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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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16.Remember Days

 
 オーネスト・ライアーは決して他人の為には動かない。
 いくら金を積み、どれほど譲歩し、何を誓おうとも彼は他人の為には動かない。

 それは別におかしなことではない。人は大なり小なりそのような側面を持っている。無償で他人を助けるのは、それを本人がしたいと思うからこそだ。自己犠牲の精神も究極的には自分の為の行動であると言える。彼が他人の為に動かないのは、そのような部分を自覚しているが故のことである。
 つまり、自分の思うように埒を開けた結果、他人から見ると人助けをしているように見える側面が存在している。

 彼の言動の全てに重みを持たせているのはそこかもしれない。
 颯爽と危機に陥った人を助けて「君を助けることができて良かった」などと歯の浮く台詞は決して言わない。いや、助けられたと感じた相手をまるっきり無視することさえある。何故ならすべての行動は自分の為であり、行動の結果誰が何を考えようと知ったことではないのだ。
 だから彼がリージュ・ディアマンテという少女を助けたのも彼女の身を案じてのことではない。
 そこに『極めて人間的な感情』の介在があるかどうかはさて置いて……彼はやりたいようにやるだけだ。

 しかし、案外その絶対的なまでの『自分への拘り』に落とし穴がある。
 この落とし穴が何なのかを知る存在はこの世に極めて少ない。欠点を知っているのはたった2人――彼の盟友であるアズライールと、オーネスト本人のみ。その本人に欠点を自覚させたのがアズなのだから、これ以外はないと断言できるほど致命的な落とし穴だ。

(過去の自分とにらめっこ……か。アズの奴、痛いところを突いてくる)

 背におぶったリージュを起こさないように静かに歩きながら18階層への帰路についたオーネストは、ふと一昨日に自分の相棒が形容した例え話を思い出して苦い顔をした。

 昔は間違いなく彼女を憎んでいたのだ。口では何も失ってないなどとほざきながらも、それでも目に映る全てを恨むほどの憎悪を彼女に向けていた。赦す気は毛頭なかったし、許せる日も来ないだろうと考えていた。
 なのに年月が経つにつれて少しずつ、考え方や視点、それを裏打ちする経験と知識が蓄積するにつれて変化していった。理屈でしか納得できない部分が感情でも納得できるようになってしまった。それを成長と呼ぶか慣れと呼ぶか、或いは妥協と呼ぶのか……ともかく、オーネストは自分で自分の本当の意志に気付いてしまった。
 ただ、その意志に自分でも戸惑い、受け入れるのを躊躇しただけだった。

 オーネストは、もうリージュへ抱いた恨みを欠片もその心に残していない。
 例え彼女のせいで『何人死んだとしても』、彼女もまた世界の見えない奔流に踊らされただけだ。――あの頃の自分と何ら変わらない。罪人ではあるが、罰するのは他の誰でもない彼女自身だ。

 久しぶりに再会したとき、リージュは自分の立場さえ忘れるほどに動揺していたのではない。オーネストを通して、決して消える事のない傷跡に苦しみを覚えたのだ。自らが犯した一世一代の過ちに苦しみ、「わたしは赦されない」とでも思ったのだろう。

「アキくん」
「……もう目を覚ましたのか」
「うん……」
「もう少しで18階層に着く。そこで寝て体力を戻せ」
「うん……」

 弱弱しい声だ。昔はもっとやんちゃな子供だった。
 尤もそれを指摘するならばオーネストなど見る影もないほど歪んでいるが。

「背中、大きくなったね。昔はわたしとそんなに変わらなかったのに」
「あれから8年経った。それくらいは変わるものだ」
「匂いも変わった。昔より鉄臭い」
「………それは俺じゃなくて返り血の匂いだ、馬鹿」

 声は小さくて、当たり触りのない世間話のようだった。何となく、彼女は自分の一番聞きたいことを遠回しにしようとしている気がした。

「聞きにくいことや言いにくいことがあると急に世間話が増える癖、直ってないらしいな」
「………だって、聞けないよ。答えを聞くの、怖いから」
「ならお前の聞きたいことに答えてやろうか?お前が自分で言葉にするまで待つのも億劫だしな」

