは得意としていなかったらしいな、『狂闘士』!!)

 今という好機を逃す理由は存在しない。
 今、自分が迫っているあの地面に転がった小娘を、自らの体ごと火薬で吹き飛ばす。
 それだけで仲間たちも自分も、為すべきことを成した証となる。

 歓喜に打ち震えながら懐に手を入れて、体に巻き付けてあった爆弾の安全栓を引き抜き――気が付けば、視界を覆い尽くす壁が眼前に迫っていた。

「え?―――」

 男は、訳も分からぬまま自ら体に巻き付けた爆薬で無駄に爆散して果てた。
 男がなぜ死んだのかを知っている人間は、この世界でただ一人。

 リージュの元に向かった男を『居合拳』で打ち抜いて壁――ではなく、天井近くに吹き飛ばしたオーネストは、うっとうしそうに髪をかき上げる。

「………ようやく片付いたか。退屈なことをやると無駄に時間が長く感じて鬱陶しい……鬱陶しい仕事は次からアズにやらせて俺は見物するか」

 体に付着した肉片や血を簡単に払ったオーネストの意識は倒れ伏したリージュの方へと向かい、その背で絶命した男たちの記憶は覚える必要もないと忘れ去られた。

 かくして男の死の真相を知る人間はこの世から完全に消滅し、男という存在も世界から完全に消えた。痕跡たる死体は粉々になり、魔石も砕け、もう魔物のそれとどう違うのか見分けがつかなかった。

 最後に男が世界に残した爆発音も、数秒間木霊したのちに静寂にかき消された。



 = =



『いつもウチの子と遊んでくれてありがとうね?リージュちゃん』
『い、いえいえいえ!!むしろありがとうはこっちな訳で!!あ、あの!アキくんとはいつも優しいし頭もいいし、とにかくそうなんです!!』
『ウフフ……女の子に想われるなんてあの子も幸せ者よね!それもこーんなにかわいい子に!』
『はわわわわっ!?だ、だっこは止めてくださっ、ああー!』

 その人はとても母性的で、美しく、深い慈しみの心を持っていると一目でわかる人だった。
 美しい金髪も美しい金目も見惚れるほど輝いていて、こうして突然抱きかかえられても全然いやな感じがしない――そんな人だった。

『………ねぇ、リージュちゃん。一つだけ、約束してくれないかな?』
『……?ど、どうしたんですか?まさかアキくんに何か!?』
『何か……かぁ。あながち間違ってないかな』

 一瞬だけ悲しそうな顔をして、あの人はまた微笑んだ。

『もしもその『何か』が起きても、ずっとあの子を見ていてあげてくれない?あの子のいいところも、悪いところも、時々涙を堪えきれずに悲しんでいるところも――友達として、ずっと見ていてくれない?』
『え………それ、私じゃなくてもご自身で出来るのでは……?』
『今は、ね。でもあの子だっていつまでも子供のままじゃいられない時が来るかもしれない。私の目から離れたいと自分で願うときもあるかもしれない。だからその時は……ね?』

 意味は分からなかった。でも、とても大事な話をしているのだという意識はあった。
 それに、当時のわたしは――今も完全に否定はできないが――アキくん大好きっ子だったから、考えなしにこくこくと頷いた。
 それを見たあの人は心の底から安堵した様にほっと一息をついて、わたしのことを抱きしめた。

 今になって思えば、あの人は知って言うたのかもしれない。

 アキくんがいつも自慢していた父親(パパ)が、―――、――――――。


 ―――。


 ―――。



「――……………」

 不意に、ぼやけた視界が薄暗い空間を見上げた
 地面が硬く、土臭い。まるであの日、彼に振り払われたときの雨に濡れた石畳のようだと思った。
 体の節々に鈍い痛みと倦怠感が襲い、瞼を開けることさえも億劫だった。剣を握る両手にはガントレットの感触がなく、首の下には丸めた布のようなものが挟まれている。

 ここは、どこだろう。
 いまだ意識が微睡(まどろみ)を抜け出せないまま、わたしは小さな疑問を抱いた。
 ホーム、ではないのは確かだろう。ホームに土のベッドなんてない。
 では、どこだ。体が怠くて、土の臭いがして、冒険者のいる場所。

 どこか他人事のように事実確認をしようとする私の額を、優しく何かが撫でた。
 暖かくて、すこし無骨で、父親の掌を思い出させるそれの正体を確かめようと、目を凝らす。
 そこに居たのは――

「……アキ、くん?」
「俺をその名前で呼ぶな。……まだ骨の接合が終わっていないから、大人しく寝ていろ」
「むぎゅっ」

 起き上がろうとした顔を掌で抑えられ、奇妙な声が漏れる。
 ぶっきらぼうでぞんざいな命令口調を浴びせたその男は、今は『狂闘士』と呼ばれるわたしの想い人だった。その姿を見て、ようやく意識を失う前の記憶を思い出す。
 消えない後悔の源であり、消えない悲しみの源泉。
 もう二度と、口を聞いてはくれないと思っていたひと。

「お前の部下は生きてる。今はお前の回復を待って周辺警戒中だ」
「やっと――口を聞いてくれたね」

 自然と、そんな言葉が漏れた。
 8年越しに通じた会話の最初がそんなありふれた言葉か、とも思ったが、さっきの「むぎゅっ」に比べれば何倍もマシだ。彼もまた、もう無言を貫くことはしなかった。

「…………お、おう」

 彼は、どこか所在なさげにフイッとよそを見て、屁理屈をこねるようにぼそぼそと呟く。

「俺は、オーネストだ。だから……お前とは過去に『何もなかった』。今までのは……何となくお前が気に入らなかったから口をきかなかっただけだ」
「そういう、ものかな」
「そうだよ」
「本当に……?」
「ああ、きっと……な」

 懐かしい過去の憧憬の再現に、瞳の奥から暖かな滴が零れ落ちる。
 嬉しいのだろうか、彼が変わっていないことに。
 それとも悲しいのだろうか、豹変してしまった今でも、彼が彼のままであることが。

 答えが出ないまま――私はただ惰性のように、彼の優しさの下に留まり続けた。
  
 

 
後書き
という訳で、オーネストの真ヒロイン的なリージュちゃんを守り通しました。最近バイオレンス成分が足りないと思って盛大に暴れてもらいましたが、如何だったでしょうか。
二人の過去は断片的に語りましたが、あまりしつこく語る気もないのでこの辺で。次の話で一区切りなはずです。 
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