 小さく息をのむ音と、体が強張る感触が背中越しに伝わる。
 ファミリアの団長をしていると聞いたから少しは成長しているかと思ったら、そうでもなかったらしい。きっと彼女の刻は、自らの罪を自覚したあの日に止まってしまったのだろう。――自分と同じように。

「俺はお前を赦した訳じゃない。水に流そうなんて言うつもりもない」
「――そう、だよね………当たり前だよ、うん」

 震える喉から、リージュは辛うじてそう答えた。
 上ずっていて、今にも泣きそうで、なのにその結末をどこか理解していたような自嘲的な声。
 彼女が自ら背負った罪の十字架は、いつまでも錆び付かずに鈍い光沢を放ち続ける。

「でも、な」

 重い荷物を抱え込んだ相手に、オーネストは時たま何の参考にもならない助言を与える。

「俺が赦そうが赦すまいが、お前がビクビクと子兎みたいに震える理由にはならねぇ。罪は自覚して初めて罪になる………そして、自分が罪人だと分かっていても自分が自分でいたいから、人は罪を抱えたまま生きていく」

 罰金を払う。牢獄に叩きこまれる。指名手配を受ける。周囲に蔑まれ、罵倒される……それら罪人に与えられる報復は、あくまで周囲から勝手にぶつけられた一方的な罰でしかない。真実の罪の重さは自らの知覚に依存する。
 罪と向かうあう覚悟があれば、自らが罪人であってもすべてに真正面からぶつかれる筈だ。
 それが証拠に、オーネストは自分が『悪』に近いと知りつつも、正義から逃げたことはない。
 何故なら、善悪の有無に関わらず立ち塞がった全ての障害を粉砕してきたから。

「受け入れた罪はもうお前の一部だ。だから、腫物みたいに扱うな。お前も罪を背負った者なら、苦しんでなお気丈であれ」
「罪人に威張れなんて言う人初めて見たよ……!?」
「ふん………団長様として威張ってる時の延長線上だ。やれないとは言わせんぞ?」

 くつくつと、どこか意地の悪い笑い声が喉から漏れた。
 こんな風に接するのはオーネストらしくない。
 だが、同時に『―――――』らしくはある。
 そして、オーネストは『―――――』らしさを否定しきれなかった。 

(おかしなか話だが……結局、この幼馴染のことを俺は嫌いになれなかったらしい)

 否定したはずの過去も、もとをただせば自分の一部。だからこそ、過去の甘さを一度認めてしまえば、オーネストも嘘はつけない。彼女に一度昔の顔を見せた以上、それはもうオーネストが認めたものだ。

(『オーネスト』って仮面が『―――――』を抑えられなくなったのか………それとも、どっかの死神もどきに面を割られたかもな?)

 背後で「アキくんおかしいよ」とか「いや、そういえば昔はヤンチャだったっけ?」とか呟きながら悩んでいる幼馴染を抱えて、珍しく機嫌が悪くないオーネストは歩みを進めた。


 で、だ。

(え?あれ?リージュ様のキャラがなんか変わってらっしゃらないかしら!?)
(ちょっ、え?え?何今の?幻聴だよね、あのガッチガチアイアンメイデンのリージュ様があんな普通の女の子みたいな台詞吐くわけないよね?ね?)
(おおおおおおおお落ち着け落ち着くんだ素数を数えるんだ1、2、3、4……)
(バッカお前それは普通に数を数えてるだけだろうがっ!!)
(き、聞き間違いじゃないかな?きっと聞き間違いだよい!)
(そうだよい!あの鉄の規則実行者の団長がそんな……そんなわけないよい!)
(よよいのよい!あそーれ、よよいのよい!)
(駄目だコイツ……現実を直視してない……!!)

 隊士たちは一度深呼吸し、改めてリージュの方を見る。

「ところでアキくん……その、わたしって重くない?」
「軽すぎるな。もう少し太ったらどうだ?」
「そ、そう?う~ん、結構食べてるんだけど………って、女の子に太れって失礼じゃない!?」
「知るか。あと俺はオーネストだと……」
「そんなこと言ったってアキくんはアキく………………投射隊、許可なく陣形を乱すな!遊撃隊は警戒が疎かになっているぞ!貴様らの気の緩みが自身の首を絞める結果になると念を押しても尚緩むとは、よほど死にたらしいな!」
(別人みたいだがやっぱ本人だあぁぁぁぁ~~~ッ!!!)

 オーネストの背中に背負われたままなので果てしなく威厳が薄いが、声に込められた冷たさと気迫だけいつも通りなので慌てて陣形を基に戻すと、リージュは再びオーネストとの会話にナチュラルに戻っていった。

「ちっ……シャキッと出来るんならそうしてりゃいいものを。いいか、『今の』俺はオーネストだ。次にそれ以外の名前を呼んだら永劫に無視する」
「分かったよアキくん!………あっ!?」
「…………………」
「あ、アキくぅん………」

 雨に濡れる子犬がクゥンと鳴くような切ない視線がオーネストの背中に浴びせられる。普段はこのようなうっかりミスをする彼女ではないのだが、どうも彼の前ではちょっぴり残念な子になってしまうようである。

「も、もう一回だけチャンス頂戴?お願いだよぉ……!」
「………もうアキでもいい。お前のドン臭さに訂正する気も失せた」
「アキくぅんっ!!」

 ――以降、18階層にたどり着くまでこの二人のコント染みた会話は延々と続いた。

 なお、試しにヴェルトールがオーネストを『アキくぅ~ん♡』とふざけて呼んでみたら投げナイフに追加してリージュの冷気まで飛んできたとか。以降『エピメテウス・ファミリア』及びヴェルトール・ドナ・ウォノは、反撃が恐ろしくてこの二人の微笑ましい光景をただ空気と化して聞いているしかなかった。

『結局二人はどのような関係だったのだ?拙者、てっきり深く暗い因縁があるものと思い込んでいたのだが………』
『………エングン呼んで来たらお礼に教えてもらえるヤクソクだったんだけど……ま、いっか♪オーネストもリージュも楽しそうだもん!やっぱり2人は似たものドーシね?』

 長い長い空白を埋めるにしては他愛のない会話をする二人の自然体な姿に、ドナたちは彼らの昔の関係を垣間見たという。

 しかし、人が一瞬に垣間見ることが出来る情報は余りにも不確実で断片的だ。
 二人の姿から見えるのは、本当に、過去のほんの一瞬でしかない。
 白く照らされた真実のカードの表――その裏で漆黒を深めるそれもまた、見えない真実。

 18層に着いた頃には、オーネストは『狂闘士』に、リージュは『酷氷姫』に、それぞれの仮面を被って真実を覆い隠していた。



 = =



 アズライールという天使には、いくつかの解釈の仕方がある。
 人間の肉体と魂を切り離す魂の選定者、あるいは断罪者、あるいは管理者。
 冥王星を司る者。天蠍宮の主。そして――人類の創造者。

 ある伝承曰く、神は天使たちに泥をこねて人を創造するように命じたという。
 天使たちは泥人形を多く作り、どうにか人という存在を創造しようとした。
 だが、泥人形に魂を宿して人と成せたのはアズライールだけだった。
 理由は単純明快で、アズライールが魂と肉体を分ける術を誰よりも知っていたからだ。
 以降、彼は人間の死の運命を管理する役割を神に命ぜられたという。

 だから、人類を真に創造したのは神ではなくアズライール。
 人類とは、(すべか)らくアズライールの子供たちなのだ。

 ……とまぁここまでは聖書のアズライール。
 そしてここからは、勝手にその名を名乗ってるけどそんな大それたことは出来ない俺の話だ。

 俺は天使じゃないが、『死』を内包するだけあって『死』に関わることは人並み以上に理解できる。
 現在、俺は名前も知らない若者の母親の具合を確かめるという医者みたいなことをしていた。

 『告死天使』とか言われてるものだから時々子供や血気盛んな若者に「○○が苦しんでるのはお前の所為だ!」とか「○○が死んだのはお前の所為だ!」とか言われのない誹謗中傷を受ける。心にゆとりのある人は俺の気配に気付いてUターンするか遠くでヒソヒソするので、真正面から罵声を浴びせてくるのはだいたい悲しみに暮れている人である。

 命の出会いが喜びならば、死の離別は悲しみだ。そして全ての人がその悲しみを涙で全て流し切れる訳ではない。だから人は何度でも怒るし、泣く。それは自分ではどうにもできない爆発的な衝動であり、やめろと諭してやめられるものでは断じてない。

 なので俺はそれら一人一人に懇切丁寧に対応した。
 無碍にするのもなんだか気が引けるし、恨み節の対象が生きていれば助けられる時もある。マリネッタだって初めて会った時は「お前が全部いけないんだ!!」と泣きながら石を投擲してきた。後で事情を聞いて、面倒を見ている子供が風俗系ファミリアに拉致された事を聞いて、間一髪で救出したから今は仲良くできているのだ。

 という訳で――さあ、治療をしようか。

 十字架を背負った鎖塗れの魔人が、下手をしたら建物ごと斬り裂くのではないかというくらい巨大な大鎌を振り上げる。刃の先にいるのは、あらかじめ薬で眠らせた患者の安らかな姿。

「『死望忌願(デストルドウ)』よ、死神の大鎌(ネフェシュガズラ)で生命の理に反する者に死を齎せ!!」
『ישועה אליך――!!』
「………って待て待て待て待て待て待て待てぇぇぇぇぇいッ!!」

 『死望忌願』を操る俺に患者である女性の息子さんが羽交い絞めにするように掴みかかってくる。その形相は必死そのもので、神に懇願するが如き遠慮に反して込められた意志は誰よりも熱い。しかし、何故治療の邪魔をするのだ。わけがわからないよ。

「いや治療ってかあんたそれ『今楽にしてやる』のパターンだからッ!!こ、殺さずに病状だけ改善してくれるって約束でしたよねぇ!?」
「いやぁ殺すよ?生かしておく意味もないし」
「あっれぇぇぇーーー!?最初に出くわしたときは大丈夫って言ってたじゃないですか!!まさか手遅れ!?手遅れなのを誤魔化すためにSATSUGAIする気!?」
「いやいやだから……君のお母さんの中にいる悪性腫瘍を殺すんだって。病状改善したいんなら悪性腫瘍は殺しておかないとねぇ。コイツらって若干ながら命の摂理に反してるし」

 栄養さえ提供されればテロメアの限界を超えて無限に増殖する人類の天敵、癌細胞くんを殺さない限りこの人に明日はない。いや、明日の要らない俺が言うのもおかしな話だが、気配的にこの人の癌は全身に転移している。かなり切り刻まないと完治は無理だろう。

「本当にソレで斬るの!?息の根止めちゃわない!?ちゃんと五体満足かつ魂インストール済みで戻ってくるんだよね!?後になって魂だけ寄越されても何一つとして解決にはならないからね!?」
「ゴチャゴチャ言わない!大丈夫だよちょっと真っ二つになってもエリクサーで元通りにしてあげるから!!」
「だいじょばない!全然だいじょばない!!」

 『死望忌願』と重なった俺の影が、床に深く濃く伸びてゆく。
 光源のせいか上になればなるほど大きく光を遮る影は、巨大な鎌を更に巨大に変貌し――泣き叫びながら掴みかかる男を意にも介さずに得物を見下ろす。

「やめろ!!やめ……やめてくれぇッ!!俺の、俺のたった一人の――!!」
「だから、巣食われし者を救ってやろうと言っているだろう?」

 選定の鎌は、若者の母親の身体をベッドごと、斬り裂いた。



「ありがとう!おかげで母さんは病巣だけを綺麗に殺されて助かったよ!だから二度と来るなよクソッタレ野郎!!」
「満面の笑みで絶縁宣言叩きつけられたのは初めての経験だよ……」
「ごめんなさいね、この子ったら人見知りが激しくて……許してあげてね?」
「あぁ、別に構いませんよ。お身体の具合も悪くはないようで何よりです」

 若者は余程怖かったのかまだ若干足が震えている。反面、寝ていた母親の方はベッドの上から朗らかな笑みでこちらを見ている。病魔との戦いで大分やせ細ってはいるが、ちゃんと安静にしてれば体力は戻るだろう。
 冷静になって振り返ってみれば怖いわな。絵本に出てくる死神を100倍おっかなくしたような奴が鎌を掲げて母親に振り下ろそうとしている訳だし。だがあの鎌はあれで刈り取る対象を自由に選べるスゴイヤツなのだから、怖くても我慢して欲しいもんだ。

「しかし、不思議ですね」
「と、いうと?」
「ベッドの上から人伝にしか聞いていませんが、貴方は『告死天使』と呼ばれているのでしょう?なのに、貴方は現に私を生かしている。確かに貴方からは冷たい気配のようなものを感じるけれど、そんなにも恐ろしい人には見えないわ」
「か、母さん……」

 そういう風に言われることは珍しくもない。自分で言うのも変だが割とノリは軽い方だと自負しているし、ロキ辺りになるとアズにゃん呼ばわりまでしてくる。本当に俺が死神みたいな存在なら子供だってもっと警戒して近付かない筈だ。
 だがしかし――ティオネちゃんが言っていたあの台詞がきっと本質を物語っているのだろう。曰く、「どんなに善人面しても貴方はやっぱり『告死天使(アズライール)』」……つまりはそういうことだ。

「生かした……ってのは少し違いますね。俺は死の在り方をより彼にとって好ましいものに変えただけです。なぜなら、人は死ぬべくして死ぬものですから」

 人はいつか、どこかで、何らかの要因で死ぬ。終わりは最初から内包されており、結果が覆ることはない。だから主観的には助かったように見えても、実際には死ぬタイミングと理由が数十年ズレただけの話なのだ。もちろん期間が延びたことで変わる運命や生命もあるだろうが、それは『死』という一つの事実から見れば余りにも些細な出来事でしかない。

「だから、そこにワンクッション。死を受け入れる期間を先延ばしにして、まだ死が訪れない者がより良き死を迎え入れられるようにするんです。死が忌避すべきものではなく、迎えるべき決別だと納得させるための時間を設けただけですよ」
「アズライール……あんたが何言ってんのか、俺にはよく分からんよ……」

 若者は話について行けないとばかりに頭を振った。
 彼は冒険者ではない。オラリオには冒険者を諦めて商いを始める者や、ファミリアを引退して外の人と結婚したりする者も存在しており、彼は曽祖父の代から商売人だ。だから、命というものをそれほど実感したことがないのかもしれない。
 だが、彼の母親は可笑しそうに俺へ微笑みかけた。

「昔、ある神様に似たような話を聞いたことがあるわ。神とは本来、死への恐怖を和らげるために人が求めた存在だって。……今の貴方、その時の神様にちょっと似てたわ。貴方が天使だからかしら?」
「よしてください。俺は天使なんかじゃない。ただ自分のやりたいことをやってるだけの自称冒険者ですよ……そんじゃ、俺はここいらで御暇します。養生してくださいね~?」

 にへら、と笑って俺は二人の家を後にした。リリにパクられて二代目になった漆黒の外套をはためかせて、今日はヘスヘスの所に来たっていう初の眷属くんに会いに行こうと考えながら。



 アズライールは二人の名前も、家族構成も、見返りだとかそう言った話も一切しなかった。彼は罵声を浴びせられた男の親を散歩ついでに片手間で救い、去っていった。なんの見返りも求めずにやることだけをやって帰っていく姿は、まるで彼が定められた役目を果たしているかのようにも見える。

 貴方の死は今ではなくもっと先に訪れるのだと忠告し、生と死の距離を伝える者。
 人に『死』を連想させ、そしてそれが恐れるものではないと諭す、命の宣教師。
 すなわち、死を告げる者――告死の役を背負った天の遣い。

 彼に家を訪問されると、その後その家の人間は決してアズライールの悪口を言わなくなるが、何をされたかも語らなくなる。代わりに語るのは、ただ一言のみ。

 『ああ、彼は確かに告死天使(アズライール)だ』――と。
  
 

 
後書き
そして多くを語らないせいで周囲が勝手にあらぬ妄想を膨らませているのです。ある意味自業自得。 
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